というわけで本編どうぞ
永遠の闇。永久の孤独。
彼を襲う何かは、彼に代償としてそれらの苦しみを与える。
限界を超えた力。理に反した力を得る代償は甘くはない。
一度使用すれば正気に立ち返ることは不可能。
心を覆い、精神を崩壊させる禁断の呪いは使用者の精神が疲弊し、完全に狂気に染まるのを待ち、それからゆっくりと心を蝕み、最終的にはその全てを闇の中に飲み込んでしまう。
通常の人間が、これに抗うことは出来ない。どのような高レベルの魔法使い、それこそ歴史に名を残すほどの大魔法使いであっても、この孤独に堪えられる者はいなかった。
無限の時間を感じられる闇の牢獄。
そこに囚われた相手の心を、その何かは垣間見た。
苦しみ喘ぐ様を見て嘲笑ってやろうと。あるいは、親しき者に化けて心無い言葉による責め苦を味わわせてやろうと、悪意を以って近づいたのだ。
だが、そこにあったのは、
『……別に孤独でも何でもないな』
『……遺憾ながら、そうだな。相手がお前ということだけは不満だが』
────え?
意志を持った闇は、味わったことのない感想を、衝撃を感じて間の抜けた声を思わず上げる。
今まで数々の人間の精神を崩壊させてきたその何かにとっても、その経験は、事象は初めて見たことなのだ。
──なぜ、精神が二つあるのか?
その理由が分からない。分からないが、その何かにとっては致命的なものであった。
理由は、彼らが心で会話しあう通りのもので、
『……どうやら禁呪というのは、使用者の精神に酷い負荷をかけてその心を崩壊させるもののようだが……どうやら、精神が二つある者にはあまり効果が薄いようだな』
『みたいだな。魔女の奴が大丈夫だって言ってた理由はこれか。これくらいなら大した負荷じゃない。ちょっと頭が痛くなる程度で済む』
悠長な余裕のある会話を行っているが、実際に余裕はある。心を覆う闇は徐々に効果がないことを悟って薄まっているものだ。
精神が二つある者に対して、この負荷は正常に働かない。もとより、1人の精神を崩壊させるものだ。そう決まっている。
故に禁呪は、その例外を感じ取って負荷を掛けるのを途中で取り止める。学習したのだ。こいつの心は壊せない、と。
禁呪は、その理外のシステムエラーに付き合うようには出来ていない。禁呪と言えど魔法だ。その理に沿った動き方をするものであり、埒外の現象に対してはその負荷も等しく霧散してしまう。
たとえ二度、三度、これから禁呪をしようしたとしても、その負荷は微々たるもので使用者に異常をもたらすことはないだろう。それでいて、禁呪はその効果だけを正しく発揮する。
闇が晴れていく。禁呪が、彼に抗うことを無駄と理解したのだ。
そうして禁呪を習得することに成功した人間の魔法使いは、一時的に囚われていた檻から脱出し、意識を覚醒させた。
目が覚めると、そこは変わらず禁書の前だった。
「ん……終わったか。なるほど、これを続けていけばいい訳か」
『面倒だな……もう全部一気に終わらせられないのか?』
それは無理だ、とガイはもう1人の声に声を返す。
自分には上手く作用しないとはいえ、禁呪の負荷は並の人間の心を容易く砕くもの。複数同時に征伐しようとすれば何が起こるかは分からない。
そも禁呪を一つ使った時点で、何らかの負荷がやって来るのだから、その次を使う余裕はさすがにない。
もっとも、一度克服してしまえば異なる禁呪であっても、連続使用にも耐えられるだろうと見ているのだが。
『負荷が酷いだけで、他は普通の魔法と変わらない。これなら容易く極められるだろう』
『もういっそこの本ごと持っていかないか? どうとでもなるだろ』
他の者達が苦しみそうだし、一応は魔女の所有物だ。それは悪い、ともう1人の案に首を振る。禁呪はこの場で全て習得し、覚えきる他ないだろう。
とはいえそれなりの時間が掛かる。この場所だと時間の経過が分かりにくいが、もう一日以上は経ったのではないだろうか。
腹が空いたり、眠気が無かったり、生理現象すら感じないのが不気味ではあるが、これも禁呪の魔力に満ちたこの場の影響なのだろうか。
だがそれでも要領は掴んだし、思ったより早く終わりそうではある。ガイはさっさと面倒事を終わらせるため、次なる禁呪の習得に取り掛かった。
「──思ったより、早く終わるかもしれんと思ったが……連中、存外に粘るではないか」
山の手前。陣容の最奥に作られた司令部で声を響かせたのは、魔物大将軍アッティラだった。
彼は今日一日の自軍と敵の戦いを評しながら、捕らえた人間の死体を横に放り投げる。それを部下が手早く回収、処分するのを横目で見ながら、アッティラはその場にいる別の者の言葉を耳にした。
「魔物が人間を舐めすぎだな。実戦から遠ざかってるんで無理はねぇが、練度も低い。地の利も向こうにあるし、奴さんの方が戦い慣れてる。妥当なもんだろ」
「……そうですな。我が軍の将兵にも落ち度があったのは事実でしょう」
未だに飯を食べ続けている魔人、ガルティアの言葉にやや間を置いて素直に頷く。自軍を貶めたようで少し眉をひそめはしたが、概ね事実であり、アッティラとしても思うところがあったゆえ、頷くしかなかった。
過去、国狩りを行っていた頃の魔軍の将兵であれば、相手に地の利があろうが、ゲリラ戦を展開しようが、どっしりと構え、こちらの有利に戦闘を進められたはずだ。しかし、
「──アッティラ様! また夜襲です! 前衛の部隊が奇襲されました!」
「…………」
だというのにだ。今の将兵と来たら、たかが夜襲や奇襲如きでてんやわんやの大騒ぎ。
アッティラも、深い溜息を吐いてしまう。その上で、自分の務めとして、
「……落ち着いて対処しろ。明かりをつけ、周囲の部隊から応援を向かわせろ。そうだな……一軍まるごと使え」
「い、一軍を応援に……!? お言葉ですが、それほどの事では──」
「昼間は遊んでいた兵も多いだろう。問題ない。後詰に待機させていた軍を夜番に使う。連中も、夜に紛れるとはいえ、一軍に攻めてくるような馬鹿な真似はしないだろうしな」
指示を与えてやりながら、その利を考える。遊ばせていた兵を夜襲のために使うのだから有用だろうと。
人間より強靭な魔物とはいえ、休息は必要だ。魔人や使徒であるならともかく、大将軍である自分ですら多少の休憩は必須である。
だがきちんと、やるべきことをやっていれば負けない。それをアッティラは理解していた。
「いいか。慌てずやるべきことをやれ。人間共が何をやろうが、どっしりと構えていればいいのだ。どう足掻こうが二十万の大軍を千人ほどの軍で破ることは出来ん」
「は、はっ! では、そのように!」
伝令にやってきた魔物隊長が司令部から走り去る。それを見ながら思う。
……忌々しい人間共が……手こずらせおって……。
人間の癖に生意気だ、と忌々しく思ってしまう。
だがそうは思いながらも、口元が喜悦に歪んでしまうのを抑えきれない自分もいた。
思うのは──こうでなくては、ということ。
呆気なすぎてもつまらない。戦争であれば、このくらいの応酬がないと味気ないものだ。己は国狩りにおいて多くの国々を粉砕したという自負があるが、それでも全く損害を受けなかったという訳ではないし、中にはこちらの不利を強いられた戦いもあった。
その時はやはり、忌々しく思ったものだが、今思い返してみると、それすらも己の勝利を飾るための良い思い出だ。
獲物は狩り甲斐がなければつまらない。弱すぎて、存在すること自体が憎たらしく思う人間も、こういう時には役に立つと思ってしまう。
そうした思いから出てくる結論はやはり、人間は文明を持たず、野良で獣のように過ごさせるのが一番だということ。
魔物が時折狩りに出かけ、大きな人間を狩ったとか、手強かったとか、何人かがやられたとか、そういった程よい刺激を得られる娯楽の為であればその存在にも価値がある。
弱い人間であれば自然淘汰されるだろうし、強い人間であれば生き残る。弱肉強食の世界には相応しいだろう。
「ふふ……やはり来て正解だったな……」
「おーおー、随分と楽しそうだなぁ……ま、負けがねぇなら気楽なもんだが、他に手は打たないのか?」
ガルティアがまたしても質問してくる。この魔人も、かなりの古株なこともあり戦争、戦闘には詳しい。他の凡愚共とは違う、百戦錬磨の魔人だ。
見届け役とはいえ、一応はこの軍で最上の存在であるため、アッティラはその務めとして口を開く。策という策もないが、
「問題はないでしょう。今日一日で、兵もある程度は緊張感を持ったはず。幾ら敵が待ち伏せや奇襲を仕掛けてこようと、仕掛けられる罠にも限りがありますし、どれだけ上手くいっても寡兵で大軍を破るのは容易ではない。明日……遅くとも、明後日の攻勢には敵の阻止臨界点を越えて集落に攻め入ることが出来るでしょうな」
「ほぉー、そうか。まあ何でもいいけどな。俺はゆっくりとそのお手並みを拝見させてもらうぜ」
「はい。ガルティア様にはごゆるりと我が軍の勝利をご観覧頂ければと思います」
慇懃に頭を下げ、礼を通す。
どうなってもガルティアが出るような事態にはならない。
だが、もし攻めきれないようであれば自分が出ることも考えている。自分もそろそろ愉しみたい頃ではあるし、人間の絶望の表情をその目に焼き付けるために、前線に行くことは必須だ。
そうしてほくそ笑みながらも、アッティラはふと気づいて声を上げた。ガルティアが座る席、その隣に視線を向け、
「……そういえば、キャロル様はどこに? 先程から姿見えませんが……」
「ああ、なんか用事があるとか言ってたぜ。すぐ戻ってくるってよ」
「左様ですか……」
あのレオンハルトの側近である使徒から目を離すのは若干不安だが、まあ問題はないだろう。元より大将軍の身で行動を制限出来るはずもない。
気に病むだけ無駄だと、アッティラは一旦休息を取ろうとガルティアに一言告げた上で司令部を後にした。
小高い丘の上。月明かりだけが地上を照らす闇夜の中で、一際目立つ存在がいた。
それは全身黒の衣装でありながら、炎を纏わせて自らが明かりとなってしまっている魔人であり、
「うおっ!? おい、見えたか!? またやりやがったぜ!」
「うーん……カイゼル様、目がいいですねぇ。私は何かが起こったのは分かっても、この距離だと何がなんだか……」
「なんだ分かんねぇのか? 目を凝らして気配を研ぎ澄ませば分かるだろ」
「いやそんな事出来るのカイゼル様の父親とかご兄妹くらいですから……」
と、戦場を見渡せる丘の上でそんな緊張感のないやり取りを行うのは、魔人カイゼルと、彼のお付きとしてこの場にいる魔人ハウゼルの使徒、火炎書士。
相変わらずどっしりと胡座をかいて一日中ずっと戦場を眺めているカイゼルは、飽きもせずに毎回何かが起こる度に声を上げていた。
火炎書士はその話に付き合ったりしてはいるが、あまり理解は出来ていない。
というのも、丘の上から戦場を見渡せるとはいえ、辺りは背の高い木々が生い茂る山林地帯。
昼間は霧が出ていたこともあり、正直、ちゃんと観戦出来ているとは言い難かった。
カイゼルも霧が出ている時間帯は自分の所為とは知らずに色々と文句を言っていたものだが、夜になってある程度霧が晴れたところで、再び盛り上がり、その身体から昇る炎も轟々と揺らめいていた。
彼はその先を指差しながら言う。血筋のせいか、目や気配を感じ取るのに長けているのか、魔軍の陣の方を指し、
「あっちの方で、夜襲を掛けた奴がいるな」
「へぇ、それはそれは、勇気がありますねぇ……」
「おいおい反応が薄いな。たった1人でだぜ?」
「えっ? 1人でですか?」
夜襲、と聞いて、まあそういうこともあるだろう。そういうことをしなければ勝てないだろうし、とそこまで驚くことをしなかった火炎書士だが、1人、という言葉にさすがに驚いてしまう。
カイゼルが言うには、
「あっちの方は部隊単位の奇襲っぽいが、向こうの陣に突っ込んでいったのはたった1人だ。しかも、闇に紛れた上で物音一つ立てず、数十人か百人以上やられるまで相手に気づかせねぇ」
「……え、人間ですよね?」
「みたいだな。やりやがる。うちのミコトみたいな芸当しやがって……クハハ、おもしれぇ!」
膝を叩き、やはり炎をメラメラと沸き立たせながら、カイゼルは笑う。
鋭い目をその先に向け、告げるのは彼の目的だ。
「あの人間なら、俺様のお眼鏡に適うかもしれねぇ……よし、あいつを重点的に見るぞ」
「さいですか……まぁ、お好きにどうぞ」
「──見るのは構いませんが、そもそもこんなところで何をしてますの? カイゼル様?」
「あ? ……って、キャロルじゃねぇか。なんだいたのかよ」
不意に背後から声が掛けられ、カイゼルと火炎書士の二人が振り向くと、そこにはレオンハルトの使徒であるキャロルの姿があった。
腰に手を当て、微妙に呆れるような色の表情を見せてキャロルは言う。カイゼルらがこんなところにいるとは、さすがのキャロルも情報を掴んでいなかったのだ。
「なんだじゃありませんわカイゼル様。レオンハルト様の許可は取ってますの?」
「ぐ……言っとくがまだ帰らねぇぞ! 目的を遂げるまではな!」
「あ、キャロルさん、こんばんはです」
「こんばんはですわ、火炎書士さん。それで、どういう訳でここにいますの?」
「実は、かくかくしかじかで……」
「これこれうまうまですわね。分かりましたわ!」
「え!? 今ので分かるんですか!? ノリで適当言っただけなのに!?」
「キャロルにツッコむだけ無駄だ。こいつは俺達兄妹以上にぶっ飛んでる時があるからな」
火炎書士の適当な返しだけで理解してしまったキャロルに、カイゼルは頭を抱えるような思いを得る。
だが、やって来る関係者の中ではマシな方だとも思っていた。これが瞬間移動してくるゴリラなら、まず真っ先にぶん殴られるだろう。躾と称して散々やられたし、無敵結界があるからと手加減もしない。衝撃は伝わるってのに。おかげでよく壁を壊してしまった。
「そんで、俺様のことを報告でもすんのか? ……つーか、まさかとは思うが親父もいるんじゃねぇだろうな……? 気配はしねぇが……」
「生憎とレオンハルト様は居ませんわ。別件で用事があるそうですの」
ただ、とキャロルは一声置いて、
「それが終わったらこちらの視察に来るかもしれない、とも言ってましたわ。時間があれば、ですが」
「マジか!? くそっ、それならなおのこと早く終わらせねぇと……!」
「……とはいえ聞く限り、それなりに時間は掛かりそうではありますの。なのでわたくしもカイゼル様に付いていきますわ!」
ビシッとポーズを取って言うキャロル。それに二人は動じもせず、
「助かります。正直、私1人だと結構お世話が大変でして……」
「あぁ? ふざけんな、そんなの……あ、いや、キャロルなら別にいいか。他の奴ならともかく」
「おほほほ、というわけでわたくしも観戦致しますわ!」
カイゼルと火炎書士、二人の了承を得たことでキャロルもピクニックシートの上にお邪魔する。空になった弁当箱を避けると、そこで思い出したように、
「そういえば、お腹空かせてないかと思って、魔軍からお食事を拝借してきましたわ。いただきます?」
「おお、気が利くじゃねぇか! ちょうど何か摘みたいと思ってたところだ!」
「もはや完全にピクニックですね」
火炎書士の何とも言えない言葉が響き、丘の上ではちょっとした騒ぎが始まった。
「……何か大きな存在に見られてるな……もしかして魔人かな?」
夜襲を終えて拠点に戻っている最中のロランは、血に塗れた頬を拭いながら遠くの気配を感じ取る。
よく見れば遠く、丘の上が何やら明るいような気がするが、気の所為ではないだろう。
そこに何かがいる。自分ではどうしようも出来ないほどの何かが。
だが、敵意は感じない。ただただ見ているだけのようだ。
「……しばらくは放置するしかないね。何かしてくる気配もないし……一応は監視を置いて、動きがあった時にどうするか考えよう」
と、ロランはその存在を頭の片隅に追いやり、既に次の手の事を考えていた。
その存在が、色んな意味で彼にとっての台風の目になるとは知らずに。
「──アルベルト兄様、久し振り~、さっそくだけど、マネージャーに出来るようないい人材知らない?」
「……いきなりだな、ルイゼル」
夜の森。カラーの里、ペンシルカウ。その離れに作られた屋敷の一室にて、兄と妹は顔を合わせた。
1人は魔人レオンハルトの長男、魔人ケッセルリンクの子供でもある魔人、アルベルト。
もう1人は妹。魔人レオンハルトと魔人ラ・サイゼルの娘であり、兄妹達の中では次女に当たる存在、魔人ルイゼルだ。
鋭い目を向けながらも上座で腕を組み、その筋肉質な身体を微動だにさせず寡黙さを貫く長兄は、明るく騒がしい目立ちたがり屋の妹相手でもそれを崩さない。
だが口元を覆い隠すようなマフラーの下では、僅かに微笑を浮かべており、
「……面倒を掛けたな。オレの代わりに、里を襲う人間を始末してくれただろう?」
「あ~ん、そんなの全然オッケー! アルベルト兄様が管轄してるカラー達を襲うなんて、ルイゼルちゃんにとってもオシオキ確定だから~」
「ふっ、そうか──
「はい、アルベルト様」
気にしなくていいと言う妹の気遣いに短く笑いながら、アルベルトは自分に仕える友人の名を呼ぶ。
すると奥から、二人分の紅茶を入れたカップとそれを乗せたトレイを持って、優しげな目尻が特徴の美しいカラーが現れた。
背中に弓を携え、腰まで届く長い水色の髪を持つカラーは美しく成長した、ルイゼルも面識のある兄の友人である従者であり、
「あ、メリルちゃんお久しぶり~」
「はい、お久しぶりです。ルイゼル様」
柔らかい笑みを浮かべる彼女に、軽い挨拶を送るルイゼル。
だが紅茶をルイゼルの前に置く美しい彼女の、その額の赤い宝石を見るとニヤリとした笑みを浮かべ、彼女が屈んだ瞬間に耳元で囁く。
「あれぇ~? まだ“そういう関係”になってないの~?」
「っ!? ──あっ!」
「おおっと」
瞬間、メリルの頬が赤くなり、その身体を跳ねさせると、手元が狂って紅茶のカップを落としてしまう。
だがそのカップから溢れる紅茶を、即座に凍らせて手で受け止めたルイゼルは、その紅茶をカップに戻しながらイタズラっぽい笑みで、
「ふふふ、気をつけてね~? ルイゼルちゃんの可愛いお顔やすべすべのお肌に傷がついたら大変だから~」
「も、申し訳ありません! とんだ粗相を……! すぐに淹れ直します!」
と、いそいそと紅茶を淹れ直そうと裏に下がっていくメリル。その一連のやり取りを見たアルベルト。そしてルイゼルの横に控えていたユキは、
「……ルイゼル。メリルを誂うな」
「ケケケ、自分が原因なのにあの言い草とか、さすがのユキちゃんもないと思いますよ?」
「うふふ、ごめんなさぁ~い。ルイゼル、ああいういじらしい女の子を見ると我慢できなくて」
と、悪びれもせずに謝ってはみせるルイゼル。アルベルトも軽い息を入れて呆れてしまう。
「まったく……」
「でもでもぉ、アルベルト兄様もあんまり焦らすのは良くないって思うな~?」
「…………いい人材を探してると言ったな?」
「話を流されたわねぇ。でもマネージャー候補の方が大事だし、聞くわ!」
「ぶれねぇっすね」
ユキの短いツッコミの声を無視し、アルベルトに向き直るルイゼル。
アルベルトはその凶器とも言える逞しい腕を頬杖に突き、普段から険しい表情を少し考えるものにすると、
「最近、優秀な防衛隊長が引退した。本人はまだやれそうだったが、後進の育成の為に、と強く希望してな……今は里の離れで隠居している」
「へぇ、優秀なの~?」
「腕は確かだ」
短い言葉だが、アルベルトのその言葉に勝るものはない。
兄妹達の中でも最強の素質を持ち、完璧で、最も父親に近いとさえ言われるアルベルトの言は何よりも信頼出来る。
「アルベルト兄様がそう言うなら、優秀さは保証されたものね! なら早速行ってくるわ!」
「……何をするか大体の予想はつくが……一応言っておく。許可は取れ」
「はぁい。分かったわアルベルト兄様」
──まあ、わたしの誘いを受けないはずがない。とルイゼルは確信しているため、特に気にすること無く頷くルイゼル。
そうしてアルベルトからその者が住む場所を教えられると、一目散にユキを連れてその場所に向かった。
「……っ、夜はやっぱり冷えるわね……こんな日は家の中で毛布に包まって、1人でお鍋に限るわ……」
はふはふ、と1人家の中で贅沢に鍋を楽しむそのカラーはその日、久し振りに家の戸を叩く音に反応してしまった。
「……? こんな時間に誰かしら……はぁ、せっかく人が引きこもってるって言うのに……」
と、立ち上がり、玄関に向かって歩を進め──しかし思い直して踵を返す。
「──無視しましょう。私は職を辞しているのだし、出て行く義務はないわ」
こういう夜分の訪問など、十中八九厄介事に決まっている。
君子危うきに近寄らず、という言葉がJAPANにあるという。その言葉通り、彼女は厄介事の種には近寄らず、再び鍋の置いてある机の前に戻ったのだが、
「──あ、お邪魔してるわ~」
「ザ・不法侵入ーーー!!」
「…………ふぇ?」
思わず普段出さないような声を出してしまう。
夢か何かを見ているのだろうか。気がつけば、机には二人の女性──白いローブのようなものを身に着けた角と羽が生えた愛らしい笑顔の女性と、両腕が金属製のキチガイじみた笑みを浮かべる小さな少女がいた。
そして前者がこちらに向かって言う。鍋の中にお箸を突っ込みながら、
「あなたがミストラルねぇ? ──はむっ」
「……そうだけど……?」
――あ、肉食いやがった。と、ペンシルカウの“元”防衛隊長、ミストラル・カラーは呑気にそう思う。
どこか現実離れした光景に脳が追いついていない。
というか、現実であったとしても別に驚かない。
現職時代に、散々突飛な事態を目の当たりにしてしまったからか、今更この程度では動じないのだ。
特に、自分を一戦士だと言い張る化け物のような強さの部下には苦労させられた。
王にならないのなら、もういっそお前が防衛隊長になれ、と後継に指名してみたが、自分には荷が重い、とふざけた回答で断られてしまい、結局は他のカラーに後を任せたのだが、その子もきっと苦労しているだろう。
とはいえここにいるからには何らかの用件があるのだろう。害意は感じないので極めて落ち着きながらミストラルは対応する。身に纏った毛布を擦りながら、
「ええと……何の用事かしら?」
「決まってるじゃなぁい! あなたを、お・さ・そ・い♪ しに来たのよぉ!」
「……お誘い……?」
と、言われてもちょっとよく分からない。
もしかして“変化の時”でも来たのだろうか。ちょっと天使っぽい見た目だし、自分ならきっと天使になるに決まってるし。
ただ天使が迎えに来るようなものではない気もする。それって普通に死んでるのではないだろうか。
それとも鍋のお誘いだろうか。いや、そもそも自分が開いてるのであって、誘うならこちらの方なのだが。さも当然の如く我が物顔で鍋を占拠してるので、こっちがお誘いを受けた立場だと錯覚しそうになる。
ただまあ、どちらでも構わないかと思い、
「……まぁ、材料は余ってるし、別にいいわよ。食べてく?」
「あら、いいってことね! それじゃあ──」
と、彼女の手がこちらに伸びてくる。その冷んやりとした手が、こちらの頬を撫で、何かが入り込んでくる感覚を得ると、
「わたしの名はルイゼル。世界一のアイドルになる予定の美少女よ! これから、二人三脚で頑張っていきましょうね~?」
「…………は?」
──意味不明、と思ったのもつかの間、
【悲報】苦労人、マネージャーになる
次回はまた戦いか、アベルの方かな? 色々と書く場面があります