「――貴方は魔人になったのよ」
「…………」
俺はのっけから衝撃的な事実を突きつけられていた。
だが、ここに来るまで――メガラスに運ばれて魔軍の陣地に来るまでに殆ど確信していたことではあった。
身体中に力が漲っている。戦士である俺は以前の人間の身体と今の身体のスペックの差をある程度理解していた。視覚や聴覚は鋭敏に、筋力は格段に増し、更には魔法すら使える気がした。
見た目こそ大きく変わらないものの、生物として明らかに引き上げられている。
まぁ、変わった部分もあるのだが。
「それにしても魔人になったら容姿が多少変化するとは聞いていたけど……服装まで変わるのね」
「……そうみたいだな」
スラルが俺の容姿をしげしげと眺めながら興味深そうに言う。
俺の容姿の変化……肉体的な変化は青かった瞳が赤に変わった事くらいだが、服装は以前着ていた白い布製の服ではなく、やたらと黒っぽくなっていた。
前世でいうところの黒のシャツにズボン、靴。それに黒のコートで前を止めた格好をしている。
「ま、格好いいし、問題ないわね」
「…………あ、ああ」
いや、かっこ悪いとまでは俺も言わんが……何だこれは魔王の趣味か?
アニメとかRPGの敵キャラってこういう黒を基調にした格好しがちだよな、とかそういう感想を抱いてしまう。
そういや魔人になった時にやたら変な格好をさせられたメインキャラがいたような……誰だっけか。
……思い出せないしいいか。それよりも今の方が大切だ。聞きたい事は山ほどある。
「それで、何で俺を魔人にした?」
俺の疑問にスラルは首を傾げる。
「……? 貴方が良いって言ったから――」
「いや、そうじゃねぇ! 確かに頷いたけどな!」
それにあの時は、ほとんど瀕死の状態で何が何だかわからない状態であったことに対して少し苦言を呈したい。……いや、ちゃんと聞いてなかった俺も悪いんだろうが、意識は朦朧としていたし、あんな事になるなんて想像出来ないだろ。
俺は心を落ち着けて再度質問をぶつける。
「わざわざ何で俺を魔人にしようと思ったんだ?」
「……貴方の評判を聞いたのよ」
「俺の評判?」
「そう。数多の魔物兵、魔物隊長、魔物将軍を剣一本で単身斬り捨て、魔軍を何度も撃退した人類最強の化け物である剣の王――レオンハルト。貴方の事をね」
……随分と過大な評判をされてるんだな。さすがに人類最強は言い過ぎだろう。
化け物扱いされてるのは間違ってないが。
そして俺は得心する。
「なるほどな。俺を魔軍に引き入れれば集落は簡単に落ちるだろうし、戦力の増強にもなるって考えたのか」
「……そう、ね。そういうことよ」
……? 何だか歯切れが悪いな。間違ってたか?
「言っておくけど抵抗したって無駄よ。魔王は魔人に対して絶対命令権を持つ。私の命令には逆らえないわ」
「……ふん、わざわざ忠告ありがとよ」
知識の上では知っていたが改めて言われると、いや……改めて体験するとやはり全然違うな。
おそらく魔人になった所為だろう、目の前のスラルに対して俺は本能で従うべき存在だと膝を突くべきだと訴えている。
スラルは容姿だけを見ると小柄な少女にしか見えないが、その身体には圧倒的な力があることが分かる。魔人になった俺や先程戦ったメガラスと比べて途方もない強さであることが身にしみて理解出来るのだ。
……だが、どうしてか。彼女は強大な魔王の印象とは全く逆の――非常に弱々しい印象を感じる。
それは見た目が少女だからなのか……それとも――
「……それで、どうするの? 私に忠誠を誓う?」
「――! ん、ああ……」
思考はスラルの問いかけによって中断させられる。さて、そうだな。
俺は改めて考えてみる。現在の俺はもう魔人。人間ではない。人間の時から化け物扱いされていたが、本当に正真正銘の化け物になってしまったという訳だ。
……集落に戻る、という選択肢は選べないだろう。背後にはメガラスが控えている。魔人になった今の俺ならという気持ちが湧き上がってくるのは魔人化の影響だろうか。アイツを斬ってみたいという欲が脳裏によぎる。
だが、メガラスをどうにかする。どうにか出来たとしても目の前の魔王をどうすることも出来ない以上は無理だ。
仮にその問題が無くなったとしても魔人となった俺を集落の奴らは受け入れてくれるのか?
集落の民は元々俺の事を避けていた。今度はもっと酷くなるだろう。
上辺だけでも俺の事を慕う女中も魔人になった俺には距離を置こうとするかもしれない。
兵達は俺を見てどう思うだろう。魔人になって更に強くなったからといって尊敬されることはないだろう。そこに湧き出る感情はおそらく恐怖であり、以前のように俺を慕ってくれるとは到底思えない。
なら、大人しく魔軍に――魔王の配下になるか?
この状況はそうせざるを得ないのだろうし、この魔王、スラルに仕えるのも別に忌避感はない。問題はその後、そうなったとして俺が取るべき行動は何だ?
……普通に考えれば、人間への攻勢に参加を求められる。
俺の手で、俺の集落を、隣人を殺す。その選択を選ぶのか? 否、選べるのか?
…………出来る、筈だ。俺はあいつらに、兵達は別にしても腫れ物扱いを受けてきたんだぞ。
幼少の頃はそうでもなかった。普通に年が近い子供達と遊んで、他愛もない話をしていたんだ。精神が普通の子供よりも成熟していたが、それでも童心に帰って無邪気に行動するのは嫌いではなかった。
大人達からは頭が良いこと、訓練に熱心だったことで期待されていたものだ。もしかしたら将来は王になるかもな、そんな冗談を聞かされて。
だが、それから数年が経ち俺が戦場に出始めた頃、周りの反応が変わった。
その日も、魔物隊長を何体か仕留めることが出来た。魔物兵も沢山斬った。魔物を沢山仕留める程大人や集落の人間は喜んでくれるからだ。だが、集落に戻った俺に待っていたのは遠巻きに俺を見る人々の視線だった。
皆、何かをひそひそと話している。何だろうと近づいて見れば離れていく。仲の良い友人も歯切れの悪い言葉を返し、話を適当に切り上げて去っていく。
一年後、俺は王になっていた。
前王が死に、集落で一番の戦士になっていた俺は長老達に満場一致で次の王に選ばれたという。
だが、俺の周りには誰もいなかった。
戦場で魔物と戦っている間と、女中と遊んでいる間だけが俺をその苦悩から開放した。兵達は戦場では俺を尊敬し、付いてくる。女中はより良い生活を求めて、自ら俺に媚びて誘ってくる。
それは俺に近づくことで利があるからだ。それは俺も否定しないし、非難することもない。
だが、俺の周りにはそれしかいなかった。
いつしか俺は何のために戦っているのかを苦悩することになった。
この世界の事を知っていたのも仇となった。魔王や魔人が率いる魔軍に、人類が勝てると思うほど俺は楽観的に思えなかった。
いずれ自分は死ぬ。しかし、俺は何のために死ぬのだ?
俺には愛する友も友人も恋人も家族もいない。敢えていうなら戦友である兵達だけ。
そこに俺の利はない。仲間意識も故郷を思う心ももう無くなった筈だ。
――それならば、何故俺はこんなに悩んでいる?
人間を、集落の人々を殺すことを躊躇う必要はないだろう?
それに俺はこの状況を望んでいた筈だ。人間という種からの脱却。魔王や魔人にいつ殺されるかわからないこの世界の人間に生まれた事による怒りと悲しみからの解放。
奪われる者から奪う者へと生まれ変わったのだ。
なら何も悩む必要はない。この世界の理に則り、強大な力を持つ魔人として脆弱極まりない人間を苦しめればいい。
――長い長い思考の末、俺はとうとう答えを得た。意思を持って眼前にいる魔王スラルを見つめる。
そして、膝を着いて恭しく臣下の礼を取った。
「――――魔王スラルに、忠誠を誓います」
「……ん、わかったわ」
スラルは表情は固いまま、一応の納得を見せた。
だが、俺は言葉を更に続ける。
「ですが、一つだけお願いがあります」
「……? まぁ、いいけど。言ってみて」
「はい、それは――」
一息で、俺はその提案を突きつけた。
「――俺の集落から手を引いてください」
「――――!」
スラルが言葉を失い、その紅い瞳が驚愕で見開かれた。
「……………………」
背後にいるメガラスも何かの感情を持って見ているようだった。
少しの合間、実際には二秒足らずの時間。スラルは表情を取り戻して疑問を口にした。
「……どうして? 貴方はあの集落で、その……化け物扱いされてきたんでしょ? ならそんなお願いする理由は――」
「ないですね。仰る通りで」
「意味がわからない……」
スラルは少し困惑したように小さく否定する。
そんな少女の姿を見つめながら俺は口を開いた。
「別に大した理由はない、ただの気まぐれですよ。……ほんの少し、見捨てるのもどうかと思っただけで」
だから、と俺は頭を下げる。
「お願いします魔王様」
「…………」
スラルはそんな俺の姿をじっと見つめていたが、やがて俺から視線を切って、
「……分かったわ。貴方の集落から魔軍は撤退させる。これから先、襲う事もしない。……それでいい?」
「っ! ありがとうございます!」
俺は再び、いや何度も頭を下げた。
スラルが困ったように視線を戸惑わせる。
「そ、そんなに感謝しないでよ……私もただの気まぐれだし。ちょっと席を外すわ」
「あ、ああ……本当にありがとう」
少し小走りで逃げるようにその場から離れるスラルに俺は感謝し続けた。
先程いた所から離れた場所で、スラルは独り言を宙に乗せる。
「気まぐれなら……なんでそんなに必死なのよ、もう……」
その言葉は自分でも驚くほど、喜色の感情を含んでいた。
それから数日後、剣の王レオンハルトがいなくなって浮き足立つ集落に一つの報が伝わる。
――魔軍の撤退。
それも今集落の近くにある魔軍の拠点を引き払い、後方に大きく下がるこの地域からの完全なる撤退だ。
それは終戦を意味しており、その事に集落の人々は大いに沸き、数日に渡る宴会が開かれたという。
――一人の王の存在を無かったことにして。