魔人ますぞえはその光景を見ていた。
視界の中に、先程まで戦っていた魔人が正座の状態で魔王に怒られている。その様相はますぞえにとっても恐ろしいもので、同じ様に縮こまって難から逃れようとする。
周囲ではその魔人、レオンハルトが怒られているのを茶化す他の魔人や使徒もおり、それにこちらの使徒達も加わっている。ハニ子も一緒だ。
「…………」
しかしそれを見ても、ますぞえは思考を動かさない。
それはますぞえが魔人になってからずっと変わらないもの。何故そうなったのかは、正確なところ解らない。
だが、確かに原因はある。
かつてのことだ。
ますぞえはある日突然、魔人となった。
原因はもはや憶えてないし、思い出すこともない。彼が認識しており、唯一重要な事柄は、己が魔人になったという事実だけだ。
魔人となってからの日々も殆ど憶えていない。思い出すこともしない。
ただ気がつけば、この奈落という何もない空間に己は存在し、そしてハニーであった頃とは比べ物にならない強大な力を己は持っていた。
そしてその強大な魔人の力が原因で、他の多くのハニーから孤立した。
それを寂しく思ったかどうかは解らない。だが気がつけば、何かの気まぐれでよくわからない使徒を作り、馴染みのハニ子が出来た。
しかしそれでも、己は何かを考える必要はなかった。
強大な力を持つ自分は、何かを考えたり、その力を振るうことはしなくても良い。殆どのものは、自分を見た途端、戦う前に逃げていくし、戦ったとしてもそれは一瞬で終わるものだ。考える必要はない。
故に、ますぞえは思う。己が生きる理由はない、と。
この奈落という空間の中で、ただじっとしているだけで良い。
だって、何もせずとも生きていられるのだから。何かをする理由はないし、しても何も意味はないのだから。
だが、
「――レオンハルト。貴方は魔人筆頭なのよ? その魔人筆頭が、出会ったばかりの魔人を、問答無用でボコボコにしようとするなんて何考えてるの? 可哀想とか思わないの?」
「……そ、それは……こいつも戦う気みたいだったし、話をする気もないみたいだったから――」
「今はおとなしいじゃない。レオンハルトが怖がらせるから襲ってきたんじゃないの?」
「……おとなしいのは多分、お前を怖がって――」
「――何か言った……?」
「何も言ってないですっ!」
「…………」
怖い。
魔王とは、こんなに怖いものだったのか。
この魔人だってそうだ。
己と同じ魔人と会うのは初めてだったが、その相手は強大な力を持つ己を越えた力を持った存在。それとの戦闘は、思考を回さざるを得ないものだ。でなければ死んでいた可能性もある。それくらい強い存在。
それほどの存在を怯えさせる魔王は、それよりも怖い存在なのだ。
しかし、どうしてか、
「…………」
ほんの少しだけ感情が動くのを、ますぞえは感じた。
「――と言うわけで、調査するから皆は待機ね。……レオンハルトはしばらく正座で」
「了解」
「……ああ」
一通りの説教を終えたスラルは皆に待機を命じると、そのまま何かの魔法を発動して調査に入る。それを見ていたレオンハルトは、
……待機ってことは、一人で調査出来るんだな。
手分けして何かを探す、とかではなく、スラルは一人で調査することにした。よく解らないが、魔法で何とか出来るのだろう。便利なものだ。最近、魔法を学び始めた自分としても興味がないでもないが、
……今は、正座に耐える時だ……。
故に余裕はない。何で、正座とは足が痺れるのだろうな、と思う。鍛えていても辛いことに変わりはないのだ。
その間、何気なく周囲を、横を見る。そこには、
「…………」
ついさっきまで戦っていた魔人、ますぞえがおり、
……こいつ、改めてみてもよく解んねぇな……。
その表情は動かないし、喋ることも一切ない。感情が動いているかも怪しい。一応、意思くらいは微かにあると思うが、それも確認のしようがない。
……そういえば、引き入れるとか言ってたな……。
影武者を自分が誤って殺した時、スラルが言っていたのがそれだ。色々と聞いた後に引き入れると。
だが、奈落の王の正体は魔人であった訳だし、その関係で魔王の命令は絶対なのだから逆らえない――というよりは逆らわないとは思う。魔に属する者であれば、本能が自然と膝を突かせるのを選ばせる。それが魔王だ。故に引き入れるのは難しくない。
しかし、このますぞえに限っては言うことを聞くかどうかは微妙なところだ。
絶対命令権を使えば否応はないが、それをスラルは良しとしない。
……さっき使われたばかりだが、これは例外だしな……。
人に嫌がることを強制するようなことはしないのだ。少なくとも平常時は。
なので断られるかもな、とも思う。
しかしそれを承知の上で、魔軍参謀として一応、
「……おい、ますぞえ」
呼びかけてみた。しかし、
「…………」
返事はない。それどころかこちらに反応したのかも解らない。
だが、それでも構わず、
「お前、うちまで付いて来るか?」
「…………」
続けて聞く。今度は、ほんの少し反応した気がした。
といっても、こちらを見た――様な気がするだけだ。本当にそうかは解らない。
しかし、それを代弁するように、ピンク色のハニーが、
「うふ、確か、レオンハルト様でしたか? そんなことを言っても、ますぞえ様は…………あら?」
「……………………」
「? どうした? お前、ますぞえの言ってることが分かるんだろ? 一体なんて――」
「……迷ってらっしゃるわ」
「あ?」
「お?」
その言葉に、周囲の者達も注目した。
勧誘に迷っている、そんな言葉により驚いたのはハニ子と、二人の使徒で、
「……本当に珍しい。ますぞえ様ったら、少し乗り気だわ」
「ま、まさかですか。もう長いことこの奈落で引きこもり続けたますぞえ様が、ついに表舞台に姿を現すと?」
「ほ、本当ですか。一切何もすることもなく自堕落な生活を送り続けたますぞえ様が、ついにお動きになられると?」
アンビリーバボー! と、二体の使徒が声を上げた。うるさい使徒だなぁ、と思いながら、
「……そんなに珍しいのか? というか、このますぞえはいつからここにいる?」
気になって聞いてみると、二人の使徒は声を揃えて、
「解りません。少なくとも私達が第一使徒として仕えはじめた頃には、既に魔人として今と変わらない強さでありましたので……」
「……なら、あんた達はいつから使徒になったの?」
と、聞いたのはハンティだ。その質問に、二人の使徒は頷きを入れ、
「私が使徒になったのは……確か三百年ほど前だったかと」
「なら私は、四百年ほど前だったかと」
「あっ! 汚いぞピット!」
「早いもの勝ちだ、のろまなブラッド……!」
言って殴り合いを始める使徒二体。それを呆れながら眺めるも、続けてハンティが、
「……とりあえず、三百年くらいから前にはいたってことね。ま、ハニーは古い生き物だし、それもあるかな……」
息を吐きながら言う。その言になるほど、と頷く。
……ま、スラルが魔人にした訳じゃねぇし、十中八九、前魔王ってことになるのか……?
となると自分よりも遥かに年上なのだろうか、と考えていると、またしてもますぞえの二体の使徒、そのうちの一体が、ハンティに声をかけ、
「時にお嬢さん。そこの馬鹿な第二使徒など放っておいて、私とデートにでも行きませんか? 美味しいハニワそばのお店を最近見つけましてね。ハニログで星5の評判のお店です」
「はぁ……?」
意味不明、と言わんばかりにハンティが呆れたように閉口する。
しかしその誘いに反応したもう一体の使徒が、
「黙れ味覚障害。あのお店に評価付けたのお前だけだったじゃないか。お嬢さん、そこの第二使徒なんて無視して、私の見つけたぷちハニー料理専門店にでも行きませんか? 毎日行列必至のお店ですよ!」
と、喧嘩を売った。再び、
「フッ、笑わせるなピット。お前の下品な面を見ながら食事を取るなどお嬢さんが可哀想だ。ということでお嬢さん、私と小洒落たバーにでも――」
「黙っていろブラッド。お前の汚い顔を見ながら酒など飲めるか。気持ち悪くて吐き気がするだろう。なのでお嬢さん、私とやらしいホテルにでも――」
お互いに顔を見合わせ、同時に殴り合う。
「くたばれ第二使徒め……!」
「……どっちも死んでくれないかな……」
「ハンティさん? 彼らはもう死んでますのよ?」
そうだった……、とハンティが頭を抱える。現実の理不尽さを嘆いているのだろう。
そしてキャロルの指摘を聞いた使徒達が殴り合いを止め、ハンティを見ると、彼女を煽るように、
「ぷぷっ、お嬢さん。私達はもう死んでましゅよ~?」
「ゴーストに何を言ってるんでしゅかぁ~?」
「ぶっ殺す……!」
「あいやーっ!?」
ハンティがゴーストハニーの使徒二人を剣で殴り始めたのを見て、レオンハルトは吐息しつつ、
「……とにかく、どうするんだ?」
「……………………」
ますぞえの身体がほんの少し動いた。
そして、ハニ子を見ると、
「……あら……本当に……?」
「……………………」
「ええ、わかりました」
「……ますぞえは何て言ってるんだ?」
ぶっちゃけ本当にやり取りが成立しているのか、傍目には解らない。一人で適当に頷いているだけに見える。
だが、ハニ子に確認を取ってみると、
「どうやら……行ってみてから決めるそうです」
「行ってみて?」
はい、とハニ子が頷きを入れ、ますぞえを半身で見ると、
「とりあえず、そちらが住んでいる魔王城に行ってから判断すると……本当に珍しい……いえ、初めてのことです。ますぞえ様が、奈落から動こうとするなんて……」
どうやら本当に珍しいのか、ハニ子はかなり驚いているようだった。所詮ハニーなので、表情はそこまで読み取れないが、声でそんな感じであることが分かる。
しかし、それなら、
「……それじゃあ、スラルの調査が終わったら付いて来るのか?」
「…………」
「そうする……とのことです」
……意外とあっさりだな。
このハニ子や二体の使徒の様子から察するに、もっと苦労するかと思われたがあっさりと決まってしまった。いや、判断は保留なのだからまだ解らないが。
なら後は、
……スラルの調査待ちだな……。
早くしてほしいものだ。早くしてくれないと、
「……足が……」
段々と痺れがやって来たのを感じ、レオンハルトは表情をしかめた。
……何の痕跡もないわね。
スラルは、魔法で奈落の調査を行なっていた。
主に調べるのは、魔に関する気配。次に死体や遺物。後は細かな異常を見つけようとしているのだが、その成果は芳しくない。おかしなところが全く見つからないのだ。魔に関する気配も、ますぞえの物くらいしか無く、
……駄目ね。外れ。
そこでスラルは、吐息とともに魔法を切った。やはり何も見つからない。
さすがに死体までは期待していなかったが、何らかの痕跡くらいは見つかると思っていた。何せ魔王に関するものなのだし、そうでなくとも形跡が何一つ無いのも不自然だ。
逆に、ここまで何もないとなると、別の可能性が浮上してくる。
まず、あり得ないだろうが、
……今も生きてるか……もしくは、綺麗さっぱり消されたか。
自然死であれば痕跡がないのは不自然。ならば何らかの関与があって、痕跡が消されたというのが、可能性としては高い。
問題は、それが誰、という部分だが、
「……やっぱり――」
スラルは懐から、徐ろにある物を取り出してそれを見つめた。
それは、ひまわりの形をした黄金の像であり、
「…………」
しばらくの間、それを黙って見続ける。
彼が迷宮に行って拾ってきた物や、私が直接見つけた物。
同じ様な物が、手元には既に存在し、
「…………はぁ」
スラルはそれを再び懐に戻した。そして息を吐いて緊張を鎮め、
……まぁ、とりあえず、今はいいかな……。
それよりも、今は優先すべき事柄がある。こっちは後回しだ。
故に、調査を終えたスラルは皆のところに戻り、
「――ん、終わったから帰るわよ」
と、言った。皆、思い思いに暇を潰していたが、その声に反応して帰り支度を始める。
そんな中、未だ律儀に正座を続ける彼に近づくと、
「ほら、レオンハルト。行きましょ」
「あ、ああ……」
膝を震わせながら立ち上がるレオンハルト。その表情は苦悶に満ちており、傍から見ても辛そうだ。相当痺れが来ているのだろう。
何となく、それが面白かったので、彼の足をちょんと触ると、
「――ッ!? お前……!」
「あっ、ごめん」
表情を歪ませ、勢いよく顔を向けてきたので軽く謝る。
そして苦笑しながら、彼に尋ねるのは、
「――それで、ますぞえは?」
「ん、ああ……とりあえず付いて来るってよ。うちに定住するかは保留だ」
「……そ、ありがとね」
当然の様に聞いていてくれたレオンハルトにお礼を言う。やっぱりお仕置きの最中でも、気を利かせてくれる様だ。
……私、人見知りだしね……。
魔王ではあるが、あまり人に命令したりするのは得意じゃない。やる時はやるが、あまり気が進まないのだ。自分がますぞえにそれを聞いたら、命令の様になってしまいそうだし。
なのでよくやってくれたと思う。レオンハルトの横にいるますぞえが立ち上がったのを見て、
「それじゃあ、ますぞえも。行こっか。何かあれば遠慮せずに言ってね?」
「…………」
微かに、こっちを見た気がする。何となくだが。何を言っていて、どんな感情を抱いているかは解らないものの、
……否定、ではないかな……?
と、そんな風に感じながら、スラルは皆とともに魔王城に帰還した。
「――と、言うわけで、一時的に魔王城に滞在する魔人ますぞえだ。あまりちょっかいは掛けるなよ?」
「…………」
「…………え?」
「ま、また強そうな魔人が……」
謁見の間で、突然紹介された巨大な、ハニーの魔人の姿に、魔軍に属する者達は困惑した。ケイブリスなどは、巨大で威圧感のある魔人の姿に後退りする。
何の挨拶もない無言の魔人に、緊迫した空気が流れるも、一方で、その空気を破壊するように、
「うふふ、ハニ子です。よろしくお願いしますね、皆様方」
「ヒュー、私が第一使徒のブラッドです。こっちの馬鹿は第二使徒のピット」
「ドロドロー、私が第一使徒のピットです。こっちの阿呆は第二使徒のブラッド」
「死ねえーー!」
「あいやーっ!」
「……何なんだアイツら……」
パリーン、と二体の使徒が殴り合いを始めて割れるのを見て、周囲が困惑を重ねる。
そして、
「…………」
「あら……ますぞえ様……楽しそう……?」
「…………」
ハニ子の疑問に、魔人ますぞえは、微かに身体を動かすのみであった。
――魔人ますぞゑと、使徒のブラッドとピット。そしてハニ子が、しばらく魔王城に滞在することとなった。
「……ところでピット。ここには女性の方も多いですし……どうでしょう、ここはスカート覗きポイントを一緒に捜索するというのは……ふふふ」
「……よい提案ですねブラッド。ここなら階段も多そうですし、部屋も多いですから幽体の我々にとって沢山のおパンツポイントが見つかるでしょう……ふふふ」
「もし本当にやったら、殺すからね……?」
「使徒仲間が増えましたわー!」
呑気なキャロルの横で、人知れずハンティの苦労が増えた瞬間でもあった。
スラル「特に大きな山場もなく終わるますぞえ編」
レオンハルト「もうちょっと何とかならなかったのか」
ガルティア「原作でもおまけみたいな感じだしな」
キャロル「長くしようと思えば怪獣出したり、地下でポピンズと絡ませたりして出来ますけど、その場合ケッセルリンク様編並に長くなりますが、よろしいですの?」
ケッセルリンク「……つまり、三話で終わったのが十倍近く多くなるのか」
ハンティ「……そういうことになるね」