戦場の空気は、その瞬間に一気に変わった。
「嘘だろ……? もうやられちまったのか……?」
とある妖怪の呟く声が響く。勢いをもって魔軍に激突していた妖怪軍団は自分達の将である妖怪王が、人間による一閃で倒れた事に驚愕し、呆然としてしまっていた。
そして魔軍の方もその結果を見て、同じ様に目を見開いて驚く。
「……あの人間……確か、レオンハルト様の下級使徒の方だとは言っていたが……まさかこれほどの強さだとは……」
魔物将軍の息を呑みながらの呟きは、戦慄の色が混じっていた。
だがその一瞬後、魔物兵達は自分達を苦しめた妖怪王が倒れたことを事実として認識すると、瞬間的に湧き上がった。
「うおおおおおおおおおおおおお!! あの妖怪、やっとくたばりやがった!」
「ざまぁ見やがれ! 魔軍に逆らうからこうなるんだ!」
「こうなったらもう怖いものはねぇぞ! 全員、黄泉の国とやらに送ってやらぁ!」
魔物兵達の間の空気が途端に盛り上がり、それを示すように戦闘の動きは活発となる。
対する妖怪勢は自分達の大将がやられたことに酷く動揺しており、魔物兵らの攻勢に対応出来ていないでいた。
それに今なお妖怪勢の間では、ハンティや戯骸といった使徒達が暴れており、それだけでも対応することが困難な有様である。誰の目から見ても勝勢と言える戦況に、それを戦いながら眺めていたハンティやイヴらはあっさりと勝負を決めた白兎に喜びの笑みを浮かべた。
「やるようになったよねぇ、白兎」
「ハハ、あの感じ、親父の方に似てるぜ!」
「ふぅ……良かったです。これで戦いもすぐ終われそうですね」
「うきー!」
感嘆の声を上げるその中で、イヴと藤吉郎だけが戦いの輪から外れるように白兎に駆け寄っていくと、
「ふふん、見てましたか? 私の戦いを」
「ええ、一瞬過ぎて見えませんでしたけど、凄かったですよ」
「……そうですか。しかし、これでこのJAPANにも、平和が訪れますね……」
イヴの返答に白兎はほんの少しだけ残念そうになったものの、気を取り直して何やら締めに入ったような言葉を口にする。
何とも言えないものを感じながら、イヴが近づき、その内心を読んでみると、
――ふふ、今日の私、超格好いいのでは……!?
と、何やら、自分の格好良さとやらにご満悦な様で、イヴは半目の視線を白兎の背中に向ける。
……丸わかりですよ、白兎さん……。
白兎は普段は鋭いし、冷静だったりするのに、こういう時はどこか抜けているというか、こっちの気が抜けるような振る舞いが多くて何とも微妙な気分になる。
とはいえ手柄を立てたのは確かなので、ここは何も言うことなく白兎の好きにさせておこうと思う。次に何を言うのかと黙って待っていると、
「――ですが、最後に一人、救わねばならない人がいますね」
「えっ?」
白兎が徐ろにそんなことを口にするので、イヴは、どういうことだ? と言わんばかりに短い声を上げた。
だがそんなことを気にも止めずに、白兎はゆっくりと背後を向きながら言う。渾身のキメ顔とともに、
「妖怪王さん。貴方は何故、人間を襲うようなことをするのですか!!」
ばばん、と指を妖怪王の方に向けて告げてみせる。
だがそれに反応する者はいない。
妖怪王は地面に倒れたまま反応を返してこないのだ。
それは白兎がそうしたものであるはずだが、白兎は何故か、それを見て少しの間固まると、
「……はっ!? そういえば、峰打ちにするのを忘れてました!?」
「死んでるんじゃないですかね?」
「つい、いつもの癖で……! ど、どうしたら……?」
イヴが冷静に指摘すると、途端に白兎はおろおろと狼狽え始める。
まさか殺すつもりがなかったとは驚きだ。てっきり殺る気満々かと思っていたのだが、実はそうではなかったらしい。
しかし死んでるのならば救うも何もないし、どうしようもないので、とりあえずは生死の確認を取ったらどうだと言おうとしたところで、
「……っ……ま、だ……」
「! やった! 生きてますよ、イヴさん!」
「あれ? ほんとに?」
白兎が不意に喜びの声を上げたところで、イヴは訝しみながら地面に倒れた妖怪王を遠目に見るも、少ししてゆっくりと立ち上がろうとする妖怪王を見て、本当に生きていることを確認する。
おそらくは異常聴覚で動きを察知して生存を先に確認したのだろうが、それは今更の事で驚くことでもない。
それよりも、妖怪王の方に目が行ってしまい、
「うわ……本当に生きてますね……」
「さすがは妖怪王ですね! 凄い耐久力です……!」
「いやまあ、一応は敵ですので生きていることを喜ぶべきなのか悩みますが……」
人としては生きていることを喜ぶべきなのだろうが、この状況だと何とも言えないものだ。
だが白兎の方はなんとか生きていることに喜んでいる様であり、妖怪王の耐久力に感心しながらも咳払いを一つ。そして、
「こほん。では、気を取り直して。――貴方達の負けです。今直ぐ降参して下さい。これ以上の戦いは無意味ですよ」
「それっぽい寸劇はまだ続けるんですね……」
「す、寸劇じゃないです! これは自然と出てしまってるだけで――」
と、白兎のよく分からない行為を軽く呆れながら指摘すると、白兎が顔を赤らめて抗議を返してくる。
だがそれを聞いていたのか、遠くからもハンティが、
「降参されるのはなぁ……もっとやりたいんだけど……駄目かなぁ……?」
「……何気に過激なこと言ってんなぁ……」
ガッカリした様子の言葉に、戯骸が苦笑し、それを聞いていた者達が軽く戦慄している。
戦闘狂の発言は置いといても、一体どうするのかとイヴは白兎を中心に周囲を観察していると
「まだ……この程度で、我の宿命は……!」
「おや、完全に立ちましたね」
妖怪王が口元の血を拭いながらも、立ち上がった。
だが白兎は、相手にもう戦う力が残っていないことに気づいているのか、特に戦闘態勢を取ることもなく、余裕の体勢で妖怪王に向き直ると、相手の発言の意味を問いかけるような言葉を発した。
「それに、宿命とは何でしょう? 人を襲うことが宿命ということですか?」
「……当然だ……! 我は、人の敵なのだから……!」
「人の敵……? 人間が嫌いということですか?」
「っ、黙るがよい……! 我は、人を襲わねば、ならぬのだ……!」
何かに駆られるような切迫した様子で、妖怪王はそう告げた。
その内心の感情をイヴは読み取り、
……迷いに諦め、悲しみ、それでいながら何やら現実逃避というか、思考停止っぽい閉じた思考ですね……。
どうにも強すぎる情念のため、触れずともある程度は読み取れてしまう。妖怪は想いや情念が形になると聞くし、そのせいだろうかと思う中、イヴは妖怪王が僅かに動きを見せたのを視界で捉えた。
「! イヴさん、藤吉郎。少し下がっていて下さい」
「っ、はい!」
「きー!」
妖気の高まりというものを感じて、白兎が二人を庇うように前に出て、居合の構えを取る。
戦う力は無さそうだが、それでも自分の様な人間を害することは難しくないだろう。安全に下がっておくのが得策だと、
「雷、撃……!」
思い、その予想通りに攻撃は来た。
宙を引き裂くような雷撃。それに対して、白兎は剣を構えた。
悠然とした状態のまま、剣に力を込める。白兎にとっては、雷の軌跡に刀を滑らせることは難しいことではないと、既に先程証明しているのだ。
だからこそ、イヴは身を僅かに強張らせたものの心配はしていなかったし、白兎も余裕の様子で、満足するまで付き合ったら説得してやろうと考えていたはずだ。
だがしかし、白兎の剣は、振られることはなかった。
その理由は、単純。白兎の剣閃よりも速い斬撃が、先に雷を断ち切ったせいだ。
「――――そこまでにしておけ」
と、その声は、雷を断ち切った後に遅れて聞こえてきた。
大声ではないのに、不思議と戦場全体に響く男の声。その声と共に感じ取れる存在感は、妖怪や魔物兵らを強張らせる。
「あ、まずっ……」
「っと、この気配は……ハハッ、以前よりも洒落にならねぇくらい高まってやがるな……!」
ハンティがその到来を察知して、げっ、と言わんばかりに眉根を寄せ、戯骸は久し振りに感じる気配に可笑しそうに笑った。
だが慣れている者達にとってはともかく、それを普段は感じることのない者達にとっては、その濃密な気配は息が詰まってしまうほどであり、実際に視界に入れた者達は敵味方問わず、強い畏怖の感情を浮かばせる。
味方である魔物兵は息を呑み、敵である妖怪は露骨に恐怖を感じて、身を震えさせた。
だがそんな中で、涼しい顔でその気配を感じ取って溜息を吐いたのは、白兎のみであった。若干、バツが悪そうな、それでいて不満を感じているような様子で、白兎はいじけた様に誰にも聞こえないくらいの声量で呟く。
「……早すぎますよ、父上」
「……まさか妖怪との戦いに、俺が派遣したハンティはともかく、お前達までいるとは……これはどういうことだ?」
鋭い視線を周囲に向けながら、金髪灼眼の男――魔人レオンハルトは問いかける。
だがそれに答える者はいない。最強の魔人の、その手加減抜きの刺すような視線を受けたものは敵味方問わずに生きた心地がしないものだ。
そして答えられる者は、答える気がない。というか、誤魔化そうとしている。
彼の使徒であるハンティは明後日の方向に視線を泳がせながら、珍しい愛想笑いを浮かべており、どことなくバツが悪そうにしていた。
その近くにいた戯骸などはその視線に対して避けることなく目を合わせたが、彼に対してはレオンハルトの方が目線を合わせることを避けた。
そして直ぐ近くで周囲に漂う畏怖やら様々な感情も含めて状況を見ていたイヴは、眼の前にいる自分の上司の上司が妖怪王の方を最後に見ると――そこで僅かに眉根を寄せたのを見た。
時間が止まったかのような戦場で、最強の魔人が妖怪王の方を見て数秒の時間が過ぎる。余人には何を考えているかは分からない中で、レオンハルトは一度目を伏せながら静かに告げた。
「…………まあいい。話は後からにしよう。それより、今は妖怪騒ぎを片付けなければな」
と、レオンハルトは妖怪王の方に何の気なしに歩みを進めると、
「……お前が妖怪王だな?」
「……そう、だ」
強大な力を持つ妖怪王でさえ、眼の前の男の圧には満足に動くことが出来ない。
辛うじて言葉を返すことは出来たが、それを受けたレオンハルトは一度頷いた上で、こう言った。
「……そうか。お前には話がある。ついてきて貰うぞ」
「っ……それ、は……」
「安心しろ。殺す気はない。話をするだけだ」
「……わかっ……た」
レオンハルトの言葉を信用したわけではなく、頷くことしか出来なかった末知女殿は、力なく了承して、投降してしまう。そして周囲の妖怪に対してはレオンハルトが、
「――やるなら相手になるが……どうする?」
「ヒッ……!?」
初めて見るレベルの圧倒的な強者の圧力を受けて、妖怪達が悲鳴を上げ、腰を抜かす。それを見て軽い息を吐いたレオンハルトは踵を返しながらも続けて、
「なら今直ぐにここから去れ。そしてここには二度と来るな。もしまたやって来て、人間や魔物を殺すようなら……俺が相手にならざるを得ない」
威圧するような魔人の言葉を受け、妖怪達は魔人が視線を逸らした瞬間、
「ひ、ひぃ……! ば、化け物だぁーーー!?」
「ふ、ふざけやがって……! あ、あんなの相手にしてたら、命が幾つあっても足りやしねぇ……!」
「お、おい、馬鹿お前ら、妖怪がビビらされるなんて恥だぞ……! く、くそっ、きょ、今日のところはこれくらいにしといてやらぁ……!」
蜘蛛の子を散らすようにその場から散り散りになって逃げていく妖怪達。
後に残ったのは、魔軍の兵や、ハンティや戯骸、白兎やイヴ、藤吉郎といった魔の者達と妖怪王である末知女殿のみだ。
そんな中で、レオンハルトは牧場の方に歩みを進めながらも、
「さて……後片付けを済ませるか」
と、何やら疲れたような低い声を出しながらも、魔物将軍らにその場の後始末を任せ、自身は白兎一行と妖怪王を連れて室内へと足を向けた。
「――それで、一体どういうことか説明してもらおうか」
「いや……その……」
周辺の人払いを済ませた一室で、レオンハルトはハンティに上から問いかけた。
床に正座をして強い視線を受けたハンティは、その視線から逃れるように顔をそらしながら何とも言えない微笑を浮かべる。
どうにかしてこの場を切り抜ける方法を先程探している様子だが、どう考えてもハンティが逃げる余地はない。
それを理解しているのか、ハンティは汗を流しながらも主人に告げる。窺うようにボソリと、
「……白兎が、あたしから戦いを取り上げるとか言うから……」
「――言ってません」
「うわ、酷!? そこで嘘はあんまりじゃない!?」
「はて? 嘘とは何のことやらですね。私達はハンティさんに誘われてここまで来ただけで……」
「きー!」
「……因みに補足すると、戯骸さんは本当に偶然に出会いました」
完全にしらばっくれる体勢に入った白兎や藤吉郎の弁を、イヴが横から粛々と補足する。
ハンティだけが、ぐぬぬ、と歯噛みしており、戯骸は煙管から火を吹きながら“変わったなぁ……”と時の流れを染み染みと感じている。
それらを見てレオンハルトは溜息をつき、
「……白兎。嘘は良くないぞ」
「冗談です。ですが、その程度の言葉で命令違反をする方に問題があるのでは?」
「一理ある。が、それとこれとは別問題だ。危険なことに首を突っ込もうとするな。何かやる時はちゃんと俺に報告して許可を取ってからだと言っただろう」
「……むぅ……それは、でも……」
不満そうに頬を膨らませた白兎を見て、レオンハルトが何故か目元を押さえて僅かに震える。
イヴが、またいつもの発作かな、とお茶を飲みながら呑気に考えていると、白兎から視線を逸らしたレオンハルトがハンティをもう一度見て、
「……ハンティ。お前は二週間戦闘禁止だ」
「な……!? それは幾ら何でも重すぎない!? せめて一週間!」
「二週間くらい我慢しろ。これでも充分甘い――というか、他の奴なら罰でも何でもないんだがな……」
「これが罰になる辺り、ハンティさんのヤバさが際立ちますね」
「ぐぐぐ……いや、別に、平気だし……! いや、でも……!」
「全然平気そうじゃないですねぇ……」
レオンハルトや白兎に呆れるように言われ、強がってみせるハンティだが、その様子が全然大丈夫そうではなくて、思わずイヴが半目になる。
さすがは戦闘狂として有名なハンティだと、いい意味でも悪い意味でも感心していると、今度はレオンハルトが戯骸の方を見て、
「……それで、お前は……」
「久し振りだな。ちょっと、お前さんの娘に誘われてよ。一緒に冒険させて貰ってるぜ」
「私のお友達です!」
「!? お、お友達だと……こいつが、か……?」
白兎の自慢気な言葉にレオンハルトが絶句してしまう。
娘の嬉しそうな姿が可愛いし、友達が出来ることは良いことだが、よりによってこいつがか、と表情を歪め、
「……白兎。こいつがどういう奴か分かってるのか?」
「はい、魔人ザビエルの使徒だった火の鳥さんです。藤吉郎と似たようなものですし、問題ありませんよね?」
「いや、そういうことではなくてだな……」
レオンハルトが頭を抱える。戯骸の本性というか、性癖のことを知らない娘に、戯骸のヤバさをどう説明すべきか悩んでいるのだ。
しかし、そういった汚れたことはあまり教えたくない。知る必要もないことだとしているので、性癖のことを口にすることは出来ない。
となるとどうすればいいかと、レオンハルトは悩んだ末に、戯骸を見て、
「……お前はどういうつもりだ?」
「いや、何も? ただ友達になってくれって頼まれて、面白そうだったから頷いただけだな。別に今更敵対する気もねえぜ。つうか俺らはもうずっと昔に負けちまってるしな」
「きー! きー!」
「あ、藤吉郎さん……」
白兎の肩に乗っていた藤吉郎が、レオンハルトの前に跳び降りて何やら頭を下げはじめた。
それはお願いするような仕草であり、その言葉が分からないレオンハルトであっても、何が言いたいかは理解出来た。
故にレオンハルトは渋い顔になる。今更ザビエルの使徒にどうこう思うわけでもないし、単純に魔軍に戻りたいというのなら快く了承するのだが、これが娘の友人として近くにいることとなると、魔軍参謀としてではなく、父親として物凄く悩む。
感情としては心底嫌だが、娘の友人をこの場で認めないと言えば、嫌われてしまわないかという危惧がレオンハルトを迷わせているのだ。
いっそのこと、白兎の預かり知らぬとこで闇に葬ってしまいたいぐらいだが、戯骸は不死鳥なのであまり意味があるとは言えないし、さすがに不審に思われる。
どうすべきかとレオンハルトは悩み、悩んだ末に、
「……お前については暫く保留だ」
「おお、好きにしてくれ。逆らう気はねぇからよ」
と、戯骸に対する処遇を保留にしておく。
このことについては周囲と相談したいし、使徒の意見も聞きたい。好意的な意見が多そうな気もするので、レオンハルトとしては何とも言えないのだが。
ただ、不幸中の幸いとして、戯骸なら娘に手を出すはずがないので、その点については安心出来る。その部分で考えると、意外と娘の友人としては悪くない気もしてくるが、気の所為だと思うことにしてレオンハルトは頭を振る。
そして最後に、レオンハルトにとっては最も意外な人物に視線を移した。
「……さて、待たせたな」
「…………」
室内にあるJAPAN風の畳の一角に座る、二代目妖怪王、狂星九尾・末知女殿。
彼女は感情の読めない表情で、無言のままレオンハルトと対峙した。
……この者が、魔人という奴か……。
末知女殿は、人間牧場という人間が飼育されている施設の室内で、その存在と間近で対峙した。
妖怪王という称号を冠していようと、末知女殿は極々最近に誕生した妖怪に過ぎない。
故に知識としてはなんとか知ってはいても、その存在を見るのは初めてのことだった。
そして、率直に思うのは――これほどに強大な存在なのか、ということ。
先程の幼子も、下級使徒という名のついた人間でしかないが、自分を打ち倒すほどには強かった。
だが眼の前の相手は文字通り、桁が違う強さを感じる。
今を生きる妖怪の中で最強の力を持つ自分だが、この男と仮に戦闘をしては、一秒も保たない自信がある。
いや、実際にはもう少し保つかもしれないが、それこそ戦闘にならない隔絶とした差が、自分と相手の間には横たわっているのだ。
人間の敵となるべく生み出され、人間を塵の様に吹き飛ばせる己が、同じ様に塵の様に吹き飛ばされる。
だというのに、この魔人という存在は人間の敵であるという。
20体近い魔人がいて、その上に魔王という魔人でも敵わない存在がいて、それらが人間の敵としてこの世に存在しているという。
何とも無茶な話だ。妖怪相手に苦労する人間が、これらに勝てるとでもいうのか。
それこそ、力を合わせて立ち向かわなければならない相手であり、例え全人類が力を合わせても勝てる可能性は極めて低い相手。
そんな存在がいるというのに、己は一体何だと言うのか――と、末知女殿は、自分の存在意義を見失いかねない存在を前にして怒りや悲しみなど、様々な想いが混じった複雑な気持ちになる。
これだけの存在がいるというのなら、自分は必要なかったのではないか。自分を生み出した陰陽師達は一体何を考えていたのかと訳の分からない気持ちになる。
人間を一つにまとめるための敵なら、眼の前の相手で充分だろう。自分の何倍、何十倍も強大な敵がいるのに一つになれないのなら、自分程度が何をしようとも人間は一つにならない。なる訳がない。
眼の前の男は、魔物や妖怪、鬼などのどれだけ強大な敵がいようとも、人間は人間同士で争いあってしまうという証明であった。
……人間は、何を考えているのだ……。
人間同士で争い合っている場合ではない。今直ぐにでも団結して、眼の前の男のような強大な敵に立ち向かわなければならないはずだ。
それとも相手が強すぎて諦めてしまっているのか。そうだとしたらお手上げだ。
二代目妖怪王、狂星九尾・末知女殿の宿命とは、妖怪を率いてJAPANの人々全ての敵となることで、人々をまとめさせること。
争いに満ちたJAPANに、新たな統治者を与え、争いを止めさせることだ。
しかしこの瞬間に、末知女殿は気づいてしまった。
己の宿命を遂げることは不可能であり、また、そのことに何の意味もないのだと。
人々は纏まらないし、纏まっても意味はない。
この世の統治者は人間の様な弱者ではなく、もっと力ある者達だったのだと。
それを理解した瞬間、末知女殿は足元が抜け落ちてしまったかのような感覚を得た。
もはや自分には何の意味もないのだ。
「お前は人間を襲い続けている様だが……出来ればそれは――」
「……我はもう、何の意味もない……」
「何?」
眼の前の男が話し始めた時に、末知女殿は意図せず被せるように言葉を呟いた。
「人を纏めさせることなど……出来はしない……人を襲っても無意味だ……我が存在している価値など……ない」
そう、何の意味もないし、これ以上にやることなど何もない。
だからこそ末知女殿は、もうこのまま消えてしまった方が悪くないのではと想い始めた。
だが、
「……よく分からないが、自分の存在意義にでも迷っているのか?」
それより先に、魔人は問いを投げてきた。末知女殿は深くは考えずに頷き、
「我に与えられた宿命は……どうやっても達成することが出来ぬものだ。ならばもう、我の存在価値はない……」
「……随分と悲観的だな。生きている意味がない、か……」
魔人は何かを思うように目を細めるが、関係はない。
もはや末知女殿は何をするでもなく、このまま石にでも戻ってしまいたいと思うほどに絶望していた。
だから眼の前の魔人が、何かを懐から取り出したところで、それは自分とは何ら関係のないものだと決めつけた。
しかし、そうではなかった。
「――ほら」
「……? 何だ……?」
眼の前に差し出されたものに、末知女殿はまだ残っている思考で疑問を浮かべる。
知らないものだと見上げた先で、魔人は言った。
「食べてみろ」
「食べる……だがそれも――」
「いいから試しに食べろ。……その答えが見つかる可能性もある」
「…………」
何を言っているのかと、末知女殿は鼻白む。
食事如きで、自分の存在意義が、宿命が解決するわけがない。
そもそも妖怪に食事など必要ないのだ。
だからこそ、末知女殿はそれに手を伸ばした。
もうどうでもいい。故に、魔人の言う通りこれでも食べてお終いにしてしまおうと。
そう思い、末知女殿は眼の前に差し出されたそれを口にした。
「…………ん」
ゆっくりと咀嚼する。
食事は初めてなので勝手が分からないが、多分、こんな感じだろうと探りながらのものだった。
だが、その舌に伝わってくる味とやらは、
「! これは……なん、だ……?」
末知女殿は、それに不思議な心地よさを感じて閉じていた瞳を見開く。
舌先に感じる不思議な満足感。芳醇な香りに、末知女殿は混乱した。
こんな感覚は初めてだと、
「どうだ? 美味いか?」
「美味い……とは何だ……?」
「美味しいかってことだ」
「美味しい……これが……そうなのか」
人間や他の妖怪が食事を取った際に言っている言葉だ。
宿命のみを考えていたので、全く興味を持つことはなかったのだが、
「…………もうひとつ……貰っても……」
「ああ、全部食べて構わない」
「! そうか……」
あっという間に無くなってしまったそれを、末知女殿は不思議とまだ食べたいと思い、それを口にしていく。
二つ、三つ、四つと食べても、なるほど。これは美味しい。
不思議ともう一度と食べたくなる感覚。初めての感覚を訳のわからないまま感じていく。
だがやがて、全て食べ終えてしまうと、
「む……もう無くなったのか……」
差し出された箱の中身は全て無くなってしまい、末知女殿はそのことを残念に思った。
だがそこで、魔人は言った。軽く微笑を浮かべながら、
「どうだ? まだ食べたいか?」
「…………うむ」
迷いなく頷いてしまう。すると更に口角を上げて魔人は、
「なら、死ぬことは出来ないな」
「! それ、は……」
言われた言葉に、末知女殿は目を見開く。
そして気づく。先程まで、消えても構わないと思っていたというのに、
……今は、未練を感じてしまっている……。
何故だ、と末知女殿は自分の事が分からなくなる。自分は宿命のために生み出されたのに、何故それ以外のことをしたいと思ってしまっているのかと。
だがその答えは、魔人が告げた。
「どうにもお前は、一つの宿命、自分の存在意義とやらに囚われているようだが……一つ教えてやろう。生きるための理由なんて幾らでもあるし、作ることが出来る」
「! だ、だが……我の作られた意味は――」
「作られた意味だと? そんなことはお前を生み出した奴が勝手に決めたことでお前には何の関係もないだろう」
「――――」
自分の作られた存在価値は、自分にとっては勝手に決められたものでしかないと、魔人は言う。
だから、
「自分の生きる意味は、自分で決めるものだ。他人が決めたことに従う人生なんか面白くとも何ともない」
「……だが」
「お前が自分で考えた末に、それがやりたいとどうしても思うならそれでもいい。好きにしろ。だが……お前は物を知らない様だから言うが、この世には生きるに値する物事なんて数え切れないくらいあるものだ」
「数えきれないほど……」
そうだ、と魔人は頷く。空になった箱を仕舞いながら、
「それはどんなくだらないことだって構わない。余人にとってくだらないものだろうと、自分にとって価値のある物を見つければいいし、幾つ見つけたって構わない。一つのことが駄目でも、別の生きる意味を見つけてそれに没頭すればいい。くだらないものだろうが、死ぬよりはマシだ」
と、魔人は今度は近くの机に置かれた湯呑を持ち上げ、それを末知女殿に向かって差し出す。
呑んでみろ、という言葉に従ってそれを口に含むと、
「……さっきのとはまた違う味だが……美味しい、な……」
「当たり前だ。別の食べ物、飲み物なんだからな。どれが一番好みだ?」
「……最初に食べたもの」
告げると、魔人は苦笑した。そして、
「そういう風に、お前の好きなものを見つけて生きればいい。――因みに最初に食べたのは、いなり寿司ってやつだ」
「……いなり、寿司……」
そう呟き、末知女殿は言葉をしばらく失った。
魔人の言うように、自分は物を知らないが、その意味は理解出来る。
……そう、か。生きる意味は、一つではないのだな……。
思い返してみれば、自分の短い経験の中でも、配下の妖怪や、見かけた人間達が、あれをしたい、これをしたいと言って、また様々なことをしていたものだ。
一つの目的だけではない。くだらないと吐き捨てるようなことも、目的から少し逸れてでもやることがあったものだ。
つまりそれは、自分という存在にとってもそうで、
「……我は……見つけ出せるのか……?」
「ああ、必ずな。……だが、かといってまた牧場の人間を殺すとかは止めてほしいがな。何でもやればいいとは言ったが、次にやられるとこちらも殺らざるを得なくなる。アドバイスしてやると、悪いことや敵を作るようなことは、自分の責任の上で、考えてやるべきだ。目的のためにどうしても必要という場合もあるが、その場合、他者との衝突は免れないからな」
「そうか……」
末知女殿は魔人の言葉に素直に頷きながら、思考する。
自分のやるべきこと。やりたいことはまだ分からない。
……いや、そうだな……。
末知女殿は自分なりに考えて、何をしたいかと結論を出す。
「……我は、先程のいなり寿司とやらをもう一度食べたい」
「ああ、探せばあるだろ。好きにすればいい」
「それに、色んなことを知ってみたいと思った」
「ああ、頑張れ。きっといつかは自分に合ったものが見つかる」
「それと、お主……レオンハルト、だったか。お主にも興味が湧いた……お主は、我を宿命から解放し、道をつけてくれた“恩人”だ」
「ああ、それなら――――ん?」
レオンハルトがそこで、あれ? と言わんばかりに首を傾げる。
だがそれを意に介さず、末知女殿は自らの恩人に対して、自分の想いを告げた。
「だから……お主と共に――お主について行きたいのだが……構わぬか……?」
「……………………えっ」
末知女殿がレオンハルトを見上げながら戸惑いがちにそう言う中、レオンハルトは暫くの間、周囲の声も耳に入らずに固まり続けていた。
スラル「……えっ、じゃないでしょうがーーー!?」