というわけでまずは新しい魔人の話ってことでどうぞ
――GL50X年。
人類にとっての暗黒時代を作り出した魔王ジルの治世も、500年余りが過ぎた。
もはや人間が過去に国を持ち、文明があったのは遠い昔。
現在では、人類は数百年前から魔物の家畜として飼われていることが常識として語られ、殆どの人間がこの世界の状況を不思議に思うこともない。
数少ない野良の人間達も、過去の文明の事を憶えている者は更に限られており、人間は魔物に見つからないように注意を払いながら、怯えて暮らすことが常識となっていた。
だが、中には人間の世界を諦めない者達もいる。
野良で生きる人間の冒険者や、魔物討伐隊といった者達は、自分達人間がより豊かに生きようと自衛するための力を鍛えている。
数少ない食料や資源を魔物から奪うために少数のパーティを組んで行動したり、人狩りを行う魔物達を討伐したり、魔物達を駆逐するための何かを探して冒険者と同じ様にダンジョンの探索を行ったりしていた。
そして――彼らの様に、魔物の物となった世界で、人間として意志を燃やして戦う一人の青年がいた。
「――はぁっ!」
「ぐへっ――!?」
青年の剣が、1体の魔物兵の腹を斬り裂き、絶命させる。
彼は刃に付いた魔物の血を払うようにしながら、息を吐き、
「――これで、数十体は倒しましたか……」
と、周辺に散らばる魔物兵の死骸の中心に立つ青年は、長い金色の髪を揺らして再び剣を構える。
長身で美形の青年の名は――アイゼル。
野良の人間として生まれ育ち、人間の為に剣を振り戦う一人の人間である。
彼は今、自分達の隠れ里に現れた魔軍の部隊を追い払うため、他の人間達とともに剣を振るっていた。
魔物と戦う大きな理由があるわけではない。
ただアイゼルは、魔物に怯え、魔物に飼われるような生き方を“弱い”生き方だと嫌っており、抵抗もせずに勝てないと諦めることは“美しくない”と思っていた。
周囲の人間に対してどうと言うよりは、自分はそんな弱い生き方を選ばない。醜く生きるくらいなら死んだほうがマシだという理念に近いものだ。
だからこそ、アイゼルは隠れ生きるような道を選ぶことはせず、自分の意志に従って、堂々と生きることを選ぶために剣や魔法を覚え、戦う手段を身に着けたし、実際にこうして戦っているのだ。
だが彼は、戦っている姿とは裏腹に――悩んでもいた。
「私は……後どれだけ、戦えば良いのでしょうか……?」
それは、次々と現れて迫り来る魔物兵達のことでもあり、今まで戦ってきた日々に対する悩みでもあった。
アイゼルはこれまでの日々に意味があると信じて戦ってきた。
幼い頃に世界の常識を周りの大人に知らされてから、それは美しくないと思い、せめて自分だけは自分の意志を貫こうと生きてきた。
その姿を、かつての大人たちはどこか生暖かい目で見守るような、それでいて諦観に満ちた視線で見つめていたもので、当時はそれに対する反発の様なものを感じていた。
だが、実際に大人になり、アイゼルは現実の厳しさを知った。
世界の殆どは魔物達のものだった。人間が安全に暮らせる場所など、大陸全体の1%程でしかないだろう。
いや、真の意味で魔物に生活を脅かされずに暮らせる場所など、この世界のどこにもありはしないし、並の人間を越える強さを持つ魔物達の数は相当に多く、人間牧場で暮らす意志無き人間を除いた人間達の何千倍といった数が存在するだろう。
そして更には、その魔物達を越える強大な魔人達や、その魔人達を越える凶悪な魔王が存在するという。
そのことをアイゼルは知った。少しずつ、実感していった。
どれだけ魔物を屠ろうとも、一向に状況は変わらない。むしろ悪くなっているのが現実だ。
今この時の様に、魔軍に目をつけられて人間の隠れ里が狩られることが増え、日に日に意志を持つ人間達は数を減らしている。
噂では、何とかこの状況を変えようと強力なアイテムを切り札に、魔人に挑んだ大規模な魔物討伐隊は魔人に一切の傷を負わせることも出来ずに壊滅したという。
数百、数千、あるいは数万やそれ以上の人間が寄り集まろうとも、魔人に傷一つ付けることが出来ないという。
そんな彼らが席巻する世界で、自分というちっぽけな人間は一体何を成せるというのか。
「私の生き方に、意味はあるのか……?」
今はまだ、辛うじて自分は生きているし、抗うことが出来ている。
しかし自分は、魔人や魔王といった存在を前に、どこまで自分の意志を貫くことが出来るのか。
無論、貫くつもりではいる。弱さや醜さを晒すつもりはない。
しかし、どうあっても不安や悩みは消えてくれない。
強く生きようとして、しかし、至極当たり前の判断が脳裏を掠める。
――魔物に勝てるわけがない。幾ら抗おうと無駄なことだ、と、自分を揺らがせる考えが、時が経つに連れて頻繁に脳裏に浮かんでしまう。
その度に自分を奮い立たせる。自分は屈しないのだと。
どれだけ強大で恐ろしい魔物が現れ、己の意志を砕こうとしても、それに屈しはしないと。
そう思って、そう思って――その“試し”の時は突然、現れた。
「――――ほう、活きの良いのがいるな……?」
「ッッッ――!?」
不意に、魔物兵の波が途切れたかと思った直後、それは現れた。
……な、んだ、アレは……。
今日の戦場はいつも以上に不安を感じてしまうと思っていたが、それが現れた瞬間、アイゼルはその原因が眼の前の女にあることを理解した。
その場にいるだけで、肩に重く伸し掛かる重圧。怖気が走り、まるで極寒の地域に裸でいるような寒気を感じて、身体がガチガチと震えてしまう。
直視しただけで気分が悪くなり、気を失ってしまいかねないショックが与えられる。並の、心が弱い人間なら気を失うか、死んでしまうことだっておかしなことじゃない。
長く綺麗な水色の髪を持つその女性は、しかしその恐ろしさに反してとんでもない美貌を持っていた。
衣服を何も身に着けず、惜しげなくその美しい裸体を曝け出した絶世の美女は、同性であっても目が眩む様な美貌を持ちながらも、圧倒的な負のオーラを纏っており、見る人間に恐怖と絶望を与えてくる。
「ぅ……ぐっ……」
アイゼルも小さくうめき声を漏らすことしか出来ない。まともに喋ることは出来ず、剣を持つ手も震えてしまう。
それは本能が完全に、眼の前の存在に対しての“敗北”を認めていた。
ちっぽけな人間でしかないアイゼルは、眼の前の存在に勝てないと、既に認めてしまっているのだ。
仮にこの剣を振るったとして、仮に当てることが出来たとして――眼の前の女性に通用しないだろうと、想像してしまった。
そしてそんな怯えや諦めを、眼の前の存在は悟ったのか、不敵な笑みを浮かべながらアイゼルを観察するように睨めつける。
「……ふむ、中々に見れる容姿だが……くく、まさか私と戦うつもりか?」
「っ……わ、私、は……」
こちらを嘲笑するような発言や態度も、アイゼルは怯えて言い返すことが出来ない。
何とか声は出たものの、その先は続かない。それを見て、その存在は可笑しそうに口端を吊り上げる。
「怯える獲物は嫌いじゃない……が、さて、どう料理してやろうか……?」
と、その存在はゆっくりとアイゼルの方に近づいてくる。
ひた、ひた、と。何の警戒もしていないゆったりとした動作で歩いてくる。眼の前の人間の反撃などまるで考えていない様子だ。
そしてそれは実際、反撃など無意味であろうし、そもそもアイゼルの方に、剣を振る勇気が湧いてこない。
絶対に屈しない。自分は弱くなどないし、どんな苦境にあっても意志を貫いてみせる。
そう思って挑んだその試しは、実際には何の反抗をすることも出来ずに、その存在の接近をただただ許してしまった。
「これだけ容姿が良いなら、飼ってみるのも悪くはないか……? くく、たまには戯れてみるのも悪くなさそうだ」
「ぅ……ぁ……」
女性の黒い手がアイゼルの首筋を軽く撫でる。
それだけで心の臓を握られたかのような恐怖が襲いかかってくるが、事実、今のアイゼルは眼の前の女性に生殺与奪を握られている。
生かすも殺すも彼女次第であり、これから死よりも苦しい拷問が与えられるとしても、アイゼルには抗う術はない。
「戦いたいと言うなら遊んでやっても良いが……どうする?」
「……!」
女性から問いかけられ、アイゼルは恐怖で心が押し潰されそうになった。
おそらくは軽くであろう、彼女から向けられた戦意のようなものに、気絶しそうな程の重圧が伸し掛かった。
「……わ、私、は――」
戦えば殺される。
しかし、自分は抗うことを決めたはずだ。自分の意志を貫いてみせるのだと自分に誓ったはずだ。
だからこそ、アイゼルはこう言うのだ――それでも戦う、と。
そう言うつもりだったのだ。
「――私、は……貴女に…………従い、ます……」
アイゼルはゆっくりと彼女に向かって膝を突き、頭を垂れた。
完全なる敗北、屈服の宣言だった。
アイゼルは、その選択を取ってしまった自分に対して、最早何も思わなかった。
最初に彼女を目の前にした時点で、その意志はとうに折られてしまっていたのだ。
その何も思わなかったことに対して、アイゼルは自分の醜さに吐き気を催した。
そしてその女性も、嘲笑するように含み笑いを漏らし、
「――く、くくく、ははははは……! そうか。やはり、その程度か」
アイゼルを見下しながら笑い声を響かせる女性。彼女はアイゼルの首に再び手を這わせると、その顎を強引に上に向かせた。
「くく、貴様は、戦士よりも男娼がお似合いだな――」
「…………」
もはや何も言うことも出来ない。
相手の嘲笑に反抗することも出来やしない。
アイゼルの心には、深い絶望と同時に、生き延びることが出来そうだという安堵の感情が芽生えてしまっていた。
そのことに対して、とてつもない醜さを自分に感じてしまう。
自分の意志の弱さ、脆さ、醜さ。その全てを認めろと言われている気がして吐き気がした。
だがアイゼルは、眼の前の女性の顔が首に近づいてくるのを感じながら、それを、否と断じた。
……私は、弱くなどない。
自分は弱くなどない。
ただ眼の前の存在が、現実が、魔物達が、理不尽なだけだ。
他の人間でも同じことになるだろう。自分のように負けるだろう。
あるいはもっと酷い醜態を晒すだろう。
故にこの選択は間違いではない。逃げることは間違いではない。
人間全てが弱いことが原因なのだ。
人間全てが、大多数の人間が醜いだけだ。私は醜くない。
もしこの先があるのなら、それを証明してやる。
美しい意志を持つ人間とて、強大な力の前には屈することしか出来ないのだと。
自分は、美しいものが、美しい意志を好むのだ。
その美しさというものを、永遠に追い求め続けよう。
例え、どれだけの時を彷徨い続けることになろうとも――
「……忠誠を誓います。魔王、ジル様……」
そうして失意の果てに人としての心を捨て去り――アイゼルは魔人となった。
新しい魔人を作った――そんな報告を、その新しい魔人を連れて報告されたのは、人間の隠れ里の襲撃を終え、僅かに離れていた数十分の間の後のことだった。
「いつも通りレオンハルト、お前に任せるからな……」
そう告げられて、魔王ジルは、やることがあるから、と珍しく部屋に自分を誘うことなく、その場から去っていった。
そうしてその場に取り残されたのは、
「……それで、お前がその新しい魔人か」
「はい。お初にお目にかかりますレオンハルト様。私は魔人――アイゼルと申します」
よろしくお願いします、と優雅に一礼してみせたアイゼルは、柔和な、それでいてどこかまだ緊張しているかのような笑みを浮かべてこちらに礼を尽くしている。
2メートル程の長身に、赤い瞳、長い金髪を持ち、赤い縁取りのマントが付いた黒鎧姿の男だ。
見たところかなりの美形であり、何となく、ジルが魔人にした理由に嫌な想像をしてしまうが、それについては触れずに置く。
とにかく、自分は新しい魔人に対しての教育や、その人柄、性格の把握などを行わなくてはならないのだ。
だが、やはり見たところ、礼儀は出来ているようなのでそこまで苦労はしないだろうな、とレオンハルトは内心思いながらも口にする。
「アイゼル。お前にはこれから、魔人として人間牧場の一つを管理してもらう。その他、ジル様の命令以外であれば自由と言っていいが……何か聞きたいことはあるか?」
望むのなら、魔人の生き方について色々と教えてやるのも吝かではないが、とレオンハルトはアイゼルに告げてみせる。
するとアイゼルは数秒間を置いて、思考した上で問いを投げてきた。それは、
「何をするにも自由……それは人間に対しても何をしても構わないということで?」
「ああ。魔人であれば、基本的に禁止されている殺人も許可されている。ただし、殺しすぎには注意しろ」
「……そういうことでしたら問題ありません。私は……私は、人の“意志”というものを試してみたいだけですので」
「……人の意志だと?」
気になる言葉を耳にしたため、確認するように目を細めて問うと、アイゼルは、はい、と頷いた上で、説明を口にした。
「魔人という強大な力を、絶望を前に、人間はどこまで抗うことが出来るか……私は、人の強く美しい意志を見つけて、それを愛でてみたいのですよ。幸いにも、私にはそれに都合のいい力が備わっているようですしね」
と、アイゼルはそう言いながらも、不意に、近くにいる警備の魔物兵に向かって、視線を合わせながら、片手を上げて何かを発動する。
「へ――あ、が……うぐ……!」
すると魔物兵は頭を押さえて苦しみ、そして、
「…………」
声も発することなくその場に佇んだ。
その状態を見て、レオンハルトは眼を細めながらその力の正体を口にする。
「……
「はい、その通りです。魔人となり、私は洗脳、催眠、妖術と呼ばれるような能力を得た様ですね」
と、そう言ってアイゼルは魔物兵に軽く命令してみせ、その通りに動くことを実演してみせると、不意に元の配置に付くように命令してから術を解き、
「精神力の低い者では、このように簡単に洗脳を掛けることが出来ますが、強靭な心を持つ者であれば、抵抗することも叶う――そういう術です」
「――なるほどな」
悪趣味な術だ、と内心で吐き捨てながらも、同時に有用な力であることも認める。意志を奪う力など、個人としてはあまり受け付けない力だが、軍を動かす役職に就く者としては、かなり強力で戦略にも組み込めるだけの力だ。
使い道も多く思いつくため、これを使わせることもあるかも知れないなと思い、しかし注意を行っておく。
「あまりやりすぎないようにしろ」
「ええ、肝に銘じておきますよ。……時に、レオンハルト様。個人的に聞きたいことがあるのですが……よろしいですか?」
「……何だ? 言ってみろ」
改まって前置きをつけるその言葉は、何か意味があるのだろう。個人的な、ということで仕事や魔人の事以外の質問なのかもしれない、と予想を付けたところで、アイゼルは少し影を差した表情で告げてきた。
「……レオンハルト様は魔人になる前は人間――それも、最古の人間であり、最古の人間の王だとお聞きしました」
「…………ふん、大袈裟な話だ。少しばかり長く生きているというだけに過ぎん」
おそらくはジル辺りから聞いたのだろうと、鼻を鳴らして応対する。あまり昔の話をするのは好きじゃない。今更コンプレックスになるようなことは何もないが、だからと言って人に話すことは憚られることだ。
「……それでも、レオンハルト様は今まで、多くの人間を見てきたかと思います」
「……そうかもな。それで?」
単刀直入に口にしろ、と視線と言葉に気分を乗せるように発言すると、アイゼルはそれを察して質問を口にした。
「……圧倒的な絶望を前に、抗うことが出来た強い意志を持つ人間は、果たしてどれほど存在し得たのかと……少々、気になっていまして……」
「…………そうか」
どこか言いづらそうに、それでいて気になってしょうがない、と言わんばかりの影を差した様子で、アイゼルは質問を投げかけてきた。
その質問に、レオンハルトは一度瞳を閉じた上で息を入れる。
強い意志を持つ人間は、レオンハルトとしても好ましいものだ。
無論、心当たりはある。
今では、少なくなってしまったかつての英雄達や、強い意志を示した人間は、レオンハルトの心に強く刻まれているし、そしてこれからも現れるであろうと思っている。
だがレオンハルトは、その答えを持ちながらも――答えを告げなかった。
「――その質問の答えは、自分で見つけてみろ」
「……え……?」
アイゼルの疑問符を浮かべた表情に、レオンハルトは自分の答えを告げずに、アイゼルと視線を合わせ、強く睨むように答えを告げてやる。それは、
「俺なりの答えはある。――が、それを俺の口から……他人の口から聞かされて、お前は満足するのか?」
「っ、それは……」
アイゼルが僅かに動揺を見せる。こちらの視線から逃れるように、僅かに視線を逸した。
だが、悪いが今更視線を逸しても遅い。とっくに見抜いている。
このアイゼルという男は、その答えを聞いて“安心”を得たいだけなのだと。
人の弱さを目の当たりにすることで、自分の弱さから目を背けているのだと。
それを否定はしないが、かといってそれを解消してやることは出来ない。
その答えは、自分で見つけないと意味がないのだ。
だからこそ、レオンハルトはアイゼルに、厳しく突き放すように告げるのだ。
「人の意思とやらの答えは、自分で確かめてみろ。魔人の生は長い。お前がそれを知ることを諦めない限りは、いつかは答えを得ることが出来るだろう」
「…………」
アイゼルが無言となり、どこか呆然としたような雰囲気で立ち尽くす。
だが、少ししてアイゼルは我に返ると、
「…………そう……そう、ですね。分かりました。質問に答えて下さり感謝します、レオンハルト様」
「構わない。――それより、幾つか仕事の具体的な事について説明する。ついてこい」
「……はい、お願いします」
そうして歩き始めたこちらの後ろから、アイゼルが素直に頷いてついてくる。
……こいつも、随分と厄介な業を背負っているな。
魔人になった若輩者の人間に、レオンハルトはその在り方に興味深いものを感じながら、仕事についての指導を始める。同時に思考するのは、そろそろ、という思いだ。
……俺も、そろそろ動かなくてはな。
人の強い意志。この人間の暗黒時代において、困難なそれを体現し得る英雄の存在。
レオンハルトは自身の興味と使命から、
原作での初登場魔人、アイゼルの登場です。次回もアイゼルかな。使徒も直ぐに出るかもねって。
後、原作知らない人に捕捉しておくと、サイゼルとかハウゼルとかと名前似てるけど、微塵も関係ないです。接点もほぼゼロです()