一
袁紹を総大将とする、反董卓連合軍。寄せ集めゆえ纏まりには欠けているが、諸侯が参集しているだけあってさすがの陣容をしていた。
強大なる兵力。全軍で見れば、十万を有に越えている。その中でも軍勢の大きさでいえば、やはり袁家の二人が別格だった。だから、自然と軍内での態度も大きくなる。連合が成ることを願っていたとはいえ、曹操や孫堅がそのことを愉快に思うはずがなかった。
自らの名声によって集めた兵力。それをもって威圧し続けていれば、董卓もやがて屈するしかなくなる。袁紹は、そのくらいに考えているのかもしれない。その方策自体は、決して的はずれなものではないのである。しかし、それは配下の軍勢の統率がとれていて、はじめて成り立つ戦法でもあるのだ。
連合軍の構えを見て、賈駆は各所に防御を固めることを命じた。洛陽には、兵糧が豊富にある。籠城し、袁紹から諸侯の心が離れた隙きをつけば、勝機は充分にあると踏んでいた。ただし、賈駆にも不安がないわけではなかった。董卓が、なにを見据えて闘っているのか。時々それがわからなくなり、思い耽ることがあった。気兼ねする必要のない相談役であった盧植は、すでに洛陽を去ってしまっている。それだけに賈駆の心は、唯一気を許した男の到来を待ち続けていた。
「
「あら、
現在、曹操は
「
「はーい、華琳さま。親衛隊、進軍やめっ!」
許緒の音声が響き渡る。選りすぐりの精鋭なだけあって、命令への対応は素早かった。その動きを見て、曹操は満足したようにうなずいている。
誰にも侵されることのないような、気高さを身にまとった曹操。操る黒馬と相まって、その姿はより洗練されたものとなっている。曹操の信奉者ともいえる荀彧。言葉を発することすら忘れて、主君の美麗な容姿に数瞬の間見入っていた。
「それで、桂花。あなたは、このわたしに見惚れるために、わざわざここまで来たとでもいうのかしら?」
「はっ……!? い、いえ、申し訳ございません、華琳さま。ですが、あまりにも華琳さまのお姿が美しかったもので……」
「ふうん、そう? まあ、いいわ。季衣、視察は一時中断とするわよ。親衛隊を遊ばせているのも勿体ないから、調練代わりにその辺りを駆けさせてきなさい、いいわね」
「了解です、華琳さま! あっちの丘の近くを何周かさせたら戻ってきますから、それまでゆっくりしていてください!」
土煙があがる。快活とした声で応えると、許緒は手勢を率いてその場を離れていった。親衛隊を側に置いていなくとも、ここは自陣の内部である。兵卒の端々にまで、曹操は敬意を持たれているといっていい。それは、夏侯惇らによる厳しい調練の成果でもあった。
「まずひとつ。孫堅が、焦れて出てきた董卓の一軍を撃破しました。江東の虎という異名の示す通り、あの者は恐ろしいくらい戦に強いようです。もっとも、将を討ち取るまでには至らなかったようでしたが」
「ふっ……。亀のように籠もっていた董卓軍の部将も、こちらの動きが気になって出てきたようね。まったく……、
「華琳さまのお考えになった策ですから、よもや間違いなどあるはずがございません。それに、袁家二人の馬鹿面を拝まなくて済むようになるとは、一矢で二兎を射止めたようなものではないでしょうか」
「うふふっ。褒めすぎよ、桂花」
優雅に微笑む曹操。それを見て、また荀彧がうっとりとしたものに表情を変えている。
董卓を攻めるのであれば、とにかくその力の供給源を断つべきだ。曹操は、連合軍に加わる以前からそう考えていた。もとより、煮え切らない袁紹のもとに、長くいるつもりなどなかったのである。
「鮑信がこちらになびいてくれて、助かっているわ。あれはなかなか勇猛でもあるし、使い所がありそうね」
「そうですね。あの場で袁紹ではなく華琳さまを選んだのですから、それなりに天運があるのでしょう。もっとも、鮑信が同盟者面をしているのは、わたしからしてみれば気に入らない点ではありますが」
吐き捨てる荀彧。あいも変わらず、他者評には容赦がなかった。
鮑信が同調していなければ、もう少し封鎖にも苦労したのかもしれない、と曹操は思う。やってみせる自信があるから出てきたのには違いないが、それでも鮑信率いる八千の存在は大きかった。
一万五千。それが、今いる曹操の麾下である。そこに鮑信の手勢を加えれば、二万三千。それだけの兵がいれば、并州との繋がりを断つことは容易かった。小競り合いは何度かあったが、曹操の相手に足るだけの敵将は表れなかったのである。
「こちらでのお働きに加えて、涼州内部を仲違いさせたご手腕、さすがは華琳さまです」
韓遂らの挙兵。それは、曹操の調略による賜物だった。并州は自力でどうにかすることができても、涼州は洛陽の裏口に位置しているだけあって、兵を送るには遠すぎる。そこで曹操は、涼州を二分するほどの勇名を持つ韓遂に目をつけたのだ。
賛辞を連ねる荀彧ではあったが、わずかな変化を曹操は見逃さなかった。揺れる瞳。覗き込もうとすると、荀彧はびくりと身体を反応させる。
「涼州で、なにかあったのね。そういう顔をしているわよ、桂花」
「ひゃっ……。うあぁあっ、か、華琳さま……っ」
荀彧の顎に手を当てる。真っ赤に染まっていく顔が、愛おしく思えた。
「そうね……。天の御遣いが、韓遂を破りでもしたのかしら?」
「やっ、んうぅっ……。はあっ、華琳さまぁ……」
鼓動が高鳴る。ひとりの男の姿を、曹操は脳裏に描いていた。見えて久しい、天の御遣い。荀彧のうなじを指でもてあそびながら、曹操は熱い吐息を洩らしていた。闘うべき相手を、自分は求めているのか。厄介な本能ではあったが、それが覇者として行くべき道だとも感じている。
馬騰。本当であれば、そちらに揺さぶりをかけたいと曹操は考えていた。馬騰当人だけでなく、その娘たちまでもが武人として名を馳せはじめているのだ。涼州の旗頭ともいうべき馬家が董卓に反旗を翻す事態になれば、相当な痛手となったはずである。しかしながら、馬騰の調略は道半ばで断念せざるを得なくなっていた。
「北郷一刀も、面倒なことをしてくれたものね。まさか、馬騰の娘と婚姻を結ぶだなんて。……桂花、そろそろ起きなさい。報告の本命は、孫堅のことではなくこちらなのでしょう?」
「んっ、はい……っ。こほんっ……、北郷と馬騰による連合軍は、韓遂らの軍勢を金城郡から北に追いやったようです。いまだ韓遂のもとに集う諸将は多いようですが、今回の敗戦によって涼州の流れは決定的になったといえるのではないでしょうか」
「ふっ……。やはり勝ったか、北郷一刀。桂花が北郷であれば、この
「ううっ……。考えることすらおぞましいですが、華琳さまのご命令とあらば従いましょう。もし……、絶対にありえないことですが、もしわたしが北郷であれば、そのまま畳み掛けてまずは韓遂を滅ぼします。そうして涼州一帯を手中に収め、地盤を固めようとするでしょう。その頃になれば、洛陽での闘いにも区切りがついているはずです。然る後、司隸に討ち入って帝を抑えるか、はたまた益州に手を伸ばしてみるか。その、どちらかを採ることになるかと存じます」
「ふふっ、なるほどね。桂花のいったように、わたしでも先に韓遂を討とうとするでしょうよ。でも、予感があるの。北郷は、必ず董卓の救援に動こうとする。予感というよりも、これは確信に近いのかもしれないわね」
「しかしながら、間者からの報告によりますと、北郷と董卓の間の音信は途絶えているといいます。それでも、やつは出てくると仰せになるのですか、華琳さま?」
荀彧の言っていることは、曹操もよくわかっていた。
両者の間にできた溝。董卓が洛陽を席巻するようになってから、それはより顕著になっている。どちらかといえば、董卓の側から一方的に接触を拒んでいるようでもあった。ただし、曹操もすべてを知り尽くしているわけではない。あれは、いつの頃からだったか。北郷の付近に潜り込ませていたいた間者が、帰還しなくなることが多くなっていたのである。恐らく、腕のいい隠密に斬られているのだろう。
ひとつ息をついて、曹操は西の空を見つめた。風が、戦の匂いを運んできているような気がしていた。
「ええ、来るわね。北郷一刀というのは、きっとそういう男なのだと思うわ。あれは、苦しんでいる董卓を見捨てることなどできない。わたしは、そう踏んでいるの。ふっ……、もしこの読みが外れることがあったら、桂花のお願いをひとつきいてあげてもいいわよ? なんてね」
「むう……。楽しそうですね、華琳さま」
荀彧が眉を曲げて、不機嫌さをあらわにしている。
北郷が涼州から出てくることになれば、この停滞した戦場にも変化が訪れるかもしれない。孫堅の勝利からも、その兆しは現れ始めているといえよう。
早く来い、北郷。曹操は、心の内でそう呟いている。
「拗ねないの、桂花。戦が終われば、いつでもたっぷりと可愛がってあげられるようになるのだから。それまで、励みなさい」
「ほ、ほんとうですかっ!? ああ……、いまからその時が待ち遠しくて仕方がありません……」
丘を駆けていた騎兵。許緒を先頭にして、こちらに戻ってきているのが見えている。
黒馬に跨がる。背をまっすぐに伸ばし、手を振る許緒に応えた。『曹』の一字の旗。それが映し出す勇壮な影が、幾筋も出来上がっている。