キナニ平野での戦いの趨勢は、ほぼ決していた。
魔軍の勢いに押され、多大な被害を出した人類軍は、既に撤退戦を開始しており、追いかけてくる魔物兵を殿が何とか食い止めようとしている。
だがそれも、ほぼ全ての場所で魔軍の勝利が確定し、後は戦場に取り残される形となった人間達を囲んで殲滅するのみである。
しかし、その戦場の中の二箇所では未だに攻防が行われていた。
一つは魔人レオンハルトと、藤原石丸の戦い。こちらは戦場の中心だが、誰も近づけない有り様で、魔物兵が遠巻きに眺めることしか出来ていない。
そしてもう一箇所は、ペール率いる魔法魔物兵の軍団と、菅原ミッチーが率いた混成戦士団の戦いだ。
しかしその模様は、人と魔物の戦いと言うより、人外と人外の戦いであった。
「……ああもう! なんて面倒臭いんですか!」
と、相手に抗議するように叫び、魔法で敵勢を吹き飛ばしたのはペールだ。前方から向かってくる多くの敵に、周囲の魔物兵も必死に魔法を放っている。こちらも幻獣を用いて対抗しているのだが、相手にしているのは、
「ふむ、やはりやりますなぁ……では、また追加で――」
声を作るのは敵影の奥にいる中年の男。菅原ミッチー。彼が声とともに腕を振るい懐から出した紙の束を周囲に散らばらせる。およそ百枚はあるであろう紙が地面に落ちると、再び敵は現れた。
それは式神や鬼、妖怪の軍勢だった。
特殊な紙で出来た存在や、紙から呼び出された者達が地面から湧いて出てくるように現れる。それは戦う前にペールが口にした術法のものだ。
「やっぱり陰陽術使ってるじゃないですか!?」
「……はて? どうでしょう。小生の独自の術の可能性もありますぞ」
「それはそれで危険なので仕留めます! ――幻獣ちゃん!」
こちらも負けじと幻獣を召喚して突撃させると、式神や鬼との戦いを始めた。出来れば直接、召喚者であるミッチーを狙いたいが、肝心の本人はこちらが召喚したのを確認して煙管を吹くと、
「ややや、怖いですなぁ。怖いのでもう少し下がっておきましょう」
……この……っ!
こちらを煽るような表情にぶん殴りたくなるが、それを抑えて冷静であるように努める。今はこの状況をどうするかを考える方が先決だ。
相手が使う陰陽術。札を用いて様々な能力を持つ式神を使役したり、召喚札というものを用いて鬼などを召喚したりするらしい。
だが数体程度ならどうにでもなると考えていたのだが、数としては一度に百体以上。それもそれなりに強力な人外の軍勢だ。倒せないほどではないが、数がいるので鬱陶しい。
……折角タコ殴りにしてやろうと思ってたのに、酷いですよう……!
そういうのはこちらの専売特許だ。まさか向こうも数で押してくるとは思ってもいなかった。幻獣や魔物兵も頑張ってくれてはいるが、数が減っていくと再び追加で召喚されてしまう。いつかは札が切れると思うのだが、
「全然切れない……!」
その様子が見られないことに眉をひそめる。札を使う以上は上限があるはず。それが切れれば後はこっちのものだと思って既に結構な時間が経っている。他の部隊の殆どは、既に消化試合に入り始めているというのに、
……これじゃあ、レオンハルト様に褒めて貰えません……!
おそらくだが、キャロルやハンティも既に戦いを終えているだろう。自分一人だけが時間を掛けているというのは失態に他ならない。レオンハルトは怒ることも咎めることもしないだろうが、自分が納得出来ないのだ。
となれば手立てを考えるしかない。既に敵軍の撤退も始まっており、ある程度はしょうがないが、せめて将の首だけでも獲っておけば、戦いも楽になるし、手柄にもなる。人間とはいえこれほどの能力を持つ相手の首であれば大手柄だ。きっとレオンハルトも褒めてくれる。
ならば、とペールは行動を起こそうとした。軽く眉を立てた表情で、
「魔物将軍! ちょっと行ってきますから、援護よろしくお願いします!」
「……はっ、了解しました! ご武運を!」
話が早くて助かる。応答の声が聞こえると同時、ペールは前に出た。そうして杖を振りながら、
「近接戦闘は苦手なんですけどね――っと」
式神に脚を振り上げて蹴りを見舞った。そのまま続いて魔法を発動して敵を吹き飛ばす。使徒の身体能力に任せた強引な突破だ。近接戦闘が苦手ではあるが、
……レオンハルト様に扱かれてますからねぇ……。
自分の主は魔人の中で最強、近接戦闘に於いても右に出る者はいないレオンハルトだ。当然、日常の中でハンティやキャロル同様に訓練を施されており、その内容には近づいた時の戦い方もある。自分は魔法使いだが、それでも近づかれたらどうするのか、というレオンハルトの言葉には逆らえない。
それにある意味で心配しているようなものでもある。もし近づかれてどうにかなったらどうするのか、という意味でもあるのだ。それは嬉しい。それに、
……為になってますから結果オーライです!
今こうやって役立ってるのでその甲斐はあったと思う。訓練の内容を思い出すと微妙にげんなりとしてしまうが、今は気分が良い。何しろ敵を倒せる。勝てる。勝てれば気分が良い。単純な事だ。
「魔法部隊! 前へ! ペール様を援護するぞ!」
更に背後から魔物将軍の命令と、その指示通りに魔法を放つ魔物兵の援護で、多くの式神や鬼を払っていく。どうもです、と内心でお礼を言うと、前方に見えてきたミッチーを捉えて全力で距離を詰めた。杖を振り上げ、
「もう来てしまいましたか。そろそろ撤退しようと思っていたのでありますが……」
「それは叶いませんよ! あなたは私にやられちゃいますから!」
と、ミッチーを打撃しようとした。使徒の身体能力で叩けば、人間は容易く地面に沈む。そう思って放たれた打撃は、
「――それはやめてほしいでありますな!」
「……!」
ミッチーの抜き放たれた刀に防がれた。やや驚愕し、距離を取る。相手のその動きは淀みのないものであり、ペールは眉を立てて問いかけた。
「……随分と器用なんですね!」
「これでも藤原四天王の武士としてやっておりますからなぁ。剣術は勿論、あらゆる武芸を嗜んでおります故。基本、後方で指示を出すのが仕事なので披露する機会は少ないでありますがな」
ミッチーが刀を構えながら、軽い笑みを浮かべた。言う通り、隙の少ない構えだ。そこには確かな武の色が見える。
「……嫌ですねぇ。近接用の武器を持ってない丸腰の女の子に刀を向けるなんて。武士として恥ずかしくないんですか?」
「使徒ともなればその肉体が武器でありましょう。見た目が女性だからと油断するような馬鹿は武士ではありませんな」
ご尤も、と内心で同意する。
確かに私の体はある意味で武器ですけど、と事実兼下ネタを思い付くが口に出すのは自重しておく。そういうのは味方相手になら良いが、人間の男、しかも敵を相手にそれは嫌悪感がある。自分は痴女でも淫乱でもないのだ。仮にそうだとしてもレオンハルト相手限定。好きな男だけに一途で都合がいい女でありたい。さすが私。ペールがそう思っていると、
「――ペール。手伝おうか?」
「っ! 始祖様!」
不意に横から声が飛んできたので少し驚いたが、直ぐにそれがハンティのものであることに気づく。瞬間移動でやってきたのだろう。やはり気配も前触れも何も感じ取れないので自然と奇襲みたいになるなぁ、と思う。その証拠に相手は警戒してまた少し距離を取り、
「……新手、でありますか。参りましたな。頃合いを見て逃げようと思っていたのでありますが……」
「ふふん、それは無理ですね! この私と、始祖様相手に逃げられると思ってるんですか!」
「……ま、そういうことになるかな。大人しくしてくれるならそれほど酷い目には合わないけど……抵抗してみる?」
ハンティとともに眼の前の相手を追い詰めるべく身構える。既に敵の多くも下がっており、前線で戦っているのはミッチーだけだ。将の一人くらいは仕留めておかないとまんまと相手の目論見通りとなってしまうだろう。
だがこれで勝負は決したようなものだ。自分だけでなく、ハンティもいるのだ。逃げられるはずも、勝てるはずもない。だからか、ミッチーは苦笑しながらも武器を腰に収めた。そしてその上で懐に手を入れ、
「……抵抗しても無意味でありますのでしませんよ。ただ――」
と、そこから一つの植物を出してみせる。
それは鉢に植えられた植物。盆栽と言うべきものであった。それにペールは目を見張り、
「それは――」
「ご存知でありますかな。これは“お帰り盆栽”というアイテムの一つ。“帰り木”とも同じ効果を持つ貴重品でありまして……でまあ、効果は言うまでもありませんな?」
「っ――逃しません……!」
ペールは即座に駆けた。肉薄し、そのアイテムを使われる前に一撃を与えて使用出来ないようにする。だが、
「ではまた――」
「!」
その言葉を最後に、ミッチーが盆栽の木の枝を一つ折り、同時にその場から消える。攻撃が空を切り、ペールは苦悶の声を漏らした。
「……あーもう! 逃してしまいましたよう!」
「……みたいだね。気配も完全に消えてる」
ハンティが周囲を見渡すが、やはり何処にもいないのだろう。諦めたように息を吐いている。
「お帰り盆栽か……うちにもあるけど、普通の人は大体帰り木だよね。さすがは人類を統一した藤原家の重鎮ってところかな」
「呑気な事言ってる場合じゃないですよう! せっかくの私のご褒美が……!」
頭を抱えて落ち込む。まさか本当に逃げられるとは思ってもいなかった。
お帰り盆栽とは、一枝折れば拠点に帰ることが出来るレアアイテムで、帰り木というアイテムと同じ効果を持つ上位互換だ。
帰り木は一度使えば使えなくなるが、お帰り盆栽は使っても折れた枝は10分程度で再生するので何度でも使うことが出来る。
ハンティが言うように、自分達も一つ持っているが、基本的には帰り木を使っている。お帰り盆栽も迷宮に潜る際には使うこともあるが、貴重なので誰か一人が常に持っていることはない。単独行動などの必要な時だけ保険として持たされるくらいだ。
「……まあ逃げられてしまったものはしょうがないし、一度レオンハルトの様子でも見に行こうか。戦いに勝ったことには変わりないし」
「……そうするしかないですよねぇ……はぁ……レオンハルト様になんて言えば……」
敵の将を前にして逃げられた、など彼の使徒としてあるまじき失態だ。なので肩を落としていたが、
「あたしも仕留めきれてないし、そんなに心配しなくてもいいんじゃない?」
「――えっ、そうなんですか?」
「敵も不死で時間掛かりそうだったし、適当にあしらってきたからね」
「あっ、あー、そう言えば妖怪王が相手でしたっけ。確かに面倒そうですよねぇ、あのワンちゃん」
この間の戦いで見かけた黒部の姿を思い出して嫌な顔を浮かべるペール。明らかに自分よりも強いであろう妖怪王を相手にしていたハンティだが、さすがと言うべきか、彼女の肌には傷一つない。使徒最強は伊達ではないのだ。
だが仕留めていないことを聞いたペールは顔を綻ばせ、
「それなら大丈夫ですよね? 始祖様でも仕留めきれなかったんですし、私も同じ結果ならご褒美貰えますよねー?」
「……いや、それは分かんないけど、とりあえず怒られることはないんじゃない?」
「ですよねー! よし! そうと決まればレオンハルト様の格好良いところを見に行きましょう!」
後のことを魔物将軍に任せて、その場をハンティと共に離れる。後は追撃を行うのみであるし、少しくらい離れても問題ないだろう。レオンハルトに報告もしたいし。
ハンティは先を行くこちらを見て硬い表情のまま息を入れると、
「……もう終わってるかもだけど」
「あっ、それもそうですね! でしたら早く行きましょう! もし終わってたらそれはそれで勝利を労いますから!」
「……ま、とにかく行こうか。キャロルも先に行ってるだろうし」
レッツゴー! と腕を振り上げてペールは機嫌良さげにしながら、ハンティと共にレオンハルトの元に向かった。
「……それにしても、陰陽術か。ちょっと戦ってみたかったんだけどな」
道中、ハンティがニヤリと笑みを浮かべながらそんなことを言う。ペールが半目を向けて、
「……始祖様。最近、好戦的になりましたよね。レオンハルト様みたいですよう?」
「――はぁ!? いや、違うから! ちょっと戦ってみたいと思っただけだし! レオンハルトみたいに笑ってないから!」
その言葉に過剰なほど声を大にして否定をするハンティ。あまり見ないレアな様子にペールが面白いものを見たという風に笑顔を向けると、
「いやでも、今ちょっとニヤリとしてましたし――」
「だから違うから! これはちょっと……思い出し笑い的なそういうアレで……とにかく行くよ!」
「あっ、待ってくださいよう! そんなに嫌がらなくても、レオンハルト様みたいで素敵ですよー? あ、ひょっとして恥ずかしがってるんですかー? 始祖様ってばとっても可愛いですね――」
「…………雷撃!」
「ぎゃー!?」
怒って先に行ってしまったハンティを追いかけながら、ペールはニヤニヤしながらハンティをしばらくからかい続け、やがてお仕置きの雷撃を喰らい、今日一番のダメージを負うことになった。
……実に、危ないところでありましたな。
菅原ミッチーは拠点にしていた場所まで帰ってくると、ほっとしたように一息をついた。
敵の使徒との戦い。こちらは式神や召喚札を用いて善戦したが、使徒がもっと早くに出てきていれば終わっていたかもしれない。それほどの強敵であった。
加えて後からやってきたもう一体の使徒は更に強そうな気配を醸し出していたし、出現を察知することも出来なかった。あの場で死んでいた可能性だってある。
だが生き残れはした。ゆえにミッチーは再び仕事に戻る。配下の報告を聞き、撤退の指示を出しながら、
……石丸殿はまだ……。
まだ戦っている。かの魔人と。
後方の部隊が撤退するまでの時間を稼ぐため、魔人を一人で引きつけた。そして他の者達の活躍もあって見事にそれを成功させた。ならばもういつ撤退してもいいはずだが、
……それは出来ませぬか。
おそらく帰ろうとはしないし、帰ることも出来ないのだろう。あれほどの相手と死闘を演じているのだ。背を向けるような隙はあるまい。
戦いは敗北。どれだけの被害が出たかはまだ正確な所は解らないが、少なくとも50万は死んだだろう。それで済んだだけマシな方だ。あの魔人とそれに引っ張られるように士気を増した魔軍相手では、こちらが全滅する可能性だってあった。それだけでも防げたのは僥倖だろう。ただ、
……このままでは、負けてしまいますな。
今回の戦いではなく、魔軍との戦争の事だ。一度にこれだけの数が減り、主だった将でも歯が立たない敵の強大さ。こちらはジリ貧だが、向こうにはまだ余力がある。さらなる増援や魔人の参戦がないとも限らない。十中八九負け。勝ちの目があるとすれば、やはり石丸の存在だ。
……石丸殿が魔人に勝利してくれれば……。
それを願うことしか出来ない。軍師として情けない限りだが、魔人をどうにかしなければ何度戦ったところで今回のように蹂躙されるだろう。前回の戦いで上がりきった士気も、今回の戦いで地に落ちることは容易に想像出来る。時間を稼いだところで厭戦気分が高まるのみで、事態が良くなることはないだろう。傘下の多くが離反。脱走兵もかなり増えるだろうし、これ以上の徴兵は難しい。
故に石丸の勝利は最低限の条件。最悪は、この戦いで石丸が死ぬこと。現実的なのは何とか生き残ってもらい、次に備えてもらうことだが、
……月餅殿。頼みますぞ……!
人外の存在であろう仲間を想う。人外ではあるが、数十年間に渡って石丸を支え続けてきた戦友だ。今更叛意があるとは思っていない。
己に陰陽術を教え、様々な能力や石丸に匹敵するかもしれないと思わせる強さを持つ月餅なら、石丸を生きて帰らせることも不可能ではない。
自分が出来るのは、それを信じて後に備えることのみ。戦線を後退し、拠点を移動させるための指示を行うと、ミッチーは拳を強く握りしめながら、己の無力さを呪った。
次回辺りで、第二次キナニ平野の戦いは終わるかも? 藤原家討伐編も後少しです