NC1年。
人類史上初の国家であり、最大の王国は魔王ナイチサ率いる魔軍に滅ぼされた。
魔人レオンハルト以下多くの魔人が参加して猛威を振るったこの戦争は、魔王ナイチサと魔人達の強さと恐怖を改めて人類に刻み込んだ。
そして後に最も戦争が多かったといわれる時代の最初の大きな戦争であり、これから先のNC期という時代を表すものでもあった。
戦争を終え、麾下の軍に戦後の統治、支配を任せた魔人達は一度、魔物界に戻っていった。
自陣の天幕に戻ってきたケッセルリンクは、そこに寝かせていた彼女にその意志を聞く。
「……いいのかね?」
確認するように問う。無論、今更な確認であり、この問いは無意味だ。
しかし、シャロンは粛々と頷きを入れ、
「はい。私は……ケッセルリンク様に命を救われました。その恩――というわけではありませんが、お仕えしたいと、そう思います」
「……そうか」
その言葉に何も言うことは出来ない。こちらがやったことだ。
身勝手な話だが、使徒になったとはいえこちらから離れ、人間の世界で暮らす選択肢も無くはない。それとなくその道も促した。
だがシャロンが首を振り、
「それに……もう、人間の世界に未練はありませんので……」
「…………」
その意味は分かる。
彼女は自分が見かけた時でさえ、同じ人間、それも自国民から凄惨な仕打ちを受けていたし、それだけではなく、そもそも帰るべき国は既にない。
他ならぬ自分達が滅ぼしたのだ。
今頃は、戦争に勝った隣国も、負けた王国も、平等に魔物によって苦しめられているだろう。仮に王国が勝っていようと、この結果は変わらなかった。そのことに無常を感じつつも、ケッセルリンクは息を吐いてそれを受け入れた。
「わかった。――では、シャロン。これから君を、正式に私の使徒として扱う。色々と大変なこともあるだろうが、頑張ってくれ」
「……はい。その、よろしく、お願いします……」
ぺこり、と頭を下げるシャロン。人に仕えることに――王女であったのだから当然だが――慣れていないのか、挨拶もぎこちないものだ。
そのうち慣れてくれれば良いと思う。自分に対して失礼なのは気にならないが、他の魔人相手であれば気をつけた方が良いことも確かだ。
いざとなれば魔人四天王である自分が睨めば大抵は黙らせられるかもしれないが、それでは無用な敵を作ってしまう。傷つけようとするならそれを厭わないが、出来れば避けたいものだ。
どちらにせよしばらくは彼女を見守る必要があるだろう、と、ケッセルリンクは主として、穏やかな声に努めて命令した。
「……では行こう。付いてくるといい」
「……はい、ケッセルリンク様……その……」
だが、頷きはしたものの、シャロンは何か言いたいことがあるのか、迷うような素振りを見せる。
なので振り向きつつ、
「どうかしたかね?」
「いえ……その、不躾なお願いかもしれませんが……」
一応こちらを立てようとしているのだろう。しかし距離感を計りかねているのか、どこまで言っていいのか迷っている様子だ。
「……言ってみなさい。他にも、何かあるのなら遠慮なく口にするといい。私は気にしない」
「……あ、ありがとうございます。でしたら、一つお願いが――」
シャロンがお願いを口にする。
その内容にケッセルリンクは一瞬息を止めたが、すぐに得心すると、
「……わかった。元より紹介する予定ではあったからな……こちらから頼んでみよう」
「……お願いします」
再びシャロンが頭を下げた後、ケッセルリンクは彼女を連れて帰路についた。
魔王城謁見の間。
長く広いその室内の中では、玉座に座る者と、それに向き合い膝を突く者の二種類の者が存在した。
入り口から続く赤い絨毯の先、装飾の付いた玉座に座るのは、白い肌を持つ貴族風の男――魔王ナイチサ。
そして床に膝を突いて言葉を待つのは、逆立つ炎の髪を持った男――魔人ザビエル。
後もうひとりは金髪灼眼の魔人――レオンハルトがいるも、彼は無言のまま微動だにせず、両者の会話を耳にしていた。
ナイチサは、傍目から見ても上機嫌な様子で口を開く。
「先の戦争で――ザビエルよ。卿は多くの街、人間をその炎で焼き殺したようだな?」
「ははっ、その通りでございます……」
膝を突いたまま主の言葉に肯定を入れるザビエル。
実際に、ザビエルは今回の戦いにおいて先陣を切り、万を越える人間をその手で殺し、苦しめてやった。そのことはザビエル自身も満足のいくものであった。そのはず。現に主であるナイチサも、うむ、と頷き、
「良い働き振りであるぞ。誉めて遣わす」
「はっ、恐悦至極に存じます」
お褒めの言葉を賜り、ザビエルの心に充実したものが来る。
しかし、それに酔いしれることが出来るのも、短い間のことだった。
正面、ナイチサの視線がザビエルの横、レオンハルトに向けられる。同じ様に膝を突いた状態のレオンハルトに対し、ナイチサは口端を上げ、
「そして――レオンハルト。やはり、卿の戦果が一番であったな」
「……そのようです」
誉められ、しかしレオンハルトは続く言葉で謙遜する。
「ですがそれは、私の部下達の健闘の結果であります。私などよりも、ザビエル他、多くの魔人達の働きを褒めるべきでしょう」
「っ……」
その謙遜の言葉に、ザビエルは主に気づかれないように歯を噛み、ナイチサは面白そうに笑った。
「ふはは! 何を言う! 卿一人でどれだけの街を落としたか、自覚していない訳ではあるまい! 確かに、卿の軍――特に使徒は際立った活躍をしていたと聞くが、その中にあって卿はこちらから見ても大した戦い振りであったぞ! 正に獅子奮迅、という言葉に相応しいものだ……!」
「……光栄であります」
短く、それでいてナイチサが喜ぶ語句にて応答するレオンハルト。ナイチサはほんの少し落ち着きつつも機嫌よく続け、
「フ、謙遜が過ぎるのが卿の悪いところだな。一番の功労者がそうであると周囲は困ってしまうぞ。――ザビエルもそう思うであろう?」
「……はっ、そう思います」
話を振られ、内心の屈辱を抑えつつ静かに答える。手柄を奪われたような錯覚、そして劣等感をザビエルは感じていた。
そんなザビエルの心を知らず、ナイチサはなおもレオンハルトに声を掛ける。
「もう少し誇るのも悪くないであろう。……ふむ、そうだ。何か欲しいものはあるか? あれば褒美として取らせよう」
好きなものを言うがよい、とナイチサは褒美を問う。
問われたレオンハルトは少し考え、
「そうですね……」
ややあって、
「……今は特に、何も思いつきませんな」
「……卿は欲が無いな」
残念そうにナイチサは言う。レオンハルトは首を振り、
「申し訳ありません。今は戦後のことで頭がいっぱいでして……何か思いつけば、改めて何かを賜われればと思うのですが、構いませんか?」
「なるほど、それなら致し方あるまいな。何かあれば申し付けると良いぞ」
ありがとうございます、とレオンハルトが感謝を告げる。頷いたナイチサはそこで立ち上がると、眼下の二体に対して言った。
「では、卿らはもう行ってよい。余も少し休ませてもらう」
「はっ」
「……わかりました」
終了を告げる言葉に否応なく頷く。大扉からナイチサが去っていくのを見届けると、レオンハルトとザビエルも立ち上がり、
「……では」
「ああ――」
ザビエルが短く別れを告げると、レオンハルトはさっさと扉の外に向かっていく。
その際、三体の使徒が迎えるように近づいてくると、
「……終わった?」
「ああ、帰るぞ」
黒髪の女に応答する。金髪の女と、薄紫色の髪の女が、
「畏まりましたわー!」
「はぁ、疲れましたねー。色々と実りもありましたけど……」
レオンハルトの背後に付き、口々に声を掛けながら帰路につく。
その姿をザビエルはじっと見詰め、
……レオンハルトめ……。
自分の遥か上に立つ魔人の存在に歯噛みする。
最初の出会いで分かっていたつもりであったが、どうやら奴はこちらの目算よりも上にいるようだ。
今回の戦争でレオンハルトの手腕、そして実力を垣間見たことで、それははっきりとした。主からの信頼もかなり高い。
それに、
……あの三体の使徒……そして、奴の軍も相当の練度だ……。
本人の実力だけではない。血を分け与えられた使徒の強さも一級品であり、配下の軍勢までレオンハルトの影響が色濃く出ている。
奴を越えるならばそこも避けては通れない。有象無象の雑魚はどうでも良いが、実力ある部下の存在は必要不可欠だ。
……使徒に自分の軍勢……そちらも用意せねばな。
差し当たっては使徒か。軍勢は今の自分が望んだところで直ぐに手に入るものでもない。
「厳選せねば、な……」
己の血を分けた使徒が弱いはずはないだろうが、それでもより能力のある者の方が、使徒になった時の力は上だろう。
ザビエルはさっそく候補を野に出て厳選するため、城の外へ出ることにした。
「――到・着、ですわー!」
「あー、我が家……じゃないですけど、城に帰ってきましたよう」
「……はぁ」
レオンハルトの城に帰宅した三体の使徒は、帰るなり弛緩した雰囲気で声を上げる。
正確には二体がそうなだけで、ハンティに関しては少し疲れたような息を漏らすだけだが。
何はともあれ、しばらくぶりに帰ってきたのだ。レオンハルトとしても気を入れていたので、疲労は当然ある。
軽く肩を鳴らしレオンハルトは言った。
「……とりあえず、お前らも休んでいいぞ。夜も遅いしな」
時刻は既に夜中。街も静まり返る時間帯である。
明かりを付け、未だ喧騒に包まれた場所もないこともないが、そういう場所は平時から夜通し騒げるような場所だ。城の周囲は静かである。
ゆえに寝るように言った。だが、
「あ、そ、そうですね! 今日はちょっと色々ありますし……」
「わたくし達は色々とやってからお休みしたいと思いますわ!」
「……何かあるのか?」
何か含むところのあるような態度にレオンハルトが疑問する。
するとペールが、どこか誤魔化すように手をワタワタとさせて笑みを浮かべた。
「えっとですね……ほら、レオンハルト様が連れてきた人間! あの子達の教育をしないといけないので!」
「……ああ」
そういえばいたな、と思い出す。
数人ほど、城に連れ帰った人間。彼女たちの世話を、一番人間に近いペールに任せたのだ。
というのもこの城で働きたいと言うので、仕方ないことではある。だが、時間は夜中であり、睡眠の必要のない自分達と違い、普通の人間は寝ている時間だ。
「……こんな夜中に教育するのか? 寝てるだろ」
「準備があるんですよう!」
「……そうか」
「というか、いつの間に増えたんだ……」
ハンティが半目でこちらを見る。責めるわけではないが、肩を竦めて言う彼女の目は、“どうせ、また女の子でも引っ掛けてきたんだろ?“ と、言われているような気がする。
事実、連れ帰ってきたのは全員少女なので何も言えない。無言でその追求を躱す。
なんと言ったものかな……、と答えに迷っていると、不意に耳に声が届いた。
「――レオンハルト」
「っと、ケッセルリンクか」
既に城に帰ってきたのだろう、知った声が聞こえ、レオンハルトはそちらに振り返る。
だが、そこにいたのは、
「……夜分遅くにすまない。だが、少し話があるんだが……構わないか?」
「……別に構わないが……」
と、レオンハルトは視線の先にいるケッセルリンクを見る。
同じ様に使徒達もそちらを見るも、そこにいたもう一人の方に視線を向けており、目を見張っている。
やがて、レオンハルトもそちらに視線を移動させながら言う。声はケッセルリンクに向け、
「……だが話があるのは……どうやらそっちみたいだな?」
「……ああ。彼女――私の使徒になったシャロンが、レオンハルトに話があると言ってきてな……」
「…………」
ケッセルリンクの傍らにいる者。
亜麻色の髪を持つ少女の存在に、レオンハルトや使徒達は注目する。
使徒になった、シャロンという少女は、こちらに向かって窺うように頭を下げる。どうにも慣れていない仕草だ。
レオンハルトはその理由に見当が付くが、他は分からないようで、
「ケッセルリンク様の使徒ですのね。ならば挨拶をしておきますわ! わたくしはレオンハルト様の第一使徒にして、完璧使徒であるキャロルですの! お見知り置きを!」
「あー……ケッセルリンクも使徒作ったんだね……。まあ、とにかくよろしく。あたしはハンティね。一応、こっちの使徒」
「私はペールですよう! レオンハルト様の使徒にして、ケッセルリンク様の後輩ですので、よろしくお願いしますね!」
「え、あ、はい……シャロン、です。よろしくお願いします……」
ぎこちなく礼をするシャロンをこちらの使徒がそれぞれ迎えているが、どう接していいか分からず、戸惑っているようだ。
そんな中、レオンハルトは目を細めてシャロンを見ると、
「……俺に、話があるんだったな……」
「え、あ……」
出会うのは二度目。目が合った彼女はこちらを見て少し気勢を下げる。
使徒になったとはいえ、主以外の魔人に遠慮なく接するのは難しいだろう。彼女の場合はそれだけじゃないだろうが。
何はともあれ、
「……なら、そこの空いている部屋で話すか。お前達は外に出てろ」
言って、先に扉を開けて室内に向かう。外に出てろ、と言われた使徒達。そしてケッセルリンクは動かない。シャロンだけが、ゆっくりと、こちらの後ろに付いてきたのを見て、
……さて、面倒ではあるが……。
どうにもやり難いものを感じながら、レオンハルトはシャロンとの話し合いに臨んだ。
……いい部屋ね……。
シャロンは、ケッセルリンクに連れられてやって来たその城の一室の感想を思った。
魔人レオンハルトの城。その外装、内装は立派な造りであり、王族として暮らしてきたシャロンから見ても凄さが伺える。
それに城だけではない。ここに来る途中に見た街も、立派なものであった。
それこそ、自分の国のそれより――
「……それで、何が聞きたい?」
「え――」
不意に掛けられた言葉にシャロンは言葉を詰まらせる。
考え事をしていたというのもあるが、それよりも、
「あの……どうして、私が、聞きたいことがあると……?」
話をしたいとしか言ってないはずだ。
しかしレオンハルトは椅子に腰掛けながら何でもないように、
「あの国の関係者なら、何か聞きたいことでもあるんじゃないかと思っただけだ」
「……そう、ですよね」
話こそしなかったものの、宮殿で一度顔を合わせているのだ。こちらがかの国の王女であったことは分かっているだろう。
なら遠慮することはないのかもしれない。最初に会った時と、先程城で使徒と話している時とでは、随分と雰囲気が違っていた。
今も、宮殿で父と話している時よりは、あまり威圧感を感じない。
ひょっとしたら話しやすくしてくれてるのだろうか、と思いつつ、シャロンは口を開いた。
「……なぜ、国を――」
「――見捨てたのか」
言葉は被せるように、やって来た。
正面、足を組み、片目を開いて言うレオンハルトの姿がある。
彼はそのまま続けて、
「なぜ国を滅ぼしたのか。どうしてあんな目に合ったのか。――大体こんなところか」
合ってるだろ? と言外に問うてくるレオンハルトの視線に、シャロンは唖然とすることしか出来ない。
それが当たっていたから。どうしてあんな目に、とまで聞くつもりはなかったものの、それが頭の隅にないと言えば嘘になるもので、
「…………」
肯定も否定も出来ずに沈黙する。
だが彼にとってはわかりやすすぎる反応だったようで、鼻を鳴らすと、
「……まあいい。答えてやる」
簡単な事だ、とレオンハルトは言う。
そのまま一息、
「あの国が、お前が、お前達が――弱かったからだ」
「弱かった、から……」
弱さ故に滅びた。そうなった、と、レオンハルトは言う。
その表情は、少し憐れみの色が混じっており、
「そうだ。……お前なら、多少は昔を知っているかもしれないが……俺の時代ですら、お前達は弱かった」
「…………」
弱かった、と言われ、しかし理解が及ぶ。
過去、王国では魔物と戦うのを一番強い人間と兵士に任せ、それを飼い慣らすことに苦心していたと言う。政を取り仕切っていた祖先達は、王とは名ばかりの傀儡を挿げ替え続け、自分達は実質的な支配者として権力を握っていたと。
しかしそれは、目の前の王の時代で終わった。目の前の王は言う。
「戦いを俺に任せっきりにした。俺が魔人になり、集落に手を出させないようにした際も、お前達は俺の存在を隠蔽し、別の奴を王に仕立て上げたそうだな」
実際に見てきたのだろう、レオンハルトの言葉は確信に満ちている。
その上で、彼は言うのだ。だが、と、
「まあそれはいい。強いやつに戦いを任せるのは自然なことだ。――問題は平和になったその後も、俺に甘えて胡座をかいていたことだな」
「甘えて……」
「俺が勝手にやったことだがな……。しかし、ないとは言えないだろう?」
確かに。国は長年、魔軍との戦争がないこと。そのことで相対的に繁栄を築き、他国よりも優位な立場になった。
そして今なら分かる。甘える、というのは、彼の庇護を受けたまま何もしてこなかったからだと。
……いつそれが、無くなるかも分からないのに……。
自分達は思考停止していた。それを彼は、甘え、と呼んでいるのだろう。
彼は言う。続けて、だが、と、
「俺がその要因であることは事実だ。……だから、恨みたいなら恨むといい」
「恨む……ですか……」
レオンハルトは頷く。どこか自嘲するように、
「俺があの国の運命を……お前の運命を変えることが出来たのは事実だ。あの様子ではいつか来る滅びは必然だったかもしれないが、それでもそれを遅らせることは出来たし、お前を救ってやることも出来た」
やりようはあった、と彼は言う。だが、
「俺は――己の意志でそれを選んだ。お前達を、俺の故郷を滅ぼす道をな」
ゆえに恨め。呪え。
己の意思でやったのだから恨む筋合いがある。それは、
……そうなのかもしれない。
あの時の痛みを。あの時の苦しみを。自分は憶えている。
父や家族に裏切られ、自国の民に責任を取らされ、暴虐の限りを尽くされた悪夢のような日々を。
その発端となった彼を恨む。それが楽なのかもしれない。他ならぬ彼がそうしてもいい、と言っているのだ。
しかし、
「……一つ」
言う。
「一つ……聞かせてください」
「……何だ?」
それは、あの時の言葉。
伝えられたこと。
それを、シャロンは尋ねる。
「あの時」
宮殿で出くわした時、
「貴方は何故――」
私を見て、
「気をつけろと。……そう言って下さったのですか……?」
「…………」
レオンハルトが無言となる。
何を考えているのか分からない。
しかし、やがて口を開くと、
「……ただの気まぐれ――」
「私を見て、何を思ったのですか?」
その答えを嘘と断じ、流そうとした彼の言葉を止める。
そんなはずがないのだ。目の前の魔人は、確かにあの時、
「じっと私を見てましたよね……?」
しかもその時の彼の表情は、確かに驚いていた。
目を見開き、こちらの名前を聞いて、忠告をした。
その真意は、
「……一体、どうしてですか?」
「……………………」
再び沈黙する。
こちらから目を逸らし、眉間に皺を寄せる彼の顔を、じっと見つめ続ける。
そこに何を見たのか、それを教えて貰おうとして、
「……昔――」
やがて、レオンハルトは深い息を吐いて、声を出した。
「お前が、俺の昔の知り合いに似ていたからな……だから何となく、注意してやろうと……そう思っただけだ……」
「……そう、ですか」
シャロンはその答えを聞いて、ようやく得心する。
心のつかえが取れたようだ。ゆえに、
「――国を、祖先を代表して……お礼を」
注意してくれたことと。今まで守ってくれた恩義を、その感謝を伝えようと、シャロンは胸に手を当てた。
レオンハルトが、何を、といった表情でこちらを見る。
それに構わず、
「我が故郷と民を、今まで守ってくださり……ありがとうございました」
礼を言う。
それは、王家に代々伝えられる歴史書。
そこに記された――始祖の英雄に向けられたほんの少しの感謝の言葉を、シャロンは代わりに告げた。
「剣の王……レオンハルト――」
「やめろ」
強い、有無を言わせない口調で、レオンハルトは言葉を止めた。
目を細め、
「……感謝するのはいい。だが、その名を出すな。人間の名はとうに捨てた。……今の俺は……魔人、レオンハルトだ」
その言葉に、譲れないものを感じたシャロンは、しばらくして頷き、
「……分かりました。では感謝を。――ありがとうございます、魔人レオンハルト様」
「……ああ」
深く頭を下げると、その頭上から先程よりも低い声が聞こえた。
頭を上げると、微妙な、苦虫を噛み潰したような表情のレオンハルトがおり、彼が続けて、
「……その名は誰にも教えるなよ」
「はい。わかりました、レオンハルト様」
「……ならいい」
どうやら名前を知られるのがそれほどに嫌らしい。
しかしそれは、あの本を見れば誰もが知れることであり、
……どこにあるかもわからないのよね……。
国は滅んだ。父や家族も、おそらくは生きてはいないだろう。
ゆえにあの本も失われてしまったのだろうか。少し残念に思う。
王家の人間にとって、剣の王の伝説が記されたあの本は子供の頃から何度も繰り返しに読む、人気の書物だ。
かくいう自分も、それを穴が空くほど目を通したものだ。
だから、というわけではないが、シャロンは少し気になり、
「……話は終わりなのですが……」
「……何だ、まだ何かあるのか?」
はい、と頷く。書物の内容を思い出し、
「王家に伝わる話なのですが……レオンハルト様は、その……」
「? 何だ?」
少し口にするのは憚られるが、言った。
「……胸の大きな女性が好きで――」
「……あ?」
「宮殿に大勢の胸の大きな美少女を集めていたとか……」
言うと、レオンハルトは固まった。
反応から察するに本当のことなのだろうか。ややあって、
「……それが、伝わってるのか?」
「……はい。レオンハルト様のことが記された書物がありましたので……父も、それを読んだからあの時に……」
思い返すように言うと、レオンハルトは急に頭を抱え、
「っ……そういえばそうだ……何で狙ったように巨乳ばかりだったのかと思えば……」
くっ、とレオンハルトは苦悶の声を漏らし、
「……その本は……持ってないんだよな?」
「はい。どこにあるかは、ちょっと……その、わかりません……」
「……そうか」
レオンハルトは頷きはしたが、小声で、“探して処分するか……”と本気で悩んでいる。どうやら知られたくないことだったようだ。
想像していたよりも親しみやすい人物なのだろうか。
しかし、何はともあれ、
「……では、これからも顔を合わせると思いますので……」
「ん、ああ。……よろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
立ち上がり挨拶を交わしあう。
やはりどこか親しみやすさを感じつつ、シャロンは部屋を後にし、ケッセルリンクの元に戻っていった。
その後。
部屋に一人残されたレオンハルトは、
「…………全く……」
大きく溜息を吐きながら、ソファの背もたれに大きく身体を預ける。
そうして思うのは、シャロンという少女のことで、
……驚かされたな。
二重の意味で、シャロンには驚かされた。
おかげで出会った時、思わず表情を乱してしまい、それを理由に突っ込まれてしまったのだ。
不意打ち気味だったとはいえ、あれは失敗だ。何がどうというわけでもないが。
……似ていたな……。
古い記憶にある人間時代の知り合い。
その容姿と瓜二つであったシャロンは、人間時代を思い出してどうにもやりにくさを感じる。
そしてそれは、ある一つの可能性を示唆するもので、
「……まさか、な……」
考えてみるが、ありえないはずだ。
いや、極僅かだが無くはない。それを信じたくないだけだ。
何故なら、もしそうだとすれば、彼女は――
「……いや……やめておくか……」
しかしそこで、レオンハルトはそのことについて考えるのを止める。
そうだったとしても意味のないことだ。何かが変わるわけでもない。
わざわざ掘り返すことのことじゃないのだ。
自分は魔人レオンハルトで、彼女は魔人ケッセルリンクの使徒シャロン。
元同郷というだけであり、それ以上の関係はない。
これから仲良くなるのか、どうなるのかはまだ分からないが――
「……まぁ……気にかけてやるか……」
親しい魔人。ケッセルリンクという身内の使徒である彼女は、これからは身内となる。
ゆえに少しは気にしてやるくらいなら、バチは当たらないだろうと思い――レオンハルトはソファの上でゆっくりと目を閉じた。
一方、とある部屋では、
「――つ、遂に……! 最高の品が……わたくしの手に……!」
「ほほう……これはこれは……!」
レオンハルトの使徒であるキャロルとペールは、割り当てられた自室のベッドに並べた品々を見て、感動を分かち合っていた。
そこにあるのは、今回の戦争のどさくさで拾ってきた戦利品。
それも、主に関係する一品ばかりだ。
キャロルは、恐る恐る、震える手でゆっくりと銀色の直剣を手に取り、感極まったような様子でそれを抱く。
「ああ……!! これが、これこそが……人間時代のレオンハルト様が使っていた剣……! ま、まさに至高の逸品ですわぁ……!」
「ファンクラブ会員であれば誰もが欲しがる超プレミアな品々ですよう……! ――ん?」
激レアなレオンハルトグッズを前に、夜中だというのにテンションが鰻登りの二人。
しかしそこでペールは、とある古ぼけた書物を見つける。
「これ、は……もしや……!」
「? あっ、それは……確か、レオンハルト様の故郷の貴重な歴史が乗っているとか何とかの本らしいですわ!
「……それで、買ったんですか?」
「なんか価値がないと言われてるみたいでムカついたのと、こちらが背を向けた途端襲いかかってきたので、身体に直接、言い値分のGOLDを詰めて差し上げましたわ!」
ふんす、と胸を張って言うキャロル。ペールとしては普段なら“うわ、どんなグロ画像ですかそれ?“、とツッコミを入れるところだが、今はそれどころじゃない。
ペールはゆっくりとページを開いて中身を確認すると、内容と、その価値をキャロルに伝える。
「キャロル先輩……これ、とんでもない一品ですよう……!」
「……マジですの?」
「……とりあえず、見てみてください……!」
おずおずと手渡されるその一冊の本。
それを目にし、内容を理解していくと――徐々にキャロルの手が震え、
「……まさか、まさかですの、ペールさん……!?」
「そのまさかですよう……!」
二人は顔を見合わせて、同時に声を上げた。
「レオンハルト様の――」
――二人の品評会は、夜が更け、朝日が昇っても続いたという。
NC1年終了。次回からまた年数が飛びます。これはシャロン編ってことになるのか……?
とりあえず次は皆が大好きなあの愉快なキャラが登場しますのでお楽しみに