大陸東部。
魔軍の本拠地である魔王城からほど近い場所になだらかな丘がある。
温暖な気候で豊かな大地であるこの一帯を、気持ちの良い陽光が照らしながら爽やかな風が吹き抜け草を揺らす。多くの魔物が生息する場所とは思えない穏やかな風景だった。
そんな中、林を抜けた先にある一角。高台となった丘の上の広場では、この場には不自然な、激しい音が響いていた。
鳥類の鳴き声とは別に鳴る音は金属音や、爆発音。それなりの頻度で雷鳴まで聞こえてくる始末であった。
そして、この音が戦闘音だと知っている者がいた。金髪灼眼のその男は周囲の生物とはひときわ抜きん出た存在感を放ちながら、その戦闘を実際に眺めていた。
男の視線の先、金色の髪を二つに束ねた青い改造軍服を着た少女と、長い黒髪と長耳、赤いクリスタルを額に持つレオタード風のボディスーツを着た女性がその身を振り回し、戦闘音を鳴らしていた。
少女の方は押してはいるものの苦戦しているようで、それが表情や態度にも表れており、その証拠に息を乱していた。
しかし、対する女性の方に息が乱れた様子はなく、まだまだ余裕があるようであり、必死に攻撃してくる少女の剣撃や銃撃を躱し、時には捌いている。
そして遂に、疲労がピークに達したのか少女の足がふらついた。その隙を逃さず女性が攻撃に移るため懐に飛び込む。
そのタイミングで男の声がその場に響いた。
「――そこまで!」
その声は終了の合図。故に攻撃を加えようとしていた女性はその動きをピタリと止め、その手に持った剣を収めると少し離れて息を吐いた。
そして少女の方は来る攻撃に備えていたが、しかし受けることも躱すことも出来ないので覚悟を決めていたのだが、その声に助けられる形となった。そのまま地面に座り込みそうになるも、足に力を入れて何とか踏みとどまっている。
男は余裕のある女性と、余裕がなく足をぶるぶると震えさせている少女。対照的な二人に対し、続けてこう言った。
「ハンティの勝ちだな。……二人共しばらく休憩していいぞ」
「ん、了解」
男の言葉にハンティと呼ばれた女性が軽く頷き、水分補給用の水筒を取るためにその場から一瞬で移動する。そして水筒を二つ取ったハンティは、今度は歩いて少女の近くまで移動すると、
「――ほら、キャロル」
未だその場から動かない少女に向かって水筒を差し出した。
すると、
「……また――」
差し出された水筒に手を付けず、キャロルと呼ばれた少女は小さな声で一度呟き。
そのまま、その憤りを空に向かってぶつけた。
「――また負けてしまいましたわ――っ!!」
叫んだ。
男が半目になり、ハンティが苦笑いを浮かべる。
大声で叫び終わったキャロルが、今度は息を整えると男に向かって、
「レオンハルト様! なぜわたくしは勝てませんの!?」
そんな質問をぶつける。
それをぶつけられた魔人、レオンハルトは自らの使徒の言葉にこう返答した。
「……弱いから、だな……」
「――はうっ!」
主の無慈悲な返答に、キャロルが衝撃を受けたようにふらつき、倒れそうになる――も、また踏みとどまる。
そんな主と先輩のやり取りを見て、もう一体の使徒であるハンティは呆れたように
「……ど直球すぎ」
自らの主に容赦ないツッコミを入れた。
魔人レオンハルトは自らの使徒、ハンティの言葉を受けて微妙な顔になった。
そして続けて視線を浴びせ続けて言外に訴えかけてくる。もっと別の事を言え、と。
ハンティの問いの視線を受け、レオンハルトはやや考え、そして答えを出した。要は事実を正確に言えばいいのだと。
故に未だ足をぷるぷると震えさせるキャロルに向かって、
「そうだな。それは適切じゃないな……もっと別の理由があった」
「! それは何ですのっ!?」
ああ、それは、と。
「――お前の方がハンティより弱いからだ」
「はうあっ!」
キャロルの足から力が抜け、膝を突く。ハンティが
「言い方変えろって意味じゃないから!? というか変わってないし!!」
今度は物理的にツッコミを受けた。
「……すまん、間違えた。ハンティが強いから、だな。キャロルは弱くない」
「最初からそう――って、あたしが言ったら何か嫌味みたいだね……」
ハンティはそう言って少しバツが悪そうに頬を掻く。レオンハルトがそれに対して補足するように、
「でも事実だ。だから、キャロル。あんま落ち込むなよ」
使徒に対しての慰めの言葉を送った。
「むぅ……落ち込んではいませんが……普通に悔しいですわ……!」
レオンハルトの声に反応したキャロルが言葉通りとても悔しそうな表情になる。草の上に腰を落ち着け、ハンティから渡された水筒で喉を潤す。中身は近くの山で汲んできた澄みきった水であり、レオンハルトが気に入り、ハンティが汲んできたものだ。
それを飲み終わり一息つくキャロルだが、それでもその悔しさは収まらないようであり、拳を握りしめる。
「七星に勝てないのも悔しいですがっ!! 手加減したハンティさんに勝てないのもムカつきますわ!」
そう言って、キャロルはぐぬぬ、と歯噛みする。よっぽど悔しいようだ。特にこの場にいないカミーラの使徒、七星を持ち出す辺りにそれが現れている。キャロルにとっての目の敵というか、ライバルであるからだ。
それを聞いたレオンハルトが、またか、といつもの如く始まったキャロルの負けず嫌いに言葉を送る。
「因みに、誰が一番ムカつく?」
「七星!! と、わたくし自身! ――ですが今はハンティさんもムカつきますわ! 何でそんなに強いんですの!?」
「ええっ!? 結局あたしも!?」
「……というか、一番を聞いたんだがな……結局全員なのか」
それとも自分も含めて全員に同じくらい憤慨しているのだろうか、とレオンハルトが適当な事を考える。
そんな中、ハンティはキャロルに不満顔を向けられ、ええ……、と困惑する。本気で怒りを向けられてるわけではない、いつもの負けず嫌いと向上心から出た疑問。いわゆる反省会のようなものだ。大体怒ってる時は、レオンハルトの事で誰かに怒るか、不甲斐ない自分に対してか、もしくは七星にだけである。
しかし言わずにはいられないのだろう、キャロルが頬を膨らませながらハンティを見上げ、
「……いつまで経っても瞬間移動禁止で防御重視のハンデ付きのハンティに勝てないなんて、先輩として不甲斐ないですわ……! そこのところ、後輩としてはどう思いますのっ!?」
「い、いや……それはまぁ……」
ハンティが言い辛いのか、少し言葉の間を空ける。そしてレオンハルトをちらりと横目で見る。
それはそのルールを提案したのが、レオンハルトだからだ。彼はいつからか始まったこの使徒同士の模擬戦に対し、ハンティにそれらの制限を付けた。
ハンティの代名詞とも言える魔法、瞬間移動。これの禁止と、積極的な攻撃を禁止させる防御重視の二つである。
それは二人にはっきりとした実力差があるため、勝負を成立させる為に設けられたものだが、キャロルはこれに不満ではあるが、ハンティの方が強いのは理解していた為、渋々ではあったが納得していた。
だがいつまでも勝てないのは確かにイライラするだろう。ただでさえキャロルは向上心が強く、負けず嫌いなのだ。魔物界一の完璧使徒、といつも名乗っているのは伊達ではない。
それを知っているからか、ハンティはレオンハルトからキャロルに視線を戻すと、その質問に返答するため口を開いた。
「……と言っても結構やり辛くなってるけどね。銃は相変わらず面倒だし、剣の方も良くなってるし……正直、弱くはないと思うんだけど」
「でも、勝てないのは……むぅ~……」
「うーん……」
分かっているがむくれてしまうキャロルにハンティは悩む。そして自分が発した言葉を振り返り、自分が強い、と自ら言っているようなものだということを自覚する。
だが、同時にハンティは思う。そう言わざるを得ないんだよね、と。
実際のところ、キャロルは弱くない。人間相手には当然だが圧勝出来るし、魔物将軍といった魔物のエリート相手にも勝つことは出来る。使徒というのは伊達ではないのだ。
しかし使徒としては中の上といったところだろう。直接対決してるのはハンティや七星くらいだが、それらには負けてしまう。
理由は、細かい部分を言えばきりがないが、大きな理由を言うと、個人の資質や種族だろうとしか言えない。当然だが、個人の資質はそれぞれ違うし、同じ使徒でも元の種族は違うのだ。
七星は元ネフライトドラゴンの使徒。ハンティは元カラー、ということになってるドラゴンカラーの使徒であり、絶対というわけでもないが、普通の人間が使徒になるよりは高い能力、特にドラゴン種特有の高い身体能力や、カラーの特徴である高い魔力を持ち、それらを使徒化によって強化されている。
それに対してキャロルは元コマンダー。上位種であるバトルノートにこそ及ばないものの、高い知能と作戦指揮能力を持つ女の子モンスターであり、戦闘はどちらかというと不得手だ。
それにしてはキャロルは頑張っている方なのだが、
「……あたしも一緒に強くなっちゃってるしねぇ……」
とそんな事を息を漏らしながら言う。それに反応したのはレオンハルトだ。口元に小さく吊り上げて笑みの形を作ると、ハンティに視線を向け、
「ハンティも言うようになったな。それなら俺も期待していいのか?」
「うっ」
嫌そうな顔になるハンティ。藪蛇だったか、と余計なことを言った自分の口に少し後悔する。そんな様子を見てか、レオンハルトが戦意を軽く発しながら、
「それに、随分と余裕そうだ。……もう一回やるか?」
「…………」
ハンティは半目でレオンハルトを見る。さっきやったじゃん、という言葉は飲み込み、一度無言になる。
だが、
「……いいよ、やろう」
「お?」
了承したこちらに向かってレオンハルトが意外そうな顔を向ける。そのままどこか関心するような目つきで、
「……まさか、了承するとはな。マジでやる気か?」
「……いや、あんたが言ったんでしょうが。あたしは別にやりたくないんだけど?」
ハンティがチクリとそう指摘する。まるで自分が戦いを望んでいるようで少し遺憾だった。
しかしレオンハルトはその言葉を受けても、依然としてハンティを興味深そうな視線を寄越していた。
そしてその表情がふっと、和らぐ。同時に戦意もかき消え、
「悪いな、冗談だったんだが……ま、今日はやめとくか」
「うわっ、珍し……レオンハルトが戦いを拒否するなんて……」
ハンティの若干引き気味の言葉に、そうかもな、とレオンハルトが同意する。しかし別に言いたいことはあるようで、そのまま続けて、
「……お前も、随分と慣れたよな……」
「は?」
しみじみとそんなことを言うレオンハルトに、怪訝そうな表情になるハンティ。その言葉の意味を考える、その前にレオンハルトからの追加の言葉が来た。
「いや、お前も使徒としての生活に慣れてきたか、と思ってな」
「……あー」
言われた言葉の意味を今度は理解する。
だが、それ故に少し微妙そうに顔をしかめるハンティだったが、自分でも思うところがあるのだろう。少し間を置いて出た返答は、
「まぁ……もう120年も経ってるしね。嫌でも慣れてきたよ」
肩を竦めて、思い出すように言った。
ハンティは思い出す。実際色々とあったからね、と。
120年前、ハンティ・カラーは、魔人レオンハルトとの戦いの末、彼の使徒になった。
だが意外にも彼は、使徒に対して特に束縛することもなく、ハンティに自由を言い渡した。自分が使徒であることを自覚し、行動するなら何をやっても構わない。ただし、一ヶ月に一回、戦うために顔を見せろ、と。
それを渋々了承――するしかないのだが了承して、ハンティは使徒生活をスタートさせた。
人間の町で暮らす傍ら、一ヶ月に一度は魔王城に向かい、同じレオンハルトの使徒であるキャロルや、色々と複雑な縁がある魔人カミーラ。そして当初の想像していた印象と違っていた魔王スラル。他にも様々な魔軍の面々と顔を合わせたものだが、中でもキツかったのは、
……模擬戦は神経使うんだよね……。
約束のレオンハルトとの一月に一度ある模擬戦。
毎回会う度にこれを行い、ボコボコに叩きのめされるのは中々にくるものがある。いつの間にか、それを見ていたキャロルが参加するようになり、キャロルとも戦うようになったのだが。
これをほぼ休まずに続けた結果、ハンティは少しずつだが、以前よりも確実に強くなってはいた。
というより、強くならざるを得ないと言うべきか。レオンハルトの方がたまにとんでもない技を思いついてそれをこちらに向かって遠慮なく試してくるのだが、これがまた辛い。
さすがに模擬戦であるためか、瀕死になるほどの重症を負わせたりはしてこないが、それなりの痛手は負わせてくるし、何より体力的にも精神的にも疲れるのだ。
そして鬱憤が溜まっていくので、それを模擬戦でレオンハルトにぶつける為、それなりに良い連携を思いついては彼にお見舞いしてやる。これで多少は鬱憤は晴れるのだが――それはそれで向こうも戦闘狂発動して滅茶苦茶モードに入るので結局はボコボコにされてしまうのでどうしようもない。
良いこともないわけでもないのだが、それもハンティとしてはちょっとした悩みのタネである。なにせ――
……段々慣れてきちゃってるのが……。
そのことにハンティは内心、腑に落ちないような、微妙な感情を抱く。
というのも彼女自身、この模擬戦に慣れた結果。レオンハルトに対し、目にもの見せてやろうと多少意地になっている面があるからだ。
そのため、先程もレオンハルトの問いに了承してしまい、そのことを意外に思われただろうが、ハンティとしても改めて考えると微妙な気分になる。自分も彼のように戦闘狂になりかけていないだろうか、と。
……いや、こうやって考えれるんだから大丈夫かな……。
ハンティは頭を振って、それを否定する。使徒化の影響で多少好戦的になるのはしょうがないかもしれないが、自分はレオンハルトのような戦闘狂ではない。相手に傷を付けられてテンション上げるような変態ではないのだ。
「慣れたのはいいけど……何か複雑だね」
「……そう言うな」
ハンティが手に持っていた水筒を適当に弄びながら言うと、レオンハルトがやんわりと嗜めてきた。そして今度は彼の方が多少気落ちしたように目頭を押さえ、
「お前が慣れてきたおかげで俺としても助かってるからな。……特に仕事を手伝ってくれるのが本当に助かる」
「ああ、うん。まぁ、あれはね……」
ハンティは思い返して、それに頷く。
それを地面に座って聞いていたキャロルは、とっくに立ち直ったのか、普段の様子で思い出したようにハンティを見上げる。
「そういえば、いつからかハンティさんも手伝いに来てましたわね。それに伴って来る頻度も増えましたの」
「……いや、何か仕事大変そうだったし、それを手伝いに来てるだけなんだけどね」
月一の約束以上に来てるのはそういった理由があるのだ、とハンティが言葉に意味を込めて話す。そしてそれを補足するようにレオンハルトも、
「俺は大体いつも仕事が溜まってるからな……それでも楽になった方だが」
とそう言ったので、ハンティは表には出さないが頷く。実際ハンティはその場面を目撃したのだ。
いつだったか、ハンティが月一の約束通り、魔王城のレオンハルトの私室を訪れると、そこには大量の書類に囲まれて、忙殺されている彼の姿があった。
必死にそれをこなしていくレオンハルトの姿を見て、何となく手伝い始めたのだ。一応、使徒である自分が主の仕事をただ見ているだけというのもアレだし、という理由で。
魔軍の仕事を手伝うことには抵抗があったのも事実だが、心境の変化もあり、一応書類くらいなら、と受け入れた。その心境についてはハンティの悩みのタネではあるものの、
……ま、主を慮るくらいならいいかな。
とそんな腹づもりで納得するハンティ。そのついでに軽く提案してみるのは、
「……たまには休みでも取ったら?」
とそんな言葉。言葉の裏にあるのは、今のような小さな休みだけでなく、連休を取れば、という意味だ。
だが、ハンティからの珍しい気遣いにレオンハルトは頭を振り、
「気持ちは有り難いが無理だな。俺がいないと仕事が回らない――ことはないが、滞ってしまう」
それに、と。
「この後もスラルに呼ばれててな。しかも――仕事の事でだ」
と真面目な顔になるレオンハルト。それを聞いたハンティ、そしてキャロルが首を傾げ、
「……仕事? あの子が? ……やっぱ何だかんだ言っても一応、魔王様なんだね」
「スラル様がレオンハルト様を呼ぶのはいつもの事ですが……仕事で呼ぶのは珍しいですわね……」
「……お前ら失礼だぞ」
魔王だというのに仕事をしない穀潰し扱いをされていることに、レオンハルトがげんなりとする。しかしその注意には勢いがなく妙に小声だ。彼も同様のことを思っているのだろうが自身の立場もあり、何とも言えないのだろう。魔人は大変だね、とハンティが内心同情する。そして同時に納得の色を浮かべて、
「ああ……だから模擬戦断ったのね」
「……確かに、それもあるが。……なければ喜んで受けてたみたいに言うな。一応、俺はお前を気遣ってだな……」
「いや、でも予定がなければ何だかんだ受けてたでしょ?」
「………………実際、スラルが俺に直接仕事を頼むのは――」
「あ、流した」
「レオンハルト様はスルースキルも一流ですわね」
都合の悪いことを流した主を、ハンティが半目で見る。そしてキャロルがズレた褒め方をしていた。
それらを全部無視して、レオンハルトは魔王城の方向に身体を向けて、こちらに背を向けた。行くぞ、という合図だが、同時にバツが悪いので逃げようとしているようにも見える。
そんな中、レオンハルトが先程の言葉から繋げて、
「……仕事を頼むのは珍しいからな。一体何を頼んでくるのか……」
「…………」
独り言のように呟いて、帰路についた。
その道中、ハンティはしばらくの間、レオンハルトの背中を半目で見続けていたが、彼が答えることは無かった。