畳張りの、いわゆる和室と呼ばれる部屋がある。
襖や座敷、板張り、木造建築で作られた家屋はJAPAN特有の建物であり、地震の多いJAPANでは石造ではなく木造が基本となっているのだ。
その城の中の一室、天守閣に近いその一室に、僧形姿の老人はいた。翁の面で顔を隠したその者は、藤原家参謀である月餅。彼は眼前に座る同僚の話を聞いて頷きを入れる。
「――なるほど。ではその仮面の男に敗北した為に、石丸様は斯様に修行しておると」
「然様でありますなぁ……」
煙管を加えた着流し姿の男、菅原ミッチーが頷く。両者の意識は城の外――そこから聞こえる声に向いた。
「ふはははは! 遅い! 遅いぞ麻呂よ! そのような有り様では亀にすら抜かれてしまうぞ!」
「ぐっ……お主が速すぎるのだ戯けが! 少しは年寄りを労らんか!」
刀を打ち付け合う音と男同士の声が聞こえる。楽しそうに馬鹿笑いしている方がこの国の帝である藤原石丸で、もう一方のしゃがれた声で怒声を浴びせるのが征夷大将軍である坂上田村麻呂だ。
石丸の剣に防戦一方の田村麻呂だが、石丸は容赦する様子を見せずに常人では視認できない速度で剣を振る。それを何とか防ぎながらも汗だくで息を切らしそうになっている田村麻呂に、石丸は笑みの声を飛ばした。
「どうした麻呂よ! やはりもう歳か!? 隠居するのか!?」
「おお、それはよい案ですな石丸様! ほれ、糞爺。さっさと隠居して、朽ちて死ぬがよいぞ!」
「何じゃと!? 年寄り扱いするでないわ! 朕は生涯現役である!!」
「さっきは年寄りを労れなどと抜かしておいてよくそんなことが言えたな糞爺! 自分の言ったことも解らぬほど耄碌したのならわしが介錯してやろうぞ!」
「言いおったな小娘ェ!! 一度吐いた言葉は呑み込めぬからなァ!?」
「む、乱戦か! ははは、負けんぞ!!」
と、源頼光がまたぞろいつもの売り言葉に買い言葉で刀を抜く。それに田村麻呂が応戦し、石丸が混ざったことで何やら石垣か、建物が崩れるような音がしたところで月餅はミッチーとともに溜息を吐いた。
「……止めなくていいのでありますか?」
「止めて止まるような者達であればとうに止めている。……今のうちに修繕の手配をした方が賢かろう……」
「……ですな。……小生は算盤でも弾きますかなぁ……」
お互いに悟ったような目で言い合う。実力的にも、このJAPANに100万近くいるという武士の中で最強の三人であるが、仮に力で上回っていたとしても止まる連中ではない。
石丸の幼馴染であり正室でもある春姫であれば止められるかもしれないが、生憎と今春姫は、
「ふんふーん……って、あっ! ちょっと黒部さん、動かないでください!」
「わ、悪い。……でもよぉ……その、なんだ。くすぐったくてな……」
「毛並みはちゃんと整えないと駄目ですよ。辺りに毛が抜け落ちちゃいます」
「でもなぁ……」
「――でもじゃないですよ?」
「…………はい」
部屋の隅に布を敷いた上で座らされ毛並みを整えられている黒部を、笑顔で押し止める春姫。
元服した折りより石丸に付いて旅をしていた為か、これと決めたことは曲げない頑固な一面がある。滅多に怒ることこそないものの怒れば家中どころか、JAPANで一番怖いのでは、という疑惑が広がっているほどである。
あの石丸も春姫が本気で怒った時は素直に従う他ないくらいだ。田村麻呂や頼光、黒部や、ミッチーに月餅らも類にもれない。
そんな藤原家の最終兵器が使用出来ないとなると、ミッチーや月餅は泣きを見るしかないのだ。最近、胃痛が酷いのでありますなぁ、と呟くミッチーに、内心で同意しながら月餅は話を戻した。
「……その者は、真にあの剣王であると?」
「さて……本人がそう言っていた訳でもなし、小生には判断出来ませんが……石丸殿を越える剣の腕があったことは間違いないかと。そして何よりも――石丸様が絶対にそうである、と」
「ふむ……」
月餅が腕を組んで唸った。
内心で考えるのは石丸を心配するものであって、そうではない。
……今死んでもらっては困るのですがな……。
大陸を見て回り、興味を抱くだけではいざ知らず、そのような危険な相手と戦って死んでもらっては目的の成就は叶わない。
というのも何を隠そう――月餅は人ではない。
月餅の正体は、“悪魔”である。
悪魔王ラサウムの配下であり、地上の魂達を簒奪することを仕事とする人外である。
その中でも月餅は第参階級の悪魔であり、“三魔子”と呼ばれる支配者達の直属の部下。広い悪魔界の土地を管理し、四階級以下の悪魔達を管理している高位悪魔である。
そんな月餅が藤原家にて石丸の参謀として働いているのは、当然悪魔としての使命を果たす為である。なので石丸に死んで貰っては困るのだ。死んでしまえば、
……折角、天志教をJAPANに広めることを許されたのに中途半端に終わってしまっては堪ったものではない。
――天志教。月餅がJAPANで布教している最中の、新興宗教である。
中身自体は至ってまともな教義であり、人心の救済を目的としているが、最終的には帰依の術で仏の世界へ送ると称して、魂を地獄からラサウムの元に送るためのものである。
この宗教を人類に広めてしまえば、魂の集収においてこれに勝るものはない、と言い切れるほどの方法を月餅は思い付き、実行に移しているのであった。
……通常の契約して、魂を集める……などというのは効率が悪すぎる。
普通の低階級の悪魔達は、人間の願いを叶える代わりに死後に魂を貰うという契約で地道に魂を集めていくのだが、そんなことをしては何千年掛かるか分かったものではない。
それにこの方法を一度成功させてしまえば、以降は何もしなくても半永久的に魂が自動で回収される。ゆえに月餅としては大陸中にこの天志教を広めたいのだ。
そのために人と思えない強さと、他者を惹きつける魅力を持つ石丸に仕えてきた。最初は駄目であれば直ぐに抜けてしまえばよい、と思っていたのだが結果的にこの判断は最適であったといえる。
石丸はすぐに帝になり、JAPANの支配者となった。参謀として働いている自分も必然的に立場が上になり、今では多くの部下と信徒を持つ権力者である。天志教だって広めることを許された。
だがまだ満足するわけにはいかない。大陸にも天志教を広めなくてはならないのだ。
だからこそ石丸に大陸への旅をまずは勧めた。ちょうどキリング商会というお得意様からの依頼もあり、都合が良かったのだ。
しかしその依頼の最中に石丸を越える男――その言を信じるなら剣王が現れたという。
剣王の名は月餅も知っている。人間の間では有名な冒険譚。元は叙事詩とも言われる剣王伝に出てくる人物であり、人類の歴史においては確認出来る最初の王である剣の王の逸話を元にした話である。
しかしその原本は残っておらず、それを元にした本は作者や地域によって名前や話が違っており、今では娯楽としての側面が多くを占める物語である。JAPANにも剣王伝は伝わっており石丸が所有していたはずだ。
だが、その物語に出てくる剣王とは
……死なずに済んだことを喜ぶべきか……?
幾ら石丸が最強だとはいえ、それはあくまでも人類間での話だ。
人間という枠から外れれば強い者など幾らでもいる。
もっとも、石丸であれば一部の人外であれば勝つことも不可能ではないが……魔人が相手ともなれば分が悪い。己がいれば何とかなるやもしれぬが、そもそも関わらないことに越したことはないのだ。
……大陸を、藤原家が席巻するまでは何としても護らねば……。
大陸に興味を持たせること自体には成功している。それ以上に剣王への想いが強そうなのが懸念される事柄だが、どちらにせよ大陸進出を断りはしないだろう。
元より、石丸の夢を考えるに――
「……月餅殿? どうかしたでありますか?」
「! ……いえ、申し訳ありませぬ。少し考え事をしておりました」
「ふむ、なら良いのですが……」
声を掛けられていたのだろう、不思議そうな表情を浮かべるミッチーに慌てて返事をする。するとミッチーはこちらに苦笑を見せ、
「もし疲れておいでなら少し休んではどうでありますか? 月餅殿は石丸殿の参謀。倒れられては元も子もありませんからなぁ」
「……いえ、ですが――」
「石丸殿も心配しておりましたしなぁ。働きすぎだから休むよう言っているのに気がつけば働いている、と」
「……それを言うなら、菅原殿こそ働き詰めでありましょう」
「あー……小生はまあ、適度に息抜きしておりますので。なので月餅殿も息抜きしては如何ですかな?」
「……考えておきます」
曖昧に話を濁したのだが、ミッチーは訝しげに顎を撫で擦ると、いつものように飄々とした様子で、
「月餅殿は働き者でありますなぁ……しかし、結構なお歳でありましょう? 湯治にでも参られては如何ですか?」
「むぅ……しかし……」
と、言われても困る。
この翁の面の下は触手の生えたワームの如き様相である。顔を晒すわけにはいかないのにどうやって温泉に入ればいいのか。
と、思っていると、
「そうですよ、月餅さん。――はい、どうぞ」
背後から春姫が近づいてきた。その手には湯呑を乗せた御盆がある。緑色の液体はJAPAN特有の茶である緑茶だ。それを置くとミッチーが春姫に声を掛けた。
「これは奥方。黒部殿の毛繕いはもうよいのですかな?」
「はい、ある程度は綺麗になりましたので。――次は来週辺りに、湯に入れてから行おうかと」
「左様ですか。黒部殿も苦労しておりますなぁ……」
内心だけで同意する。押しが強い春姫には逆らえないだろう。
「月餅さんもミッチーさんもちゃんと休んでください。息抜きは大切ですよ」
「いやぁ、小生もそう申しているのですが、月餅殿も中々強情でありましてなぁ。奥方からも言ってやってください」
そう言うと春姫がこちらに視線を向ける。まずい、と思うも彼女の言葉は止められない。
「月餅さん。ちゃんと休んでくださいね?」
「あ、いえ……拙僧は――」
「――ちゃんと、休んでくださいませ。月餅さんも、石丸様の相手やお仕事で苦労してますよね?」
「…………」
困って無言になってしまうも、春姫は笑顔のまま視線を外してくれない。この圧がすごいのだ。耐えきれずに首を縦に振ってしまいそうになる。しかし、
……本当にいらないのだが……。
確かに苦労していないといえば嘘になるが、それはミッチーも同じであるだろうし、何より己がやっているのは悪魔としての使命。やめるわけにはいかないのだ。
……石丸様も他の者も、一々心配など……。
休まずとも過労でどうこうなる程、悪魔は軟ではない。しかし悪魔であることを隠しているため皆は自分のことを普通の老人だと思っているだろう。
ならば休むべきか? とも思う。老人が働き詰めで疲れの一つも訴えないのは不自然かもしれないし、周囲の目もあまりよろしくない。そして何より、
……石丸様に心配を掛けられても困りますしな……。
それで他のことが手に付かなくなるような御仁でもないが、気には掛けるだろう。あまり些事に気を取られてほしくはない。思うままに行動してもらうのが良い。
どの道しばらくは国内に手を付けるべきだ。幾ら石丸が強くても、戦をするには生産力や経済力、つまりは兵を食わせるための兵糧や、武器や防具の生産、またはそれらを買い揃えるための金銭が必要である。大陸の国家相手に戦争を仕掛けるなら今まで以上に大規模なものとなる為、まずは国力を上げるのが先決。大陸進出を進言するのはその後である。今もそれなりには忙しいが、本当に忙しくなるのは数年か数十年後。
ならば今のうちに休んでおくのも悪くはないか……、と思った月餅は適当な時に休みでも取らせて貰おうと湯呑に淹れられたお茶を、顔が見られないようにして飲み干して頷く。
「……であれば、暇を見つけて信濃辺りに湯治にでも参りましょうかな」
「それがいいです。疲れをちゃんと癒やしてきてくださいね?」
「いやぁ、良きかな良きかな。月餅殿。美人との艶話、期待しておりますぞ?」
「それはちょっと……」
……ミッチーめ。憶えていろ……!
いやらしい笑みを浮かべる同僚にイラッとしてしまう。何を期待しているのか。春姫を使って休暇を勧めたのは結果的に納得したが、やり口が卑怯過ぎる。
……くっ……まぁ、顔だけであれば何とかなるか……。
面だけは手放さなければどうにでもなる。不審に思われそうであるが、顔に傷があるとかで逃げ切ろう。無理強いする者などそうは居まい。
さり気なくミッチーに仕事を押し付けようと、公文書にさらさらと筆を走らせながら、月餅は一先ず息をつくのであった。
石丸はひたすらに剣を振っていた。
相手は坂上田村麻呂や源頼光など石丸の配下である多くの武人達である。
誰もがJAPANでは名の知れた達人。腕自慢の剣客達であり、数時間の鍛錬はわけもない事である。戦と慣れば数日、数週間。あるいは半年から一年以上も滞陣を続けることもあるのだ。
故に体力には自身がある。その武士達が、
「ははは! どうしたお前達! だらしないぞ!」
「くっ……」
「はぁーっ……はっ……っ、石丸様……無茶を言わないでください……!」
揃いも揃って息を切らして地面に伏している。
何とか膝を突き、得物を杖代わりにして体勢を保っているのが数人程度。立っているのは坂上田村麻呂と源頼光の二人しかいない。その二人にしても膝が笑っている。
対して石丸の方は全員を相手にしてなお余裕があるのか、素振りを続けていた。
「ならば小休止していろ! そして体力が回復したものより斬りかかってこい!」
「分かり申した……石丸様は……?」
「決まっている! ――剣を振るのだ!!」
「……承知」
――この御方には敵わぬ。
それがこの場にいる武士達が共通する想いであった。
元より日ノ本最強の武士。それに帝としての力が加わり、他の者を歯牙に掛けない強さになっている。負けん気の強い武士達も素直に認めるしかない。
藤原石丸は最強。この御方に敵う者など存在しないであろう、と。
それは妖怪王である黒部を下したことも関係している。人外の妖怪や鬼ですら石丸には敵わないのだ。ならば石丸は現人神の如き存在なのだろう。
だがそれでいて人としての魅力にも溢れている。日本人であれば無条件に頭を垂れる。そんな存在であるのに、石丸はまるで余人のように以前と変わらず接してくる。
そのことが石丸に畏敬の念を抱かせながらも、必要以上に崇めるようなことはない。
だがそんな石丸ですら、大陸でとある者に敗北したという。
俄には信じられない話だが、それを実際に見た者達の反応。そして石丸自身の行動がそれに真実味を漂わせる。
そんな石丸は剣を振ることを止めないまま内心――燃え滾っていた。
……違う! こうではない!!
石丸は自身の剣を振るいながらしかし、否、とそれを強く否定する。
これでは勝てない。これでは届かない。己はまだまだ弱い。
大陸ではそれを自覚させられた。
他ならぬ――石丸が憧れ、目標にしていた人物に。
坂上田村麻呂とはまた別の、石丸の剣の根本。その師である。
武術とは、先人の模倣から始まる。幼き頃に見たその書物に記された技を見て、石丸の剣は形作られたのだ。
空を斬り、衝撃を飛ばす技も、全くの同時に剣の軌跡を合わせる技も、周囲から笑われ、無理だと断じられながらも毎日のように鍛錬に励んだ。竹刀、木刀、真剣を握り、手にタコが出来て、それが潰れて血を流れても止めることなく剣を振り、石丸が完成させた努力と才能の結晶である。
そのどれもが、剣の秘奥――雲耀が如し。武士達にそう称されるほどに卓越した必殺技だ。
しかしそれは通用しなかった。
……振り出しだな!
歓喜、という感情を覚えながら思う。
己こそが最強だと思っていた。名の知れた剣客、剣聖と謳われた達人ですら己の剣に屈し、膝を折る。
自身の技を教えようとしても誰もその境地に達することが出来ず、他者の技は容易に覚えられる。
己には誰も追いつけず、先人達を風の如く抜き去り、誰にも見えぬその先の境地に、誰よりも速くに到達する。
剣への熱が冷めかけていた。そんな時に現れた。
己の目標であり夢の一つである世界最強の剣士。
短い死合であったが、確かに剣を交え、その薫陶を再び受けたのだ。
己は未だ挑戦者であり、その座を手にしていないことを思い知らされた。
……俺はまだ強くなれる。
天下を取り、帝となって自惚れていた。
その道の奥深さを忘れていたのだ。
……剣の道は、修羅の道。
極めんとするならば、狂うほどに心を燃え立たせ、その激しい熱量を剣に――己に込めていくしかない。
人の身を外れた者を相手にするというなら尚更の事、元より避けられぬ戦いであり、故に烈しく熱を持たなくてはならない。
しかし同時に、心に芯を、清々しい神気を同居させなくてはならない。
鬼気迫るだけでは道を外れた鬼となってしまうだろう。
だが心に修羅なくしては道を外れてしまう。
相手を討ち滅ぼすが剣である。そこを有耶無耶にしてはならないのだ。
石丸はそのことを、幼き頃から無意識に知っていた。才覚、と言うべきものである。
剣の道を往くために生まれたような人間が己だと、不思議と自覚していた。
……勝ってみせる!
取っ掛かりは得たが、それでも勝てるかどうかは解らない。
しかし今はそのために才覚を以て、努力を為すだけであった。
それから数十年後。
藤原石丸率いる藤原家の遠征軍が大陸に進出。
JAPANの武士達は大陸の国家相手に各地で連戦連勝を続け、僅か五年で大陸の半分――人類圏を支配した。
だが、それで終わりではない。
藤原家の人類統一。参謀月餅による天志教の布教。
その報は直ぐに大陸の支配者――魔王ナイチサの耳に届いたのであった。
ナイチサパートは次回になった()
書けたらだけど、今日は二話投稿しようかな……18時とかそれ以降くらいに