――一方その頃
荒野に一つの集団があった。
魔物兵が列をなして歩みを進める。数にして三個軍、六万の軍勢である。
心なしか魔物兵達は張り切っているようにも見え、熱く乾燥した大地をむしろ嬉々として行く。
その中心にはいつものように魔軍の指揮を担当する魔物将軍に魔物隊長。そして――
「――暑いな。まだ着かねぇのか?」
「はっ、もうじき南方司令部に到着いたします」
「……もうじきってどれくらいだ?」
「……後、30分程でしょうか」
「…………」
近くに控えていた魔物将軍に具体的な時間を聞いてげんなりしているのは金色の髪に蒼の剣を持つ魔人。
魔物兵らが張り切る原因となっている魔人四天王にして魔軍参謀、レオンハルトだ。
魔王城から軍勢と共に出立して数日。
大陸東方から人間の身では強行軍に近い速度でここまでやってきたのはいいが、レオンハルトはその気温の高さにまいっていた。
……身体は丈夫な筈なんだがな、くそっ。
レオンハルトは言うまでもなく魔人である。生物としてある程度耐性が強まっており、この程度の暑さで健康を害するような事はない。
だが、気分は別の話だ。レオンハルトは大陸東北部の温暖な地方出身。この暑さに慣れず少なくない汗を掻いていた。
スラルの奴……こんな仕事押し付けやがって。帰ったら覚えてろよ
レオンハルトの主であるスラルは今、この場にいなかった。
元々魔王城からあまり離れることが少ないスラルは今も快適な部屋でゆったりとした時間を過ごしているのだろう。そう考えるとちょっとイラッとする。それくらいレオンハルトはこの暑さを不愉快に感じていた。
せめてもうちょっと涼しければ心に余裕が出来るのだが。そう考えたところで行動に移す。
「……ちょっとうし車で涼んでくる」
「はっ、かしこまりました。何かあればお呼びいたします」
魔物将軍はこのサボタージュ宣言にも律儀に応じてみせる。このような姿を見せては威厳がなくなるのではないかと思うが、今の所そんな様子はない。
レオンハルトは遠慮なく後方で物資を運んでいるうし車の元に向かう。
すると輸送隊を指揮する魔物隊長が気づいて近づいてきた。
「これはレオンハルト様。なにか御用でしょうか?」
「ちょっとうし車の中で休む」
そう言ってレオンハルトがうし車の中の一つに近づく。
「お、お待ちを!」
「あ?」
「ひっ……」
中に入ろうと荷車の入り口に手をかけたところで魔物隊長に止められてしまう。
暑さで苛ついているレオンハルトの声に身体をビクリとさせたが、それでもなお制止の言葉を掛ける。
「そ、そのうし車はちょっと……いや、かなりマズいと言いますか……」
「はぁ? 何でだ?」
「あ、ええと……そ、そう! そのうし車にはちょっと危ない物が入っていますのでレオンハルト様がお休みになるのには相応しくないかと!」
「危ない物って何だよ」
「それは…………あっ、糞です!」
「糞? 敵にでも投げつけんのか?」
「そうです! それはそれは臭うので休むには適してないのです! ささ、他のうし車に……」
「……糞がある割には全然臭わねぇんだが」
「うっ……それは……」
「…………?」
レオンハルトは魔物隊長を訝しげに見る。どうにも怪しい。嘘をついているような感じだ。
それにさっきから今思いついたかのように咄嗟にその場しのぎを口にしているような……。
このうし車で休ませようとしないのは何故なのか。
……見ちまえばいいか。
「…………ちょっと確認するぞ」
「ああっ! お待ちを!!」
魔物隊長が必死に止めようとしているが、魔人であるレオンハルトには逆らえない。そのまま入り口に手をかけて中を覗くと――――
「――――あっ」
「――――!」
レオンハルトと中にいた少女の目が合った。
ここには居ないはずの彼女にレオンハルトは一時呆然とする。
しかし、次第にその姿を脳が理解していくと――
「…………なぁ?」
「なっ、なに?」
「……何でここにいる」
「え、えっと……」
ジトーっと視線を浴びせるレオンハルトに、少女は目を逸らしてあたふたとしていたが、やがてその状況を誤魔化そうとしたのか、はたまた隠れていることがバレて気まずい空気を霧散させようとしたのか――
「――き……来ちゃった……」
と何故かはにかんで見せた。
「…………」
その上目遣いでいたずらっぽく誤魔化そうとする姿が妙に似合っていて。だからこそレオンハルトはイラッとする。
レオンハルトはそのままその苛立ちを抑えようとせずに手を伸ばし、少女の頬を引っ張った。
「――ふんっ」
「い、いひゃい! いっ――ちょ、ちょっと痛いじゃない! 何するのよ!」
「お前が何してんだ――ッ!!」
レオンハルトはその少女――魔王スラルに怒声を浴びせた。
スラルが隠れていたおかげでそのままうし車で休む気も起きず、スラルを連れて俺は陣の中央に戻ってきていた。
「こ、これは魔王様――何故ここに……?」
魔物将軍が恭しく膝を折り、その巨体を小さくさせてそれを問う。
魔王の姿を見た魔物兵がざわつくが、魔物隊長らが周囲に目配せすると直ぐに沈黙する。
「ん、そうね……」
そう呟いてスラルが横に立つ俺をちらりと見上げる。明らかに困っている。
自分で蒔いた種くらい自分で回収して欲しいものだが……俺は内心溜息をつくと一歩前に出た。
「――魔王様はお前たちの働きを見にやってきた」
「! それはどういう……」
魔物将軍を皮切りに疑問が伝播する。
「別に悪い意味はない。ただ……この戦いは俺達の手で終止符を打たれる事を魔王様は確信している」
「……我々の手で?」
「ああ。戦いが長引いている事は魔王様も当然ご存知だ。だからこそこれだけ大規模な援軍を用意し、戦いを終結させる事にした。そして、その勝利の美酒を共に分かち合おうとやって来た」
おお……! と魔物兵から感嘆の声が漏れる。おそらく戦いに勝てる事が確実ということで略奪でも楽しみにしているんだろう。
魔物兵が沸き上がったタイミングで俺はスラルに顔を向ける。そうですよね? という同意、パフォーマンスだ。
「……そうよ」
「は、はぁ……そうですか。畏まりました」
魔物将軍は釈然としていないようだったが、疑問を追及することはない。
そもそも魔軍のトップである魔王が視察に来ても何も問題がないからだ。兵にしたって喜びこそすれ嫌がることはない――多分。怖い上司ならともかく、スラルだしなぁ。プレッシャーもそこまでないだろう。
とりあえず適当でも建前を置いておけば十分だ。本音が下らなそうだしな。
「では、魔王様。行軍を再開しても?」
「……ええ、構わないわ」
「……では、その通りに。魔物将軍」
「はっ。……行軍再開――!」
魔物将軍の号令で魔物兵が一斉に動き出す。
「……後で教えてもらうからな」
「ん……はぁ、仕方ないわね」
小声でスラルと短いやり取りを済ませ、俺達魔軍は再び南方の司令部に向かって進んだのだった。
そうして更に進んでいき――俺達は魔軍の陣地にたどり着いた。
「……お待ちしておりました。魔王様、レオンハルト様」
早速、スラルと共に司令部に入ると魔物将軍が恭しく膝を突く。
俺はそれに頷くと直ぐに声を掛けた。
「お前がここの責任者でいいんだな?」
「はっ、僭越ながら私がここの軍のまとめ役を務めさせて頂いております」
「なら、早速戦況を教えてくれ」
「はい、ではこちらに」
魔物将軍はそうして俺に椅子を勧めてきた。続いてスラルの方を向くと、
「魔王様もどうぞ」
「ん、ありがとう。……それと私は何か口出しするつもりはないから気にせず進めて」
「畏まりました。……難しいですがそのように」
魔王の自分を無視していい、という命令に一応頷きを返すと、魔物将軍はテーブルに広げられたこの辺りの大きな地図を見て、戦況の説明を始めた。
「現在、我々はここ、この陣地より南方にあるムシ使いの集落へ攻勢を続けております」
魔物将軍は大きな手でここと、ここ。とそれぞれの拠点を指差す。
「敵と交戦するのはその間のここ。見晴らしのいい荒野で、敵の数はおよそ一万」
「……一応聞いてはいたが、随分と少ないんだな」
「はい。敵との兵力差は倍以上。……ですが情けない事に、我々は奴らに敗走し続けております」
「……そうか」
ここに来る前に事前情報で聞いてはいたが、やはりここの戦況は魔軍が劣勢のようだ。
魔物将軍の声音からも少し覇気が下がる。
「やっぱ強えのか? ムシ使いは」
「ええ、奴らの能力はとても厄介でして。炎を出したり硬くなったりと魔物顔負けの多彩さです」
「……面倒な奴らだな」
「その中でも特に厄介なのが毒でして」
「そういやあいつらは毒効かないんだったか?」
「よくご存知で。連中は生物が触れただけで死んでしまう程の猛毒でもぴくりともしないようです。それを向こうは利用しており……」
「利用?」
「奴らは戦場に毒を撒き散らすのです。毒が効かないので乱戦になっても味方に構わず毒を浴びせてきますし、追撃もまともに出来ません」
「……それはキツいな。ほんとに微塵も効かないんだな?」
「はい。一度こちらも奴らが知らないであろう猛毒を投げつけてみたのですが……連中、喜んで口にしていました」
「マジかよ……」
ムシ使い。
大食らいでムシを身体に入れる事で多彩な能力を使う人間か。
強いだろうとは思っていたが、ここまで魔軍を苦戦させる程とは思いもよらなかった。
様々な能力を戦術に利用してくるのは対応しにくいだろう。魔物将軍も困り果てている様子が目に浮かぶ。
それにしても毒か……
「……スラルの料理も毒みたいなもんだよな。投げつけてみるか?」
「し、失礼ね!! そこまで酷くないんだからっ!!」
「…………」
「あっ」
俺の言葉に反応したスラルが憤慨したように立ち上がるも、それを見た魔物将軍が目を丸くして固まる。
魔物将軍はまさか魔王がそんな反応をするとは思わなかったのだろう。スラルはそれに気づいて頬を染めると、
「……な、何でもないわ。続けて」
「は、はぁ……? …………では、続けます」
何事もなかったかのように座り直した。
魔物将軍は我に返ったように俺とスラルを交互に見るも、見間違いだと思ったのか勝手に納得したのかは分からないが同じく何事もなかったかのように続けた。
「クク……」
「……っ、後で覚えてなさいよ」
俺が含み笑いをスラルに向けると、羞恥で頬を染めたスラルが睨んでくる。なるほど、これは面白い。
今度から何かあったらこういう風にからかってやろう。やり過ぎれば威厳が無くなるため、俺の職務にも影響が出る諸刃の剣だが。
俺は今後のスラルの弄り方を一度脳の片隅に仕舞うと、改めて魔物将軍の話に耳を傾けた。
「そしてそれに加えて最も危険なのが――」
「あー、ガルティアだったか。魔人を倒したっていう」
「……その通りです。ムシ使いの長である奴との戦闘での被害は馬鹿になりません。先程も奴に他の魔物将軍を狩られ、敗走してしまいました」
「人間なのに無茶苦茶だな――って、さっき戦ったのか?」
俺は人間時代の自分を思い出していたが、耳に聞こえた気になる魔物将軍の言葉を確認する。
「はい。つい2時間前までは南の荒野で戦闘していました」
「ふぅん……」
俺は目を瞑ると、腕を組んで椅子に背中を深く預けた。
考える。どうやって相手に勝利するか。どうすれば相手の戦術に対応出来るのか。
……いや、そんな直ぐには思いつかないが。俺は凄腕軍師って訳じゃないしな。
かといって自信がない訳でもない。魔人じゃない時から集落の人間使って部隊指揮、もとい戦術モドキのような事はやっていた。それ故に向こうの作戦の有用性も理解出来る。要するに俺もやってた首刈り作戦だ。
魔軍は魔物将軍が組織の要。倒されれば魔軍の秩序は崩壊する。
向こうは毒だなんだと色々やってはいるが、結局の所それは撹乱の手段でしかない。幾ら魔物兵を倒したところで魔物将軍を倒さない事には魔軍は戦い続ける事が出来る。魔物兵を皆殺しにでもすればその限りではないが、人間と魔物では戦える兵の数に圧倒的な差がある。そんな事が出来る人間の軍隊がいれば見てみたいものだ。
やはり魔軍を倒すには魔物将軍や魔人などの大物を取って敗走させるしかない。向こうもそれは百も承知の筈。
……なら、結局そういう事だな。
俺は目を開いて言った。
「――よし、今行くか」
「……はっ?」
間の抜けた声を出す魔物将軍に俺は説明する。
「二時間前に戦ったばっかなんだろ? 連れてきた援軍で戦えば向こうも疲労してるだろうし、そこそこ戦果出るだろ」
「! それは確かに……奇襲にもなりますし、他にも――」
「ああ、別に説明しなくていい。後は魔物将軍と相談してくれ。俺よりもお前達の方がそういうのは得意だろ。待ってるから出来るだけ早くな」
「は……はっ! 直ちに!」
俺の言葉で作戦の長所に気づいた魔物将軍は直ぐ様駆け出して、司令部を後にした。やっぱ魔物将軍って、頭の回転早いよな。俺よりも。発言が役に立ったと自慢したいが、敵に敗北してメンタルが若干弱ってた魔物将軍も通常なら援軍が来た時に提案していただろう。援軍を率いてきた魔物将軍達もそれを提案しようと色々話あってるかもしれない。魔軍参謀っていらねぇな。
……さて、後の問題はスラルの命令だな。
「……レオンハルト、ちゃんとわかってる?」
魔物将軍がいなくなり、二人きりになった司令部でスラルは念を押してくる。
俺は苦虫を噛み潰した表情で、
「ああ、わかってる。めちゃくちゃ面倒だけどな。お前の命令が無ければこんな戦い、直ぐに終わるっていうのによ」
「うん、わかってる。でも……お願い。駄目だったらそれでもいいから」
「…………」
スラルの懇願するような声色に俺は何も言えなくなる。
…………まったく。こいつは魔人に命令する時、いつもそんな表情してんじゃねぇだろうな。
俺は頭を掻いて立ち上がる。見上げている自らの主に俺は苦笑。
「それが正しいのかは俺にはわかんねぇけどよ――――それでもお前が頼むなら叶えてやるのが俺だ」
「――っ! レオンハルト……」
「隠れて付いてきた理由も聞こうと思ったがやめだ。あっさり終わらせてやるからちゃんと俺の活躍を見とけ。上手く行けば俺の時みたいに一時間足らずで撤収だ」
「う、うん! お願いねっ……!」
「はっ……」
スラルの笑みを見て満足した俺は司令部を出ていく。
さて、俺の主の為に遊んでもらうぜ――――ガルティア。