ルドラサウム大陸東部。
魔軍の本拠地が近いその場所は近寄りがたい地域として知られていた。
その原因たる魔王城。多くの魔物、使徒、魔人、そして魔王が住まうその城が一望できる小高い丘に一つの影があった。
黒いレオタードの様なボディスーツを着た女性の影だ。
「――あれが、魔王城……」
そのフォルムは人間のもの。しかし長い耳と額の赤いクリスタル、そして種族特徴にない長い黒髪が女性の特異さを際立たせている。
事実――彼女は人間ではない。
それは以前からでもあるし、現在でもそうだ。
しかし、既に立派な人外の身であったとしても少々身が固くなるのは避けられない、と女性は思う。
「気は乗らないけど……」
それはここに来るまでに何度も思った。幾ら主となった者の命令であったとしても魔軍の本拠地である魔王城を訪れるのは気乗りしない。未だ感覚は人間――ではなくとも、敵であるという意識が抜けきれてないからだ。
……このままバックレたら駄目――だよね……。
そう自問自答してみるも結局、答えは「行く」一択。そうなる理由は唯一と言っていい主の命令であるからか、それとも女性の性根の問題か、はたまた両方か。さすがに「行かない」というのは不義理だと考えてしまうのである。
彼女は魔王城をもう一度、見やる。そして一息。
「――よし」
最後に呼吸を行い、覚悟を決めると女性は身を宙に躍らせた。
次の瞬間。突然かき消えてしまった様に、女性はその場にはいなかった。
とある一室がある。魔王城二階、特に魔軍の実行部隊の幹部である魔物将軍や魔物隊長が出入りするフロアだ。
そこにある一室。長方形の部屋の中には同じく長方形の長いテーブルに、何脚もの椅子が置かれている。そこにいるのは何体もの大きく丸い影に、二人の人影。
会議室。そう呼ばれている部屋には横側に魔物将軍らがずらりと居並び、目の前に置かれた書類を時折眺めながら、一人に視線を送る。
その視線の先は唯一の上座。長方形のテーブルの短い辺の一角を占拠するように腰掛けている人影。
しかし彼は人ではない。元が人であった面影は残っており、事実として容姿は人間のそれ。
だが、魔物将軍を遥かに超えるその存在感がそれを否定する。
金髪の美丈夫、男性として整った美貌を持つ彼だが、その鋭い紅い双眸から放たれる視線に、未だ慣れていない数体の魔物将軍はその巨体を縮こまらせる。
魔物としても高い実力をもつ魔物将軍が畏怖する存在。それは――魔人に他ならない。
その魔人が側にいるもう一人の人影に声を掛ける。それは魔人と同じく金髪の女性だが、その彼女も人間ではない。魔人の忠実な下僕である使徒である。
「――キャロル」
「畏まりましたわ、レオンハルト様。――それでは皆様、次の書類を。次は南方方面軍、第七軍からの要請書類ですわ。担当の魔物将軍は?」
「はっ、私です」
魔人四天王、この場では魔軍参謀としての任に就く魔人レオンハルト。その使徒であるキャロルの声を受けて一体の魔物将軍が挙手と共に声を上げた。
魔物将軍は上座に腕を組んで座る魔人レオンハルトに顔を向けて、説明の為に口を開いた。
「先日、この地で抵抗を続ける人間の軍、並びに都市の制圧に成功。現在略奪を行っているとの報告が来たのですが……戦闘での被害が甚大であった為、物資を一度に運ぶことが難しいとの事。なので追加の部隊を送ってほしいとの事であります」
言い切り、返答を待つ。その時だ。
ほんの些細な事であるが、レオンハルトが一瞬、眉を顰めた。そして視線を逸し、ややあって、
「……悪いんだが、席を外すぞ」
「えっ?」
その言葉に魔物将軍が呆気にとられてしまう。他の魔人ならいざしらず、職務に真面目な事で知られるレオンハルトが途中退席することなど滅多にないことだ。
今の議題に何か問題でもあったのだろうか、それを言葉に出す前にレオンハルトが席を立ちながら、
「用事が出来た。結果は俺も後で確認するから会議はお前達で進めてくれ。……行くぞ、キャロル」
「? ……はい! 畏まりましたわ!」
そう言ってレオンハルトはキャロルを連れ立って部屋を出ていってしまった。キャロルもその行動に疑問を抱いたようだが、主の命令を優先したのだろう。直ぐ様ついて行ってしまった。
「……はっ、了解しました。お疲れ様です」
そんな中、レオンハルトの側近である魔物将軍が了承、そして頭を下げると、呆気にとられて固まっていた魔物将軍らもちょっとずつ我に返り口々に「お疲れ様です!」と声を掛ける。レオンハルトとの付き合いが長い個体ほど、早くに正気に戻っている気がした。
部屋からレオンハルトとキャロルが出ていくと、一瞬の間を置いてとある魔物将軍がその場を纏めようと口を開く。
「……では、続けるか。議長は私がやろう。えー、先程の要請だが――」
言葉を発したのはレオンハルトの側近であり、付き合いが一番長い魔物将軍だ。彼は何事もなかったかのように議長を引き受け、流れるように会議を引き継ぐ。
それに戸惑ったのは先程、要請を出した魔物将軍だ。
「え……?」
魔物将軍はそのまま普通に会議が始まった事に困惑する。何故そんなに動じていないのか。もしかして自分がよく知らないだけで、レオンハルトが途中退席するのはよくある事なのだろうか。
そんな疑問に包まれた魔物将軍を隣りにいた魔物将軍が小声で、
「……気持ちはわかるが会議に集中しろ」
「! あ、ああ……済まない」
諌められて意識をその場に戻す。注意してくれた魔物将軍に謝意を示そうとちらりと視線をよこすと、更に続けて、
「……レオンハルト様がああ言うって事はきっと余程の用事があったのだろうさ」
「…………な、なるほど」
と、おそらくこの場の魔物将軍らの気持ちを代弁して教えてくれた。
レオンハルトの事を良く知る者達が多いこの場の魔物将軍らは、レオンハルトの事を信頼している。故にそう考えて即座に命令に従った。彼が会議を退席する程の事であるならそれは仕方のないことであるのだ、と。
そもそも会議に絶対出なければいけないということもないのだ。後で確認すればそれで済む話である。事実、レオンハルトはそうするとも言っていたし、きっと確認をして問題があればその場で修正するだろう。
故に魔物将軍らが今やるべきなのは後でレオンハルトの手を煩わせないように会議に集中すること。
戸惑っていた魔物将軍達もレオンハルト麾下の魔物将軍らに引っ張られ、その会議は順調に進行していった。
魔物将軍らが会議を続ける中、当のレオンハルトは――
「よし、よく来たなハンティ! 早速やるぞ! どこでやる!? ……もうここでもいいか! よしやるぞ!」
「い、いきなり!?」
部屋にやって来た自らの使徒を迎えて、戦いを迫っていた。
そう、レオンハルトを訪ねてやって来たのは、一ヶ月前、例の戦争、そしてとある村で死闘を繰り広げたドラゴンカラーの女性であるハンティ・カラー。
レオンハルトの二人目の使徒である彼女だった。
「あーもう! ちょっと待ちなって!」
「ああ?」
がっついてくるレオンハルトを押しのけるようにハンティが叫ぶ。
そのあまりにも高いテンションにハンティは戸惑っていた。今日が約束の一ヶ月であるのはそうだが、まずは色々と言いたいことがある。
そもそも再会からして、
「……というかアンタさ。何であたしが窓の外にいるってわかったの? 窓でも叩いて気づいてもらおうかと思ってたのに」
「ああ、それか」
レオンハルトがあっさりと言う。
「ここ数日、そろそろ一ヶ月ってことで研ぎ澄ましてたからな。お前の気配っていうか、血か? 使徒だからか近くにいるなって予感を感じて、気配を探っていったんだが……案の定だったな」
「……もう、アンタの化け物っぷりにはツッコまない方が良さそうだね」
そう言ってニヤリと笑うレオンハルトにハンティが諦めたように息を吐く。堂々と中に入るのもアレなので、瞬間移動を駆使しながらどうにかレオンハルトを探していたのだが、まさか彼の方から気配を察知されるとは思ってもいなかった。
こんな事で勝てるのだろうか、と思う。いや、勝てる気はしないが、戦う以上は勝つ気でやらなくてはという気持ちの問題なのだが。
そんな時だ。もう一人から声を掛けられたのは。
「――ちょっとあなた!!」
「へ?」
不意にレオンハルトの後ろに控えていた少女が声を上げる。
それはハンティにとっても見覚えのある金髪ツインテールであり、思い出したような表情で声を出す。
「あー、この間の。やっぱり使徒だったんだ」
「そうですわ! わたくしはレオンハルト様の第一使徒にして完璧使徒! そしてあなたにとって先輩使徒であるキャロルですのよ!」
「使徒強調しすぎだろ……」
レオンハルトがキャロルの主張がやたら激しい自己紹介に呆れながら小声で言う。だが、それに反応せずキャロルがハンティの目の前までやってくる。
そしてビシッとハンティを指を指して続けた。
「あなたに言いたいことがあります!」
「え、あたしに?」
ハンティが指を指されて目を丸くする。何やら憤慨した様子のキャロルだが、自分が何かしたのだろうか、と頭に疑問符を浮かべる中、キャロルが更に続けて、
「――同じ使徒として、先輩であるわたくしに挨拶の一つもないのは失礼ですわ!」
と、大声でハンティのマナーを指摘した。
「……し、失礼?」
「そうですわ! 同じレオンハルト様の使徒たるものとして挨拶は大事でしてよ! そんなんじゃ魔物社会で苦労してしまいます!」
その言葉にハンティがレオンハルトに視線を移す。小声で、
「……魔物社会って礼儀に厳しいの?」
「いや、まぁ……自分より上位の奴にはそれなりの態度で接するが……礼儀やマナーに厳しい訳じゃないな……多分気にしてるのはキャロルくらいだ」
質問に同じ様に小声で返すレオンハルト。ひそひそと話をする二人が見えていないのか、キャロルはそれに構わず表情とポーズを変化させた。腕を組んで表情を和らげると、ハンティに向かって胸を張る。
「……ですが、魔物社会初心者に最初から完璧を求めるほどわたくしは厳しくありません。わたくしは超優しいので今挨拶すれば許して差し上げますわ」
そう言って、ふふん、と自慢気に笑うキャロル。それを見てハンティは、
……えっと、とりあえず挨拶しろってこと?
よくわからないが、そうしなければ話が進まない気がする。それに確かに同じ使徒ならこれからもよく関わることになるだろう。何となくだが悪いやつじゃなさそうだし。
そう考え、ハンティはその催促に従って礼をする。
「……よろしくお願いね。えー、キャロル先輩?」
「!」
ちょっと戯けながら、挨拶する。すると目を見開かせて、何やらトリップしたように頬に手を当て、
「せ、先輩……! このわたくしがとうとう先輩……! いい響きで――ハッ!?」
「…………」
「…………」
と声を震わせて何やら喜ぶ。そんなに先輩と言われた事が嬉しいのだろうか。
ハンティやレオンハルトが半目でそれを見ていることに気づいたのか。誤魔化すように咳払いをしながら、
「んんっ! よ、呼び捨てで構いませんわ。同じ使徒仲間ですので。……気を取り直して、と。これからよろしくお願いしますわ! 一緒に七星を倒して完璧使徒の座を手にしますわよ!」
「七星……? ……うーん、まぁ、とにかくよろしくねキャロル」
「……一応言っとくが七星は敵じゃないからな」
レオンハルトがそう注意するも、既にキャロルは打倒七星を掲げてハンティを巻き込もうとしていた。
「それじゃ、早速やり合うか」
「いや、だから……もうちょっと、こう、他にあるでしょ」
キャロルとの使徒同士の挨拶を終えて開口一番、そう口にしたレオンハルトに再びハンティがつっこむ。
……相変わらず戦闘狂というか。
どれだけ自分と戦いたいのか。いや、それが目的で使徒にしたとはいえこうもがっつかれるとハンティとしても呆れざるを得ない。一応自分の使徒との一ヶ月振りの再会なら普通はもっと近況を聞いたりするものじゃないのだろうか。普通の魔人と使徒の関係を知らない自分が言うのもなんだが。
それに自分としても使徒になって色々と困ったことというか、言いたいことはある。そんな思いから聞いた言葉に、レオンハルトは、
「別にない――あ、いや、あるな」
「あっ、あるんだ」
それに否定の言葉を返そうとしていたレオンハルトだったが、言い掛けて思い出したように逆の言葉を紡いだ。
それにちょっとだけ安心するハンティ。さすがに会ってすぐやり合いましょう、は何とも言えない気分になる。
だが、その後に告げられた用事に、ハンティは絶句することになった。
「スラル――魔王がお前と会いたいって言ってたが」
「…………は?」
思わぬ名前が聞こえてハンティが眉根を寄せて疑問の声を出す。
魔王。魔軍の――魔物の親玉である大陸の支配者。
その存在が自分に会いたいと言っている。
ハンティは頭を抱えた。
……えぇ……いや、魔王って……いや、そりゃ当然いるだろうけど……。
ハンティがいるのは魔王城。そして自分は既に使徒。加えて主は魔人の中でも上位の魔人四天王と魔軍参謀という役職に就いている。レオンハルトと魔王は当然会ったことあるだろうし、よく関わる相手なのだろう。
だが、魔王と会うというのは結構キツいものがある。いや、使徒なのだから二重の意味で断れないのだが、軽い気持ちでが他に何かないのか、と聞いたら魔王が出てくるというのは嫌でも自分の今いる立場を思い出させてくれる。
ハンティはげんなりしつつも、レオンハルトに尋ねる。
「……それって絶対会わないと駄目――だよね……」
「……ま、そうだな。それもそうだし、お前の危惧は何となくわかるんだが――」
レオンハルトはハンティの様子を見て、ああ、とその不安の理由を推察したのか言葉を掛ける。
一度、吐息をついて苦笑すると、
「魔王スラルは――お前が考えているような恐ろしい存在じゃないからな」
「…………」
ハンティの不安を払拭するようにそれを否定してみせた。
そのレオンハルトの言葉に深い信頼のような何かが見て取れる。まだ二回しか接していないハンティですらそれがわかった。
そして更には横にいたキャロルが胸に手を当てて、
「スラル様はお優しい方ですから大丈夫ですわ! この間もわたくしにおすすめと言って、本を貸してくれましたのよ!」
「……全然想像付かないんだけど」
使徒であるキャロルですら全く心配していない様子だ。
ハンティとしては魔物の親玉ということで、化け物のようなイメージしか湧かないのだが。貸してくれた本と聞いても読んだだけで寄生されるような魔本なんじゃないかと想像するくらいには魔王という存在に対するイメージは悪い。
だが、こうも二人が念を押すように言ってくるってことは少なくとも魔人や使徒には優しいのだろうか。あまり会いたくはなかったが、全く興味がない訳ではない。
何せ魔王スラルという存在は謎に包まれている。何処かの戦場で出てきたという話も聞かないし、それどころか魔王についての話は全く伝わってこない。噂も殆どなく、あっても魔王というイメージに沿うものしか聞かない。
本当は一体どんな人物なのか、ハンティが魔王のイメージについて思案していると、
「それじゃどっちから済ませる?」
「――へ?」
不意にレオンハルトがそんな事を聞いてくる。間の抜けた声を上げてしまったハンティにレオンハルトは指を二本立てて、
「俺とやり合うのが先か、魔王と会うのが先か。……俺としては先にやり合うのをお勧めするが」
「……うわぁ」
レオンハルトが不敵な笑みを見せてそう言う。その選択をハンティに委ねてはいるが、身体から立ち昇るオーラが戦意と一緒に漏れ出していた。明らかに、先にやろうぜ、と言外にも言っているようだ。
そしてその言葉に、正直に嫌そうな声を出してしまうハンティ。
やっぱり来なければ良かったかもしれない、そう思いながらも結局どちらもこなすことは避けられない。先を選ぶだけで後にしたら無くなる訳じゃない。
……あーもう! やってやろうじゃない!
ハンティは一度溜息を吐くと、覚悟を決めた。半ばやけくそ気味な気がするが、それでもここまで来たのだから四の五の言ってられない。
ハンティはその選択を告げた。
「……それじゃ先に――」
「…………はっ」
その選択にレオンハルトは笑みで答えた。