広場では戦いの音だけが響いていた。
桜の花びらが強風に舞い、散った火花が沈んだ闇の空へと消えていく。
二人の剣士の戦いは加速的に速度を増し、何人たりとも立ち入ることの許さない戦場となっていた。
圧倒的な威力を誇る大技を連発するレオンハルトと、工夫を凝らした小手先の技でそれをいなす藤原石丸。
剣戟の音が激しくなる。
それが示すのはまた速度が上がったということ。
上がって、上がって、止まらない。
単純な速度による残像が見えかねない程の速さで以って繰り広げられる決闘。見る者にすら試練を与える極上の戦闘だ。
剣士という生き物がこの場にいれば、瞬きすらせず、食い入るようにこの戦いを見つめ続けるだろう。
一つ一つの剣の応酬。それを見るだけで剣の腕が一つ向上しかねない。
剣を極めんとしている者にとっては、どんな宝よりも価値のあるもの。
だが、
「傷が増えてきてる……」
ハンティがその戦いを何とか目で追いながら言う。
それは、石丸の方を指して言った言葉だ。
レオンハルトの方も、何度か地面に転がされて服が汚れてはいるが、石丸の方は薄い血の線を肌に走らせている。
それはレオンハルトの剣圧の鋭さによって負わされたものが殆どだが、中には一連のやり取りで負った傷もある。
未だ実力はレオンハルトの方が上だということの証明だ。
ならば十中八九、このまま行けば勝つ。
だが、石丸が更に成長してしまえば――
「また速くなった……!」
まだ勝負は解らない。
歯を噛み締め、石丸はレオンハルトの剣の凄まじさを感じていた。
相手は強大だ。身体能力、技術、経験、あらゆる部分で勝っている。
力は地を砕き、速さは音を置き去りにする。気を抜けば一瞬で己は命を散らすこととなるだろう。
――だが、それがどうした。
そんなことは端から分かっている。
研ぎ澄ませ。
己の感覚。内に秘めた力。頭の天辺から足の先。血の一滴。底の底から全てを絞り尽くせ。
もはや何も残らなくても構わない。
覚悟していたことだ。
勝利したところで、手に入るものは少ない。既に多くを失ってしまったのだ。もはや多くを望むことは叶わない。
だが、“勝ち”だけ。
勝利だけ。その一つさえ手に入ればいい。
勝った後のことなど考えるな。
自分だけの理。剣の極みに至ってみせろ。
己の剣を信じ、相手を越えろ。
誰にも見えぬ先へ。
誰よりも速く。
未だ見ぬ場所へ。
「おお……っ!!」
石丸は相手を見据えながら、更に力を振り絞った。
レオンハルトは石丸の動きを捉えようと目を凝らした。
剣を振るい、相手の剣を追い続ける。未知の剣ではあるが、全てを読み切ってしまえば勝ちなのだと視線を鋭くする。
その間に何度も反撃され、躱され、転がされるが致命は一つもない。剣による傷は一つも負っていないのだ。
最強の剣士であるという自負。その道の覇者が挑戦者の剣を真っ向から受け止めないはずがない。
その上で勝利する。
自信はある。それだけの力が、自分にはあるのだ。
だが、
……まだ速くなるのか……!
レオンハルトはその石丸の動きの鋭さに違和感のようなものを感じる。
それは石丸の、異常な成長速度。
剣を合わせれば合わせるほど、石丸の動きが鋭くなっていくのだ。
常に有利なのはこちらで、相手の対応は常に後手。
後の先を取ろうとする剣が、石丸の剣だが、とはいえ不利であることに間違いはない。
だと言うのに、石丸の剣は段々と、こちらの良いところを突いてくる。
未だ読みも追いつかず、石丸の剣だけが研ぎ澄まされていく。
それは、
「! ……そういうことかよ……!」
不意に、レオンハルトはその正体に気がついた。
石丸の剣が成長していく原因。その大本だ。
……こいつの剣を急激に今、引き上げているのは――
それは、
……他の誰でもない――
石丸の強さ。それを引き上げているのは、他ならぬ己の剣である。
剣が合わさる度に、石丸はレオンハルトの剣を見て、吸収し、成長している。
千年分の経験値が詰まったレオンハルトは、剣士にとって餌にも成り得る。
無論、実力が離れすぎていれば剣の理の一端も理解出来ずに終わるだろう。
だが石丸はレオンハルトと同等の才能を持つ剣士。そして戦った数も一回ではない。
都合二度、石丸はレオンハルトと戦い、敗北している。
一度でも負ければ死に絶え、それ以上剣の道を行くことは出来ないが、幸運にも石丸はその二度を生き残った。
そして三度目。新たな剣を携えて勝負を挑んだ石丸は、この三度目でレオンハルトの剣に追いつこうとしている。
感じた違和感とは――
今まで一度も感じたことのない、背後から追い抜こうと迫ってくる感覚に、レオンハルトは戦慄したのだ。
吹けば飛ぶほどに脆弱な筈の人間は、その可能性を振り絞り、力を増し、強くなっていく。
レベル如きでは測ることの出来ない――人間の、剣士の底力。
限界に達して、なお、限界を越えてくる相手との邂逅に、レオンハルトは身震いするような感覚を得た。
……やるじゃねぇか……。
口端に笑みが浮かぶ。
やはり、人間は強い。
可能性の塊だ。
己如きでは、その全てを悟り、測ることは叶わない。想定を越えてくるのが人間だ。
例え敵わないと分かっていたとしても。
諦めることなく、可能性を追い続ける。
それは愚かとも言えるのかもしれない。
高位の存在はそんな人間の在り方を見て、馬鹿だと、嘲笑うのかもしれない。
だが、石丸の表情は物語っている。
――笑いたいなら笑え。
それでも、自分の道は自分で決める。
例え百年と満たずに散る、儚い命であったとしても。
魂を燃やしながら、この世で戦い続ける。
……強いな。
知ったことかと、人の生き様を見せつけるように戦う石丸に、レオンハルトは本心からその在り方を強いと認める。
人の弱さを嫌というほど知っているが、それでも人を信じるのは、その可能性を信じているからかもしれない。
どんな人間にも可能性があり、良くも悪くもこの世を動かすことが出来る。愚かだからこそ、その先の事など考えないのだ。
世界を救うような人間は、目の前の人間の様な、
だが、
……俺は負けねぇ。
限界が来ていないのはこちらも同じことだ。
仮に限界が訪れても、その程度で諦めることはない。
自分の可能性を信じているのは己だって同じだ。お前達だけではない。
それが人間だと言うなら己とて、人間としては先輩だ。その人間の可能性を、更に高めた魔人だ。
ならば人間に出来て、魔人に出来ない道理はない。
……ああ、そうだ。追いつきたいなら追いついてこい。
追いついた程度で、自分は負けない。二度と負けないと誓ったのだ。
己の得物である魔剣を強く握る。与えられ、活かそうと信じて鍛え上げたこの剣の腕。
何人たりとも上には行かせない。その意志を示す。
「――行くぞッ!」
「……! 何ッ!?」
視界の中の石丸が上を見上げて、驚愕する。何故なら、
「跳躍した……!?」
「普通に使うと危ねぇからなッ!」
足に力を込めて跳び上がり、宙に身を躍らせる。眼下にいる石丸を見据えたまま、レオンハルトは気を高めた。
それは己の必殺技の一つ。己の剣気を放出して相手にぶつける必殺技だ。
力を溜めて、レオンハルトは地面にいる石丸を捉えると、
「――“
「っ……!」
瞬間、力の塊である白の奔流が、石丸に向かって放たれる。狙いは簡単だ。これなら、
「防ぐことは出来ねぇだろ!?」
防ぐことも、そして躱すことも難しい。そのために上空から大地に向かって放ったのだ。
平面から撃つと、側面に回られて躱される。その可能性を排除した。
爆発した剣気の放出は、極太の光線となって地面を穿つ。石丸の相手の剣を受け止める剣術も、これなら使用することは出来ない。
“陽炎”を使っても関係ない、上から降り注ぐ面の攻撃。一撃で相手を消し炭にしてしまうその必殺の剣は、しかし――
「――
「ッ……!」
――何者にも当たることはなかった。
レオンハルトが落下中に背後に感じた気配。そして声に気づいた。
そこにいたのは藤原石丸。おそらく、陽炎を使って同じ様に跳躍したのだろう。
「――やりやがる……ッ!」
「おお……!」
レオンハルトは気づいた。この状態での防御は不安定であり、動作もギリギリであると。
必殺技を放った隙を狙った。言葉にすればそれだけのことだ。
だが、その意味はとても大きな意味を持つ。
「ッ……!」
宙に、赤い雫が僅かに落ちる。
「あ……!」
それを目視した者は震える。その赤の意味に。
極々小さなものではあるが、それを成したことには変わらない。
「――レオンハルト様に、傷を……」
石丸の剣が、レオンハルトに傷を付ける。
その意味は単純明快。
たった一回のやり取りであろうと、
「ようやく、一つ……!」
――この瞬間、石丸は確かに頂点に並んだのだ。
「クク……」
その結果を受けて、レオンハルトは口端を歪めた。
「クハハ……!」
己に傷を負わせた。無敵結界があれば防げたものであるが、そういう問題ではない。
「クク、クハハハハッ――!!」
己が防ごうとして、防ぎきれなかったことに、意味がある。
相手が、自分に、僅かでも並んだことに、レオンハルトは歓喜する。
――ここまで来たか。
追いついてきた挑戦者を心から称賛する。
まだ愉しめるのだと。こんなところでは終わらないのだと、全身で訴え、強い意志を見せてくれている。
なら、
「――まだ行けるよなぁ!?」
「――当たり前だ! 剣士であれば、当然……!」
幾重にも行われた剣技の応酬。その消耗はゼロではないはずだ。
だが石丸は、それを否と突き返す。その程度で、そんなことで終わる筈がないと。
例え限界が訪れようとも、
「ハハッ、剣士ならこれくらい、普通だよなぁ!!」
「ああ! 剣士であれば! これくらいで戦いを止めることはせん! 剣士は光線だろうが地震だろうが動じることはせん! 嵐の中であろうと剣を振る!」
レオンハルトと石丸にとって、体力など些末な事だと。
剣士であればどんな状況だろうと最期の時まで剣を振る。剣士にとっては極普通。誰でも出来ることだと二人は声に熱を入れて語る。
その言葉を聞いて、ハンティは、
「いやいやいや、アンタらだけだから……!?」
と、ツッコミを入れつつも、微妙に武者震いをした。
だが直後、
「――ッ!」
「――!」
更に戦いは激しさを増した。
二人の剣士の戦いは、一つの終着点に達していた。
王道の剣。強者の剣を振るう魔人レオンハルトと。
挑戦者の剣。弱者の剣を振るう人間、藤原石丸。
頂点に達するは前者。しかし後者も追いついた。
そうして二人は、同時にある事を感じる。それは、
――剣は、
剣の理。本物の修羅にしか到達することが出来ない剣の道を極めてなお、その先には道があるということ。
「“震天”ッ――!」
「“猿廻”っ――!」
仮に――剣の神と呼ばれる者がいるとするならば。
「“瞬光”ッ!」
「“陽炎”……!」
それは、この二人のどちらかである。
――或いはまた別の、剣の神という者が既に存在していたとしても。
二人は――
二人が足を踏み入れているのは、剣の神域。
レオンハルトが最初に到達したそこに、石丸は一太刀で以って足を踏み入れた。
たった一太刀。されど一太刀。
しかし剣術に於いて神にも等しいこの男に、一太刀を入れることは並大抵の事ではない。
誰にも異を挟むことは出来ない。結果で証明した。彼は確かに、並んだ。
千年分の経験値を凄まじい速度で吸い上げ、追いついた。
そうして同じ領域に立った二人の剣は、相手の剣を通じて更にその高みを引き上げる。
一瞬一瞬が最高の時間。
誰にも見えぬ先へ、誰よりも速く駆け抜けていく。
遠い頂きへの道を、瞬く間に加速し、創り上げていく。
その先に、何が見えるのか。
それは二人にしか分からない。
だが、確かに言えることは、
「やるな……!」
「そちらもな……!」
だが、とレオンハルトは微笑を作って言う。
「そろそろ、か」
「ああ、残念だがな」
二人は不意に、勝負の終わりを悟る。
無論、戦う力はまだある。体力が尽きても戦うと言ったのは嘘ではない。
しかし、これ以上は緩やかに落ちていくのみ。
長く戦えば、それだけ鋭さは劣っていく。
ならば、頂点に達している今この時に、終わらせるのが良いと、同時にそう思ったのだ。
「……剣というのは不思議だな」
「ああ」
もはや敵意などはない。
「たった一本の剣が、棒に刃を付けただけのものが、ここまでのものを生んでしまう」
「ああ」
そこにあるのは自分を形作ってきた全てのものへの感謝。
それは眼の前の、敵であるはずの相手も例外ではない。
「だからこそ――剣は面白ぇ」
「ああ――違いない」
それは、本来交わることのない二人が、初めて語り合った事。
最初で最後の、友としての語らい。
それを最後に、二人は剣を構える。
魔剣と神剣。二人の剣の煌めきが月明かりを反射し、桜の花がその光景を彩る。
風の音すら止んだ決闘の場は、静寂に包まれる。
見る者すら瞬きを忘れ、息を呑んだ。その瞬間の訪れを感じ取る。
剣の宴も最早これまで。戦乱の絶えないこの戦国の世に出会った二人の英傑は、最後の一刀を以ってその運命に幕を下ろす。
この戦乱の世の隨の定めに従い、彼らは修羅となり、剣を交える。
二人の神気、鬼気、剣気、全てが入り混じった気が膨れ上がり、地を揺らす。
放つのはお互い、己が持つ至高にして最強の一刀。
二人の持つ夢、思想は違えど、今この時に共通する想いがある。
それが、
――さあ、覚悟は良いか?
覚悟はとうに出来ている。ならば、
――“勝つ”。
「――――“魔仭王剣”」
「――――“桜花剣乱”」
いざ尋常に――勝負!
二人の一念が今、激突した。
その剣は、人にして魔。剣の王の剣。
古今東西。剣王、剣聖、剣帝、剣神。様々な呼び名で語られる伝説の男の、未だ誰にも見せたことのない正真正銘の秘奥。
最強であることの証明である。
その理は、やはり王道。
敵を討ち倒し、その上で己の意志を貫き通さんとする男の剣。
誰にも見切ることの叶わない不可視にして最強の魔剣。
細かな道理など不要。
最大の力と最大の速さを以って、全てを斬り伏せる。
負けは許されない。
自分の大切な者達のために、これからもやるべきことは多くある。
脳裏にはその者達の姿が映る。
そしてその中には、白い髪を靡かせた――
――“勝つ”!
そして、剣の王は剣を振った。
――男には夢があった。
その夢を最初に思い描いたのは幼き日のこの季節。
桜舞い散るこの光景を見て、この時を夢見た。
まるで夢幻。
人として生を受けたことに後悔はない。厳しい環境に置かれたことにも不満はない。
是非もなし。
今まであった全ての物事が、己をここまで成長させてくれた。
視界の奥には、その大切な者がいる。
既にいなくなった者達も、不思議と近くに感じられる。その全ての者達に伝える。
――ありがとう。
お前達がいたから、自分はここまで夢を見ることが出来たのだ。
この身砕けたとしても、そのことを忘れはしない。
その全ての想いを集約した石丸の剣。
その理は王道とは似て非なるもの。
頂点に挑むために鍛えた剣は、今この時に頂点と剣を交えたことで息吹を上げた。
今までは想定していても、未完成の剣であったこの剣は、眼の前の男のおかげで完成する。
憧れて、憧れて――夢破れてなお、また目指し、勝ちたいと思った男。
――いざ、行かん。
彼を目指したからこそ、幾つもの縁を結び、ここまで登ることが出来たのだ。
そして今、このようにして剣を交えることの何と幸福なことか。願わくば、この身朽ち果てても、この剣を只振っていたい。
しかしそれは叶わぬ夢。人の世は泡沫の如く。
己の剣に感じる手応えから、雲耀に達するその魔剣が迫ってきているのを感じる。
――ああ、そうだ。そろそろ、辞世の句でも考えておかねばな。
武士には必要なことだ。不思議と時間は長く感じられる。読む時間くらいはあろう。
この手のものはあまり得意ではない。しかし、
――出来た。
不思議とそれは直ぐに出来た。自分の想い、それを乗せればよいのだと。
――“疾く生きて”
ここまでよく生き、駆け抜けてきたものだ。
――“人の儚き 知りてこそ”
どれだけ困難な道だろうが。
――“遠き頂き”
その頂点に、
――“されど挑まん”
例え何度生まれ変わったとしても、俺はまた――この道を選ぶだろう。
また夢破れたとしても、その時は。
……ふっ、さて、参ろうか――
これも俺の定めか。
石丸は笑みを浮かべ、そして、
「――――」
最期に見たのは桜が散る光景と――愛しい人の姿だった。
この瞬間、歴史の刻まれる剣豪同士の死合が決着を迎える。
一閃。そして剣戟。鋼の音が響いた。
「――――」
「…………」
交叉するように二人は背を向き合う。その姿を、皆は見守る。
傍目には、結果はまだ伝わらない。
だが、勝者だけは、その決着を感じていた。
「……剣で、ここまで……」
言葉を発したのは、金髪灼眼の魔人だ。彼は静かな声で結果を口にする。
「剣で……ここまで、傷を付けられたのは、初めてだな――」
その言葉に、まさか、という想いが使徒達の中に沸き立つ。
「
しかし、レオンハルトは続く言葉を放つ。腹の部分には斬撃の痕。血を口から滴らせながらも、
「――俺の、勝ちだ……!」
「……!」
――勝負あり。
背後では、心の臓を貫かれた石丸が、ゆっくりと地に伏していく姿があった。
「石丸様……」
少し離れた場所で、その戦いを見ていた春姫は呆然と呟いた。
藤原石丸の敗北。そして、一騎打ちの末に死亡。それを目の当たりにしたのだ。
何をすればいいのか分からない。
悲しさは沸き立つ。しかし、どこかまだ、実感が沸かない。夢か何かを見ているようだ。
しかし同時に、不思議な気持ちもあった。
それは、石丸の表情。まるで少年の頃のような、無邪気で、それでいて満足そうな顔をして死んだ石丸を見て、
「……そう、ですか……」
春姫は、それを悟った。
石丸が最期まで、
まるで畳の上で老衰して死ぬような満足を、得ることが出来たのだと。
刹那を生き抜いた心の底からの笑み。熱い思いを果たし、これも定めかと笑っていた。
それを感じたからこそ、春姫は膝を突くことはなかった。
視界の中では、深手を負った魔人に使徒が駆け寄って、慌てている。
だが魔人は、こちらにゆっくりと近づいてきた。
「…………」
何を言うのだろうか、と思う。
貶めるのか、それとも殺されるのか。
しかし春姫は思った。受け入れようと。
例え死であろうと、もはや抵抗することは出来ないし、その権利もない。
自分は捕虜であった。そして、そのための救いはいなくなった。
心残りは一つだけあるが、もはやままならない。
五十年の世の英華も、仇桜の如く、一瞬の後には一炊の夢となるのが無常なるこの世の常。
ならば私も武士の妻として、人の世の定めを受け入れて笑いましょう。
最後まで己を貫き通した――愛する男の様に。
故に全てを受け入れるのみだと、春姫は瞳を瞑り、僅かに首を見せるように顔を上げた。
そんな時だった――
「――母上っ!」
「……! もも!?」
不意に、こちらの前に躍り出るように現れた影。
それは自分と石丸の娘――ももだった。
「子供……?」
使徒がももを見て疑問を漏らす中、ももは魔人の前に立ち塞がった。
「もも! 何を――」
「っ!」
どうしてここに、とも思うが、ここは実家の屋敷よりかなり近い場所であることを思い出す。子供の時の自分達ですら来ていた場所であった。
どこにいるのかを心配してはいたが、おそらくそちらに預けられていたのだろう。石丸の手によって。
そんなももが、何故かここに来て、魔人を見上げている。
その光景に、春姫は最悪の事態を想像し――しかし何処か不思議と見守る自分がいた。
まるで誰かを見ているようであった。
「…………」
魔人レオンハルトは勝負を終え、不意に現れた子供に面食らっていた。
おそらくは石丸と春姫の子供。一体どのタイミングでやってきたのか。普段であれば気配で感づくところを、石丸との勝負に集中しすぎていたせいか気づくことが出来なかった。
しかし何にせよ、この子供は自分の前に立ち塞がっている。
……まさか、俺と敵対するつもりか?
何を思ったかは知らないが、父親が殺されたことで思わず行動に起こすこともゼロではない。
「……何だ?」
「…………」
ももと呼ばれた子供は、問いを掛けても口を発しない。
いや、発せないと言うべきだろうか。こちらの存在感に怯え、足は震えている。
子供にとって、魔人の気配はそれだけで気絶しかねないもの。当然といえば当然である。
だがレオンハルトは、ふとその行動の意図に気づいた。
腕を広げて、こちらを見上げている。その意味は、
「……母親に、手は出させないと?」
「…………!」
声を発することはない。
しかしその視線は、こちらの眼を捉えたまま一切逸すことなく、その意志を言外に伝えてきている。
吹けば飛ぶような小さな命。挑みかかっても死ぬだけだと分かっているのだろう。他の行動は一切取らない。
ただ涙を堪えながら腕を広げて、母親の前に立ち、こちらを睨みつけているだけだ。
だが、
「……父親に、よく似ているな」
その瞳に映る意志の強さは、まるで石丸を思わせるような輝きを放っていた。
「レオンハルト様……えっと、その――」
「――いや、いい」
ペールがこちらと子供を見て、迷ったような様子の言葉を掛けてきたが、それを否と言う。
「随分と、深手を負ったからな。さっさと帰るぞ」
「そ、そうですわ! 子供に構ってる暇はありませんのよ!」
キャロルがあたふたと慌てたように言う。それを可笑しく思いながらも、レオンハルトは子供に声を掛けることにした。
「戦いはもう終わった。母親を連れて何処へなりとも行くと良い」
「……」
だが、まだ立ち去ろうとはしない。その意味は、
「……ふ、敵に背を向けることはしないか」
その心に秘めるのは、武士道。
……良い薫陶を受けているようだな。
将来は立派に育ちそうだと思う。道が交わることはあり得ないだろうが、
……いや、それは分からない、か。
決めつけては足を掬われる可能性もある。子供の可能性は馬鹿に出来ない。
意志は受け継がれる。この幼子も、いずれは一廉の器となって大成することもあろう。
魔人は微笑を浮かべ、その横を通り抜けた。
「ならここは退かせてもらうか。今襲われては、
行くぞ、と使徒達を連れて立ち去ろうとする。
背を向け、山を降りようと足を踏み出したところで、レオンハルトは最後に声を聞いた。
「――ありがとう、ございました」
「……!」
それは横を通り過ぎ去ろうとした時に聞こえた春姫の感謝の言葉。
石丸のこと、子供のこと、色んな意味の籠もった言葉だろう。
だがレオンハルトは、少し歩いたところで、徐ろに想いを口に乗せた。
「……人の可能性、か」
最後まで己の意志を貫き通した多くの武士達。
石丸を待ち望んだことは間違いではなかったと、レオンハルトは浮かぶ月と夜桜を見上げる。
そんな時、一片の桜の花びらがひらひらと自分の前に舞い落ちてきた。
何となく掌を広げると、花びらは掌に落ちる。
……あの世で存分に誇れ。
その花吹雪の、儚くも美しい最期の散り際の光景を、決して生涯忘れることはないと――レオンハルトは心に誓った。
――かくして、男は答えを得た。
――二人の剣士が戦ったと云われるその山は、戦いの激しさを物語っているようであり、“剣の聖地”として多くの剣士の知るところとなる。
――そこには世界最強の剣士と、それに挑み続けた藤原石丸という一人の男の軌跡がある。
――多くの英傑が散っていった戦乱の最後を弔うかのように桜の花びらは舞う。
――夢を追い続けた一人の男の物語はこうして、幕を閉じたのである。
皆さんどうも。黒岩です。いつも魔軍参謀の憂鬱を応援頂きありがとうございます。
これにて五十話も続いた藤原家討伐編は終了となります。
色々ありましたが無事長編を一個片付けることが叶いまして嬉しい限りです。めちゃくそ長いのは平にご容赦を。やっぱ日本人だからか、JAPAN勢の描写には力が入りますね
そしてとうとうNC期も終盤戦に入ります。投稿速度が速ければ、3月くらいにはGL期に入れそうですね(フラグ)
そんでいつも、誤字報告、感想、評価を下さってありがとうございます。お気に入りやUAもいつの間にか凄いところまできました。ここまで続けることが出来ているのも皆様のおかげであります。
そんなわけで次回もお楽しみに。