魔物界。
大陸北側に位置するその場所は、人間を襲う凶暴な魔物達の住処であり、絶対的な力を持つ魔人達が闊歩し、魔軍の本拠地であり、大陸の支配者である魔王が住む魔王城などが存在する死の領域だ。
冒険者であってもそこに足を踏み入れる者はほぼ皆無だ。稀に腕の立つ冒険者が魔物界に何があるかを調べようと足を踏み入れるが、帰ってきた者は誰一人としていない。
ゆえに魔物界は多くの謎に包まれている。魔王城はどんな形をしているのか、魔物達はどうやって生活しているのか、攫われた人間はどのような扱いを受けているのか。人類圏に住む人間達はこれらの実態を何一つ知らない。
だが、魔物界に住む人間は知っている。極一部の環境ではあるが、魔物の生態というか、その生活や文化を。
その驚きの真実を、今日はある人間の視点でお届けしよう。
わたくしはエクレア。エクレア・フォン――まあなんちゃらかんちゃらという長い家名を持つ元王族です。姫です。
百年程前の魔軍と藤原家の戦争の折に我が王国は滅び、その際に魔軍を率いて我が王国を占領した魔人レオンハルトと交渉。その結果、彼のメイドとして魔物界に住みはじめた人間です。
最初は慣れない生活も、百年も経てば慣れます。とはいえ、色々とおかしな部分があるのは事実。常識が色々と破壊されるような驚きの連続に、言いたいことは山程ありますが、それをグッと飲み込む毎日。しかしそれを発散するために趣味として日記を書き始めたのですが、始めてみるとこれが中々内側に溜まったものを程々に消化出来て良い感じです。
ですが、それでも発散出来ないものはあります。しかし、文句を言っていても始まりません。何を感じ、何を思おうが、時は無常に過ぎていきます。この城の中だと、たまにそれを忘れそうになりますが。
そんなこんなで、メイドとしての一日は今日も始まります。
紅魔城。
その名の通り、全体が赤で染められたその城は恐ろしい存在が住まう恐怖の城です。
この大陸に住まう者なら、誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。そう――魔人です。
人間や他の生物とは隔絶した力を持つ大陸の支配者達。暴虐という言葉が相応しい化け物。
この紅魔城に住む魔人は、その化け物の中でも最も恐ろしいといっても過言ではないでしょう。この名も、人類圏では有名ではないでしょうか。
魔人――レオンハルト。
魔人筆頭兼魔軍参謀。最強の魔人。世界最強の剣士。魔物界の英雄。決闘魔人。剣王伝主人公のモデル。
巨乳好き。どう見てもラスボス。息を吸うように女を連れて帰ってくる。あの人、どうやって倒すの? ――などなど。
後半、ちょっとおかしい証言もありましたがそれも概ね間違いではありません。
その名を聞けば誰もが息を呑むビッグネーム。人間だけでなく、魔物界でも畏怖を集める存在が、この微妙な趣味の城の主であり、わたくしの主でもあります。
魔人レオンハルトは女好きとして知られていて、特に大きな胸――いわゆる巨乳に目がないとか。この噂の真偽はともかく、広く知られたものであることは確かで、魔軍に所属する彼の興味を惹こうとする者達は、戦争の際に巨乳美少女を見つけては彼に献上しているらしいです。人間からすればいい迷惑ですね。
かくいうわたくしも、その噂を聞いて恵まれた容姿と巨乳を用いて交渉し、メイドとなることで望む条件を引き出しました。
そんなこんなでこの城には、私と同じ様な人間のメイドや使用人が住み込みで働いています。
だけどここは魔人が住む魔の城。
人間を襲う恐怖の魔人。ゆえにメイド達は彼に恐怖と暴力を背景に働く事を強制され、日夜怯えている――
「――はー……レオンハルト様とセックスしたい……」
――というわけではない。
朝の掃除を行う一人の先輩メイド。
これまた例に漏れず、胸が大きい上に美少女だ。銀髪に切り揃えられたミディアムショートの髪。どこかクールな印象を与えるそんな人が、窓を拭きながら唐突にそんなことを口走った。
普通、仕事中にこんなこと言ったら、“頭おかしいんじゃないだろうか?” と思うがこれが日常なのが救えない。近くにいたメイドが注意する。
「何言ってんのよ!」
ほら来た。先輩メイドの登場だ。
明るい髪色をしたこれまた巨乳の美少女。仕事中に不適切な猥褻発言を行った後輩を折檻してくれるのだろう。怒り心頭な様子でモップを持ったまま後輩に近づく。そのまま注意してほしい――というのがエクレアの願望だ。
「――今日は貴方の番じゃなくて私の番でしょ!?」
――ずっこける。
そうじゃないでしょう!? と頭の中で叫ぶが、これがいつものことなのだ。
その二人がこちらに気づく。軽く転けた自分に対し、近寄り、
「ちょっとエクレア! 大丈夫?」
「躓いたりでもしてしまいましたか?」
「い、いえ……そういうわけでは……」
大丈夫じゃないのはお前達の方だ、という酷い発言を思い浮かべたりもするが、心配してくれている辺り、とても良い人達だ。というか基本的には良い子しかいない。権謀術数入り乱れる王宮で暮らしていた自分にとっては眩しいほどに。
そう、彼女達は別に強制されてなどいない。自ら望んでここにいるし、自ら望んで主であるレオンハルトに仕えたいと思っている。色んな意味で。
というのもここに連れてこられる人間の女性は、皆一度は人類圏に帰るか、ここで働くかの二択を突きつけられる。不幸にも魔物界に連れてこられてしまった人間に、これからの自分の進退を決めてもらう。ここで帰りたいと言ってしまうのが罠で、惨たらしく殺される――ということもない。普通に帰してもらえるらしい。
何とも不思議なことだが、魔人レオンハルトという男は、魔人にしてはかなりの良識派であるらしく、人間を無為に苦しめることを好まないらしい。巨乳の美女を攫ってくるのも、部下達がレオンハルトに気に入られたり、便宜を図ってもらおうと忖度した結果であり、一度も命令したことはないという。
しかしこれはこれで無為に殺される人間を救えるということで放って置いてるらしいのだ。なら最初から人類を襲わないでほしいとも思わないでもないが、この辺は複雑な事情だったり葛藤があるのは分かってるので口にしない。連れてこられた人間が、誰しも最初に思うことだが、魔物界に住んでると薄々とではあるがその辺りの事情も分かってくる。
とにかく、魔人レオンハルトはこれからの人生をどうするか、彼女達自身に決めさせ、もう行く場所がない、とか、自暴自棄になって、とか、複雑な事情や感情があってここに残った者達である。
自らレオンハルトを支えることに決めて、この城で働き続けるメイド達。自分も事情があってここにいるが、例えばこんな人達がいる。
「はいは~い。ちゃおちゃお~♪ 皆、そろそろ次の仕事にいっくよー☆」
「あ、はい。リムさん」
客室から掃除用具を持って出てきたのは、小柄でノリの軽い美少女。
その身長は、かなり小さい。おそらく、140センチ程で、ボリュームのあるふわふわの白い髪を、ツインテールに結っており、他の者達よりもスカートが短かったり、露出を多めにし、挑発的な笑顔に小悪魔的な印象を抱かせる彼女はやはりメイドの一人。
「ん? どうしたのエクレアちゃん☆ わたしの顔に何か付いてる?」
「あ、いえ……相変わらずだな、と」
「それってばっちり決まってるってこと? わーい♪ エクレアちゃん大好き☆」
「え、ええ……そうですわね」
そう言ってひしっと軽いノリで抱きついてくる胸の薄い少女。どう見てもかなり年下の後輩なのだが、やはりそうではない。
彼女はリム。これでも、この城で1番の古株のメイドである。メイド長さんとほぼ同時期からこの城で働いており、既に800歳を越えているのである。
かくいう私も百歳を越えており、多くのメイドも何百年と生きている。なのに見た目が変わらないのがこの城の敷地内は全て、永久保護魔法という中にいる生物の成長を止め、歳を取らなくなるという凄まじい魔法の影響下にあるためである。
だからこの子供の様な見た目の少女が誰よりも古株でもおかしくないのだ。彼女はメイド長さんを除いたメイドの中でもリーダー格のメイドの一人であり、一つの班を纏める班長。副メイド長ともいえる立場にある。
「んー! エクレアちゃんのおっぱいもふかふかで温かくて気持ちいいね♪」
「……そろそろ離れてくれませんか?」
「えー……もう、しょうがないなぁ……エクレアちゃんはそっけないね☆」
「仕事に忠実なだけですが……」
そう言って抱きついてきてたリムがすっと離れて笑顔を向ける。
どうにも人をからかったり、甘えたりするのが好きらしい。
何でも、昔は長閑な村で両親と仲の良い姉と平和に暮らしていたが、住んでいた村が運悪く魔王に襲われ両親は死亡。冒険者とともに村を脱出しようとしたが、それも魔王に阻まれ、最後に、姉妹のどちらかを伴として魔王に付いてきていたレオンハルトに褒美として授け、片方は魔物の慰み者とする、と魔王に告げられた。極めつけには姉に見捨てられ、死を覚悟していたところをレオンハルトに選ばれ、そのまま城に連れてこられたらしい――というのを明るく、リムは口にしていた。
そのせいか甘えたがりだと他の人が言っていた。それを聞くと、何とも断りづらいから困る。イタズラはやめてほしいのだが。
最初からこんな性格だったのかと頭が痛くなるがそうではないらしい。古株のメイドに聞いたが、何でも、よく面倒を見ていたレオンハルトの使徒の一人に影響された結果だとか。リムは彼女を、お姉さまと慕っているらしい。一応、使徒も自分達が世話する相手であり、上位の存在なのだが……本人たちが納得している様なので何も言うことはない。
「あ、リムちゃん。お仕事頑張ってくださいねー」
「! お姉さまっ! 今日も頑張ります! また今度、えっちなテクニック、教えてくださいね」
「くふふ、いいですよーう。またお勉強会、しましょうねー?」
「はぁーい☆」
……その使徒が誰か……などは言う必要はないだろう。皆分かっている。使徒の一人の影響を受けた、と言う時点で誰しもが一人の痴女を思い浮かべたはずだ。それで間違いない。悪影響もいいところだ。
「はー……今日はそっちの班が夜の担当でしょー? いいなぁ……」
「いやでも、そっちは明日お風呂担当じゃない。我慢しなさいよ」
だが、誰しもが程度の差あれど、似たようなものだ。
なんというか、多くのメイドが百年以上生きているということと、それなりにアレな人生を送ってきただけあって、皆どこか個性がある。ちょっとおかしい、と言い換えてもいいかもしれない。
しかもそれが100人以上、この城には存在する。この広い城の全ての業務を分担して行うため、8つの班に分かれ、働いている。メイド長さんを頂点、冥土王とし、その下にいる八人のメイドは八大冥土と呼ばれている――らしい。リムが勝手に言っていただけな気もするが、冥土王――じゃなかった、メイド長さんはノリノリだったのでよく分からない。
それはどうでもいいとしても、業務内容は主に、清掃、給仕、洗濯、接客、庭の手入れ、風呂、夜伽などなど。
厳密には後者2つは仕事ではなく、あくまでもメイド達が自主的に行っているに過ぎないが――制限や分担をしないととんでもないことになるので仕事として分けることにしたという経緯があるらしい。そして、やりたくないのならやらなくても良い。だが、この辺りがあの女たらしのあざといところだと思う。
それは一旦置いておいて、とにかく、この城に住む者達の個性は強い。そう、例えば――
「くくく、はーっはっはっは! 出来たぞ! やはり私は天才だ! 最高だ! ようしハンティ! 実験成功したし、パーティしようパーティ! 私の好物を全てもってこーい!」
「いや……あたし、これから別の仕事あるし――って、ちょっと!? 室内でそれ使うとか何考えて――って、今度はそれ!?」
「くっくっく! 今の私は誰にも止められん! 自由だ! フリーダムだ! このままこの城を支配してやるぞー!」
「ああもう! 雷撃!」
「ぎゃああーーーっ!?」
物凄い騒ぎが聞こえてきたが、素通りすることにする。出来れば、この部屋には近づきたくない。
一階にある魔法研究室――ここは天才魔法研究者、ガウガウ・ケスチナの研究室だ。
主にレオンハルトの使徒であるハンティと日夜、魔法の研究を行ったり、ゴロゴロとサボってハンティに怒られて雷撃を撃たれたりと騒ぎが絶えない場所である。
そんな部屋から、小柄な少女が出てくる。緑のボサボサヘアーの可愛らしい少女だが、肉体年齢は三十路らしい。目の下にクマを作る彼女がガウガウ・ケスチナ、その人だ。
「げほっ……容赦が無さすぎる……くっ、とにかく食堂へ……あ、そこのメイド!」
「! はい。何でしょう?」
呼び止められてしまったのでメイドとして応対する。彼女は反対側を指差し、
「ハンティが私の行方を聞いてきたら、あっちに向かったと言ってくれ。いいな、食堂でサボってるとか絶対教えるなよ!」
「……畏まりました」
「よし。それじゃあ食堂に――」
そう言って小走りで食堂に向かっていくガウガウ。聞かれたら普通に教えようと心に留めておく。
とはいえ、あんなのでも実は人類圏で有名な魔法研究者だ。昔王宮で読んだ魔法史関連の書にも名前が載っていた。何でも、ある魔人の元となった魔法生物を作り出したらしい。ヤバ過ぎる。どう考えても危険人物だった。
そんな印象は感じさせないが、やはり過去には色々あるもんだな、とも思いながらも自分も食堂の方向に向かう。
ただし向かうのは、食堂ではなく――厨房だ。
「……はぁ、厨房はあまり、中を覗きたくないのだけど……」
と、思うのは何名かのメイドも共通する想いだろう。
何しろ、厨房とはこの城の危険スポットの一つ。魔境なのだ。
何故厨房が魔境? と思うかもしれないが、それはこの厨房を取り仕切る――化け物のせいである。
溜息をつきながらも覚悟を決めて厨房に足を踏み入れると、やはり声が聞こえてきた。
「――料理とはあああああああああああッ!! 宇宙ッ!!」
白いコック服を膨れ上がる筋肉でピチピチにした二メートル強の化け物が訳のわからないことを叫んでいた。
……どうしよう、もう帰りたい。
挫けそうになるが、これも仕事だ。責任感のある自分の身が憎い。
早くも厨房に足を踏み入れたことを後悔しつつも料理長の言葉を聞いてしまう。
「宇宙の様に奥が深い料理は宇宙なのだッ! 料理は宇宙! 宇宙は料理! ならば――」
料理長――ガストロノミー・ミシュラン。
古くより魔王城、魔軍の厨房を取り仕切り、延いては魔物界を代表する化け物料理人一族。その中で最も魔物に近いと云われる料理人が、レオンハルト城の料理長を務める彼だ。
「料理を極めんとする私も――宇宙でなければならないッ!!」
ほんと、何言ってるんだろうこの人……。
今直ぐ帰りたい。これを目に入れてるとこっちの頭まで料理次元に侵食されそうになる。
ポージングを決めながら料理について熱く語っている料理長を見て、何とも言えない気分になっていると、
「我が肉体は宇宙ッ! 食材は星であるのだッ!! さあ! 我が全身全霊の奥義を受けよ!! スーパーマッシブブラックホール――インパクトォッ!!!」
「ひぃっ!?」
厨房にいる料理人達が一斉にその轟音に身体をビクッとさせて顔を強張らせる。中には怯えた様子で後退るものもいた。おそらく新人だ。
料理に叩き込むための調理法――の筈なのだが、その技で人や魔物を容易に殺せそうなのはどうしてだろう。さすがに魔人には勝てないはずだが、不思議とそれを感じさせないのは意味不明だと思う。さすがはメイド長さんと並んで、この城の絶対領域と怖れられているだけはある。
その分野において敵に回せば命はないらしい。料理人ってなんだっけ。そんなことを考えていると、
「さあ、この肉を誰か中庭へ!」
「あ、はい」
ようやく仕事が来たので他の給仕のメイドと一緒に皿を運ぶ。かなり大きい皿だ。一人では持ちきれないほどに。
「よいしょっと……」
「重いねー」
「ねー」
数人がかりで皿を持ち上げ、厨房を出ていく。ぶっちゃけ、料理長なら一人で持っていけるんだから持っていけよ、と思わないでもないが、彼は彼で滅茶苦茶忙しいので厨房を離れられない。
まあそれもそうだろう、厨房は城にいる者達全員の食事を作っているのだ。
メイドも含めて百人以上の朝食、昼食、夕食。加えて時にはおやつであったり、来客時の軽食や求められたらいつでも食事を作らなければならない。その大変さは想像を絶することだろう。そう考えるとあの肉体や意味不明な強さも必要なことなのだろうか、と思わないでもない。
後、何気に優しいのだ。おまけに細かい気配りも出来る。城にいる者達の好き嫌いは全て把握しているし、栄養管理も完璧。前に疲れてるだろうと、疲労回復用のドリンクを差し入れてくれたりした。
でも意味が分からないのは変わりませんわ、と中庭に行くと、
「ねぇ、ライゼンさん! ちょっと山でお肉取ってきてほしいんだけどー!」
「頼んでもいいですかー!」
「む……?」
中庭の中央にいる馬鹿でかい影。それは中庭に住む巨大なドラゴンのものだ。
全身をダイヤの鱗で覆われた50メートル程のドラゴンの名前はライゼン。
何でも古から生きる偉大なドラゴンで、四大聖竜の内の一体らしい。ちょっとスケールが大きすぎてよくわからないです。
昔レオンハルト様と戦い、友誼を結んでからこの城に住み始めているらしいが、人間からするととてつもない大きい存在だ。
踏み潰されたら一瞬で絶命。人間を数十人、丸ごと飲み込めるほどの大きい口。鋭い爪と牙。そんな凶暴なドラゴンの足元で上を見上げ、お願いをするメイドが二人。
彼女達は八大冥土の二人――というのは置いといて、班長の内の二人である二人の姉妹である。
やはりどちらもかなりの巨乳で、左右対称に髪を結った彼女達は、姉が赤い髪にツリ目のミオで、妹が青い髪で色気のある方がマオだ。
二人共強気な印象で――自分に匹敵するくらい胸が大きい。しかも二人共、かなり昔に滅ぼされた国の王女であり、ある国に売られてレオンハルトの元に来た二人であるという。
いや、別に競ってるわけではないし、どうでも良いはず。しかしたまに気になってしまうのだ。
その二人はライゼンに向かって山に肉を取りに行ってほしいと頼んでいる。
「今度メイドの一人が誕生日だからー!」
「料理は頼めば出るけど、私達も故郷の料理作ってあげようと思ってー!」
二人はそう大声で頼み込む。別に大声でなくてもいいはずだが、あれだけ大きいドラゴンに声を掛けようとなると自然と大声になってしまうのは分からなくもない。確かに、そんな感じになる。聞こえるはずではあるが。
「だから一匹くらいでいいからお願い!」
「お願い、ライゼンさん!」
「! 何だと!?」
しかしそのお願いに、ライゼンは顔を向けて瞳を鋭くする。
そして牙を見せて二人に告げる。
「貴様ら……俺を誰だと思っている! 四大聖竜のライゼン! 城に住んでいようともこの胸には未だ龍の誇りがある! その誇り高いドラゴン種の中でも怖れられたこの俺の強さを知らんと言うのか!?」
ドラゴンが吼える。当然だろう。それだけ偉大なドラゴンに対して、山に肉を取ってきて欲しいなどと言う、おつかいを頼んでも、聞き届けてくれるはずがない。
その爪と牙を見せ、ライゼンがくわっと迫真の顔で、迫力満点に翼を広げる。不躾な態度を取る人間には、相応の裁きを与える。そんな様子で、
「……一匹? 巫山戯るでない! 俺なら十や二十――いや、その山全ての獣を刈り取ってみせよう!!」
「ありがとー! ライゼンさん!」
「じゃあ、お願いねー!」
……龍の誇りって何でしょうねぇ……?
こうやって普通におつかいを聞いてくれる誇り高きライゼンさん。そう、やっぱりというか、実はかなり優しい。
メイドの中でもかなり人気があるというか、話してみると結構面白いのだ。メイドは皆おしゃべりが好きで、特に話題は近頃の世間の事だったり、誰かの身の上話だったり、人の話とか知らない話が好きだ。
ライゼンは特に中庭にいると話し相手として話しかけても相手してくれるし、話しかけてもくれる。しかも過去の、ドラゴンが今の人類くらい沢山いた時代の話をしてくれる。知らない話ばかりで面白いのだ。
自分も何回か話したが、ドラゴンを纏めてた時の人間関係――ならぬドラゴン関係? の話とか、ドラゴンの話のはずなのに間抜けな話が多くて親近感が湧く上、とても面白かった。歴史的にも滅茶苦茶興味のあるというか貴重な話な気もするが、その時代を生きてきた当人の話なせいか、実感が籠もっているというか苦労話も多いしであまりそういう風に感じないのが不思議だ。
たまに身体の上に乗らせてくれたりもする。大きくてツルツルしていた。メイドの一人が肌ツヤ良くていいね、などと言っていたがその感想はちょっと違う気がした。
「……む、今日の朝食か!」
そんなことを考えながら皿を運んでいると、ライゼンがこちらに気づいた。頷き、
「はい。角クジラの肉を挽肉にして焼き上げた巨大ハンバーグですわ」
「今日も料理長が滅茶苦茶よく分かんない調理法で作った自信作らしいから味わって食べてね!」
一緒に運んできたメイドがそう言うと、ライゼンは少し止まり、
「うむ……あの料理長の技は凄まじいからな……」
ドラゴン基準でもそうなのか。いよいよもって化け物だ。
ちょっと気になったので皿を置いてから口を開く。
「さすがにライゼンさんの方が強いですわよね?」
「ん、勿論だ。だが……前に間違えて尾で吹き飛ばしてしまったのだが……ピンピンしていたからな。頑丈さでは中々侮れん」
「……人間って何でしょうか……?」
「可能性の塊だろう」
そんな一言で締められても困る。あんなのになれる可能性はいりませんわ。
「……ドラゴンとか魔物の変異体なのでは……」
「ドラゴンはともかく、確かに魔物も可能性としては中々だ。メイド長さんを見てよく思う」
「ああ、あれはまあ……」
確かに、あっちも別のベクトルで凄まじい。などと思っていると、
「――私が、どうか致しましたか?」
「っ! メイド長さん!?」
「メイド長、ですよ」
背後から突然気配もなく現れたメイド長さんを見て、思わず軽く飛び退いてしまう。ライゼンも目を細め、
「……相変わらず一瞬で現れるな。どうだ? 今度一戦交えてみないか?」
「申し訳ありません。私はただのメイドですので、ライゼン様のご期待には応えられないかと」
「ただのメイド……?」
「メイド足るもの、呼ばれたら直ぐに馳せ参じるのが務めです。――エルシール様?」
「はぁ……はぁ……待ってください……早すぎます」
メイド長さんが不意に背後に向かって声を掛けると、追いかけてきたのか青い改造メイド服を来たメイドが現れた。
だが彼女はうちのメイドではない。それに、こちらより上位の存在なので頭を下げておく。
使徒エルシール。
レオンハルトと仲の良い魔人、ケッセルリンクの使徒であり、そちらの方のメイド長を務めている。
その縁でメイドの中のメイドと云われるメイド長さんに師事しているらしいが、傍から見ると遊ばれているように見える。今も、走って追いついてきたばかりのエルシールに対して、
「さあ、仕事に空きが出来たのなら修行の続きを致しましょう」
「は、はい。今日は――」
「昨日に引き続き、一流の寿司職人になるための修行です」
……メイドの修行はどこに?
しかしそんな想いは届かず、メイド長さんはニコニコとエルシールに向かって講義を行っている。
「寿司職人になるには10年以上の修行期間が必要と言われていますが、そんな常識、メイドには通用しません。料理が想像を絶するほど苦手なエルシール様でも、3年で美味しい寿司を作れるよう誠心誠意お教え致しましょう」
「はい。でも……本当にメイドに必要なんですか……?」
当然の疑問だ。ぶっちゃけ必要ないと思う。
しかしメイド長さんは笑顔で続ける。
「エルシール様。もしケッセルリンク様が突然、美味しい寿司を食べたい、と仰られたらどうするおつもりで? 泣き寝入りでもするおつもりですか?」
「それは……」
いや、寿司屋に連れていけば良いと思うのだけど……。
もしくは寿司を作れる人に作ってもらえばいい。料理長とか。
しかしその言葉は届かないようだ。指摘しようとも思ったが、それを読んだメイド長さんが笑顔で威圧してくるので言い出せない。何も言うな、と顔が言外に語っている。
「しかしエルシール様が寿司を握ることが出来るならその心配はいりません。直ぐにでも魚を捕り、ご飯を炊いて酢飯を用意し、醤油とわさびを用意して握って差し上げればいいだけです。それだけのことを成すのは並大抵のことではありませんが、それを成したエルシール様に、ケッセルリンク様はこう言うでしょう。――“エルシール。君は私の誇りだ”と」
「! ケッセルリンク様……!」
あ、完全に騙されてますわ。
というか最後の声真似が異常に似ていたのだが、このメイド長は特技というか能力が多すぎるだろう。もう殆どケッセルリンクだった。
「さぁ、厨房をお借りして始めましょう。それが一通り終われば、今度は漫画家になるための修行をしましょう」
「ま、漫画家!? あ、あの……それはさすがにメイドとは関係――」
「……エルシール様。もし、ケッセルリンク様が、面白い漫画を見たい、と仰ったらどうするおつもりで? そういう時に面白い漫画を描いて差し上げることが、メイドとして出来る真の奉仕ではないでしょうか?」
いや、絶対に違う。その場合の真の奉仕とは、直ちに漫画を図書館から借りてくることだ。
だがエルシールは騙されたように、
「……なら、それも頑張るしか……」
「大丈夫ですエルシール様。どれだけ大変でも、私は付きっきりで応援致します。エルシール様が立派なメイドになるまで……」
「メイド長さん……」
何故か感動っぽく話を誤魔化そうとしてるが、やはりメイド長さんの威圧に何も言えなくなる。少しして気を取り直したメイド長さんは、
「なので、その次は一流のギャンブラーになるための修行をしましょう」
「絶対メイドと関係ないですよね!?」
「……!」
うわぁ、物凄く楽しそうな笑顔ですわ……。
その表情から心境を読み取るなら、“ようやくツッコんでくれた!”だろうか。やはり揶揄っていたのだろう。とても楽しそうだ。
しかしその笑顔を多少抑え、メイド長さんは咳払いをすると、
「……いいえ、そうとは限りません。エルシール様。もし、ケッセルリンク様がお金に困ったら――」
絶対にあり得ない上に解決法がギャンブルというふざけた提案だ。仮にそんな状況になったら真面目に働け、声を大にして言いたい。どう考えてもおかしいだろう。なのに、
「し、しかし……」
――何ちょっと迷ってますの!? 早く断りなさい!
このままだと将棋が指せて美味しい寿司が握れて面白い漫画が描ける一流ギャンブラーなメイドになってしまう。もう訳がわからない。
だがメイド長さんはエルシールを連れてそのままどこかに行ってしまった。おそらくは厨房だろう。ご愁傷様、と言わざるを得ない。
「……よく分からんが、大変そうだな」
「……そうですね……」
ライゼンの言葉に同意し、切り替えてそのまま次の仕事に向かうことにした。
料理長が作ってくれた料理を食べて、再び掃除。室内をたくさんのメイド達と分担して行う。
この城はかなり広い。なので手分けしてやらないと終わらないのだ。
今日の担当は入り口。玄関前と言えばいいだろうか。城門の直ぐ近くを箒を掃いて掃除をする。すると、
「……今日も賑やかですね……」
開かれた城門の奥、街が見える。
そこは魔物達の街であり、レオンハルトが治めるレオンハルトシティだ。
自分の名前を付けるセンス――と言いたいが権力者が自らの権威を示すために自分の名前を付けたりするのは珍しいことではないのでまあそこまでおかしくないだろう。
それにこの街、人間が見たら軽くカルチャーショックを起こしてしまうくらい文化的だ。前にレオンハルトに街を見回らせてもらったが、劇場や大衆浴場、娯楽用のスポーツ施設や屋台や飲食店が多数。明らかに人間の街よりも豊かな街が広がっており、魔物達はその生活を大いに楽しんでいる。今も、城門の前を警備している魔物兵らが、
「……なぁ? 仕事終わったら今日はどこで飲む?」
「あー……いつもの場所でいいんじゃねぇか? あそこ、俺が好きなたこわさ出るんだよ」
「ああ、あれ美味いよな。……でも、たまにはもうちょっとお洒落な場所も良くね? 俺、劇場の裏手にある店のカニクリームコロッケが食べたくてよ」
「ああ……確かにいいな。……でもあの店、たまにガルティア様が出るらしいぜ?」
「うげっ、マジかよ。知らなかった……ってことはやっぱ美味い店なんだな……」
「いやまぁ分かるけどよぉ……城とかで好きなだけ食べれるんだからちょっと遠慮してほしいよなぁ……ガルティア様来たら、俺らが食べる分なくなっちまうし……」
「つーか材料無くなるまでその店で食うの、禁止されてなかったか? ガルティア様の場合。後でレオンハルト様に怒られるんじゃね?」
「あー、かもな。だったらその店でもいいかもな。仕事終わったら風呂行ってから行くか」
「おお、じゃあ――」
と、そんな会話が城の前で行われている。
おそらくはこの街のどこもそんな感じだろう。何でも、この街にある店は全てお金が掛からない。
そもそも魔物界では貨幣制度がないので当然なのだが……全て無償なのだそうだ。
もっとも、魔軍に所属する者でも頼める量に制限があったり、外から来る魔物には街に入る時点で券を渡され、それを引き換えに店を利用するため制限はあるのだが、それでも破格だ。
元々国を動かしていた身としては、人手は魔軍のものを用いているからともかく、どうやってそこまでの食料を賄っているのかと疑問になる。
それを以前聞いてみたのだが、何でも大陸西部には、魔物達が集まる世界樹というものがあり、そこにツリー都市というものを築いているらしい。そして、その木の周囲には沢山の野菜や果物、食料が生えてくるらしく、どれだけ取っても無くならないから飢えることは無いそうだ。最初それを聞いた時、魔物ってズルい、と思ったものだ。いや、今でもそう思う。
人間だと、餓死なんかは珍しくない時代だ。貧困に喘ぐ国は多いし、魔軍に襲われて大量の食料を奪われた日には、生き残ったとしても多くの餓死者が出る。そうでなくとも食糧事情はそれなりに厳しい。制限したとしても無償で渡せるほどの食料はないのだ。
この辺りの運営方法というか、社会制度の殆どは、人手を全て魔軍に所属する多くの魔物兵で賄い、完全な縦階級社会を形成している魔物ならではだと思う。どれも人間の常識ではありえない。生まれた瞬間から戦い、生き残るために成長が早く、どんな魔物だろうと平均して人間より強い魔物という種は、確かに人間より優れているといえるかもしれない。乱暴で短絡的、という特徴もあるが、人間と同じで多様性があり、あくまで傾向でしかない。
事実、この街の魔物達は文化的な生活を好み、人間と同じ様に家を持って普通に暮らしている。治安も人間の街より良いくらいだ。魔物同士の喧嘩、くらいならあるが人間社会で犯罪に位置するような事件は殆ど起こらない。
それはやはり、魔物の強いものに逆らわないという本能の様な考えが根付いているからだろう。
力が全ての魔物界において、魔王や魔人の命令に逆らう馬鹿はいないという。逆らえば死ぬだけだからだ。
人間ではそれは出来ない。独裁を行うことは出来るが、必ず民の不満が溜まり、反乱なども起こる。権力は足が早いのだ。仮に上手くいっても寿命で死んだりして王が変わればまた状況も変化するし、次の代ではどうなるか分からない。
その点、魔物社会では上は絶対だ。魔人達に寿命は存在しないし、力は魔物達の遥か上。法も倫理観も存在しないような場所では逆らえば幾らでも殺される。不満を持っても死ぬだけ。強い相手に逆らうこと自体が間違いだ。
しかしこうも思う。もしもこの先、魔王が――
「おい! 何を盛り上がっておる! 仕事中だぞ!」
「あっ! も、申し訳ありません!」
「!」
と、不意の声に思考を中断する。声を上げたのは魔物兵の向こう、街の方からやって来た魔物隊長だった。
おそらくは城の周囲を警備している部隊の隊長だろう。仕事中の雑談を注意する上司としてあるべき姿。魔物兵が思わず謝ると、魔物隊長は彼らに近づき、
「全く……レオンハルト様の城を警備するという大事な仕事を任されたのだから少しは気を引き締めろ。何も起こらない可能性の方が高いとはいえ、だ」
「す、すみません……」
やはり怒られている。しかし、魔物隊長は直ぐ近くまでくると、周囲を見渡して、
「……後で俺も飲みに参加してもいいか?」
「え……隊長も来るんですか?」
そんなことをこそこそと話している。直ぐ近くに聞いているものがいるのだが、大丈夫だろうか。
「俺がいるといつもより多めに頼めるぞ」
「! ぜ、是非一緒に行きましょう!」
「ははは、現金な奴らめ!」
魔物隊長や魔物将軍といった管理職に就くと、街でも色々と特権があるらしい。それをちらつかせて一緒に仕事後の飲みに行こうと誘う魔物隊長。確か高級店やVIP用の個室なんかも使えたはずだ。
やっぱり上手いやり方だと思う。それもこれも、ここの主のおかげなのだろう。
「……はぁ、ほんと良い場所ですわね……」
人との違いを感じて溜息を吐いてしまうくらいには良い環境だ。
どうして人間はこうならないんだろう、とどうしようもない事を思ってしまう。
仮に彼のような人が人類を導いたらどうだろう? 彼はかつて、人間の集落を率いていた王だったと言う。彼が仮に、そのまま王であり続けていたら?
――何も変わらないだろう。これは彼の問題というより、人間という社会では不可能なのだ。
権力争いに固執し、出る杭を打ったり、遠ざけたりしようとする人間の社会は権謀術数入り乱れる魔境だ。魔物社会がそうではないとは言わないが、人間社会の方が複雑であることは間違いない。
どうやったら人間社会は良くなるだろう、と考えてしまう。もう関わりはないというのに。
仮に魔物がいなくなっても、人間は争いをやめない。この街のようにはいかない。それを思うと憂鬱になる。
「……ふぅ、駄目ですね」
気づけば手が止まっていたので掃除を再開する。そのタイミングで、
「っと、いたいた。エクレア?」
「! ハンティ様、ですか。どうか致しましたか?」
急に目の前に黒髪のカラーが現れる。レオンハルトの使徒であるハンティだ。頭を下げて用件を聞く。すると、
「いや、ちょっとレオンハルトが呼んでてさ。何でも、仕事について意見を聞きたいことがあるみたいで。悪いんだけど執務室に向かってくれない?」
「? 分かりました」
何だろう、と思う。だが、何か街の運営だったり、人間のことについてだろうか、と適当に当たりを付ける。
そうして城の中に戻ろうとしたが、直前で呼び止められた。
「あ、そういえば――」
「? 何でしょう?」
ハンティが思い出したように問う。それは、
「……ガウガウ、どこ行ったか知らない?」
「……食堂ですよ」
「……分かった。ありがとね」
再びその場から消えてみせるハンティ。
――少しして、食堂から声が響いた。
「……来たか」
「はい。何の御用でしょう?」
執務室に着くと、部屋の中にはこの城の主であるレオンハルトが一人で書類を見ていた。
他の使徒達はいない。普段であれば一人はいるはずだが、何か別の用事だろうか、と思う。
レオンハルトは書類から目を離すと、そのままその鋭い目をこちらに向けてきた。
「ちょっと手伝って欲しくてな……見ての通り、手が足りてない」
「……はぁ、他の方々は?」
「別の用件で少しな。お前ならこういった仕事も得意だろう?」
「それはそうですが……」
机の上に溜まっている書類の山を見て言う。確かに元王女で、それなりに政務に携わっていた身であるからこういったものは得意だ。
しかし、
「……重要そうな書類ですが、私なんかに見せていいので?」
「何の問題もない。お前の事は信頼しているからな」
「っ、そうですか……」
出た。だから嫌なのだ、と思う。
こうやってナチュラルにあざといことを言うので困るのだ。しかもそういうつもりがないのが余計に何とも言えない。本人は至って真面目だ。
他のメイドが言っていたが、こういうとこが駄目なのだ。最初は殆どのものがそういうつもりもないし、レオンハルトの方も好きにしていいと優しくしてくれる。
だが、気がつけばこういうのが積み重なって気になりはじめ、気がつけば落とされているのだ。
どうにも悶々としてしまうが、その術中に嵌りかけている自分に腹が立つ。そんな気はない。そんな気はないのだが、
「? どうした。呆けている様だが……」
「っ、別にそういうわけではないです!」
「……そうか。それならいいが……」
「あ……」
思わず大きい声を出してしまった。バツが悪くなる。
同時に意識してしまっていることに気づいて顔が熱くなる。それを誤魔化すように、
「……分かりました。手伝います」
「ん、そうか。それは助かる。そこの机を使ってくれ」
「はい」
言われた通りに備え付けの机に座り、書類を手に取る。
やっぱり、それなりに重要なものも多い。メイドに見せるようなものではない。
だが、彼は信頼していると言ってくれたし――。
……っ、そうじゃないでしょう!
こんな考えばかりではいけない。自分が駄目になる。
とりあえず仕事に没頭しようと思う。仕事に集中していれば余計な思考は働かないはずだと。
そう思い、書類に取り掛かった。
――そしてそれは、一先ず上手くいった。
「…………」
「…………」
室内には紙やペンの音しか聞こえない。たまに外から誰かの声が聞こえもするが、耳に入らない。
それだけの集中力を以て、仕事を進めた。
だが、不意に手が止まる。それは、
「……っ」
それは――魔王が滅ぼした街の被害を纏めたものと、その収穫物に関するもの。
書類を目にし、エクレアは僅かに動揺する。先程、止めかけていた思考が、再び脳裏に流れた。
……もし、魔王の代が変わったら……次はどうなりますの……?
そう、それは魔王の代替わりという魔物社会、大陸が大きく変化する時代の転換期のことだ。
魔王とは、任期、寿命が存在する。
約1000年の任期を終えると、魔王は別の魔王に継承されるのだ。
この城に来て聞いたことだが、何でも前魔王から今の魔王に代わった際、やはり少なからず様々な事が変化したという。
人間を襲う頻度が増えたのも、今の魔王――ナイチサの特徴である。
だが、そこまで人間に固執はしない、というのもナイチサの特徴であるらしい。
この魔王の思想や行動が、大陸に影響を与えるのだ。
魔王には絶対命令権というのが存在し、配下の魔人や魔物達を従わせることが出来る。
ゆえに魔王が人類を滅ぼせ、と命じたら滅ぼすし、どんなことだってしてしまうのだ。
この魔王が代替わりした時、次の世の中はどうなってしまうのか、と不安を抱いてしまう。
人間に優しい――それこそレオンハルトの様な魔王であればいいかもしれない。不安はない。
しかし逆に人間に厳しい――人間を道具のように弄んだり、ましてや生きてることすら許さない、といった悪夢のような魔王であれば。
「……っ」
それを思うと、不安と震えが来る。
人間はどうなってしまうのか。自分達はどうなってしまうのか。
自分の身だって、どうなるか分からない。そんな次代への不安。
考えれば考えるほど、今が続けばいいと思ってしまう。今ですら、人間に厳しいというのに、そんな不謹慎なことを願ってしまう。
次の魔王が良い魔王であればいい。しかし、そんな可能性は限りなく低いのだ。
そんなものは来なければいいと思うが、時は無常だ。後二百年もしないうちに魔王は移り変わり、新たな時代は始まる。その時、人類は、私は――
「――大丈夫か?」
「……え……?」
気がつけば、声を掛けられていた。近くまでやって来ていたレオンハルトに。
彼の顔を見上げ、思わず震えが止まり、顔が赤くなる。
「あ、いえ、その……」
「……? 具合でも悪いのか? それとも、悩みでもあるのか?」
「そ、それは……」
「……まぁ、どちらにせよ、仕事にならなそうだがな……」
軽い溜息とともにそう言われると悪い気がしてくる。
だが、レオンハルトは正面の椅子に座ると、そのまま両肘を膝に乗せるようにしてこちらを向き、
「少し休憩にするが、本当に具合が悪いなら今直ぐ――」
「いえ、そうじゃなくて……」
「……それならいいが……まあ、とにかく休憩だ。俺も少し疲れたしな」
レオンハルトは強制的に休憩を告げる。明らかにこちらに気を使っていた。
普段から同じ様に書類をこなしているレオンハルトが、朝から直ぐに疲れるはずもない。そんな様子も見えないものだ。
それを悪いと思いつつも、別の思いもあった。それは、
「……あの……」
「どうした?」
レオンハルトなら、聞いてくれるのではないかと。不安を消してくれるのではないかと、そんな思い。
そんな想いから、エクレアは考えていたことを舌に乗せた。
「……わたくし、不安になってしまったんです……」
「……何がだ?」
「次代の……次の魔王の治世で、人間が、世界がどうなるのかと……」
「! ……そうか」
僅かに目を見開いたレオンハルトが、こちらの不安に頷いてくれる。
そうしてしばらく、何かを考え込んでいたレオンハルトは、ゆっくりと口を開いた。
「……お前が不安に思うのも分かる。確かに、魔王が変われば世界は大きく変わるからな。不安に思うのも当然だろう」
「……はい」
「ひょっとしたら、
その通りだ。だから、不安になる。
背負い込んでしまっているという自覚はある。ここにいれば、安全である可能性は高いのに。
人間がこれからどうなるか、という未来を考えて不安を感じてしまう。
面倒な女だ。自分はもう、王女でもなんでもないというのに。
しかも本当は自分の身を心配しているだけで、その延長で人間全体を心配しているだけな、自分の深層心理が垣間見えて嫌な気持ちになる。
そんな自分を、レオンハルトはじっと見詰めている。何を考えているのだろう。
彼は常人とは違う。千年以上を生きる魔人だ。そんな彼であれば常人の思考とはまた違うものを見ているだろう。
ひょっとしたら、未来の予想や、それを想定して対策でも考えているかもしれない。そんな馬鹿な妄想すら考えてしまう。そんな訳ないのに。
不安が再び浮上してくる。――そんな時だ。レオンハルトが再び口を開いたのは。
「……確かに、俺は全ての人間を守れるわけでも、救えるわけでもない。寧ろ傷つける側だ。俺のせいで苦しんでいる人間は数多くいるだろう」
自分は修羅であり、多くの人間を殺し、苦しめるのだと彼は言う。
それはそうだ。彼にも立場がある。
魔人であり、魔軍を率いる彼には、多くの魔物を導く義務がある。だからこそ、彼は人間を斬るのだ。
魔物界の英雄、という異名はそんな彼の在り方を表している。
つまり、人間にとっては不倶戴天の敵に他ならないということだ。彼はこうやって少なくない数の人間を救っても、本質的には人類の敵なのだと。
だから救うことは出来ない。そう言うのだ。
しかし、彼は言葉を続けた。
「だが、それでも俺は……自分の大切なものはどんなことをしてでも守り切る」
それは、
「それは、お前も同じだ。エクレア」
「――!」
「お前が、お前達が俺の内側にいる限り、誰であろうと傷つけることは許さない。――
「レオンハルト……様……」
そんな大言壮語を、レオンハルトはこちらを真っ直ぐ見て語る。
それは難しいはずだ。彼は魔人の中で最強と言っても、所詮魔人でしかない、魔王には敵わないのだ。
だが、何故だろう。
彼の言葉を聞いてると、とても安心する。
言葉だけではない。彼の傍にこうやっているだけで、震えは止まるのだ。
きっと彼は、例え到底不可能であろうとも、その誓いを守ろうとするのだろう。
その強い意志を秘めた瞳が、言外にそう言っていた。
そして、その瞳に見詰められると、見ていると、どんどん鼓動が大きくなる。
……ああ、もう……。
それを自覚していくと、もう駄目だった。気がつけば、椅子から離れ、彼に近づき、
「……なら、もっと近づけば……もっと、守ってくれますか……?」
「ん? あ、ああ――っ」
彼に抱きつき、その胸に顔を埋めていた。
するとやはり、とても安心し、胸がドキドキする。
「……おい、エクレア……?」
レオンハルトが僅かに戸惑った様子で声を掛けてくる。そんな様子はあまり見ないのでちょっと可愛い。こちらも顔赤くしながら彼の顔を見上げ、
「ん……駄目でしたか……?」
「……そういうわけではないが」
「じゃあ……嫌いですか……?」
「……嫌いでもないが……」
歯切れの悪い回答に可笑しくなる。思わず笑みを浮かべ、
「ふふっ、あれだけ女性を侍らせてるのに、可愛い反応を見せるんですね……?」
「……からかうな。別に戸惑ってるわけじゃない。ただ……急だったからほんの少しびっくりしただけだ」
言い訳っぽくてやはり可笑しくなる。やはり計算というわけではないのか。
だがこれで、他のメイド達が言っている意味がようやく分かった。確かにズルい。
ただでさえ色んな面で完璧な癖に、妙に弱いところとか可愛いところを見せられると、のめり込んでしまいそうになる。なるほど、こういうことか。
彼の反応がもっと見たくて、自分の最も膨らんだ部分を強く押し付けてしまう。するとかなり分かりにくいが、僅かに眉が動いた。
鉄面皮で何事にも動じない彼が、こんなことで動じる辺り、やはり巨乳好きであることは事実なのだろう。もっと色々としてみたくなってしまうが、彼は不意に息を入れると、
「……お前の気持ちは嬉しい。だが――」
と、続く言葉は止めた。
「はい、
「…………本当か?」
「はい。貴方は、そのままでいてください。わたくしは、他の方と同じ様に、慰みを頂ければそれで……」
「…………」
その瞬間、彼はどこか自嘲するような、複雑な想いを滲ませた表情で目を伏せた。
それはレオンハルトに関するある噂のことだ。有名ではないが、彼に近しい者ほど、それを知っている。
彼は例え、メイド達の好意を受け止め、それを返したとしても、どこか一線を引いているのだ。
忘れきれず、譲れない何か。レオンハルトにとって最も大切なものであるらしいそれ。その存在が、彼のその発言に繋がるのだ。
「……分かった」
彼は言う。また覚悟を決めた顔で、
「俺の好意がお前の救いになるのなら……
「……ありがとうございます」
その言葉は、エクレアの事を受け入れる様でありながらも、やはり一線を引く言葉だ。
だが、彼の言葉、そして抱きしめてくるその行動も何もかもに、好意と愛を感じるのだから彼は器用だし、不器用だと思う。女としては只々嬉しくなるその気持ちの込め方は、しかし彼の身を心配してしまう。
……ああ、そういうこと……。
気持ちが昂りながらも、どこか冷静な面も残すエクレアは気づいた。他のメイド達と同様の気持ちに。
だからこそ、少しでも彼に尽くして、彼に気持ちよくなってほしいのだと。
これだけの愛をくれる相手が、少しでも楽しめたらいいと、尽くすのだ。
それに気づいた時、エクレアは自分の身体を彼に擦り付けることを躊躇わなかった。
「……おい、今は仕事中だぞ」
「……休憩中、と仰いませんでしたか?」
彼の好みの身体で良かったと、心から思う。それだけ彼を悦ばせることが出来るのだ。
しかし、そうでなかったとしても彼の好意は全く揺らぐこともないのだろう。そう思えば、そうじゃない娘達も彼に迷いなく、それでいて激しく尽くそうとするのだろうな、と思う。
そうしてどこか淫靡な空気が、部屋の中に広がっていく。明らかに自分のせいだが、レオンハルトは息を吐き、
「――悪いがお預けだ」
「……え?」
それはないだろう、と思った直後、部屋が開けられた。
「レオンハルト様ー! 例の報告書、持ってきましたよー! ついでにクライアちゃんも部屋の外にいたんで連れてきました!」
「あ、あ、あの……お茶とお茶菓子をお持ちしたんですけど……」
部屋に入ってきたのはレオンハルトの使徒であるペールと、最近メイドとして入ってきたばかりのクライア・カラーだ。
ペールの方は紙を手にして普段どおりだが、クライアの方はどこか顔を赤くしている風に見える。エクレアは赤くなった。
……も、もしかして……。
聞かれていたのか、と思う。しかしレオンハルトは全く動じることなく、いつの間にかこちらから離れていて、
「ああ、二人共ご苦労。お茶はテーブルに置いてくれ。ペールはちょっと手伝え。今日はちょっと忙しくなる」
「は、はい」
「了解ですよう! って、うわぁ……書類多いですねぇ……それに――って、エクレアちゃん?」
「え、あ、はい。何でしょう?」
どもってしまったこちらを見て、ペールが顔を近づけて観察してくる。何か疑っているような顔だ。バレてしまうだろうか、と思う。
そうして暫く見詰められ、
「……あぁ。ははーん」
……その分かりました、みたいな顔、ムカツキますわ……!
なるほどなるほど、と言いたげにこちらから離れ、机に向かっていくペール。もう完全にバレただろう。どうせ明日にでもなれば城中に広まってるだろうが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
そうやって顔を赤くして羞恥に悶えていると、
「――
「……!? え、あ……」
「さて、仕事を始めるか」
レオンハルトが一瞬、こちらの横を通る際に小声で耳打ちしてきた。
続きは今夜。その意味が分からないほど、初心ではない。思わず背筋が震え、
……ど、どうしましょう。と、とりあえず、念入りに身体を綺麗に……。
先程盛り上がりすぎておっ始めようとしていたことも忘れ、内心が荒れ狂うエクレア。それを見て、今度はペールがレオンハルトには見えない様に何かを書いて、
『今度、私の夜の講義、受けてみます?』
と、そんなことを書いた紙を見せてきた。どうでもいいが、書類の裏に書いていいのか。
エクレアは僅かに悩み、そして、
「…………」
ペールに向かって頷いた。
――そして次の日。いつもと違う部屋から自分の部屋に向かったエクレアは、待ち伏せていたペールに“昨夜はお楽しみでしたね?”とニヤニヤした顔で言われ、そのまま講義を聞きに彼女に付いていった。
そして思った。――ああ、こうやって、人は堕ちていくんだなぁ、と。
この城のメイドが出来上がる行程を、自分の身で体感したエクレアであった。
スラル「……気持ちを込めて歌います。『3年目の浮気』。ほら、一緒に歌うわよ、レオンハルト」
レオンハルト「おいやめろ! この歌は俺に効く!」
ケッセルリンク「止めたほうがいいのか……?」
ガルティア「こうやってふざけてられるくらいだから大丈夫だろ」
ハンティ「それにしても……こんな風に毎回落としてたんだね」
レオンハルト「……“馬鹿言ってんじゃないよ”」
ペール「ぶっちゃけテンプレパターンですけど、これ。珍しくもないです」
エクレア「えっ」
ラウネア「…………(次回は赤い髪のあの子が加入かな?)」