魔物界の空の下、ライゼンに乗って魔王城に向かうレオンハルトが、呆れた様に呟いた。
「……何でお前まで付いてきてるんだ?」
「あはは、いや、レオンハルト様は魔人筆頭なのに、使徒の一人くらい付いてないとこう……威厳というか、他の魔人に舐められるかなあって……」
と、誤魔化すように笑みを浮かべるレオンハルトの使徒、ペールの姿がそこにある。
レオンハルトはその様子を見て一息吐くと、
「……それで、本音は?」
「レオンハルト様は魔王城だと一人でお仕事することになりますし、お仕事手伝いがてらお世話をしてあげようっていう善意ですよう?」
「お前が言うと、どうも別の意味に聞こえて困るな……」
「えっ、合ってますよう?」
「……そんな暇はないと思うぞ」
「ええー、手早く済ませれば終わりますよう。何なら今ここで――」
「貴様ら! 人の身体の上で変な話をするな!!」
ライゼンが下から抗議の声を上げてくる。ペールがやはり残念そうに表情を変える中、ライゼンは続けて、
「それより、もうすぐ着くからな。準備――といっても何もないだろうが、準備しておけ」
「ああ、悪いな」
「ライゼンさん、ありがとうございますね」
「……ふん、俺は先に帰っているからなっ! 帰りは送らんぞ!」
と言って怒ってみせるが、たまに帰宅途中の自分たちを空から見かけると、声を掛けてきてついでに送ってくれたりすることがよくある。なので苦笑するしかない。
「……まあとにかくだ。俺はナイチサの部屋に行かないとならねえし、その後何をさせられるかも分からん。だから俺の部屋で大人しくしてろよ」
「はーい、わかりました!」
ペールが明るく返事をしたのを見て頷くと、レオンハルトは眼下の魔王城を見下ろし呟いた。
「さて、次は何をやらされるか……」
魔王の居城である魔王城。
SS期に建築されたその城は未だ変わらず健在のままその場所にそびえ立つ。
それどころか、禍々しさを増したその城に住まうのは当然、この大陸の新たなる支配者だ。
その支配者の住まう部屋に、魔人レオンハルトは訪れていた。
「――お呼びでしょうか、ナイチサ様」
「うむ、よく来たなレオンハルトよ」
「はっ」
慇懃に腰を折り曲げて礼をしてみせると、ナイチサは、座れ、と視線だけでそれを促した。
お言葉に甘えて失礼します、と一言入れながらレオンハルトが腰を落ち着けると、ナイチサは手元のグラスにワインを注ぎながら、
「飲むか?」
「いえ、職務中ですので……それより、お注ぎ致しましょうか?」
「よい。それよりも……堅いな、卿は。少しは余裕を保たねば、下の者の息が休まらぬぞ? もっとも卿は、あえてそうすることによって規律を守らせているのだろうがな。下の者の目がないのであれば少しは構うまい」
「……参りましたね、まさか見抜かれてしまうとは思いませんでした。では、一杯だけ」
「世辞が上手いな、卿は。どれ、余自ら注いでやろう」
「はっ、ありがとうございます」
言うとナイチサがもうひとつのグラスを渡してきたので、それを両手で受け取る。グラスの四分の一まで注がれた真っ赤なワインを手に取ると、頂きます、と一言述べてそれを口にする。芳醇な香りと味わいを舌先で味わい、ゆっくりと喉を通らせる。
「美味いか?」
「……はい。ですがこれは――少し……いえ、あまり熟成されていないようですね。深みが少ないです。これはこれで飲みやすいですが」
味の批評を正直に口にすると、ナイチサは感心したように息を入れ、
「ふむ、さすがに卿は解るか」
「は……」
声だけで疑問を匂わせる。しかし返答が来ないことで、レオンハルトはその言葉の意味を考える。少し思案し、導き出した答えは、
「……他の者――魔人にも飲ませたのですか?」
「余の家臣だ。一度、腹を割って話をしてみたいと思うのは不思議ではあるまい。それが長きを生きた魔人であれば余としても興味を覚えるところである。……だが――」
そこでナイチサは肩をすくめ、軽く息を吐く。既に質問の意味を察していたレオンハルトは、その意味を口にする。
「……結果は芳しくなかったと?」
「然りだ。どいつもこいつも余を恐れ、顔色を窺うのみで気づけたものは片手の指にも満たない。気づいていても口にするのは憚られたか、もしくは気づけぬほど味覚が鈍いのか……どちらにせよ、なっておらんな」
「……なるほど、そういうことでしたか……。因みに、私以外で気づけたのは――」
「卿以外であれば、魔人四天王であるカミーラとケッセルリンク、そしてガルティアのみだ。先に上げた二名は日頃から良いものを口にしているのであろうな、直ぐに気づいた。――だが、より驚いたのは後者。そのガルティアに至っては熟成期間まで当てられてしまったからな。貪食だと聞いて期待はしていなかったが、あの味覚は余よりもよっぽど優れている」
「ガルティアであれば仕方ないでしょうね。彼は魔人一のグルメですから。――して、答えは……」
ガルティアの評に頷いたナイチサは、答え合わせを求めたレオンハルトに対し、小さく笑みを浮かべると、
「――
「! それは――」
その期間には覚えがある。答えを、ナイチサは面白そうに口にした。
「気づいたか。そう、
解るか? と、ナイチサは再度聞いて、しかし答えを自ら口にした。
「――これが今の余だ。飲みやすく安直な味。大衆には好まれるが深みはなく、その味を知るものからすれば粗悪品だと切って捨てられるだけのもの。余にはこれだけの価値しかない」
「……僭越ながら申し上げても?」
構わん、と言うナイチサに頭を下げながらレオンハルトは口を開く。
「私如きが上から言うのは畏れ多いですが……主はよくやっているかと。ワインに例えるのならば、熟成されて三ヶ月の品。味が安直であることは当たり前のことであります」
「……確かにそうかもしれぬがな。卿の助言や采配によって作られたこの環境は、魔王としての余を熟成させるのに十二分のものだ。この部屋も、わざわざ新調したのであろう?」
レオンハルトは頷く。当然のことだ、と、そういう想いで、
「……はい。前魔王の手垢が付いた部屋など、
「そこまでせずともよい。そこまでせずとも、卿の忠義は十分に伝わっている。……それで、話を戻すがな」
と、ナイチサは陰に隠していた別のボトルを取り出してみせる。レオンハルトは目を細め、
「そのワインは――」
「正解者にはこちらを下賜している。まずは受け取るがいい」
言って新しいグラスを取り出すと、それをこちらに寄越してくる。再び手酌されるそれを受け取ると一礼。そして手元のグラスを口元に近づけると、レオンハルトはそれに気づいた。
香りから違う。おそらくではあるが、年代物のそれだろう。そのことを察すると、グラスを傾けてゆっくりと口に含む。予想していた味よりを少しばかり越えた深みある味わいを口の中で楽しむと、液体を喉に流し込む。そして口を開き、
「……驚きましたね。これはまさかですが、百年ものでは?」
「数百年以上を生きる卿らからすれば珍しくはない一品だ。しかし……先程のと比べると違いがはっきりと解るであろう?」
「はい、直前に飲んでいるので、より違いがわかりますね」
ワインをそこまで嗜まないレオンハルトでも、その違いははっきりと理解出来る。自分が知る数十年もののワインよりも深く芳醇な味わい。
しかし、だ。ナイチサはワインを魔王に例えている。敢えて安物と超高級品を比べて出してきたのは、意味があることなのだろう。それは、
「余は、
ナイチサが言う。手の中のグラス。中に入った液体を眺めながら、
「味の違いが解らない大衆。誰が飲んでも違いがはっきりと理解出来る――そんな魔王に、余はなりたい」
それはナイチサの思想。彼が思い描く理想の魔王像。
ナイチサの視線の先、真っ赤な液体の中には自分の姿が映っているのだろう。その先にあるものも。
「今のままでは代わり映えしない。余である意味がない。以前となんら変わらない恐怖を、人間は抱くだろう」
なおもナイチサは語る。それでは意味がないのだ、と。
「余は余の爪痕を残す。その悪行を以って、人間を殺戮する。それが魔王となった余の使命であるからだ」
しかし、と、ナイチサは言葉を区切った。
「余にはまだ、それが出来ない。勝手が解らない。慣れていない。未だ手探り状態であるのだ。悪行など、人間の時に散々やってきたというのにだ」
「……ナイチサ様は――」
言う。それは聞かねばならない問いだ。
これからの方針にも影響する問いを、レオンハルトはナイチサに投げかけた。
「人間を滅ぼすおつもりなのですか?」
「……そのつもりはない。ゆえに、基本は卿に任せる。人間に適度に苦しみを味わわせていれば……しかし、時には何か、いや、大きな事を起こす必要があろう」
ナイチサはそこでグラスから目を離し、視線をレオンハルトに移す。そして、続けてこう命令した。それは、
「魔王とは、恐怖と絶望の権化でなければならん。ゆえに命じる、魔人レオンハルトよ――。一年以内に、人間の国。それも大国と呼ばれるものを一国滅ぼせ」
「……はっ、畏まりました」
レオンハルトはその命令を了承する。含む所がないわけではないが、その程度でのことで意思が揺らぐことはない。
国を滅ぼす程度であれば何度だってやってきた。その規模が大きくなるだけのこと。その覚悟はとうに終わっている。
元より逆らえるはずもないが、と心で思い、レオンハルトは続くナイチサの言葉を聞いた。それは、
「その戦いには余自身も出る。余の活躍の場を作り、余という魔王の恐怖を人間共に刻み込む。……それと、その戦いには余の供を連れていきたい」
「供、ですか?」
レオンハルトが聞き返す。供、という言葉の意味。しかしそれは、直ぐに理解出来た。
「魔王としての力で、試していないことが一つあるだろう。今日は、それを試しに行こうと思うのだが、構わんな?」
「……魔人、ですか」
言うとナイチサは笑みを浮かべた。
「然りだ。余自身の血を分け与え、忠実なる配下――魔人を作る。卿は余の最も信頼出来る家臣。他の魔人も余の家臣であることに違いはないが……誰もが古参のものだ。直参の家臣がいないのは少し寂しくてな」
「……なるほど」
新たな魔人の作成。それを執り行うというナイチサの言に頷く。理解を得たことを見て取ったナイチサは続けて言う。
「余の血を分けるのだ。余自らが人材を探し、それを選別したい。その供をせよ」
「そういうことでしたら直ぐに。私の麾下の魔物隊長、一部隊を連れて行きましょう。大部隊だと動きが鈍くなるため、探索には向かないでしょうし」
「それで構わん。フフフ……今日は記念すべき良い日になりそうだな……」
ナイチサは上機嫌な様子でグラスを弄び、中の液体を揺らす。レオンハルトに視線を向け、
「では、前祝いといこうか。――余はいずれ、魔王としての爪痕をこの世界に刻み込んでみせよう。これが、余の野望だ」
「……ではその野望の一助となれるよう、最善を尽くします」
チリン、とグラスをあわせる音が部屋の中に響く。
魔王と魔人筆頭は同時に真っ赤な液体を飲み干し、新たな治世を為すことを誓った。
その心は、当人だけにしか知りえないものだった。
――それは、突然の出来事であった。
彼は魔物であった。それも炎カッパという珍しい魔物。
赤い皮膚を持ち、水ではなく火を好む魔物であり、頭の皿には常に火が灯っている。
戦う際には炎を操り、時には全身から炎を吹き出させるその魔物は、魔物を討伐する冒険者の間でも厄介な魔物として認識されていた。
彼自身も、炎カッパとしてとある火山で生まれ、迷宮や荒野を渡り歩きながら他の魔物との生存競争を行なっていた。道中、何度も人間に襲われながらも、相手を焼き殺して、魔物としての生を謳歌する。
彼は自惚れていた。魔物として、自分に敵うものはそうそういないだろう、と。
なにせそんな相手に遭遇したことがない。気に入らないものは焼き殺してきた。大勢ともなれば難しいが、それでも一対一であれば殆どの魔物に勝てる。
だが彼は、世界の広さを知らなかった。
彼は誰も恐れることはないと思っていたのだ――その時までは。
――突如、彼の前に魔物の集団が現れた。
緑や青、赤といった同じ姿をした魔物の集団。
それは噂に聞く魔物兵。魔軍に所属する魔物達だ。
誰かに恭順して生きるということをしたことがない彼は、魔物兵という存在を半ば見下していたものだ。
だが、その存在を見て考えを改める。
「――ふむ、レオンハルトよ。あれは何だ?」
「――はい。あれは……おそらくですが、炎カッパかと。珍しい魔物ですがどうしますか?」
目の前に出ずる絶望。力の権化がそこにいた。
魔物の本能が、それを理解した。
あれが――魔王。そして、魔人。
魔物という種における王にして、大陸の支配者達。その圧倒的な力の差を肌で感じ取った彼は、気づけば彼らを仰ぎ見ていた。
――ああ、己はなんと愚かであったのだ。
魔物社会は、実力主義の縦社会。力こそが正義だ。
強いものが上で、弱いものが下。それを理解させされる。
戦うことは無意味だ。戦意すら湧いてこない。魔王とは、仰ぎ見るべきもの。ただの魔物でしかない己はただ地面に膝を突き、運命を委ねるしかない。
魔王と魔人が近づいてくる。死を覚悟した。
「……其の者、面を上げよ」
声が来た。身体が潰れてしまいそうな重圧が視線とともに己の身体を圧迫する。
だが、彼は、
「……は、はっ……!」
声を絞り出し、何とかその命令に従った。
魔王の眉が動く。
「……ほう? 声を出せた者は初めてだな」
「最初の合格者ですか……」
魔王の言葉を聞いて、魔人までもが視線を己に向けてくる。
その鋭い視線に身が竦みそうになる。魔王に比べれば軽いのだろうが、それでもただの魔物にとってはどちらも変わらない辛いものだ。
魔王は頭上から言葉を続ける。
「……では聞こう。貴様は、余の配下になる気はあるか?」
配下。その言葉を聞いて最初に思い浮かべたのは、周囲の魔物兵の存在。
有象無象と同じに扱われる。本来であれば激昂するべきこと。しかし、
「……は、い……あなた、様、に……忠誠、を……誓い、ま、す……!」
否応のないものだ。しかしそうではない。
彼は、自らの意思で忠誠を誓った。誓ってもいいと思ったのだ。
これほどに恐ろしく、強大な存在であれば、その列に加わって暴れるのも悪くない。
きっとかの御方は己を満足させてくれる場を与えてくれるだろう。
ゆえにそう言った。誓った。
――それが、彼の運命の瞬間だった。
「……良かろう。では、余の臣下の列に加わるがいい――」
「――――」
何を、という言葉は出なかった。
魔王が近づき、その爪を首に突き立てる。
そこから、何かが入り込み、
「お……あ……っ!」
身体の中で何かが暴れ狂う。何かが自分の身体を作り変える。
激痛とともにそれは行われ、己の身体が光に包まれる。永遠にも感じられたその苦痛の中を耐え抜き、気がつくとそこには、
「――あ……?」
生まれ変わった自分がそこに立っていた。
人間に近い、黒い手。それを広げながら自分の姿を眺める。
黒の衣服と全身を多い隠せる赤のマント。おそらく人に近い何かになったであろう自分を見て、魔王が感心したように息を鳴らす。
「どうやら成功のようだな。しかしこれは……中々に面白い現象だ」
「……新しい魔人の誕生ですね」
魔人、という言葉を耳にする。それはつまり、
「……私は……魔人になったのでしょうか……?」
聞かなくても理解る。全身から漲る力が、それを自覚させる。
以前の自分が塵屑としか思えないほどの力。それを思いながら答えを待つ。
すると魔王はこちらを見下ろし、
「然り。卿は魔人――余の家臣となったのだ」
「お、おお……!」
感動で身が打ち震える。
配下に加えてくださるだけでなく、新たな力まで授けてくれるとは。
自分を生まれ変わらせた大いなる魔の王に平服する。
だが、
「して、名はなんと言う?」
「! ……名、ですか……」
質問には答えられなかった。
当たり前のことだ。名前などない。ただの魔物であった自分には。
それを、魔王の傍らにいる魔人は伝えた。
「ナイチサ様。通常の魔物には名が在りません」
「む、そうか。……ならば、余が新たな名を授けてやる必要があろうな……ふむ……」
ナイチサ、と呼ばれた魔王。自分が仕えるべき御方の答えを待つ。
この御方に名付けられる。それほどの栄誉を賜るのだ。膝を突き、静かにそれを待つ。
やがて、魔王様は口を開いた。
「――ザビエル」
「!」
それが、それこそが。生まれ変わった己の、
「それが卿の名前だ」
「――はっ、これより私は……! ザビエル、そう名乗らせて頂きます……!」
「うむ。魔人ザビエルよ。これより余に忠誠を誓い、余の悪行の一助と為るがいい」
「ははっ! 私はあなた様に忠誠を誓います……!」
元より、そういったことは望むべくことだ。
魔人となり、力が溢れてくる。誰かを殺したくて、苦しめたくてしょうがない。
それをこの御方は望んでいる。躊躇う必要はどこにもない。
望外の喜びを得た彼――魔人ザビエルは、心より魔王ナイチサに忠誠を誓う。満足そうに頷いた魔王は、
「では、これより余の城に帰還する。付いて参れ」
「ははっ! どこまでも付いて参ります!」
「レオンハルトよ。しばらくの間、ザビエルに色々と教えてやるが良い。委細を卿に任せる」
「……畏まりました」
命令を受けて恭しく一礼を行なったレオンハルトと呼ばれる魔人は、それを終えると近くの魔物隊長に指示を出す。部隊が一斉に移動を開始する中、新たな魔人ザビエルは、二人の後ろに付いて、その軍勢に加わった。
その際、ザビエルはおそらく側近であろう魔人、レオンハルトに視線を向けると、
――いずれは我も、あの位置まで上り詰めてやろうぞ……!
魔王ナイチサという己が忠誠を誓った相手。その側近の椅子にいずれは座る。それを野望とし、ザビエルは心を燃やした。
スラル「ワインとカッパの話しかしてなくない?」
ペール「ワインになりたいとかよく分からない野望持ってますねえ……」
レオンハルト「ワインはともかく……次回もカッパの話だからな」
ハンティ「擁護するのもあれだけど……カッパカッパって可哀想じゃない?」
皆「だってカッパだしなぁ……」
ラウネア「…………(活動報告にレオンハルトの使徒三体の情報を公開したから、見たい人は見てね)」