――NC321年。
朝の始まりの時間。日が射し込む晴れた日。
行動を開始するのは何も人間だけではない。
魔物界の街――レオンハルトシティも朝の動きが始まっていた。
鐘が一定のリズムで鳴り響き、朝の到来を告げると、徐々に住人が目を覚まし始める。
街の多くは一般居住区に住む魔物兵で次に多いのが街で働く魔物、主に女の子モンスター達であり、特に街で働く魔物の朝は早い。
店先だけでなく、道先までを、箒を持って掃除をする女の子モンスターがいる。掃除が好きな魔物、メイドさんだ。
鼻歌を歌いながら掃除をするメイドさんに、数体の魔物兵を連れた魔物隊長が近づく。今日の警邏を担当する魔物隊長とその部隊。魔物隊長を視界に映したメイドさんは視線を上げて挨拶をする。
「あっ、おはようございます!」
「お、おはよう!」
自然に挨拶をしたメイドさんに対し、魔物隊長の方はどこかぎこちなく挨拶をした。背後の魔物兵達が視線を強くするも、メイドさんは気にした様子なく、お辞儀をして、
「警備、毎日大変ですね。お疲れ様です」
「いや、それほどでも……そちらこそ、掃除を頑張っているではないか」
「私は掃除が好きですからっ」
「っ……そうか」
「はいっ!」
気の利いた会話が出来ない無骨な魔物隊長に対し、一切嫌な顔をすることなくメイドさんは笑顔を向けている。
しかし、魔物隊長の背後にいた魔物兵達は、隊長の対応に息を吐き、小声で、
「……おいおい、あんな毒にも薬にもならない会話をいつまで続けるつもりなんだ?」
「あれじゃあいつまで経っても口説き落とすなんて無理そうだな……」
「担当区域から微妙に外れてまで会話しに来てるのにな……」
魔物隊長がメイドさんに対し、好意を抱いているのは部隊の間では公然の秘密であり、わざわざ仕事中に声を掛けに行くくらいはアプローチをしているのだが、そのやり方がまどろっこしすぎて魔物兵達はやきもきする。
と言っても、この街では珍しいことではない。
この部隊に限らず、魔軍の中でも最も女の子モンスターが多いこの街では、こういった光景はよく見られるものだ。
中には、今日一日休暇なのだろう。朝っぱらから逢引するカップルが見受けられたりする。
彼らは店が開いていくのを見ると、それぞれお気に入りの、またはふらっと適当な店に入って朝の食事を始める。食事を外で済ませることが出来るのはこの街の特色だ。
他の軍であれば一斉に食事を取らされるか、好きな物を自分で採ってくるしかなかったりする。それこそ魔王城や、上級魔人の方々の城に勤めでもしなければ、好きな食事を好きなだけ、とはいかないものだ。
この街は恵まれている。魔軍に新しく入ってすぐ気づくことだ。
ゆえに、街の主への感謝や敬意も高いレベルで維持されており、街の中央、噴水広場から繋がる大きな橋のような道を行った先にある赤い城――通称、紅魔城と呼ばれる城を見上げる。
今頃、城の中も朝の行動が始まっているのだろう、と。
その城の中で、ふらふらと歩く小柄な影があった。
城の中をメイドさんが行き交い、親衛隊が警備している。そんな中を、構わず歩く人間の姿だ。
「うっ、あー……もう朝かぁ……」
窓から射し込む光を浴びて、鬱陶しそうに目を細めて手でガードするのはガウガウ・ケスチナ。
ある理由からこの城で魔法の研究をしている人間である。
緑色のボサボサの髪を左右に振りながら、おぼつかない足取りで城の廊下を歩く彼女は、これでも肉体的には20代後半。実年齢は既に100歳を越えた大人である。
同僚の人外が掛けた永久保護魔法という魔法の効果により、この城にいる者は肉体年齢が止まっている。
ゆえに百年経とうが二百年経とうが、この城の中にいる限りは、それこそ永久に生きることが出来るのだ。現に、城に住む人間のメイド達は、既に300歳を越えてる者もいるという。
そしてその魔法はガウガウにとっても都合が良いものである。研究には長い期間が必要なのだ。自堕落に生きるにも最適なこの城を、ガウガウはそれなりに気に入っていた。
だが、面倒なことが全くないというわけではなく、
「――ガウガウ様。おはようございます」
「ひっ!?」
いきなり目の前に現れた女の姿に、ガウガウが短い悲鳴とともに後退る。
しかし知った顔であったことに、安心――ではあるが、代わりにげんなりした表情を見せつつ、
「……おはよう。メイド長さん」
「メイド長、で結構で御座います、ガウガウ様」
そう言って柔和な笑みを向けてくるのは、メイド姿の美女だった。
長く白い髪に凛とした、それでいて艶やかさを覗かせるそのメイドは、フリルが少し多いメイド服に身を包んでいる。
正にメイドさん、といった格好と仕草だ。
だが、他のメイドと同じく胸元が開けられた服で、そこから溢れそうな胸、深い谷間を覗かせていなければ、ガウガウも恨みがましい視線を向けることはないだろう。
そんなメイドさんの名前は、その名の通りで、
「……だって、それが名前じゃん。名前で呼ばない方が失礼だし」
「私が良いと言っているから良いのですよ、ガウガウ様」
「まぁ、何でもいいけどね……」
何でもよくありません、と笑顔で、しかし言うべきことはしっかりと言う彼女の名前は――“メイド長さん”。
女の子モンスターのメイドさんの突然変異体であるらしい、この城のメイド長だ。
この城にいる全てのメイドを統括しており、城の運営の責任者である。その完璧な仕事振りから、街のメイドさんからも完璧メイド、バトルメイド、メイド師匠、メイド・オブ・メイド、など様々な愛称で親しまれている。
ガウガウも日頃からお世話になっている相手であり、同時に何かと口うるさい相手でもある。
ゆえに矛先を逸らすため、ガウガウは適当に日常会話を口から出した。
「あー……メイド長は、今日も掃除? 毎日飽きないよねぇ」
「掃除はメイドさんにとって種族的にも基礎業務となるものです。生きがいにも等しいものですから飽きることなどありません」
「ほんと、よくやるなぁ……私だったら一時間保たない自信がある」
掃除が苦手どころか、やる気すらしないガウガウにとっては正反対だ。そもそも散らかってる方がちょっと落ち着くまである。綺麗なのも嫌いではないのだが、雑多な感じが、自分の空間って感じで好みなのだ。
それを知ってから知らずか、メイド長さんはにっこりと笑みを深めて、
「部屋はともかく、ガウガウ様はもう少し手入れしてはどうですか? 今日も、まだお風呂に入っていないようですね?」
「……何で分かるのさ……!?」
「メイドですから」
「理由になってないぞっ!?」
にこり、と笑みを浮かべてくるメイド長に戦慄するガウガウ。ずいっと、一歩近づいてきたメイド長はそのままガウガウに顔を近づけ、
「……よろしければ、私が入れて差し上げましょうか?」
「い、嫌だ! というか、何で私ばっかり洗おうとする!? 変態城主だけでいいだろ!!」
「ガウガウ様は洗いがいがありますので。……それと、ご主人様のことをそんな風に呼ぶのは感心しませ――あら?」
不意に、言葉の途中で何かに気づいたように顔を上げたメイド長に、ガウガウが疑問符を頭に浮かべる。
「? ど、どうしたの?」
疑問のままに聞いてみると、メイド長さんは居住まいを正して、
「どうやら、ご主人様が起床なされるようですね」
「だから何で分かるの!?」
「メイドですから。ご主人様のことは何でも。ご主人様の為に尽くし、お世話をし、奉仕する。そして幸せになって頂くことがメイドの、そして私の幸せですので」
「えぇ……」
軽く引き気味になるもメイド長さんは至って本気、冗談を言っている気配はない。
他人に従いたくないし、人の世話とかも面倒すぎてやりたくない、と思っているガウガウとは反対過ぎる性格だ。種族的なそれもあるのだろうが、色々と違う。特に身体とか、
「……このおっぱいメイドめ……」
「本望です。ご主人様は大きな胸が好みですので、大きいに越したことはありません」
その余裕っぷりもムカつく。持つものは持たざる者の気持ちが解らないのだろう。被害妄想かも知れないが、心なしか胸が揺れたのはこちらへの挑発行為なのだろうか。いやまあ違うだろうが。
それでもイラッとするのは避けられないが、いつもの事でもある。ゆえにさっさと立ち去って夢の世界に旅立とうとその場を後にしようとする。
と、そこで、
「――! ガウガウ様!」
「え、何、急に!?」
突如、メイド長さんが何かを察知したようにこちらの身を抱いた。顔が胸に埋まる。ムカつく。
だが、そんなことを考えている場合ではない事態が次の瞬間起こった。
「っ、うああああぁぁあ!?」
「っ……!」
瞬間、大地の下から震動が走った。
岩かなにかがぶつかり、何かが割れてしまったかのような瞬間的な揺れ。それは瞬間的に響いたものの、続いていくように大地が揺れ、その場に立っていられないほどのそれが来る。
轟音とともに起こったのは――大地震であった。
地震が起こり、街全体が揺れていた。
朝の動きを行っていた魔物達はその酷い揺れに例外なくしゃがみ込む。それは使徒や魔人ですら例外ではなく、レオンハルトですら立っていられないほどの大地震だ。
それは街だけでなく、大陸全体に響くものであった。
東側において、その揺れは特に酷く、魔物の街だけでなく人間の街も酷い揺れにさらされ、様々な物が倒れていく。
その原因は大地の、大陸の下にあった。
ルドラサウム大陸。宙に浮かぶその広大な大地を支えているのは、大陸の下にいる“聖獣”と呼ばれる存在だ。
四聖獣と呼ばれる超巨大生物である聖獣は、天地創造の時からずっと重力を制御しながら、大陸を背に乗せて、一切身動きを取ること無く支えている。
そんな四聖獣とは別に、一体の聖獣が存在した。
大陸を支えるために生み出された聖獣だが、その聖獣は怠け者で放浪癖があった。
八つの首を持つ白の蛇、その聖獣の名を――オロチと呼ぶ。
聖獣オロチはふらふらと飛び回っていたが、その日その巨大な身体を大陸にぶつけてしまった。
大陸南東部に激突したオロチは、大地震を引き起こしてしまう。
だが、事態はそれで収まらなかった。
オロチと激突した大陸南東。その大陸の一部が割れ欠けてしまった。
大陸全体は、四聖獣が動かず支えているため問題ない。
しかし、割れ欠けた大陸の一部は支えるものを失い、そのまま下に落ちていくと思われたが――そうはならなかった。
「――――!」
聖獣オロチはその身体を、割れ欠けた大陸にめり込ませてしまっていた。
オロチは暴れた。大陸から逃げ出そうと暴れた。
だが、どうやっても逃れることは出来なかった。
衝撃により剥がれた大陸に完全にめり込んでしまったオロチは、やがて暴れることをやめてその場に留まった。
その大陸はオロチの力により、下に落ちることを免れ、そのまま浮き続けた。
浮遊大陸。島国。日出づる国。
東部超大型地震により生まれた――後に、“JAPAN”と呼ばれることになる島国の誕生である。
「……収まったか」
自分の部屋で、その揺れが収まるのを耐え忍んでいた魔人レオンハルトは、揺れが収まると誰に言うでもなく息を吐き、呟いた。
室内の物は崩れて床に散らばっているが、怪我はない。無敵結界があるというのもあるが、何かが落ちてくるようなこともなかった為だ。
だがこの分だと、他の者達はどうなっているか解らない。これだけの地震だ。物もそうだが、多くの被害が出ているだろう。
城の中や街の方、魔軍の勢力圏での被害状況を早急に調べなくてはならない。
「……さすがに参るな」
散らかってる部屋を見てこれから片付けに奔走しなくてはならないと思うと、さすがに頭が痛い。思ったことを口に出すと、少し遅れて、
「――ご主人様」
音もなく、部屋に入ってきたメイド長は、静かに声を掛けてくる。
「ノックもせずに入室する無礼をお許しください」
「非常事態だ。別に構わない。それより、被害状況は解るか?」
こんな時でも礼儀を気にして頭を下げるメイド長さんを手で制して、被害状況を問う。すると淀みのない返事とともに、
「はい。城内の物が多数散乱し、一部は壊れているものもありますが、大きな物は無事のようです。それと、城にいる者に致命的な怪我を負ったものは皆無です。一部のメイドが、軽い打ち身をしたくらいで御座います」
頷く。大きな怪我人がいないことは朗報だ。
だが落ち着いてもいられない。即座に動く必要がある。ゆえにレオンハルトは身支度を済ませつつ、メイド長さんに向かって、
「その者達は一応ヒーリングを掛けた上で安静にさせろ。そして、直ぐに来るとは思うが使徒達とリー大将軍を呼んで街の被害状況を調べるとともに、怪我人の救助に当たらせておけ。後の事は、キャロルとリーに任せる。何かあればハンティに連絡させろ」
「承りました。ご主人様はどちらに?」
窓を開け放ちながら言う。それは、
「俺は直ぐに魔王城に向かう。全軍の被害状況を調べるとともに指揮、対応に取り掛からねばならないし、魔王様に報告もしなければならないからな。――ライゼン!」
大声で中庭にいるであろうドラゴンを呼ぶと、即座の応答が来た。
「レオンハルトか。うむ、すごい揺れであったが、どうやら無事のようだな」
「地震如きで俺がどうにかなるとでも? それより至急、城に向かいたい。悪いが頼む」
「……まあ、仕方あるまい。早く乗れ」
ああ、悪いな、ともう一度だけ言葉を送りつつ、窓の縁に足を掛けてライゼンの背に飛び乗る。その瞬間、部屋の方から、
「レオンハルト様ー! ご無事ですのー!?」
金髪ツインテールの見慣れた姿が騒がしく入ってくるのを見て息を入れる。大丈夫だとは思っていたが、かなり元気そうだ。ライゼンの背から声を飛ばす。
「キャロル! 俺は城に向かう! お前は城と街の指揮に当たれ!」
「! 畏まりましたわー! どうかお気をつけてー!」
手を振るキャロルに手を振り返すと、ライゼンが翼を羽ばたかせて高度を上げていく。
空に向かって急上昇し、雲に近づくと、ライゼンが、
「……! おい、レオンハルトよ! あれは……!」
「……大陸から離れてるな」
ライゼンが首を向けた先、南東の遠い地平の先に、島のようなものが見える。
大陸から離れ、宙に浮いている大陸。その存在を見て、レオンハルトは、
「……興味深いが、今は地震の対応の方が先決だ。城に向かうぞ」
「! ああ、まあそうだろうが……貴様、妙に落ち着いているな?」
驚いていないのか? と問うてくるライゼンにレオンハルトはふっ、と笑うと、
「これでも充分驚いているさ」
「……そうは見えんが……うむ、大陸が割れるなど初めて見たぞ……」
島の方を見て唸るライゼンを見て、レオンハルトは内心、かなり感情が昂ぶっていた。
不謹慎な話だが、あの浮島を見て、心が揺れ動かされてしまう。それも良い方に。
……あまり良くないな。
自分でも言ったことだが、今は地震の対応、そちらに目を向けることが先決だ。あの浮島に思考を巡らせる時ではない。
だがそう自覚してはいても、心が動かされる感覚は止まらない。それを必死に抑えつつ、レオンハルトは後ろ髪を引かれながらも、魔王城へと向かっていった。
~教えてスラル先生~
スラル「今回は聖獣についてよ。聖獣っていうのは、本編でも説明したように、創造神が天地創造の際に生み出した超巨大生物ね」
レオンハルト「といっても、生きてないんだろ?」
スラル「厳密に言うなら、生きてるような物体ね。聖獣には魂がなくて、剥がれ落ちた皮膚などの老廃物から生まれたのが、魂のない生物、ムシやサカナだと呼ばれてるわ」
ガルティア「へぇ、じゃあ俺のムシ達も、元は聖獣の身体の一部だったのか」
スラル「そういうことになるかな? 四聖獣はトカゲ、像、ハエ、坊主、の四体だと言われていて、今回出てきた聖獣オロチは四聖獣とは別の怠け者ね。見た目は、早い話が八岐大蛇」
レオンハルト「日本人なら一度は聞いたことがあるし、想像しやすいな」
スラル「その日本――JAPANも、今回から出来て、神やらオロチとか地獄とか色々と大変なことになるんだけど……その辺はまたの機会ということで、今回はお開きね」
ラウネア「…………(色々と気になる……ムシだし……)」