無論、二人で暮らしている為、食事の準備のほかにもやる事はある。掃除もその一つだが、それよりも面倒なのは間違いなく洗濯だろう。着替えの数は限られているし、こればかりは使い捨てたり簡単に調達できるわけではない。洗濯板を使って川でまとめて着替えを洗濯する必要があるのだ。そうじゃなきゃ不潔だし、当然と言えば当然の話なのだが。魔法を生活に使えばそれで生活は楽になる。
とはいえ、ジルの魔法は、魔力が使えなくなった影響で使用不能になっている。俺とパスをつなげば、魔力を俺経由で使えるが、そこまでして魔法は生きるのに重要ということでもないので、ここで生活している間は本当に必要な時以外は、基本的に魔法を封じて生活している。まぁ、ジルが使えないのに俺が使うのもアレだろう? というとてもシンプルな話である。
無論、何もかも全部俺がやっているわけではない。ジルも不自由な体をしているが、それでも命が尽きるその時までは精一杯生きるつもりでいる。だから食器を洗ったり、掃除したり、時間をかけてもいいから少しずつ進めてはやっている―――なるべく、俺の力を借りずに。
「ふぅー、もうちょっとこまめに洗濯するか……溜まり過ぎると一日中洗濯している必要ありそうだし」
額に集まる汗を拭いながら洗い終わった洗濯物を持ってきた籠の中に叩き込む。それを家に持ち帰ったら外で干す必要がある。魔法なしでこれらの作業をやるのは結構難しいもので、生活的にどれだけ魔法で楽していたのかを思い出させる。
でも、まぁ、こういう地に足を付けた生活は嫌いじゃなかった。元々森の中で暮らしていた生き物であるということもあるのかもしれないが、本来の自分という生き物は、騒がしさよりもこういう静けさの中でゆっくり暮らしている方が似合っているのかもしれない―――あぁ、だからペンシルカウに引きこもっていたのか、と、今更納得する。
「ふぅ……洗濯終わりっと。さて、あんまり空けてると心配になるし、戻るか」
洗濯籠に洗った洗濯物をダンクし終え川を離れようとした所で、空間の揺らぎを観測する。ここを知っている人物で空間を超えられる人物なんて数が限られているので、揺らぎの方へと視線を向ければ、虚空から悪魔特有の転移でスラルが出現するのが見えた。そうやって来るのを事前に察知した此方の姿を見て、スラルが顔をしかめた。
「ますますとんでもなくなってない?」
「魔王戦争で派手に暴れてからちょくちょく感覚が鋭くなってな。たぶんほかの技能を栄養分に《ドラゴン》が成長したんだと思うんだけど」
「……初めて聞くケースよねぇ」
基本、ルドラサウム大陸で技能は成長しない。これが成長するのは外付けブースターによって成長を促された場合や、強化された場合だ。俺はもう、そういうバランスブレイカーの類を使ってはいない。そういうのに頼るよりもフルスペックを発揮した方が戦闘力が高かったりするからだ。後は純粋に能力に対して道具が付いてこないとか。そういう事でバランスブレイカーを通して成長するということはないのだが、
まぁ、元の姿に戻れたし。
アレが影響しているのかなぁ、という感じはある。
ともあれ、
「スラルちゃん」
「あぁ、うん。見つけたわよ、ウェンリーナー」
その言葉に期待を込めながらじゃあ、と口に言葉を浮かべる。そこには期待があった。聖女の子モンスター【ウェンリーナー】は命を司る八級神だ。彼女は文字通り、命を操れる。それによって蘇生を行うことさえ可能だ。それがあればジルの傷なども治せる。そうすれば、少なくとも人並みの命を手に入れる事はできるだろう。ジルは必要ないとは言ったが、
それでも、諦め切れなかった。だからスラルにこっそりと探索を頼んでいたのだが、それが漸く8か月目に発見された。
だが、
「
「クソが……」
聖女の子モンスターはその力を使う為にはある程度、力を溜め込む必要がある。そして絶対に孕む様にできている彼女たちは一度孕めば、いったん小さい子供の姿となってその力を振るうことができなくなる。その為、5年間は元の状態にまでは戻れなくなる。その事を考え、984年から時間を換算すると―――間に合わない。
ジルの寿命までに、間に合わない。
「……」
無言のままで、どうするべきかを考える。このまま強引にジルに道具や魔法を使った治療で治せるだけ治すか。それともジルの意思に沿うか。
「……これに関しては私からは何も言わないわよ?」
「解ってる……解ってる。悪い、苦労させたな」
「いいわよ、貴女の為なら別に。じゃ、私は悪魔界に戻るわよ。戦死者が大量に出たからしばらくはハードワーク確定なのよねー……」
「あぁ、悪い」
「だから良いわよ、別に。友達の為なら別に苦労でもなんでもないし」
そう言ってスラルは転移して姿を消した。彼女に関してはいつか、何らかの形でお礼をしなくちゃいけないなぁ、と頭を軽く掻きながら洗濯籠を抱える。とりあえず、ウェンリーナーというルートは潰れてしまった。同時に最大の希望でもあったのだ。これ以外となれば、もはやバランスブレイカーによる治療か、それこそ神に祈るしかない。セラクロラスは探そうとすれば絶対に見つからないし。
「……ま、戻るか」
もやもやをある程度抱えたまま、山の家へと戻る事にする。
掃除、洗濯、家畜の面倒、菜園で収穫。本当に魚が食べたい場合は釣るのではなく素手で掴んで捕まえて来る。週の内の数日は、生きるためにいろいろと面倒を見たり片付けたりしているだけで丸一日が終わってしまう。完全に文明と遮断されている環境だとどうしてもそうなってしまう。ただ、まぁ、そういう日常はそういう日常として、不便さを楽しむものだと思っている。
事実、自分もジルもこういう日常に一切の文句がなかった。
武器を手に取る必要はなく、明日はどうやって食べようかというのを生きる場所を整えて、世間から遮断されて暮らしているだけの場所だった。まぁ、それを望んだのがジルだったのだが。
それでも、
「痒いところはあるか?」
「大丈夫ですよ。あっ」
「あぁ、目は閉じておけって……」
苦笑しながら後ろからジルの髪に指を通して、シャンプーやリンスを使って洗っていく。これも自然素材―――と言いたいところなのだが、せっかく女の子の綺麗な肌や髪をしているのだから、その手入れを適当にして放置しているのはあまりにももったいないという理由で、こればかりは街の方から持ち込んだものをストックしておいてある。それでジルの髪の手入れをする。
自分もルシアに風呂場で髪の手入れを任せたりしているので、やり方は自分の身でよく理解している。なので丁寧に髪の手入れを行い、ちゃんとジルが面倒がらずに体を洗うのを確認しながら、自分も体を洗ってしまう。
住んでいる山には温泉が湧く、というかそういう場所を選んだ。
そして態々家の裏に温泉を掘って、そこを風呂場にしている。
二人だけの秘湯というやつである。
すでに額に手ぬぐいを乗せてルドぐるみが湯舟をぷかぷかと浮かんでいるが、アレはノーカウントである。アレはカテゴリーが生物か道具か不明なので。間違いなく魂も何も中に入っていないから妖怪でもなんでもないのは確かなのだが。なんで動いているんだろう、アレ。ほんと。
「髪とか適当でいいと思うんですけど」
「駄目駄目。せっかく綺麗な髪をしているんだからもったいないわ。もっと大事にしようぜ。まぁ、俺様の金髪のがもっと綺麗だけどな!」
「そこですかさずマウント取ってくるあたり、流石先生って感じありますよね」
「何を。自信は重要だぞ。俺が俺である事の根拠だからな」
だから自分の生きているという事実に胸を張る。自分の自信、自慢、重ねてきたこと、そのすべてが自分を構成するパーツの一つ一つだ。嫌な出来事も、良かった出来事も、悔しいことも、良いことも、悪いことも、それを全部ひっくるめて俺、というものだと思っている。だから髪一つ、目の色一つ、
「それに自信を持つ事は良い事だ」
「そうなんです?」
「自信があれば……」
「あれば?」
「俺が偉く見える」
「ぷ……なんですかそれ」
「だって俺様だぜ?」
軽くポーズを決めつつサムズアップをしてから泡やらをお湯で流し、タオルを頭に巻いて温泉に浸かる。女の体というのはケアやメンテナンスが非常に面倒だ。場合によっては生理痛がセットでやってくるし。あれだけは女の姿になって後悔したことだった。生理痛の間はまともに動けないし。女の体というのは結構大変だ。
だが、まぁ、それでもそれなりに楽しくもある。
湯船に浸かりながら暗くなってきた山の夜空を眺める。人気のない山奥の中、露天風呂で星空を見上げながらこの景色を独占するというのは中々豪華、とでも表現すべきことなのだろうと思う。社会と文明の成長によってこういう場所は地球などの高度成長文明からは失われる。
今となっては完全に自然派であることを考えると、別に文明とか成長しなくていいんじゃないかと思う―――まぁ、ククルでの生活はそれはそれで楽しかったけど。
「あー、やっぱり風呂はいいなぁ……どこに行っても絶対にこれだけは確保してる……」
「大陸の方では不思議と温泉とかお風呂とかあんまり浸透してないですよね」
「これでも藤原石丸の大遠征で多少はマシになったんだぞ……」
石丸が大陸制覇を行おうとする前は、風呂その物に対して必要なの? とか、貴族の娯楽程度にしか認識がなかった覚えがある。だがそれを覆したのが石丸のJAPAN軍だった。それまでは水浴びが主流だったけど、風呂で汗を流す、湯で体を清めるという文化は大体そっちの方から持ち込まれた。
「……気がする」
「たぶんですか」
「うん、たぶん。何分昔のことだから思い出せねぇ……」
こう見えてももう3000年以上生きてるのだから、細かい歴史の出来事とかだいぶ忘れているのだ。必要となれば思い出せるかもしれないが、大体記憶の底で眠っている。思い出すのもたまに面倒になってくるのだ、ここら辺になると。だから一々どの文化がどこで生まれたとか覚えてられるか。それよりも覚えてなきゃいけない大事なことがたくさんあるわけだし。
「そういえば先生って歴史をたくさん見てきたんですよね」
「まぁな。歴史の動くところは大体見てきてるぞ。なんだ、歴史の授業がしたいのか? いいぞいいぞ、アベル~53点の乱~を説明してやろう」
「聞きたいような聞きたくないような……あ、違うんです。そうじゃないんです」
温泉の中から夜空を見上げながら、ジルが言葉をこぼす。
「ほら、先生っていっぱい経験しているじゃないですか。処女ですけど」
「それ、言う必要あった?」
「ふふふ、経験だけは先生に勝っている所ですから」
「それ、言う必要はあったの?」
非常に酷いブラックジョークを口にしたジルにちょっとだけ引きながらジルはいやですね、と言葉を置いた。
「ほら、先生って出来事とかは忘れるじゃないですか。でも関わって来た人とかは絶対に忘れないじゃないですか」
「おう」
「だって私も忘れられない訳ですから、良かったなぁ、って」
「ジル、それは……」
死への覚悟だった。自分が死ぬという明確な意思、覚悟、そして望みだった。ジルは
普通の人の生き方だった。
「ジル、お前が求めるなら俺は……」
「良いんです。これで良いんです先生」
ジルは湯に浸かったまま、両手を星へと伸ばす様に持ち上げた。
「魔王になってわかったんです。結局、力を求めたり、大儀の為に奔走したり、理想を追求した所で幸せになれる訳じゃないんだって。むしろそういうことが多々幸せの邪魔になるのがこの世界の仕組みだって事はよく理解しました……」
「……」
自分も空を見上げ、ジルの言葉に聞き入る。
この世界の人間は、基本的に愚か者になる様に設計されている。故に人は前に進もうとしない。学習しない。愚かにも同じ過ちを繰り返す。その中にたまに、本当にたまにだけ全てを推し進めることのできる才能のあるものが生まれる。
そしてその者は、周りに凌辱される。
これがこの世界の法則だ。
「実は……ちょっとだけ、あの塔に残ったことを後悔してます。正直な話、先生が去ると聞いたときは私も去ろうと思ったんです。もう、ここに残っている意味もないかなぁ、って思ったりもして。だけど私の知識を、知恵を、それで少しでも生活が良くなるならなんて思って……」
うん、とジルは呟いた。
「ちょっとだけ、後悔してます。本当にちょっとだけ。だけど―――良いんです。私はね、先生。それを含めて自分が得た人生の全てを認めてるんです」
ジルは、夜空に語る様に言葉を続けた。
「出会って、教わって、幸せを知って、裏切られて、犯されて、壊されて、殺して、犯して、壊して―――そしてまた壊されて、幸せになって。人生、凄く迷走しちゃったなぁ、なんてことを思ったりもします。だけど……」
だけど、
「私が凌辱された事も、殺されかけた事も、よく考えればよくある悲劇の一つなんです。あの時代ではどこでもあった事でした。それを含めての人生だと思いますし、一々よくある悲劇を嘆いた所でしょうがない。抗って、頑張って、そして向き合った結果がこれだったら―――私は、まぁ、それでいいかなぁ、って思えるんです」
ジルは手を下ろし、笑みを浮かべながら此方へと視線を向けて来た。悟ったような―――末期を受け入れた病人のような儚い笑みを。だから消えないのを確かめる様に頭を軽く撫でれば、ジルが笑った。
「だから先生、私は満足しているんです。そしてこれ以上摂理を曲げて長生きするつもりもないんです。それがきっと、本来はジルにも、魔王ジルにも与えられなかった精一杯の幸せで、用意されていたシナリオに対する最大の皮肉だと思うんです」
永遠を生きずに人間として死ぬ。
永遠の魔王とならなかったジル。
人に戻り、そして人として死ぬ事が出来るジル。苦しむ必要はなく、幸福の中で、自由に死ぬ事が出来るのだ。確かに、それは一つ―――運命に対する反逆を行ったジルが得た、勝利だとも言える。
「だから先生、私は人として最期を迎えたいんです」
そして、
「その時は先生、私を……」
「……おう」
そうとしか俺には答えられなかった。
逃げる様に夜空を見上げ、ゆっくりと湯に浸かりながら少しずつ、少しずつ迫るジルとの別れを感じ取るしかなかった。
……なんとも、人生で最も長い、1年間に感じる。
食券ジル、その2。
最も長く感じられる1年間。ジルという女の勝利。それは最後には人らしく、人として死ねるという事にある。
突き抜ける程に特別だったジルが全て捨てた果てで漸く得られるもの。