魔法と一口に言っても様々な魔法がある。
攻撃魔法、幻覚魔法、補助魔法、情報魔法。神魔法や召喚魔法、付与に呪術、陰陽術などの変わり種まで、多岐に渡っている。
無論、魔法のエネルギーになる魔力を用いるには才能がいるし、魔法理論なども含めた個人の研鑽が必要となる。もし将来的に、子供を魔法使いにしようとするのであれば、物心がつく前、3歳頃からの教育が望ましく、それ以降からは歳を重ねるごとに習得が難しくなる。
それだけ、魔力を練ることにはコツがいる。才能がある者であればあっさり出来るようになることもあるが、そうでない者だと十年、二十年と掛かるかもしれない。
これが意味するところ。それは、魔法は誰でも使えるが、魔法の世界というのは個人の才能に酷く左右される世界だということだ。
どの分野でも似たようなことは言えるが、魔法の場合は特に酷い。才能が無ければ、殆ど使い物にならない程度の魔法しか使用出来なかったりもするのだ。
逆に才能がある者が、数十年と研鑽を積んだ魔法使いを数年で追い抜くこともざらにある。一説では、それがあるからこそ、魔法使いは己の弟子に、簡単には全てを教えず、出し惜しみをするとも言われており──
「──とまあ、そういうことよ」
「……なるほど……」
床の上に座ったガイは、ソファーに腰掛けながら読書をする飼い主、ミストラルに片手間に魔法というものを教えられていた。
このペンシルカウにやって来て既に一週間。魔法を教わり始めたのは今日が初めてだ。
というのも、魔法について教えてほしいと言った日、彼女とはこんなやりとりをした。
『──今は嫌よ』
『そう、ですか──って、今は?』
『今はまだ、貴方が使えるペットなのか分からないし、明日には私が飽きてほっぽり出すかもしれないでしょ?』
『……だから……今は駄目?』
『そうよ。少なくとも……そうね。一週間もすれば、貴方がどれくらい良い子なのか分かるでしょうし、これからも飼っていけるかどうかが分かるわ。だから一週間後に教えてあげる。私の暇潰しとしてね』
『は、はぁ……分かりました』
──とまあ、そんなことを言われて一週間。
ガイはその間、一生懸命に働いた。
三食の食事だけでなくおやつも作り、家の掃除や植物の手入れ。雑用から気まぐれな命令まで何でもこなした。元々働くことには慣れていたためか、それほど苦ではなく、ミストラルからも、“それなりに使えるようね”とお墨付きを貰った。
故にその褒美も兼ねて、彼女が仕事が休みだというので昼間から軽く魔法についての座学を教わっていた。
ミストラル・カラーはこのペンシルカウを治めるカラーの女王の側近をやっているらしく、それなりに立場があり、日中は結構出かけていることも多い。
だが、家に帰ってくると、彼女は必ず退屈そうに溜息を漏らしながら、ガイに食事を作るように言いつけてソファーに寝転がる。
休日のだらけっぷりは凄く、今のように服をだらしなく着崩しながら、半目でソファーに寝転がり、お菓子を摘まみながら本を読んだり、単にゴロゴロしていたりする。
よっぽど暇なのだろうな、と常に忙しくしている酒場にいたガイとしては、だらしない女性はどうかと内心で思いつつも、特にそれらを口に出すことはなく真面目に働き続けた。
だが、そんなことを考えていると、
「……その目は何?」
「っ、あ、いや──うっ」
ペシッと頭を軽く叩かれる。機嫌が悪そうに眉をひそめつつガイに視線を向け、
「ご主人様のことを社会不適合者を見るような目で見て……そういうのは隠していても分かるのよ」
「……ごめんなさい……」
「はぁ……駄目ね。全然駄目。私は今、気分が悪いわ」
そう言って本を閉じ、不貞腐れたように寝返りを打ってこちらに背を向けてしまうミストラル。
こうなると、一日中機嫌が悪い時もあるのだ。
だがこういう時は放置しておくのが逆効果なので、ガイは仕方なく近づくと、
「申し訳ありません、ご主人様……」
「…………」
「僕が悪かったです……だから、機嫌を直して下さい、ご主人様」
「……しょうがないわねぇ……」
「わっ……!?」
ソファーに横になって背を向けるミストラルの前に座り、ご主人様と呼びながらひたすら謝り続ける。こうすると、その日の機嫌にも寄るが、多少機嫌を直してくれるのだ。
今日は割と直ぐに機嫌を直してくれたからいい日だ。しかし、
「くすぐったいんですが……」
「我慢しなさい」
「…………はい」
と、ガイの身体を突いたり撫でたりするミストラル。
どうにも本気でペット扱いしているようで、時折こんな風に弄られてしまうのが常だった。
その後も、ひとしきりガイは弄られると、ようやく身体を起こしたミストラルが本を開きつつ、
「──とりあえず、教えることは教えるけど、魔法を習得出来るかどうかは微妙なところね」
「えっ?」
そんな、と表情が顔に出てしまったのか、ガイの様子を見てミストラルが息をつく。
「何を驚いてるの? 先程の事をもう忘れたのかしら。魔法は、出来るなら早めに教育を受けないと習得は難しいの。それに、才能にも左右されるから使えたとしても使い物になるかどうかは怪しいものね」
ましてや人間だし、とお菓子を摘みながらそんな身も蓋もないことを口にするミストラル。そうしてガイを見下ろしながら、
「貴方、今幾つなの?」
「……えっと……多分、10歳は越えてます……」
「ああ、年齢が分からないのね。まぁ……見た限り、11歳から13歳くらいってところかしら」
「そう……なんでしょうか」
「もう面倒だから今決めておきなさい。ガイ、貴方は今日から13歳。それでいいわね?」
「……はい」
年齢を今決めろ、と言われながらも決められてしまったが、ガイとしては頷くしかない。渋々ではあるが、あながちそれほど間違ってはいないような気がするから断りにくいことだ。
「それで、やっぱ13歳なら遅すぎるわ。人間なら3歳くらいから教育を受けるべきだし、カラーなら1歳になる前、生まれて半年くらいにはもう魔法を教えられるのよ」
「そ、そんなに早く教えられるんですか……?」
言葉を理解出来るのだろうか、という疑問が沸き立つ。しかし、そんな疑問を見透かしたようにミストラルが目を細め、
「カラーは数ヶ月程度で、人間で言う5歳程度には成長するのよ。だから何もおかしくないわ」
「……なるほど」
つまり、実質似たような時期に教わるということか、と得心する。
とはいえ、自分の問題が解決した訳ではない。
「じゃあ僕は十年遅いから、魔法の習得もそれだけ難しいってことですか?」
「まあ、概ねそんなところ。さっきも言ったけど、魔法の習得には個人の才能が関わってくるから実際のところやってみなければ分からないけど……結構な確率で無駄に終わることは確かね」
「……それじゃあ、どうして──」
「どうして魔法を教えてくれるのかって? それは──」
と、ガイの質問を先取りして、自分で答えようとする。間を置いて、それは、と、
「暇潰しよ」
「えぇ……」
「ぶっちゃけるけど、私、今の生活に飽きてるのよ。毎日同じことしかしてないし、退屈を紛らわせるのはたまに届く本とか娯楽の類くらいだし。かといって、今の時代じゃ外に出るのも危なければ、そもそも立場的に簡単に外には出られないわ。掟にも反するし」
「そうなんですか……」
女王の側近をやっていると聞いているし、確かにそれだと外には出にくいのかもしれない。
つまらなそうに言うミストラルに、ガイは別の事を聞いてみることにした。
「あの、掟って……?」
「掟は掟よ。色々あるから全部説明するのは面倒だからしないけど、外に許可なく出たりするのは駄目だし、人間を里に招き入れたりするのも駄目ね。人間禁制の里だし」
「え、それじゃあ僕──」
ミストラルがそこでいい笑顔になる。不敵とも取れる笑みで、
「あら、今頃気づいた? そうね、貴方が今ここにいることも掟に反してるわ」
「……っ!」
ガイは目を見開く。人間が暮らしていないことにはそういった理由もあるのかもと、
「だから、見つからないようにしろって……」
「そういうことよ。見つかったら追い出されるから覚悟しておくことね」
「う……分かりました」
確かに、それは困る。
ガイは一人で生きる能力もないし、居場所もない。せめて一人で生きていけるような何かを習得し、成長してからではないと外では何も出来ないだろう。
そのための魔法習得でもあるのだ。自分に才能があるかどうかは分からないが、色々と試してみるしかないと、
「でもまあ、見つからなければなんとやらね。私も退屈でしょうがないし、危険な人間という訳でも無さそうだから問題ない。こうやって暇潰しも出来るのだから良いことよね」
と、ミストラルはガイに淹れさせた紅茶の入ったカップを持ち上げ、それを口元に持っていきつつ、
「もっとも、貴方が魔法を使えるかどうかは微妙だけど──」
「──“アンコク”」
「…………えっ?」
それは、ミストラルが初めて──それこそ生まれて初めて本気で驚き、間の抜けた声を出した瞬間だった。
ペットに対する御高説を聴かせながら、紅茶を口に含もうとしたところ。その間に、ガイはミストラルから渡された初心者用の魔法の指南書を見て、そこに書かれた一説を何となく口にした。
言ってみればそれだけ。だが、起こった事象はそれだけではなかった。
アンコク。攻撃魔法にある5つの属性の内、闇に属する初級魔法だ。
別名、闇の矢とも呼ばれ、闇の塊を相手にぶつける魔法である。
それは魔法使いであれば、それほど難しい魔法ではない。言った通り、初級魔法だ。
だが、だからといって、今まで一度も魔法の教育を受けたことがない13歳の少年が、適当に口に出したところでいきなり発動出来るようなものでもないことは確かだ。
──だが、
「っ……!? ──バリア!」
「あっ!?」
ガイの手に集まり、そして撃ち出されたのは、確かに闇の塊であった。
収束した魔法の光が煌めく。こぶし大の、普通のアンコクではあったが、咄嗟の事態にミストラルは慌ててバリアを張った。
闇の塊がミストラルのバリアに激突し、そのままあっさりと消え去る。
ガイは自分のやったことに唖然としつつ、ミストラルは険しい表情を浮かべている。
先に声を出したのはミストラルの方で、
「……ガイ……貴方、飼い主に……いえ、それよりも──」
「ご、ごめんなさいっ!!」
ガイが慌てて謝罪する。ペットの身で攻撃魔法を飼い主にぶつけようとしたのだからこれは折檻されてもおかしくない。
しかし、慌てて謝るガイを見下ろしたミストラルは、そこでしばらく黙り込むと、
「あの……ご主人様……?」
「……黙りなさい」
「っ、はい……」
黙るように言われたので、言われた通りに黙り込むガイ。ミストラルは顎に手を当ててガイに鋭い視線を向け続ける。
「……馬鹿げてるわね」
今起きたことを、ミストラルは小声でそう評する。馬鹿げたことだと。
だが、それによって己の中に湧いたのは、興味や面白味といった感情だ。
故に、ミストラルは鼻で笑ってみせると、
「ふ、ふふ……まあ、いいわ。許してあげる」
「本当ですか……?」
「ええ。でも、それとは別に気が変わったわ」
「え?」
発言の意味が変わらずに戸惑うガイに対し、ミストラルはこう告げた。決定事項だと言いつけるように、
「適当に最低限の事だけ教えたら止めようかと思っていたけど……面白そうだし──」
と、ミストラルは一旦区切りながら、
「ガイ。貴方に、魔法というものを本格的に教えてあげるわ」
「──提案を断られた?」
「ああ、そうさ」
「申し訳ありません……レオンハルト様」
紅魔城。魔王の懐刀と称される魔人の城の一室で、その当人である魔人の影は眉を顰めた。
報告にやって来たのは使徒であるハンティとリー。ハンティは腑に落ちない表情で、リーは心底申し訳ないという様子の表情を浮かべている。
とりあえず、断られた理由を知らなければ、と魔人レオンハルトは声を作る。執務室の椅子に深く腰掛けながら、
「……話をするだけだ。なのに、何故断る……?」
「さあね。その辺りのことはよく分かんなかったけど、取り付く島もなかったよ」
「命令通り、幾つか交渉を持ちかけてみましたが、それも叶わず……」
「ふむ……」
ハンティとリーの報告を聞いて考え込む仕草を見せるレオンハルト。正直、断られるとは思っていなかっただけに、その理由がいまいち理解出来ない。
……まさか真実を知ってなお、魔人と人間という垣根を持ち出してくるような奴ではないと思っていたが、考えが浅かったかもしれないな。
それとも、また別の理由でもあるのか、と思う。全てを知った奴であれば、他に理由があるかもしれないと。
そしてそれは、ハンティの続く言葉によって肯定された。
「向こうの要求を呑むなら、話をしても良いとは言ってたけどね」
「! その要求とは何だ?」
やはり何かしらがあるのかも知れないと、レオンハルトはその伝言内容をハンティに促す。その要求とは、
「……何でも“魔人レオンハルト本人と直接会って話がしたい”──だってさ」
「俺と直接……?」
一瞬、その内容は首をかしげるものだと頭に疑問符を浮かべたが少しして、なるほど、とも思う。ともすれば、奴はその得た物によって、己の秘密すら理解しているのかもしれないと、
「後、これは出来ればって言ってたけど……レオンハルトと一晩を共にしたいとも──」
「──それはあり得ないな」
頭を抱えそうな要求を即座に突っ撥ねる。やはり、その悪名高い趣味までは変わっていないようだった。レオンハルトは軽く息をつきながら、
「俺に男と寝る趣味はない。そんなことを要求してくるようなら、無理に行くこともないな……」
「……相手が好意を持ってても?」
「……まるで俺が、好意を持ってくれる相手なら誰でも受け入れるような言い草だな……?」
「あながち違うとも言い切れないでしょうが」
心外だな、とハンティの言葉に目を細める。ハンティの隣に座るリーも、無言だが肯定していそうな雰囲気を醸し出してるので、レオンハルトは軽く呆れながらも、真面目に己の信念を答えた。
「俺は自分を安売りするつもりはない。俺が愛せるのは、俺に好意を持つ、俺が認めた女だけだ」
でないと自分の価値が下がるし、自分の価値を認めてくれた相手の価値も下がってしまう。
レオンハルトは自分の事を最高の男だとは思っていないが、そう思ってくれてる者達の信頼を裏切る訳にはいかない。だから自分には、その高みを維持し続ける必要がある。
それを理解してくれたのだろう、ハンティはそれを聞いて、ふっと笑みを浮かべると、
「なんか色々格好いいこと言ってるけど……結局はホモが怖いし嫌いなんでしょ?」
「──んなもん当たり前だろうがッ!!」
久し振りに怒声でツッコミを行う。冷静さを保っている近年では珍しいキレた表情で、
「なんでホモ野郎共はどいつもこいつも俺を狙ってきやがる……! 俺はノーマルだって分かってる筈だろうが……!」
「あ、スイッチ入った」
「レアなレオンハルト様を見れて感激です……!」
ハンティが半目になり、リーが感動したように目を見開き、拳を握る。レオンハルトは手近にあったボトルを口に含み、飲み干しながら、
「ただでさえ、最近は忙しくて本体は城に帰れないほどにヤられてるっつーのに……今度はホモにまで狙われなくちゃならねぇのか!?」
「……もしかして酔ってる?」
「飲んでるが、酔うほど飲める時間すらねぇんだよ!!」
「レオンハルト様どうか気を確かに……あまり怒鳴ると、レオンハルト様の圧力でカップが割れそうに……」
「っ……と」
リーの言葉によって、レオンハルトが落ち着きを取り戻す。頭を振り、疲れたように息を吐くと、
「……悪かったな。少し取り乱した」
「あんた、分身とはいえあんまり怒鳴ると窓ガラスとか割れるんだから気をつけなよ。並の人間がこの場にいたら気絶してもおかしくないんだからさ」
「……ああ、自覚してる。リーも、注意してくれて助かった」
「勿体なきお言葉で」
ハンティやリーの忠言に頭を冷やしたレオンハルトが再び、グラスを取る。今度は軽めの果実酒を口にしていると、ハンティも少し真面目な表情で、
「魔王城でのお勤めで相当溜まってるみたいだけど、せっかくだし、あたしがストレス発散相手にでもなろうか?」
「もしよろしければ、私もお相手致しますが……」
「……いや、いい。気持ちは有り難いが、今はこっちの方が重要だ」
と、レオンハルトは話を戻そうとする。少し考えた上で、
「とはいえ、俺はしばらく魔王城から動けない。俺本人と会いたいと言うなら、分身が行くのも失礼な話だ。条件を満たしていないとも取られる」
「それでは、しばらくは保留にしておきますか?」
「ああ、本体に暇が出来れば行くことにしよう」
もっとも、それは本体を拘束してるジルの機嫌次第であるので、いつになるかは分からないが。
魔王や魔人の感覚的には、一年から数年程度まで掛かるかもしれない。
故にしばらくは我慢するしかないな、とレオンハルトは結論を出す。しかし、
「少しばかり癒やしが欲しいところだな……」
「……じゃあ、白兎とでも遊んでくれば?」
白兎。レオンハルトが溺愛してる一人娘の名を出され、レオンハルトは僅かに目を見開く。
「名案だな。最近は他の用事に掛かりっきりで時間が取れていないし、分身なのが残念だが、久し振りにピクニックにでも行くか……」
「! それでしたら是非この私に護衛の任をお申し付け下さりたく!」
「ああ、その時は頼むぞ、リー」
ははっ! と、心なしか嬉しそうに了解するリー。何気にリーも、主君の娘に仕えることに喜びを感じている様なので、こういったイベントの時は関わりたがるのが常だ。
もう一体の使徒も、こういう時はよく手を挙げてくるのだが、
「──大変ですわーーーーー!!!」
と、その時。大きな声を上げてノックも無しに部屋に入ってくる女性がいた。
それはいつもの、金髪ツインテールに青い軍服を着た快活な印象の美少女で、
「急になんなのさ……」
「キャロル様……?」
「……どうしたキャロル。何かあったか?」
皆がその使徒、キャロルの登場に反応を見せる。
キャロルがこうやって騒がしく登場するのはいつもの事なのでそこまで驚きはない。こうやって大変と言いながら入ってきたが、実は大したことなかったりするのも常だ。
故にレオンハルトは冷静に声を作る。たまには注意でもしようかと、
「それがレオンハルト様、大変ですの! 実は──」
「……今日は何だ。またサイゼルとハウゼルの喧嘩か? ガウガウが何かやらかしたか? どちらにせよ、少し冷静に──」
「──白兎様が、
「……………………え?」
瞬間。レオンハルトの時が止まった。
「……………………は?」
「……ん? どうした……?」
「……あ、ああ……いえ、すみません……少し呆けてしまいました……」
その衝撃は魔王城でお勤め中の本体にまで波及した。
レオンハルトが狼狽えるというあまりにも珍しいものを見たジルは、軽く頭に疑問符を浮かべたが、直ぐに笑みを浮かべ、
──くく……もしや、今になって私の身体にでも見惚れたのか……? そうだとしたら……随分と可愛いことだが……。
内心で、そんなことを思い、機嫌が良くなる魔王ジル。遂にこの鉄壁の男も堕ちたか。もしくは堕ちかけているか。攻め時は今だ、とジルは頭の中でこちらを見ながらも視線を彷徨わせるレオンハルトを見て、その新鮮な反応に喜んでいた。
──無論、レオンハルトの意識は分身の方に偏っていた。
魔王ジルへの奉仕の最中だが、本体は分身の方に意識を集中させながらそれを聞く。己の一人娘が家出したと聞いたレオンハルトの分身は、これ以上ないほどに固まり、
「…………探せ」
と、しばらくしてまずは一言。
それを皮切りに、レオンハルトは立ち上がり、迫真の表情で、
「白兎を探せ!! 今直ぐ! 全員で!! 一刻も早く──いや、というかもう俺が行く!! 俺が探す!」
──完全に取り乱した。
もはや仕事や用事、あらゆることを忘れ、あるいは後回しにすることを決めてレオンハルトの分身は言う。今にも動き出そうというところで、キャロルが慌てたように、
「お、落ち着いて下さいましレオンハルト様! 一応、手紙を預かっていますの!」
「! それを早く言え! 見せろ!」
と、キャロルが懐から出した手紙。それを慌てて受け取りながら、レオンハルトは急いでその手紙に目を走らせていく。
だが、
「家出ねぇ……どうせいつもの冒険だと思うけど、なんて書いてるの?」
「家出と言うからには、余程の事なのでしょうが……」
ハンティとリーが分析しつつ、レオンハルトの反応を待つ。
しかしいつまで経っても反応は無く。
「あれ? レオンハルト?」
「レオンハルト様が……止まってる?」
「や、やはりあの内容は見せない方が良かったのやも知れませんわ……」
レオンハルトが手紙を持ったまま完全に固まっている。キャロルだけはその理由を半ば理解している様子だった。
しかしこのままでは埒が明かないため、ハンティがしびれを切らしたようにレオンハルトから手紙を奪う。
「え~と、なになに──って、うわぁ……」
「こ、これは……なんと酷い……!」
「……心中お察し致しますわ……」
三体の使徒が手紙の内容を見て、納得したように顔を引き攣らせる。
その白兎からの手紙には簡潔に、こう書いてあった。
『パパの嘘つき。嫌い。家出をします 白兎』
一人娘からの“嘘つき”、“嫌い”という言葉の刃に加え、“家出”という実際に行動に出るというおまけ付きの口撃。
それによってレオンハルトは、
「────────」
「れ、レオンハルト……? って、うわ!? マジで気絶してる!?」
「め、メディーーーック!! メディック! 今直ぐ衛生兵をここに呼べ!!」
「い、一大事ですわー!! 大事件ですわー!!」
その結果が──気絶。
世界最強の魔人レオンハルトという怪物。その怪物を打ち倒そうとして誰もが果たせなかったこの気絶という偉業は、他でもない愛娘によって果たされることとなった。
「────」
「んんっ……レオンハルト……? もしや、寝ているのか……?」
そして本体の方も、軽く気を失っていたが、それを見たジルは、
「……くくく、はははは……今まで一度も私の閨で寝たことが無かったというのに……くく、気でも許したのか……? く、くふふ……!」
事が終わり、まさかその後で自分の上で眠るなど思ってもいなかったジルは、本当は気絶しているとも知らず、力を抜いた男の重みを全身で受け止めながら、妙にご満悦な様子だった。
レオンハルト、気絶するの巻。次回は白兎ちゃん、初めての家出の巻です