その少年の朝は早い。
少年自身はどちらかと言うと朝が弱い方で、朝日が昇っても汚れた毛布で顔を隠し、睡眠を貪ろうとする。
しかしそれを、姉が許さない。
「――起きて、パイアール」
「ん……姉さん……」
パイアール、と呼ばれた少年は姉のルートの声によってようやく意識を覚醒させる。
手で目元を擦り合わせながらゆっくりと身体を起こすと、パイアールは世界で一番美しいと思う姉の姿を見た。
「おはよう、姉さん……」
「おはよう、パイアール。もうすぐ朝食が出来るから、顔を洗って大人しく待っててね?」
「はぁい……」
寝所である部屋から見える小さなキッチンの前で鍋の中を掻き混ぜるルートの後ろ姿を見て、パイアールは家の外に出た。
家は一軒家、と言えば聞こえは良いが、実際はぼろ小屋だ。
大きな町の貧民街。石造りの小さな家に、パイアール・アリは、姉のルート・アリとともに身を寄せ合って暮らしていた。
家の外に出て少し歩くと、周辺の住民と共同で使ってる井戸が見えてくる。朝であるため、人はそれなり。順番を待って井戸の水を汲むと、それを手に家まで戻った。
ただ、小さな子どもでしかない自分にとって、桶一杯に入った水は重く、
「はぁ……この作業、仕方ないけど嫌になるな……どうにか出来ないかな……」
楽が出来るような何かを作るのもいいかもしれない。それなら自分もそうだが、何より姉の負担が減るだろう。
「あら、水を汲んできてくれたの? ありがとうパイアール。偉いわね」
「あっ、うん!」
家に戻ってくると、桶の水をまた大きな桶に移し替える自分を見て、姉は柔らかな笑みを浮かべて褒めてくれる。
既に食事は出来上がっているのか、木皿にそれを盛り付け、木のテーブルにそれらを並べられていた。二人は席に着くと、
「それじゃ、頂きましょう」
「はい、姉さん」
朝食を摂る。
内容は、黒くて固いパンと、野草や麦が入った煮込みスープの二つだけ。貧乏である我が家ではこの食事が一般的な朝食となる。
だが周りの家にはもっと貧乏で酷い食事を摂る家もあるのだからこれでもマシな方だろう。
姉はとても綺麗だ。本来ならそんな短い単純で陳腐な言葉で姉の良さが表わせるはずもないが、それ以外に適切な言葉は見つからないほどに綺麗だ。
頭が良く、物腰やわらかで、近所でも評判のいい姉は、農民や猟師の人からおすそ分けをもらうことがある。なのでもっと良い野菜や、お肉だってたまに食べられるのだからマシどころか恵まれているのかもしれない。
だが、その際にそいつらの目が明らかに姉を狙った獣になっているので油断ならない。下心が丸出しな猿共から姉を守るため、自分が傍についていないといけないのだ。
そのためにも栄養補給は大事である。この後は姉を悪い虫から守るべく、新しい武器を開発するところだ。
なので手早く摂りたいが、それはそれとして姉の作った料理を流し込むように食べることなど出来ない。ゆっくりと味わいながら食べる。姉からも、よく噛んで食べるように言われているし。
「ごちそうさま! 今日も美味しかったよ、姉さん!」
「ふふ、そう? そう思ってくれたならいいのだけれど……」
食べ終えて姉にお礼を言うと、少し喜んでくれたがすぐに陰が落ちる。
「ごめんね。本当は、もっと良いものを毎日食べさせてあげたいのだけど……」
「そんなことないって! これでも充分だよ、姉さん!」
そう、これでも充分なのだ。姉は充分に頑張ってくれている。
実の親はとっくに蒸発しているのに、姉は自分を放り出すことなく一人で育ててくれているのだ。お金を稼ぎ、家事を一人で行い、基礎的な教養を自分に授けてくれた。
そんな姉の愛情だけが、自分を育ててくれたのだ。だから気に病む必要はどこにもない。そのためにも、
「大丈夫! 僕が何とかするから!」
「……ありがとう、パイアール。そうよね、パイアールは難しいもの沢山作れるものね」
「うん、色々作って、姉さんを楽させてみせるから!」
姉を悪い虫から守るための武器もそうだが、頭の中には他にも色々な物の構想が降りてきている。それらを作って利用するなり、売るなりすれば生活も楽になるだろう。
安心させるように姉に笑みを向けると、姉はこちらの頭を撫でてくれて、
「でも、無理しないでね? 後、危ないこともしちゃ駄目よ? お世話になった人に迷惑を掛けたり――」
「わ、分かってるよ! 誰にも迷惑なんて掛けてないからっ!」
「……そう。それならいいのだけど……」
少し焦った。もう少しで怒られるところだった。姉に近づく男を排除するための武器を作ってる、なんて言ったら怒られてしまうに決まってる。
それはそれでご褒美ではあるが、本気で怒った時はやはり怖い。真顔のままずっと付いてきて、こちらが改めるまでそれを続けてくるのだ。
ただその後の許された時が嬉しいというかあれなので、怒られたかったりもするのだが。
しかし今は早く物を完成させることを優先するべきだろう。
全ては姉のために。
その想いをもって、パイアールという少年は自らが持つ才能を目覚めさせていった。
この世の誰も理解することの出来ない――”科学”という名の才能を。
レオンハルトの城。
通称、紅魔城と呼ばれる一階部分に、食堂はあった。
魔人レオンハルトが食事を摂る際、他の使徒や住人が食事を摂る際などに使われるその部屋は絨毯から長方形のテーブル、調度品まで全てが一流の品で出来ている。
そのテーブルの上座に、レオンハルトはいた。当然、食事を摂りに来たのだが、普段は執務室など部屋で摂ることも多く、特に昼食時は食堂に来ることは殆どない。
しかし仕事で忙しい中、それでも食堂にやって来るだけの理由がそこにはあった。
レオンハルトは、給仕のメイドが運んできたワゴンと、その上に乗っている料理に視線を向ける。香ばしい匂いがこの時点で鼻孔をくすぐるが、その料理が目の前に運ばれてきた時、レオンハルトは目を見開いてそれを見た。
その中心、小さい鍋の中にあるのはきつね色のそれだ。
カラッと揚げられた厚切りのカツ。それが茶色いソースの中に浮かんでいる。それは即ち、先日手に入れたばかりの食材だ。それをふんだんに使い、煮込まれたカツと、その横には半熟でトロトロになった卵。そしてカツの上には、刻まれたネギが彩りを豊かにしている。
それを主菜としながらも、他の物も負けてはいない。先日作った味噌汁。カツオと昆布、そして料理長が特選した食材で出汁を取ったという特製味噌汁。真っ白に輝く豆腐に薬味と醤油だけを合わせた冷奴。野菜の御浸しと、炊きたてのお米がそれらを引き立てる。
レオンハルトは料理名をメイドより告げられると一言、”頂きます”と短く声に出し、箸を使ってそのカツを掴んだ。
肉厚たっぷりのそれを齧ると、サクッという音とともに肉汁が溢れ、味噌の香りが吹き抜ける。舌の上で爆発する味覚の暴力を抑えるべく次に米を口に入れると、これまたいい具合に合う。濃い味付けの味噌カツと、米が抜群に合う。
それを味わい、レオンハルトは言った。
「――美味い」
それ以外に言葉が見つからない。
野菜のおひたしの上品な味を楽しみながら、和食と、新しい食材である味噌のポテンシャルの高さを改めて理解する。
そうしていると、横から、
「何だこれ! 美味っ!? めちゃくちゃご飯進むんですけど!?」
と言ったのは、ボサボサの緑髪と子供のような背丈を持つ魔法研究者、ガウガウ・ケスチナだ。
彼女はレオンハルトと同じようにそれを口にすると、目を見開いてご飯を掻っ込みはじめる。それを見たレオンハルトは、ふっ、と得意気に笑うと、
「美味いだろう。これが、味噌カツ煮だ……!」
「何でそこで作ってもいない奴が得意気になるのか全然解んないけど、とにかくうまあー!」
「…………」
ガウガウの言葉に無言になってしまうも、美味しいことには変わりない。
さほど苛立ちもせず、レオンハルトも味噌カツ煮定食に舌鼓を打つと、途中でガウガウに向かって、
「いいか、ガウガウ。良い食べ方を教えてやろう。この味噌カツ煮は、この横の半熟卵で更に進化する」
「な、なにっ!? どういうことだ!」
「この卵を箸で割り、カツと一緒に食べるんだ。そうしたら……」
「そうしたら……?」
「更に美味くなる」
言って、そのように食べてみせる。予想通り、卵のまろやかさが加わって旨味がさらに引き立てられた。
ごくり、とツバを飲み込み、ガウガウが同じように箸で半熟卵を割り、黄身とソースが混ざり合う。その上でカツを口に含むと、
「う、うんめーーー!? 何だこれ!? 天才か!?」
「ははは、そうだろう。よく味わって食べるがいい」
言いながらレオンハルトも食事を進める。やはり美味い。味噌汁の方もいい味が出ており、
「わざわざ人間の国に商人に扮した工作員を送り、JAPANとの交易を結ばせて味噌を手に入れたかいがあったな……」
「各種食材も手に入って料理長も喜んでいましたよ」
そうだろうな、とメイド長さんの声に頷く。料理長は料理への拘りは凄まじいものがあるし、新しい食材を手に入れて狂喜乱舞するのも容易に想像がつく。
だがその結果、これほどに美味い料理を作ってくれるのだからさすがだ。
「料理長も良い仕事してるな……」
「料理長に伝えておきます」
そうしてくれ、とメイド長さんに頼み視線を戻すと、何故かガウガウが微妙な表情をしていた。
何か苦手な物でもあったのか、と思うもどうやら違うようで、
「……そういえば、料理長ってどんな人なんだ? 料理用の魔法具作ったりしてあげてるのに、一度も見たことないんだが……」
思いついたように疑問を口にするガウガウ。それを聞いてレオンハルトやメイド長さん、周囲のメイドは、あー、と声を出して、
「料理が上手い人だ」
「とても拘りの強い人です」
「個性的な人です」
「……全然分からん」
それぞれの人物評を聞いて、しかしよく解らないとぼやくガウガウだが、それに対しレオンハルトは、
「興味があるなら会ってみればいいだろう。まあ――」
そこで一息、間を置いてガウガウから目を逸らすと、
「……どうなっても知らんが」
「えっ」
ぼそっと呟いた言葉にガウガウが短い声を上げる。
どうなっても知らない。その意味が分からず周囲に目を向けてみるもメイドからは曖昧な笑みで視線を逸らされ、メイド長さんに至ってはニコニコと笑顔を浮かべるのみだ。
「えっ、何その反応、気になるんだけど!?」
「だから気になるなら会ってみればいいだろ。……どうなっても知らんが」
「いやだからその後ろの言葉が怖いんだけど!? ほんとにどんな人なんだ!?」
「そうですね……」
メイド長さんが少し考えるように間を置いて答えてくれる。それは、
「とても良い人ですよ。会ってみては如何ですか? ……どうなっても知りませんが」
「だから後ろのそれいらない!! 後ろの文言が無ければ普通に会えたのに!!」
ツッコミを入れるように叫ぶガウガウに、メイド長さんは曖昧な笑みを浮かべるのみでそれ以上は何も答えてくれない。
その間に、レオンハルトは食べ終わり、軽くテーブルのナプキンで口元を拭うと、
「……さて、俺は仕事に戻る。お前も、研究頑張れよ」
「では私も仕事に。ガウガウ様、何かあればメイドに申し付け下さい」
「えっ、あっ、ちょっと――」
引き留めようと手を伸ばすがそれも虚しく、レオンハルトもメイド長さんも食堂から出ていってしまった。
その場に残ったのはガウガウと数人のメイドだけ。それを自覚したガウガウは、静寂に包まれた食堂の中で拳を握ると、
「……ぐぬぬ、気になる。気になるけど……一人だとちょっと怖いぞ……」
「……会いに行っては如何でしょう? まあ……どうなっても私は責任を持ちませんが……」
「おいこら一般メイドォ!! お前まで私をおちょくる気か!?」
文句を言うも、曖昧な笑みで頭を下げられる。ここのメイドは平気で百年以上生きてるのも多いから性格的に手強くてガウガウは苦手だ。胸も大きい人ばかりだし。部屋の掃除もそうだが、特に風呂に入っていないと、無理やり入らせようとメイド達が追いかけてくる。
その中でもメイド長さんはどこに逃げても瞬間移動でもしてるのか、ってツッコミたくなるくらい行く先々で先回りして待っている。
そんなヤベー奴らがたくさんいる城の料理長がよく考えれば普通な奴な訳ない。
「これは、調べてみる必要があるな……」
「……研究しないのかよっ」
メイドが無表情のままツッコミを入れてきたが気にしない。
ガウガウは料理を食べ終えると、まずは情報を調べてみようと食堂を後にした。
次回、『ガウガウ・ケスチナとお城の人達』。
城に住まうメイド達や、SS期から続く魔軍に仕える料理人一族の謎が解き明かされたり、解き明かされなかったり……? 姉弟の話も挟みつつ、魔軍の話も挟んでいきます