※この作品はR-18です。

魔軍参謀の憂鬱   作:黒岩

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少年奴隷としての日々

「──貴方は何故、かの御方と戦いたいと願うのですかな?」

 

 そう彼に告げてきたのは、魔女だった。

 そこは玉座。魔が住まう紅の城の中心にある王の為の場所であり、ここ500年は使われることが殆ど無かった権威の象徴。

 将への訓辞、辞令、褒賞。戦争が多かった時代では、この場所で諸将に命令を下すことも多かったが、地上を魔物が支配し、戦争が消えた今、この場所は正しく飾りと言ってもいい。

 しかし、そこに座る者の偉大さは失われてはいない。

 

「──決まっている。奴が、俺よりも強いからだ」

 

 単純かつ簡潔にそう答えたのは、その城の玉座に座ることを許された唯一の人物だった。

 その者の見た目は人間だった。

 軍服と呼ばれる物にも似た黒のロングコート。裏生地は赤く、縁は金。中にはこれまた真っ赤のシャツと、黒いネクタイを身に着けている。ズボンは長く、黒に近い青、紺色のものであり、底が紅い黒の靴を履いている。

 見る人が見れば、それは軍人。それもコートの装飾などから相当に地位の高い者だと見受けられるが、コートの前は開かれており、多少曖昧な印象を生む。軍人としては少しラフで、あまりにも堂々とし過ぎている。

 彼の見た目も、それに拍車を掛けた。

 輝くような黄金の髪。血の色にも似た紅く鋭い瞳。衣服の下にある肉体は無駄が極限まで省かれ、鍛え抜かれ、戦うことに特化した細身の身体。男性としては完璧とも言える容姿。一つの完成形。その実直な性格を表したかのような鋭い瞳は見る者を威圧し、自然と相手に緊張感を抱かせる。

 そして彼を彼たらしめんとするその異常な存在感の大きさ。その赫赫(かっかく)たる雰囲気は、やはり衣服と同じく、軍人としては外れている。

 それは──“王”の威容。

 例えるならば、人間が獅子を眼の前にした時のもの。

 戦うため、周囲を従え、敵対者を狩る。戦士の中の王。

 そして、人ならざる魔の気配を携えた者。

 その存在感は人を超越した種族である証左だ。

 身に秘めた力は人などでは収まらない。人の皮の中に無理矢理化け物を飼っている。

 彼を眼の前にすれば誰もが本能的な危険を訴え、自然と頭を垂れるのが相応しい在り方だと錯覚させる人物が、この玉座の主だ。

 その玉座、彼が肘を掛けて険しい表情で何かを考えている横では、異常なほどに長く、白い髪をした少女がいた。

 見た目はそれなりに綺麗で、美少女と形容しても問題ない者。だがその表情、雰囲気からは飄々としたものが滲み出ている。

 そんな魔女は、かつての王に言った。その目的を聞いて、

 

「ほう。強いから戦いたいと。相手が己を圧倒するほど強い存在で、ともすれば己が負けるかもしれない。そんな存在であるからこそ、参謀閣下は挑む価値があるとそう仰られるのですかな?」

 

「無論だ」

 

 間髪入れずに、参謀閣下、と呼ばれた男は答えた。

 愚問だと言外に伝えるかのような答え。相手によれば、その言外の圧力に膝を屈してしまいかねない程の重圧。

 だが魔女は屈さずに続けた。感心するように、

 

「負けるつもりはない──と? ふふ、まあ参謀閣下殿ほどの御方であればその自信も皆が納得するでしょう」

 

 魔女は男を称賛する。純粋に。謳い上げるように。

 

「最強の魔人にして、あらゆる戦争を指揮し、その全てを勝利に導いてきた稀代の指揮官。剣士としても世界最強。魔物の黄金時代を築いた魔物界の英雄にして、人類史においては始祖の英雄にして剣の王とまで称される閣下であれば、誰もがその勝利を疑わない。人間に負けるはずがない。ただの人間に執着していることさえ、周囲の者は不思議に思うでしょうな」

 

「……買いかぶりすぎだ。俺は大した男ではない」

 

「自分が思う自分の印象と、他者から見た印象は、得てして少なからず乖離するもの。己を完全に客観視出来る者はそうはいません」

 

「ふん……まあ、些か持ち上げられすぎだというのは理解しているがな」

 

「しかしそれほどの実績を、閣下は残してきた。得てきた物の多さからそれは明らかでしょう」

 

 しかし、だからこそ、と、魔女は言う。笑みのまま表情を変えず、

 

「──解せない。負ける、ということがどういうことか知らない閣下ではありますまい?」

 

「ああ。負ければ少なからず、積み上げてきた物は崩れ、得てきた物が失われるかもしれない。もっとも、もしそうなったとて、致命的なところでの損失は回避するつもりではあるが」

 

「ええ、そうでしょう。私が視えている部分でも、おそらくはそうなる。閣下は己の大事なものは、決死の覚悟で守り抜くでしょう。例え、魔王に逆らうことになってでも」

 

「──だがそうなるつもりはない」

 

「ええ、ええ。そうでしょうが……そうなってくると、またしても解せない」

 

「……ほう?」

 

 魔人の眼が鋭く細まる。視線を横に移した。──どういう意味だ? と、問いかけるように。

 魔女は微動だにしない。口だけを動かす。

 

「その前に聞きたいことが一つ。閣下は私と同じく、あの御方を次代の支配者に据えるべく行動している。その未来から逸脱するつもりはない──そうですな?」

 

「……ああ」

 

 魔人が僅かに間を開けて頷く。魔女も頷き、

 

「で、あればお聞かせ願いたい」

 

 と、魔女は続けて、

 

「閣下は、あの御方と戦いたい。この一件で、かの御方が支配者となる道筋を辿ることを目的としている」

 

「ああ」

 

「だがその一方で閣下は、戦いにおいて負けるつもりはないと言う。閣下が負けなければ、目的の成就が確実なものではなくなるかもしれないのに」

 

「…………」

 

 魔人が無言になる。表情はお互いに変わらない。魔女は、その魔人の内心を覗き込むように告げる。

 

「率直に言いましょう、閣下。その行動は、極めて矛盾している。──結局のところ、()()()()()()()()()()?」

 

「…………」

 

 魔人は言葉を返さない。何を思っているのかも分からない。魔女の読心においても、その深い部分は読み取れない。

 靄が掛かっているかのように、ナニカに邪魔をされてしまう。それが何かは分からない。だから口で問いかけた。

 

「この際、予言の結果は置いておきましょう。重要なのは閣下の“意志”です。閣下は、かの御方を仮に打ち破ったとして、そこでどうするおつもりか? よもや、魔王様に頼んで魔人にしてもらう──などとは言いますまい」

 

「…………それが、お前が俺に興味を持つ理由だと?」

 

「ええ、閣下の在り方は、極めて矛盾している。目的と行動が結びつかない。火を点けるために、水を汲んでいる。そんな歪さがある」

 

「矛盾、か。俺としては、そういう意識はないがな。ただ欲張りなだけとも言えるだろう」

 

「そこがまた不可解。目的が二つあることは珍しいことではないが、閣下の在り方は、まるで中身で別々の人間がそれぞれ舵をとっているかの様だ。それこそ、()()()()()()()

 

 あの御方であれば、そういったちぐはぐな行動にも説明がつくと、魔女は言う。しかし、

 

「閣下には、それがない。閣下は正真正銘、一つの人格を持ち、一つの魂を持つ。魔王から分け与えられた血──魂によって、その存在の格は引き上げられているものの、それ自体は他の魔人と大差ない。であるならば、閣下は何がおかしいのか──」

 

 魔女は言う。答えは、

 

「結論──()()()()()()()()。そして、それこそが解せない。()()()()()()()()()()()()。閣下が使う力は、明らかに普通の事象ではないというのに、それは普通だという答えが出てしまっている。あの御方とは違う何かが、閣下には必ずあるというのに」

 

「……俺が普通ではないと見るか」

 

「ええ。気づいてしまった今だからこそ、酷い違和感を感じる。冷静な貴方は、己の目的の為には一切の慈悲を捨てて邁進することが出来るが、同時に己の欲望の為に情熱を注ぐ修羅でもある。その二つが、極めて高いレベルで融合し、成り立ってしまっている。優秀、という言葉では収まらない。“二律背反”という言葉は、正しく貴方様の為にあるようだ」

 

 二律背反。二つの相反する命題が同等に成り立ちながらも、両立することの出来ない矛盾、パラドックスに陥っている状態。

 彼はその権化。正しく、二律背反の魔人であると、魔女は言う。

 

「しかし成り立っているのは事実。謂わば、黄金率。異なるもの同士が混ざり合っていても、あの御方のように不安定ではない完璧な状態。一体どうすれば、こんな存在を──いや、こんな状態を作り上げられるのか。閣下、私は貴方様が、本当は元人間じゃないと言っても信じるでしょう。それほどに、貴方様は──」

 

「──俺は人間だ。間違いなく、な」

 

 魔女の言葉に機先を制し、魔人は告げた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だが、俺は俺だ。俺の根本は人間。この世界の人間として生まれてきた人間だ。それが魔人となり、今ここに存在しているに過ぎない」

 

「……ふむ」

 

 魔女がここで初めて、顎に手を当てて考える仕草を見せる。だが、

 

「……やはり規格外(バグ)、ということですかな?」

 

「好きに解釈するといいだろう。俺の存在を他者に説明したところで、理解が得られるとは思っていない。また、得ようとも思っていない」

 

 魔人は言う。視線を横から正面に向け、

 

「どんな規格外であれ、この世界に一個の存在として生まれた以上は己の足で歩いていくしかない。それは奴であれ、主人公(ヒーロー)であれ、誰だって同じだ。己の意志がどこへ向かうか──それを決める権利は、誰にだって存在する」

 

 何かを思って、そう言った。魔女はそんな魔人を見て、

 

「……道理ですな。如何に高尚な存在とて、生み出してしまった時点で、その自由意志を止めることは叶わない。故に、そういった人の可能性こそが、この世を変える唯一の手段であるのだから」

 

「そうだ。だからこそ、俺は人に期待する。その意志こそが、何よりも美しいものだと知っているから」

 

 故に彼は人を好む。期待する。人の弱さや醜さを知りながらも、その美しさだけは変わらないものだと信じている。

 ただ強いだけではない。揺るぎない“意志”を持つ強者。そんな人間の輝きを、彼は真っ向から相対して上回りたいとも思っている。

 熱くなりたい。優先すべき目的とは別に、戦士として戦うに値する戦士を、彼は渇望し、求めていた。

 その想いの一端を見た魔女は、ふむ、と再び笑みを浮かべた。玉座に座る彼の横顔を見て、

 

「閣下があの御方以外の強者──ドラゴン王や、悪魔へと挑まないのはそれが理由だと?」

 

「さて、どうかな。前者は力を十全に発揮できるとは言い難い。後者については、今は時期尚早だ」

 

「左様ですか。では、あの御方については……あくまでも一挙両得を狙うつもりだと?」

 

「ああ。俺は、俺を圧倒出来るかもしれないほどの強者を越え、勝った上でその目的を達成する。お前はお前で、勝っても負けても目的を達成出来るようにすればいい」

 

「…………」

 

 魔女がそこで沈黙する。しかし笑みは絶やさず、すぐに、

 

「閣下は、二兎追う者は一兎も得ず、と言う言葉はご存知かな?」

 

「──出来ないのか?」

 

「出来る──否、してみせる」

 

 即答。力強い答えだった。

 それは魔女の執念を表すかのような声。外法にその身を染めながらも、世界の未来だけを考えてきた未来視の魔女の願いを示すかのようだ。

 だが彼女はそれを言うと戯けるように力を抜いて肩を竦めると、

 

「もっとも、どちらに転ぼうが支障はないと言うべきでしょうか。閣下が仮に勝利したとしても、多少タイミングをズラして改めて魔王に当ててしまえばよいでしょう」

 

「ふん、それもそうか」

 

 魔人があっさりと納得する。どちらにせよ、その人物には踊ってもらおうと言うのだ。

 

「今はどうしているか分かっているのか?」

 

「無論。現在は、とある隠れ里にある酒場で少年奴隷として働いているところですな。生まれてからというもの、それなりに不幸ではありましたが、不幸中の幸いと言いましょうか、酒場の女主人が善人であったようで。しばらくは平穏な日々を過ごせるでしょう」

 

「……しばらく、か。ということは──」

 

「ええ、長くは続きません」

 

 あっさりと魔女は言う。その者の未来を視て、残酷な運命を告げる。

 

「かの御方の可能性は……まあ、この時代にしては、それなりに波乱万丈ですな。単純に不幸という言葉でも言い表せない。浮き沈みの激しい人生と言うべきでしょうか」

 

 もっとも、全体的に低いところで収まってはいますが、と魔女はとある人物の人生をそう評する。

 魔人が僅かに目を細め、

 

「……それで、魔物を憎むようになると?」

 

「魔物ではなく、“悪”と言ったほうが正しいでしょう。そしてその要因となるのが、これから起こる事柄。この時期は後の人格形成に大きく影響を及ぼすだけはあり、極めて重要な事柄の一つ。その酒場と女主人。その一連の事柄は何しろ──」

 

 と、魔女はその言葉を宙に乗せた。

 

「かの御方が、かの御方として真の意味で誕生する──謂わば、“もう一人”の産みの親。こう言っても過言ではありませんから」

 

 

 

 

 

 ──ガイ。それが新しく名付けられた少年の名だ。

 

「……起きないと」

 

 朝。ガイは目を覚ますと、ベッドから起きて、外に水を汲みに行かなければならない。それはガイを買った酒場の女主人から言いつけられた仕事だからだ。

 既にベッドに女主人はいない。朝早くに起きて朝食でも作っているのだろう。台所の方から良い匂いがする。寝室から出ると、やはりと言うべきか、台所に女主人の後ろ姿。ガイはゆっくりと近づき、言われた通りに、

 

「……おはよう、ございます……」

 

「──あ、起きたんだ。おはよう、ガイ」

 

 朝の挨拶。朝起きて人と会うなら、まずは挨拶をするのが基本だと、ガイは教えられたのだ。

 挨拶は人と接するに当たっての基本らしく、他にも寝る時や物を食べる時、お店にお客さんがやってきた時など、挨拶には様々な種類があって、それらを時と場合によって使い分ける。

 その通りにガイは行った。朝は、おはよう、だ。

 それに加えて、敬語。丁寧な言葉遣いを使う。

 ただこれについては自然と使える。おそらく、柵の内側──牧場の人間達が普段から魔物相手には使っているところを聞いていたからだろう。癖になっているとも言える。女主人からは、自分には敬語でなくともいいと言われているのに、出てしまったりするのだから。

 

「もう少しでごはん出来るから、先にお水の補充、お願いしてもいい?」

 

「……はい。行ってきます……」

 

 女主人に優しくそう頼まれ、ガイは家から出る。

 家は酒場の奥。二階建ての建物であり、二階は寝室で、一階は台所やリビング、物置などがある。それほど広くはないが、酒場を合わせればそれなりに大きな建物だ。そもそもガイからすれば、これでも目を見開く程の寝床なのだが。

 

「…………」

 

 外に出ると、そこは幾つか同じような建物が並ぶ場所。皆、それなりに身なりがしっかりとした普通の人間がそこいらを闊歩しているのだ。

 さすがにそろそろ慣れてきたかもしれないと、ガイはその間を歩いていく。目的地は井戸だった。水が汲める場所。そこに向かうと、

 

「──あ! 来やがった!」

 

「あ……」

 

 聞き覚えのある声に反応して目を向ければ、そこには同じ様に水を汲みに来たであろう子供達。ガイと同じくらいの年の頃であろう子供達が数人いた。

 そのうち、声を上げたのは男子で、三人ほどのグループ。そんな彼らは、ガイのことを見るなり、無邪気な笑みを浮かべた。

 

「おい、ガイ。お前、新入りの癖になに先に汲もうとしてんだよ」

 

「そうだそうだ!」

 

「ほら、順番譲れよ!」

 

「……うん、どうぞ……」

 

 男の子達にそう言われてしまえば、ガイは譲るしかない。言い返す、逆らう、といった意志が希薄なガイにとって、その言い分に対して特別な意味は無かった。

 ただ相手の方はそうではない。あっさりと順番を譲ったガイを見て、彼らは表情を歪ませる。

 

「相変わらずなに考えてるかわっかんねー……なんなんだよこいつ」

 

「気持ち悪いよな」

 

「よそ者の癖にな」

 

「…………」

 

 怪訝な目で陰口を叩かれる。当然、聞こえる位置でだ。

 しかしガイはそれを聞いても反応しない。そういった悪口を聞いたところで、苦しくともなんともない。別に殴られた訳でもなければ、数少ない食べ物を取られた訳でもないし、ただ悪口を言われただけだ。

 信じられないくらい温かい家で、雨に濡れることもなく、ちゃんとした衣服を着て、土の上どころか、草の上よりも柔らかい場所で寝られる。綺麗な水を飲むだけでなく、身体を洗えるし、食べ物も今まで食べてきた物がなんだったのかと疑ってしまうほどに美味しいし、何よりも、殴ったり蹴ったりしてこない優しい飼い主がいてくれる。

 こんなに幸せな生活が送れる場所だ。以前居た場所──牧場と教えられた場所に比べれば恵まれている。

 この程度の悪口は悪口にも入らない。むしろ話しかけられるだけでも優しいものだ。

 だからガイは、彼らの微小な悪意を感じながらも何も言うことも反抗することもなく、彼らが水を汲み終わるのを待って、それから水を汲む。すると背後からまた声が来た。

 

「ばーかばーか!」

 

「あーほ!」

 

「お前なんて認めねぇからなー!」

 

「あ……」

 

 そう言って、三人は水の入った桶を持って帰っていく。ガイは思わず、引き留めようとするように僅かに手を前に出しつつも引っ込め、

 

「……お別れの挨拶……したほうがよかったかな……?」

 

 女主人からは、同年代の子供とは仲良くしたほうがいい、と言われていた。それは出来ていないし、やり方も分からないが、挨拶くらいはした方が良かったかもしれないと、それくらいは考えつく。

 だが行ってしまったのならどうしようもない。ガイは水の入った桶を持って酒場へと戻っていく。

 

「お帰り。ありがとね」

 

「……はい」

 

 水を汲んでくると、女主人からお礼を告げられる。そのまま水場で顔と手を洗うと、

 

「朝ご飯出来たから食べましょ」

 

「はい」

 

 そう言って、二人でテーブルに着く。ガイにとっては、とても楽しみな時間であり、心なしか足早に席に着いたのを見て女主人が微笑を浮かべた。

 そして二人で食事の挨拶。それを終えると、ガイは早速朝食にありついた。

 

「はぐ、んぐ……はぐ……」

 

 お皿の上に乗ったパンやスープ。卵といったものを、慣れない手つきで食器を使い、食していく。

 どれもかなり美味しい。ガイにとっては、食べ慣れてない味。初めて食べた時の衝撃は忘れられない。こんなものを、外の人間は食べているんだと、感動したものだ。

 だが、これらの食事は外においても恵まれた方らしい。

 人里。魔物から隠れ潜むようにして暮らしている人間の暮らしは、それほど裕福ではない。しかし、冒険者や魔物討伐隊といった、一部の糧を得る力を持つ人物や、それの恩恵を得ている一部の商人など、それに関わることが出来れば、これくらいの食事や酒であれば手に入らないことはないのだと言う。

 この酒場を経営している女主人も、数年前まではかなり稼いでいたらしい。その時の稼ぎと伝手を使って酒場を開き、贔屓の客もいて、それなりに繁盛しているという。

 だから生活は安定しているらしい。少なくとも、ガイという少年奴隷を買って、まかなえるほどには。

 

「ふふ……よく食べるわね。最初に比べてお肉もついてきたかしら?」

 

「……?」

 

 テーブルの反対側から手を伸ばし、ガイの頬を指でつつく女主人。その笑みは優しげだが、行動の意味が分からずにガイは首を傾げる。咀嚼中なので口は開けない。どうしようかと迷ったところで、

 

「やっぱり顔立ちも整ってるし、将来はモテちゃうかもね」

 

「んぐ……モテる?」

 

「女の子から好かれやすくなるかもってこと」

 

 そう言われ、ガイは考える。だが、

 

「……よく、分かりません」

 

「ふふ、まだちょっと早いかな? でも、同じくらいの女の子から喋りかけられたりしない?」

 

 また問いかけられ、ガイは考えた。思い出し、

 

「……するかもしれない」

 

「あ、やっぱり? それじゃあ今度は、女の子の扱い方も教えなきゃね」

 

「……それが今日のお勉強?」

 

「今日はまた文字の読み書きと、社会常識の予定だけど……うーん、それじゃ、そっちもちょっと教えよっか」

 

「……分かりました」

 

「あ、また敬語」

 

「……すみません」

 

「ふふ、まあ慣れないのならしょうがないわ。そっちも追々やって行きましょう。さ、朝ご飯も食べちゃって」

 

「……はい」

 

 と、ガイは残りの朝食を食べ終えると、そのまま勉強の時間となる。

 お皿を片付け終えた後のテーブルを使って、今度は女主人が買ってきたという本や紙などを並べるのだ。

 

「……良い? こっちの文字は──」

 

 女主人が隣に座り、丁寧に教えてくれる。

 ガイが女主人に買われてからというもの、日課となっている時間だ。

 物をあまりにも知らなかったガイに知識を、考えさせる力を身に付けさせるためだと言う。

 柵の内側の世界のことを“人間牧場”と呼ぶことも、女主人に教えてもらって初めて知った事実だ。

 なんでも、世界は魔物の支配しており、多くの人間は人間牧場で家畜として飼われ、外で暮らす人間も、安全に暮らせる場所は極わずか。保証も何もない世界だと言う。

 この辺りも、社会常識として教えてもらえた。最初は挨拶などの初歩的な常識からではあったが、最近はもっと広い部分のことも教えて貰える。例えば、

 

「魔王、というのは……?」

 

「……魔王は、魔物達の王ね。魔人っていう物凄く恐ろしくて強い化け物達の王でもあって……正直、私も詳しくは知らないんだけど……人間の敵である魔物の王様って憶えておけばいいと思うわ。きっと、関わることはないと思うし……」

 

「……分かった」

 

 こういった魔物についての知識も教えて貰える。

 しかし彼女は冒険者でもなければ、魔物討伐隊でもない。彼らであればもう少し詳しいことを知っているらしく、彼女もまた、常連のお客さんに教えてもらったという。

 ガイとしても、興味がないと言えば嘘になるが、今はそれよりも、この場所でちゃんとした生活を送るため、彼女の為に頑張ることが最優先だ。

 だからこそ、彼にとってはこうやって苦労を掛ける時間よりも、夕方からの時間の方が大切ではある。

 

「──がはははは! おい、坊主! 酒のおかわりもってこいや!」

 

「……畏まりました」

 

「坊主! こっちもおつまみ10人前追加だ!」

 

「…………畏まりました……!」

 

 夕方から夜にかけての時間。それは酒場の営業時間である。

 常連を中心に、冒険者や魔物討伐隊の隊員と呼ばれる人物。荒くれ者が酒を食事を楽しみにやってくる。

 席は満席で、ガイも店員として常に動き回っていなければならない。

 しかしガイはまだ子供で、やれることにも限りがある。知識も不十分で、料理なども作れず、せいぜい簡単なつまみや、酒をグラスに入れたりすることしか出来ない。

 だが、

 

「ガイ。次はこっちの皿洗い、お願いね」

 

「は、はい……!」

 

 相変わらず優しくそう指示を出してくれる女主人。今までは、彼女一人で店を切り盛りしていたというのだから驚きだ。

 今も常連のお客さんの話に付き合いながら、お酒やつまみを出し、たまに料理をしに裏に戻る。その動きには一切の無駄が無いし、笑顔も自然なものだ。加えて、汗一つかいてないというのだから驚愕せざるを得ない。

 だがガイにとって、お店の稼ぎは生活に直結する重要な時間。だから出来る限り、女主人の負担を減らそうと動き回る。ただでさえ、自分を養い、昼には勉強を見ているため、営業時間を短くしているのだ。これ以上、迷惑を掛けたくはない。

 毎日少しずつ出来ることを増やしながら動いていると、気がついた時には店じまいの時間となる。それが終われば、一日もほぼ終わりだ。

 

「それじゃ、身体を洗ってから寝ましょうか」

 

「……はい」

 

 大きめの桶に、沸騰させたお湯を水で中和し、温かいお湯を作る。それを使って汗などを流し、身体を洗っていくのだ。温かいお湯に布を浸けて、身体を拭いたりすると凄く気持ちが良い。一日の終わり、汗水流して働いた後のそれはそれは格別だ。

 だが、最近になって妙に困ったことがあるとすれば、微妙に恥ずかしいということ。

 ガイにもよく分かっていない。だが、女主人と一緒にそれを行っている時間は、妙に身体が熱い気がする。

 特に服を脱いだ彼女の身体を見ていると、特に身体が熱い。

 しかしだからといってそれをしない訳にはいかないし、原因も分からないまま、ガイは羞恥を感じながらも水浴びを終え、ベッドへと入る。

 ベッドは一つしかなく、ガイは女主人と一緒に眠る。その時には、一日にあったことを話したり、色々と話したりすることも多いのだが、今日は違った。

 

「……ガイ……」

 

「……? なんですか……?」

 

「……ううん。何でもないわ」

 

 苦笑しながら女主人がガイの頭を撫でる。

 何か言いたげな様子ではある。ガイも時折女主人が見せるこれが気になる。

 だが、ガイにはそれを問い返すほどの強い意志を未だ持っていないのだ。故に、話はそこで終わってしまう。

 

「ふふ、今日も疲れたでしょ? そろそろ寝ましょうか」

 

「……うん、おやすみなさい」

 

「おやすみ……」

 

 そうしてガイは、温かさに包まれながら夜を過ごす。

 平穏で平和な日々。信じられないほどに恵まれた幸福な生活をガイは享受し、これから自分は、ここで暮らし続けていくんだと思った。

 

 ──だがガイは、直ぐに気づくことになる。

 

 この世に人が安心して暮らせる場所は極僅かである。

 その場所も、薄氷一枚。

 何か些細な切っ掛けで地獄へと崩れ落ちる──砂上の楼閣でしかないのだと。




こういう日常って本当ならじっくり書きたいのよね……いや、こういう日々の積み重ねがあればあるほど、後の展開が生きるじゃん? 積み木って、積めば積むほど、高ければ高いほど壊した時に快感だってはっきりわかんだね()
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