幾つかの部屋を通って、それから二階に上がったレオンハルトは長い廊下を抜けて、その部屋に入室した。
あれから何のトラップも障害もない。無駄だと悟ったのだろうが、些か拍子抜けだ。
そんな思いを持って部屋の扉を開けると、中には一人の少年が立っていた。
中は研究室、研究所内を映した映像とその手前に様々な機械。実験台と思われる低めの台や半透明の窓で仕切られた別室が覗けるようになっている。
「……よく来たね、魔人――レオンハルト」
そう言ってこちらを出迎えたのは身長140センチ程の小柄な少年だった。
片目を前髪で隠した髪型で、肌は白い。肉体的には華奢で筋力も戦う者のそれではないが、子供と考えれば栄養が足りておらず、少し成長しきれてないといったくらいか。元は貧乏だったのかもしれない。
そして何よりも重要なのは、少年から感じる気配。それは魔に属する者であれば一目で判別出来るもので、
「……やはり、新しい魔人か」
「そういうことになるかな。魔人の魔血魂を飲んで魔人になったからね」
やはりか、とレオンハルトは得心する。
少年の口調は淡々としており、こちらを観察するような目でこちらを見ている。そんな少年に、レオンハルトは問いを投げた。
「お前の名は?」
「パイアール」
短く、名前だけをパイアールは答えた。人間が魔人になった際、姓の方を名乗らなくなるのは自分にも覚えがある。つまり、人間社会との決別を意味するものだ。
ゆえにそこを殊更追求する必要はない。それよりも、先に言っておきたいことがある。
それはここまで来る際に体験した科学の物のことであり、
「パイアール。お前の玩具は中々に楽しめたぞ。無敵結界の対策、人間にしてはよく考えたものだ。今はもう魔人だが」
「……一応言うけど、あれは侵入してくる野良の魔物を排除するためのトラップであって、僕に敵意や翻意はないよ」
その物言いに、レオンハルトは僅かに目を細める。
……ふむ、俺を警戒しているな。
おそらくは魔人を倒したことで報復に来た、という可能性を疑っているのだろう。
なのでそれを払拭してやろうとレオンハルトは声を掛けた。
「随分と警戒しているようだが……魔人を殺したからといって俺がお前に報復することはない。お前が未だ人間であれば話は別だったがな」
「……僕としてはその言葉が嘘じゃないことを祈るしかないかな」
祈るなんて死んでもごめんだけど、と後に添えたパイアールはどうやら神を信じていない、ないしはあまり好んでいないようだ。
優れた科学者、研究者であり、頭も良い。豊富な知恵を持つ者にありがちな思想である。理路整然としたものでなければ信用出来ないのだろう。
だがとにかく、報復する気はない。人間であれば魔軍として潰しにかからねばならないが、魔人になったのならその理由もない。それに、
「……はっきり言って、その魔人と俺は親しくとも何ともないからな。その必要性を感じない」
これが身内や、いなくなって困る相手であれば対応は変わっていただろうが、その魔人はその二つに該当しない魔人だ。ゆえに、新しい魔人が生まれたのならむしろ歓迎しよう。
「それに、魔人を倒して魔血魂を手に入れたのなら手段はどうあれ、お前はその魔人よりも強者だ。より強い者が上の立場を持つことは魔物社会では当たり前の事であり、そうであるなら魔人筆頭として、強い魔人の誕生を歓迎しない理由はない」
「……ふーん、なるほどね。それは理解したよ。でも、それなら何しに来たのさ?」
「……俺がここに来た理由は二つ。一つは――」
「魔人の安否を確認するため……ってところかな。じゃあもう一つは?」
「……やはり頭は回るようだな。正解だ」
こちらに先んじて言うパイアールに正解を言い渡す。頭脳の優秀さはここの発明品を見る限り、折り紙付きだが、頭の回転の速さ、という意味でもこちらの上を行くかもしれない。分野が違うので一概には言えないが、単純な頭の良さであれば敵わないだろう。
そんなパイアールが言うように、理由の一つはそれで正解だ。かの魔人が生きているにせよ死んでいるにせよ、その確認は必須。魔人は貴重な戦力なのだ。
だがそれは、パイアールが魔人になったのを確認した時点で達成された。
ならばもう一つはと言うと、
「――確認だ」
「……確認?」
ああ、と頷く。それは逃れられないことだ。
「人間を率い、優れた科学力を持って魔人を倒した。そんなお前が、何故魔人になったのか――」
言う。何故、と、
「教えてもらおうか?」
魔人パイアールは、その問いにどう答えるべきか、思考を回した。
眼前、手を伸ばせば届く距離に魔人レオンハルトがいる。彼の鋭い視線がこちらを見下す。部屋に近づいてきた時点でその存在感は感じていた。同じ部屋にいる今、モニター越しで見るそれを何倍にも濃くした存在感がこちらの肩を重くするが、細まった視線に乗せられる圧力はそれだけで格の違いを理解らせられるようで、
……魔人になって正解だったな。人間であればこれだけで膝を折っていたかもしれない。
報復を避けられたのも合わせて、結果的に全てが上手くいっている。
だがこの問いに上手く答えられなければ全て無に帰す可能性もあるのだ。考えざるを得ない。
言いたいことは解る。要は向こうも翻意を疑っているのだ。
この問い自体は何気ないものだが、この魔人はその答えで見えるであろうこちらの焦りや感情の動き、嘘を見抜くつもりだろう。
何しろ向こうからすれば、自分は人間を率いて魔軍と戦っていた勢力の首魁。魔人になって他の魔人を倒す可能性もゼロではない。
勿論望んで魔人になったのだからその可能性は低いと思われるが、立場上は聞かざるを得ないのだろう。
……どうする? 本当の事を言うのはあり得ないけど。
魔人になった理由は勿論姉さんのこと。しかし、それを教えるわけにはいかないし、教える気はさらさらない。
ならば嘘をつくか、しかしそれも危険な行為だ。この魔人はその嘘を見抜いてくる可能性がある。
本当のことも、嘘を言うことも出来ない。それなら、とパイアールは口を開いた。
「……人間の身では、研究が捗らないからね」
「……研究?」
頷く。パイアールが出した答えは誤魔化すことだった。
「人間の時間は有限だけど、魔人の時間は無限。研究するのに時間の問題はクリアしておきたいからね。それで魔人になることにした」
これらは全部本当のことだ。嘘ではない。姉さんを治すためには多くの時間が必要である。
嘘ではないのだから見抜けるはずはない。
「……そうか。だが――」
魔人レオンハルトが次の言葉を口にする。来るであろう言葉も予測してあるし、その答えもシミュレーション済みだ。問題ない。
「何の為にそれほどの研究をする?」
「自分のためだよ。他に理由はない」
問いには間を置かず、即座に答えた。
これも嘘は全くない。自分のため、姉さんを治すことは自分のためである。自分の全ては姉さんに捧げる。どこにも嘘はない。
「…………」
ゆえに、レオンハルトは目を細めたまま、こちらをじっと見詰めるも、何も読み取れないはずだ。
考えているようだが、嘘ではないのだから不審なところは出ていない。仮に何か怪しい部分があっても確証は何もないだろう。
そして少し時間が経つと、やがて、
「…………そうか」
レオンハルトは軽く息を入れて頷いた。
何かを思うような、そんな息の入れ方だったが、その際に圧力が和らぎ、
「良いだろう、魔人パイアール。――お前を歓迎する」
「そう。それは良かった」
別に歓迎されたくもないが頷いておく。余計な火種を作ることはない。
だが、レオンハルトは続けて面倒なことを口にした。それは、
「魔人になった以上、お前の行動は自由だ。誰にも阻まれることはない。だが、魔王様――ナイチサ様の命令には従ってもらうぞ」
「……分かったよ」
面倒だが仕方ない。魔王に睨まれては研究がやり辛いどころか、殺されてしまいかねないものだ。
「それに合わせて、魔軍にも協力してもらうことになる。俺からも命令することがあるだろうが、出来れば飲んでもらいたい。それと、これから魔王城に登城してナイチサ様への顔見せをしてもらう。これはお前の為にも――」
「はい、分かった。全部了承。要するに、魔王様とその命令を受けるそっちの命令だけ受けて後は自己責任で自由に行動していいって話だろ。面倒だからさっさと済ませよう」
面倒だったので噛み砕いて、全て了承する。こんなことで時間を浪費したくはないが、必要であれば呑むしかない。ならば面倒なやり取りは省略したいものだ。レオンハルトは頷くと、
「……そういうことだ。俺もお前の研究を邪魔する気はないが、何かを頼むことはあるかもしれん」
「……分かったよ。それより、さっさと行こうか」
やはり面倒だが、逆らったところで不利になるので渋々頷いておく。そして部屋から出ていく素振りを見せて、さっさと連れて行け、と言外に態度で示す。
するとレオンハルトは同じく部屋を後にしようとしたが、不意に立ち止まり、
「……お前も、俺に何か頼み事があれば頼んでくれても構わん」
「……ああ、そう」
頼むことなんてない。姉さんは自分の力だけで助ける。誰に手も借りない。
強いて言うなら邪魔しないでほしいってことくらいだ。
だと言うのに、
「俺はこう見えて様々な知識、情報。それを為すための手段を持っている。何かやりたいことがあるなら役に立つぞ」
「…………必要を感じないけど」
自慢か。どうでもいい。そんなのは必要ない。
だが、なおもレオンハルトは言う。こちらに何かを思う目で、
「……いいから覚えておけ。そしていつでも頼んでみろ。ひょっとしたら俺は、お前の研究の役に立つかもしれんぞ」
「……はいはい、そうかもね」
もはや相手にせず、ぞんざいに頷く。気分を害するかとも思ったが、どうやら気にしていないようだった。
……お前が役に立つ? 姉さんを治せるとでも?
内心で問う。馬鹿を言うな。そんなわけがない。
ただの魔人が何の役に立つと言うのだ。多少、頭が良いくらいで調子に乗るな。
姉さんは自分が助ける。他の者の手は借りないし、借りる必要もない。他の頭の悪い有象無象ではそんなこと出来もしないのだから。
「……まあ良い。言いたいことはそれだけだ。さっさと行くぞ」
「時間を取ったのはそっちじゃないか……」
息を入れ、気を取り直したように先を行くレオンハルトに続く。
向かうは魔王城だろう。魔王ナイチサ他、多くの魔人に出会うかもしれない。
だが自分には関係ないことだ。いざこざが起こっても面倒なのである程度は対応してやるが、深く付き合う必要も、関係を持つ必要もない。
……何百年、何千年掛かったとしても、助けてみせるからね、姉さん……。
パイアールの目的はそれ一つ。それだけを成し遂げるために、パイアールは魔人の生をスタートさせた。
研究所を後にする魔人レオンハルトは、背後に引き連れる魔人パイアールを思い、内心で嘆息した。
それは、先程の室内。その先にあった気配のことである。
レオンハルトは人の気配に敏感だ。戦闘の際、視界を封じられた際や不意打ちに対応するためにも気配の察知は必須であると思っている。
無機物や死人であれば気配の察知は難しいが、そうでなければ大体の生物は察知出来る。部屋一つ分くらいは訳ないものだ。ゆえにレオンハルトはパイアールの部屋に入って直ぐに気づいた。
部屋の向こうに感じる人間の気配に。
それを守るようにさり気なく立ち塞がるパイアールの姿に、レオンハルトは気づいていた。
しかしその気配はとても弱々しいものであり、死人と見紛うほどのものであった。
……パイアールは俺を信用していないか。当然だが……。
いきなり出会った魔人を信用出来るはずもない。逆の立場でもそう思うだろう。
しかしそれを解っていてもレオンハルトにはパイアールの姿が、虚勢を張り続ける哀れな子供にしか見えなかった。
孤独な戦いを続けている子供。その意思と成し遂げるに足る力は称賛に値するが、
……落ち着いて周りを見る、というのも時には必要だ。
しかし自分が何を言ったところでパイアールの心には響かないし、届かないだろう。それを見切ってしまった。
レオンハルトに出来ることは、せいぜい上手く立ち回れるよう便宜を図ってやったり、それとなく助けてやれることくらいだ。
一先ずはナイチサへの謁見のための知恵でも授けてやるか、と、レオンハルトはパイアールに声を掛けることにした。
その日、新たな魔人が魔軍に加わった。
魔人を倒し、その魔血魂を飲み込むことで魔人になった人間の魔人――パイアール。
戦闘力はそれほどではないものの、優れた物を作る技術――科学力に優れるというその魔人は、周囲の予想に反しナイチサに受け入れられた。
以前からいる者ならともかく、人間の魔人を作ることはなかったナイチサのことだ。自分の血を分けた魔人を倒し、新たに魔人になった人間を殺すか生かすか、そんな賭けが行われるほどだったが、
「おお……これは何と言うのだ?」
「ナイチサ様。それはパイプオルガンです。演劇や音楽を嗜むナイチサ様への手土産として、こちらのパイアールが製作しました」
「なるほど……優れた技術を持つというのは本当のようだな。してパイアールよ。他にはどんな物が作れる?」
「……魔王様が希望するなら、何でも作れるように努力したいと思います。一応、各種兵器や機械の類であればご用意していますが……」
「ふむ、面白いな。――良いだろう。卿を余の家臣と認めようではないか」
「……ありがとうございます」
「レオンハルトも此度の働き誉めて遣わすぞ。また褒美を与えねばな」
「……私などより、パイアールに褒美を与えては如何でしょうか? それらを製作したのはパイアールであり、私は何も……」
「ふむ……それはそうかもしれぬな。ならばパイアールと卿、両方に与えようではないか。優れた者を登用してきたのであればそれは功に値する」
「……度重なる褒美に、感謝の言葉も御座いません」
「フフフ、よい。忠臣に報いるのは王の責務である。それに余はこの楽器を気に入ってしまったからな。パイアールの褒美は考えるとして、いつも通り、卿には好みの娘を下賜しよう」
「……はっ、有難う御座います……」
機嫌の良いナイチサから巨乳の美少女を下賜されているレオンハルトを見て、噂は本当だったか……、と白い目で見るパイアール。
どちらにせよ打ち明けることはないが、やはり、姉の事を言わないで正解だった、と心で思うパイアールであった。
まさかナイチサ様がオチに使われる異常事態(白目)
とにかくパイアール編終了。ようやくNC魔人が揃いました。次からは幾つか話を挟みます。NC期の魔軍の日常だったり、色々と。多分、四話くらい。
それが終わったらとうとうNC期最大のイベントですのでご期待下さいね