魔人同士の激突。
常人では視認できない程の速度を持ってぶつかり合い、周囲には衝撃波が広がる。
それを完全に視認できるのは魔王と魔人のみ。他の者達は衝撃に耐えながら戦闘の把握に必死であった。
「ぎゃああああああっ!?」
一部、衝撃波に吹き飛ばされるリスの魔人がいたりしたが魔人にとってこの程度の戦闘の余波は問題ない。
彼らの目には少なくない驚きの色が混じっていた。魔人ギリウムは弱い魔人ではない。強さでいうなら上から数えた方が早い魔人だ。
彼の武器である鋭い爪。レオンハルトの身体に突き立てようと振るわれた爪をレオンハルトはその長剣で弾いたのだ。
だが、その弾いた本人はその事実に驚愕していた。
――おいおいこれで斬れないってどんな爪してんだ!?
魔剣オル=フェイル。
先程その斬れ味の一端を垣間見たレオンハルトはギリウムの爪の硬さにげんなりしてしまっていた。
……おいおいこれで斬れない爪ってお前爪長くなったらどうするつもりだ? 爪切りすらろくに出来ねぇじゃねぇかよ。
ドラゴンってのは皆こんなふざけた種族なのか? さすがにこんなことが出来るのは魔人になったこいつとカミーラくらいだと信じたいが。
それに打ち合った剣から衝撃が伝わりめちゃくちゃ手が痺れる。
それは打ち合って一瞬でわかった幾つかの事実の結果。
即ち力負けだ。
予想していたことだが、俺の膂力が上がっていても相手の力の方が何倍も上。攻撃の瞬間、咄嗟に背後に下がることで衝撃を逃したがそれでも足裏が地面を引きずられるようにして押された。
クリーンヒットを貰えばアウトか……頭の中で情報を書き加える。
爪の硬さから察するに、耐久力も相応に高いだろう。
唯一の救いは速さだろうか。僅かに俺の方が速い。
今も左から振るわれた爪を叩き落とすように上段からの振り下ろしで弾く。
随分と速くなったなぁ俺。今ならメガラスと楽しい戦いが出来そうだ。
もう一つ。長けている部分を上げるなら――客観的というより俺の自尊心から言わせてもらうなら技術。
剣術、近接戦闘では他のやつに負けたくない。――右斜め前。俺の首、頸動脈を狙って爪が振るわれる――が、それを右足を一歩下げながら半身になっての下段からの斬り上げでなんとか弾く。くっそ手が痛いな。
なんとか戦闘になっている事が少しだけ俺の心の余裕に繋がる。とはいえこのままではジリ貧。
僅かに勝る速度も俺がギリウムの力を完全に受け流せないでいるためあまり意味をなしていない。態勢を立て直すのに時間を使ってしまうからだ。
人間の時にやったメガラス戦よりはマシってくらいだ。今は身体も万全ではあるのだし。
やはり何処かで攻勢に回らないといけない。そんな余裕がないのだが、時間が経つにつれてどんどん俺の――前から、と見せかけたフェイント。一歩で俺の背後に回って俺の後頭部に爪が振るわれ、って、危、ないっ! と身体を捻っての回避――俺の疲労がどんどん蓄積されていく。
というかこいつ、さっきから完全に俺の事殺そうとしている。致命傷になるような部位ばっかり狙いやがって。戦術としては正しい、一つの正解だがいくらなんでも仲間である筈の魔人に容赦ねぇ。
その事にムカムカするものの現状を打破することが出来ない。
このままではなぶり殺しだ――最悪の未来を想像する。
そんな時だ。ギリウムが行動を起こしたのは。
ギリウムは目の前で戦うレオンハルトに対して腹立たしくも内心、称賛していた。
――ふん、存外やるではないか。
ともすれば初撃で終わってしまうやも――というギリウムの予想は裏切られた。レオンハルトの振るった剣で自慢の爪を弾かれたのだ。
なるほど、業物だ。おそらく魔王様から賜ったのであろうその剣は名剣であることを認めざるを得ない。
なにせ、自分の爪を弾いたのだ。鈍らなら一合、多くとも数合も打ち合わせれば折れているところである。
この爪はドラゴンであった時代、ククルククルとの戦いの時から現在に至るまでひたすらに鍛え続けた爪だ。この爪だけはカミーラ様にも負けないと自負している。
使い方も心得ている、魔人になってからも戦闘の腕は衰えていない。それを力負けしながらも弾くことが出来ているその技量。
人間なら一秒もかからず身体を別れさせ、亡き者にしているところだ。止めることなど天地がひっくり返っても出来ないであろう。
なるほど、こいつは魔人だ。認めよう。しかし、魔人であってもこうも簡単に爪を止めることが出来るか?
認めよう。こいつの技量は人間の間で剣の王と呼ばれるに相応しい。魔物将軍程度では荷が重いのも頷ける。
ドラゴンとして強者には敬意を払うものだ。ただの決闘であったのならその実力を認めて仲間と認められるべきだろう。
だが――それは叶わない。
それだけは――ありえない。
自分の僅かに冷静な部分が奴の実力を認めるのと同時に、奴を強く憎悪する。
これは魔人四天王を賭けた決闘。それが意味するのは――これがカミーラを賭けた戦いであるということ。
もしこれで負けたらどうなる? 昔と同じように他のドラゴンに、マギーホアに負けた時のように。アベルに連れ去られた時のように。目の前で愛する雌を他の雄に取られるのか?
――瞬間、ギリウムは過去と同じように、自分との決闘に勝ちカミーラを組み伏せるレオンハルトの姿を幻視した。
――――プツリ、と静かに激情が、誰にも気づかれないまま内心で荒れ狂う。
――ああああああああああああああああああ!!! カミーラ!! カミーラァッ!!!
ありえないありえないありえない。カミーラは渡さない。渡してたまるものか。カミーラを戴くのは私だ!
ドラゴン種、最後の雌に対する欲望が爆発する。いつもしている時と同じように。
あの髪を、あの足を、あの尻も、あの胸も、あの腕も、あの指も、あの顔も、あの性器も、あの美貌を! 次に味わうのは私、私、私だっ!!!
ギリウムは誇り高いドラゴン種であった。その欲望を表立ってさらけ出すような下品な真似はしない。
ただ、カミーラへの激情と比例してレオンハルトへの敵意が募り攻撃に容赦がなくなっていく。
許さん。許さんぞレオンハルト。新参者の、脆弱な人間であるお前にカミーラは渡さん。生ける王冠はお前に相応しくない。
――殺さねば。生かせば更に強くなって奪い返しにくるかもしれない。
それはある意味、ギリウムにとっては最大限の敬意であるかもしれない。
この雄は強い。今はまだ自分よりも弱いが、いずれ更なる成長を遂げるだろう。それが自分を超えることはないと楽観は出来ない。
あくまでもレオンハルトがカミーラを欲しがっている、という前提でギリウムは考えを進める。良くも悪くも彼の世界の中心はカミーラであった。
ギリウムは考えた。目の前の雄を速やかに戦いで殺す――そして行動に起こした。
「ガァアアッ!!」
「――なっ!?」
自慢の爪を地面に思い切り叩き込む。
辺りに土煙が舞い上がり、奴が驚きの声を上げる。
上空に飛び上がると直ぐ様力を溜めて、それを地面に、レオンハルトに向けて吐き出した。
ブレス。ドラゴン種がドラゴンたる所以。魔人になって強化されたそれは凄まじい勢いとエネルギーで放射状に広がる。
さて、これで終わるのか。そんな自問をしながら眼下に全速力で突撃した。
「ウガァァアアアアッ!!!」
土煙とブレスの余波が残る中、ギリウムは正確にレオンハルトの姿を捉えた。
――どうやらブレスの直撃は回避したようだな。それを確信していたギリウムは真っ直ぐにレオンハルトに向けて――
「ゴォオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「――ッッッ!?」
爪を叩き込んだ。
「――レオンハルト!?」
「…………がっ、はっ」
ギリウムに爪を叩き込まれ、城の壁に激突したレオンハルトは意識が吹っ飛びそうな衝撃とダメージを受けて苦悶の声を漏らした。
……痛ぇ。くそ、あんな単純な手に引っかかっちまうとは……
ブレスの存在は知っていた。筈なのにそれが意識の中に無かった。単純な目くらましとブレスを囮に爪でとどめ。
視界を封じて、体勢を崩し、本命を叩き込む。くそっ、戦いの基本じゃねぇか。
そんな手に引っかかった自分にむかっ腹が立つ。
だが、このダメージは……。
幸いにもまだ命に別状はない。というより魔人の身体が頑丈すぎる。大きな傷が腹に出来て血が出ているが、人間であればやがて死ぬような傷も致命傷ではない。
それでも殆ど瀕死のようなものだ。
早く動かねば殺されるだろう。いや、ひょっとしたらもう手遅れかもしれない。
最近、負けてばっかりだな俺は。
俺は目眩を覚えつつも周囲に視線をくばった。幸いにも、追撃はまだ来ない。
……もういいんじゃないか? そんな思いが俺の中に浮かび始める。
十分、戦った。魔人になりたてでそれなりに保ったんだから善戦しただろう。参った、ごめんなさいと言って命乞いすれば助かるかもしれない。
魔人四天王や魔軍参謀には興味がない。それを譲ってスラルにでも泣きつけば――
――そうだ、スラルは。
ふと自分が忠誠を誓った相手を思わず探してしまう。そしてその姿は直ぐに見つかった。
壁際にてこちらを見るスラルの表情を見た時――俺の心臓は止まりそうなほどに脈打った。
――おい……なんつう顔してんだ。
スラルの表情は魔王としての体裁を保とうとしていたが――俺には分かる。今にも泣いてしまいそうな表情だ。
おいおいあれ、周りの奴ら気づいてないのか? あれじゃあ威厳なんて木っ端微塵に砕け散るぜ? 早く元の表情に戻せよ。このままじゃカリスマブレイクしちまう。
つーか、何だ。前から思ってたけどあいつ本当に魔王か? 全然そんな感じしねぇぞ? 見た目はただの少女だし、性格だって人間としか思えねぇ。大人になってからあれほど喧嘩するとは思わなかったぞ。傍から見たらギャグみたいなもんだ。魔王を自称するなら今すぐその顔やめろよ。魔人なんか幾らでも作れるんだから主の命令を守れない俺なんかゴミみたいに捨てりゃあ――
瞬間、俺は何故か左手を壁に叩きつけていた。
――はぁ、勝手な事ばかり言いやがってよ――自分に嫌気が差してくる。
あんなふうに泣きそうな表情を浮かべさせてるのは誰なんだよ。
――俺、だろ。
自分の情けなさを主に押し付けてんじゃねぇよ。
……はぁ――……俺もヤキが回ったかな。随分と情けない。むかつく。俺はいつからこんな弱くなったんだ?
一度は集落を背負うという思いを胸にして、一度は主に忠誠を誓っただろう?
――――俺はまだ、一度もあいつの命令をこなせてないだろうが。
…………あー、頭がすっきりしてきた。そうだな、やることはしっかりと決まっている。
気づけば俺は握ったままの剣に強く力を込めていた。冷静に考えると何やってんだ俺、って感じだけどよ。
情を裏切られて、情を受けずに長いこと過ごしてきた所為か? 出会ってまだそんなに経ってないっていうのによ。俺はこんなにもちょろかったか? でも、俺に良くしようとしてくれるあいつの期待を、他ならぬあいつの魔人である俺が裏切ってどうする。
「…………おらよっと」
「――!」
壁を背もたれに倒れ込んでいた俺が立ち上がると、ギリウムや周囲から驚愕した雰囲気が感じ取れる。
「ふん、まだ生きていたか。だが既に――」
「あー、ちょっとストップ。黙れ」
「――何だと?」
ギリウムから怒気が感じ取れる。
「そういうのもういいだろ? 水差すなよ。今頭すっきりしてていい気分で今なら何でも出来そうなんだから」
余計な事は考えない。
今考えるのは目の前の相手を斬ること、殺すことだけだ。
「やることはお互いはっきりしてるだろ? ――最初に殺気を見せたテメェが悪いんだからな。斬り殺してやる」
「き、貴様――言うに事欠いてそのような戯言をッ! 死ぬのは貴様だ――!!!」
第二ラウンド――いや、最終ラウンドにしてやる――!
ギリウムの再度の、最初の攻撃はやはりと言うべきか爪だった。
右手で振るわれるそれは確実に俺を仕留めようと頭を狙ってきている。
「――あ? ……ククッ、何だそりゃ?」
「なぁっ――!?」
ギリウムの攻撃を受け止めることすらせず身体を反らすだけで回避する。
ギリウムが仰天したような声を出すのが面白い。
「貴様……!」
「不可解って顔だな。いや、俺も見えてるって訳じゃ――」
「ッ!!!」
「ん……こっち、か」
ギリウムの左からの横薙ぎに振るわれた爪を今度はかがむようにして回避。
「な、何故だっ!? ええい、こんなの偶然――」
「何ていうか不思議な感覚でよ。お前のその爪攻撃が剣術のそれに似てるからか? 何処からどう来るか大体読める」
斜めに振るわれる爪を感覚に従って回避する。
ギリウムはそれを信じまいと今度は連撃を見舞ってくる。
「死ねェ――!!」
「…………」
攻撃を躱す。躱す。躱す。振るわれる相手の攻撃を自身の感覚に従って回避し続ける。
何だろうな、これは。見切り? 心眼ってやつか? 相手の攻撃が読めてしまう。
というかだんだん目も慣れて――
「――あー……一つ訂正しとくぞ」
「――死ね死ね死ねェェ――!!」
「聞いてないか。……悪いが見えてないってのは嘘だ。だんだん目の方も慣れてきた」
「――――ッ!?」
ギリウムが今度こそ驚愕し、一度下がる。
「まずい! 皆退避――!」
魔物将軍がその動作を見て叫ぶ。俺の背後にいた奴らはその軌道から急いで離れた。
「――――!!!」
声にならない声と共にブレスが放射される。
相手は満身創痍、当たれば仕留められると放たれたそれは、しかし俺には当たらない。
「ブレスしてくるってのは読めないが、そんだけわかりやすい動きをされると予想がつくな」
「――ッッッ!?」
ブレスの範囲内からいち早く逃れるように側面に移動した俺は剣を両手で握る。
すると俺の身体の周囲から細い線のようなオーラが浮かんで見えるようだった。
「そろそろ振るからな。防御しろよ」
「――!! グぅッ――舐めるなッ!」
その言葉と共に魔剣オル=フェイルを袈裟に振り下ろす。
ギリウムは爪で何とか防御し、力で俺の剣を弾き飛ばそうとする。
だが、俺はその勢いを利用して回転するように今度は逆側から剣を振り上げた。
「なっ――! グッ!」
ギリウムはそれも爪で防御。その勢いでまた剣を振る。
「ガァッ!?」
今度は少し逸れて腕に赤い線を斬り刻む。
それでも攻撃は止めない。斬る。
「――あ、ガッ! ギィっ! ゴッ!」
斬る。斬る。突く。斬る。払う。斬る。突く。突く。払う。斬る。払う。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。
俺の手数に対応出来ず防御を失敗する度にギリウムは全身に無数の斬り傷を作った。
おいおい、まさかここまで出来るようになってるとはな。俺は自身の成長に驚いていた。
ここをこうすればまた攻撃出来る。こう動けば有利になる。こういう風に身体を動かせば隙は無くせる。
雪崩のように次から次へとアイデアが浮かんで、それを実行出来る。剣を振るうのが楽しくてしょうがない。
剣ってこんなにも自由で、果てのないものだったのか? まだまだ先があるじゃねぇか! 例え果てに到達したとしてもこの魅力からは抜け出せないと確信出来る。
もっとだ、剣の理ってやつを俺にもっと極めさせろ!!!
――その境地を知るものが見れば、こう確信しただろう。
――前人未到。伝説。達人の中の達人。バランスブレイカー。魔人になって彼の才能は開花した。
「――――剣戦闘LV3」
「まさか、このような展開になるとは……」
周囲では魔人、魔物将軍、魔物隊長らがざわついていた。
その中心には二人の魔人。
「クク……!」
「グウゥウウっ、こんな、こんな馬鹿な事が……ッ!」
おかしい。なんだこの状況は。
私は誇り高いドラゴン種の魔人だぞ! 生ける王冠であるカミーラを戴くドラゴンの新しい王だ!
人間に負ける道理はない筈だ!
ギリウムは酷く動揺、狼狽していた。
身体には無数の切り傷。それは奴が剣を振るう度に増えていく。
こちらの攻撃は通じず、そもそも最早攻撃の機会すら与えられない。ずっと相手の攻撃。防御しても逃げても相手の攻撃。
一度は追い詰めた筈の形勢は完全に逆転していた。
眼前で剣を振るい続ける剣鬼、魔人レオンハルトには、抑えきれない喜びの感情が口角や声に表れていた。
「……悪いなぁ? こんなにしちまってよ。ちょっとやられてから覚醒して逆転なんて展開、使い古されすぎて寒いだろ?」
「くっ――!」
挑発するような言葉も嬉々として言ってみせる。先程までの印象からガラリと変わっている。
「アンタにも悪い気がするし、ぺちゃくちゃ喋られながら甚振られるのも嫌だろ? だから――」
――そろそろ終わらせるぞ。
「――ッ! ま、待て――ッ!?」
反転。底冷えするような冷たい表情を浮かべたレオンハルトは蒼い剣を振り上げ、
「――――」
一閃。
奴が私の身体を通り過ぎ、時が止まったように動きが止まる。
先程までとは打って変わって静寂が辺りを支配しており、周囲も息を呑んでいる様子だ。
わ、私はどうなった? 何故動けないんだ?
――いや、手は、上半身は動く。支障はない。
――――なら、下半身は?
そうギリウムが考えた時――身体が滑るようにズレ始めた。
――ッッッッッッッ!!!???
ギリウムは自分の身体の状況に気づく。
「――ァ……あぁ……!」
嫌だ。やめろ。止まれ。それだけは嫌だ。
心の中で否定を続けるギリウム。その願いは聞き届けられることなく――
「ぁぁぁぁああああああああっっっっっ――――!!!」
身体が真っ二つに別れた。
急激にギリウムの身体に痛みが駆け巡り、しかし同時に少しずつ身体の感覚が薄れていた。
――魔人ギリウムはその命を終えようとしていたのである。
それを理解し、ギリウムは視線である人物を捉える。
レオンハルト――ではない。ここに至ってギリウムは自分をこうしたレオンハルトなど眼中になかった。
「カ、ミーラ……」
言葉を振り絞り、愛しい人の名前を呼ぶ。
頼む、助けてくれカミーラ。私はこの世界で数少ない同胞――お前とつがいになる男の筈だ。
「…………」
しかし、カミーラは答えない。それどころかギリウムを見るその視線は――汚らわしい虫けらを見る目そのもの。
――あぁ……何故だ、何故だ、カミーラ……私の愛しい人よ……!
ギリウムは結局、最後の最後までカミーラを理解出来なかった。それは、ともすれば彼にとって幸運だったのかもしれない。
「れ、レオンハルト様の勝利……」
魔人ギリウムの身体が紅い球体――魔血魂になり決闘が終わっても辺りは静寂に包まれたままだった。
彼らの心中は戦いの勝者、即ち新しい魔人四天王となったレオンハルトのことで締められていた。
戦いの最中に突然豹変し、ギリウムに圧倒的な実力をもって勝利した彼を畏ろしく思い、それでいながら敬意を払った。
魔物は強い者が正義。実力を示したレオンハルトの就任を拒むことは、少なくともこの場にいる者はしないだろう。
「…………」
そして視線を集める魔人、レオンハルトはゆっくりとギリウムの魔血魂を拾い上げると、そのまま真っ直ぐ歩みを進める。
その歩みの先には――この場の絶対支配者である魔王スラル。
「…………」
「…………」
二人は無言のまま視線を交わす。
少しの間を置いて、レオンハルトが膝を突き、その手に持っていた魔血魂を献上する。
それを少し見つめてから受け取ったスラルは、突然瞳を輝かせ力を込めるように魔血魂を射抜いた。
――突如、魔血魂がスラルに吸い込まれていく。
魔血魂の初期化。魔人の完全なる死である。
魔人は死んでも魔血魂になり、宿主にそれを飲ませればその肉体を乗っ取って復活することが出来る。
だが、魔王に魔血魂を初期化されるとその中にある精神もなくなる。
この瞬間、魔人ギリウムはこの世界から完全に消滅した。
そしてスラルは作業を終えると、レオンハルトに視線を戻してその場にいる皆に聞こえるように言い放った。
「――大義よ」
魔王からの称賛の言葉。それに続けて、
「正式に魔人レオンハルトを魔人四天王、並びに魔軍参謀の任に就けるわ。異論のある者はいる?」
その言葉が自分達に向けられた問いであることに気づき、魔物将軍や魔物隊長は一斉に言葉を発する。
『はっ! おりません!』
異論などある筈もない。実力のある魔人なら歓迎だ。
その日、新しい魔人四天王――レオンハルトが誕生した。
決闘を終え、一度怪我の治療をするため、魔王スラルはレオンハルトを連れて自らの私室に戻って来た。
「おお……神魔法なんて初めて受けたが、マジで痛くなくなっていくんだな」
「使える人ほとんどいないから知られてないけどね」
ヒーリングを掛けて彼の身体を治す。関心したような表情が面白い。
「これで大体は治ったはずだけど……どう?」
「痛みはないし、身体も動くな……ただまぁ、言いにくいんだが」
言い淀む彼に私は催促の言葉を掛ける。
「なに? 言ってみて」
「……めちゃくちゃ眠い。何処か眠る場所ないか?」
なんだ。そんなこと。
「私のベッド使っていいわよ」
「は、はぁ?」
「? なんでちょっと嫌そうなのよ。疲れてるなら寝た方がいいわ」
ヒーリングは怪我は治せても、失った体力や疲労までは癒せない。おそらく眠いのはそういう事だ。
……それにしても、自分から眠りたいって言ったのに何故ベッドを断るんだろう。
あ、ひょっとして主のベッドを使う訳にはいかないとか?
「いや、あー、うん……まぁいいか。なら借りるぞ」
「あ、うん。おやすみ」
「…………おやすみ」
彼は何故か最後まで私を見て変な顔をしていたが、ベッドに潜ると直ぐに寝てしまった。
……無理させちゃったなぁ。
よっぽど疲労が溜まっていたのだろう。思えば魔人化してからここまで急だった。
魔人は殆ど休まなくても身体を壊すことはないが、だからといって休まない道理もない。
「…………」
ベッドに腰掛け、彼の寝顔を眺める。目を瞑ると印象変わるなぁ。普段は鋭い目で眉間にシワを寄せることが多くクールな印象が強いが、こうしてみると随分と穏やかな印象。寝てるからかな。
先程の決闘の時も後半、物凄い迫力だった。LV3ならあれくらい出来ると思っていたが、あれはちょっと怖い。今度注意しよう。あれじゃギリウムも相当――
「――っ」
ギリウムの事を考えた瞬間、私は胸を押さえる。
今思えばあそこまでする必要はなかった。
決闘もそうだ。あんな死んだ方が負けなんてルールを提案しなければよかった。
レオンハルトがギリウムを斬り刻んでいった時――
――私は口端を僅かに上げていた。
彼が、自分の作った魔人が生意気な前魔王の魔人を苦しめているのを見るとドキドキして心が躍った。
あの魔人の血をもっと見せてほしかった。あれほど痛快な見世物はないと思った。
あそこまでする必要はなかった。少し欲求を発散させるだけでいいのにあの時は歯止めが利かなかった。
――全て言い訳でしかない。
私は立ち上がると部屋の鏡に映る自分の姿を見る。
そう、私は魔王だ。
どこまでいっても私は魔王でしかない。
「……私って酷いわね」
スラルの呟きは誰の耳にも届かなかった。
――魔王城
スラルがレオンハルトを連れて、部屋で治療を行っている頃――魔人四天王カミーラは割り当てられた部屋のソファーに腰掛けていた。
彼女はいつもと同じように無表情で虚空を見つめて怠惰を貪っていた。
だが、
「――――く、くくっ」
不意にカミーラの口から声が漏れる。
見れば表情も僅かに笑みを浮かべており、それはカミーラが誕生してから今まで一度もなかった事だ。
「……くくっ……くくくっ……」
カミーラは笑いが抑えきれないとばかりに美しい唇を笑みの形に変えた。
「……くくっ……まさか……ここまで都合良く……転ぶとは……」
正に夢にも思わなかったとカミーラは笑う。
カミーラが愉悦を感じている原因――それは魔人ギリウムの死にあった。
神に飽きられて絶滅させられたドラゴン種の中で、ギリウムは唯一の同胞ともいえる存在だった。
それ故にカミーラに懸想しているのは無理もない事である。ドラゴン種は多かれ少なかれ皆そうであったのだ。好意を見せることはなくても嫌いになる程ではない筈である。
しかしカミーラはギリウムが嫌いだった。それも無理のない事ではあるが。
――戦いを恐れ……逃げ隠れた臆病者の分際で……! いけしゃあしゃあと……私の前に現れおって……!
ギリウムは魔王アベルとドラゴン王マギーホアとの戦い、ラストウォーでアベル側について戦った。
だがギリウムはアベルがマギーホアに勝てないと知ると早々に雲隠れした。
あの戦争では皆が戦いに繰り出され最後まで戦った。アベルに付いたドラゴンも死ぬまで戦い、あのアベルですらも何度も負けて逃げ隠れながらもマギーホアに挑み続けた。
ドラゴンが天使に狩られ尽くし、カミーラは少なからず衝撃を受けた。そして新しい人間の魔王――スラルに魔人として恭順した。
そんな折に奴は、魔人ギリウムは現れた。身の毛もよだつ愛の言葉を口から嘯きながら。
――私の妻になってほしい。愛している。今世界で一番強いドラゴンは私だ。
ふざけるな……!
直ぐ様殺してやろうと思った。ギリウムはカミーラよりも弱者であった為、それは容易であったがさしものカミーラも同胞が天使に狩られた直後とあって躊躇した。
だが、それでも口説き文句は止まらない。
よくもまあそんな言葉を吐けたものだ。今更姿を表した卑怯者の弱者の癖に。今最強のドラゴンは私だと嘯く。
お前などマギーホアやアベルはおろか、四大聖竜や散っていったドラゴン魔人にも及ぶものか。
そう言ってもしばらくすれば再び愛の言葉。そして自らを持ち上げる発言。
今日に至るまで100年。いつも前時代の古い掟を引っ張り出しては近づいてくる。
その際に視線が胸や尻にいっているのも不快だった。何度殺そうかと思ったか。気づいていないとでも思っているのだろうか。カミーラにもプライドがある。少なくともあんな奴に見せるための肉体ではないと断言出来た。
アベルが可愛く見えるレベルの執着心にカミーラは辟易していた。
そんな時に今回の集まりだ。
魔王が新しい魔人を紹介するといった。それには別段興味もなかった。剣の王と呼ばれた人間。どうだっていい。
しかしその魔人、レオンハルトを魔王スラルは気にいっているようで、新しい魔人四天王と魔軍参謀という要職に就けると言った。それも好きにすればいいと思った。
だが、それに反抗した魔人ギリウムが自身に意見を聞いてきたところで少し恨みを晴らしてやろうと思った。
レオンハルトは魔王様のお気に入り。そんな奴にギリウムが私に対する嫉妬心から因縁をつければどうなるか。それは魔王の怒りを買うことに他ならない。少しでも苦しめ。そんな思いからレオンハルトが魔人四天王の座に就くことに賛成した。
案の定、ギリウムが決闘を申し出た。カミーラの予想に反してレオンハルトがギリウムを殺し、更には魔王スラルがギリウムの魔血魂を初期化したのは驚いたが。
――だが、その瞬間。カミーラは呪縛から解放されたような清々しい気分だった。
憎かろうが同胞であったギリウムが死んでも心が傷まない。むしろ溜飲が下がった。こんな事ならさっさと自らの手で殺してやるべきだった。
「……くくくっ……魔王様とレオンハルトに……感謝してやりたい気分だ……」
暫くの間、カミーラは部屋でくつくつと笑い続けた。