魔王城で最も近寄りがたい場所である魔王スラルの私室。
そこには現在、四つの影があった。
一つは、ソファーに腰掛けて足を組み、前方を真っ直ぐと見据えたこの城の主である少女――魔王スラル。
残りは、模擬戦を終えてやってきた魔人レオンハルトとその使徒二人。キャロルとハンティ。レオンハルトだけがスラルの向かいのソファーに座り、使徒二人はその後ろに控える形でそこにいた。
普段であるなら、使徒らも椅子に腰掛け、お茶を楽しんだりするのだが、そうしないのはこれが一応職務上のやり取りであるからだ。
つまり、スラルは魔王として。レオンハルトは魔人四天王、そして魔軍参謀として。その立場で交わされるやり取りなのだ。
そうであっても雰囲気は、スラルの私室であるため緩いものだが、形式上はそうしろ、とレオンハルトに言われてのことであるため、使徒達はそれに従った。
故に、今告げられた命令にも二人は口を挟まない。少なくとも求められたり、そういった空気にならない限りは。
部屋の中に静寂が広がる中、最初に言葉を発したのはレオンハルトだ。彼はつい今しがた言われたことで、表情を険しいものに変えている。その表情には、未だその言葉を飲み込めずにいるようで、どうにも信じきれていない様子だ。その確認も兼ねてか、レオンハルトが、
「……悪い、もう一度言ってくれるか?」
再度、聞き返す。その言葉を受けたスラルは一息。
少し呆れるような色を含みつつも、もう一度魔王としての命令を言い渡した。
その内容は、
「……魔人レオンハルト。貴方に――」
「…………」
「――休暇を言い渡します」
「…………ッッッ!?」
レオンハルトがその内容に絶句する。
「………………」
「……レオンハルト様の顔が、あまり見たことない表情になってますわ……」
「どれどれ――うわっ、ほんとだ。よっぽど驚いて……というか、予想してなかったんだろうね……」
使徒二人がレオンハルトを横からちらりと見るも、その表情は驚きのあまり唖然としている様子であり、口を開いたまま呆けたように固まっていた。
ハンティの言う通り、休暇、というのはレオンハルトの頭に全く無かったようで、しばらくそのままの状態であったが、
「……まさか――」
やがて、ふと何かに気づいたかのように表情を変化させると、顔を青ざめさせて不安そうにスラルを見る。そして震える声で、
「――俺は……クビ、なのか……?」
「…………え?」
予想外の言葉に、今度はスラルの方が呆気にとられる番だった。
レオンハルトはその場から立ち上がると急に頭を抱えて、
「休暇を与えるっていうのは、とどのつまり遠回しな解雇通告だろう……!? くっ、俺の一体何が悪かったんだ……?」
そう言って、更にはぶつぶつと、アレが悪かったのか、それともアレか? と唐突に自分の行動を振り返り始めた。それを見たスラルがややあって我に返ると、若干狼狽しながら、
「ち、違うからっ! クビになんてしないから、ね? ちょっと落ち着いて……!」
「そ……そうか? ……それなら良かった。俺の早とちりか……」
スラルの必死の否定に、レオンハルトがほっと胸を撫で下ろした。再びソファーに腰を下ろす。
「何でそうなるんだか……」
「レオンハルト様がクビになるなんてありえませんわ!」
「……いや、悪い……あまりにも休暇って言葉が予想外過ぎてな……」
二人の使徒がレオンハルトに言葉を浴びせる。あまりの豹変ぶりに驚いたためだが、レオンハルトはその理由が、休暇という言葉にある、と言い訳した。
それを聞いて、うっ、と声を出すスラル。そのまま窺うようにレオンハルトを見上げて、
「……えっと……そんなに休みが意外だったの……?」
レオンハルトは迷いなく頷く。
「ああ。なにせ俺が魔軍参謀になって300年以上経つが、まとまった休みは一度も取ったことがないし、月に一日くらい休むことはあるが、それも何か理由がある時くらいで――」
言葉がそこで止まる。そして再び何かに気づいたように口元に手をやると、
「……冷静に考えると俺、働きすぎじゃないか……? いったいどんだけ働いたんだ……?」
「あ、計算しましょうか?」
「……頼む」
お任せ下さい、とキャロルがどこからかそろばんを取り出すと、ひーふーみー、と声を上げながら数え始めた。そろばんを弾く音が部屋の中に響く。
「えー、月に1度がお休みと仮定するなら、1年の内、353日働いてることになりますわ。これが320年。これを掛けると、つまり――」
そろばんが結果を弾き出す。答えは、
「11万2960日働いてることになりますわ!」
「………………」
キャロルの明るい声とは対照的に、他の三人は微妙な表情を浮かべて黙り込んでしまう。しかし、キャロルはそのまま続けて、
「城で働いてる魔物将軍ですら戦争時でなければ普段は週休二日ですし、わたくしですら週に一日はお休みを貰ってますの!」
キャロルが嬉しそうに言う。というのも、これはレオンハルトが魔軍参謀になってから決めたことだからだ。それまでの魔軍では、休み、という概念が無かったからだ。
上位者の命令があれば動くが、普段は好き勝手に過ごしてる魔人や魔物兵やなどはともかく、魔物隊長や魔物将軍などは休みが存在せず軍が動いていれば毎日のように働いていた。当時のレオンハルトは、それがあまりにも酷い待遇だと感じたため、最低でも週に一日、出来れば週に二日は休むように命令した。
ちなみに一番酷いのは、使徒だ。使徒は魔人の下僕であるため、主のお世話の為に毎日のように働いている。そして、大半の使徒は主である魔人に高い忠誠心を持っている。つまり、好きでやっているのでそれを苦には感じないのだ。
実際キャロルは、休日であってもレオンハルトの世話や手伝いをしてくるし、他の魔人の使徒も同様。好きなことをしていい、と命令すれば主の為になることをし出すのだ。なので使徒に関しては殆ど諦められていた。
そんな事情はお構いなしにキャロルは誇らしげに、
「レオンハルト様は魔物界一の働き者ということになりますわ! ……まぁ、わたくしとしてはもっとスラル様やカミーラ様のようにぐーたらしてもよろしいと思いますが……」
「うっ!」
悪気はないのだろう、キャロルの何気ない言葉にスラルが傷ついた様に胸を抑える。名前を挙げられてはいないもののハンティも顔を顰めさせ、
「……何だか月に一度しか来てないのが恥ずかしくなってきた。因みにだけど、えー……カミーラ、様は一体どんな――」
未だに少し苦手なカミーラの名前をぎこちなく挙げたハンティ。その意を汲み取ったキャロルが再び悪気のない様子で、返答した。
「カミーラ様は基本的に毎日気ままに過ごしてますわ。一日中部屋でごろごろしたり、綺麗なものを眺めたり、意味もなく城の中を徘徊したりしてるそうですの。それに食事や仕事といった大体の行動を七星に任せているそうなので、カミーラ様が盛んに動くのは戦いの時くらいらしいですわ。動いてる時よりも動いてない時間の方が圧倒的に多いですのっ」
笑顔で言う。
「レオンハルト様が魔物界一の働き者なら、カミーラ様は魔物界一の怠け者ですわね! ……あれ? これって何だか悪口になってる気が――」
「確実に悪口だからっ!!」
ハンティがツッコミを入れた。
魔人四天王、カミーラの私室では、唐突にカミーラが胸を抑えて苦しんだ。
「っ……」
「か、カミーラ様!? いったいどうしたのですかっ!?」
「……なんでもない」
カミーラは唐突にやってきた精神的苦痛に眉をひそめる。
そして何を思ったのか、ややあって、
「……今日は、出かけるか」
「え……あ、はい。お供致します」
「それも遠くに、だ」
「……良いのではないでしょうか?」
主の何故か問いかけるような強調の言葉に、七星は疑問符を浮かべた。
「……うーん、でも、わたくし。カミーラ様のああいった振る舞いは、女王か何かの様で余裕があってとても尊敬してますわ。なので悪口を言ったわけではありませんのよ?」
キャロルが自分の内心を言い表し、釈明する。カミーラに聞かれてなくて良かった、と皆が安堵した。
「……とにかく、レオンハルトは働きすぎだし、休みを取ること。……まぁ、私のせいなんだけどね……」
「……いや、それはいいんだが……あんま引きずるなよ……?」
「うぅ……私は別にごろごろしてる訳じゃないし……研究してるだけだし……確かに外には出ないし、たまには怠けてお菓子食べて寝てる時もあるけど、決してそれだけじゃ……」
キャロルの言葉を引きずっているのか、スラルがうつむきがちに、自虐を織り交ぜてそう言う。正直、魔王なのだから好きにすればいいのでは、とレオンハルトが思う。
……しかしまぁ、どうするかな。
休みを取る。それも一日だけという話ではなく、何日も。そのことを一度、真面目に考えてみる。だが頭に思い浮かんでくるのは、不安な事ばかり。
「……本当に俺が休んでも大丈夫なのか……?」
それをそのまま口にする。するとスラルが両手を握りしめ、意を決したように、
「――大丈夫! レオンハルトがいない間は私も働くからっ!」
「わたくしも働きますわ! レオンハルト様の役に立ってみせますの!」
続けてキャロルが威勢良く声を上げた。
更にハンティがやれやれ、と言わんばかりに肩を竦めて、
「……ま、しょうがないか。あたしも手伝うよ」
「…………」
ハンティまでもが手伝いを名乗り出たことにレオンハルトは内心驚く。そして視線で、いいのか、と問うも、
「普段任せっきりにしてるしね……こういう時くらいはやるよ」
「……そうか」
レオンハルトはその言葉を聞いて軽く息を吐く。
未だ不安は無くならないものの、ここまで言われれば嫌でもその気になってくる。その気持ちも嬉しいものであるのだし、彼女たちの為にも休みを取るのはやぶさかではない。
なら、とレオンハルトは結論を出した。
「……そこまで言うなら甘えさせてもらうか」
と休むことを受け入れた。
「うん、たっぷりと休んでね。私も頑張るからっ」
「魔軍の運営はわたくしに任せて、ゆっくりと羽根を伸ばして下さい! レオンハルト様!」
「……ということらしいからね。あたしもそれなりに頑張るよ」
「……ああ、ありがとう」
三人の言葉を受け、レオンハルトは感謝する。
実際、少しくらいなら自分が抜けても大丈夫だろう、と思いもするが、それよりも彼女たちの気持ちを無碍にはしたくないな、と思ったことが休むことを決めた大きな理由だ。
それに、一日以上の休みは本当に久しぶりなので、休むともなればやりたいこともなくはない。
レオンハルトが休みのことを考え始めていると、ハンティが軽く、
「それで、休みの間は何するつもり?」
休みの予定について聞いてくる。その流れでスラルやキャロルも、
「あっ、それもそうよね。やることないなら折角だし本でも貸してあげようか?」
「レオンハルト様! お部屋でゆっくりとするならお世話はわたくしにお任せ下さい! お仕事中だろうと直ぐに飛んでいきますわ!」
「ん……いや、そうだな。今まさにそのことについて考えてたんだが――」
レオンハルトが少し考え込む。
確かに、部屋で一日中、本でも読みながらゆっくりとカミーラのようにだらけるのもいいだろう、と。普段は動きっぱなしだし、リラックスするならその方がいいのかもしれない。
だが、と。レオンハルトは休日の予定について一つ、別の答えを出す。それは、
「……ちょっと一人で、旅にでも出てくるか」
「旅?」
「えっ、城から離れるの?」
「……あっ、そういえば言ってましたわね!」
旅、という言葉に皆が首を傾げる。だが、キャロルだけがすぐに得心したように手を叩き、スラルやハンティが彼女を見やる。
キャロルは思い出すように続けて、
「以前に、一人で観光でもしながら色んな場所を見てみたい、と。独り言のように呟いていたのを憶えてますわ!」
レオンハルトが目を丸くする。そういえば言ったことがあったか、と思い返してみるも上手く思い出せない。ここ120年くらいの記憶なんだろうが、相変わらず自分に関することはよく憶えているなぁ、とレオンハルトが感心する。
「ま、そういうことだな。要は武者修行や観光がてら、旅行にでも行こうかな、と」
「あれ? でも、レオンハルトって、魔軍の遠征でよく色んな場所に行ってるんじゃ……?」
ハンティが純粋な疑問を口にしてくるが、レオンハルトはその質問に、いや、と即答した。
「それは仕事で行ってるのであって、私用で行くのとはまた違う。部下の目があるとそれを気にして、羽も伸ばせないしな。その上――」
レオンハルトが言葉を一旦区切って、
「――魔軍の遠征だと町や道中なんかは割と滅茶苦茶に汚れるからな。観光地も見れたもんじゃない」
「あー……なるほどね」
ハンティが嫌そうな顔で納得する。どうやらわかってくれた様だ。
「……そっか。なら、楽しんできてね?」
少し残念そうな、笑顔を浮かべてスラルがそう言ってくれる。それが多少気になるが、
「あ、お土産はちゃんと持って帰ってきて。楽しみにしてるから忘れたら怒るからね?」
「……言われなくてもちゃんといつも持って帰ってきてるだろうが。忘れねぇよ」
その言葉で微妙な顔になる。魔軍の遠征や迷宮探索に行った時に大体お土産を持っていくのだが、スラルはそれを地味に楽しみにしてる節があった。
それが分かってる為、元々何かをもって帰って来ようかと考えていたのだが、正面から言われると期待が重い気がするから不思議だ。
だが、大体何をあげてもスラルは喜ぶのでそこまで心配する必要もないが。
と、そんなことを考えているとキャロルから、
「レオンハルト様、行きたい場所は決まってますの? 決まっていないのでしたら、不詳、この魔物界一の観光案内人キャロルがおすすめの場所を幾つか選出致しますが……」
「ああ、それなんだが……」
確かに、キャロルはその容姿が人間に近いので遠征の時も、たまに人間の町へ行って偵察したり、お土産を買ってきたりするのがお決まりとなっている。なので、今回に限ってはその名乗りは間違ってないかもしれない。今のところ、魔軍の中で人間の町に一番詳しいのはキャロルなのだろうし。
それはそれで良さそうだが、レオンハルトは、
「最初に行きたい場所は決まっててな」
「あっ、そうですの……」
キャロルが残念そうに肩を落とす。なので付け加えて、
「……一応、後でお前のおすすめの場所も教えてくれ。そっちも寄るかもしれないしな」
「! はい! 畏まりましたわ!」
キャロルが即座に復活する。こういうわかりやすいところが彼女の良いところだ。
レオンハルトは、いつの間にか近くに寄ってきていたキャロルを気まぐれに撫でてやる。またしてもわかりやすく喜びに震える中、スラルが質問を引き継ぐように、
「それで、結局どこに行くの?」
と、聞いてきた。
「それは――」
レオンハルトはその場所を三人に教えてやった。
その場所とは――
「世界最高峰の山――翔竜山だ」