魔人ガルティアは面倒さを感じていた。
それというのも目の前の部屋から漏れ出ている音の所為だろう。魔王城の部屋の壁はそれなりに厚く、更にこの部屋に限ってはスラル自身が防音を施していると聞いたことがある。なのでガルティアにも聞こえている訳ではないのだが、体内のムシ達は別だ。
ムシが部屋の中から微かな振動を感じると、主であるガルティアに教えてくれるため、その面倒さを感じてしまっているのだ。
「……なーんか、今日も荒れてそうだよなあ……」
ぼやきつつも、だが、とガルティアは部屋のドアに手をかける。人間、割り切りが大事だ、と。
放っておいたら症状が悪化するのは今までの経験から察しが付く。時間が経てば経つほど、面倒さが増していくのだ。ならさっさとしてしまったほうがいい。
そう思いガルティアは部屋に入った。軽く声を上げながら、
「……邪魔するぜー? っと、スラル。今日は――」
「――うわああああああああんっ!! 寂しいよぉレオンハルト――っ!!」
部屋に入って聞こえた第一声は、それだった。少女の声が部屋中に響き渡る。
そしてその声は視界の奥、部屋にあるベッドの上から聞こえた。ベッドの上でごろごろと転がりながら、枕を抱えている白髪の少女――魔王スラルの姿がある。
「……うぅ……何で帰ってこないのよぉ……!」
「…………」
枕に顔を埋めてまるで駄々っ子のように顔や身体を振って声を上げるスラル。
それを見たガルティアはどういった反応をするべきか迷うも、
「……あー」
「っ! レオンハ――」
声を出したところでスラルが勢いよく身を起こしてこちらに振り向く。
だが、その途中で言葉が止まる。目が合った。
半ばまで聞こえた名前から察するにあいつが帰ってきたと思ったのだろう。期待を裏切ってしまったようである。
ガルティアはそれを理解し、微妙な表情で、
「……アレなところ見ちまって悪いな」
「あ、いや……これは違――」
「分かってる。分かってるぜ。何も言わなくていい」
ガルティアは頷いて手を上げた。親指を上げて、歯を見せて笑いながら、
「そういうことにしておくさ。――まさかお前が、あいつの名前を叫びながら真っ昼間からハッスルしてるとは思わなかったぜ」
じゃ、とガルティアは気を利かせて部屋から退出しようとした。
と、そこでスラルが顔を真っ赤にして、
「ち、ちち違うからっ!! 何勘違いしてるのよ!?」
「了解だ。わかってる。――黙ってりゃいいんだろ?」
「だからそうじゃな――って逃げるなこらあ――!?」
ガルティアは素早い動きでその場から立ち去った。
「痛つつ……相変わらずお前は手加減が下手だよなあ」
「ガルティアが変な事言うからでしょ……もう」
逃げたものの結局捕まってしまったガルティアは再度スラルの部屋で彼女と向かい合っていた。
ソファーに膝を抱えて座るスラルを見てガルティアは心の中で、
……今日も情緒不安定だなぁ……。
と、しみじみに思ってしまう。レオンハルトが長期間離れている時の恒例行事だからだ。
スラルはレオンハルトと一週間以上顔を合わせていないと、普段と違う様子を見せる。
そして見せる顔も様々で、今のように部屋で拗ねていたり、妙におかしなテンションで研究をしていたり、酷い時は息が詰まるような雰囲気を醸し出していて、城に住む魔物達が自分達の身を案じて気を揉む程なのである。魔王らしいといえばそうなのだが。
しかし自分やレオンハルトの使徒達など、仲が良い者と会っている時は比較的落ち着いているので、こうやって定期的に顔を突き合わせている。
酷いのはそれらの人物が誰もいない時であり、他の魔物から聞いた話によるととても恐ろしく近寄りがたい雰囲気を出しているらしい。見たことがないので分からないが、人間時に初めて会った時のような、魔王らしい感じでも出しているのだろうと適当に当たりをつける。
だが、今日は、
……まだマシな方か?
一見そう見えるが確証はない。レオンハルトじゃないのだ。見ただけでスラルの機嫌を察することは出来ない。
故にいつも様にガルティアは話しかける。
「それで今日は暇か? 暇ならメシ作ってくれ」
「……ごめん、今日はやめとく」
膝に顔を埋めたまま断わってきた。ガルティアは続けて、
「何か研究でもするのか?」
「そういう訳じゃないけど……今日は……」
そう言って声が尻すぼみになっていくスラル。やはり落ち込んでいるのだろう。テンションもかなり低い。
ガルティアはそこで一息入れた。溜息に近いものだ。そうして頭を掻きながら、
「……それじゃあどうするかなあ」
「…………」
応答がない。いつもなら、何かしらの返答は来るものだが、それすらもないとなると重傷かもしれない。
何と言おうか迷っていると、その間に声が来た。スラルのものだ。彼女は小さく独り言のような声量で、
「……ねぇ、ガルティア?」
「お、どうした?」
声が来たので反応をする。何と言うのだろう。それを考えるより早く彼女は、
「レオンハルト……何かあったのかな……?」
と、不安そうにそう言った。
ガルティアの動きが一瞬だけ止まる。だが、直ぐに気を取り直して息をつくと、
「何かあったってどういう意味だ?」
「……その……何か危ない目にあって……帰りたくても帰れなくなってたり……」
その追加の言葉にガルティアは得心した。つまり、
「怪我とかしてんじゃないかってことか?」
「……うん」
スラルが頷いたのを見て、ガルティアは考えようとして――やめた。考えるまでもないからだ。
はは、と笑いが口から漏れ、
「あいつが怪我か……そんな状況ならむしろ楽しんでそうだけどな。強い奴と戦ってるってことだろうし」
「……笑い事じゃないんだけど」
半目で睨まれる。まずかっただろうか。
だがこれは正直に思うことだ。なのでガルティアは率直に考えを述べる。暗い様子のスラルに軽い調子で、
「危ない目に合ってる可能性はなくはないだろうが……まあ、ねえだろ」
「……何で? 怪我してるかもしれないじゃん」
頬を膨らまして不満そうに言うスラルに言ってやる。簡単なことだ。
「アイツに帰れない程の傷を負わせられる奴がいるとは思えねぇ」
「………………」
スラルが無言になる。反論は来ない。それについては自分でもわかっているのだろう。
「同じ魔人とかならあり得なくもないけどな。カミーラとか……後はお前くらいか。人間や普通の魔物じゃ束になっても勝てないだろ?」
「……それはそうかもだけど……」
「なら心配しなくてもいいだろ。どうせ数日もすればひょっこりと帰って――」
「――そうだけど!」
そこでスラルは顔を上げた。どうにも反論があるらしい。ムキになったように大声で、
「レオンハルトでも危ない相手はいるもん! 怪獣とかトッポスとか……他にもドラゴン王や四大聖竜とか生きてるか分かんないけど居たら危ないし、それに他にも――」
「……へぇ、そんなに強い奴がいるのか。初耳だな」
「…………あ」
感心したように声を上げると、スラルがまずいことを言ったとそんな様子で固まる。
どれも聞き覚えのない名前だな、と思っているとスラルが少し慌てた様に、
「ちょ、ちょっと……今の無し。今のは忘れて」
「と、言っても覚えちまったもんはしょうがないだろ?」
「……ならレオンハルトにだけは絶対言わないで。……もし、レオンハルトがそれを知ったら……」
こちらに向かって強く念を押しながらも、想像して不安そうな声を出すスラルに、ガルティアはややあって納得した。なるほど、と。確かにレオンハルトが知ればどうなるか、容易に想像がつくからだ。
「確かに、アイツが知ったら真っ先に挑みに行きそうだな。なら黙っとくか」
「……そういうこと。あんまり危ない目にあってほしくないし……」
別にこちらとしては、レオンハルトが戦いたいなら戦えばいいと思うし、問われたら普通に答えるのだが、他ならぬスラルのお願いなら聞いてやるか、とそれを憶えておく。アイツとしても、スラルの為だと言ったら何も言わないだろうしな。
……でもまあ、そういう奴らも一応いるんだな。
少しだけ聞いたその名前。それだけではどんな奴なのかは想像付かないものの、スラルが不安に思うくらいには強い存在だということだろう。
そういうことなら怪我をして帰れなくなってる可能性もあるか、とガルティアは考えを改める。
と言っても、それを口に出すとスラルがまた荒れそうなので言わない。なので頭の中だけでそれを思考する。
……でも確かに、アイツにしては遅いんだよな……。
ガルティアはレオンハルトの性格を思い出す。前に自分で言っていた筈だ。あいつは、時間や約束を守らない相手が嫌いなのだ、と。
結構昔に話した可能性もあるので、詳しい内容はあまり思い出せないが、確か、過去に約束をすっぽかされまくったことがあって、それが嫌いで自分はそれらを守るようにしたとか何とか。
そして部下はそれをよく知っている様で、レオンハルトの軍では、命令や時間は絶対に守るように魔物将軍らが尽力しているらしい。彼らがいう規律を遵守するとはここから来ているらしい。レオンハルトも、わざとじゃなければ怒ったりすることはないのだが、それに甘える訳にはいかないということだろう。上司に似たのか、随分と真面目な連中だと思う。
そんなレオンハルトが、早く帰る、と言ったのならやはり早く帰ってくるのだろう。それこそある程度用事を終えたら直ぐにでもだ。
実際は休暇なのだし、日にちも指定していないのだから少し遅れたところで問題ない筈だが、あのレオンハルトは何もないけど休めるなら休んでおこう、とか考えるタイプじゃない。真面目ちゃんだからな、と。
そういう訳で只単に気が乗らないから帰ってこないだけ、というのはありえないだろう。何か理由があるに違いない。
偶然強いやつに出会って未だに戦ってるとかならあり得るかもしれない。レオンハルトは戦いとなると熱くなるしな。もしくは事故とか――まぁ、これはないか。
……考えてもわかんねぇな。
ガルティアはそれらを推察してみようとしたが、結局答えは出ない。ふと気になってスラルの方をちらりと見てみると、
「……はぁ……レオンハルト、何してるんだろう……」
また膝を抱えていじけ始めていた。
だが、確かに何をしているのだろう。それが分かればスラルも元に戻るのだろうが、それが分からないことには――
「――よし」
ガルティアはそこで膝を叩いた。そしてスラルに視線をやると、何気ない様子で、
「そんじゃ、様子見がてら遊びに行くか」
「…………えっ」
何を、と訳がわからないのか、驚いた表情を見せるスラルに、ガルティアは言った。
「行き先はわかってるんだ。そんなに心配なら確かめに行こうぜ」
「えっ、……は?」
そしたら解決だ、と妙案を思いついてしまったガルティアが、はは、と笑う。
そこでようやくガルティアの言を頭に落とし込んだのか、スラルが膝を崩しながら戸惑った様に、
「え、行くの? レオンハルトのところに?」
そう確認を取ってくる。ガルティアは頷いた。
「おお。別に行っちゃ駄目ってことねぇだろう。ほら、準備しようぜ」
「…………だ、駄目よ。そんなの迷惑だし……レオンハルトは休暇中なんだからゆっくりさせてあげなくちゃ……」
スラルが足を進めながら言う。手は何か赤い魔法の板の様な物を叩いており、それを動かして何かをしている様だ。その様子は明らかに、
「……よく分かんねぇけど、行く気満々じゃねぇか」
「……そうよ。最初からそうすれば良かったのよ。なら、早速準備しなくちゃ……ええと、魔軍はどれくらい連れてけばいいかな……。最近、レオンハルトに任せっきりだからあまり分からないのよね。……とりあえず100万くらいあれば何か遭っても大丈夫でしょう。それで今いる魔人を全員招集して――」
「って、おいおい。それはやめとけ」
不穏というか物騒な事を言っていたので慌てて止める。
スラルがこちらに顔だけ振り向き、
「え、どうして? レオンハルトが危ない目に遭ってるならこれくらい連れて行かないと……」
「魔軍を動員したら完全に仕事だろ。それに大騒ぎになっちまう。それはアイツも望まねぇと思うぜ?」
「……でも、もし何かあったら――」
心配性、という言葉が頭に浮かぶ。スラルは魔王の癖に妙に臆病なんだよな、とも。ガルティアは内心思う。
……何かあったら、ってのは二重の意味だな。多分。
純粋にレオンハルトを心配する意味と、自分の身の危険を考えているのだろう。
レオンハルトが居る時は、あまりそういった心配もすることはないのだが、今はそうではない。なので普段は表に出ていない不安が噴出するのだろう。彼が居れば守ってもらえる、とそういうことだ。
だがそうだとするとだ。これを解消しようとするなら、
……ガラじゃないんだけどな。
内心で嘆息する。そしてスラルを見て言った。
「……ま、安心しとけ。何かあっても俺が何とかしてやるよ」
「ガルティア……」
スラルがこちらを見上げてくる。似合わない、というのを自覚しながらも、
「アイツと比べたら力不足かもだけどな。一応俺も、お前に忠誠を誓った魔人だ」
だから、アイツがいない間くらいは、
「ちゃんと守ってやるよ。レオンハルトと合流するまでになりそうだけどな」
「……!」
スラルが驚いたように目を見開く。そしてそれを呑み込むと、
「……うん……そうだよね。……わかった、頼りにするね?」
「そうしな。もっとも、そういった事が起きるかは――」
微妙だが、と続けようとした時だ。
ばん、と扉が勢いよく開け放たれた。そして同時に高い声とともにとある人物が入ってくる。それは、
「――話は聞かせていただきましたわ! そういうことならわたくし達も付いていきますの!」
「ちょ、ちょっとキャロル! いきなり入るのは失礼だからやめなって!」
二つに結った金色の髪を靡かせてポーズを決めてそう言ったのは、魔人レオンハルトの使徒、キャロルだった。
そして後からもうひとりの使徒、ハンティが慌てて入室してくる。スラルがそんな二人、正確にはキャロルの登場と発言に対して目を丸くして、
「……聞いたって……この部屋防音してあるんだけど……」
だよな、とガルティアが頷く。だがキャロルは驚くスラルに向かって胸を張ると、
「わたくし、レオンハルト様のお話なら聞き逃すことはありませんの!」
「そんな無茶苦茶な……結構高度な魔法使ってるのに……」
「使徒として当然の事ですわ! 聞こうと思えば、半径100メートル以内ならどんな場所でも聞くことが出来ます!」
「あたし、そんな特殊能力持ってないんだけど……」
「精進が足りませんわねハンティさん。もっと魔物界一の完璧使徒であるわたくしを見習うといいですわ、ふふん」
「……いや、うん……凄いのは確かなんだけどね……見習えるのかな、それ」
「私の魔法……」
キャロルの自慢にスラルとハンティがげんなりとする。スラルは魔法が破られてショックといった感じだが。
とりあえずガルティアは気になったことを聞いてみた。
「なんだ、お前らも来るのか?」
「当然ですわガルティア様! わたくしもハンティさんも、そろそろレオンハルト様が恋しくなってきたところですし――」
「それはないけど……まぁ、色々と気になることはあるかな」
「――と、言うことですので宜しければわたくし達もお供させて頂ければと思いますの!」
いつも通り元気よくそうお願いするキャロルと、言葉通り何かを気にしているのか、複雑な表情でそう口にするハンティ。そんな二人の使徒の提案に、ガルティアは頷いた。
「なるほどなぁ……俺は別にいいぜ」
「……いや、私も別にいいけど……ただ、その間の仕事は……」
スラルが言いにくそうにしながらもそう発言する。確かに避けては通れない問題だ。
だが、それは問題ない、と。
「ご安心下さいスラル様! こんな事もあろうかと! 既に今ある書類や重要な案件は終わらせましたし、切迫した戦況もないので急ぎの仕事も多分しばらくありませんわ! あってもレオンハルト様の方が大事ですし待たせておきましょう!」
「というか全員休みでいいな。翔竜山行って様子見て戻ってくるだけなら3日かかんねぇし。何かあっても他の奴が何とかするだろ」
自慢気な表情で言うキャロルと、軽い調子のガルティア。そんな二人を見て、まずハンティが複雑かつ微妙な表情で、
「……ここ百年で思い知ったけど……魔軍って、意外と緩いというか軽いというか……これでよくまとまってるよね……」
「いや、その……」
そして同じくスラルも微妙な表情になる。ハンティの中のレオンハルトの評価が地味に上がってる気がした。
そんな二人に構うことなく、キャロルは手を前に突き出してポーズを取ると、
「では、早速準備を始めましょう! ……と、思わせて殆ど終わっていますが! 流石わたくし……! 七星には出来ないスマートな芸当ですわ……!」
「おお、そういや持っていくメシの準備しなきゃな。ちょっと食堂行ってくる」
「ご安心を! それも既にコックに言い含めておきましたわ! 後十分もすれば全員の分の弁当を持ってきてくれる筈ですの! ……こんな事もあろうかと!!」
「おっ、なんだ、手際が良いな」
「ふふん! レオンハルト様の使徒であるならこれくらい当然ですわ! ほらハンティさん! 先輩の凄いところですわよ! もっと褒め称えて下さいな!」
「……はいはい、すごいすごい」
「……そんなに褒められると照れますわー!」
急に賑やかになった部屋の中で、スラルはぼそりと呟いた。
「……なんかこっちの方が不安になってきたかも……」
「頼もしいだろ?」
「……まぁ」
頼もしいのは間違いないだろうが、別の意味で不安になる、とスラルの表情はそう言っていた。しかし、その様子は、
……少しは、らしくなったか?
いつものスラルに戻った様だ。ガルティアは軽く笑みを浮かべて少しだけ安堵の息を入れた。
――そして一時間後。
魔王や魔人、使徒を含んだ四人は、レオンハルトが向かったという翔竜山を目指して魔王城から出立した。
ガルティア「久しぶりの出番。その第一声がアレか……」
スラル「な、何よ。別にいいでしょ……」
ハンティ「……というかもう少しで魔軍が押し寄せるところだったね」
スラル「それは、その……ごめん」
キャロル「あ、一応そう言われても大丈夫な様に全軍に招集を掛ける用意はしてましたわ! こんな事もあろうかと!」
皆「!?」