その屋敷は森の外れにあった。
二階建ての木造。屋敷としては普通のものだが、カラーにとっては、一軒家は普通でも部屋が沢山あるような幅広の屋敷などは普通ではない。
だが、それも当然。この屋敷はある意味、カラーの女王などよりも偉い存在が住む場所であるからだ。
そしてそれを、ペンシルカウに住む誰もが公然の秘密として知っていた。
「けほっ……すごい……!」
だが知ってはいても入ったことはない。故に病気だからと連れてこられたカラーの少女は、その室内の広さに驚いた。咳が止められないことでバツが悪い表情になるも、連れてきた当人、アルベルトは気にした様子もなく、
「ただの別荘だ。大したものじゃない」
「急ごしらえで用意したものですからね。とはいえ、中身はそれなりに整えてありますが」
「へ、へぇ~……けほっ」
メイドだというエルシールまでそう言うが、普通のカラーからするとやはり大したものである。凄い感覚の持ち主だなぁ、と感心していると、アルベルトがこちらを見て、
「そんなことより──と、そういえばだ」
「……? けほっ、なんでしょう……?」
何かを言いかけて言葉を止めたアルベルト。首を傾げて疑問を浮かべていると、
「……まだ名前を聞いていなかったな。名はなんと言うんだ?」
「あ……そうですね、けほっ……わたしの名は、メリルと言います」
別に名前を態々憶えてもらわずとも、アルベルトであれば無礼でもなんでもないのだから良い筈だが、相手は気にした。故に少女はメリルと、自分の名を名乗る。姓は皆、カラーなので名乗らなくても分かる。アルベルトも厳密には違うが、便宜上はアルベルト・カラーを名乗っている筈だ。
だからアルベルトはそこで頷き、再び話しを進めようとして、
「メリル。今からお前の病気を調べる」
「あ、はい。お願い……します、っ、けほっ、けほっ!」
「! どうした?」
咳が酷くなったメリルを見て、アルベルトが目を細める。そして押さえた口元から吐き出したそれに、更に険しい表情になった。何故なら、
「! ……まさか、血か」
「っ……た、大したものじゃ……けほっ……よくあることです」
よくあることだとそう言うメリル。しかしそれを聞いて、
「バカヤロウ……! そんな訳があるか……!!」
「え……?」
アルベルトが不意に、凄い剣幕でメリルに詰め寄った。
それは先程までとは違い、丁寧な口調すら崩れたもので、
「……アルベルト様、その少女の病気をご存知なのですか?」
付き従っているエルシールですら知らなかったようで軽く訝しむ。
するとアルベルトは頷き、
「ああ……前に聞いたことがある……普通の風邪とは違う病気の事をな」
と、先程までよりは僅かに荒くなった口調を向けて、アルベルトは告げる。メリルを見下ろし、
「それは、“けほけほ病”だ……! 放置すれば、死ぬ可能性の高い重病だぞ……!」
「!」
「それは……」
死ぬとまで言われ、メリルやエルシールの表情が驚きで歪む。まさかそれほどの病気だとは思っていなかった様子だ。
しかしその深刻さをアルベルトは理解しているようで、眉をひそめながらも言う。頭を抱え、
「やはり連れてきて正解だったな……けほけほ病は放置すれば死に至る病だが、きちんと治療すれば問題なく治る病気だ」
「えっと、それなら直ぐに薬を──」
「──ええ、問題はそこですね」
と、不意にエルシールの言葉に割って入る声が響いた。
それは女性のものであり、この場にいない者の声であったが、メリルを除く二人には聞き覚えのある声。その相手は部屋に入ってくると、アルベルトは目を僅かに大きく見開いた。
「白兎姉……! 来ていたのか……!」
「ええ、ちょうど先程から。なので、話は全て聞こえていましたよ」
「あ、アルベルト様の、けほっ、お、お姉さん……?」
「しかし、何故急に……?」
姿を現した白い髪の小柄な少女を見て、メリルは困惑する。姉らしいが、どうにも小さいし、色々と違うところも多い。
しかし、その赤い瞳だけは同じものであり、彼らが姉弟であることを示しているかのようだった。
「今日はお姉ちゃんの私が、可愛い弟のために料理をする日でしたからね! アルベルトの大好きなオムライスを!」
「……その予定はなかったと思うが……」
「ともかく、いらっしゃいませ、白兎様」
胸を張って何やら得意気な様子で言う白兎に、アルベルトやエルシールが何とも言えない表情を浮かべながらも歓迎する。だが白兎はそれを受けてもキッチンに行くわけではなく、そのまま留まりメリルに顔を向けた。
「ですがその前に……アルベルトのお友達の病気を何とかしないといけませんね」
「えっ……」
「……手伝ってくれるのか、白兎姉」
「勿論です。弟のお友達を見殺しにするお姉ちゃんではありませんよ」
「……そうか。助かる」
どやぁ、と得意気な笑みで告げる白兎に、アルベルトも息を入れつつ普通に感謝しているように見える。友達かどうかは微妙なところだが、メリルも態々それを口にすることはしないし、出来ない。厚意に水を差すことになるからだ。
とはいえ、問題があるのも確かな様で、まだ微妙に困惑しているエルシールが、
「ですが白兎様……治療と言っても、城に連れて行くのは──」
「まぁ、駄目でしょうね。そもそも、それを言うならここに連れてきた時点で怒られる気もしますが」
と、エルシールの苦言に白兎は傍らの弟を横目で見上げる。するとアルベルトは、
「……連れてきたのはオレだ。だから、怒られるのもオレ一人で十分。白兎姉もエルシールも、そしてメリルもそれを心配する必要はない」
「……アルベルト様……」
「ふふん、さすがは我が自慢の弟ですね」
メリルが自分の為に、何やら決まりを破っているアルベルトを心配して声を出す横で、白兎が何故か自慢気になる。エルシールが半目で白兎を見たが、それを気にするような姉弟ではないので何を言っても無駄であった。魔人と使徒の間柄なら、使徒が魔人に逆らうことはあり得ないし、他の種族だろうと魔人に逆らえる者など皆無に近いが、子供となると話は別である。
エルシールは内心で肩を竦めるような思いで、ならばと告げる。
「なら、そのまま連れていきますか?」
「そうですね。親御さんに連絡は済んでますか?」
「……いや、それは……」
「あ……わたし、身寄りがないので……けほっ」
「おや、そうでしたか」
アルベルトが言い難そうに眉をひそめた時に、メリルが気づいてそれを告げる。白兎はあっさりと頷いたが、そこで何を思ったのか、顎に手を当てると、
「……ならもう、いっそのこと引き取って、ここか城にでも住まわせたらどうですか? 見たところ、まだ子供の様ですしね」
「……え、ええっ!? けほっ! そ、そんな……畏れ多いですよ……」
「…………本気か? 白兎姉」
メリルが驚き、迷いを見せつつも遠慮する。アルベルトの方も、眉間に皺を寄せながら姉に確認するように言葉を送った。
すると白兎は首を傾げ、
「? むしろ、そうするつもりで拾ってきたのかと思ってましたが違うんですか?」
「…………そういうつもりはない。あくまでも、彼女の治療のためだ」
そういうつもりはないと、アルベルトは言う。だが、それを更に追求するように、
「私にはそうは見えませんが。何と言うか……友達を欲しがってるように見えて仕方ありません」
「……!」
「……えっ?」
友達を欲しがっている。そんな子供らしいことを耳にしたメリルは驚いてアルベルトの方に顔を向ける。
彼の表情は、痛いところを突かれたという風に下を向き、更に険しくなっていた。
だがそれを指摘した白兎は、微笑ましいものを見るように笑みを浮かべ、
「恥ずかしがることはありませんよ。アルベルトもまだ子供ですし、友達の一人や二人、欲しがるのは普通です」
「……そういうつもりで連れてきた訳じゃない」
「なら無意識ですね。まあ先に、病気で独り身と聞いて助けたくなったんでしょうが。後から徐々に、そうした方がいいかもしれない、と思い始めたというところですか。ああ、だから恥ずかしがらずともいいんですよ。ええ、私でも多分そうしますし、若い頃には
「ぐっ……わかったからもうやめてくれ白兎姉……!」
自分でもあまり理解していなかった心の動きを赤裸々に暴露されたアルベルトは、顔を赤くして止めるように懇願する。
普段から大人っぽく見られるアルベルトだが、彼はまだ子供である。実年齢的には十歳にも満たない。
子供らしからぬしっかりした考えや成長。その見た目も相まって、正しく早熟していると言えるアルベルトは、そんな幼い思いを抱えていないかと思われがちだが、実はそうではない。
なんだかんだで、彼はまだ子供で、実は友達が欲しいし、好き嫌いが激しく、親や姉に甘えたがりの年頃なのだ。だというのに、周囲からの期待に応えようとし、親の様に完璧であろうとしていることから、そういった一面を極力見せないように振る舞っている賢い子でもある。
抱え込みがちな苦労人気質とでも言うべきか。親兄弟であればその辺りは見抜いているが、アルベルトとしては親にすらバレていないと思っていた。
故に恥ずかしい。一人暮らしで病気の少女を助けようと、それだけを考えていたのは事実だが、その先に、仲間や友達を求めようとする、幼い心の動きが働いていたというのは、完璧に振る舞っているつもりのアルベルトにとっては、非常に羞恥の色が濃いものであった。
その結果、アルベルトは耳まで赤くしながら、顔を隠すように頭を抱え込んでしまう。見た目的には青年程にも見えるアルベルトだが、その演じていない時の彼はまだまだ子供だった。
その本性とも言うべきそれを初めて見たメリルなどは、しかし驚きつつも遠慮がちに近づき、
「けほっ……えっと……わたしなんかでいいのなら、友達にしていただくのは、全然かまいませんけれど……けほっ」
「! ほんとか……!?」
アルベルトが顔を勢いよく上げて再確認。それを見たエルシールは横の白兎に向かって小声で囁くように、
「アルベルト様……実はよっぽど、普通の友達が欲しかったんでしょうか……?」
「カラーの里だと、皆憧れて慕ってきてますけど、そういうのとはまた違うでしょうからね」
理想のカラー男像として見られ、邪な心を持たれることばかりなアルベルトにとって、普通の友達というのは何よりも欲しかったものだろう。白兎にも、少し違うがその気持ちは分かるものであり、故に弟にも友達が出来ればいいと敢えてそれを暴露してみた。
その結果、メリルというカラーの少女は咳をしながらも、純粋な笑みを浮かべ、
「はい、けほっ、大丈夫です。わたしもずっとお友達が欲しかったので、嬉しいですっ! けほっ」
「……そ、そうか……なら、このまま家に住んでくれないか?」
アルベルトはまだ狼狽えつつも、嬉しそうにそんな提案をメリルに告げる。
背後では、エルシールと白兎が、
「……それは友達とはまたちょっと違うような……というか、このまま止めずにいていいんでしょうか?」
「ふふん、さすがは私の弟ですね。友達作りが上手です」
……あ、そういえばこっちもズレているんだった、とエルシールが真顔になる。
友達になってほしいから家に来てくれというのは、明らかに普通ではないのだが、白兎やアルベルトにとっては普通の定義が違う。
仲の良い相手や、仲良くしたい相手などは自分の住処に住んでもらうというのが当たり前の考えとして浸透しているのだ。
というのも、彼らの親がまず、真意はどうあれ、結果的に外から人を連れてきて自分の住居に住まわせるということをやっているし、子供である白兎やアルベルトもそれが当然の事だと常識として知っている。
加えて本能として、自分の側に置くことが何よりも安全だと無意識に考えていることから、彼らはこうやってナチュラルに囲い込みをするのだ。
もっとも、この時代だと全く間違っていない行動でもある。親しい間柄の人物。家族、恋人、親友といった相手を危険な外敵がいる外に放置せず、失わないように安全な場所に留め置くのは生物的にも普通の事だ。
エルシールの常識としては、“友達になる→じゃあ家に住んでくれ”は意味不明すぎて困惑するものであるのだが、白兎やアルベルトにとってはそれが常識というか、本能的に普通のことだと考えている節がある。
そしてこれは、どう考えても親の背中を見て学んでいるというか、大体親の──主に父親の所為であることにエルシールは気づいたが、ぶっちゃけ母親である自分の主にも似たようなところがあるので何も言えない。自分だって拾われた身であることには違いないのだ。
だから無言で成り行きを見守ろうと眺めていると、アルベルトから提案を出されたメリルが戸惑いがちに、
「それは……けほっ、ご迷惑ではありませんか……?」
「そんなことはない」
「で、でも、タダで住まわせて貰うなんて、けほっ、そんな失礼なことは出来ません……」
メリルは無償でそんなことをしてもらうのが気になるのか、なおも辞退しようとする。
だがそれを見かねた白兎が、
「なら、メイドとして働いて貰いましょう。それなら問題ない筈です」
いや、一応親に聞いておいた方がいいのでは? とエルシールが半目を向けながらも口には出さず、内心のみでツッコミを入れる。
だがその疑問をエルシール以外は危惧していないのか、普通に話が進んでいく。
「メイド……わたしなんかがそんな立派な仕事に……?」
「……仕事をすることで気が済むというならそれでも構わないが……」
「そうですね……とりあえず、オムライスは中止にして、父上にどうお願いするかも考えましょうか」
……あ……良かった、そっちの話に行ってくれた、とエルシールが胸を撫で下ろす。白兎はそのことを考えていた様だ。するとアルベルトも腕を組み直しながら真剣そうに、
「そうだな……それも重要だ。──それと、オムライスはちゃんと作ってくれ」
「けほっ……オムライス、美味しいですよね……!」
「まあ、坊ちゃまの好物ですから……」
オムライスの事を言う時が一番迫真の表情だったことに苦笑いするしかない。特にケッセルリンクが作るものが一番好きだった筈だ。アルベルトが生まれてから──正確には生まれる前からだが、料理をすることが増えて、今では結構な腕前となっていることもあり、ケッセルリンクがメイドの代わりに料理をすることも多くなっている。ここに一時的に住み着いてからも、定期的に誰かしら家族が会いに来て、一緒に食事をしたり、家族の時間を作っていたりするのだ。エルシール達メイドも、交代でアルベルトの世話をしている。メイド達にとってもアルベルトは大切なお方なのだ。
そんな彼が、友達が欲しくて、珍しく我儘を言うのであれば、少しくらいはフォローしてやるのも悪くないのかもしれないと、エルシールがそう思った時だ。
「──まあ、多分一人くらいなら問題ないとは思うけどね」
「! むっ、くっ……!?」
飛んでくる声と共に攻撃が来て、アルベルトは防御を行った。軽く吹き飛ばされながらも体勢を立て直し、壁に着く頃には既にアルベルトも戦闘態勢に入っている。それを見て、メリルなどは身体を反射的に跳ねさせた。
「あ、アルベルト様……!? けほっ、一体何が……!?」
「大丈夫ですから、そこを動かないでください」
「誰かと思ったら……またそういう感じですか……!」
あまりにも突然過ぎる修羅場にメリルはビビるが、白兎などは軽く息を吐きながらも落ち着き、ただ刀に手を掛けている。
そしてエルシールも一瞬、糸を出しかけ、相手を察知して反射的に攻撃を止めて、理解してから再び攻撃の手を進めようかと迷った。
知っている仲だが、アルベルト相手への奇襲は見過ごせないと眉を立てかけ、しかし、
「──手を出すなッ!」
「っ! はい……!」
そのアルベルト本人にそう言われてしまえば、大人しくする他ない。
だが、せめてもの抵抗として襲撃者を半目で、なおかつ軽く睨むように見る。抗議の視線を送りながらも眺めるのは二人の戦闘だ。
アルベルトが素手の構えを取って直ぐに、相手はその場から消えてアルベルトの背後に移動した。しかし、
「それも読んだ……!」
「っ! へぇ……!」
アルベルトの身体が霧になり、襲撃者の攻撃をすんでのところで躱す。攻撃を読んでいなければ出来ない動きに襲撃者が喜悦の笑みを口端に浮かべた。
「一本、取らせて貰う……!!」
「ははは、取れるものならやってみなッ!」
一瞬にして距離を詰めるアルベルト。
密着にも近い近接戦闘。そこはアルベルトの距離だ。
だが相手はだからといって簡単に攻撃を当てさせてくれる相手ではない。それはこの場にいる誰もが理解している。
当然、アルベルトもだ。
しかし、だからといって諦める彼ではない。
「“衝撃拳”……ッ!!」
「あ、マズいですね」
「え……? わぁっ!?」
アルベルトが拳を握った瞬間、白兎が何かを察知してメリルを背後に隠す。そのまま刀を居合のように構えて、安全を確保しながら告げるのは、アルベルトが次に起こす技と現象の説明だった。それは、
「衝撃がこっちまで飛んでくる可能性がありますからね。念の為、私の後ろに隠れていてください」
「! は、はいっ……!」
コクコクと首を縦に振るメリルをエルシールも横目で見た瞬間、アルベルトは拳を襲撃者に向かって放ち、
「──!!」
刹那、拳から衝撃が突き抜け、相手の身体を打撃し、そのまま背後の壁をも破壊した。
遅れて吹き飛ぶ相手と破壊の痕に、メリルは目を見開き、白兎は僅かに飛んできた衝撃の余波を軽く見えない剣で逸らす。
エルシールも軽く腕を前に出して風のようなそれを防ぐと、衝撃が収まったところで声を掛けた。
「……勝ちましたか?」
「──いや……避けられた」
と、アルベルトは拳を握りながら冷静にそう答える。
すると拳によりピンポイントで吹き飛んだ壁の奥から──ではなく、一瞬にしてその場に現れる影がある。それは、
「いやぁー、また腕が上がってるねぇ……! 愉しくなってきたじゃない、アルベルト」
「あ……」
メリルがそこでようやく気づく。
それもそのはず、カラーという種族に生まれて、眼の前のお方を知らない筈がない。
黒い髪のカラーといえば、誰もが知るカラーの始祖の事だ。あの伝説の方の名前を、アルベルトは息を入れて軽く諦めながらも呆れ、
「……勘弁してくれ、ハンティさん。あんたの相手をしていたら日が暮れてしまう。今日は時間が無いんだ」
「ああ、そうだっけ。それじゃあ、その後にでも相手してもらおうかなぁ」
と、悪びれるでもなく軽い笑みで腕を頭の後ろに回したのは、やはりカラーの始祖にして、あの魔人レオンハルトの使徒、ハンティだった。
そもそも、突然現れることもそうだが、いきなり奇襲を仕掛けて腕試しをしてくる相手など、彼女ぐらいしかいない。毎度のこととはいえ、アルベルトもよく付き合っている方だと感心する一方で、エルシールなどは抗議を続けるように声を飛ばした。
「ハンティさん……? 坊ちゃまにちょっかいを掛けるのは止めてって言いましたよね?」
「ああ、ごめんごめん。強くなってるアルベルトを見ると、どうも気が昂ってさ」
「……はぁ、全く……」
このカラーゴリラめ、と内心で毒づく。正直、一発くらい入れてやりたい気持ちもあるが、それをしてもハンティは喜ぶだけなので何ともやり辛い。
というわけで、後でレオンハルトに告げ口することでお灸を据えて貰うとしようと、エルシールはやり返すことを決めておく。メイド長として情けない限りだが、こうするのがハンティが一番困ることだと理解しているが故のやり口だ。
ケッセルリンクとアルベルトはそこまで問題視していないが、メイド達の総意として、あのカラーゴリラに影響されて野蛮に育ったりしたら目も当てられないということで、かなり注意しているのだが、相手も強敵である。アルベルトを出来る限り強くしたいようで、こういった奇襲訓練を繰り返しているのだ。
だがまあ、こちらにももう一人頼もしい味方がいる。それが、
「──ハンティさん? 今日は私の可愛い弟が初めて友達を作った大切な日です。だから手合わせは遠慮して貰えると助かります」
「おおっと……白兎まで……ははは、さすがだね」
ハンティが眼の前で起こった現象に軽く目を見開き、そして笑みを浮かべる。
気がつけば、白兎は誰にも気づかれずに刀を抜き、その刀身をハンティの首筋に当てていた。
「えっ……けほっ、いつの間に……?」
「白兎姉の抜刀……また速くなっているな……」
「……正直、私にはもう全く見えませんね」
辛うじて気づいたのはアルベルトに、ハンティくらいだ。その二人も、意も読ませぬ抜刀に汗をたらりと流す。真正面で相対でもしていれば、さすがに為す術なく斬られるということはないのだろうが、単純な速さも然ることながら、気配の隠し方が絶妙過ぎる。
少なくとも白兎が攻撃の意志を持って刀を抜いたことを、この場にいる誰もが気づけなかった。
それはまるで父親の様な、起こってから相手に気づかせ、気づいた時には只々戦慄する──背筋が凍りつくような剣の冴えだ。
アルベルトが生まれてからの数年で更に強さに磨きがかかっていると、アルベルト以外の者達の誰もが気づいてしまう程の成長。
剣の腕もそうだが、やはり精神的な成長が一番大きいだろう。
その有無を言わせない気迫は、やはり父に似ている。ハンティも、さすがに主である父親と全く同じ気を纏わせてそう言われると、従わざるを得ないのか、面白そうに白い歯を見せて、きししと笑みを浮かべながらも、
「──分かったよ、今日は諦める」
大切な日みたいだしね? とアルベルトを見ながら言う。するとアルベルトも、
「……そうだ。今日は、メリルの病気の件と、家に住まわせて貰えないかの提案。そして、オムライスの日だ。だから今日は難しい」
「……いや、オムライスはどうでもいいでしょ?」
「──重要だ」
「……さいですか」
ハンティが諦めたように半目を向けて頭を掻く。そして気を取り直し、
「でもまあ、お願いするならちょうどいいかもね」
「……どういう意味だ?」
と、アルベルト。その質問にハンティは簡潔に答えた。だって、と、
「────もうすぐで、レオンハルトも来るし」
カラーにとって、魔人レオンハルトというのは、特別な存在だ。
人間の魔人。元の種族からして部外者である彼を、ただ魔人だからといって特別扱いする義理はカラーにはない。
しかし種族などは、レオンハルトに限って関係ないのだ。それほどに、カラーにとってレオンハルトは恩人なのである。
歴史上、カラーを何度も救い、カラーの始祖ハンティ、元女王のケッセルリンクやペール、インデックスなどと縁を結び、このペンシルカウの創設にも関わっている。今なお里への個人的支援を続けており、魔軍がカラーを襲うこともないように配慮してくれている。
カラーにとっては、子供にすら語り継がれる英雄であり、更にはアルベルトの父親でもあるのだ。
今はアルベルトに里中のカラーが夢中だが、レオンハルトの人気も同じ様に根強く、里に来た際はその姿を一目見ようと人だかりが出来る。
故に、子供とはいえカラーであるメリルにとっても、雲の上のお方というイメージだ。ついさっき、友達となったアルベルトの父親とはいえ、直ぐにそのイメージを払拭することは出来ない。友達の父親という風な気軽な存在とは思えない。
──のだが、
「────好きにしろ」
と、開口一番。お願いしたアルベルトの言葉に対し、レオンハルトが口にした言葉がそれだった。
壁の壊れた応接間。そのソファーに腰掛けたレオンハルトは、アルベルトとメリルを見て目を伏せると、息を吐き、
「……むしろ、いつになったら友達が出来るのかと不安に思っていたところだ」
「ありがとうございます、パパ……!」
「あ、ありがとうございます……けほっ」
アルベルトと共にお礼を言う。これからお世話になるのであれば感謝を告げるのは当然の事だ。
だが腑に落ちていない様子の白兎は、父親に向かって浅く首を傾げながら、
「……家に人を連れてきてはいけないというのは何だったんですか?」
「……そのルールはあくまでも“勝手には連れてくるな”ということだ。普通に許可を出したら、幾らでも連れてくるだろう……特に白兎は」
「むっ、失敬な。そんなことしませんよ。私は子供じゃありませんのでっ」
頬を膨らましながら怒る白兎は、見た目だけで言うと明らかに子供だった。
だがレオンハルトは、白兎の怒りを軽く苦笑で受け止め、そして再びメリルに目を向けると、
「何か邪念を抱くような相手であれば考えるが……メリル、だったか。俺の見立てでも、悪い子でないことは見て取れる。むしろ、極めて純真だ。だから好きにしろ。手配もしておいてやる」
「そ、そんな純真だなんて……けほっ、わたし、そんなに良い子ではないです。今も、お世話になれば、美味しいオムライスを毎日食べれるんだろうなって、そんな邪心を抱いてしまっています……!」
「……なるほど、いい考えだな。パパ、今日からそうしよう」
「栄養が偏るから駄目だ……と、それは置いといてだ。その程度の事を邪心とは言わない。それが邪心だと言うなら、殆どの生物は極悪人になってしまう」
「ははは、ほんとだよね。それで邪心なら、うちの城にいる連中は皆とんでもない極悪人だ」
「そんなことよりも、私は毎日おうどんが食べたいです。そして、実は食べてます」
「何……!? 白兎姉、好物ばかり食べるなんてズルいぞ……!」
「ふふん、私は大人だからいいんです。アルベルトはまだ子供なので、好き嫌いせずに何でも食べることを覚える時期ですからしょうがありません。……というわけで、今日はオムライスの中にアルベルトが苦手なグリンピースを──」
「ッ!! 白兎姉! 後生だ……! それだけはやめてくれ……!」
「ふふ、好き嫌いをしては私の様な立派な大人になれませんよ、アルベルト。これも試練です。あなたの苦手を克服させるために、お姉ちゃんは心を鬼にして──」
「──白兎。しばらくうどんは禁止だ。そして、そういうことはピーマンを食べれるようになってから言え」
「──横暴です!! ピーマンなんて食べれなくても全く問題ありません!! 嫌いなものを無理矢理食べさせるのなんて酷いですよ!!」
「白兎姉、さっきと言ってることが違うんだが……!?」
「私は大人だからいいんです! 食べれないものはどんなに努力しても食べれませんから!!」
白兎の言葉にアルベルトが立ち上がり、“ならオレも毎日オムライスがいい! ” と子供過ぎる発言を口にする。
気がつけば何故か、食べ物の好き嫌いと今晩のメニューについての議論が始まってしまっていて、
「……えっと、どうなったんですか……?」
「……話はまとまってると思いますよ」
いつもの事なので、エルシールは慣れている。ケッセルリンクなどは、こういう場面だとニコニコと楽しそうにしているので、騒ぎになっても殆ど止めることはないし、メイド達も眺める癖がついた。そういう時間を、主や周囲の者達は大切にしているのだと。
とはいえ、今日見たばかりのメリルが戸惑うのは無理ないことではある。ハンティなどが肩を竦め、
「とりあえず、城に着いてから病気の治療かな。食事は好きにしたらいいんじゃない? そこのレオンハルトだって好き嫌いあるんだし」
「何!? まさかパパも……!」
「本当だとしたらパパも人の事言えないじゃないですか!?」
「……余計なこと言いやがって……」
と、ハンティに恨めしい視線を向けるレオンハルト。苦虫を噛み潰すかのように表情を少し歪めた後、しかしレオンハルトは薄く笑い、
「別に食べようと思えば食べれる。ただ、好んで食べることはないというだけだ。苦手な物も、不思議と食卓には出ないからな、ふふふ」
「ず、ズルいです! それ、料理人が気を使って出してないだけじゃないですか!! 忖度です! 横暴です!」
「……なるほど。その手があったか。ならばオレも、コックに向かってさり気なくオムライスが食べたいと圧を掛ければ……」
「あの、普通にお願いしては駄目なんですか……? けほっ」
メリルが最後にそんなことを言うが、エルシールとしては、平然と三人の会話に入り込んでいけたことが驚きだった。肝が据わっているのか、子供特有の恐れ知らずなのか。とにかく、メイドとしての適正はありそうだな、と軽く現実逃避気味にエルシールはアルベルトの初めての友達をそう評価した。
けほけほ病=結核 アルベルトの好物はオムライスや卵料理で、白兎の好物はおうどん。メリルちゃんは作中でもかなりの聖人枠です。ハンティは最近、愉しくてしょうがないそうです(ゴリラ)