「やべぇよ……!」
「一体何が起こってるんだ……!?」
「――落ち着け! まずは正確な状況の確認だ!」
魔物兵達の混乱を、魔物将軍は必死に収めようとする。
勇者の襲撃、相次ぐ魔物大将軍戦死の報に、さすがの歴戦のレオンハルト軍でも、混乱は避けきれなかった。リーの副官を務める魔物将軍は、嫌な想像を頭から必死に振り払おうとしながらも、現実的な判断で、それが難しいと苦悶の表情を浮かべていた。
ヴラド、コウウ。そして続いてバルカ、リーと死んでしまえば、兵の動揺を抑えるにも限界が来てしまう。特に直属の上司であるリーが死ねば、幾らレオンハルトが健在であるとはいえ、少なくない離散者が出てしまうだろう。魔軍最精鋭と呼ばれるレオンハルト軍が、魔王が御わす地にて離散してしまうなど恥以外の何物でもない。レオンハルトがそれに対して怒ることはないかもしれないが、彼に恥をかかすことになってしまうのはいただけない。
だから魔物将軍は願った。部下としても、リーには死なずにいてほしいと。
そんな時だ。その場に声が響いたのは、
「――総員、その場にて待機せよ」
「!」
その声は大声でもないというのに、よく響き渡った。
魔物兵達がざわついていた街の一角での一声は、レオンハルト軍の魔物兵が聞き慣れている声に、よく似ていたのだ。
こちらを従わせるに足る将の声。その声の持ち主の名を呼ぼうとして、魔物将軍は前からやって来た者の姿に目を剥いた。
「……リー、閣下……です……か?」
「ああ、少しばかり生き長らえてしまってな。今は大将軍ではない。レオンハルト様の使徒となった」
「っ!? それは……なんという……」
前方からやって来たのは、赤い軍服を着た人間の中年のような見た目の男。しかしその身から発せられる色濃い魔の気配と、聞き知った渋い声に、魔物将軍はその名を当てることが出来た。
しかしそのリーから告げられる衝撃の結果に、魔物将軍はなんと言えばいいか言葉を見失う。魔物大将軍ではなく、あのレオンハルトの使徒になったというのだ。
最強の魔人にして、自分達の直属の上司であるレオンハルトの使徒が増えたというのは、悪いことではないにしろ、それだけで大事件だ。しかもそれが、レオンハルト軍を預かる魔物大将軍であったリーとなると、余計に。だから動揺してしまうのはしょうがないだろう。
だが一方で、リー大将軍ならばそういうこともあるかもしれないと思ってしまう。レオンハルトの信頼厚いあの御方であれば使徒になってもおかしくはない。
しかも不思議と嫉妬もない。魔人や使徒になるというのは、魔軍の組織を飛び抜けて出世するようなものであり、時に成り上がった者は、魔物から嫉妬の思いを向けられることもある。
しかし、職務に対して誰よりも真面目であり、取るに足らないはずの魔物将軍や魔物隊長、魔物兵のことまで気遣い、時には失敗した部下を庇い、飲みに連れて行ってくれるあのリーなら、使徒になっても、
「……おめでとうございます、閣下」
「ふっ、もう私は閣下ではないぞ」
「それでも、です。我々にとって、閣下と言えばリー閣下。貴方のことを指しますゆえ」
レオンハルトのことも魔軍参謀閣下と呼ぶ時は呼ぶが、どちらかというとレオンハルト様、魔人であるが故に直接呼ぶことの方が多い。
だからそう言ったが、リーはやはりと言うべきかそれを知っていた。苦笑した上で指摘する。
「……レオンハルト様も、閣下であろうに」
「はっ、申し訳ありません。レオンハルト様を軽く見ているわけではなく――」
「分かっている。好きに呼べ」
リーからの許可を得たため、魔物将軍は言う。
「では……リー閣下。我々はどうすれば?」
「……レオンハルト様の命令だ。我々は今直ぐ、この一帯から距離を取る」
「それはどういう……襲撃者に対しての対応は如何するのですか?」
うむ、とリーは頷く。以前よりも落ち着いた、覇気のある声で、
「ここらは直に、レオンハルト様の戦場となる。兵を巻き込むわけにはいかない」
「! なるほど、了解致しました」
レオンハルトが戦う。その意味を、知らない者はいない。
特にレオンハルト軍では、レオンハルトが戦闘に入った場合のマニュアルすら存在する。それもかなり昔に、リーがレオンハルトの戦いの激しさを見て、作ったものだそうだ。
剣士の常識というものが通用しないレオンハルトであれば、剣の間合いの外、本来なら弓や魔法などで攻撃するしかない遠距離であっても、剣の間合いになる。
そしてあらゆる障害物は意味を為さない。斬撃の流れ弾を喰らわないためにも、距離を取ることは必須だ。
全てはレオンハルトに、気を回させないため。近くに魔物兵がいるからと注意を払わなくてもよくするために、距離を取る。
だからそれを聞いた途端、レオンハルト軍の将兵の誰もが行動を起こす。中には魔物兵であっても、魔人の戦闘に巻き込まれないために、と素早く動き始める。それを見て、リーは言った。
「迅速かつ正確に、順序良く動け。急ぐ必要はあるが、焦る必要はない」
「はっ!」
「それと、現時刻を以て、レオンハルト軍を指揮する魔物大将軍がいなくなったため、臨時の指揮官としてジャクソン将軍を任命する」
「! わ、私ですか!?」
「レオンハルト様と……私からの推薦だ。このような慌ただしい時で済まないが、引き受けてくれ」
その心遣いを、魔物将軍は受け取る。レオンハルトからの推薦とはいうが、魔物将軍はレオンハルトのこともそれなりに知っている。
公平かつ果断。しかし慎重さもある方だ。だからリーにも一言くらい相談しただろう。
その時に、リーが自分の名前を出してくれたのだろうと、魔物将軍は正確にそれを読み取ることが出来た。
そして数いる魔物将軍の中から、態々自分を推薦してくれたことに、胸が熱くなる。その昂りのままに、しかし同時に襲いかかる責任感に身を引き締め、魔物将軍は頷いた。
「……はっ! 拝命致します!」
「よし、ならば動くぞ。レオンハルト様はここから南西の時計台の辺りで戦闘を始めている。レオンハルト軍は巻き込まれないように、ここから東側と北側に軍を分けて移動させるぞ」
了解しました! という良い返事と、直ぐ様他の魔物将軍、魔物隊長達に指示を下し始めたのを見て、リーは満足そうに頷いた。
そして部下達への心配がある程度はなくなったところで思うのは、レオンハルトのことであった。
――ご武運を。
使徒となったリーは短く、心の中で、主であるレオンハルトの勝利を祈った。
主に仇討ちを頼むつもりはないが――どうか、死んでいった仲間達の為にも、勇者を討ち倒してほしい、と。
遠くからは、戦闘の激音が響き始めていたのだ。
魔軍に支配され、今は魔王ナイチサの前線拠点となっている東部オピロス帝国の首都、テラ・ユークリッドの街中では、一つの戦闘が進行を始めた。
先程まで、部下を助けるために戦いを分身に任せていた魔人レオンハルトが、戻ってきたのだ。
屋根の上に登ってきた金髪灼眼の男を、勇者クエタプノは見た。視線が合わされ、レオンハルトが鼻を鳴らす。
「……ふん、昔はただの勘違いしたガキだったが、今はデキるようになったみたいだな」
と、告げて、屋根の上から視線を横に向ける。向けた先は、先程までレオンハルト達がいた街の表通りとは逆側、表通りから外れた路地裏の地面だ。
そこに倒れているものをみて、レオンハルトは舌打ちを一つ、
「まさか――
「……お褒めに預かり光栄です。随分と強かったですよ、貴方の分身」
路地裏で朽ち果てていくのは、レオンハルトが作り出したレオンハルトの分身だった。
まだ数分か、10分程度しか経っていない。それだけの短い時間で、クエタプノはレオンハルトの分身を倒してみせたのだ。
そのことに対して、いっちょ前に挑発してみせるクエタプノに、レオンハルトは眉を顰める。強かった、と言うが討ち倒した後であれば反対の意味にしか聞こえない。
――大したことなかったですよ、と。
レオンハルトにはクエタプノの言葉が、そう聞こえた。生意気なガキだ、と思いつつも、
「……分身を倒したくらいでいい気になるな。あれは俺の数分の一程度の力しかない、ただの幻影だ」
「そうですか。――
ブチッ、と何かが弾けたような音がした。
レオンハルトは、額に血管を浮かばせた上で、しかし冷静にあるように努めて言葉を作る。
「……何も知らないガキが。他人に貰った力で、正義の味方ごっこは楽しいか?」
「……それは関係ないでしょう。大切なのは力の出処ではなく、その力で何をするかです。それに大体――」
と、クエタプノはレオンハルトに対して、眼を細めて告げる。
「――他人に貰った力。それを言うなら、魔人だって魔王に力を貰ったわけでしょう。“勇者”としての力を振るう僕と、“魔人”としての力を振るう貴方。一体何が違うんですか?」
「……!」
それは、レオンハルトも理解しながらも、敢えて告げなかった言葉だった。
レオンハルトの内心を要約するとするならば――“知った風な口を”というのが簡潔だ。
確かに始まりとなる力を得たのは間違いない。だが己は、お前のように狂ったような仕掛けの力は貰っていないし、ここまで強くなったのは己の才覚と、それを磨き上げた努力によるものだと思っている。
それを押してもなお、クエタプノの言葉の方が多少の道理があるが、それでも敢えて告げたものだ。
裏にある言葉の意味は――“お前は知っているのか?”と。
返答は、知らない。不快に思ったとこを見ると、多少何かに感づいているか、その力に違和感を覚えているのかもしれない。
しかしまだ、その糸から抜け出てはいない。自分が舞台に上がった演者だと勘付きつつも、自分の行動が正しいと信じているガキが、眼の前の勇者だ。
完全な操り人形からは抜け出ているかもしれないが、道化であることには変わりない。
そんな道化に、正論でやり返され、レオンハルトは自分が冷静に話続けていることを褒めたい気分だった。
「……どこまでも癪に障るガキだ」
「さっきからガキとばかり……僕がガキなら、貴方はお爺ちゃんじゃないですか。人の容姿や特徴をあげつらって中傷するのはあまり良い行いとは言えませんよ」
「……随分と、俺の部下を殺ってくれたようだが……覚悟は出来てるな?」
「ええ、貴方と――魔王を倒す覚悟なら、決めてきました」
そう言って決意を秘めた視線を向けてくるクエタプノに、口の減らないガキだ、と、苛立ちを募らせる。
だが口に出すのは苛立ちではなく、己の意志を決定づけるものだ。
レオンハルトは空間から魔剣を引き抜くと、それを勇者に突きつけて告げる。
「少しくらい、手心を加えてやろうかとも思ったが……やめだ。――本気で潰してやる」
「どうぞお好きに。僕も――本気でやりますので」
そうして次の瞬間、踏み込みは同時。
お互いはお互いの武器をぶつけ合い、火花を散らせた。
勇者の剣、エスクードソードと、魔剣、オル=フェイルがぶつかり合い、お互いを弾く。
そうして弾かれるのはお互いの得物だけではなく、互いの距離もだ。
クエタプノは、自分の方が距離を取らされたことに対して、相手の危険度を大幅に跳ね上げさせた。
ここまで戦ってきて、おそらくは魔人級の強さを持つ大将軍だって上回ったし、魔人を越える力を得ていると思っていたのだ。
そしてそれはきっと、間違いではない。
だが、この眼の前にいる魔人は違う。この魔人に対して自分は、
……力負けした……!
それが示すところは単純。相手は、自分よりも強い。
力と速度において、クエタプノは眼の前の魔人に負けた。その結果が、自分だけが大きく距離を取らされた現状だ。
先程、分身とは戦い、勝利した。そして会話の中で、その数倍程度なら、という挑発も行った。実際はそれだけ強かろうが倒すという自分への意思表示を含んだものであったが、
……かなりキツいですね……!
実際には苦しい。今も、距離20メートルほど離れた屋根に着地したところでも、剣士としての感覚が警鐘を鳴らし続けている。
それが意味するのは、相手の異常な間合いの長さだ。
「――!」
「くっ……!」
それは先程の分身も使っていた斬撃を飛ばす剣撃。
相手にとっては技ですらない通常攻撃。ただ剣を振っただけのものは、距離20メートルを一瞬で埋める風の刃だ。横薙ぎに振られたそれを、見切って回避を行う。背後の建物が切り崩される音と振動が鳴り響いた。
やはり、自分は相手の間合いにすっぽりと入り込んでしまっている。
剣士としてはあり得ないものだ。確かにあの魔人が持つ禍々しい剣の長さは通常の剣と比べてもかなり長いが、それでも一足一刀で届く距離は7メートルから9メートルといったところだろう。
だが魔人の身体能力、技能を以てすれば、その間合いは何倍にも膨れ上がる。
魔人レオンハルトは一刀で数十メートル先の相手を斬り伏せ、一足で数十メートルの距離を埋める。そして遠くに刃を届かせる。
近ければ近いほど剣撃の鋭さは高まり、厄介になっていくが、遠くから戦っても戦士にとっては攻撃手段がなく、不利になるだけ。
これが世界最強の剣士の剣技。反則級の力を容易に振るう魔人の剣だ。
そこには確かな修練の足跡が窺える。ただ同程度の身体能力があるだけでは、神業染みた剣技の数々を行うことは出来ないだろう。
今も、斬撃を二つ、三つに別れさせながら迫ってくる。回避の難しい剣技だが、それを放たれる前に動くことで回避する道を作り出すと、こちらも魔人に対して、逆袈裟で反撃を行った。
「ふっ……!」
速度は充分。こちらも相手の剣に追い縋れるくらいには身体能力はある。
すると相手の魔人の無敵結界を、突破した感覚が剣から伝わってきた。
やはりこの剣は、と思いつつも、相手もその結果に目を細めた。忌々しいと言わんばかりに、
「勝負にはなるようだなッ!」
「……どうやらそうみたいですね!」
この期に及んで無敵結界を突破出来ないとかであれば大問題だったが、そういうことはないようで少し安心する。
しかし無敵結界が突破出来ることと、相手に攻撃を与えられるかどうかは、また別問題だ。
攻撃を加えるためには、この魔人の剣撃の嵐から極小の隙を見つけ出して、更には相手の防御を潜り抜けなくてはならない。運や偶然も味方してくれるだろうが、それも期待出来ない。それは実情として、知ったことだ。
相手の剣。その動きに対する勇者の力の補正。それが、
……働いていない……!?
何故、という思い、疑問が来る。そしてそれを見抜かれたのか、相手は不敵な笑みを浮かべた。
「俺に不運が発動しないから動揺しているな?」
「っ! 貴方は、この力を知っているのですか……!? その上で、何か対策を――」
「……馬鹿が。対策なんざ必要ない」
「なら一体何をっ!?」
剣を合わせながら疑念を口にする。動揺の現れであることは否定出来ない。相手に答える義務もない。
だが眼の前の魔人は答えた。こちらを小馬鹿にするような、もしくは、力の差を見せつけるように、その答えを口にする。
「不運なら起こってる。起こってるが――だからどうした」
と、
「こんなもので俺の動きを乱せるとでも思っているのか?」
魔人は足元に転がってきた石を、思い切り踏み砕いて、言った。
レオンハルトは鬱陶しい、とは思いつつも、この程度で、という想いで剣を振るいながら告げる。
勇者の力。それについては一通り把握している。
「勇者の幸運。それは敵対者に対して、小さな偶然が幾つも積み重なることで発動する。僅かな体捌き、足元の石ころ。そんな小さな偶然が、敵対者の攻撃を乱し、ギリギリのところで致命傷を回避する」
それが勇者の幸運。これと見切りの力があるため、勇者を、一度でも殺すことは至難の技だ。
「さっきから俺を転ばせようとしてきたり、偶然俺の足元だけ濡れてたり風が吹いたりとうざいことにはなっているが……俺の剣に、偶然なんてものは一つもない」
こんなもので、己を乱せると思うな、とレオンハルトは事実を告げる。
「身体の動きを百パーセント正確に把握し、動かすことが出来るなら、僅かな体捌きの差異など、起こりうる筈もない。足元が多少不安なくらいで、俺の動きは乱れない。それ以外の不運は――その都度、対応してやればいい」
「そんな馬鹿なことが……!」
と、勇者が言った瞬間だ。不意に空に浮かぶ黒い雲が光った。
「――!」
それは莫大な音とともに、レオンハルトに向かって落とされる――落雷。
偶然、クエタプノの相手である魔人への降り掛かった自然の脅威に、クエタプノは咄嗟に飛び退き――しかしその結果を驚きの表情で見た。
「――“瞬光”」
「なっ――!?」
それはクエタプノの強化された目を以てしても視認出来ない一刀。目視した時には既に結果は現れていた。
レオンハルトが天に向かって剣を振るったのか、おそらくは落雷を断ち切った。
それを成した上で戦闘を止めることなく、レオンハルトは言う。
「――この程度の不運如きで俺を殺せると思うな。俺を殺したければ、実力で来い」
「……!」
クエタプノの表情が驚きに染まるが、レオンハルトからすればこの程度は大したことではない。
頭の天辺から足の先まで。一切の狂いなく身体を動かし、全てを自分の意志で動かしてしまえばいいのだ。
血の巡りを感じ、心臓の動きすらも自分で止めることも動かすことも出来るようになればいい。身体に対する不運はそれで対応出来る。
外部からの干渉についても簡単だ。石ころや出っ張りが来たら、それを見てから反応するか、転けてから反応すればいい。
躓いた瞬間に、不運が起こっている最中に、もう一度踏み込んで調整すればいいだけの話だ。
そして不運には限界がある。最大のものが、落雷や地割れ、突風などの自然現象だろうが、それが起こってから対応出来るだけの速度さえあれば、対応は難しくない。
「今度は地割れ程度で逃げれると思うなよ。その前にお前をすくい上げて剣を突き立て続けるくらい、俺には訳ないことだ」
告げる。もう絶対に逃がすつもりはないと。
「俺の部下をあれだけ傷つけたんだ――百回は殺してやる。精々耐えてみせろ」
「……ッッ、く……!?」
刹那、レオンハルトの魔剣がクエタプノの胴を斬り裂くと、勇者は一度、死を迎えた。
次回も対勇者戦。
後、少し短めなのを慰めがてら、活動報告に魔物大将軍のプロフィールを載せておきますので興味がある方は覗いてみてくださいな