――NC7XX年
魔物界北東部。そこにある街は普通の街ではない。
通常、魔物の街といえばツリー都市のことを差す。世界樹と呼ばれる大きな木の中、その周囲に作られる街のことだ。
だがここ――レオンハルトシティだけは、その名を冠する魔人によって建築された街であり、文化的な生活を送ることの出来る街。
謂わば魔物界の最先端ともいえる街である。人類圏よりも上かもしれない。
何故ならこの街の開発、運営などに関わっている人材は人類圏のそれよりも豊富かつ優秀であり、更には管理者は優れたものを迅速に取り入れているからである。
魔物が家や家庭を持ち、職務の傍ら外食を行い、休日には公衆浴場や劇場、各種娯楽に興じて生活に潤いを与える。高級将校である魔物将軍の家ともなると、もはや人間の貴族の様であり、庭付きの屋敷に、会員制の高級店。VIPが与えられ、快適な生活を送ることが出来る。
その生活レベルの高さは、人類圏からたまに連れてこられる人間が、軽くカルチャーショックを起こすほどである。
そんなこの街の中心にはこの街の建物の中でも一際大きい建物がそびえ立っている。
紅魔城と呼ばれるその城は、この街を治める支配者の城だ。
数多の戦争に勝利し、魔物界に繁栄をもたらし続けている”魔物界の英雄”と呼ばれる魔人。
「――馬鹿な……」
城の一室にあるソファに座り、テーブルの上を見て頭を抱えている金髪灼眼の美丈夫がいる。
見る者を怯ませる鋭い眼と整った顔立ち。無駄なく鍛え上げられた肉体を黒を基調とした衣服で身を包んでいる、圧倒的存在感を醸し出す魔人がいる。
彼こそが魔人レオンハルト。魔人の最高位たる魔人筆頭。そして魔軍の総指揮を行う魔軍参謀の任を担う魔人である。
その名を知らぬ者は大陸に存在しないのではないかと思うほど有名な魔人。その逸話には事欠かない彼である。
特に戦闘面に関しては世界最強の剣士として名高く、先の大戦でも、その実力を遺憾なく発揮した。
そんな彼が今、頭を抱えて落ち込んでいた。
その理由は、
「この俺が……負けただと……」
そう。信じられないかもしれないが、負けた。
最強の魔人と名高いレオンハルトは、敗北した。それも一度ではない――
何度やっても勝つことが出来ない。己の腕に絶対の自信を持つレオンハルトである。自称ではなく、誰もが認める強さの持ち主。
本人も負けるはずがないと思っていた――が、負けた。何かの間違いかと思い、もう一度挑んでみるもまた負ける。戦法を変えて挑んでみても勝てない。普段であれば絶対やらないであろう“命乞い”も行った。
しかしそれでも勝てない。
圧倒的敗北を味わったのだ。
「あ、ありえん……何故この私が敗北する……!」
そしてもう一体、敗北に震えているのはレオンハルトだけではない。
レオンハルトの隣でソファに座り、同じ様にテーブルを見ながら頭を抱えているのは巨体の魔物だ。
彼の名はバルカ。こちらもレオンハルト程ではないが、有名人ではある。
魔軍に7名しかいない魔物大将軍。その内の一人。ケッセルリンク軍を預かる魔物大将軍がバルカである。
自分自身の事を稀代の天才軍略家と自賛して止まない彼は、その自惚れに見合った天才的な戦略、戦術で幾度も魔軍を勝利に導いている。
役職柄、レオンハルトと話すこともそれなりにある。特に同じ軍を動かす優れた戦略、戦術家である。その話題は仕事の事も多いが、画期的な新戦術について話し合うことも多い。
先の戦いで行った飛行魔物兵を使った空爆も、レオンハルトとバルカ。そして
そんなバルカは、仕事でケッセルリンクと同じ様にやって来ると、レオンハルトと同じ様に敗北した。
何故勝てないのだと。自分は天才ではないのかと。自分が一番自信のある分野なだけに、ショックが隠せない。
そしてこの両者に土を付けた者が、対面に存在する。彼女は二人を見て珍しく困ったようにオロオロしており、何を言っていいか分からない様子である。
そんな光景を見て、部屋の隅で息を吐くものがいる。呆れたような溜息を吐きながら、半目で彼らを見るのは魔人レオンハルトの使徒であるハンティだ。
使徒になってから色々あり、研究者になったり街の治安を維持していたり、最近だと戦闘狂になって暴れまわっていることも多い彼女だが、元来お人好しな彼女である。
ゆえにハンティは見かねて助け舟を出すことにした。一息、レオンハルトとバルカを見て、
「……別にいいじゃない。たかが――」
ハンティが机の上にある物を見て、言葉を一度止める。
それこそがレオンハルトとバルカが敗北した物。その正体は、
「……え~っと、何だっけ……ああ、そうだ。たかが”将棋”に負けたくらいで――」
「たかがじゃねぇ!」
「たかがじゃありませんが!?」
机に置かれた木の盤と駒。それを指してレオンハルトとバルカが叫ぶ。それを見た対面の勝者は困った様子で、
「あ、あの、レオンハルト様? こ、これはその……そう! 偶然ですわ! まぐれ勝ちですので気にしないでいいですの!」
レオンハルトの使徒、キャロルは、明らかに気を使った様子で二人に偶然だと言い放った。二人は揃って叫ぶ。
「「これだけ負けてるのに偶然な訳あるか!!」」
「へ!? あ、あの……それは……」
「……はぁ……何でこんなことに……」
ハンティは落ちた駒の一つを拾い上げて溜息を再度漏らす。
そもそも何でこんなことになったのか。それを思い出すのであった。
少し前。
レオンハルトはいつもの様に執務室で仕事を片付けていた。
「こっちを頼む」
「畏まりましたわ!」
「ハンティはこっちの警備関連の書類だ」
「……なんかアタシ。いつの間に警備の責任者みたいになってない?」
ハンティが気になっていたことを尋ねる。いつの間にか魔法研究だけでなく、担当として街の警備、治安の担当になっている気がすると。
「何だ。やりたくないのか?」
「……やりたくないって言ったらどうするの?」
重ねて質問すると、即座の答えが来た。書類から視線を逸らさないまま、
「別にどうもしない。別の奴がやるだけだ」
「……やるよ。ほら、貸して」
「ん」
微妙な表情に変わった後に、レオンハルトから書類を受け取る。自分以外にやらせるとなると、それはそれで困らせてしまうのが嫌だった。
ハンティは何だかんだで責任感が強く、お人好しなのである。一度引き受けた仕事を放り出すようなことはしない。
そのせいで最近はかなり忙しくなっているのだが、頼まれたのは確かでも、引き受けた自分の責任でもあるので何とも言えない。
一番気分的に嫌なのが、最初は嫌々だったはずの模擬戦の時間が、一番の息抜きに感じることである。ドラゴンの本能的に細々とした書類仕事や、頭を使う魔法研究、大人しい方であるとはいえ、荒くれ者の魔物兵が多く住まうこの街での治安維持などの気を使う仕事よりは、何も考えずに全力で身体を動かす方が楽しく感じてしまうのだ。だから楽しいのはしょうがない、とハンティは自分を納得させておく。
とはいえ別の息抜きもしたいところであった。今も研究室から直接やって来たため白衣を着たままで、しかも魔法具に魔力を込めながらである。
ぶっちゃけおやつでも食べながらだらけたい気分である。しっかり者のハンティではあるが、休みの取り方が分からないで何百年も働くような主や、主の為ならガチで不眠不休で働きかねない先輩とは違って、別にワーカーホリックというわけではないのだ。意外と昔は、ぼーっと景色を見て過ごすことも多かった。だらけるわけでもないが、幾らハンティでも一年に数度くらいはそういう気分の時だってある。
そんなことを思っていると、
「――ご主人様。お茶とお茶菓子をお持ちしました」
三回のノック。仕事中であるためか、レオンハルトの短くも淡白な返事を聞いて部屋に入ってきたのはこの城のメイド長であるメイド長さんだ。
女の子モンスター、メイドさんの突然変異体であるメイド長さんはその手に人数分のティーカップとティースプーン。そしてケーキの乗った皿を乗せたトレイをテーブルに置く。
時刻はちょうど昼の三時である。メイド長さんが時間を間違えるはずもない。
つまり彼女が来たということは、小休憩の合図であった。
「……よし、じゃあ休憩にするか」
「了解ですの!」
「やっと休憩かぁ……」
「待ってました!」
「おお、来たか。早く食おうぜ」
皆が執務用の机から離れ、横に長いテーブルの席につく。
この時ばかりは味音痴で特別食事に興味があるわけではないハンティも気分転換となる。
「本日も、料理長が
「ああ。ご苦労と伝えてくれ」
――というか、料理長がヤバ過ぎるせいでもある。
何がヤバいのかと言うと、あの化け物料理長。この城に住まう全員、そして良く来るお客の好みを全て把握している。
城にメイドだけで百人近く。親衛隊や客も合わせると二百や三百を越える数である。その全ての好き嫌いを把握し、それぞれに合った品を出してくるのだ。
同じメニューの時でさえ、味付けを微妙に変えたり、健康状態や気分を考えて材料や分量を調節し始めるのである。味音痴のハンティ相手でも例外ではなく、絶妙に食べたくなる料理を作ってくるのだ。
心遣いは嬉しいが、あの料理長はどんだけ化け物なんだと思う。メイド長さんが言った様に、腕を振るいに振るったのだろう。物理的に。
だが、別の部分で気になることもある。それは、
「……で、何で二人まで自然に入ってきてるのさ」
「え、駄目なの?」
「美食のある場所なら俺はどこにでも現れるぜ」
気づけばガウガウ・ケスチナと魔人ガルティアが同じ様にテーブルに付いてきた。凄い自然にメイド長さんと一緒に部屋に入ってきたので、何か用事でもあるのかとスルーしていたのだが、
「何だ、集りに来たのか」
「おう。暇だったからな」
「そうか」
レオンハルトがガルティアと軽いやり取りを行う。長い付き合いなだけあってその呼吸は自然だ。
……まあ、ガルティアは暇だろうねぇ……。
内心で、嫌味ではないのだが、そんなことを染み染みと考えてしまう。
魔人はレオンハルトが良く言うように何をするにも自由であり、行動に制限はない。
あるとすれば上位からの命令。魔王からのものくらい。もしくはレオンハルト。魔軍の仕事は部下の魔物将軍などに任せることが出来るので、ガルティアは戦う時以外はだいたい食事して、食べ歩いて、飯を探しているのだ。魔人一のグルメは伊達ではない。
こうやって集まってくることも多い。なので何の不思議でもない。少し羨ましくはあるが。
と思っていると、
「私も暇だった」
「いや、アンタは暇じゃないでしょーが!」
ガウガウがそんなことを宣ったので、ハンティは思わずツッコミを入れた。言うと、ガウガウは、え? と驚いた表情になり、
「酷いよハンティ! 私にだってお菓子を食べる権利はあるはずだ!」
「それはちゃんと働いてたらだよ! アンタ、ついさっきも、”休憩先取り~”とか言って研究室で一時間くらいお菓子食べてたじゃない!?」
「うっ……」
ガウガウが怯む。図星の筈だった。
ハンティは先程、こちらに来る前にも魔法研究室で研究を行っていたが、同じく部屋にいたガウガウはメイドに注文してお菓子を食べながらごろごろしていた。
「……記憶にございません」
「何都合の良いこと言ってんの! ほら、研究室に帰る!」
「嫌だ! 私は絶対おやつを食べるまで帰らないぞ!」
……こいつ……!
またしてもおやつ休憩を取ろうとするガウガウにハンティはイラッとする。あまりこういうことを言いたくはないが、真面目に働いている自分が馬鹿みたいだ。
こんなのでも、魔法具を生成する”付与師”としては天才、多くの功績を残した高名な魔法研究者なのだ。あの悪名高い魔人レッドアイを作った張本人であり、ある意味で人類の敵のような気もするが、本人は至って真面目に、一応は真剣にレッドアイを正常に戻そうと頑張っているらしい。とてもそうは見えない。
天才にありがちなマイペースで、我儘。きっと頭脳と食い意地に大人になるための栄養を全て取られたのだろう。おかげで身長と胸が――いや、胸のことを言うのはやめよう。人として最低なことだ。
とはいえお灸をすえてやらねば、とハンティは何時も通り魔法を発動する。ツッコミ用に弱くしたものだが、
「――雷撃!」
「っ!」
指の先から出た魔法の雷がガウガウに向かっていく。
しかし、
「――無駄無駄ぁ!」
「……へ?」
何故か、雷がガウガウの身体に当たった瞬間、ダメージを負わせることなくかき消える。不意の出来事に間の抜けた声を上げていると、ガウガウはポケットからあるものを取り出してニヤリと笑う。
「くくく……! 天才の私には抜かりはないのだよハンティ! もうハンティの魔法は私に効かない!」
「なっ……!?」
何気に凄まじいことを言い出したハンティは目を見開いて絶句する。
何をふざけたことを、と思わないでもないが、実際に先程、こちらの魔法を無効化したのも確かだ。
「……まさか、魔法の完全無効化か?」
「へぇ、だとしたら凄いな」
「凄いですの! 天才ですの!」
傍観していたレオンハルト達も、さすがの発明品に舌を巻く。注目を集めたガウガウは更に得意気な表情になると、
「くくく、その通りだ――と、言いたいところだが、まだそこまではいかない!」
そうではないとガウガウは自信満々に胸を張って言う。ハンティはまだ困惑しながら、
「じゃあ、どうして私の魔法を……」
「ふふん。知りたいか? 知りたいか? ――私を天才と崇めるなら教えてやってもいいぞ! 天才美少女魔法研究者、ガウガウ様と呼ぶがいい……!」
「ぐっ……調子に乗って……!」
物理で殴ってやろうかと拳を握るも、その前に横から声が飛んだ。
「教えてくださいませ。天才美少女魔法研究者であらせられるガウガウ様」
「くっくっく! しょーがないなぁ……! そこまで言うなら教えてやろう! 私の偉大なる発明品をっ!」
メイド長さんに煽てられ、ガウガウが得意気に腕を組んでニマニマとし始める。普段はダウナーでものぐさ引きこもりの実年齢数百歳の合法ロリババア経産婦の癖に、何かを完成させると鬱陶しいほどにテンションがハイになる。
だがハンティとしてもその発明品が気になるので余計な茶々はいれない。
「これは特定の魔法使いの魔法を打ち消す魔道具。名付けて――ウィザード・デス!」
ババン! と効果音が出そうなポーズを取って魔法具の名を高らかに言うガウガウ。
それを聞いてレオンハルトやガルティアが、
「ウィザードです? ……自己紹介か?」
「間違えたんだろ。察してやれよ」
「間違ってないっ! ウィザード・デス! これは魔法使いだけに狙いをすました魔法具なんだっ!」
飛び跳ねて怒りを露わにするガウガウ。しかし説明は続ける様子で、
「魔法使いがその身に秘める魔力! それを取り込むことでその魔法使いからの魔法を完全無効化! 魔法使いに対して圧倒的優位に立てる素晴らしい大発明だぞ!」
「ハニーみたいですわね!」
「そうだ。それに近い。最初、私はハニーの破片でも使えば絶対魔法防御特性を獲得出来ないかと試したが、それは困難を極めた」
だが、と、
「そこで天才の私は閃いた! 全ての魔法を無効化することが出来ずとも、魔法使いの魔力の波長を調べ、その微細な違いを見極めて数値化し、魔法具に記憶させる! 記憶化や魔力の数値化は、以前私が発見した新魔力相対理論を用い――」
「それ、説明しても誰も解んないだろうから省いたら?」
ハンティは説明が長くなりそうなのを感じて、そう口にする。おそらくは自分以外は分からないんじゃないかと思った。レオンハルトなども魔法は使うが、ここまで踏み込んだ魔法理論はさすがに分からないはずだと。
ガウガウは一瞬、動きを止める。しかし気を取り直し、
「……とにかく! 条件はあるが私はこの魔法具を発明してから、秘密裏にハンティの魔力を採取して取り込んだことで、先程の魔法を無効化したのだ!」
私は天才だ! と胸を張るガウガウ。
しかしそれは間違いではないだろう。大発明には違いない。皆も感心している。
だが、最後にガウガウはぼそりと小さな声で、
「……しかしまだ未完成で一つの属性魔法しか無効化出来ないのだが……」
「何だ。そうなのか」
「それだと実戦使用は難しくないか?」
レオンハルトからの指摘にガウガウは僅かに目を逸らすも、
「うぐ……確かにそうだが……それは今だけだ! 将来的にはまずこれを完成させる! そして! 今の状態でも日頃容赦なく行われるハンティのお仕置き雷撃を無効化することが出来るのだ!」
「日頃からやられてますのね」
「そうだ! これも私のぐーたら生活――じゃなかった。私の魔法研究のため!」
怠けるために作ったのか……、という疑念の視線を向けられるが、怯んだ様子はない。こいつは本当にレッドアイ直す気あるのかと思いたくなるが、一応目的に繋がりそうなことをしているのでその気はあると信じたい。
そんなガウガウはハンティに向かって不敵な、煽るような表情を見せつけると、
「くくく、やーいハンティ。これで私にそれは効かないぞ! さぁ、この私にケーキを献上して立ち去るがいいっ!」
「立ち去られると困るが」
「そして私を甘やかすのだ!」
「聞けよ」
レオンハルトの声も届いていないみたいで、ガウガウはハンティに向かって勝ち誇る。
ハンティはそれを半目でじっと見ていたが、やがて息を吐くとガウガウに向かって一瞬で近づき、
「あっ」
ガウガウからその魔法具を奪う。
青い宝石の用な魔法具を手に取り、掲げてまじまじと眺めると、
「ふーん、これがねぇ……?」
「こらっ! 返せっ! それは、私の発明品だぞっ!」
背伸びし、届かず、ジャンプしても届かない。ガウガウは小さかった。
「くそっ、届かない……!」
ぐぬぬ、と悔しそうに歯を噛みしめるガウガウに、ハンティはしばらく魔法具を眺めた後、
「はい、返す」
「……えっ?」
あっさりとガウガウに魔法具を返した。
不意の事に驚くガウガウ。ハンティを怪訝そうに見上げて、
「どういうつもりだっ!?」
「いや、どういうつもりも何も……別にそれがあっても手段が変わるだけだし」
「な、何!?」
ガウガウが声を上げる。予想外だったのか。天才なのにやっぱ馬鹿だなぁ、と思っていると、ガウガウは恐る恐ると窺うように、
「……あ、あの……参考までに聞かせて貰いたいんだけど……手段って?」
ああ、とハンティは頷き、
「魔法を無効化するんだし、今度からは物理的にやってもいいよね? ……それとも実験を兼ねて、もっと強力な魔法でも撃とうか?」
「…………」
頬に汗を見せてガウガウが表情を引き攣らせた。ニコニコと笑顔を見せたハンティに恐怖する。
ガウガウは背後の皆に向かって、
「だ、誰か助けてっ!」
助けを求める。しかし、
「……今日のケーキも美味いな。生地がサクサクだ」
「ああ。んぐ、はぐ……細かな生地と果物の甘さが絶妙に調和して美味しさを倍増させてやがる。じゃんじゃん持ってきてくれ」
「クリームたっぷりで美味しいですわ~。さすがは料理長ですわね!」
「皆様の感想、料理長にお伝えしておきます。――それとご主人様。先程、ケッセルリンク様がバルカ様を連れて街に入りました。間もなくこちらにお見えになるようです。お仕事の話があると」
「分かった。城に来たら直ぐにここに通せ」
「畏まりました」
皆ケーキを食べながら談笑している。意図的にこちらを見ないようにしながらだ。
それを見たガウガウはゆっくりとハンティの方を振り返り、
「……エスケープ!」
その場からの逃走を図った。ケーキを持って。しかし、
「……出来るわけないでしょうが」
「の、ノー!! 助けて! ヘルプ!」
ハンティは瞬間移動を使うまでもなく回り込んだ。逃げられない。ハンティから逃げようと思ったら最低でも料理長レベルの脚力、もしくはメイド長さんほどの瞬発力が無ければ勝負にもならない。どれも肉体的には貧弱(使徒基準で)なガウガウには無理なことだ。
「ミーはケーキを食べたいんだー!」
……どうでもいいけど、なんか口調がレッドアイみたいになってない?
やはり製作者だからだろうか。それともレッドアイがガウガウに似たのだろうか。
「…………」
「あ、こら! ラウネア! 一口だけ食べて残すなっていつも言ってるでしょ!」
「私のケーキーーー!?」
「……はぁ」
天才だけどどこか抜けてるガウガウを見てそんなことを思ったハンティだった。
……って、この話じゃない!
関係ないところまで遡ってしまったハンティは、先程の事を思い出して額を押さえる。
確かこの後にケッセルリンクとバルカが来て――
「……レオンハルト様は私達が訪れるのを知っていたはずなのに、先におやつを食べてしまうんですね?」
「…………」
部屋を訪れるなり、ケッセルリンクに付いてきていた使徒、シャロンが首を少し傾け、亜麻色の髪を靡かせつつ、笑顔でそんな指摘を行う。するとレオンハルトもバツが悪そうに軽く目を逸らした。
毎度のことながらこの二人の距離感は独特だ。シャロンはレオンハルト相手にだけ妙に厳しさというか砕けた様子を見せるし、レオンハルトの方も強くは言えないようで、大体は渋々頷いたり、やんわりと嗜めている。
今回もレオンハルトはシャロンの言うことにやんわりと、
「……しょうがないだろ。時間は決まっている」
「数分も待てないと?
少し呼び方を変えて遠回しに軽い非難を行うシャロン。妙な呼び方だが、理由を聞いても“秘密です”と言うのみで教えてくれない。
しかしその呼び方にレオンハルトは表情を歪め、
「その呼び方はやめろ……幾らケッセルリンクが許してるとはいえだな……」
「おじ様もお許しになったではありませんか」
「……じゃあ仕事中はやめろ。今は――」
「今は――おやつ休憩、ですよね?」
「……そうだな」
諦めたように肩を落とすレオンハルト。それを見て、隣に座っていたシャロンの主は、
「……まあ、あまり困らせないようにな」
「はい。申し訳ありません。ケッセルリンク様」
「怒っているわけではないから気にせずとも構わない。……ちょっと羨ましいだけだ」
小声でそんないじ可愛らしいことを言うのは、スタイルの良い美女だった。
彼女は魔人――ケッセルリンク。魔人四天王の一角。カラーの魔人であり魔人の中でも随一の実力者である。
気品溢れた立ち振舞いにその美しさ。その淑女振りに女性であっても見惚れる者が後を絶たない。魔人としての畏怖も集めている彼女だが、レオンハルトとは良い関係であり、彼の前ではただの恋する乙女の顔を覗かせる。――そこが良いのだと彼女のファンクラブは力説してるらしい。
最近はレオンハルトの仕事が忙しいせいか、ケッセルリンクは仕事中でもこういった反応を見せることが多くなってきた。別にいいのだが、ハンティとしては仕事中にイチャイチャしてると周りが気を使うような変な空気になることも多いので出来ればやめてほしい。むず痒くて苦手なのだ。
同じ感想を抱いてはいないかと周囲を見てみるも、
「お久しぶりですわ、シャロンさん!」
「ふふ、そうですね、キャロルさん。この間はありがとう。おかげで楽しい時間を過ごせました」
「先輩使徒として当然ですわ! ……そういえば例の新刊が出ましたので、今度のお茶会の時にでもお渡ししますの」
「まぁ、ありがとうございます。お茶会、楽しみですね。ハンティさんも、次回は参加してくださいね?」
「……え、あ、ああ……そうね。考えとく。ありがと」
急に声を掛けられてちょっと狼狽えたが普通に返答する。
どうやら二人は気にしていないようで、普通に談笑していた。この二人は性格が合わないように見えて、かなり仲が良く、よく楽しそうにお話してるのを見かける。
たまに行われる使徒だけのお茶会を主催してるのもこの二人だ。使徒だけの集まりはまた別にあるが、こっちは女子だけでやるものらしい。一々分ける必要があるのかと思うが、どうやらあるらしい。
ハンティも誘われるのだが、使徒同士の集まりには一応たまに顔を出しているのでこっちに顔を出す必要があるのかな、と渋っていた。
というか、一度だけ参加した時に行われていた会話が苦手なものだったため、出来れば行きたくない。仲良くしたくないわけではないのだが、
「藤吉郎さんも参加します?」
「……!」
「行きたいと言っていますわ!」
「いやいやいや、あんたオスでしょうが!?」
衝撃の発言に思わず声を大にしてツッコミを入れてしまう。キャロルの肩に乗っていたはぐれ使徒である藤吉郎がこちらから身を隠すように隠れた。
いや、普通にオスだと思うが、違うのだろうか。分からない。というか何気にキャロルが当然の様に意志を理解してるようだが、キャロルはラウネア、タルゴ、サメザンといった言葉を話せないガルティアの使徒とも意思の疎通を取っていたりするので不思議ではない。
ハンティは深く溜息を吐く。やはりこの空間はどうなのだろうと。
何気なく、最後の一人に希望を掛けてみようとソファーの方に視線を向けた。すると、
「……む? こうして、こうすると――お、おおおおおお!? こ、これは新しい戦術となり得るのではないか!? ははは、私は天才か!? ――天才だった!」
なんか一人で盤面と睨み合い、突如として声を上げて狂乱し始めた魔物大将軍を見て口を引き攣らせてしまう。
魔物大将軍バルカ。ケッセルリンク軍を預かる魔物大将軍であり、自称、天才軍略家。事ある毎に思考に耽っており、時には仕事をほっぽり出して一日中考え込んでいることもあるらしい、魔物大将軍一、マイペースな男。その性格にはリーや他の魔物大将軍も苦労しているらしい。会議の時ですら書物を読んだり、一人チェスを行ったりしているらしく、リー達の苦労が伺える。
だが、あながち天才軍略家というのも嘘ではなく、常識を覆すような戦術を披露して魔軍に勝利をもたらしているらしい。ケッセルリンクも楽が出来ると褒めていた。失敗もちょいちょい起こるらしいが、そこは魔軍の底力。ちょっと戦術的に失敗したところで立て直せるので上手く回っている。
そして意外にもリーとの仲も良いらしい。ハンティにとって魔軍一の常識人と評価の高いリーと、この奇声を上げながら自画自賛を続ける知的ナルシストが結びつかないが、やはり人間も魔物も、性格的に正反対くらいの方がいい関係を築けたりするのだろうか。
そして思うのは、やはりこのバルカもおかしな奴だということ。自分とは合わなそうだとハンティは考える。というかこの空間は、
……もしかして、この場の常識人ってあたしだけ!?
ガーン、と頭の中で衝撃の音が鳴る。何ということだ。今からこの空間内で仕事をしなければならないとは。
もう全ての仕事を放り出して外に出て、意味もなくライゼン辺りを殴りにいってバトルを始めたくなる。この間、脈絡もなく戦いを挑んでみたら、”え、今からバーベキューなんだが……”みたいな感じで嫌そうだったのは納得いかない。ドラゴンなんだから常在戦場のつもりで待ち受けてないと駄目だろう。その時はちょっと待ちきれずに問答無用で魔法ぶち込んでしまったが、今思えば悪いことをしたなぁ、と思う。
ともあれ、それが選べるはずもない。自分がいなければ仕事が滞るだろうとハンティは己を鼓舞する。終わったら迷宮にでも行こう。
今はケッセルリンク達がやって来て休憩の延長中だが、それが終わったら仕事だ。
と、そんなことをハンティが考えていると、
「ん、バルカ。それは……」
ケッセルリンクの相手をしていたレオンハルトが不意に、バルカが眺める木の盤に気づいた。バルカもさすがに魔人の声を無視はしない。即座に反応すると、
「これですか? これはJAPANで流行っているといわれる将棋と呼ばれるボードゲームです。ご存知ですか?」
「……ああ、知っている。戦略性、戦術性があって面白いゲームだ」
レオンハルトはどうやら知っているようで、将棋と呼ばれる盤を見て顎に手を当てる。それを見たバルカも興味深そうに、
「ふむ……もしやレオンハルト様……指せますか?」
その瞬間、バルカの視線が鋭くなる。戦意にも似たその気に、レオンハルトは眉を顰めることなく、不敵に笑みを返し、
「ふ、当然だ。魔軍を指揮するこの俺が指せないはずがないだろう」
「左様ですか……でしたら――」
「何をしますの?」
そのやり取りを聞いていた皆も同じ様に興味を持ち始める。しかし、大半は知らない様子で、
「……チェスに似ているが、これはどういう遊びなのだ?」
「雰囲気があってかっこいいですの!」
ケッセルリンクとキャロルが将棋盤と駒を見て私見を言い合う。するとレオンハルトが答えた。
「チェスと似ているのは間違いじゃない。取った駒を使うことの出来る。敵陣の三マス目に入ると成ることが出来るなど、少しずつルールだったり駒の動きは違うがな」
「ですがその戦略性はとても奥が深く……この天才軍略家の私でさえ、全てを理解することは難しいものです」
「へー……」
釣られてハンティも何となくそれを見る。さすがにチェスくらいは知っているが、確かにちょっと難しそうな雰囲気がある。こういう頭を使うのはそこまで得意じゃないのもあるが。
そんなことを考えていると、未だ一心不乱におやつを食っていたガルティアもそれを見て、
「あー……そういや、こういうのはレオンハルト得意だよなぁ。俺はさっぱりだ」
「それほどでもない。……というかお前は何も考えずに直感で駒を動かすからだろうが。しかも、それで微妙にやれてるのも質が悪い」
「あれこれ考えるの面倒だからな」
ガルティアがそう言うと、シャロンが反応してレオンハルトを見た。そして何か含みのある笑顔で、
「……そういえば、おじ様は以前、私をチェスでぼこぼこにしましたね。弱者を甚振るのはさぞ楽しかったことでしょうね?」
「……いや、あれはお前から挑んできたんだろ。自信がある、とか言って」
「……私の記憶にはありませんが?」
「おい」
なんかついさっき見たような言い訳で逃げるシャロン。そこでバルカはようやく最初の話題に戻り、
「……それで、レオンハルト様。どうでしょう? この私と一局、指してみるのは?」
将棋を指さないか、とレオンハルトに尋ねる。やはり戦意を出しながら。レオンハルトも応じて、
「別に構わない。……それに、どうも俺を倒したいようだな? 顔に出ているぞ?」
「いえいえ……胸を借りる気持ちですよ。ただ……自分で言うのもなんですが、私は将棋というゲームが出来てからというもの、かなりの時間研究に研究を重ねてきました。そう、それこそ仕事など手に付かないほどに……」
「いや、仕事しなさいよ」
「そうして導き出した私の最強の戦法――名付けて、振り飛車穴熊に勝てますかな?」
聞いちゃいない。仕事を放り出すのはどう考えても駄目だろう。それでケッセルリンク軍書類の提出が妙に滞っていたわけかと嫌な納得を得る。
レオンハルトはそれを聞いて、苦言を呈するかと思いきや、
「……振り飛車党か。それに……いいのか? 最初に戦法を宣言してしまって」
「その口ぶりですとレオンハルト様は居飛車党ですか。……いえ、問題ありませんよ。これは私が開発した新戦法。レオンハルト様が穴熊をご存知であっても、普通の穴熊とは違いますから」
「……言うじゃないか。――ならばその新戦法とやら、俺が正面から叩き潰してやる」
もはや何を言っているか分からない。何か初めて聞く単語がいっぱい出てきたが、そもそもルールを知らないのだから分かるはずもない。そう思っていると、
「――では、私が皆様にルールを説明しましょう」
「メイド長さん!?」
「メイド長、で結構ですよハンティ様。というわけで説明は私にお任せを」
いつもながら急に出てくるのは心臓に悪いからやめてほしい。本当に瞬間移動を使っているのではないかと感じるほどだ。
ハンティが微妙な表情でそんなことを考えていると、シャロンが微笑のままで、
「メイド長は将棋のルールをご存知なのですか?」
「ええ。将棋の一つも指せないでメイドは名乗れませんから」
「……なるほど。では、ルールの説明をお願いしてもいいですか? それと、今度私達にも指導をお願いします」
「畏まりました。時間を見つけてお教えいたしましょう」
メイドってなんだっけ。そう思うような会話だったが、もはや突っ込む気力すら沸かない。というか最近のゲームじゃないのか。なんで城に籠もってるはずのメイド長さんが知ってるんだ。
その間にもメイド長さんは皆にルールの説明を行う。駒の動き、将棋盤のマス目の読み方などを概ね――皆が理解し終えると、
「では、レオンハルト様。先手は差し上げます」
「……随分と余裕だな。まあいい。こちらも、その自信の程を見させて貰おう」
二人の対局が始まる。その間の解説はメイド長さんが行い、
「初手、7六歩。――まずは順当に角道を空けましたね」
「これにはどういう意味が?」
ケッセルリンクが尋ねる。メイド長も答え、
「将棋の初手、というのは様々ですが、オーソドックスなのは斜めにどこまでも移動出来る”角”の道を開ける7六歩。もしくは縦横に移動が出来る飛車先を伸ばす2六歩となります。もっとも、自分の戦法によっては変わりますが、例えば――」
説明していると、今度はバルカが次の一手を指した。間を置いた説明はその手を見てから続き、
「バルカ様が指したこの5二飛。これは振り飛車が用いることのある初手ですね。振る場所によって4筋か3筋かなどの違いはありますが、これは敵陣中央を突破する中飛車戦法と言います」
「……あー、なるほど。相手の玉が真ん中にいるのもあって使えそうだな」
ガルティアの言葉を聞いてメイド長さんが頷く。
「はい。中飛車は中々に突破力に優れた戦法です。しかし……最初に宣言するなら対策はありますし、そもそも用いられる初手は5四歩など、先に歩を突くのが一般的ですが……よほど自分の棋力に自信があるのでしょうね」
……なるほど、分からん。
ハンティは分かるような分からないような話を聞いて、とりあえず何となく眺めることにした。見たほうが早い。
するとメイド長さんの解説がありながらも、どんどんとお互いに指していき、
「王が片方に寄っていきますね」
「囲いを作るためでしょう。バルカ様は先程、穴熊を用いると宣言しましたので、隅で王を囲うつもりでしょうね。対するレオンハルト様は……まだ居玉となっています」
シャロンの問いに答える。すると続いてケッセルリンクが、
「玉がそのままの場所に残っているな……やはり、良くないのか?」
「……そうですね。一般的に、居玉は防御面ではあまり堅さはありませんし……中飛車相手ですので、どちらかに囲った方が良いかとも思いますが……穴熊は将棋界では最強の囲いとされていますし……」
「…………」
しかしレオンハルトは、その声が聞こえているはずだが、何も言わないし、表情も変えない。対局中に答えることはないだろうが、形勢を理解しているのだろうか。ただ盤面をじっと見つめている。
皆が見守る中、しかし、同じ様に盤面をじっと見つめている者がいた。それは、
「……あっ」
「キャロル様? どうか致しましたか?」
キャロルが不意に声を上げたのを見てメイド長さんが声を掛けたが、これは何か質問があるのではないかという意味であった。
しかしキャロルは少し考え、頷いた後、
「……これ、後、数手でレオンハルト様が勝ちますわ」
「……え?」
突然そんなことを言い出す。いや、レオンハルトを第一に考えるキャロルとしては珍しくないが。
そのせいか、僅かに違和感を感じたものの、特に発言は気にされない。対局しているバルカも、後数手で相手の勝ちだとあり得ないことを言っていたので特に気に留めることはなかった。
だが、
「……1二香。次で王様が1一に入り、2二に銀が上がって閉める。そして金が寄れば、穴熊の完成ですね」
「…………」
バルカが僅かに口元を上げる。まだ序盤とはいえ、穴熊に組めるのだから気分的には良いものだ。
しかし、レオンハルトの表情は変わらない。1二香、と穴熊の手順が進んでも顔色を変えることも、迷うこともなく次の一手を指す。
「2五桂……。角を取りにいく手ですが、これは次で逃げられ――」
しかし、その一手を指し、解説をしている途中――言葉が止まる。
「? メイド長?」
ハンティが訝しげに名を呼ぶも答えない。代わりにキャロルが、
「……終わりましたわ」
小声でそんなことを言った。
終わった、とはどういう意味なのか。それを考える時間は充分にあった。
「…………」
何故かここで、バルカの手が止まった。角を逃がすと思われた手を、指すことが出来ない。頭の中で思考を重ねているのだろう。
しかし、バルカは不意に、どんどんと顔を青くさせる。
「…………っ」
悩んだ末に角は3三から5一に逃げた。だが、
「…………」
レオンハルトは迷うことなく次の一手を指した。4五歩。4四の歩に当たったが、これを、
「……これを取ることは出来ませんわ」
「キャロル?」
「ん? ……あー、そうか。なるほどな」
「おじ様のこの手は……」
「ふむ、確かにこれは……」
次々に得心する様な声が聞こえる。手の意味に気づいたのだろう。ハンティが気づいたのはこの場では一番最後だった。
「……あっ」
それはレオンハルトの3三の角。そこはバルカの王がいる斜めの位を睨んでおり、4四の歩がどくと王が取られる――自殺手になってしまうため、レオンハルトの4五の歩が取れない。
結果、悩んだ末に、
「くっ……」
「7三角……」
7三角と角を別の場所に移動させる。
レオンハルトは悩むことなく歩を4四に進ませ、バルカの歩を取った。
その時点で、バルカは悔しそうに身体を震えさせながらも4四の歩を5三の銀で取り返しつつ、しばらくは指したが、
「……負けました……!」
そこから少し手が進んだところで投了。
駒の損得、形勢。全てが素人目にも分かるほどにレオンハルトの有利だった。
「……バルカ様が香車を上がり、ご主人様の桂馬が跳ねた時点でバルカ様の敗着でしたね」
「……勝ったか」
メイド長さんがそう評し、レオンハルトが息を入れる。するとバルカはぶつぶつと呟き始め、
「……今の、今の新手……! いったいどうやって思いついたのですか!?」
「……あ?」
バルカの問いにレオンハルトが首を傾げる。しかしバルカの熱は止まらず、
「今の穴熊破り……! 私の定石には存在しない新戦術……! 将棋界を激震させかねないあんな手を、レオンハルト様は思いついたと言うのですか!?」
「……何を言ってる。あれは……――」
その説明を口にしようとしたところで、レオンハルトの動きが止まる。
皆が訝しげに視線を向ける中、何故かレオンハルトはそこで目を逸らし、
「……いや、今のはだな……」
「勿体付けるおつもりですか!?」
「いや、そうじゃなくてだな……そう。今のはそうだ。人から教えてもらったんだ」
教えてもらったとレオンハルトは言う。レオンハルトが考えたわけではないのだと。
するとバルカは、
「誰が!? 一体誰が思いついたのですか!? その人……人間ですか!? 出来ればその人間を私の元に連れて頂きたい! 弟子にして貰いますとも!」
「い、いや……それは……」
レオンハルトが困ったように表情を引き攣らせる。どうやら事情があるように見えるが、よほど会わせたくないのだろうか。
だがまあ、魔物と関わらせるのを喜ぶはずもないか、と思っていると、
「……それは、残念だから無理でな。何故なら――」
と、レオンハルトは一瞬間を置いて、緊迫した表情になると恐る恐るとその理由を口にした。
「その人物とは……人じゃない。将棋星に住む将棋星人だからだ……!」
「……!? 将棋星人……!?」
一体何なんだそれは、とバルカだけではなく他の皆も同じ思いを得る。するとレオンハルトは汗を流しながら説明を続けた。
「将棋星人とは将棋を指すことに特化した恐ろしい生物でな……その将棋星では将棋に負けると地獄のような苦しみを味わいながら次々と奈落に落ちていく……らしい……」
「そんな恐ろしい場所が……」
……こいつら馬鹿なの?
どう考えても嘘に聞こえるが、バルカは信じているように見える。こっちの頭がおかしいのだろうか、とハンティは半目になる。同じ様に疑っているシャロンは、しかし笑顔で、
「……おじ様はどこでいつ、その将棋星人と出会ったのですか?」
追求をした。レオンハルトは僅かに怯みながら
「……その昔にだな……一人で歩いている時に空から落ちてきたんだ」
「……では、その将棋星人はどんな見た目をしていたのですか?」
またしてもレオンハルトが一瞬止まる。そして、
「……見た目は眼鏡を掛けた中年くらいの男だ。その男も、別の人から今のシステムを教えてもらったらしい」
「……名前は?」
「は……は、ハニュー九九世」
「……王族?」
シャロンが真顔でそう言うと、レオンハルトは頷いた。
「そう、将棋星には七つの国で分けられており、そこの王の座は一年に一度、全て将棋で決まる。将棋の強い者が正義であり、例え王の座に就いていた者でも、挑戦者に負けてしまうと王の座を剥奪されてしまう弱肉強食の世界なんだ……」
ごくり、とバルカが喉を鳴らす。真に受けるな。絶対嘘だから。しかしハンティのそんな心の声は届かず、
「……では、そのハニュー九九世とは……?」
「ああ。ハニュー九九世は将棋の魔王とも呼ばれた男であり、将棋星にある7つの国全てで99回も王の座を取り、永世七冠という偉大な称号を得た凄まじい男だ……」
「そ、それほどの存在が実在するとは……」
多分、実在しないと思う。どんな無茶苦茶な奴だ。たかが将棋とはいえ、そんな化け物がいるはずがないだろう、とハンティは馬鹿馬鹿しいと切って捨てる。
「そしてその男は、次は百回目に挑戦すると言っていた……ゆえにこの星に来ることは出来ないとも……」
「……くっ! 何ということだ! 留まってくれてさえいれば如何なる手段を持ってしても弟子入りを志願したものを……!」
多分、そのハニュー九九世さんもこんな馬鹿でかい魔物が弟子入りに来たらビビると思う。
レオンハルトは、残念そうに肩を落とすバルカを慰めるように肩を叩くと、
「ああ、だから諦めるしかない」
何とか纏めたと一息ついたのだろう。レオンハルトが明らかにホッとしたような表情を見せている。
そして話題を変えようとするように、
「……それよりキャロル! 先程、あの戦法に直ぐに気づいていたが、よく分かったな!?」
「え? ……あ、そうですわね。何故か不思議と盤面を見た時に頭に思い浮かびましたわ」
話題を振られ、キャロルが自分でもよく分からないと言うように首を傾げる。確かに不思議ではあったが、
「ひょっとしたらお前には才能があるかも知れん。どうだ? 俺やバルカと一局指してみないか?」
レオンハルトはそうやって将棋にキャロルを誘う。するとキャロルは嬉しそうにしながらも、
「本当ですの!? それは光栄ですが、きっとレオンハルト様には勝てませんわ!」
「ははは、やってみなければ分からないだろう。なぁ、バルカ?」
「む……そうですな! キャロル様! ハニュー先生に少しでも近づくために、今は実戦と研究を積もうと思いますので、良ければ一局どうですかな!?」
「……それじゃあ頑張りますわー!」
そうして妙にテンションが高くなった三人は、将棋を指し始めた。仕事の話は? と言いたくなったが、タイミングを逃してしまったため、休憩はまだまだ続く。メイド長さんがお茶を淹れ、談笑しながら皆がそれを見守った。
――だが、
「……勝てない」
「負け、ました……」
一時間後。そこにいたのは二人の敗北者だった。
勝利者は一人だけ、将棋初心者のはずのキャロルだった。
「また勝ってしまいましたわ……」
自分でもバツが悪そうにするキャロル。どれだけやってもレオンハルトとバルカはキャロルに勝てなかった。
「この俺が負けるだと……くっ、もう一回だキャロル! とっておきの戦法を見せてやる……!」
「わ、分かりましたの」
レオンハルトが闘志に燃えながら将棋盤を挟んでキャロルと向かい合う。――何度も。
「鬼殺し!」
「6二金で対策出来ますわ」
「パックマン戦法!」
「取らないで歩を突けばただの四間飛車ですわ」
「新鬼殺し!」
「角交換しなきゃいいだけの話ですわ」
「もう普通に矢倉!」
「普通に勝ちますわ」
何度やっても――キャロルに勝つことは出来ない。
しかも、やればやるほど、
「……ああ、こうすると面白い形になりますわね」
やればやるほど、キャロルが成長した。
最初は何とか拮抗していたレオンハルトとバルカだが、一時間も経てばキャロルの方が圧勝するようになっており、
「……負けました」
「ありがとうございますの。わたくしも、だんだんと将棋が分かってきましたわ!」
もう何度目かになる敗着に、レオンハルトが頭を抱える。
何故こんなにもキャロルは強いのかと。
チェスはそこまで強くなかったはずだが、不思議と将棋はアホみたいに強い。
次はどうするかとレオンハルトが頭を悩ませていると、ふとキャロルはレオンハルトに尋ねた。
「あ、そういえばレオンハルト様。ちょっと聞きたいことがありますの」
「……ん、何だ?」
キャロルは何気ない様子で質問する。それは、
「――レオンハルト様、どうして先程から奇襲戦法ばかりお使いになりますの?」
「! ……それは……」
レオンハルトが固まる。嫌なところを突かれたと。
だがキャロルは純粋に疑問を感じているようで、悪気なくそれを尋ねる。
「奇襲ばかりだと受け方を知られて一度か、精々数回くらいしか通用しませんわ。それに、普段から正面対決を望むレオンハルト様らしくないな、と思ってしまい……」
「…………っ!」
レオンハルトは頭を殴りつけられたような感覚を得た。
王道。正面対決を望んでいる自分が、将棋では奇襲戦法ばかりを好んで使う。
レオンハルトも無自覚であったが、それに気づき――そして同時にそのことを知られてしまい、凄まじい羞恥と衝撃が彼を襲った。
「何か考えがあるのかと思うのですが、わたくしでは思い当たらず……使徒として、主の考えを察せないのを恥じ入るばかりですの。それで、レオンハルトの考えを理解するために、申し訳ないのですが教えて頂けると……」
「ぐっ……」
その言葉に、レオンハルトの心は折れた。
純粋な言葉が一番効く。それを身をもって体感したレオンハルトは、すくっと立ち上がる。キャロルはそんなレオンハルトを見て、しかし楽しそうに、
「ですが、将棋って面白いですわね! 良ければ後でもっとやりたいですわ! また面白そうな手を思いつきましたの!」
「ヒィッ……!?」
しかもまだ将棋でこちらをボコろうとしてくる。バルカが悲鳴にも似た声を上げて、後退った。
そしてレオンハルトは、小声で、
「…………ねぇ」
「え、何て言いましたの。レオンハルト様?」
レオンハルトは大きな声で宣言した。
「――しばらく将棋はやらん!!」
「――えっ!? 何でですの!?」
ガーン、とキャロルがショックを受ける。
「…………」
そんな二人を見て、ハンティは窓の外から差し込む夕焼けの日差しを浴びながら、深く息を吐くと、微笑を浮かべ、しかし解せない気持ちを感じながら、とうとう思っていたことを口に出した。
「……いや、早く仕事しよ……?」
賑やかすぎて仕事が進まなかった一日だった。
スラル「……羽○善治?」
レオンハルト「……先生、ごめんなさい……」
ペール「そんなことより! 私の出番が無いんですけど!?」
キャロル「そんなことより、わたくしに新たな才能が目覚めましたわ!」
シャロン「メイド長は完璧でないと駄目みたいですね。……というわけでエルシール。メイド長さんが私達。とくに貴方を重点的に鍛えてくれるそうですよ」
エルシール「……えっ」
パレロア「ご愁傷様……」
ラウネア「…………(次回は最強を目指すあのキャラの回)」