一瞬の闇に全てが包まれてから色調が変異する。
そしてそれが終わる頃には彩色に塗られたような、そんなズレた色をしている空間に立っていた。どことなく見覚えのあるその場所はかつて、賢人たちが集まり、学び、そして発展させようとしたNC期の人類の英知の集合地であり、また同時に魔王ジルという存在を生み出した【賢人会】の研究棟でもあった。懐かしさを覚えるのは、それがGLにはもはや存在しない場所であり、建造物の類はジルが怒りと共に全て破壊し尽くしてしまったからだ。あの優しかった皇帝でさえも塵の様にジルは殺したのだから当然なのだが、
それでもこの場所をまた見るのはある種、懐かしさと共に悲しみもある。
そこに立ち尽くす様に出現した自分は、ここが通常の空間ではなく、異世界か、或いは異空間に近いものだと察していた。《ゲートコネクト》の魔法を応用した、異界創造の魔法だろうか。ジルクラスの魔力と魔王としての力があれば、それこそ異世界の一つを生み出すことさえ可能だろう。それで生み出すのがこの研究棟というのは、
「あぁ、いや……そうか」
彼女と一緒に過ごした場所だけ彩色によって塗られており、それ以外の空間は暗い色で塗り潰している。まるで子供の塗り絵のような景色だが、これは的確にジルの心境を、或いはその内面を表しているようだった。
「変わったようで、根本的な部分は変わらない、か……」
ジルは頭の回転の速い少女だった。
彼女は賢かった。
彼女は―――天才だった。
だが誰も彼女と同じ視点を持つ事が出来なかった。彼女を理解する事が出来なかった。俺がいなければ、ジルが同じ派閥から排斥されるのも遠くない未来だっただろう。それだけジルの才能は人界において稀有で、突出していた。そんな彼女を、俺だけが護れていた。
そして、同時に見捨てた。
「世の中、後悔ばかりだな」
呟き、行くべき所は解っているため、足を止めずに進む。
塗り潰された人影を横切りながら奥へ、歩き慣れた道を進んでゆく。そういえば飛行するための魔法はここで作ったんだっけ、なんてことを思い出しながら歩き進んでゆき、
通り過ぎていく景色に振り返ることもなく、進んだ。
そしてそのまま、間違いなくここにいると、
かつて、ジルが利用していた研究室の扉を、止まる事無く開けた。その向こう側に、背中を開けている、漆黒のドレスを着た彼女の背中姿が見えた。待ち構える様に此方に背を向けているのを確認し、ため息を吐いた。
「ジル」
「……」
「お前―――狂ったフリはやめろ」
「……」
手を腰にやりながら、ジルへと言葉を向けた。その言葉にジルは反応せず、背中を此方へと向けたまま、かつて、共に時を過ごしたこの研究室の姿を眺めていた。そう―――ジルは狂ってなんかいない。そもそも魔血魂を完全に支配しているのであれば、魔王人格に汚染されないし、破壊衝動に苛まれることもない。それを超越したからこその《魔王Lv3》であり、魔王ジルの保有する絶対的な力だ。
ゆえに、ここにきて、確信した。
ジルは正気だ。ある程度……その度合までは解らないが、それでも演じている部分がある。ただ、ジルが心底憎んでいるという事実もまた間違ってはいないのだと思う。こうやって、彼女の姿を見れば解ってしまう。だから言葉を待つように視線をジルへと向ければ、ジルが、ゆっくりと口を開いた。
「先生は……解ってしまうのだな」
「……俺にとっちゃお前は生徒で、妹で、娘のような奴だったからな。手放すべきじゃなかった。今でもずっとそう思ってる。今からお前を救えるもんなら手段を選ばずに助けてやりたい」
「だけど時は過ぎ去る。木から離れ落ちる葉が元に戻らぬように、物事は一方にしか流れない」
ジルが振り返る。微笑を失い、エスクードソードを受けて斬撃の入った体は赤く赤く濡れている。致命傷ではないが、間違いなく明確なダメージと呼べるような攻撃が、癒える事無くついていた。血を魔法で止めながらも、傷はそのまま、ジルが言葉を続ける。
「もし、時を巻き戻して私を助けようとしても、それはジルではない。また別のジルだ。先生は私を見捨てた。私という私は―――もう、手遅れだ。魔血魂を継承し、魔王ジルとなった。もう振り返ることは出来ない。復讐を果たし、大陸を蹂躙し、そして私は己の所業に満足している」
「ジル、お前は……」
憎んでいるのだろう、人類を。憎んでいるのだろう、ルドラサウムを。【ひつじNOTE】を覗いた以上、神々と世界の真実に辿り着いたのであれば、当然の結論だ。誰だってこの地獄のような世界を創造した存在に対して、怒りを感じずにはいられないだろう―――俺だって、かつてはそうだった。今でもまだ、怒りを抱いていないと言えば嘘だろう。だがそれでも、
それと付き合っていく事を、生きるというのではないのだろうか?
「止まらないのか」
「止まらない。止まれない―――
それをジルは断言した。
「誰も救われない。ルドラサウムが存在し続ける限り、誰も救えない。あの白鯨は死ななくてはならない。生まれてから死ぬまでの間玩具として全生命にあれと? 私の先生をそうしろと? 未来のために囚われ続けろと? 冗談ではない―――ふざけろ、誰がそんな事を許すものか。そんな事の……そんな事の為に私は先生に捨てられたのか!」
「……」
その事に関しては言葉もなかった。知識を持ち、そしてそれを実行するだけの力がある者として、未来を保証することは一種の義務だと思っていた。だがこうやって一つ一つ経験し、それを乗り越え、結局それが錯覚だと理解出来た。究極的に、その義務を課していたのは俺自身でしかなかった。あぁ、時を巻き戻したい。巻き戻して何もかもやり直したい。
だけどそれは不可能だ―――俺には、出来ない。
今まで自分が築き上げてきた道を破壊し、それを踏み潰してやり直すなどという事は、到底出来やしない。だから俺に、やり直すという選択肢は取れない。ジルはもう、救えない。あの過去を変える事は出来ない。だがこれからの結果を変えていく事は出来る。ルドぐるみを片手で握り、空いている左手でこぶしを握る。
「俺がこの世界の未来に囚われているという事実に対して異論は挟まない―――だけどそれでいい、と思っている。少なくともこれは俺様の人生だ」
だが、これは俺の人生なのだ。
「お前が勝手に俺を憐れむなジル! 何時から俺に対して偉そうに言える様になったこの小娘が!」
「求めていないことなど知っている! それでも、許せぬ……この怒りは、憎悪は、どうしようもない!」
ジルが腕を振るう。その衝撃により研究室の壁が吹き飛び、その向こう側―――異空間の虚無へと広がり、無限の闇の中に僅かな星のような輝きが見える。ジルの実力は想定をはるかに超えて強力だ。だが
「だから止めに来たぞジル。本気で。解るだろう。完膚なきまでに叩き潰さなければ止まらないってのが―――」
言葉を口にしながら何時もの様にルドぐるみを振りかぶれるように背負い、内心、冷や汗を掻く。
後は祈るだけだ。
祈りながら構え、本気で戦う為に《神光》を纏い、ジルを見た。それを受けて、ジルはあぁ、と声をこぼした。悲しそうに、憐れむように、嬉しそうに、楽しそうに、そして明確な怒りを抱きながら。
「可哀想な先生……どこまでも、邪神に魅入られて自由のない者……やはり、この世界には置いておけない―――我が身に取り込み、一つとなってこの世界を去ろう。そして果ての世界で一つとなったまま、穏やかに生きよう……この世界には、どこまでも救いがない。システムから逃れられる果ての果てまで―――!」
言葉と共にジルが腕を広げ、風景が壊れていく。色彩が失われていき、全てが崩れ、空間が無機質な姿へと、闇とわずかな光の世界の間、その回廊へと投げ出される。
その中を、僅かな風が最初は流れた。ジルが本気で戦う為に世界を移動し、繋げ始めた。自分がカラークリスタルを消費してブーストしたとしても、到底追いつけないような絶望的な差をジルは示しながら、圧倒する様に世界の壁を粉砕した。
僅かな風は、次第に強風となり、世界の壁を越えて風が吹き荒ぶ。
その名を口にする。
「【オルケスタの息吹】……!」
「そう……異世界オルケスタは存在するだけでその者のレベルを限界まで上昇し続ける」
異世界オルケスタから吹きすさぶ風が回廊を抜けていく。それに触れる己とジルはその恩恵を受ける。奇しくもそれは、【ランス03】においてランスとジルが相対し、ジルが敗北する原因となったものでもあった。世界のバグであるランスにはレベル上限が存在しない。ゆえに無限にレベルアップし続けるランスに対して、ジルはそのまま押し切られて敗北した。それをこの状況で持ち出すのは、
「先生……貴様なら、間違いなく私を攻略する札を持っているだろう。ゆえに手加減はしない……全力で、全ての力で、完全なる状態で絶対に倒し、屈服させ、永遠の安寧を得る……!」
そして異世界オルケスタから吹いてくる息吹を浴びる。それを浴びれば、ジルでさえ、魔王でさえレベルは上昇する。【ランス03】の時とは違う。此方は完全体のジルだ。弱ってもいないし、勇者の一撃を受けてもそれだけだ。まだまだ全力で戦える魔王だ。それに加え、ジルが虚空からとある物を取り出していた。
「それは」
「生物の中で最も神に近く、その力を行使できる者の腕―――先生が太古に失った左腕、それを時と空間を超える《ゲートコネクト》で回収した」
ジルの手の中で、自分の左腕が光の粒子へと変換され、それがジルの体内へと吸収された。そしてそれによりジルは《神光》を完全に纏った。取り込んだ此方の左腕を通して、さらに己の生物としての位階をジルは押し上げた。恐らくそれが切り札。自分よりも遥かに強大な一級神と戦う為の切り札だったのだろう。
ジルの力が、存在感が、果てしなく強くなっていくのが解る。もはや大陸の生物でどうにかなるとは思えないレベルであり、このまま放置すればそれこそ大陸を亡ぼすであろう最狂の魔王として君臨するだろう。
二級神からシステム権限を取得し、
最も神に近づいた竜から《神光》と生物としての格を取り込み、
魔血魂を支配した女。
神、魔、人、三界の力を今、ジルはその手に掴んだ。
「―――」
膨れ上がるジルの力に―――最初に違和感を感じたのは彼女自身であり、オルケスタからの息吹を感じる彼女だった。
「……何故レベルが上がらない?」
ジルの呟きが口から洩れるのと同時に、ジルが胸を押さえ出した。苦しそうに呻きながら目を見開き、自分の体内へと向けて神経を集中させるのが見えた。
「がっ、ぐっ、これは―――なぜ、魔血魂が暴れる―――!」
その言葉に、勝算を確信し、ニヤリと笑みを浮かべた。
来た―――来た、これだ。ここしかない。ここだけが最初で最後のチャンスだ。
【ひつじNOTE】には一部
ゆえに、【ひつじNOTE】には書き込まなかった内容でもあった。
或いは解りやすいことなのかもしれないが、
故に、
「お前は完璧を求めるってわかってた。ずっと、昔からそういう子だった。準備に準備を重ね、そして確実であることを確認してから実行する子だった。俺はそれに賭けた」
そう、俺は賭けた。
相手が魔王ではなくジルである事を。最高の状態で相対しようとする彼女を。人、神、魔、その三つを取り込んで超越しようとして、その結果メインプレイヤーから外れて魔血魂を受け付けないであろう領域へと踏み外す時を。
「俺の前では格好つけようとするって信じてたぜ……!」
力が沸き上がってくる。過去最高の状態にまでレベルが上昇し続けている。自分の中で、才能の限界を求めて呼吸するたびにレベルが上がっていく。その様子を魔血魂の暴走を抑え込もうとしながら此方を見て、口を開いた。
「そうか、貴様か、私の邪魔をしているのはハーモニットォ!!」
「はて、吾輩はただのレベル神。レベルアップに不正がないかどうかを確認しているだけであるからなぁ……おや、魔王殿。不正アクセスによるレベルアップはいけませんぞ? ふ、ふふふ……ふふふ、ククク……」
虚空からマッハが出現し、ジルのレベルアップを不正行為として封じ込めている。その間もレベルは上昇し続け―――そして才能上限に達する。オルケスタからの息吹により、生物はその才能、レベルの上限に達する。あり得ないとも表現できる魔力に体内が満たされ、《ドラゴン》技能がそれを完全に吸収し、本来は行えない奇跡にさえ手を届かせる。
「ハーモニット、三超神が私と先生の間に割って入るか!」
「吾輩が? 冗談もやめてほしい。吾輩は純粋にレベル神としての職務を守っているだけだ。あぁ、それよりも良いのかな、魔王ジル? どうやら貴殿の愛しい人物は―――ついに、追いついたようだぞ」
虚空へとマッハがレベル制限をジルに課したまま、消えていく。それがマッハがレベル神として介入できる最大の譲歩であり、ライン。レベル神としての能力のみを行使しているからこそのセーフ。
マッハの姿が消えゆく中、ルドぐるみを横に投げ捨て、力を解放する。
それに伴い―――肉体が変質する。
今までは実力不足だけではなく、単純に世界法則に囚われているがゆえに絶対に行えなかった事を、この世界の狭間、回廊だからこそ行える事に手を出す。
それにより、クリスタルが再び目として見開く。
皮膚は硬質化し、鱗に覆われながら黄金に輝く。
尻尾が伸び、体が人間を飲み込めるほどの巨大さへと変貌する。
背からは六枚の翼が生え伸び、成体としての完成された肉体を、失われた左腕以外を備えた。翼を全て広げ、漲る力を光として全身から放ち、黄金の光を纏って空間の重力を歪め、狭苦しい空間の全てを粉砕して解放される。かつての残滓を全て翼のはばたきで振り払いながら、
「レベル1435、いやぁ、担当神としても鼻が高いですなぁ―――」
マッハの置き言葉が木霊する中、原初の黄金竜の姿を取り戻す。
口の端から反転した極光をスパークさせながら漸く、魔血魂の暴走と強化による反動を受けて、大きく力を削ぎ落としたジルと同じラインに立つ。育て上げた人類、揃えられた魔人、カオスと日光、エスクードソード、【刹那モード】、マギーホア、レガシオ、悪魔との契約、今回ここまで打ってきた全ての作戦。
三眼の全てをロックオンする様にジルへと向ける。傷つき、血を流し、魔血魂を暴走させても―――それでもまだ、ジルは健在だった。恐らくは《無敵結界》だってまだ残している。この状態でもまだ、人類を絶滅させることは可能だろう。だからここで、全力で倒せる瞬間に倒すしかない。
この、【ランス03】を模したような、再現したような、1000年前に前倒しにした決戦で。
「教えてやる! この! ウル・カラー様を! 超える事は! できねぇ! ってことをなぁ!」
「良いだろう! ならその勝算も! 希望も! 全てを打ち砕いて奪っていく! もはや私も止まらない、止まれない……!」
世界回廊の合間に咆哮を同時に轟かせ、それによって世界を震わせる。超魔力と生物としての最上位が放つ覇気に仮初の世界が悲鳴を上げる。
その中で、互いに視線を合わせた。
「さぁ―――」
それでは、
「最終幕を始めようか……!」
勝算。
それは相手が魔王ジルではなくジルであること。また、彼女の才能と力を信じること。そして彼女がメインプレイヤーを超越する程に力を何らかの手段でつけられる事を信じられる事。ジルとウル様の関係は、言葉にするには難しい。は
吐き出せ、その魔血魂を。