大陸中央の戦争から一週間が経過した。
窓から差し込む日差しが室内を明るく照らしている。そこに映るのは書類を手に取り何やら作業をしている三人。そしてその内の一人、金髪灼眼の男が非常に面倒そうな顔で口を開いた。
「……終わんねぇ」
「……今日は珍しく愚痴が多いようですね。こちらの書類は終わりました」
「……ああ」
諌めるようにというよりは、本当に珍しいものを見るようにカミーラの使徒である七星が書類を差し出しながら言う。その愚痴の持ち主であるのはこの部屋の主であり、上司でもある魔人レオンハルト。彼に頼まれて仕事の手伝いに来ていた七星なのだが、いつもと比べて様子が変だ。それも主従揃って――。
そこで七星は反対側の椅子に腰掛けているもう一人の金髪の少女を見た。
「むぅ……あの女……次に会ったら……」
レオンハルトの使徒キャロル。いつも七星に何かと突っかかってくるはた迷惑な使徒なのだが、それも今日は、
……大人しい……いや、別のことで頭がいっぱいといったところでしょうか。
なにやら不満そうにぶつぶつと呟いている様子のキャロル。その口から漏れ聞こえるのは「あの女」という語句が一番多い。
そして、二人の様子と手元の書類。聞こえてくる噂。それらを鑑みてみると、やはり原因は、
「……その」
「……あ?」
「……何ですの?」
七星の次ぐ言葉に、二人の主従は視線をこちらに向けてきた。その表情にはどちらも憂い顔を覗かせている。
これは藪蛇かもしれない、と七星は半ばそう思いながらも結局は言葉を口にした。
「……お聞きしたいのですが……やはりお二人が荒れていらっしゃるのは――レオンハルト様の新しい使徒が原因ですか?」
「……いや、俺は――」
「――その通りですわっっっ!」
その質問に大声を上げて肯定したのは使徒であるキャロルだった。今、主の言葉を思いっきり遮っていたがいいのだろうか。それに気づく余裕もないのだろうか。
キャロルは拳に怒りを込めているのか、ギリギリと震えるほど握りながら、
「わたくしと同じ偉大なるレオンハルト様の使徒になったというのに! 先輩であるこのわたくしに挨拶の一つもないとは! 使徒の風上にも置けませんわ!」
そう力説する。
そしてそんな使徒の様子を補足しようと口を開いたのが、彼女の主であるレオンハルトだ。億劫そうな表情は変わっていないが、
「……こいつは一週間前からこんな感じだから無視していいぞ」
「…………な、なるほど」
「その煮え切らない返事は何ですの七星! 同じ使徒たるものマナーは大事にしなければなりませんわ! あなたもそう思いますわよね!?」
「!? いや、その……」
レオンハルトの言葉に頷いた七星だが、キャロルからの流れ弾を受けた。酷いとばっちりに頭が痛くなる。こうなったら中々収まらないことを七星は知っている。レオンハルトが止めてくれればいいのだが、何故かは知らないが自分と絡んでいる時は滅多な事では止めてくれないため、期待は出来ないだろう。
やはり適当に話を合わせて落ち着かせるしかない。七星は頭を抱えながらも、少し考え、
「……確かにそうなのですが」
「そうでしょう!」
七星は一度言葉を区切って、言いづらそうににしながらも、
「……そういったマナーを大事にしている使徒なんて数えるほどしかいない気がするのですが……」
「………………!」
疑問を呈した。キャロルが目を見開いて、そのまま固まる。言われてみて今気づいた、といった反応だ。
実際七星から見ても他の使徒がマナーを考えているとは考えづらい。魔物界はそもそも年功序列ではなく実力主義である訳だし、今いる使徒はマイペースな者が多い。キャロルも含めて。
むしろそういった礼儀は魔物将軍らが一番良くできているのではないかと思っている。彼らは上司には当然気を使うし、部下にも厳しいながらも配慮している。
「……ぐぬぬ……」
そしてキャロルも程なくしてその結論に達したのだろう。歯噛みするように表情を歪ませ、不意にキッとこちらを睨みつけてきた。
「わたくしを言い負かすなんて……。この借りは高くつきますわよ!」
「えっ」
理不尽な因縁をつけられて困惑する七星に、キャロルはむしろ落ち着いた様子で考えを口にする。
「……よく考えてみればわたくしの後輩ということはわたくしにとっては味方。そして七星の敵であるということですわ。挨拶がないのは頂けませんが、それは後から教育すればいいことですし」
「……なぜそこで私が敵に……」
何故かレオンハルトの使徒は七星にとって敵ということになるらしく、キャロルが得心したという風に首を縦に振る。余計なことをしてしまったような気がするが、忘れよう。キャロルに対しては全部相手にしていたらキリがない。相手にしなさすぎるとそれはそれで面倒になるのだが。
ともかく七星は問題を先送りにして、もう一つの疑問を口にした。
「……それで、レオンハルト様は――」
「俺は単純に仕事が失敗したからな……それの皺寄せに参ってるってのが大きい」
七星の問いに息を入れながら答えるレオンハルト。
それは七星が書類から推察した通りであり、そもそも仕事の手伝いに駆り出された原因でもあった。
七星は頭の中で、書類と魔物将軍らから聞いた情報をまとめる。
……確か戦闘の余波で運んだ資材が殆ど壊れてしまったとお聞きしましたが……
レオンハルトが魔軍を率いて大陸中央の人類国家に戦争を仕掛けたのはつい先日のことであり、その戦争に魔軍は完全勝利を果たした。しかし戦略目標を達成仕切れたとはいえない。
その目的は二つ。その地を領土とした人類国家への制裁。これは問題なく達成出来た。
しかしもう一つの目的。地勢的な要所であるその地に拠点を置くことは失敗した。
その失敗した原因というのが今七星が言ったように戦闘の余波であるらしい。詳細はあまり伝わっていないものの、レオンハルトが敵との戦闘で暴れた結果そうなったという。
それを耳にした時、七星は珍しいと思ったと同時に、他の多くの者達と同じ感想を抱いた。
――恐ろしい、と。
そもそもレオンハルトはただ戦闘に出ても周囲に被害を出すことは少ない。人間との戦争では他の多くの魔人のように暴れまわるようなことはせず、本陣で指示に専念し、自分に挑みに来た人間だけを相手にするのだ。その際も周囲の被害を考えて動く。
そしてそんなレオンハルトが、そこまでの被害を出すということは、それだけレオンハルトが本気になったということだろう。七星はそれを何度か目撃している。七星自身が過去に体感しているし、自らの主であるカミーラとレオンハルトが戯れにやり合った際に何度か。
それを思い出すと背筋が寒くなるが、同時にある事実が浮かび上がってくる。
それは、
……レオンハルト様の相手がそれだけ強かったということ。
そう。レオンハルトは雑魚相手に本気になることはない。普段はむしろ冷めているし、相手に配慮もみせる。レオンハルトは戦う相手を、そして力を見せる相手を選ぶのだ。相手が強くなければ周囲に被害が出るほど暴れはしない。
そしてそれともう一つの情報を七星は思い出す。
先程キャロルも頷いていた――レオンハルトの新しい使徒が出来たという情報。
詳細は不明。未だ姿は見えないし、どんな相手なのかは分からない。分かるのはそれが事実であるらしいこと。そして使徒が出来たのはその事件の直後であったということ。
七星は率直に考え、その予想に達した。
そのレオンハルトと戦った相手こそが――新しい使徒であると。
レオンハルトが使徒にしてもいいと認めるほどの人材。彼の基準は分からないものの生半可な相手を認めるはずもないし、それほどの人材が沢山いるとも思えない。
故に直近の出来事であるそれが絡んでいると七星は思った。
だが、もっとも、
……だからどうという訳でもないのですが。
様子がおかしいので推察してみたが、それが合っていたところで何もない。中々姿を見せないのはどういう訳なんだろう、というくらいだが、他所の魔人と使徒の関係に口を挟むのはお門違いだ。
レオンハルトはその新しい使徒のことを殆ど誰にも話していないと聞いて、何気なく話題に上げてみたものの特に否定もしていないことから別段含むところはないのだろう。
故に七星は頭を切り替えて、レオンハルトの話に耳を傾ける。
すると、
「まぁ、後は……使徒を作って帰ってきてからか。最近、スラルの機嫌が微妙でな」
別の部分から使徒の話だけでなく、思わぬところに話が繋がった。
……魔王様が?
思わぬ大物の話だ。使徒の話ならともかく、魔王の話など一使徒でしかない七星には荷が重い。だが、相槌くらいは返さねばと口を開く。
「魔王様の機嫌が……?」
「ああ、これが終わったらこの後もちょっとご機嫌取りに行く予定でな……」
そう言ってレオンハルトは溜息をついた。
レオンハルトは仕事を終えていつもの様に魔王スラルの私室に来ていた。
殆ど日課となっているその訪問に、しかしスラルは、
「……ふーん、来たんだ」
部屋に入ってきたレオンハルトを椅子に腰掛けたまま横目で見てそう呟く。その態度に歓迎されていないのかとレオンハルトが頭を掻く。
「あー……出直した方がいいか?」
と半ば踵を返しながら言うと、
「……居たら駄目とは言ってない」
視線を逸しながらこちらを引き止めてくる。しかしそう言いながらも素っ気ない態度は崩れない。なのでレオンハルトとしても悩むところだが、暫し間をおいて扉から手を離す。
「……そうか」
頷いていつもの定位置であるソファーに座る。
いつもならここでスラルも作業を止めてソファーに移動してくるのだが、今日は違うようで、
「…………」
机に座ったまま、作業というか何か調べ物を続ける。
スラルはその日の殆どを、酷い時は一日中部屋に引きこもっている。やることは様々だが、基本的には調べ物をしていたり、本を書いていたり、何やらよく解らない実験をしている。
今は何をしているのだろうか、とレオンハルトが机の上に目を向けると、見覚えのある物が見えた。
なのでそこから会話を繋げようと口を開く。
「……その黄金像、気にいったのか?」
そう。スラルが今調べているのは、以前レオンハルトがキャロルとの迷宮探索で見つけた黄金像だ。あの後、スラルにプレゼントしたのはいいのだが、変な形なので微妙そうな顔を浮かべていたのを憶えている。
しかし今はその黄金像を真剣に調べているのでどうしたのかと思ったのだが、
「……き、気にいってないけど」
とそっぽを向いた。レオンハルトは前言を撤回する。よく見たら全然真剣じゃない。
よくよく視界を凝らして観察していると、さっきから上の空でこちらをチラチラと見たり、文字を書いてるようで手を適当に動かしているだけだったり、調べ物をしている振りをしてることが分かる。
「…………」
レオンハルトはそのスラルの態度を見て、呆れたように息を吐く。
……いい加減、鬱陶しいな……。
この態度がずっと続くのも面倒だ。今日はマシな方だが、ここ最近は部屋にいる間ずっと返事を返さなかったり、不機嫌だったりする。
なのでその腹立たしさを解消するため、レオンハルトは最近覚えた技術を使ってイタズラを実行することにした。
「…………!」
スラルがこちらをちらっと見た後、顔を引き戻しこっちを見ていないタイミングでスラルの背後まで一瞬で移動する。
レオンハルトがハンティとの戦いで覚えた体捌きだ。力に無駄がなく、音もなく背後に移動したレオンハルトはスラルの脇腹に両手を伸ばし、
「――くらえっ!」
「えっ――きゃあっ!? あっ、ちょっ、あははははっ!」
いきなり背後から襲ってきたレオンハルトにびっくりしたのか、ビクリと身体を跳ねさせ硬直した一瞬を見逃さずスラルの脇腹をこちょこちょとくすぐる。
「あっ、あはっ、ちょ、レオ、ンっ、ハルト……!」
すると面白いくらい簡単に笑いはじめたが、同時に椅子から立ち上がり身体を逃がそうと抵抗を試みている。それを見てレオンハルトはすかさず行動した。
……はっ、そうはさせるか!
レオンハルトはスラルの脇腹をくすぐりながらも一瞬だけ掴み、そのまま足を動かしてスラルを抱えるようにしながら一瞬でベッドの脇に移動し、そこにスラルを背中から抑えつけた。
「あはははっ! くっ、ふふ、ち、ちょっと、なっ、何で、こっ、んっ、なことするの!」
「お前がよくわかんねぇ態度ばっか取るからだよ!!」
「あっ! や、やめ……あっ、んんんっ! く、くすぐったい……!」
ベッドの上で完全に抑えつけられながら悶えるスラルを容赦なく、くすぐっていく。抑え込むコツは肉体の可動域である関節を固めることだ。
だが、さすがは魔王と言うべきかくすぐられて固められたこの状態でも逃げられそうになるのは肉体の性能が根本的に違うからだろう。力は出せない筈なのだが、少しでも身体を緩めれば危ない。
「あふっ……くぅ……」
それに反応が少し悪くなったのをレオンハルトは感じる。最初はあれだけ笑っていたのに今は声を漏らすだけで、そこまで笑ってはいない。
なら、とレオンハルトはアプローチを変えることにした。
「随分と我慢強いみたいだが、こっちはどうだ?」
「えっ……あっ――」
そこに触れた瞬間、スラルの反応が一変した。
レオンハルトはその反応に口端を上げる中、スラルが顔を青ざめさせた次の瞬間、
「あはははははははははっっ! あっ、だっ駄目! わ、脇はやめっ! あはっ、あはははははははははっ――」
これまで以上にスラルが笑い転げた。
首を振り回し、涙目で声を上げて笑うスラルの反応に満足するレオンハルト。
だが手を休ませはしない。身体を暴れさせるスラルを必死で抑えつけながら脇に伸ばした手でくすぐりを続ける。
「おらおら、どうした! そんなに脇がいいのか!?」
「や、やめっ、脇は……あっ、は、あははははははははは!」
「よく聞こえんなぁ! 脇がいいって言ったのか?」
「ちがっ、あふっ……んんっ! あ、あれ……んんっ、ちょ、や、やめ……」
「はははっ、俺の溜まった鬱憤を晴らしてやる!」
「あんっ、くっ、わか、わかったから……ほんとに、やっ、やめ、何か変……んんっっ!」
「ああ?」
それでもくすぐりを続けるレオンハルトだったが、スラルの反応がだんだんとおかしくなってきたのを見て眉をひそめる。
……んん? くすぐりすぎておかしくなっちまったか?
先程までただ笑っているだけだったのに、今は違った様子を見せている。
言葉にするのは難しいが、顔は赤らみ、その声には何やら別の感覚に耐えているような色が見受けられる。
「あっ、やっ、これっ……だ、駄目っ。これ、駄目なっ、んっ、やつぅ……!」
「…………」
レオンハルトはその感じに見覚えがあった。
……まさか、そういうアレか?
いや、でもただのくすぐりだぞ? とレオンハルトは頭を振るが、スラルの様子はそういうアレに見えてしょうがない。一度意識した所為もあるだろうし、ベッドの上というのもある。壁や床は固いし良くないと思ってベッドにしたのが裏目に出てしまった。
やはり、もうこれは、
「っ……レオンっ、ハルトぉ……」
……駄目なやつだ……!
甘い声で名前を呼んでくるスラルに、レオンハルトは急にいたたまれない気持ちになった。
そして、少し考えた後、そっと手を離した。
「あっ……」
スラルが声を漏らす。これが安堵の声なのか、残念の声なのかレオンハルトには判断がつかない。バツが悪くなり頭を掻くと、どちらであっても問題ないように、
「あ、あー……わ、悪いな。やりすぎた」
「んっ……はぁ……」
と謝っておいた。
スラルはその謝罪を聞いていたのだろうが、息を整えながら未だベッドから起き上がらないのでこれも判断出来ない。どちらであっても良いようにスラルが落ち着くまで声を出すのは控える。
暫しの静寂、スラルの息遣いだけが部屋に響き、落ち着かない時間を過ごすレオンハルト。しかしややあって、スラルがようやく息を整えたのか、しかしベッドに倒れたまま、
「……レオンハルト」
「……な、なんだ?」
何を言われるのか、緊張の面持ちで待ち構える。
だがスラルは何やら慌てた様な声色になると、
「……ちょ、ちょっと、部屋からで、出てくれない?」
「? ……ああ、わかった。悪かったな」
「い、いいから……私も最近は態度悪かったし……そ、それより早く出てって」
「お、おう……それじゃあな」
ベッドから起き上がらないスラルと、そのままの状態でやり取りを交わす。レオンハルトはその様子をおかしくは思ったものの、それを推察しないように努めながらそっと部屋から出ていく。
「…………」
部屋の外に出ると、自分の右手とスラルの部屋を交互に訝しげな表情で見て呟く。
「……これは、俺がアレなのかスラルがアレなのか……。どっちだ……?」
そして結局、スラルが何故不機嫌だったのかは分からないままだった。
内容がないように見えて、地味に必要な話
おそらく次回かその次かでSS300年は終わります