――それからしばらく、レオンハルト達は穏やかな日々を過ごした。
荒れていたことを周囲に謝り、表面上はいつも通りに戻ったレオンハルト。
しかし近しい者達から見ると、その様子は空元気に映り、元気がないことを尋ねてみても、
『……別に、俺はいつも通りだ』
と、答える。
一方でスラルの方は普段にも増して活発になった。
自ら率先してレオンハルトや他の者を誘って行動した。
ガルティアと新しい食材を使った料理を振る舞ったり、逆に食べてみたり。
ケッセルリンクと中庭にお花を植えて、それを育てたり。
キャロルが知らないレオンハルトの昔話を教えてあげたり。
ハンティと魔法やドラゴンのことについて語り合ったり。
ますぞゑとハニ子と遊んでみたり。
ラウネアに新しいリボンをプレゼントしたり。
タルゴに食べ物を配ってみたり。
サメザンに捕まって空を飛んでみたり。
ブラッドとピットの第一使徒決定戦を開いてみたり。
同時に何故かキャロルと七星の対決を判定することになったり。
あまり話しかけていなかった他の魔人――メガラスやカミーラ、ケイブリスなどにも話しかけてみたり。
何故かいなくなっていた聖女の子モンスターをもう一度探してみて、しかし一部しか再会出来なかったり。
毎年、季節ごとのイベントも行い、記念日を祝った。
毎日の様に遊んだり、何かに挑戦したりして楽しんだ。
そしてその隣には常に、レオンハルトの姿があった。
デートに行くことも多く、食事や風呂、寝るときなども殆ど一緒だった。
お互いにべったりであったが、ケッセルリンクやキャロルは不満を漏らさなかった。
それはレオンハルトの様子に、どうにも違和感があったからだ。
楽しんではいても、何かに耐えているような感覚が拭えなかったからだ。
しかしスラルの方はほんの少し、一人になる時間があった。
レオンハルトは仕事の時も殆どスラルと一緒にいるようになった。
だがその間、スラルは何かの研究を進めていた。
何をしているかは解らないし、教えてくれない。聞いても“これは必要なことだから”、と言うだけだ。
数十年間。スラルとその身内は、穏やかで楽しい日々を過ごした。不安は何もない。ただ幸せな日々を。
しかし、ある日。スラルは皆を集めてそれを教えた。
『私には寿命がある』
そんなことを打ち明けられた。
ショックで殆どの者が二の句を継げない中、スラルは淡々と事実を口にする。
SS500年頃。その時に、自分は死ぬ。
だから心の整理をしてほしい、と。
そこでようやく、皆はスラルとレオンハルトの様子を察した。
二人はそれを知っていたからこそ、様子が変わったのだと。
レオンハルトがあの時荒れていたのは、これが原因なのだと。
どうにもならないのか、と静かに尋ねるガルティアの問いに首を振ったスラルを見て、皆はこの時ようやく理解した。
この日々はいつまでも続くものではない、と。言葉には出来ずとも、それを本能で察した。
だからこそ、今を精一杯生きようとしているのだと、理解した。
結局、皆はスラルの願いを汲むことにした。
誰よりも悲しい想いをしている、誰よりも異を唱えたいであろうレオンハルトが、それを汲んでいる。
そのことに皆は何も言えなかった。
――そうしてまた、時間は過ぎていく。
幾つもの季節が過ぎ去り、年を重ねた。
その間も、幸いな日々を過ごし続けた。
そして――SS500年。
季節は冬。良く晴れた日のこと。
とうとうその日はやってきた。
その日。
スラルはレオンハルトの元を離れ、幾人かの元へ顔を見せた。
一人ずつ。その最期の言葉を掛けに行ったのだ。
魔王城の食堂にいたムシ使いの魔人、ガルティアはスラルと言葉を交わし合った。
それが終わり、彼女が立ち去っていく。別のやつにも顔を見せに行くのだろう。
ガルティアはしばらく、そこで食事を取っていた。
「…………」
無言のまま食事を摂っていく。
ムシ使いにとって、ムシを飢えさせるわけにはいかない。ムシは大切な家族だ。家族を飢えさせるわけにはいかないだろう。
同時に、食事には敬意を払う。
それがガルティアの挟持だ。だが、
「……参ったな」
ガルティアは息を吐いて、ぽつりと言葉を漏らす。
「……何を食べても味が解かんねえのは……これで二度目か」
一度目は、人間時代の親友が無くなった時だ。その時は随分と堪えた。
そして今は、
「……最初は、ただの取り引きだったんだけどな……」
思えば魔人になったのは自分が治める多くのムシ使いが暮らす集落。故郷と仲間、家族を守りたかったからだ。
仲間になったのは義理に近いもの。本来、魔物に思い入れはないし、見ようによっては仇ともいえるものだ。しかし、
「……悲しいな」
気づけば、腹の中からムシ達が声を掛けてきている。慰めてくれているのだ。
それに応えながら、ガルティアは声を作る。味のしない料理を口にしながら、
「――家族を失うってのは、悲しいもんだ」
言葉とともに、家族への別れを思った。
中庭にて佇むカラーの魔人、ケッセルリンクは立ち去っていく主の姿を見て耐えきれないものを感じていた。
しかしどうすることも出来ない。そうすることを主は望んでいない。
ならば遮ってはいけない。ここで声を上げたところで、主を困らせるだけだ。
これから、別の者にも言葉を尽くす必要がある。その中にはきっと、自分の愛しい人も。
それを想えば、深い悲しみにあっても引き止めることは出来ない。
「……私は、貴女に救われました」
想い人である彼に手を出し、それでもなおこちらを許し、魔人として傍にいることを許した。
「……死を待つのみだった私に、新たな道を示してくれました」
その道は魔人という見ようによっては修羅の道だ。しかし、それによって、
「……私は、新たな幸いを得ました」
貴女が作る賑やかで楽しい列に、自分を加えてくれた。
その恩は、一生を懸けても報いるべきもの。ゆえに、
「主の頼み、確かに承りました。……承りました」
だから、
「――今だけは、主の為に今しばらく、涙を流すことを、お許しください……」
震える声でそう言って、ケッセルリンクは花畑の前で蹲った。
城の外に出ていたハニーの魔人、ますぞゑはひたすらに歩みを進めていた。
その後ろから付いてくるのは、ハニ子と使徒のブラッドとピット。
魔王との話を聞き終えたますぞゑは、直ぐ様移動を開始した。その理由は、
「……奈落に帰る、ですか?」
「…………」
頷く。すると、ブラッドとピットが同時の声で、
「……寂しくなりますね」
言う。ますぞえは何も答えない。
ただ、その手には、
「! ますぞゑ様、それ……」
ハニ子が気づく。ますぞえの手にあったのは、
「む? 確か、スーパーボール、でしたか?」
「…………」
いつかの屋台で貰った何の変哲もないスーパーボールだ。
しかしそれは五十年以上経った所為か黒ずみ、ぼろぼろになっている。
ますぞえは何も感じない。
生きる理由もない。ただじっとしているのみでいい。
これからは再び奈落にて、時間を潰すだけの日々が続くだろう。
だが、ほんの少しだけ、残していくには惜しかった、とそんな想いを得ながら、
「……え? ますぞえ様。今なんと?」
ますぞえはこれからのことを、ハニ子に教えた。それは、
「……いつか、本気を出して――世界を滅ぼす?」
「…………」
その時が来ればそうしよう、と、魔人ますぞゑは何となくそう思って奈落に帰っていった。
魔王城の廊下を重い足取りで歩くのは、レオンハルトの使徒であるキャロルだ。
彼女は同じく、使徒であるハンティとともにスラルの言葉を聞き、その後、頼まれた要件を済ませるために歩いていた。ハンティの方はまた別の用事があるらしい。
そうして歩いていると、廊下の向こうから、
「……キャロル、ですか」
「……あ、七星ですの」
ばったりと、彼女がライバルにしているカミーラの使徒、七星と出会う。
七星はキャロルを見て、ほんの少し眉を動かした。そして今度は何を言われるのかと身構える。
彼女が七星に勝負を挑むのは、もはや日常茶飯事となっていた。七星としては少しならともかく、毎回、それも様々な種目での対決は、精神的に疲れるので、悩みのタネではある。
しかし主であるカミーラからも、出来る限り受ける様に言われているため、断るに断れない。何だか面白がってる節があるのだ。
ゆえに、七星は廊下で立ち止まった。しかし、
「……では、失礼しますの」
「……え? あ、はい」
短く挨拶を告げて通り過ぎていくキャロルに、思わず呆気にとられる七星。
しかもその姿に、いつもの威勢の良さは無く、ただただ気落ちした様子だ。
それを見て、
「……何だか、調子が狂いますね」
声に出してみるも既にキャロルは自分が来た方向に向かい、こちらに振り向こうともしない。おそらく、大事な用があると推測出来る。だが、
「……微妙な気分になりますね」
と、七星は初めてみたキャロルの悲しんだ表情を見て、何ともいえない気分になったのだった。
レオンハルトは、急いでいた。
冬の寒空の下、確かな陽光が照らす草原の上を全力で駆けていく。
理由は簡単だ。
先程、部屋で呆然としていたところに、キャロルが自分を呼びに来た。
曰く――『東の崖で待ってる』、と。
そう伝言を頼まれたと。
それを聞いた瞬間、レオンハルトは駆け出していた。
窓から飛び出す様に外に出ると、一目散に東を目指す。
場所は解る。一度、皆で出かけた場所だろう。ここからならそれほどかからない。
しかしそれと急がないことは別だ。
時間はもう少ない。この間にも最期を迎えてしまう可能性がある。
だから急ぐ。これ以上ないほどに。
草原を過ぎ、丘を越えると、その先には崖が見えてくる。
するとそこには、
「――レオンハルト……」
「スラル……」
自分のもっとも大切で、愛しい少女――スラルがそこにいて、
「……スラル……!」
駆け寄った。足に力が入る。
「……駄目ね。会ったら、やっぱり我慢できない」
こちらの顔を見てスラルが言った。駆け寄ったこちらの胸に、スラルが飛び込んでくる。
「レオンハルト……!」
「スラル……!」
強く抱きしめる。
離さない、と、それを伝えるように強く抱きしめる。
腕の中には彼女がいる。世界で一番大切な存在だ。
だが、残された時間は多くない。それを感じているのか、スラルは胸に顔を埋めながら、
「……レオンハルト。聞いてくれる?」
「…………ああ」
レオンハルトは頷く。頷くしかない。
スラルはそれを聞くと、そのまま話し始めた。
「……私、もう時間がないの」
「……ああ」
「ここまでありがとね。お願い、聞いてくれて」
「……ああ」
「おかげで――とっても楽しかった」
「……ああ、それは良かった」
「……だから、もういいよ」
「…………」
「もう、いいよ――」
「っ……!」
その言葉を耳にした瞬間、俺は心から溢れる想いを抑えなかった。
「……スラルっ……!」
言う。目から零れるものに構わず、
「もうどうしようもねぇのか……!?」
「……うん、どうしようもないの」
「何で……何でだ……!?」
俺はようやく手に入れたのに。
「何で、それを手放さなくちゃならない!!」
「……それは、私が望んだから」
スラルが言う。
「レオンハルトのせいじゃない」
何故なら、
「私はきっと……何もなくても、こうなってた」
例え俺がいなくとも、
「自分の安全を考えて、これを望んでた。……こうなったのは、私のせいなの」
だから、と。
「自分を責めないで」
「そんな、の……」
責めるに決まってる。
俺は何とか出来たんだ。
だが、
「聞いて、レオンハルト」
ああ、聞く。聞くからいなくならないでくれ。
「私、幸せだった。人間になれない私が、せめて人間らしいことが出来たの」
俺だって幸せだった。お前に出逢うことで、俺は俺らしくなれた。
「愛されて、愛することを知ったの」
俺もそうだ。初めて、愛することを知った。
「私って酷いんだから、貴方やガルティア、ケッセルリンクも……皆、自分だけの味方が欲しくて、魔人にしたのよ?」
俺だって酷いさ。俺が自分を曲げなかったから、お前はいなくなるんだ。
「ん、もうちょっとで……お別れかな……」
嫌だ。やめてくれ。別れたくない。
「私ね……死ぬのは怖くないの……怖いのは……残された貴方の事を思うこと」
ああ、そう思うなら置いていかないでくれ。
「貴方が私を失った後、どうにかなっちゃうんじゃないかって……あはは……そう思うのは、自意識過剰かな?」
違う。自意識過剰なんかじゃない……!
俺には耐えられない。お前がいない世界で生きるなんて……!
「私は貴方に会えて……レオンハルトと過ごせて……大切な人がいっぱい出来て、幸せだった……あなたたちがいない世界なんて、考えられない」
俺もだ。お前に会って大切なものがいっぱい出来た。だから、
「貴方達と出会って……世界って……とっても素敵よね……って、そう思う様になったの」
俺もお前と出会えて、世界が好きになった。でも、いなくなったらまた嫌いになっちまう。
だから――
「だから――生きて、貴方は貴方らしく……自分に正直に生きて……大切なものを、人を、沢山作って、それと一緒に、精一杯生きて……」
「っ! おれ、は……お前、の、ことが――」
「……駄目――」
「――っ」
不意に、スラルの唇が、俺の口を塞いだ。
そっと唇が触れ合い、やがてゆっくりと離れていく。
そして、
「その先は、言っちゃ駄目……言ったら……」
想いを口にするのは駄目だ、とスラルは言う。
なら、
「お前は、お前は……! どう思ってるんだよっ……!」
聞く。
スラルは、涙でぐしょぐしょに濡れた俺の顔を見詰めると、
「――私、は……貴方のことが……――」
と、その瞬間、レオンハルトは目の前で起こった出来事を見た。
「あ……?」
腕の中の感触が、唐突に消え去り、紅い血となって空に浮かんでいくのを――
それは、
「ああ……!」
スラルが、
「……っ、ふざけんな……!」
消えて、
「ふざけんじゃねえっ……!!」
拳を握り、地面を叩く。
「ようやく見つけたんだ……!」
大切なものを。なのに、
「何で、何で消えちまうんだよ……!」
何故、
「俺を、置いていくんだよ……!」
ずっと一緒にいたかった。
「くそっ……こんなの、ありかよ……!」
一緒にいたかったんだ……!
「――――!!」
俯き、何にも憚ることなく、レオンハルトは一人、崖の上で慟哭した。
スラルは、薄れいく意識の中でそれを見ていた。
眼下、愛しい人が泣いている。自分がいなくなったことに対し泣いているのだ。
……ごめんね。
謝る言葉を内心に生む。
死を望んだのは自分だ。
まさか自分がそれを望むなんて、と思う。しかし、
……ああ、なるほど。
ようやくそれが理解った。
何故死を望むのか。以前にも聞いたことがある。
その時は、その心境が理解出来なかったが、今は違う。
自分はこれまで色んなものを得てきた。
大切な人が沢山出来て、彼らのことを深く知って、好きになった。
その彼らは今、私がいなくなることに悲しんでくれている。
……なるほどね……。
自分がいなくなってほしくない。いなくなったら悲しい。
そうやって思われるくらいの生き方を、自分はしてきたのだ。
彼らの中に自分を刻み、様々なものを残してきたのだ。引きこもりの少女の散り際にしては上等だろう。
だけど、
……まだ、終わりじゃない。
自分はここでいなくなるが、世界はまだまだ続いていく。
……貴方達の思い通りになんてさせない。
自分がいなくなったことを、神はどう思っているだろうか。
悲しむ、笑う、怒る、焦る――否、きっとどうでもいいのだろう。
世界なんてどうだっていい。そこに住む連中なんて、替えがきく玩具でしかない。そう思っているのだろう。
遅かれ早かれ、世界は壊される。その中身をひっくり返される。
自分の生きた、そして、愛する者達がいる世界だ。そんなことは赦さない。
……いずれ私が引きこもり続けた意味を、貴方達に教えてあげるんだから。
そうして自分が残してきたものは、神の力に比べれば塵芥の如き存在かもしれない。
されど、自分の大切な人達は……とってもしぶといのよ、と。
……覚悟しなさい。最後に勝つのは――私達よ。
その言葉を最期に、スラルの意識は消えていった。
その日、第三代魔王スラルは、魔王の血に飲まれて消えた。
在任期間は500年。魔軍の基礎を作り上げた彼女は、臆病で博識。
そして――歴代で最も愛された――そんな魔王であった。
次回、SS期最終回――に、したい。長くなったら分割。