なので短めなのは平にご容赦を
魔物界。
レオンハルトシティから北西にある山間部。
木々に囲まれた窪地、そこにある滝壺を中心とした水場には幾つもの傷があった。
周囲に生き物の気配はない。魔物界なので人の気配がないのは当然だが、元々は魔物や多くのムシが生息していたものだが、いつからかこの水辺を避けるようになっていた。
理由は明快だ。この場所が、魔人の修行場であり、月に一度、その魔人と使徒が模擬戦の場所に使う場であったからだ。
轟音とともに影が吹き飛ぶ。その持ち主は長い黒髪で額に赤いクリスタル。黒のレオタード風の衣装を来た元ドラゴンカラーの使徒――ハンティだ。
彼女は苦悶の声を上げてそのまま滝に激突する。水飛沫が発生し、重力に引かれて滝壺に落ちてさらに小さな水柱が上がる。水の中から顔を出したところでハンティは主の声を聞いた。
「また単純な仕掛けに引っかかったな。――ちょうどいい時間だし、一旦休憩だ」
「っ……自分の使徒を気軽にぽんぽん吹き飛ばすんじゃないっての! ったく……」
冷たい水の中から身を起こし、一応抗議の声を浴びせるもそれで改善されるわけがないことは自分がよく知っている。もう数百年以上この調子なのだから。それを自分に強いている相手、魔人レオンハルトはそれを聞いて片方の口端を上げて笑みを浮かべると、
「ちゃんと滝に向かって吹き飛ばしてやってるんだからダメージも少ないだろ? 木や岩にぶつけるよりはマシだ。それに……お前も水に濡れたおかげでいつもより美人になってるじゃないか。良かったな、ハハハ」
「死ね!」
「おおっと」
水の中に隠すように忍ばせていた短剣を素早くレオンハルトの顔目掛けて投擲する。休憩、と言われたがムカついたので不意打ちだ。しかし憎たらしいことに首を少し横に傾け、余裕を持って避けられる。
分かってるぞ、という顔がかなりイラッとするがこんなことはいつものことだ。レオンハルトは戦闘でノッてくると、テンションが上がり、普段はあまり言わないような軽口を連発してくる。仕事以外の仲間内の間でもあまり言わないことも、戦闘時には言ってくる。戦いを楽しんでいる時の癖だ。今も、ニヤついていたので一つ前の言葉について反論する。それは、
「大体、単純な仕掛けって言うけどあんた、自分のやってること理解してる? 回避不能の技を、瞬間移動も使わずに避けるか受けろって馬鹿なんじゃないの?」
「酷い言われようだな。だが、それを考えるのがお前の修行だ。つまり、お前も馬鹿になることだな――ほらよ」
「ん、馬鹿にはなりたくないんだけど……」
言いながら投げ渡される水筒を受け取る。
中に入っているのはこの山の湧き水である。それを少しだけ口に含むと、滝壺から這い上がって適当な岩に腰を下ろす。すると向こうも適当な岩に背中を預けた。手に持っていた魔剣を収め、腕を組んでこちらを見ると、
「これもお前のために言ってるんだけどな。お前は俺と戦って強くなり、強くなったお前と戦うことで俺もまた強くなる。これで永遠に強くなれるからな。完璧な計画だ」
「……あたし、たまにあんたが物凄い馬鹿なんじゃないかって思う時があるんだけど……今まさにその時だね」
どんな理論だ。普段、魔軍参謀として頭脳労働をしている者の言葉とは思えない。戦いの時は脳が蝕まれているんだろうかとさえ思う。戦闘時はほんと馬鹿というか性格変わるなぁ、と。
だが、
「だからさっさと一本くらい取ってくれると助かるんだがな」
「……言われなくても取るっての」
「そう言い続けてどれくらい経ったかな……」
「くっ……!」
わざとらしくそんなことを言うレオンハルトにむかっ腹が立ち、衝動的に雷撃を発動しようとしてしまうも、
……ふぅー……冷静に、冷静に……。
戦いになると熱くなり、軽口を言ったり馬鹿になる。そんな評を主に付けたが、他ならぬ自分も、そういった傾向にあることを、ハンティは自覚していた。
これも主人の、魔人の使徒になった影響なのか、とも思うし、元々こうだったような、とも思う。どちらにせよ、乗せられるのは少し癪で、
「……大体、あんた今でも最強とか何だの言われてるのに、これ以上強くなってどうする気?」
気を取り直して問いを投げる。前々から思っていたことだ。
戦いを楽しむのは理解出来るが、既に充分な強さを持つレオンハルトが、これ以上の強さを求める理由がイマイチ解らない。
それこそ、魔王とか一部の例外を除けば、レオンハルトより強い生物はこの地上にいないだろう。
なので聞いたみたが、レオンハルトはそこで少し真面目な顔になると、
「……強いことに越したことはない」
「……いや、そりゃそうだけどさ」
もう充分強いじゃん、と言う言葉は首を振られ、即座に否定された。
「魔物社会において、強さは何よりも重要だ。強ければ下の者達を従わせ、腕に覚えのある者にも容易に手が出せなくなる。俺の身内、部下達が街で安全かつ快適に暮らせるのも、俺という存在が抑止力になっているからだ」
「それは……分かるけど」
確かに、使徒になって魔物社会で生活していればそのことは骨身に染みるものだ。
魔物は力を重んじる。魔人達もそうだ。強者は弱者に何をやっても許される。法というものがない魔物社会での唯一のルールは、魔王の命令と、強者に目を付けられないこと。
ゆえに魔物達は魔王や魔人、魔軍が定めたルールを守るし、他者に殺されないよう身内での争いは出来るだけ控える。暴虐な行いは、より強い者のひんしゅくを買うからだ。
魔物社会はよく、人間社会よりも自由だと言われるが、本当に自由なのは一握りの実力者のみであり、殆どの魔物達は暗黙のルールに則って生活している。人間社会と変わりない。明確な法と罰がないだけだ。
レオンハルトの街が、あのように文化的で、レオンハルトに忠誠を誓っているのは、生活や安全をある程度保障され、魔軍での働きにおいても他の軍に比べて良い思いが出来るからだ。
だが、そのことも元はと言えばレオンハルトの実力があるからであり、弱ければ幾ら魔王のお気に入りとはいえもっと荒れていたし、統率も規律も取れていなかったかもしれない。
それにやはり、実力行使が取れるのと取れないのとでは全然違うもので、
「……弱すぎて困ることはあるけど、強すぎて困ることはないって?」
「そういうことだ。最近は俺に喧嘩を売ってくる魔人もいる。追いつかれないように俺も鍛える必要があるだろう」
「……なるほどね」
得心する。レオンハルトは最近、魔人レキシントンから定期的に喧嘩を申し込まれている。時たまレキシントンが城にやってきて、喧嘩するぞ、と馬鹿笑いしながら大声でレオンハルトを呼ぶのだ。確かに、あれは鬱陶しい。
……それに、ザビエルも何かときな臭いしね……。
こちらの周りをうろちょろと嗅ぎ回っているような動きが散見される。レオンハルトから話を聞く限りだと、弱みでも探っているのだろうが、特に直接的な動きはない。精々、レオンハルトがよくザビエル本人から絡まれてるというくらいで、
……ま、そういうとこは嫌いじゃないけどさ。
身内や仲間、城の人間達や街の部下達を大切にするレオンハルトは魔人としては珍しい部類に入るだろう。そのために強くなろうとしていることは素直に美徳だと思える。しかし、
「でもいいの? 強くなりすぎたら、また本気を出せる相手がいなくなると思うけど」
そもそもそういった理由で自分は使徒になったはずだ。熱い戦い、というのはレオンハルトが数少ない、気兼ねなく楽しめるものであり、ハンティとしても色々と気苦労の多いレオンハルトが楽しむため、と言うなら使徒として働くのもやぶさかではない。他の使徒がやってるアレな働きは絶対にお断りだが。それについては色んな意味で関わりたくない。
なので心配してみたのだが、レオンハルトはそこで一度考える素振りを見せ、
「……まぁ、確かにそれはあるかもな。今でさえ、俺が本気を出して耐えられる相手はほぼ皆無だ」
だが、と、レオンハルトはそこで、ふっ、と笑みを見せると、
「これから先はどうなるか解らん。もしかしたら――俺と同等以上にやり合える人間も出てくるかもしれないぞ?」
「……はぁ?」
言われた言葉に疑問というか、胡乱な視線を向けてしまう。
……レオンハルトと同等以上の人間? この化け物と?
ハンティは即座に否定した。
「いやいやいや、ありえないでしょ!? あんたみたいな化け物とやり合える魔人ですらいないってのに、しかも人間? そんな人間現れたら世の末もいいところね。いたとしても、ちょっと人間と認めたくないかな……」
「クク、分かんねぇだろ? ひょっとしたら俺を越える化け物が現れるかもしれないぜ?」
「何でちょっと楽しそうなのよ……もしそんなのが現れたら……いや、人類的には助かるかもだけどさ……」
不敵な笑みを浮かべるレオンハルトを半目で見る。
自分としては戦うことになりそうなのもあってそんな人間がいたら悪夢であるが、人間にとって少しは救いになるかもしれない。魔軍に立ち向かい、多くの魔物、魔人を倒し、魔物に苦しめられる人間を多く救うことが出来るだろう。
だが、きっと魔王には勝てないだろうし、仮に勝ててもその先に待つのが平和だとも限らない。この世は理不尽で、バランスが取れるように出来ているものだ。均衡は保たれ、仮にどちらか一方に傾いた場合でもすぐに元に戻る。
長く生きていればそんな厳しい現実が理解出来るようになるものだ。しかし、一時的にでも救われるなら、取り返しが付く範囲でなら良いことのはずで、
「……いや、無理。やっぱ想像出来ない。あんたより強い人間を想像しても人間じゃない化け物が出来上がる」
「人間、やれば何だって出来るものだ。……いや、魔物や他の生物であってもな。だからお前も強くなる努力を欠かすなよ。そのうち、その化け物を目にすることもあるかもしれねぇしな」
「会わないことを願いたいんだけど……まぁ、強くなることはやめないけどさ」
「ほう? いい心がけだな。それでこそ、楽しめるってもんだ」
そう言ってレオンハルトは赤い双眸を煌めかせ、戦意をぶつけてくる。休憩は終わりだ――と、そういうことだ。
ハンティは立ち上がり、戦意を乗せた視線をレオンハルトにぶつけ、
「そろそろ一本くらい取りたいからね――」
「――ハハ! 精々頑張れよ……!」
お互いに戦闘態勢を取った。時間的に後一回くらいはやり合えるだろう。しかし、
……最近、妙にギラギラしてるし……おかげで大変なんだけど……!
模擬戦の際の気合いの入り方が、ここ数百年無かったレベルのものだ。軽く本気を出しているのではないかと思うほど。おかげで攻撃も激しく、生傷が絶えないし、全然一本を取れる気がしない。
戦う度に着実に強くなる最強の魔人にして自分の主に、それでも一矢報いるため、ハンティは向かっていった。
……そうだ、ハンティ! もっと向かって来い……!
魔剣を構え、瞬間移動を用いて突っ込んでくる自らの使徒を、レオンハルトは迎え撃つ。
その心にあるのは――歓喜。
そして、待ちきれないという期待の感情であった。
レオンハルトが気兼ねなく本気を出せる相手など、ほぼ存在しない。先程語ったそれは事実であり、強くなればなるほど愉しめる相手は少なくなり、戦いでの愉しみは少なくなる。
その悩みを再び、レオンハルトは味わうことになるのだ。
だが、
……未来はどうなるか解らねぇ……!
そう。今は確かに存在しない。
自分を愉しませることの出来る人間など夢物語だ。空想の類でしかない。
しかしこれから先、生まれてこないとも限らないものだ。
それを、レオンハルトは知っている。
自分を愉しませる――あるいは圧倒出来るかもしれない戦士の存在。
人間という存在が生まれて約千年。地上を血で染める魔王が君臨して既に六百年近く。自分という存在が生まれて千年を越える。
そろそろ英雄が現れてもおかしくない頃合いだ。
もし――本当に現れたのなら、
……そいつは――俺の獲物だ。
誰にも渡す気はない。
全身から溢れる闘気を必死に抑えながら、レオンハルトはその相手を心待ちにしていた。
――NC661年。
魔人レオンハルトがハンティとの月イチの模擬戦を行っている最中。
とある国では、一つの命が生まれたところであった。
「――様、この男児の名前は……」
「うむ。もう決めてある」
畳の部屋の中で、お産を終えた女の手に抱かれた赤子に、男は名前を付ける。
その名は――
「――石丸」
――この日、後世に名を残すことになる一人の男児が誕生した。
石丸? 一体誰なんだ……(棒)
というわけでNC期前半戦終了。次回からは藤原家討伐編に入ります。
11月はずっと藤原家になりそうやね……