「阿賀野、起きろ」
内心では少し苛立ちながらも、落ち着いて声をかける。
「んん〜! 提督さんおはよう」
「おはようじゃない。お前どうやってここに入ったんだ?」
「さあ……?」
「は?」
記憶がないとかそんなことあるかよ……あ、普通に俺もあったじゃん。
「朝からそんなに怒んないでよ提督さん……」
「別に怒ってはないが……普通そんなとこで寝るなんておk『提督、ちょっといいかしら!!』……ちょっと待ってろ」
阿賀野との会話を一旦中断し、ドアを開ける。するとそこには少し息切れした矢矧が立っていた。
「そんなに息切れしてどうしたんだ?」
「あ、阿賀野姉ぇ……いる?」
「ああ、そこにいるが……その、大丈夫か?」
「え、……ええ、大丈夫よ。それよりも……」
矢矧の靴の音が部屋に重く響かせる。
その姿はどっからどう見ても怒っている様子だ。
「阿賀野姉ぇぇぇッッ!!」
「あ、矢矧〜!おはよう〜」
「おはよう〜、じゃないわよ! なんで提督の自室にいるのよ!!」
「うーん……なんでなのかなあ?」
「あのねぇ……そんなので済むわけないでしょ! ちゃんとみんなで約束したじゃない、提督のプライバシーは守るって!!」
「でも本当に覚えてないんだもん……許してよ〜、矢矧〜」
え、そんな約束してたの……? むしろそんな約束しなきゃみんな覗いちゃうの? それはそれで怖くない?
「だからって!「矢矧、もういい」……提督、本当にいいの?」
「ああ、別に構わない。阿賀野、本当に覚えてないんだろ?」
「うん、覚えてないよ。多分寝ぼけてたんだと思う」
「そうか……じゃあ仕方ないな」
しかし、ここで疑問点がある。先程言った通り、いつ、どうやってここに入ってきたのかが分からない。入るタイミングなんて、はたしてあったのだろうか?
「これで一件落着だね!」
「提督、ごめんなさい……阿賀野姉ぇが迷惑をかけて」
「大丈夫だ」
深夜なら入れる余裕があったかもしれないが……そんなの大井が許すのか?
みんなと約束したってことは、大井もした事になる。あいつ、そういうのには細かそうだけどなあ……。
「ん〜?」
でも結局俺は昨日の夜の事は記憶にないから、ここは大井に聞くしか今のところ選択肢がない。会いに行くの普通にめんどくせえなあ。
「……提督さん、なんでここに神通さんがいるの?」
考え事をしているうちに、阿賀野はいつのまにかベッドの方にいた。
しまったと思ったが今回は窓を開けてるし、理由もちゃんとあるから怒られないはず。これは失敗をしっかりと省みる提督の鑑ですねえ。
「いつものやつだ」
「ふ〜ん……へぇ〜……」
「……何だ、何か言いたい事でもあるのか?」
「だってその割には提督さんから雌の匂いがいつもよりするんだもん。ねえ……それって本当なの?」
「ああ、本当だ」
そもそも艦娘と一緒に過ごしているのだから、女性の一人や二人の匂いなんてつくに決まっている。それとも女性と雌の間に匂いの違いでもあるのだろうか。意味は同じじゃないか。
「……まあいいよ、提督さん。それよりなんで上半身裸なの?」
いいと言う割にはちょっと不機嫌に見える。ここは出来る限り刺激しない方ように注意した方がいいかもしれない。
「あー……君たちが臭いというかと思って、風呂に入るつもりだったんだ」
「そうなの? じゃあ私も入っていいかな……?」
「……どうせ無理にでも入ってくるだろ」
「えへへ、バレた?」
阿賀野はニコニコと無邪気な笑顔をこちらに向ける。うーん、笑顔かわヨ。癒されるね……変な行動しない限り阿賀野は満点だと思う。
やる時はちゃんとやるし、責任感もあるし、頭も悪くないし、容姿は良いし……完璧じゃん。まあ他の艦娘にも良い所いっぱいあるけどね。
「あ、そうだ。矢矧も一緒に入る?」
「ん……私はやる事があるから大丈夫よ」
『朝からやる事ってあるの?』と阿賀野が聞き返す。
「ええ、布団とかまだ敷いたままだし、お風呂に入るなら阿賀野姉ぇの着替えも持ってこなくちゃいけないじゃない。それに……神通をこのまま放っておくのもアレでしょ?」
どうやら神通を部屋に送ってくれるみたいだ。まあこのまま寝かせても良い気もするが……別にどっちでもいいか。
「そうか……なら頼んでいいか」
「ん、頼まれたわ」
なんというか、矢矧にはたびたびお世話になってるのを実感する。矢矧もたまに暴走する以外は完璧だもんな。
「じゃあ提督さん、入ろっか」
「ああ、そうだな」
阿賀野にせかされ、風呂場に向かった。
「阿賀野姉ぇと提督を二人きりにしちゃって良かったのかしら……」
◆◆◆
「ふぅ……」
身体を洗い終わり、お互い正面を向き合いながら湯船に浸かる。
「うぅ……腰が痛いよ……」
「そりゃ立って寝ればな……足は筋肉痛じゃないのか?」
「艦娘は長時間の任務もあるしそこら辺は大丈夫……でもやっぱり立って寝るのはキツイね」
立って寝るなんて艦娘じゃなきゃ出来ないこと……というより阿賀野しか出来ないんじゃないか?
「阿賀野……お前まさか任務中に寝ることなんてないだろうな」
「……えへへ」
図星だったのか、阿賀野は誤魔化すように笑う。
「はぁ……君たちが前よりも強くなっているのは十分理解しているが、やはり油断は禁物だ。しっかり任務に集中しなさい」
「ふふっ……分かったよ、提督さん!」
絶対これ分かってないやつだな……。能代!! お前早く建造されろよぉ!
「……あれ、もしかして提督さん、髪伸びた?」
「髪? ああ……確かに伸びてきたな。そろそろ切りどきかもしれないな」
この子達は俺をあまり坊主にしたがらない。何故かと聞いたら似合わないから。
俺、一応軍人なんだけどなあ……今からファッションとか気にしちゃって良いのか?
「あっ! なら阿賀野が髪を切ってあげようか?」
「それは嫌だな。お前に任せたらパッツンにされそう」
「うぉ〜、なんですと〜!!」
わざとらしく怒った阿賀野は、俺に覆い被さってきてくすぐり攻撃を仕掛けてくる。
だが生憎く俺はそういうのは効かない体質だ。
「ほらほら〜、くすぐったいでしょ? 降参して、も良いんだ……よ……?」
「……?」
なんてリアクションを取ればいいのか困っていたところ、急に阿賀野の口調が途切れ途切れになり違和感を感じる。
「阿賀野━━━」
「提督さん、傷……残っちゃったね……」
またそれか。
俺の身体にはいくつか弾痕がある。
といっても戦場で受けたものでもなく、ましてや深海棲艦の砲撃を掠めたというわけでもない。ただ単に俺が後先考えずにある行動をして、結果として仲間につけられたものだ。私刑、といったら分かりやすいだろうか。
なので本来なら艦娘の彼女たちが気にするような事ではない、と言いたい所なのだが……。
「……俺は気にしてはいない。阿賀野も気にするな」
「そう、だね……」
「そんな悲しい顔をするな。阿賀野の、いつものだらしない笑顔を見してくれ」
「……」
冗談を言ったつもりなんだが、全然反応してくれない。
この状況はいったい何回目だろうか……こうやって浴室で一緒になるなど、お互いの身体をじっくり見るようになると、度々気にする娘が出るのだ。
もういい加減傷跡を消せよって感じだよな。なんで今までそれを思いつかなかったんだ?
「阿賀野、少し話があるんだが……」
阿賀野がこちらに目を向ける。初めて
「なあ……数日だけ本土に戻っていいか?」
その刹那、どこからか軋む音がした。
「提督さん……それ、どういう意味?」
鉄が歪に曲がるような音が聞こえる。
「ねえ、もう一度言ってみてよ、提督さん」
眼前にいる、いつも明るく元気な雰囲気をもつ娘が瞳を鉄紺色に輝かせ、冷たい声を発した。
「もし本当に行く理由があるのだとしても、絶対に行かせない」
何か言って、流れを変えたい。だが、重圧により口が開かない
「だって、提督さんは阿賀野に嘘をつく悪い子なんだから……」
ガシっと俺の頭蓋を阿賀野の両手が挟み、両目の下瞼にグッと両手の親指が少し押し込まれる。
「そんな悪い子には……そもそもお仕置きが必要だよね」
眼球と眼窩の隙間に入った親指に力が入り、眼球が少し上に持ち上げられる。
「提督さんはいつも他の艦娘ばかり見ているから……」
阿賀野の手が冷たくなっていく。
「どうせだし……この目、刳り貫いちゃおっか」
ぞくっとするくらい魅力的な笑顔を浮かべる。もしかしたらこれが最後の光景になるのかもしれないと言えるくらい絶望的な光景でもあった。
身体はうまく動かず、もう無理だと思い覚悟を決めたところ━━━
『阿賀野姉ぇ、カゴの上に着替え、置いといたからね!』
洗面所から聞こえる矢矧の声が、風呂場に響く。
ほんの一瞬だけ間が空くが、すぐに阿賀野は俺の眼球から手を離し「うん、分かった!!」と辺りに響くように大きな声で返事をする。
重圧が消えた。
「ふふっ……いきなりこんなことされて、ビックリした?」
肺にゆっくりと酸素を取り込み、呼吸を整える。
「ごめんね、提督さん……私が傷の事について触れちゃったから、そんな事言ったんでしょ?」
阿賀野の黒い瞳には強い光が宿っている。
「きっちりとした理由があると思うよ……でも、それでもやっぱり駄目だよ。“あんなところ”に、提督さんをまた連れて行くわけないはいかない」
理性的な冷たい、いくらか悪魔的にも見える強い光だ。
「だから一緒に、ここに居よ?」
「……分かった」
拒否なんて出来るはずがなかった。