今を生きる人間。その生き方は、大きく分けて二つだとこの時代に生きる誰もが知っていた。
一つは、人間牧場で魔物に飼われながら虐げられること。
もう一つは、魔物の目を掻い潜るようにして野良で生きること。
前者は命だけは保証されているものの、人としての尊厳は存在せず、一切の自由もない。ただ魔物に好き勝手苦しめられ、数を増やすように強要され、毎日を生きるのみだ。
対する後者には自由がある。自分達の生き方は自分達で決めるという人として当然の筈の在り方がある。
だがその道はとても過酷なものだ。魔物が跋扈する世界で生きるには、魔物に見つかってはならない。力無き者は日の当たる場所に出ることも叶わない。夜になっても明かりを灯すことが出来ずに暗闇の中で息を潜め、震えて眠れない時間を過ごし、朝になれば生きていることに感謝する。
力ある者でさえ、ほんの僅かに足を踏み外すだけで死に絶える──そんな自由がそこにはある。
だからこそ、人間にとってはどちらの道も地獄であり魔物を排さなければ未来はないと、野良で生きる人間達は誰もがそう思っていた。
確かに苦しい毎日だが。魔物に飼われて生きるくらいなら死んだほうがマシだと、そう思っているのだ。
それは彼ら五人も例外ではない。魔物に飼われて生きることに、“幸福”なんてものがあるはずがないと強く思っていた。
だが今彼らの眼の前に広がる光景は──その認識を覆しかねないものだった。
「ママー、今日の夕飯はー?」
「うーん、そうねぇ……今日は久し振りに、へんでろぱでも作りましょうか」
「わーい! わたし、ママの作るへんでろぱ大好き!」
「お、いいねぇ。ママのへんでろぱは絶品だからなあ」
「もう、褒めても何も出ないわよ?」
その通りを歩いているのは、魔物ではない。紛れもない人間だった。
魔物兵に化けて人間街に忍び込んだブリティシュら一行は、先程までの街並みと殆ど同じ様な街の通りを仲睦まじい様子で歩く、三人の親子を見て言葉を失った。
先程の魔物がいた場所よりかはさすがに数が少ないものの、通りにはそれなりの数の人間が歩いている。
そして彼らの表情には、暗い影が一つもない。
将来に対する不安や、今の世の中に対する絶望も、何もかもが見受けられない。
だからこそ、彼らは驚愕した。この光景は本物なのかと、
「これが、人間街なのか……?」
ブリティシュが思わず呟く。疑っているような呟きだが、その思いは誰もが同じだった。
「おいおい……夢でも見てんじゃねぇだろうな……?」
「嘘……こんなのって──あっ!」
カオスやカフェも同様に驚きに満ちた言葉を発するも、不意にカフェが声を上げた。
だがその瞬間、同じ様に皆が気づいてその場から脱した。その訳は、
「おい、お前たち! ここは一般の兵は立入禁止だ──って、あれ?」
少しして駆け寄ってきた魔物兵が、声を上げながら表の通りから一行がいた路地の前に姿を現す。
しかしそこに見えた筈の魔物兵の姿がないことに、魔物兵は周囲をきょろきょろと見渡しながら訝しみ、
「おい、どうしたんだ? 急に走って」
「あ、あれ? いや、ここに兵がいたような気がしたんだが……?」
「気の所為じゃないのか? もしくは巡回してる奴らと間違えたとか」
「う、うーん、警備隊所属の腕章も無かったし、違ったような気がしたんだが……俺、疲れてんのかな?」
「大丈夫かよ。全く……終わったら飲み行かないで帰って休んだらどうだ? 隊長には俺から言っておくからよ」
「大丈夫だと思うんだけど、一応そうしようかな……」
魔物兵達はそのようなやり取りをしながら、再び持ち場に戻っていった。
そして警備の目がなくなったところで、彼らは口を開く。咄嗟に入ってしまった建物の中で、
「……間一髪か。もう行ったようだが……」
カオスが安堵の声を漏らす。しかし日光が窓の外から通りを見て、
「……どうやらここを警備している魔物兵がいるようですね」
歩道に一定間隔ごとに並んでいる魔物兵や、街を少数で巡回する魔物兵達がいることに気づき、彼らは息を詰める。どうやら堂々と通りを歩くことは難しい様だと、
「咄嗟に入っちゃったけど……ここ、誰かのお家かな?」
「裏口があって助かったけど、これはこれでマズい気が……」
カフェやブリティシュが周囲を見渡しながら言う。どうやらそこは台所の様だった。
そしておそらくは人間の家なのだろうと、皆がそう思った時、ドアが開かれ、
「──あれ? もう帰ってたのか……うぉああっ!? なんだお前、ら──」
「やべっ、見つかっちまった!」
家の中にある扉から、ヒゲの生えた彫りの深い顔の中年男性が物音に気づいてか一行を発見し、カオスが、しまったと言わんばかりの声を上げるが、しかし様子がおかしい。
割と鍛えられた逞しい体つきの男は、それを見て驚いたかと思うと、一度言葉を止めて、
「ま、魔物兵の方々が、家に何の御用でしょうか?」
「あっ、いや……」
驚きながらも腰を低くして用件を訊ねてくる男に、ブリティシュらは思わず面食らって言葉を迷わせてしまう。
何と言うべきだろう。潜入中ということもあるが、同じ人間であるが故に対応に迷ってしまう。魔物であれば殺すか気絶させるかなどという選択肢が最有力で、次に誤魔化すのが有力なのだが、
「……ブリティシュ。少し、彼から話を聞いてみるのはどうだろう?」
「え? 彼から?」
だがしかし、ホ・ラガが意外な提案をしてきたことで、皆は一度、意志の統一も兼ねて顔を向け合う。
その真意は何なのかと問う視線に、ホ・ラガは頷きながらこう言った。
「私達は、あまりにもこの街のことを知らないし、目的の物の手掛かりもない」
「……でも、それは僕達の──」
「ああ、そういうことになるね。しかし──」
ブリティシュの言葉を差し止めて、ホ・ラガは言う。そうかもしれないが、と、
「だが、君や日光は人間を少しでも救いたいと思っているのだろう? だったら、この状況は良い機会だと私は思う。こちらの事情も知れば、彼らもひょっとしたら協力……ないしはこちらからも手助け出来るかもしれないからね」
「……そう、だね。でも皆は……?」
ブリティシュの願いを汲み取ったホ・ラガの提案。しかしブリティシュはそこで頷きはするものの、皆に一度視線を向ける。
「……私は賛成です。拒む理由がありません」
「ちょっ、さすがに危険過ぎじゃ──」
「……私も賛成、かな」
「おい! ちんちくりんまで……!」
「あはは……ごめん。でも情報収集は大切でしょ?」
「そりゃー……そうだが……はぁ、お前らの場合、情報収集だけじゃ終わりそうにないじゃろうが……」
「……カオスは反対かい?」
「そりゃあな。だが、もうええわい。ここまで話してる時点で怪しまれとるだろうからな。前向きに考えることにする」
「……ありがとう。それじゃあ──」
と、一行が意志を統一する。それを聞いていた男は頭に疑問符を浮かべ、
「……? さっきから何の話を──」
「──こういうことです」
ブリティシュの言葉とほぼ同時に、一行は皆、その魔物兵スーツを一旦脱いで姿を見せた。
それを見た男はぎょっとして、
「えっ、あっ!? お、お前ら……人間か? なんでそんな──いや……もしかしてお前ら、外の──」
表情が困惑に驚愕、そして確信に変わっていく中、ブリティシュらは真面目な顔で告げた。彼らを助け、そして助けて貰おうとする言葉を、
「ええ。僕達は──外から来た人間です」
「っ……! やっぱりそうか……ここの人間が、そんな格好をするはずがねぇからな……」
「……うん、その辺のことも含めて、少し話がしたい。僕達はある目的からこの街に忍び込んで来たんだけど、この街のことについて色々と聞かせてくれないかな?」
「……目的、だと?」
訝しむような表情の男に、その警戒を解こうと一同は弛緩した雰囲気を身に纏う。カオスやホ・ラガなどの愛想を良くしたり、笑顔を浮かべるのが苦手な二人はともかく、カフェなどはブリティシュと共に笑みを向けて、
「えっと……私達、一応人を助けることもしてるから……あ、話さないと助けないっていうつもりじゃないからね? ただ……出来れば協力してほしいんだけど……」
「私達は、魔人を倒すために旅をしている冒険者です。だから、そのために必要な情報を集めているのですが──」
「────
「えっ?」
日光が率直に目的を話始めたところで、突然の言葉がその場に響き渡る。
男のその声は、通常よりも遥かにその場に響くようだった。
日光の間の抜けた声は、思わず耳を疑ってしまい、その場が一瞬静まり返るほどに衝撃的な言葉だったことを証明している。
少しの間が空いた室内の時間。そこにカフェが一足早く我に返ると、今度は苦笑気味に、
「え、えっと……その……今なんて──」
「……聞こえなかったか? 帰ってくれ、と言ったんだ」
再度、全く同じことを告げられて皆がようやく、先程の声は聞き間違いではなかったことを理解する。
そうなると今度は、その真意を問いかけようとホ・ラガがその眼差しを鋭くして口を開き、
「……何故だね? 助かりたくないのか?」
「……助かりたい? ──ははっ、ああ……何を言うかと思えば、そういうことか」
「何を笑って……?」
日光が眉間に皺を寄せて男の様子を訝しむ。男は何かに気づいた様で、何やら可笑しそうにくつくつと笑い始めたのだ。
そしてひとしきり、ある程度笑うと、その笑みをある程度落ち着かせたところで、男はその返答となる言葉を続けた。
「お前ら、ズレてるんだよ」
「……ズレてる? それは一体どういう意味なんだ?」
ブリティシュの問う言葉に、男が失笑を漏らして続けた。
「ああ、それはな……俺は……いや、俺達は──」
それは、一行にとって今度こそ言葉を失ってしまう──
「……別に──
「────」
──明確な拒絶の意志を示す言葉だった。
「助かりたくないって……?」
男の衝撃的な言葉を聞いたカフェは、相手の言葉をそのまま問い返すことしか出来なかった。
しかし相手の男は、それを聞いても胡乱な反応をする一行を可笑しく思った様で、僅かに苦笑すると、
「助かる、助ける……ね。じゃあ聞くがよ。助けてくれるってお前達は具体的に何をしてくれるんだ?」
問われるのはそんな質問。答えは分かり切っていると、日光が真剣な表情で、
「……ここから逃がすことになるでしょう」
「逃がす……か。ぷっ……はははっ! ここから逃げるか! そりゃあいい! 逃げて野良で生きればいいってか!? ええ? 何の当てもなくよぉ!」
「……当てがない訳ではありません。近くの隠れ里までなら何とか連れ出すことも──」
今度こそ、腹を抱えて笑い出す男に日光が眉を顰める。
そして近くの隠れ里まで案内することを持ち出すが、実際には黄金像を盗み出す用事もあるので簡単にはいかないだろう。
だが、少なくとも彼女は出来る限りのことをして人間を助け出そうと思っていたし、他の面子も、余裕があればそれを行うことに躊躇いはない。彼らはそれぞれの目的で魔人を倒すために集まったが、人を助けることを厭うことはない者達だ。
しかし、
「……へぇ、近くの隠れ里、ねぇ……俺は野良の生活なんて見たことも聞いたこともないけどよ。それはここの生活よりも快適なのか?」
「……それだ。そもそも何故、ここにいる者達は一見、恵まれた生活をしているのだ? 何か代償やからくりがあるのかね? ここを管理している魔物は──魔人は、何を考えている?」
ホ・ラガが問う。皆も気になっていたことだ。男はそれを聞いて鼻を鳴らすと、
「……さぁな。そんなことは俺達も知らない」
だが一つだけ分かることがある、と男は言う。それは、
「俺達人間は……魔物に生かされてるからこそ、生きてられるってことだ」
「……生かされてるからこそ、生きてられる、じゃと?」
「ああ。だから、ここから逃げてどうとか、魔人がどうとか言ってるお前らを見ると……申し訳ねぇが笑えてくるぜ。──
「なんだと!?」
「っ、カオス!」
カオスがその言葉に怒って前に一歩踏み出したが、ブリティシュの一声にその先の行動を差し止められる。危害を加えるつもりはないだろうが、掴みかかるくらいはしかねないので止めたような形だった。
だがそれすらも、男は何の怯みも見せずに言葉を続ける。
「いや、本当に可哀想だよ、お前ら。同じ人間なだけに、哀れでしょうがない。お前らの未来を考えるとな」
「……何故だ? 何故そんなことを思うんだい? 君は、魔物に支配されてる現状から、脱したいとは思わないのか?」
ブリティシュの問いかけは、この時代に生きる人間の共通の想いだと信じていた。
魔物に、魔人に、魔王に。彼ら魔族に支配される現状に未来はない。だからこそ、その支配からの脱却を目指す。魔人や魔王の打倒を目指す。そうして人間達は苦しまずにいれる世界を作り上げるのだ。
そこまで大仰な理想を掲げているのは、この中でもブリティシュくらいかもしれないが、それを目指すと聞いても、誰もが否定はしないだろう。そう出来れば一番良いはずだからだ。
だからこそ、ブリティシュは男に問うた。このままでいいのか? と。
そして男の答えはこうだった──このままでいい、と、僅かに憂いを見せた表情で、
「魔物の支配から脱する……か。言いたいことは分かるぜ? 要は魔物にあれこれ好きにされない“自由”を求めてるってことだろ? ああ、分かる。よーく分かるさ、その考えはよぉ」
だけどな、と男は一度間を置いて言った。壁に背中を預けて、何かを思い出すように、
「そんな考えなんてものは、思いついたとしても間違いだったってそのうち気づく。かつての俺みたいにな」
「……かつての? それって……」
頷きが来る。腕を組んだ男から、自嘲するような笑みと共に、
「ああそうだ。俺はよ、ここのすぐ隣にある牧場で生まれ、牧場で生まれ育ったが……以前はお前達のように思ったのさ。魔物の言いなりになり続けるなんて馬鹿げてる。ここから逃げ出してやろう──ってな」
男は壁に立て掛けた剣や斧を見ながら言う。それは、かつて己が振るった武器なのだと、
「俺はこれでも結構腕に自信があってな。ガキの頃の選別で魔物に腕前を見込まれて、コロシアムの闘士になった」
「コロシアムの闘士だと……? いや、それより選別ってのは?」
「ま、振り分け試験のようなものだ。そんでコロシアムは……ま、魔物が楽しむための見世物だな。とにかく、俺は強さってのには自信があったし、闘うことも好きだった。現役の時はコロシアムのチャンピオンまで上り詰めたんだぜ?」
拳を握りながら言う男。よく見れば、男の肉体は冒険者として活躍している五人と比べても、かなり大きい鍛えられた肉体をしていた。服を押し上げる膨れ上がった筋肉などはその名残ということだろう。
だが、そんな強さを持つ男でも逃げ出すことは叶わなかったという。何故なら、
「俺はある時、魔物の監視の隙を見計らって、この街から逃げようとした。一般の魔物兵くらいなら倒せる自信はあったが、数も多いし、バレずに抜け出せるならその方がいいってな。……だけどよ失敗しちまった」
「……どうしてだ?」
「決まってんだろ。魔物には勝てても、その上にはとんでもない化け物がいるんだ」
と、男は告げる。その存在を、
「俺の逃走は、この街から少し出たところで止められた。使徒が、待ち伏せしてやがったのさ」
使徒。それは魔人から血を分けられた忠実な下僕であり、人間よりも遥かに強大な力を持つ化け物である。そんな存在に囲まれれば、諦めることも致し方ないと思う。故にブリティシュはそこで得心し、
「そこで、投降したと?」
「……いいや。俺は使徒に囲まれるとこまでは、まだ戦う気でいた。使徒は確かに化け物で、俺よりも遥かに強い連中だって分かったけどよ。どうせ殺されるくらいなら、一体くらい道連れにしてやろうと思ったのさ」
もっとも、それが本当に出来るかは別問題だが、と男は使徒の強さも人間と比べて桁違いだと言う。
だが男は、それでも最初は戦うつもりでいたし、諦めるつもりもなかったのだ──ある者が現れるまでは。
「……お前ら、本物の化け物って見たことあるか?」
「あ、ああ? なんだ突然?」
カオスが訝しむ。だが男の言葉はその問いに答えず、止まらない。
「俺はある。その時に初めて見たのさ。そこらにいるようなちゃちな化け物じゃない。“本物”って奴をよ」
「……お前……」
その男の変化に、一行は気づく。
男の手は僅かに震えていた。その時のことを思い出す彼は、その時に生じた感情や震えまでも思い出してしまう。
「最初はよ……街の方から人影が歩いてきたから、そんな筈はないのにお仲間か? と思ったんだ……。少しして距離が近づくと、そこで気づいた。段々と息苦しくなってる。肩が重くなってる。その原因を探るよりも前に、俺は歩いてくる存在に気づいた。──魔人だと」
魔人。それはこの世界の支配者達であり、使徒よりも更に上位の力を持つ化け物だ。
男はその時、初めて魔人を見たのだと言う。
「直ぐに気づいたぜ。その魔人は、この街を治めてる魔人だってな……一歩一歩、近づいてくる度に増す圧力、あの赤い視線を向けられた時は、冗談抜きで死んだかと思った……しかも、俺は気づいちまった」
「……気づいた?」
ああ、と頷いてみせる。すでに青褪めた顔で彼は告げる。
「その魔人は、全然本気じゃない。寧ろ力を抑えてるんだってな……姿形は人間だが、その形に、無理やりアホほど力を詰め込んで濃縮して、それを抑え込んでいるのにも関わらず、どうしても力が漏れ出してしまう……あの方から感じる気は、それくらいヤバかったんだ……!」
「お、おい……!」
男はとうとう、頭を押さえてその場にしゃがみ込んでしまう。恐怖を感じている様子で、
「直ぐに分かった。俺と──いや、人間と眼の前の方の間には、絶望的な差が開いている……! 勝てる勝てないの次元じゃない……勝負にすらならない……! あの方がその気なら、俺は痛みを感じる暇もなく、次の瞬間には首を刎ね飛ばされていたんだ……!」
男の顔に脂汗が滲み、表情が情けなく歪んでいく。段々と声も大きくなり、
「気づけば呼吸が出来なくなっていたし、信じられないほどに身体が震えていた……! そして死を覚悟しながら、気がつけば、俺はあの方の前に跪いていた……!」
そこまで言ったところで、今度は震えが止まり、僅かに落ち着きを見せる。きっと、その時が恐怖の最高潮だったのだろうと、
「その時の会話は憶えちゃいねぇ……もう無我夢中だった……だが、何を思ったのか、あの方は俺を許し、俺は助かった……」
九死に一生を得たのだと、男は息を撫で下ろしながら言う。そしてこうも思ったのだと、
「一時的に牢屋に入れられながら、俺はその時に確信したぜ……“ああ、逃げ出そうとした俺が馬鹿だったんだ……”ってな……」
「……だが、ここにいても何も──」
「──
「──っ!」
男は日光の言葉に反応して、不意に立ち上がって大声を上げる。
それは怒っているような、憤りを感じているかのような感情の発露だった。
「逃げてどうなるっ!? 野良で魔物に怯えて暮らすのか!? いつ追手が来るかの恐怖を感じながら眠れない夜を過ごすのか!? 何の保証も無いってのに!!」
「……それ、は……で、でも……」
「でも、なんだ!? ここより快適に過ごせる場所があるってのか!? 一切の危害も加えられず! 温かい食事と立派な家を与えられ! それどころか好きな相手と結ばれて子供を授かることだって出来る! こんな安全で快適な生活を送れる場所が他にあるってのか!?」
「……子供がいるのか」
「ああ、そうさ! うちだけじゃねぇ! ここらに住む奴らは基本的に仕事さえしてれば食事だって与えられるし、家庭を持ったっていい! 子供が傷つけられることもねぇ! だが、外はどうだ!?」
男は一行にその想いを全力でぶつける。どうなのだ、と、
「俺に娘や嫁を連れて外で暮らせって言うのか!? 魔物にいつ襲われるか分かんないってのに! 飯が満足に食えるとも限らないってのに! 嫁や娘にひもじい思いをさせて、魔物に殺される恐怖に怯えながら逃亡生活でも送れってのか!? 断言するが、そもそも逃げられるわけがねぇんだよ! 支配から抜け出せるわけもねぇ!」
「っ……確かに難しいかもしれない。魔人を倒すことは人間には難しいかもしれない。だけど、それを可能にするために僕達は──」
「だからそれが分かってねぇんだよ……! お前らよぉ……ここで魔人や使徒を倒すって言うなら悪いことは言わねぇ、やめときな……! この街を治めてる連中は正真正銘の化け物だ……四体いる使徒は全員化け物だし、その上に立つあの方は、もう化け物って言葉が似合わないレベルの本物の怪物だ……! 難しい難しいって言うが、そうじゃねぇ……! “無理”なんだよ、魔人を倒すってのは……!」
はぁ、はぁ、と息を乱しながら男は忠告する。五人はその勢いに返す言葉が見つからずに、暫し無言となった。
そこでようやく、男の熱も下がっていき、
「……なぁ、悪いことは言わねぇから止めとけよ。確かにお前らは強そうだ。現役の時の俺なんかよりもな。だけど、あの方と比べると……霞んじまう」
「……それほどに、強いのかね?」
ホ・ラガが問う。分かりきってることを、敢えて問いかける。するとやはり、鼻を鳴らす音が聞こえた。
「はっ……お前らは強いだろうが、今ここでどうにかして身体の何処かに剣を突き刺したり、もしくは毒でも盛れば死ぬだろ? 焼かれれば死ぬか? 溺れて窒息でもすれば死ぬか? ……まあ、殺す方法なんて幾らでもあるよな。人間ってのは脆い生き物だからよ……」
と、続けて男は言う。
「だが──魔人はその程度では死なねぇ……。そもそもそんな攻撃が効かねぇし、そんなやわな生き物じゃねぇだろうよ……ひょっとすれば、脳や心臓でも傷つければ死ぬかもしれねぇが、その壁がまず越えられねぇ。何をやっても傷つかないって聞いてるからな……」
「……無敵結界か……」
「はは、そんな名前なのか? 初めて知ったぜ……だがぴったりじゃねぇか。魔人ってのは無敵だ。決して倒せない……俺はこの世で最強なのはあの方だと思ったんだけどよ、それ以上に上の魔王様ってのがいるって改めて思った時……もう、ちょっとついていけねぇなって思っちまったよ。男ってのは戦ってたら最強を目指すもんだけどよ……明らかにスケールが違うと馬鹿らしくなってくるもんだ……もはや逆らうことすら考えたくねぇ」
だから、と、
「もう一度言うぜ。悪いことは言わねぇから帰りな。そんで……二度と関わらないでくれ。俺達は助けなんていらねぇんだ。ここにいれば、安全で快適な生活が送れる。……あの方は寛大なんだぜ? 要望を出せば出来る限り応えてくれるし、ここに定期的に来る使徒の方も、凄い親切なんだ。うちの娘が病気した時なんて薬まで届けてくれてよ。警備の魔物兵だって危害も加えてこねぇし、むしろ優しいもんだ。声を掛ければ軽い会話くらいならしてくれる。……ああ、でも、どうしても誰か助けたいって言うんなら……牧場にでも行ってみたらどうだ?」
「人間牧場か……」
「ああ、うちの嫁が牧場で子供達の先生をやってるんだけどよ……たまに“C級”のお仲間を見る機会があるそうだ……そんでまあ、結構悲惨だって聞くぜ。それを見て不満に感じたり、憤るような心は俺らにはもうないし、助けを求められるかはかなり望み薄だが……どうしても助けたいって言うんなら、そいつらのところに行くんだな」
「……分かった、ありがとう。話を聞かせてくれて」
「……ブリティシュ」
ブリティシュが代表してお礼を告げる。先んじての行動に、日光が名前を呼びかけるが、ブリティシュは首を横に振ることで答えると、日光はその先の言葉を飲み込んだ。
だが続けてカオスが息を吐き、その上で割り切ったのか視線を再び男に向けると、
「……ついでにもうちょっと聞きたいんだが、黄金像をどっかで見なかったか?」
「黄金像……? 悪いが知らないな」
「そうか。それなら、城や魔人の事について何か知らないか?」
「おい、止めてくれ。つい色々喋っちまったが、そんなことは知らねぇし、例え知ってたとしても言う気はねぇんだ。俺はあの方の不利になることを言いたくねぇ。今の俺にはこの生活を守ることが大事なんだ。だから……ぶっちゃけ、あの方を倒すのは止めてほしいな。お前らじゃ絶対に無理だろうけどよ」
「…………」
「ほら、言いたいことはそれだけか? もう用がないなら出ていってくれ。もうじき、嫁と娘が帰ってくるんだ。夕飯の支度もしたいからよ……」
「……ああ、分かった」
カオスも何も言わずに頷く。ブリティシュらは、再び魔物兵スーツを着ると、そのまま勝手口から外に出ていく。
そして外に、再び人間街の路地裏に出てきたところで、カフェがふと呟いた。
「……私達……」
「……なんだ?」
近くにいたカオスが、俯いた様子のカフェに声を掛ける。しかし、首を振られ、
「……ううん、何でもない」
「……なら、さっさと行こうぜ。じっとしてたら見つかっちまう」
「……そう、だね。切り替えて行こうか」
ブリティシュがカオスの提案に頷き、気持ちを切り替えるよう口に出すが、それを口に出した本人も含めて、気持ちを直ぐに切り替えることは、到底出来そうになかった。
──五人が去った後。その家では、男が外に出ていくところであった。
「……悪く、思うなよ……」
こうしなければならない。こうするのが街のルールなのだと、自分に言い聞かせながら、何も持たずに表に出る。
そして彼は近くにいた魔物兵に、声を掛けた。
そんな感じで。次回はとうとう出番かな