※この作品はR-18です。

北郷当代記   作:KKS

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 冀城。近隣で戦闘が行われているというわけではないが、それでも城郭内には引き締まった空気が流れていた。

 関羽と張飛を引き連れて、一刀は出陣しているところである。大将不在とあって、留守居の将たちに指示を与えるのは、主に郭嘉と程昱の仕事であった。韓遂と辺章の勢力を削った後、洛陽に派兵することが決定付けられている。遠征となれば、兵糧の準備を充分にしておかなくてはならない。郡内の防備の増強を進めるのと同時に、将たちによってそれらの輸送も執り行われていた。

 漢陽郡の南方にある武都(ぶと)郡は、どうやら様子見を決め込んでいるらしい。調略の手を伸ばしつつも、いまは下手に刺激をするべきではないだろう。それが、参軍ふたりの見解だったのである。

 

「しっかしまあ、あんたの旦那もでっかいことぶち上げたもんやなあ、凪」

 

「うん、違いない。打って出るべきときは出る。そういうことができるお方だから、一刀さんは天の御遣いなんだろうな」

 

 楽進と李典。小さく笑いあった。

 昼時には、少し早いくらいだろうか。飾り気のない飯屋で、皿に盛られた料理をふたりして箸でつついている。丁度、互いに城へ戻った時間が同じくらいだったのである。于禁は、まだどこかで任務を行っているようだった。

 ふと、焼いた肉に、楽進が唐辛子の粉をかけようとした。真っ赤な色をしている。楽進のことだから、ビタビタと表現したくなるほど振りかけるつもりだったのだろう。

 

「ちょい待ちい、凪!」

 

「む……、旨いのに」

 

 李典は露骨に嫌そうな顔をし、それを手で強引に制してしまう。物足りないのはわかるが、やるならせめて自分の皿のなかでやってくれ。極めて常識人である楽進だったが、味覚という一点だけに限ればまったく理解することができない。李典はややげんなりとしながら、まともな色を保つことに成功した肉を口に運んだ。

 

「真桜」

 

「んー? なんやー、凪」

 

「確かに、一刀さんはわたしの旦那さまだ。だけど、真桜の旦那さまでもあるんだからな」

 

「ぶっ……!? な、なんや、いきなり真面目な顔してそないなこと……」

 

 あの日、一刀が馬騰に宣言した内容は、当然誰もが知るところとなっている。まだ正式に婚礼を行ったわけではないものの、それぞれのなかで差異はあれども意識は生まれていた。

 これまでも、実質的にはそうだったのかもしれない。とはいえ、心の内で密かに思っているだけなのと、言葉として発されるのではわけが違う。

 一刀の良き妻女となれるよう、いままで以上に背筋を正していかなければならない、と楽進は意気込んでいる。それに、今後また周囲に女性が増えることだってないとはいえないのである。一刀の女癖の悪さについては達観してしまっているものの、そのとき規範を示せるような人間が必要となってくるかもしれない。ならば、自分が率先してそうなるべきだろう。楽進は、そう考えてもいた。

 

「というか凪。自分からいうといて、顔真っ赤になってるし。ほんま、そういうとこがたまらんねんなあ」

 

「う……。こればっかりは、自分ではどうしようもないからな……」

 

 楽進の顔全体が、見事なまでに赤く色づいている。

 もし自分が男だったなら、こんな可愛げのある親友を放っておくわけがない。李典は、むず痒くなりそうな気持ちを抑えながらそう思っていた。

 

「……近くにいても、遠いところにいるような気がする。なんとなくだが、以前はそう感じるときもあった」

 

「やっぱり、それって一刀はんが天から降ってきたようなひとやから?」

 

 タレのついた箸をねぶりながら、李典は話を聞いている。その様子を、行儀が悪いと楽進が注意をした。

 

「そうかもしれないな。……でも、いまは違うんだ。一緒に寝食をともにして、一緒に闘って。そうして、一緒になると約束してくださった。あの方の全ては、きっとこの世界のほうを向いている」

 

「そうかあ。あんまり考えたこともなかったけど、一刀はんがずっといてくれるって保障なんかどこにもあらへんもんなあ。こっちにいるのが嫌やー、って帰られてしもうたら、ウチらではどうにもならへんし」

 

「ふふっ。そう思うのなら、真桜もしっかりあの方をくくりつけておくんだな」

 

「おー? いうてくれるやないの、凪。せやったら、今度閨でどれだけ大将イカせられるか、勝負してみるかあ?」

 

「また、お前はそうやって恥ずかしげもなく……。だが、わたしだって負ける気はないからな。一刀さんのことなら、これでもよくわかっているつもりだ」

 

 そう吹っかけあって、ふたりはまた笑った。そのためにも、まずは将としての働きをしなければならない。

 

「おっ、いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」

 

 調理場にいる店主が、新しく入ってきた客に声をかけた。その客は店主へ軽く会釈をすると、楽進たちのいる方へ真っ直ぐに向かって行く。

 深緑を基調とした軍服。きっちりと纏め上げられた髪が、規律に厳しそうな印象を醸し出している。靴が、少々油でテカった床をかつかつと鳴らしている。

 

「これは。誰かと思えば、稟でしたか」

 

「なんや、珍しい場所で会うもんやなあ。稟さんも、これからお昼かいな」

 

 楽進と李典は意外そうな顔をして、郭嘉のことを迎えた。

 

「ええ、そうよ。だけど、ふたり揃ってそんな顔をしなくてもよいのでは? こちらには、少し前に連れてきていただいたことがあっただけだから」

 

「ははあ、そういうことやったんやな。なんや、妬けてくるわ。凪も、そう思うやろ?」

 

 箸の先を向けて、李典はそういった。先程の場面を再生するかのように、楽進がそのことを注意する。

 なにも、郭嘉だって始めからここにしようと思って来たわけではないのである。休憩がてらに歩いていると、つい目に入ってしまったのだ。

 

「なんですか、妙にニヤニヤして……。それはそうと、資材の準備などは怠りないんでしょうね、真桜」

 

「はいな。そっちに関しては、順調に進んでるで」

 

「ふむ、ならばよいのですが。店主殿、わたしにはなにか軽いものを出してもらえますか」

 

 李典の応えに頷いて見せると、郭嘉は椅子に腰掛けながら店主に注文を伝えた。

 今頃一刀たちは、楡中(ゆちゅう)の攻略を狙って布陣しているはずである。漢陽郡から金城郡に入れば、楡中は目と鼻の先の位置にある。その援軍として、郭嘉も赴く手はずとなっていた。

 

「あちらのほうでは、もう戦が始まっているのでしょうか」

 

「凪の思っている通りかと。馬騰殿の手の内は、韓遂もよく知っているはずですからね。そういった意味では、臆する必要がない相手ともいえるでしょう。対して、我ら北郷軍とは、闘った経験がありません。間者の知らせを聞く限り、羌族との混成軍とぶつかりそうな気配がします。恐らく、様子見をするつもりなのでしょう」

 

「なるほどなー。敵さんからしてみれば、馬騰さんとこのほうが怖くてしゃーないってわけか。まあ、ウチらなんて涼州じゃほとんど無名みたいなもんやしなあ」

 

 李典のいうように、涼州に来てから北郷軍は戦らしい戦はしていない。たまに賊でも出れば、実戦に即した調練になると思えるくらいだったのである。

 そうであるだけに、韓遂も辺章も当面の敵は馬騰だと考えていた。いまでこそ争う間柄となってはいるが、ときを遡ってみれば仲の良かった時期もある。馬騰と韓遂は、似た者同士といえる部分もあったのだ。だから、余計に相手の考えていることがよくわかる。

 どちらも、羌や匈奴といった外敵との闘いで名を挙げ、領土を持つまでとなったのである。その名は、漢の西端となる敦煌(とんこう)の辺りにまで鳴り響いていた。

 

「一刀さんを、隊長のことをよろしくお願いします、稟。自分たちは、遠征の準備を万全にしておきますから」

 

「もちろん、そのつもりです。一刀さまの目指すところは、まだまだ先にあるのです。早急に敵軍を打ち払い、後顧の憂いを除いてみせましょう」

 

 力強く、郭嘉は言い放つ。眼鏡の奥の瞳。澄んだ色をしている。それが、どこまでも世を見通しているかの如く見えた。

 相手がこちらの実力を知りたいというのであれば、思う存分知らせてやろう。郭嘉はそう、静かに闘志を燃やしている。

 狼煙。まさしく、つぎの闘いは天下に向けて狼煙を上げる一戦ともなろう。最初はただの弱々しい一本に過ぎなくとも、それを必ずや強く大きくしてみせる。

 一刀に付き従うようになってから、郭嘉はずっとこうなることを願っていたのだ。やはり、自分がこれはと決めた男に、天下を治めてほしい。建前がどうであれ、切望していたことである。

 北郷一刀は、本質的には優しいひとだ。そのことは、郭嘉も重々承知していた。もし董卓が火種を起こしていなければ、一刀が腰を上げることはなかっただろう、とも思う。そういった意味では、董卓の決断に感謝してもいた。

 他方で、女としては董卓が羨ましく感じるときがあった。自分のことも、同じように思ってくれているのだろうか。考えるだけ、無駄なことだとはわかっている。なんの誤魔化しもなく、そうだと応えられるに決まっているからだ。

 どれだけ女の間を渡り歩こうと、いつかは自分のところへと帰ってきてくれる、という信頼感が存在していた。そのように、皆に忌憚なく愛情を振りまくことのできる一刀だからこそ、郭嘉は支えたいのだ。

 袁紹、袁術、曹操、孫堅。世の中に群雄は数あれど、真っサラな次代を築けるのは一刀ただひとりなのではないか、とも郭嘉は思う。

 曹操の覇気には魅了されるようなものがあったが、器量では一刀も劣っていないはずである。家柄と勢力だけで見れば袁紹が強かったが、気にかけるべきは曹操だろう。直近の戦を考えることは勿論大切だが、自分にはそれ以上のことが求められているはずである。そうして、郭嘉は日夜考えを巡らせているのだ。

 自分や程昱といった文官、そして関羽を始めとする優れた将軍たち。その力を遺憾なく発揮することさえできれば、やがては一刀の望むところにも辿り着くことが可能なはずである。自惚れではなく、確かにそう感じていた。

 新たなる潮流。それを、巻き起こすための闘い。全身の血が、熱くなっていくような感覚を受けた。郭嘉は、気がつけば拳を握ってしまっていた。

 

「稟さん、気合たっぷりって感じやな。よっしゃ、ウチもやったろうやないか! 凪も、はよ食べ!」

 

「言われなくとも、そうするさ」

 

 郭嘉に感化されたのか、李典は残った飯をかきこんでいく。

 調理場からは、鍋を振るう小気味の良い音が聞こえている。その音に耳を傾けながら、郭嘉は脳裏に戦場を思い描いていた。

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