――SS100年 12月某日
ルドラサウム大陸東部。
魔軍の本拠地である魔王城の一室。
そこには魔軍を運営する幹部達の会議が行われていた。
「では、この地域の増員は見送るという事でよろしいですか?」
それに参加している一体の魔物将軍は内心、恐々としながらも自分の職務を全うしていた。
彼が会話しているのは上座に座る一体の魔人。
「……いいんじゃねぇか? 最早放って置いても虫の息みたいだし。それよりも戦後の統治関係に関する報告を指揮官に纏めさせて送らせろ」
「はっ、ではそのように」
命令を告げたその男に魔物将軍は畏まったように了承する。
それもその筈、一見すると人間に見えるその男は魔物社会の支配者階級といえる魔人の中でも更に格上。
魔人四天王の一角にして魔軍参謀である――魔人レオンハルトなのだから。
彼はいつものようにその鋭く紅い双眸を別の魔物将軍に移すと、ぶっきらぼうに催促をする。
「次の議題は?」
「いえ、今ので今日の議題は終わりです。お疲れ様でした」
「……そうか」
議長を務めていた魔物将軍がそう言うと、少しだけレオンハルトの圧力が弱まる。職務に区切りがついて気を張っていたのだろうか。どことなく表情も和らぐ。
「俺は部屋に戻る。何かあれば訪ねてこい」
「はっ、お疲れ様でした!」
会議室にいる他の魔物将軍達も一斉に退室していくレオンハルトにお疲れ様でした、と挨拶をしていく。レオンハルトは片手を上げてひらひらと手を振ってそれに応えるとさっさと部屋を出ていった。
すると、会議室の空気が弛緩したものに変わる。
先程、最後に報告を行った魔物将軍がその黄色い巨体を椅子に沈め、糸が切れたように溜息を吐いた。
「ふぅ……さすがに緊張した」
「何だ、レオンハルト様に会うの初めてだったのか?」
別の魔物将軍が椅子に座り込んで疲れた様子の魔物将軍に話しかける。彼は魔王城に詰めている魔物将軍であり、レオンハルトが魔人として連れてこられた日から彼の事を知っている――魔軍の中ではそれなりに彼と接する機会が多い者だった。
「人間出身の魔人だから、と舐めない方がいい。あからさまな態度を取って怒りを買えば庇いきれないしな」
「……痛感したよ。やはり魔人四天王と魔軍参謀を兼任するようなお方は違うな。カミーラ様と何ら変わりないじゃないか」
「普通に接していれば寛容で意見も聞いてくれるし、指示も的確だ。上司としてはカミーラ様よりもよっぽど仕事がしやすくて助かる」
「ふむ、なるほど。そういえばカミーラ様といえば使徒をお作りになったと聞いたが、そっちの方はどうなのだ?」
「ああ、七星様の事だな。七星様も仕事で一緒になるが、言葉少ないカミーラ様の代わりに指示や事務をこなしてくれている。優秀な方だ」
「ほう……ならばついでにガルティア様についても聞いてもいいか?」
「ガルティア様は……いつも何か食べているな」
「……それだけか?」
「いや、戦いになると頼りになるし、大らかで悪い性格ではないが……如何せん、近くにいるとこちらの腹が減ってしまってな……」
「あー……それは大変そうだな」
「まぁ、ガルティア様に限らずここは魔人の御歴々と接する事がやりがいのような部分があるからな。ところで――」
会議室では、仕事を終えた魔物将軍達の情報交換の場となっていた。普段は戦況についての軽い相談や、上司か部下の愚痴。最近ではここ一年で魔軍に加入した者達の噂や情報。七星やガルティア、ガルティアの使徒達。そして一番多いのは何かと話題が尽きない上に、一番仕事で接する事があるレオンハルトの事であった。
――そしてそんなレオンハルトは、魔王城の廊下を心ここにあらずといった様子で歩いていた。
「…………」
魔軍参謀になってそこそこの年月が経ち、仕事にも慣れてきた。
魔人としての生活も馴染んできたし、関係の悪い者も殆どいない。順風満帆な魔人生活を送っているのだが、彼には一つわからない事があった。
魔軍の仕事をこなしていく中で、何度も思った事だが幾ら考えても答えが出ない。
「……行くか」
俺はそう呟くと自分の部屋とは逆の方向に足を向けた。
そこに向かうに連れて魔物兵の姿はだんだんと少なくなっていく。
それもそうだろう、彼が向かった先にあるのはこの魔王城の持ち主でもある支配者の部屋。
その扉の前に着いた俺は、ノックを二回鳴らして部屋の主に呼びかけた。
「スラル、入ってもいいか?」
すると中から「んー」といった気の抜けた返事がくる。それを聞いて軽く嘆息すると、扉に手を掛けた。
中にいたのは机に向かって何かを書いている――魔王スラル。
こちらが入ってきたのに気づくと、横目で確認してそっけなく告げた。
「ちょっとだけ待ってて、すぐ終わるから」
「……ああ」
手を休めないままそういったスラルは、再び書き物に集中しはじめた。テーブルの上には他にも本や紙の束が積まれており、時折それらを確認しながら作業を進めている。
俺はそんなスラルの言葉通り、待たせてもらおうと近くのソファーに腰掛けた。
室内にはスラルがペンを走らせる音だけが響く。そんな時間が数分続いた後、スラルはペンを置いて立ち上がると俺から見て、正面のソファーに思いっきり寝転がった。
「はあああああふああああ……終わったぁ……」
ぐでーっとソファーの上で背筋を伸ばすスラル。魔王の出していい声じゃない。随分と気の抜けた様子に俺は呆れたように思った事を口に出す。
「とても魔王とは思えない姿だな……魔物将軍辺りが見たら卒倒しそうだ」
「んー……レオンハルトにしか見せないからいい」
「…………」
何気なく言ったスラルの言葉にギョッとする。しかしスラルは気にした様子もなく、クッションを抱いてごろごろし始める。
……こいつ、たまに天然でとんでもない事言いやがるな……。
意味合い的にはそういう意味に取られかねない。というかそういう事だったりするのか?
「あっ、ガルティアも大丈夫かな?」
「…………」
「いたっ、ちょっと。何でクッション投げるのよ」
「……何となくだ」
「?」
スラルがわからないと言わんばかりに首を傾げる。
前言撤回だ。スラルに限ってそういう意図はない。信頼してるという意味でしかないだろう。
一瞬でも馬鹿な事を考えてしまった俺は、それよりもと気を取り直したようにスラルに尋ねた。
「そういえば何を書いてたんだ?」
「ん、えっと……あれは本よ」
ソファーに改めて座り直して、簡潔に答えるスラル。本、か。そういえば前から疑問だった事を思い出す。
「そういえばこの部屋、本が沢山あるな」
「一応集めてきたのもあるけど……殆どは私が書いたの」
「お前が?」
「ええ。新しい知識なんかを忘れないようにって始めた事なんだけど、なんか癖になっちゃって……」
そう言って少し照れるように視線を逸らすスラル。自分で書いていたというのが恥ずかしいのだろうか。
しかし、同時に納得する。本というのは珍しい物だからだ。
世間では、まだこれだけの本はお目にかかれない。そもそも本を書く人が少ないし、いても少数。昔から現存する本の殆どは権力者達が所有しているのみ、それも学術書くらいしかない。それゆえに本はまだ民衆には馴染みのない物なのだ。
精々、わかった事を紙にまとめておくとか、日記をつけるくらいのものである。
それだけ貴重な本が本棚にずらりと並んでいる。なるほど、殆どはスラル自身が書いたものだったんだな。それならこの数にも納得である。
「なるほど……魔王の癖に勉強熱心なんだな」
「……ん、ちょっとね」
「? 煮え切らないな」
「そ、そんな事より! なんか用があったんじゃないの!?」
「ああ? いや、まぁ……」
スラルに急かされて、少し戸惑う。本くらいで何恥ずかしがってんだ?
「……ま、いいか。今度俺にも本読ませろよ。こう見えても本は好きでな」
「う、うん。それは構わないけど……用ってそれだけ?」
「ああ、用はまた別だ」
俺はあくまでも何気なく、その質問をスラルにぶつけた。
「お前が、魔王様が――人間を支配しようとしないのはどうしてかと思ってよ」
「――――」
その言葉にスラルが凍りつく。
一瞬の静寂。俺は天井を見上げながらスラルが落ち着くのを待つ。そして数秒後、スラルはわかりやすい程に気を取り直していた。
「……何のこと? 質問の意味がわからない。私は魔王なんだから――」
「気づかないとでも思ったのか?」
「だから……」
「俺は魔軍参謀だぞ。いわば一番魔軍の動きを把握してなきゃおかしいし、魔軍の勝利の為に動かなきゃならない立場だ」
「…………」
「結論から言うけどな――魔軍はもう人間をいつでも滅ぼせる」
その言葉にスラルが黙る。俺は天井に向けていた視線を顔ごとスラルに向ける。
「正確には約数か月。魔軍を効率的に動かして、今ある戦力をきちんと動員すれば滅ぼせる、が正しいけどな」
人間は未だ各地の集落毎に戦っていて、魔軍に匹敵するような大きな集まりはない。なのに、魔軍と人類の戦争――いや、紛争は長いこと続いているのだ。
戦力差は圧倒的、そもそも拮抗している事がおかしいのだ。
個人の強さや兵力差は圧倒的なのだから、それで押しつぶしてしまえばいいのだ。
なのに魔軍は戦力を逐次投入したり、魔人を派遣することも滅多にしない。随分と悠長な事だ。
決定的なのは俺や魔物将軍が出した筈の指示、もう少しで人間の集落を攻め落とせるといった場所の指示を捻じ曲げて、魔軍を撤退させたりするくらいだ。もしその魔王の命令による撤退指示が無ければ攻め落とせていた地域が何箇所か存在する。
俺はその事をスラルに突きつける。
「俺やガルティアの時もそうだったが……明らかに人間に手心を加えてる。まるで人間を滅ぼさないように――いや、まるで人間が――」
「――――ごめん」
「――!」
俺の言葉を唐突な謝罪で遮るスラル。それに思わず面食らってしまう。
下を向くスラルの表情はとても辛そうで、悲しそうで、今にも泣きそうな顔をしていた。
……ああ、またやっちまった。
俺が間違いを悟った時、それでも前を向こうと、俺に何かを語ろうと口を開こうとしているスラル。
そんな彼女に俺は――
「……その、私ね――」
「――悪い」
「――えっ……?」
今度はスラルが面食らう番だった。
俺の突然の謝罪に気が抜けたような顔をスラルに、俺は出来る限り普段どおりに言う。
「自分から聞いといてなんだけどな……お前にそんな顔させるくらいなら聞きたくねぇよ」
「――っ! でも……」
「だから今のは無しだ。……というか答えを聞いたところでやる事は変わんねぇしな」
「……それはどういう意味……?」
言ってる事がまるでわからないという風に見上げてくるスラルに、俺は自分の意思をはっきりと伝えてやる。
「お前が望むなら、それが何であれ応えてやるのが俺の役目だ」
「――!」
「別に誰の味方しようと構わねぇんだよ。俺がそれを聞きたかったのは……その、お前の口からちゃんと望みを聞いて納得したかったからだ」
「…………」
「だからもういい。お前の望みは現状維持って事でいいんだろ? ……はっ、それなら精々いたずらにかき回してやるさ。現場の兵には恨まれそうだがな」
俺は途中で何だか気恥ずかしくなり、誤魔化すように鼻で笑ってやる。実際魔王の命令っていうお墨付きがあれば誰も文句は言わない、言えないので問題はないだろう。
「……ぷっ、ふふっ」
そっぽを向きながらそう言ってやると、スラルが何故か面白いものを見たかのように笑う。何が可笑しいんだか。
「……レオンハルト、ありがとね」
「……気にするな。もうわがままには慣れたしな」
「あっ、酷い」
「事実だろうが」
「ん、そうかもね」
「認めやがった……」
「あはは……」
少し茶化してやると、俺達の間でいつものような会話が交わされる。
その会話はまるで魔王と魔人の話す内容とは思えない。何の内容も無い会話。人間同士の他愛もない会話の様だ。しかしこれが不思議とリラックスした気持ちになってしまう。
「ねぇ、そっち行っていい?」
「はぁ? 何でだよ」
「答えは聞いてないから」
「ちょっ、おいおい……」
スラルは言うだけ言ってソファーから立ち上がると、俺の制止を無視して俺の隣に座った。
「えへへ……」
身長差から俺の事をニコニコと笑顔で見上げてくるスラル。
……まったく、こいつは。
俺は苦笑しながら、隣のスラルに軽口を叩いてやる。
「前から思ってたんだが……お前って子供みたいだな」
「え?」
「年下にしか見えねぇ。本当は俺より70近く年上なのにな」
「っ!? 失礼っ! そういう事は言わないの! マナーよ!」
何がマナーだ。普段から部屋に引きこもってる奴がよく言う。
「魔王や魔人は不老なんだから歳取らないの! 永遠の若さって奴よ!」
「いや、そうだが……精神年齢は……」
「それにそういう事言ったら自分の首絞める事になるわよ! 100年や200年したらレオンハルトだってお爺ちゃんじゃない!」
俺は直ぐ様掌を返してやる。
「…………うん、やっぱ不老の俺達からすると100歳くらいなら10代……いや、赤ん坊みたいなもんだな。千年以上生きてる奴とかもいるくらいだし」
「そういうことよ。私達はまだまだ若いんだからね」
「……納得した」
さすがにそう言われるとちょっと抵抗があるので訂正したが、ケイブリスやカミーラはその辺りの事どう思ってるんだろうな……カミーラに聞いたら殺されそうだから聞かないけど。
俺なんかまだ30年も生きてない上に、魔人になって1年も経ってないのだ。千年以上生きるなんて想像がつかない。
「ね、ねぇ、レオンハルト」
「ん?」
「……100年後も200年後も、それから先もずっと……私についてきてね」
スラルが言ったそれは、いつの日か、魔人になった時に言われた言葉だ。あの時と同じ様に少し迷いながらもそう口にしたスラルを見て、俺は思わず苦笑してしまう。
……まったくしょうがない奴だな。
それを聞いて俺は思い出す。魔人になった日の事。忠誠を誓う条件に故郷を助けてもらった事。
あの恩があるからこそ、俺はスラルについていこうと、命令を忠実に守ろうと思っていた。
だが、よくよく考えればそれは違う。俺は魔人になってから充実していたんだ。
人間の頃よりも楽しく、何より自分らしく生きられることを嬉しく思っていた。
人間からしたら決して良い存在ではないし、良い行いをしているとはいえないだろう。
だが、それでも俺はこの日々をこいつに――スラルに貰ったんだ。
「……ああ」
だから俺がこいつについていく理由は一つだ。
「当たり前だろ。俺はお前の――魔人なんだからよ」
「――――うん、お願いね」
お前と一緒に――俺を必要としてくれたお前に応える為に、俺はお前についていく。
肩に身体を預けてくるスラルの安心したような声と重みを感じながら――俺は再びそう誓った。
SS100年はこれで終了。序章の序章が終わったってところですかね
次からは年が飛びます。