ある日のこと。
レオンハルトは自分の部屋で書類を整理していた。そんな時だ。
「――レオンハルト様!」
「……キャロルか、どうした?」
いつもの様に使徒のキャロルが大声で名前を呼んでくる。最初はちょっとうるさい気もしたが、慣れてからはそこまで気にならなくなった。書類に目を通しながら返事を返す。
するとキャロルは、そのままの勢いで、
「――酒宴を開きましょう!!」
「…………」
とそんな事を提案してきた。
何ともまた突拍子もない提案に書類をこなすレオンハルトの手が止まり、暫しの間無言になる。しかしそれを噛み砕いて頭に落とし込むと、ややあって落ち着いた口調で、
「……いきなりだな。一応聞くが、理由は?」
「はい! 士気を上げるためですわ!」
「…………」
キャロルが堂々と迷いなく理由を口にする。その発言にレオンハルトの眉がぴくりと動いた。
故に先を促す。
「……続けろ」
「はい! 近頃、仕事が忙しくて魔物兵や一部の魔物隊長や魔物将軍の鬱憤が溜まってるみたいですの! 略奪も満足に行えてないとボヤいていましたし、ここらでその不満を解消しておかないと、次の戦いに支障をきたす可能性がありますわ!」
「……それで、酒、か」
「そうですの! お酒はレオンハルト様が仰る『ガス抜き』にぴったりですし、適当に飲み食いしてバカ騒ぎさせてればある程度不満は解消されますの! なのでまさにうってつけですわ!」
「…………」
レオンハルトはキャロルの説明を吟味する。思い返すのは、
……確かに、最近は大きな戦いもなく、小競り合いばかりをさせてるからな……。
細々とした戦いは多くあるものの、都市を占拠するほどの戦果を上げている訳ではない。そのため、魔物兵が期待する略奪や暴行は行えていないのが現状だ。こうなってくると魔物兵のやる気が格段に落ちてくる。
更には魔物隊長以上の幹部達も、細かい仕事が沢山あって大変だろう。レオンハルトの軍は、彼自身が魔軍参謀であることから、普段でも魔軍の中で一番忙しい部隊なのだ。故に関わる仕事は多岐にわたり、戦いは勿論だが、普段は魔王城で戦略会議や各部隊、各部署についての意見、採決を行ったりする。
そして細かい仕事が増えると、その分書類の量も増えて面倒なのだ。ストレスも溜まるだろう。
そんな現状でのその提案。それは大いに賛同出来る。
……出来る、が。
レオンハルトは自身の思いを抱えつつも、キャロルの提案を現実のものにするため、口を開く。
「……ま、それはいいだろう。……それで、細かい案は考えてきてるんだろうな?」
「勿論ですわ! 日程、会場、食事、酒、その他諸々まで全部考えて来ましたの! ささ、どうぞ!」
「やけに準備がいいな……」
自慢気な表情で数枚の紙を差し出してくるキャロルを、胡乱な目で見ながらもそれを受け取る。
そして目を通す。そこには酒宴を開くに当たっての計画が書かれてある。
それを一枚、二枚、と隅々までチェックしながら読んでいく。ある項目で手が止まりながらも、順調に読み進めていった。
「…………なるほどな、悪くない」
「! ふふん、当然ですわ!」
その全てをレオンハルトは読み終わる。書類の束を机に置くと、胸を反らして自信満々な様子のキャロルに視線を戻し、
「……だが、一つだけ聞きたいんだが――」
「? 何でしょうか? ……ひょっとして何か不備が?」
その言葉にキャロルが首を傾げる。自分の計画書に余程自信があったのだろうが、それよりも主を信頼しているのだろう、真っ先に自分の失敗を疑っているようで、少し不安そうな表情になる。
しかし、それを責めることはしない。レオンハルトは一度息を吐き、
……これはちゃんと言ってやらないとな。
レオンハルトはキャロルに言ってやった。書類の束から一枚の紙を抜き出し、その一項目を指差して、
「――これ、俺も参加するのか……?」
「…………」
レオンハルトの質問に、キャロルが口を噤む。
だが、ややあってこちらを窺うように、
「え、えっと……レオンハルト様? ひょっとして、その日は何か予定がありますの? だとしたら申し訳ありませんわ。使徒として、主の予定を把握していないなんて――」
「違う、そうじゃない」
レオンハルトはその言葉をばっさりと切り捨てる。そんな事を言いたいんじゃないし、ちゃんと予定は空いている。この日は数少ない休みの日であり、キャロルのスケジュール管理は完璧だ。
じゃあ、何が言いたいのかと言うと――
「キャロル、お前は大事な事をわかってない」
「! だ、大事な事、ですの……?」
「――そうだ、とても大事な事だ。特に酒宴なんかでは一番気をつけないといけない部分だ……」
「そ、それほどに……!」
レオンハルトの言葉に、キャロルはごくり、と喉を鳴らす。それほどまでに主の表情には、これまで見たことのないレベルの深刻な顔が浮かんでいたからだ。
故に、戦慄しているのだろう。自分がそんな重大な事を忘れていることに。キャロルの表情が、言外にそう言っている。
レオンハルトは言ってやった。唇を噛み締め、机に拳を軽く叩きつけ――
「――上司がいると、部下が楽しめねぇだろうが……!」
「………………はい?」
思わぬ言葉にキャロルが、返事をしながらも疑問符を頭に浮かべる。
レオンハルトは続けた。
「会場を魔物兵だけの場と、魔物隊長以上の幹部だけの場の二つに分けるのはいい。魔物将軍なんかがいると魔物兵達も楽しめねぇだろうしな。迷惑が掛からない場所を選べば騒ぎすぎても問題ない」
「……えっ?」
「――だが、幹部だけの席の方に俺がいるのはどういう訳だ……! 魔人なんていたらあいつらも萎縮して酒どころじゃねぇだろうが……!」
「あ、あの……レオンハルト様?」
「飲み会の席に地位の高い上司がいること程、鬱陶しいことねぇ……! 挨拶して酒を注いで……その上聞きたくもないクソくだらねぇ話や愚痴を延々と聞かされなきゃならねぇ。接待も大概にしろってんだ……!」
「飲みかっ……えっ?」
「そもそも最初の乾杯はビールってのも気に入らねぇし、その後も皆辛くてキツい酒ばっか頼みやがる……こっちがカクテルなんざ頼もうもんなら、『女みたい』とか言いやがってよ……! こっちは金払ってんだ! 好きな酒飲んだっていいだろうが! 俺は辛い食べ物は好きだが、酒は甘くて飲みやすいのが好きなんだよ! そんなに辛いもんが飲みてぇならタバスコでも飲んでろ! そんで翌日以降、地獄を見ろ!」
「……あ、レオンハルト様は甘い酒が好きなんですわね。メモメモ……了解ですわ。ちゃんとそちらも取り揃えておきますわね」
揃えとけ! とレオンハルトが声を上げる。キャロルがメモ用紙を取り出す中、熱が籠もった様子で続ける。
「そんでようやく帰れると思ったら二次会、三次会だ! 耳にクソが溜まりそうな歌聞かされてようやく解放されると思ったら、挙げ句、締めのラーメンだぁ!? ラーメンは俺も好きだが、テメェみたいな給料泥棒に食わすラーメンなんてねぇんだよ! 家帰ってチ○毛でも啜ってろ!」
「ラーメンもお好き、と……。因みにどんな女性がタイプですの?」
「ヤるだけならスタイルの良い女がいいが、付き合うならそこには拘らねぇ! 寧ろ性格の方が重要だ! 仕事から遅く帰っても起きて出迎えてくれるような優しい女ならいいし、料理が出来るなら尚良い!」
「ふむふむ、小柄な女性はタイプではないと?」
「いや、昔は――って、あ……?」
と、不意にレオンハルトの動きが止まる。こめかみに手を押し当て、我に返ったように落ち着く。
そしてキャロルにやや鋭い視線を向け、
「……お前、何か余計な事まで聞いてこなかったか?」
「……き、聞いてませんわー。何のことですの?」
手を後ろに回して視線を逸らすキャロルを訝しむレオンハルト。そして先程の自分を省みる。
……何か、熱くなっちまったな。
よくわからない事を口走ってしまっただけでなく、何だか余計な事まで言ってしまった気がする。
レオンハルトは一度息を吐いて、とにかく、と前置きして意見を纏めた。
「酒宴に俺が参加するのはあまりよろしくないな」
「……仰っしゃりたいことは何となく分かりましたが、わたくしも含めて魔物将軍達はそこまで気にしないと思いますわ。むしろレオンハルト様とお酒を酌み交わしたいという者は多いかと」
「どうだかな……」
客観的に考えても魔人と酒の席を一緒したい、とは思わないような気がする。
そんな考えが透けて見えたのか、キャロルはそんな不安を払拭しようと明るい声で、
「大丈夫ですわ! ……それに、忘れていませんか、レオンハルト様!」
「ん、何がだ?」
「これですわ!」
キャロルが答えた。服のポケットから何やらカードのような物を取り出し、レオンハルトに突きつける。
「――レオンハルト様ファンクラブの会員証ですの! レオンハルト様の部下にはレオンハルト様のファンがいますのよ! そんな我々が! レオンハルト様とお酒を一緒にしたくない、訳がありませんわ!」
「あ、あー……そんなのあったな。そういえば」
レオンハルトが思い出したように、カードをまじまじと見る。キャロルが自分の使徒に立候補しに来た時、ファンクラブの会長を務めていると、確かに言っていた。
……会員証なんてあったのか……。
その証拠と言うべきそのカードには、レオンハルト様ファンクラブ会員証、キャロルの名前、そして『No.1』と書いてある。
レオンハルトはそのカードから視線を移し、キャロルに向かって胡乱な表情のまま疑問を口にした。
「……ちなみに、今は何名くらいいるんだ?」
「今は108名ですわ!」
「多いな……というか前より増えてないか?」
「ふふん! これもレオンハルト様の魅力と、わたくしの統率力のおかげですわ!」
腰に手を当て自慢気に胸を反らすキャロル。そして、カードをポケットにしまうと今度は頭を下げてお願いした。
「良い機会ですのでファンクラブの子達も呼びたいと思いますの! レオンハルト様! 是非、参加をお願いしますわ!」
「……しかしだな……」
あまり気乗りはしない。ファンはともかくとしても、魔物将軍らには気を使わせることになりそうなのがレオンハルトの二の足を踏ませる。
これが自分の為の催しならともかく、目的は部下のガス抜き、リフレッシュするためにあるのだ。そこに魔人である自分が行くのもな、と思っていたらまた言葉が来た。
「お願いしますわ! レオンハルト様のお好きなものもちゃんと取り揃えておきますので!」
「いや、ちゃんと他の奴の事も考えてやらないとだな……」
「それは勿論ですわ! あ、それと、ファンクラブの娘達はいつでもオーケーですわ!」
「……いつでもオーケー? どういう意味だ?」
「あっ、それはその……」
レオンハルトが聞き返すと、何故かキャロルがもじもじとし始める。
こういう時は妙に嫌な予感を感じるのだが、その例に漏れたのか判断に難しい言葉がキャロルから来た。
「わ、わたくしも含めて! ファンクラブの皆はいつでもお持ち帰りオーケーという意味ですわ!」
「…………あー」
レオンハルトはその言葉の意味を正しく理解し、何とも言えない言葉を上げた。そしてその事を思い、頭を抱える。
……ああ、いや、うん……どうしたものか……。
確かにそういうのは嫌いではないし、悪い気はしない。
このところ忙しい上に、自分から口説くようなタイプでもないのでそういった行為はすっかりご無沙汰だ。据え膳を出してくれるのは有り難いような気もする。
それにここまでお願いされれば一度くらいは参加してもいいかな、という気にさせられる。全員ではないだろうが、部下の魔物将軍らには慕われているような気もするし、世話にもなっているので偶にはこちらから労ってやるのもいいのかもしれない。
しかし、だ。このタイミングでは頷けない。何故なら、
……ここで頷いたらまるでそれが目的みたいだな……。
興味がない訳ではないが――魔人四天王、そして魔軍参謀としてそれなりの威厳を保たなければならない自分としては、強くイメージを損なうような事は出来ない。
レオンハルトは額に手を当て、しばらく思案に吹けると、やがて結論が出たのか口を開き、
「……悪いが――」
この場では断ろう。それで後から参加すればいいだろう、と思い紡いた音は、
「――お望みなら全員! 全員持ち帰っても構いませんわ!!」
「ことわ――全員?」
そんな言葉に遮られた。レオンハルトは全員という言葉を確認するように心の中で反復する。
……全員、全員か……それは108人全員ってことか……?
そんな事が可能なのか、と自分で自分に疑問を呈する。体力とか時間とか場所とか色んな問題があるように感じるが。
だが、その言葉を補足するようにキャロルは続けた。思考が一時的に止められる。
「108対1ですわ! 男のロマンですのよ! こんな事をしても許されるのはレオンハルト様くらいですわ!」
「…………だが」
「ファンクラブは女の子モンスターだらけなので可愛い子しかいませんのよ!」
「………………しかしな」
「それに皆レオンハルト様の事が好きなのですから何も問題ありませんわ!」
「……………………」
そんなに参加して欲しいのか、必死のプレゼンを続けるキャロル。
やがてレオンハルトも二の句が継げなくなり、最終的には完全に口を閉じる。
数秒にも数十秒にも思える時間の後、レオンハルトはその重たい口をようやく開いた。
「……………………か、考えさせてもらう」
「! 本当ですの!?」
キャロルが顔を輝かせて聞き返す。レオンハルトは机の上で腕を組み、顔を俯かせながら、
「……考えるだけだ。いいか、行くとは言ってないからな。……でも、一応予定は入れとけ。後で行くとなった時に困るからな……ちゃんと食事と酒も用意しとけよ」
「濃い口の料理から甘いお酒、締めのラーメンまでばっちり用意しておきますわ!」
「そうだ、それでいい…………後、ついでに幾つか部屋を取っとけ。酔い潰れる奴も出るかもしれないしな……うん」
「畏まりましたわ! 万事抜かり無く済ませておきます!」
「……行くとは言ってないからな?」
「はい! ……あ、そういえばレオンハルト様。この日はハンティさんが来る日ですが――」
「ずらせ」
「はい、連絡しておきますわ。――さて、これから忙しくなりますわー!」
レオンハルトは、張り切った様子で酒宴の計画を進めようとしているキャロルを尻目に息を吐いた。
……あれ、何だか酒が飲みたくなってきたな……酒宴があるならちょうどいいかもなー……。
書類を再びこなしながら、レオンハルトはしばらくの間、心の中でそう言い聞かせ続けた。
――1時間後、結局レオンハルトは酒宴に参加する旨をキャロルに伝えた。