「――おっ、らぁああああああああぁぁ!!」
「へぶっ!?」
その人間の男――レイ・ガットホンは、荒々しい雄叫びを上げながら何十体目かの魔物兵を己の拳で屠ると、周囲を見渡した。
「っ……はぁ……はぁ……これで、終わりか……」
息を整えながら、周囲に転がった魔物兵の死骸を見渡す。
立っている者は一人もいない。全てレイが、その手で殴り、蹴り殺したのだ。
一応、戦いが終わったことでレイはほんの僅かに気を緩めてふらつく。
「へっ……やってやったぜ……!」
レイも無傷ではない。
一部隊を丸ごと相手にするのはさすがに骨が折れるもので、人間として規格外な強さを持つレイであっても、身体の所々に赤の線や痣を作っている。
しかしその口元に浮かぶのは、愉快そうな笑みだ。
全身の痛み、疲労、そして戦闘に勝利した時の高揚感。
今もう一度襲われたら危険だという焦燥感も全て刺激に、生きているという充足感に変換される。
このときばかりは、訳も分からずに苛まれ続ける退屈や苛立ちというものから解放されるのだ。
人狩りの為に集まり、狙いをつけてくる魔軍を、たった一人で相手取るのは、レイの日常における極上のスパイスだった。
「――いたぞ! 例の人間だ!」
「くそっ、またこんなに仲間を……なんとしてでも捕まえろ!」
「! 来やがったか……!」
遠くから、こちらに気づいた別の魔物兵達がこちらに近づいてくる。
このまま戦ってもいいが、また一部隊を相手にするまでは体力が保たないし、それ以上の数がいるようにも思える。
故にレイは、屈辱と怒りを感じながらも逃げ出した。
同時に、大勢の魔物達がこちらの命を狙ってくる状況、窮地に陥っていることに激しいスリルと興奮を覚える。
……面白ェじゃねぇか……!
人狩りの標的に初めて成り、それを叩き潰したときから魔物兵との戦いは退屈を紛らわせるためのいい時間だった。
しかしこの頃、さすがに目をつけられたのか、魔軍が自分を探し回り、部隊を差し向けるようになっていった。
魔物の数は徐々に多くなっていき、今では一軍丸ごとが自分を狙っている。
それは幾ら人間の中では規格外なレイと言えども、いつ追い詰められてしまうか分からない危険な状況だ。
全力を出したとしても勝つことは難しい。
そこまで執拗に狙ってくることに怒りを感じつつも、同時に充実を感じてしまう。
暴れることの理由を与えられるのは、レイにとって好ましいものであったのだ。
追撃を掛けてくる魔物兵を躱し、時には殴りつけて迎撃し、勢いのままに駆ける。
怒りと屈辱を糧に力を振るうと、生きているという実感を感じる。
訳の分からない想いが薄れていくのを感じる。
ただ好き勝手に過ごすためだけに、レイは魔物兵との死の追いかけっこに興じた。
だが――
「――おお、ようやく見つけたぜ」
「っ……何だ、てめェは……?」
魔物兵の集団。それらを率いるように先頭に立つ人間の様な男がいる。
褐色の肌に緑色の髪。腹に大きな穴が空いた男だ。
魔物か、と思うも、その気配はかなりやりそうなもの。人間の姿をしているだけで、普通ではないことは分かる。
そしてレイが、まさか、という思いを内心で強めた時、先頭に立つその男はその名を口にした。
「魔人ガルティアだ。お前だろ? 最近魔物兵を相手に大立ち回りを演じてるやつってのは」
「……魔人……! てめェが……!」
大陸の支配者である魔王。その忠実なる配下である魔人。
各地の人間牧場を運営している、人間にとっては強大な恐怖の存在である魔人。そのうちの一体がとうとうレイの前に現れたのだ。
ガルティアと名乗るその魔人は、背後に大勢の魔物兵――魔物隊長や魔物将軍すらも引き連れ、レイを囲ませ逃げられないようにすると、
「頑張ってるお前には悪いけどよ。魔王様とか俺の友人が、お前を捕まえろって煩くてな。捕らえさせてもらうぜ」
「……チッ、そうかよ……」
とうとうこちらを捕まえるために本腰を入れてきたというわけだ。
最初から追い詰めるために網を張っていたのだろう。待ち伏せされ、周囲を囲むように現れた魔物兵の動きに、そう確信を得る。
徐々に距離を詰めてくる魔物兵達に、しかしレイは爆発的な速度で魔人に突っ込んだ。
「――なら捕まえてみろ!」
「――っと。ははっ、随分と思い切りがいいな!」
ガルティアは、稲妻の様な勢いを持つ男の拳を受け止めた。
腕を差し出すような防御だが、特に力を込めてはいない。レイの全力を込めた拳は、ガルティアの肌に到達する前に、硬い壁のようなものに阻まれてしまった。
「なっ……!?」
自分の拳が全く通用しない。そのことに驚愕するが、ガルティアはその反応を見て苦笑しながら、
「おお、その反応だと知らねぇか。これは、“無敵結界”つってよ。魔人は皆これを備えてるんだが……まあ、これのせいで、他の生物の攻撃は一切食らわねぇんだわ」
「……! んなこと知るかよ……! おらぁッ!!」
砕いてやる、と言わんばかりに、先程よりも力を込めて拳を連打するが、そのどれもが無敵結界に弾かれてしまう。
「おお、おお……気合入ってんなぁ。これだけやれる人間は久し振りに見たぜ。兵がやられんのも納得だな」
「舐めやがって! 上から語ってんじゃねぇぞ……!」
蹴りをお見舞いし、それも弾かれたところで、今度は魔人が動き出す。
「まあ、このままだと大人しくしてくんねぇだろうしな。ちょっくら倒れてもらうぜ」
「っ、ぐ、おお……ッ!」
懐から蛮刀に似た得物を取り出し、レイに向かって振るう。
今まで見たそのどれもより鋭い攻撃に、何とか横っ飛びで躱したレイだが、その間に、既にガルティアは爪の間から糸を伸ばして、レイに巻き付け、彼を思い切り引き寄せた。
「なん、だ、これは……ッ!?」
「一応戦闘中に、それを教えるほど俺は親切ではねぇなあ……というわけで、ちょっと眠ってろ」
「ぐ、がはっ……!」
謎の攻撃を喰らい、ガルティアの元に引き寄せられたレイは、ガルティアの拳を腹に喰らい、血を吐きながら地面を転がる。
その様を見て魔物兵達が沸き立つ。魔物将軍がガルティアの元に近づき、
「お見事です、ガルティア様」
「おお。とりあえず、適当に捕らえて連れてくぞ。あんまり遅いとまた文句言われるからなあ」
「はっ、畏まり――」
「――あ?」
と、ガルティアが懐から肉を取り出そうとした時、魔物将軍とガルティア、それと魔物兵達の動きが止まる。
ガルティアに殴られたレイが、ふらつきながらも立ち上がっていたからだ。
「っ、はぁ……はぁ……! ま、だ、終わりじゃ、ねぇぞ……っ!」
そして拳を構え、未だ戦い、抵抗する様子を見せる。
それにガルティアは感心するような声を上げた。
「へぇ……あれで立つのか。やるもんだなぁ……」
「とはいえ、瀕死の様ですが……如何しましょう?」
魔物将軍がどうするかとガルティアに問いかける。するとガルティアは顎に手を当てて僅かに思考し、
「殺すのは無しだからな。普通に捕らえろ。うっかり殺しちまったら、魔王様もレオンハルトも怒るぞ」
「っ……はっ、了解しました。――聞いたな、お前達! その人間を捕らえろ!」
「は、はいっ!」
大勢の仲間を殺され、鬱憤が溜まっていた魔物兵達だったが、ガルティアの口から出てきた魔王とレオンハルトの名を聞いて、怯んだ様子を見せる。彼らの命令に反して怒らせるなど、死は免れないどころか、ただでは死ねない可能性もある。
それを思うと、抱えていた怒りや不満など、どうでもよくなった。
迅速に瀕死のレイを囲んで捕らえる。その際に、未だ抵抗の意志を見せるレイが何体かの魔物兵を殴り倒したが、瀕死で立つのがやっとの状態での底力だ。すぐに数十もの魔物兵に取り押さえられ、手錠と鎖が巻きつけられる。
だがそれでもレイは身体を動かして暴れ、
「ぐ、うっ、うおおおおおおおおぉぉ!! 離し、やがれ……ゴミ共がぁぁ……ッ!」
「くそっ、暴れるな!」
「おい、そっちも抑えろ! もう歩かせるな! 蹴られるぞ!」
「くっ、なんて凶暴な人間だ……!」
必死の抵抗を続けるレイを、魔物兵達は鎖を巻きつけることで身体の動きを封じていく。
肉を食いながらその抵抗を見ていたガルティアは、傍らの魔物将軍に向かって何気なく声を掛けた。
「あれは大丈夫なのか?」
「……本来であれば、もう少し痛めつけて運ぶことも考えますが……それで万が一殺してしまうことを考えると、容易には……」
「だよなぁ。俺がもう一回殴ると死にそうだし、しょうがねぇからこのまま運ぶか」
「……畏まりました」
魔物将軍が溜息をつきたくなるような間で頷く。
平和な時代であっても、やはりたまにはこういう事件も起り得てしまうものだ。
特に、野良人間が集団で魔物を殺すような事件などは、魔軍にとっては脅威とは言えないまでも、中々に悩みの種である。
探し出して討伐してやりたいのは山々だが、野良で生き残るような人間は中々に巧妙で手強いため、解決に至りにくいのが現状だ。
今回の、この凶暴な人間の捜索も、随分と犠牲が出てしまったし、最終的には魔人にまでご足労頂くことになってしまった。
それを思うと任務がほぼほぼ完了したとはいえ素直には喜べない。手こずってしまったのもあって、褒美も期待出来ないのだ。
「それにしても抵抗が激しいな」
「ええ……ですがまあ、魔王様を前にすれば大人しくなることでしょうし、直に処刑されることとなるでしょう。それを思って溜飲を下げることに致します」
「そりゃあな。普通の人間には耐えられねぇだろ」
と、ガルティアは告げながらも、同時にこうも思う。
普通であれば、魔王に興味を持たれて連れてこられた人間の処遇など、凄惨な拷問を受けた末に殺されることに決まっている。
しかし、殆どあり得ない確率だが、生き残る可能性も無くはない。
だからまあ、冗談としてガルティアは言った。十中八九、そうはならないだろうな、と思いながらも、
「気に入られて魔人になったりしてな」
「はははっ、ご冗談を。あの魔王様が人間を魔人になど……」
「分かんねぇぞ? レオンハルトのことは気に入ってるみたいだしな」
人間が嫌いな魔王であるジルが、人間を魔人にするなどあり得ないと、魔物将軍は上司の言葉に笑う。
そして続く言葉に頷きながらも、
「魔人になっている元人間であればまた別なのでは?」
「ま、そうだな」
ガルティアも、そうだろうな、と思い、同意する。人間と、元人間の魔人ではやはり違うだろう。
そもそも魔人になった時点で、もう魔人という種族には違いないからな、と思い、魔物将軍の言葉を聞く。
「もしあの人間が魔人にでもなったら、ガルティア様と同じだけの料理を平らげてみせますよ」
「ほお? 言うな。まあ確かに、殆どあり得ないけどよ」
「はい。だからそうはならないでしょうね。どちらも無理なことなので」
そんなやり取りを交わしながら、魔人ガルティアとガルティア軍は、目的の人間を差し出すため魔王城に向かった。
レイ・ガットホンは、魔軍の手に落ち、魔王城の牢屋に投獄された。
血まみれになりながら鎖に繋がれたレイは、瀕死の様相でありながら――
「くっ、そ、がああああああああああああああ……!!」
レイの、振り絞るような叫びが地下牢に木霊する。
ガチャガチャと鎖が鳴り響く音、血が滴り冷たい床に落ちる音を覆い隠し、身動きが取れないまま暴れようとするレイの様子に、牢番の魔物兵達も困り果てた。
「うるせぇぞ人間! 大人しくしろ!」
「今すぐ処刑されてぇか!?」
「がっ……! ぜぇ……はぁ……やって、みろよ……処刑する瞬間に、てめェだけでも殺してやるぜ……!」
「っ、この……!」
牢屋に入ってきた魔物兵が軽い拷問用の鞭でレイを打ち付けるも、レイの生意気な態度は全く衰えず、なおも凶暴な視線を髪の奥から飛ばしてくる。
その態度に苛ついた魔物兵が再び鞭を振るうも、レイは手足を動かそうとじゃらりとした金属音を響かせながら魔物兵に組み付こうとする。
それは鎖によって阻まれ叶わない。だが、その凶暴過ぎる暴れっぷりに魔物兵が一歩後退った。
「なんなんだよこいつ……全然大人しくならねぇ……!」
「もう放っておけよ……どのみち、しばらくすればそいつも死ぬんだからよ」
と、もう一体の魔物兵に宥められ、魔物兵がレイの牢屋から出ていく。
再び一人となったレイは、もはや何をしようが無駄で、死が免れない場所に来ながらも、抵抗を止めようとしなかった。
「クソ、が……外れねェ……!」
何とか手足の鎖を引き千切ろうと力を込めるが、鎖はびくともしない。
体力が全快であれば、ともすればそれも可能だったかもしれないが、今のレイは戦闘による負傷と、度重なる死なない程度の拷問で体力が底をついている状態だ。
少しでも気を抜けば失神し、もう起き上がれないだろうし、それどころか目を覚ますかどうかも分からない。
そしてこの、身体の内を占める怒りは収まらない。
故にレイは、未だ暴れようと抵抗を続けていた。
鎖を引き千切ろうと咆哮を上げながら身体を暴れさせて、それが無駄だと分かったところで少しだけ力を抜く。
しかしまたしばらくすると、同じことを繰り返す。
もう何度同じことを繰り返したのか分からないし、どれだけの時間ここにいるかも分からない。
だがレイは、己の内の衝動に逆らうことなく、ひたすら荒れ狂う様に暴れ続けた。
「があああああああッ!! ああああああああ……ッ!!」
何度も何度も声を上げ、この状況から逃れようと無意味に暴れる。
もはや何も考えられないし、何のために暴れているかも分からなくなってくる。
しかしそれでもレイは――暴れざるを得ない。
暴れていないと、もはや己を保てない。
怒りの矛先がどこにあるかも分からないまま、レイは只々闇雲に暴れ続けた。
それがまたしばらく続き、レイの気勢も段々と衰えてきた時だ。
「――――随分と、暴れているようだな……」
「――……ッ!?」
不意に、地下牢が異様な気で満ちた。
その女性の声が響いた瞬間、視界の中がむせ返るほどの恐怖で充満する。
そしてレイの牢屋の前に、それが現れた瞬間――レイは、本能的な恐怖から身を竦ませた。
「こいつが、報告にあった人間だな……」
「――は、レイと言うらしいです、ジル様」
そこに立っていたのは、全裸の美女と、金髪灼眼の美丈夫だった。
金髪の男が臣下のような立ち振る舞いを見せている。その男も凄まじいものであったが、より恐怖を感じたのは女の方だった。
それも当然だろう。その男から告げられた名前、それはこの大陸を支配する最恐最悪の魔王の名だからだ。
……こいつ、が……魔王、ジル……か……。
凄まじい圧力と存在感。こちらがちっぽけに感じるほどの強大な存在に、レイは呆然とそれを眺める。
そしてジルも、傍らの魔人に促されてレイの方を向いた。
視線が合わさった瞬間、呼吸が止まりそうな恐ろしい気を感じるも、レイはまだギリギリ残る思考の部分で、手に力を込めていた。
「――ぐっ、ううううう……ッ!」
「…………ほう?」
「…………」
ジルと魔人に牢屋の外から視線を向けられながら、レイは鎖を千切ろうと腕を動かした。
外れない。それだけの力はもう残っていない。
だが、暴れざるを得ないのだ、と、己の衝動に任せてレイは鎖をがちゃがちゃと鳴らす。
その様子にジルの目が、僅かに興味の色を覗かせる。
それは研究者が珍しい動物を見つけたかのような視線ではあったが、興味には違いない。
目を細めてレイを観察するジルは、ふと、思い立ったように呟く。
「――なるほど。面白い有り様だな……」
と、ジルはそう言いながらレイに向かって近づいてくる。
牢屋の鍵など必要としない。無理矢理入り口をこじ開けると、ひたひたと足音を立てながらレイとの距離を詰める。
「……ジル様。まさかとは思いますが――」
「くく……何、これも一興だ。たまには戯れに行動してみるのも悪くない……」
「……左様ですか」
その行動を眉を上げた視線で問いかけた魔人は、ジルの愉快そうな返答に少し間を置くと、異を唱えることなく頷いて黙り込んだ。
ご随意に、と態度で示した魔人と、もはや誰も止めるものがいなくなった魔王ジルの行動。
とうとう殺されるのか、と、レイは再び荒れ狂いながら暴れようとした。
だがその前に――
「――――愚かなお前に、良いモノをくれてやろう」
「――!」
と、ジルは自分の手を自分で傷つけ、そこから滴る血を、レイの傷口に落とした。
瞬間、
「――――ぐ、おおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
全身に、稲妻が走ったかのような衝撃と激痛が駆け抜け、レイは絶叫した。
体内が作り変えられるような異変。それを感じながらもあまりの激痛にレイの思考は止まる。
そして異変は周囲にも至った。
レイの周囲、レイを中心に、稲光が走った。
大気を裂くような轟音とともに散るような放電を発し、光とともに火花を発生させる。
雷が牢屋の中を、レイの身体を掻き毟るように暴れ狂う。
あれだけ引き千切ろうと力を込めていた鎖が音を立てて千切れ飛び、周囲の床や壁を黒く焦げ付かせながら雷は広がっていく。
それはレイの内心を表すかのような激しさであった。
放電を間近で目撃し、雷が伝わりながらも、ジルや魔人は小揺るぎもしない。
ジルは更に口端を歪め、魔人は無言のままそれを見つめた。
そしてやがて、雷が収まっていくと――そこには、身体からバチバチと電流を流す人型の青年がいた。
「――なん……だ……?」
未だ状況が理解出来ないように、レイが己の手を見て疑問の言葉を呟く。
しかし、それを見ていた者達には状況がはっきりと理解出来ていた。
この瞬間、レイという人間の男は――魔人に生まれ変わったのだと。
――後日。
「おい、聞いたか? 新しく魔人が増えたんだってよ」
「ああ、聞いた聞いた。何でも人間の魔人らしいな」
魔王城では、魔物兵達の間でその噂が既に広がっていた。
新たな魔人の誕生。それは魔物社会にとっての一大ニュースである。
何しろ自分達の支配者。上司となる人物なのだ。
その名や特徴などを知っていないと、場合によっては命に関わるし、知っていると役に立つことだってある。
魔軍に所属する魔物兵にとっては自分達の上役を知らないなど、基本的には許されない。
なので基本的に魔人や使徒の情報などは直ぐに広まる。
だからこそ、その魔人が魔王城の廊下を歩いていても、それが誰かなど知らない者は基本的にいない。
「…………」
「お、おい……あれが……」
「ああ……魔人――レイ様だな……」
魔物兵達の視線の先に、人間の魔人――レイがいた。
人間を憎んでいると噂の魔王ジルが、何故か作った魔人。
理由は不明だが、理由なんてどうでもいい。
少なくともレイ本人はそう思っていた。
大事なのは、今の自分が、人間であった時と比べ物にならない力を得たということ。
そして、あのジルの下で更に暴れることが出来るということ。
そのことを思いながらも、レイは己に宿る力を制御しようとしていた。
だからというわけではないが、性分も変わっていないため、レイはひそひそとこちらを見て何事かを呟く魔物兵の視線に、ほんの僅かな苛立ちを感じて――だからこそ近づいた。
「――おい」
「へ? ――ぎゃああああああっ!?」
「な、何を!? ――がああああああっ!?」
声を掛けると同時に、レイは魔物兵の身体に触れ、その身体に電気を流した。
一瞬で黒焦げになるほどの出力の電撃。それを無造作に振るったレイは、黒焦げの死体になった魔物兵を見下して独り言を言い捨てる。
「人のこと、じろじろとガンつけてんじゃねぇぞ……!」
そう、レイがその暴力を振るったのは、たったそれだけの理由だ。
魔物兵達の視線が癪に障った。その程度のことだけで、レイは己の身にある魔人の力を振るう。
無闇矢鱈に暴れるつもりはなくても、何か些細な切っ掛けさえあればその小さな火種を爆発的に増大させる。
つまるところレイとは、そういう人物であった。
好き勝手して、退屈を紛らわせるためなら何だって良い。
自分以外の存在など全てが暇潰しのための存在であり、その中でも暴れることが特に好きなのだ。
少なくともレイは、己のことをそう評していた。
そして魔人になってまだ数日だが、レイは思った。――悪くねェ、と。
魔人としての日々というのは、人間の時よりもスカッと出来る。
人間との詰まらない助け合いなんてものは存在しない。
己の力だけが全て。それがもっと分かりやすくなったのが魔物界だ。
最恐最悪の魔王が一番強くて、それが力で魔人と魔物達を支配している。
レイも思わず痺れてしまうような存在が、己を魔人にした魔王、ジルだ。
その下には魔人がいるが、魔人の行動は自由だ。
どれだけ飲み食いしようが、自堕落に過ごそうが、暴れ回ろうが自由。
気に入らない奴はぶっ飛ばしても構わない。
ルールは魔王の命令には絶対だということだけ。それ以外なら何をしても構わない。
そんな刺激的な世界が、魔物界だ。
まだまだその全貌を理解出来たとは到底言えないし、心地いいことばかりとも言えないが、少なくとも人間の社会よりかは楽しめる。
今はまだ、それに飽きが来ていない状態であり、だからこそレイは思うがままにしようと魔王城を闊歩していた。
そうしていると、大柄な魔人と遭遇する。
「……よう、ノス。昨日ぶりだな」
「……レイか」
声を掛けた相手は魔人ノス。
地竜の魔人であり、魔人四天王の一角だという魔人の中でも指折りの強者だ。
だからこそ、レイはまた喧嘩を売ろうか悩むが、ついこの間に負けたばかりでまた挑むというのも芸がない。
故にレイは別のことを口にした。
「ジルの姉御は?」
「……今はレオンハルト様と一緒に部屋に居られる」
「……レオンハルト……あの野郎か」
ジルの姉御、と呼ぶのは尊敬しているからだ。
あれほどの力の持ち主。あれほどの恐怖の存在。眼の前に立つだけで震えるような相手を、レイは姉御と呼んで慕っていた。
だからこそ、何となくその居場所を側近であるノスに問うが返ってきた答えは、私室にいる。
そしてレオンハルトと一緒にいるということだ。
己が魔人になった際もジルの側にいた魔人を思い出しながら、レイは質問を重ねる。
「……なんかやってンのか?」
「……そうか。貴様はまだ知らぬか」
「あぁ?」
ノスがレイの問いかけに鼻を鳴らして応答する。レイが、何だ、と視線を上げてみれば、
「レオンハルト様はジル様にご寵愛を賜っておる」
「! そいつは……」
学がないレイではあるが、その意味くらいは解る。
つまりあの二人は肌を重ねているのだ。
そのことを思い、レイは何とも微妙な空気のまま質問を重ねた。
「……気に入られてんのか?」
「左様。ジル様は、レオンハルト様を気に入っておられる」
「……ふん、あの野郎がねぇ……」
レイはここ数日、ほんの僅かに関わったレオンハルトの姿を思い出して鼻を鳴らす。
威圧的な鋭い視線を向けてくるスカした野郎という印象で、レイは何となく気に入らなかった。
魔人の最高位である魔人筆頭にして、魔軍の総指揮を行う魔軍参謀の地位にいる男。
後は嘘みたいな経歴を幾つかもつらしいが、そんなことはレイにはどうでもいい。
少しでも気に入らない奴であれば、己の力を抑える理由にはならない。
それに最強の魔人ともなれば、己の暇を潰す相手にはちょうどいいかもしれないと。
レイは無意識に身体に流れる電流を抑えきれず、僅かに火花を散らせる。
だが、
「――やめておけ」
「――……あ?」
そこでノスの声が不意に飛んでくる。
「レオンハルト様に喧嘩を売るつもりであろう。貴様程度では、勝てぬぞ」
それはこちらの意志を見抜いて制止するノスの言葉だ。
そしてレイでは勝てないと断言する。
最強の魔人という称号は伊達ではない。
己に負ける程度の実力では勝てるはずもないと、ノスは言うのだ。
だがレイは、
「……知らねェよ」
「――何?」
レイはその言葉を突っ撥ねる。
「やりたいようにやるだけだ」
と、言ってレイはノスに背を向けて歩き去っていく。
今日のところは出直そうという動きだ。
だが、その後は、構わずに挑んでやると、その背中から言外に漏れ出ている。
「……ふん、まだまだ青い……」
その背を見て、ノスはレイを若造だと評して失笑する。
しかし一方で、その無鉄砲さが、レオンハルトに叩き潰されるところを見るのも一興かと思う。
魔人の中でも戦闘狂に属するノスにとって、魔人同士の闘争は中々に面白みのあるものだ。
だからこそその戦いの気配を感じて、ノスは口元を歪めたのだ。
薄暗いその室内では、男女の乱れた息遣いが漏れ出ている。
ベッドを僅かに揺らしながら、その上で肌を重ねる二人は、直近の出来事についてのやり取りを行っていた。
「はぁ……んっ……くく……レオンハルト、気づいたか……? あのレイという男の、愚かな在り方を……」
「……ええ、まあ……っ」
股間の部分で水音が鳴り響き、快感が強まるのに合わせてジルは喜悦の声を漏らし、レオンハルトも僅かに表情を歪める。
だがそんなジルの愉悦には、また別のことも混ざっていた。
それこそが、ジルが魔人にした、レイという男のことだ。
彼のことを、ジルはこう評する。
「あっ、んっ……アレの、中身は……空っぽだ……っ!」
レイという男には何もない、とジルは言う。
腰を揺らして極上の男を犯す快感を貪りながら、
「はぁ、はぁ……だと言うのに……何もない自分から目を背け、んくっ、その原因が、周囲にあるものと、決めつけている……くく、あれほど、愚かな男は、中々いないぞ……あっ」
「……確かに、っ、そうですね……」
甘い声を漏らしながら、ジルは言う。その下にいるレオンハルトは快感に耐えながらも同意を返した。
するとジルは一瞬冷めた表情を浮かべた後に、息を乱すレオンハルトを見て、笑みを吊り上げ、
「全く詰まらない、愚かな男だ、アレは……くく、そろそろイキそうか?」
「……ええ、まぁ……!」
「く、ふふ……! なら、出せ……! 私の中にっ……思い切り……!」
ジルがそれを欲しがるように、腰をぐりぐりと思い切りレオンハルトに向かって擦りつけてそれを中で味わうと、程なくして――剣気が放出された。
「っ……!」
「――んんんぅぅ~~~っ♡」
ジルがレオンハルトの唇を無理矢理奪い、口内を蹂躙した瞬間――ジルが声にならない声を漏らして身体をビクビクと跳ねさせる。
そしてその震えはしばらく続き、やがてそれが少し落ち着くと、口を離して銀色の線を落としつつ、ニヤケ顔でレオンハルトの胸に顔を埋め、逞しい剣がドクッ、ドクッ、と跳ねる脈動をお腹の奥で感じて、堪らず吐息付きで腰をぐりぐりと更に押し付けると、
「はーっ……はーっ……ふふ、まだ、出し足りないだろう……? 次は、お前が上になれ……っ、んんっ」
「……畏まり、ました……」
今度は上になるように命じて、ジルはまたしばらくレオンハルトと淫蕩に耽る。
既にレイのことなど、欠片も頭には残っていなかった。
次回は喧嘩か、日常回のどっちか。もしかしたらどっちも