レオンハルトはスラルに手を引かれて、そのまま彼女の私室まで連れて行かれた。
道中の会話はあまりない。時折、スラルの方が軽くこちらに振り向き、
「もうっ、レオンハルト? ちゃんとご飯食べてないんでしょ。いくら忙しくても、ちゃんと食べないと駄目よ」
「……あ、ああ。そうだな」
と、何気ないことを言っては、レオンハルトが頷く。それだけの会話が行われる。
他にも、やれ寝ないのはよくない、だの、あまり根を詰めすぎるのはよくない、だの、色々と注意喚起を行なってくるのだが、その全てにレオンハルトは頷くしかない。
そもそも、レオンハルトとしてはそんなスラルの様子に不可思議を感じ、いっそ不気味に見えてしまっていた。彼女の様子は、至って普通、普段どおりであり、何も含むところがないように見える。
……何故だ……?
怒ることも、悲しむことも、失望することもしない。彼女の口から出てくるのは軽く注意する言葉だけ。しかも、全く関係のないことだ。
それとも自室に着いてから、その辺りを口にしてくれるのだろうか。いや、そうに違いない。こんな誰が通るかもわからない場所で話すことではないだろう。
しかし、
「さ、入って。散らかってるけど……き、気にしちゃ駄目よ? 色々と見られたらまずいものもあるし……」
そう言いながらスラルは自分の手を引いてベッドの縁まで行くと、そこに自分を座らせた。その隣にスラルも腰を下ろす。部屋の中は彼女が言う様に散らかっている。その多くが本棚から抜き出されたであろう本の山だ。薄暗い部屋の中で、明かりは殆ど灯っていない。自分達がいるところだけを照らして、スラルはこちらを見上げる。
「それで、何でまたメガラスと戦ってたの?」
「……それは……」
続く言葉が出てこないこちらに対し、スラルは仕方ないと言わんばかりの苦笑を浮かべ、
「まぁ、どうせいつもの戦うの大好き病が発症したんでしょうけど。少しは抑えないと駄目よ?」
「…………」
またしても軽く注意するだけの言葉。これくらいであればいつものことだ。
何故――
「ちょっとレオンハルト? 聞いてるの? 私としては、戦ってるところも好きだからいいけど、周りのことも考えて――」
「――何でだ?」
「……え?」
気づけば、言葉を放っていた。
心の内にある疑念を叫ぶようにして言葉にする。それは、
「何故俺を責めねぇ!?」
「……責める?」
スラルが疑問する様に首を傾げる。それに応答する言葉は、重ねられた疑問であり、
「何故何も聞かない!? 色々と聞くことがあるはずだ! なのに、何でそんないつも通りでいられる!?」
怒ることが、悲しむことが、絶対にあるはずだ。何故なら、
「お前がこうなることを、俺は言い当てたんだぞ! だったら聞くことがあるだろう!? 責めることが、怒ることが、悲しむことがあるだろう!? 何故変わらない様子で俺と接することが出来る!? 何故――」
そこで言葉は一度止まった。心が頭が、それを口にすることを拒否する。
しかし構わず言った。それは、
「何故……俺のことを、嫌いにならねぇ……?」
「――――」
「嫌いになっても、おかしくねぇはずだ……!」
再度の言葉を浴びせる。
自分がしでかしてしまったことの大きさ。それを思い、レオンハルトは声を荒げる。震えた声で、
「俺は――」
「……レオンハルトっ」
「っ……!?」
突如、声が遮られる。それはスラルが起こした行動の所為だ。
続く言葉を放とうとしたこちらに対し、スラルは名前を呼びかけながら、
「――好き、好きっ。大好き。レオンハルト、好き」
「っ、スラ――っ、お前、っ、何を――」
こちらの身体に飛び込み、幾度となくキスを落としてくる。
……何だ、一体……!?
彼女の急すぎる行動に頭が混乱を極める。
好き、と何度も声に出し、何度も口を離しながらのキス。それがしばらく続く。
戸惑いの極地にいながらも、レオンハルトはやがてそれを受け入れざるを得なくなっていく。止めようとしてもスラルは止まってくれない。乱暴に押しのけることも出来ない。そもそも力は向こうの方が上だ。
ゆえに黙ってそれを受け止め続ける。段々と身体が熱くなり、互いの紅い瞳が虚ろに、熱くなっていくと、
「――んぅ……」
「っ、はぁ……!」
そこでようやく、スラルは口を離した。
お互いに呼吸を整えながら気持ちを落ち着けていく。
そんな中スラルは、身体の上に跨ったままこちらを見上げ、
「……どう? わかった?」
「……何がだ……?」
訳が分からず言うと、スラルは軽く呆れるように息を吐きながらも答えを言う。
「私が、レオンハルトのことを好きだってこと」
「……だが、俺は――」
「……知ってたんでしょ?」
「――――」
続く言葉にレオンハルトは息を呑む。スラルはやはり、笑みのままで、
「でもそれを忘れていて、私の言葉を聞いてから、それを思い出した。――違う?」
「……そうだ」
的確に言い当てられ頷くしかない。それを皮切りに、こちらも言葉を尽くす。
懺悔をするように、
「知っていたんだ……! なのに、俺はそれを思い出せない。こうなった今でさえ、俺は思い出せないんだ。思い出そうとしているはずだが、思い出すのを拒否しているようにも思える……! 俺は一体、何者なんだ……!?」
「……そんなの簡単でしょ」
と、スラルはそんな心中の吐露にさえ、微笑で答える。
こちらの頬をその小さな手で撫でながら、
「レオンハルトはレオンハルト。この世界に生まれた人間で、とっても強い魔人で、剣が好きで、戦うのが好きで、仕事に真面目で厳しいところがあって、でも優しいところもあって、格好良くて――」
そして、
「世界一大切な――私の大好きな人。それが貴方」
「――――」
愛おしそうに、視線を合わせながら想いを言葉にされる。
だが、と声に出そうとして、言葉にできないこちらを慈しむ様に見ながら、
「欠点も含めて、全部好き。知らないはずのことを知ってたって、貴方が大切なことには変わらない。多分それは、他の人も同じ」
「っ、他の人も……?」
頷きが返ってくる。他の人とは、
「ガルティア。ケッセルリンク。キャロルやハンティ。他の人達も、貴方が何者だろうと、仮にとんでもない秘密があったとしても、築き上げてきた関係は変わらない。私は貴方が大切で、レオンハルトっていう貴方個人に、皆は色んな想いを抱えているの。それだけは変わらない」
「…………」
レオンハルトは、内心で疑念が渦巻いていた。
……何でだ?
何故自分は、いや、スラルは、
……そこまで理解しておいて、自分を愛せる?
それとも理解が足りていないのか。ならば言おう。
「……俺はもしかしたら、この世界の人間じゃないかもしれない」
そうではないと思いたい。しかしそういう可能性――否、そういう解釈も出来る。
しかし、
「……そうなんだ。それってよく解らないけど、前世とかそういう話? それとも、生まれたときに異世界から来たとか?」
「……前者だ。生まれた時から、別の知るはずもない知識や記憶があった」
「ふーん……」
しかし、それを打ち明けたというのに、反応が薄い。ただ、そうだったんだ、という理解以外に感情が見えない。
何故だ、という疑念を抱く前に、スラルは言葉を口にした。
「……私、ひょっとしたら人間じゃないかもしれない」
「……は?」
不意の発言に今度はこちらの思考が固まる。
スラルは台詞を続けた。
「正確には、人間の時の記憶がないってことになるのかな。気がついた時には“人間の魔王”としてこの世界にいた。それが私」
正直なところよく解らない、と、スラルは呟く。
「だから本当は人間じゃないかもしれないし、記憶が無くなってるだけで、本当は普通の親がいる人間の子供だったのかもしれない。……でも――」
と、そこでスラルはほんの少し、顔を俯かせ、
「私は……最初から孤独だった。自分と縁がある者は、周りに誰もいなかった。自分が人間だったとは理解していても、人間の時の記憶がないなら、生まれた時から魔王だとしても同じことよね」
「それ、は……」
スラルの悩みを理解する。人間の時の記憶がない。
それは自分が何者であるかというルーツが解らないということに他ならない。最初の記憶は魔王であった時のもの。ならば人間であったと理解していても、実感として己は魔王でしかなく、
「ずっと人間になりたかったの。魔王になんてなりたくなかった。――でも、私は生まれたときから魔王だった」
「…………」
記憶がある自分と、記憶がないスラル。
正反対であっても抱える悩みは同じだ。
……自分は何者なのか。
だが、
「もっとも、今はそこまで思い悩んでるわけじゃないけどね。……それで、聞きたいんだけど……」
と、スラルはその悩みを一蹴し、こちらに目を向けて問いを投げた。それは、
「――これを聞いて私のこと、嫌いになった? 他の人がこれを聞いたら、嫌いになるかな?」
「――!」
レオンハルトは鼓動を跳ね上げた。それは、気付き、と、否定によるもので、
「嫌いになんてならねぇ!!」
そんなわけがない。ありえない。この程度で嫌いになるはずがない。
そしてそれは、相手も同じことで、
「……わかった? そんなことはどうだっていいの――って、私も最近思ったことなんだけどね」
「……ああ。わかった。わかったよ――痛いくらいに」
しかし、だからこそ、心にくるものもある。
それは自分がしでかしたことだ。
「……俺は、お前を助けたい。ずっと一緒にいたい。だから――」
「あ、そのことなんだけどね」
と、再びスラルはこちらの言葉を遮るように言った。
軽い様子で言うその態度に、少しだけ期待する。もしかして、何か方法があるのかもしれない、と。
だが、その期待は直ぐに裏切られた。
「私がこれから先……死ぬまで――私は普段どおり、貴方達と過ごしたい」
「なっ――」
反射的に出た声は、しかし言葉にならず、一度止まる。一息、落ち着いて改めて声に出すのは、
「っ、それは駄目だ。いや、それは嫌だ。何でそんなことを……そんな――」
「……ごめんね?」
「っ……」
一声でこちらの言葉を、結果的に封じる形になったスラルは、そのまま続けて理由を口にした。
「方法は確かにあるかもしれない。でも、その僅かな可能性に賭けて皆を苦しませた上、残りの時間を怯え、不安のまま過ごすより……貴方達と幸せに暮らしたいの」
「――――」
言葉は口に出なかった。考え直す様に説得する言葉も、只々嫌だ、と自分の内心を吐露するような言葉も。
何故なら、スラルの表情は、既に決めているように穏やかで、
「ごめんね。……でも、50年って結構長いのよ? 日数だと18250日もあるんだから。何度だってキス出来るし、デートにだって何回もいける。皆と遊びにもいける。それだけの時間、幸せでいられる。普通の人間なら、大往生よね」
だから、と。
「――お願い」
「っ……!」
……ずるい……。
レオンハルトはそう思う。
本当にずるい。何もかもが。
「……ずるい」
「……うん」
「……お前にそんなこと言われたら……俺は嫌でも従うしかない。そんなこと聞いちまったら――」
「ごめん。でも、レオンハルトも出来れば私と楽しんでほしい。じゃないと、私も素直に楽しめないから」
本当にずるい。そして、度し難い。
だが、
「……難しい、ことを、言ってくれるな……。お前が死ぬことを受け入れて、その上で普段どおり過ごせってか……?」
「……ごめんね。自分勝手で」
「ああ、本当にな……」
と、レオンハルトは乾いた笑いを洩らしながら、
「……50年。50年、か……」
「短い時間よね。――魔人にしては」
「……ああ、そうだな。――人間としては、長い時間だ」
「……私、これからはもっと皆と関わっていきたいな」
「……なるほど。確かに、素直なお前は可愛かったぜ」
「……ありがと」
「…………」
レオンハルトは、スラルが首に手を回してくるのを黙って受け入れた。
その温もりが、とても心地よくて、愛しくて、心が満たされているのに。
――何故、こんなにも胸が痛いのか。
――それからしばらくして、レオンハルトは黄金像の探索中止を言い渡した。
皆が寝静まった頃。
スラルは、不意に目を覚ました。
「ん……」
ベッドの上。隣には、裸のまま泥の様に眠るレオンハルトの姿がある。
やはりよっぽど疲労が溜まっていたのだろう。体力的にも精神的にも。こうやって身を起こしたところで、普段であれば早々に気配を察して起きるのだが、そういった様子は皆無だ。
「……レオンハルト……」
彼の頭を撫で付けながら、名前を呼ぶ。
今日決めたこと。その判断は、レオンハルトの精神を大いに摩耗させてしまっただろう。それは理解している。
しかしそれでも、このまま助かる方法を探し続けるよりはマシなものだ。それは不可能に近い。少なくとも50年という短い時間で新しい方法を探すのが無理だ。黄金像も、もはや当てに出来るものではない。
このまま彼らが無理に助けようと足掻き、失意の果てに沈むよりは、受け入れて最期の時までを幸せに暮らすほうが良い。心の整理を付けることだって出来る。
そういう意味で、レオンハルトの発言は救いだった。あのままいけば、自分はわけもわからず命を落とし、残されたレオンハルト達にも深く消えない傷を残していただろう。
だが、傷を付けることは同じかもしれない。何せ、幾ら心の整理が付いていようと、50年後には、彼らは残されることとなり、それからの時を生きていく。
……そのとき、レオンハルトは――
どんな選択を取るのか。半ば確信に近いものを感じていると、
「……んゆ……」
「……っ!?」
不意に、現れた存在に息が詰まる。
侵入者、一体どこから……、と思考を回した瞬間、その目に映る存在が知ったものであることに気づく。
それは、
「……貴方……確か、セラクロラス……?」
「うん、そう」
金髪ツインテールの、常に眠そうにしている少女。
それは、聖女の子モンスターのセラクロラスだった。
知識の上では知っている。時のセラクロラス。レオンハルトに懐いていることも。そのためか、時折どこからともなく現れ絡んでくるのだと、レオンハルトは言っていた。
会って言葉を交わしたことはないが、遠目に見たことはある。その時は、近づくとすぐに逃げてしまっていたが。
そんなセラクロラスが、何をしに来たのか。やはりレオンハルトに会いに来たのだろうか。出来れば帰ってほしいのだが、と、スラルは思ったところで、
「……スラル、これ……」
「え、私に?」
レオンハルトに用があるなら今は帰ってもらおうと思ったのだが、セラクロラスが用があるのは、どうやら自分の様であり、こちらにむかって何かを差し出してくる。
それは白い、何の変哲もない手紙であった。それを受け取ると、
「……約束だから」
「……約束?」
「んじゃ、またね……」
「あ、ちょっと」
こちらが呼び止める前に、セラクロラスはどこかに消えてしまった。神出鬼没とは聞いていたが、瞬きしてる間に消えてしまうほどとは、色々とおかしくないだろうか。本当に時でも操っていそうな不条理を感じる。
「……何だったのかしら」
と、疑問を感じながら渡された手紙をまじまじと見詰める。トラップ的なものが仕込まれてたりしないだろうか、と一応魔法で調べるも、特におかしなところは見当たらない。
「……ラブレターだったりして」
とか、ありえない――いや、レオンハルト相手だとしたら普通にありえそうなことを呟く。自分で言っといて何だが微妙な気分になる。だとしたら、普通こっちに渡さないでしょ、当てつけか何か?
そんなことを思いながら便箋を開いて中身を見る。そこには、
「……え、これって――」
スラルはその日、眠ることが出来なかった。
後、2話か3話。
というか次話で終わりといえば終わりになるのかな? その次と次はエピローグ的なやつ。その後は……まぁ、お待ちかねかどうか分かりませんがお察しの通りです