素早く大地を駆け抜ける。
消えた気配を追いかけるように残された痕跡だけではなく、
最初は解らないものだが、一度この大陸の、世界の創造神と遭遇してしまえば、多少の魂の見分けはついてくる。だから魂の残り香とでも呼ぶべきそれを追いかけて魔物界から未来・ゼス方面へと向かって疾走する。魔物界の植生を抜けて、魔王の気配によって汚染されていない大地へとやってくると渇いた空気へと環境が変わって来る。それと同時に風と共に去った筈の黒いローブの姿を見つけ、
追いついた所で足を止めてその名を呼ぶ。
「アベル」
「……」
追いつかれた事に観念したのか、黒いローブのドラゴン―――人へと姿を転じているアベルが足を止めた。そして名前を呼ばれてゆっくりと此方へと振り返る。
「ウル・カラー」
振り返ったフードの外れたアベルの表情が露わになる。その赤い瞳は此方を捉えてから、背後へと視線を向け、
「ケイブリスはどうした」
「お前を追うって言ったら途中で逃げ出した」
「そういうところは本当に変わらないな、奴は……」
元々、ケイブリスの生存戦略、生存術は他のドラゴンを相手に狡猾に動き回るアベルから学んだものらしい。その為、アベル本人との接触はケイブリスとしても全力で回避したい所なのだろう。だからと言って、あんな風に全力で逃げ出さなくてもいいのになぁ、と思わなくもなかった。途中まではケイブリスの背中にしがみ付いて、もふもふ戦車モードで爆走させていたのに。アイツ、追いかけるのがアベルだと知った直後振り落として全力で逃げやがった。
でも、まぁ、それでケイブリスが一体どこまで付き合ってくれるのか、というのが解ってくる。それに関しては……今はいい。それよりも問題はアベルの方だ。予想に反してアベルの姿は人間のままだった。
ドラゴンの王に―――竜王になる事を目標としていたアベルがそもそも人間の格好、姿をしているという事自体が異常なのだ。アベルからすれば人間なんて塵でしかない。擬態する様な相手でもない。アベルの身体能力について来れる存在と言えば、自分とマギーホアぐらい。それもドラゴンだ。人間ではない。俺も省エネの為に大体人間の姿を維持しているし、マギーホアもそうだ。だがそれすらアベルは嫌いそうだと思っていたのだが、
そんな事はなく、アベルは自然体でいた。
いや、それにしても大人しい。違う。大人しい、ではなく静かだ。荒ぶる様な気配も、殺意もない。そもそもアベルは此方を見かけるだけで、別に襲い掛かってくる事もなかった。今思えばこうやって追いかけてきたのは半ば、反射的な行動だったのかもしれない。ジルが蘇らせた魔竜アベル。その存在を追いかけるように―――ジルの痕跡を無意識に追いかけてしまったのかもしれない。
我ながら女々しい、というのは女だからおかしい表現かもしれない。
ともあれ、こうやって追いついてしまった以上無言という訳にもいかない。どんな言葉を選ぶべきかなぁ、とアベルの姿を捉えつつ何時でも反撃が出来るように心構えながら言葉を選ぼうとしたところで、
「貴様は……」
アベルの方から、声が来た。その声に反応するようにアベルの視線を捉えた。
「常に、楽しそうだな」
そんな予想外の言葉が、アベルの口から飛んできた。天変地異の前触れなのだろうか? そう疑ってしまいそうなアベルの言葉だったが、
「まぁ……俺様は人生を楽しむ事に決めたからな」
「……」
その言葉にアベルは何かを考えるように目を閉じた。その、静かな姿は自分の知っているアベルとはやはり違っていた。自分の知っているアベルは臆病で、狡猾で、傲慢でありながらプライドが高い。ドラゴンらしいドラゴンであり、ドラゴンらしからぬドラゴン。それがアベルという存在だった筈だ。だがそのアベルも、死から蘇った事で全てを投げ捨てて、本当のドラゴンとしてマギーホアと戦い、
そして敗北し続けた。
何度も蘇る事を取ってマギーホアに挑み続けて敗北し続けた。そしてそれでも死にきれず、戦いの後には姿を消して、また出会って、
その時はまだ、殺意を向けてきたアベルの姿を覚えている。だがその様な殺意をこのアベルは向けて来ない。そこが本当に、不思議だった。
「アベル、お前……どうしたんだ?」
「どうした、か」
アベルはその言葉を受けて数秒沈黙した。それから考えるように空を見上げ、
「……ナイチサと会った。奴は俺に……正史という物を告げた。そしてこの世界の仕組みを」
「ナイチサめ、本当に余計な事しかしないな……」
あいつを見かけないと思っていたが、そうか。そう言えばナイチサもまたジルによって蘇生された存在だ。アレの事だからこの大陸に騒乱を起こす為に裏で暗躍するであろうとは考えていたが、そんな劇薬をアベルに与えていたとはまるで予想もつかなかった。アイツ、やはりどこかで見かけたら確実に始末しておきたい。いや、放置していた方がルドラサウム大陸が盛り上がるんだろうけど。
それはそれとして、アイツは個人的に気に入らない。それだけの理由。
だがナイチサからその話を聞かされれば、アベルの事だから狂って暴れ出す程度の事を考えたのだが、
「……俺が大人しい、と思ったか」
「まぁ。暴れるかと思った」
見透かされてた事に特に恥ずかしさも感じる、アベルの言葉に素直に応えれば、そうであろうな、と答えてきた。だがアベルは空を見上げ、その向こう側から見ているであろう神の姿を夢想し、そして言葉を続ける。
「俺が、ナイチサから話を聞いた時に。怒りや絶望感よりも先に感じたのは納得であった」
「納得」
「あぁ、納得した」
アベルは言葉を繰り返しながらそうだな、と言葉を続けた。
「生まれ、マギーホアにあこがれ、ドラゴンの王という物を目指した。だが俺の中にあったのは怯えだった。何故、ククルククル相手にあそこまで戦える? 何故恐怖を感じない? 死にたいのか? 死んでもいいのか? お前たちの目指す先は、死んでもいい程度のものだったのか?」
俺は死にたくなかった。
アベルはそう告げる。
「何をしてでも生き延びたい。死にたくはない。生きてドラゴンの王となりたかった。生き延びて、力をつけ、そしてマギーホアを超える! それが俺が目指した場所だった。俺は、その為に死ねない。死ねなかった」
だが結果はどうだ。
「まるで道化ではないか。全てが神の意思? 満足させるための玩具? ……あぁ、確かにそうだ。なにをしてもマギーホアには勝てない。魔王になっても俺はドラゴンの頂点には立てなかった。ドラゴンとしての才能も、素質も伸びる事はなかった。これでは道化だと言われてもしょうがない。あぁ、最強を目指した結果、怯えて戦いを避けるしかない。その果てには一瞬でマギーホアに狩られる。その上で全てを捨て、全力の境地で戦えばどうだ」
それでも、
「マギーホアには勝てない。いや、それだけではない。俺が目指した境地に、ドラゴンの頂点の境地に今度は貴様が並んだ」
アベルはそれを語りながらも、そこに重さを感じさせることはなかった。
アベルはそれらを語りながらも、
「だから……どうしたんだ?」
「だから―――だから、という話でもない」
空を見上げていた顔を降ろし、アベルが真っ直ぐ、此方へと視線を向けて来る。
「お前と別れてから、ナイチサと会い―――そして考えた」
怒りを抱くか。絶望するか。嘆くか。無気力となるか。狗になるか。それを考えた。考えて、考えて、考えて―――そして悩んだ。
「だが俺には答えが出せなかった。怒りは感じている。だがそれが全てではない。嘆きもある。だがそれは心を満たさない。無気力と呼ぶには何かを俺はしたがっていた。そしてナイチサの狗になる気等毛頭ない。故に俺は……」
アベルがそこで言葉を区切った。そして彼から感じる気配が変わった。殺意はない。だがそこには覇気と呼べるものと、底のない闘志を感じさせるものがあった。
「考えた。貴様と別れてからずっと、常に考え続けた。魔竜アベルの中にあるものを。俺の奥底で眠り続けていた物を。策略でマギーホアを超えられず。そして全霊で挑んでも勝てなかった俺に。道化でしかなかった俺に、何が残ったのかを」
アベルは言った。
「俺には―――強さへの憧れだけが残った」
それが、アベルを構築する唯一無二だった。
「そうだ、そうだった。
恐らくはこの世界においても最も重要で、最も偉大な存在に対して、アベルは迷う事無くその言葉を吐いた。
「ナイチサの策略なんてクソのほども知らん。魔物界? 魔王? 気にしたい奴は勝手に気にしていれば良い。あぁ、知らぬ、存ぜぬ、どうでも良い。世界の真実なんてものは知りたい奴が知れば良いのだ。俺には関係ない。道端の石くれ程度の価値しかない。俺は―――俺は、マギーホアに勝ちたい」
アベルがその言葉を吐き出した。強く、響く様に、その言葉を吐き出した。
それを言ってのけたアベルの表情を見た。今まで見たような魔竜の表情ではなく、どこか達観したような、一皮剥けた様な―――いや、或いは彼の心を蝕み殺し続けていた全ての精神的な負荷から解放されたような表情を浮かべていた。
「そう、それが俺を構成する全てだ。笑いたいのなら笑え。俺がケイブリスに生き延び方を教えたのは
マギーホアに勝ちたい。
それが―――その心が、
「俺にとっての唯一無二の真実だった。それを、お前を見て確信した」
「……俺を? マギーホアじゃなくて?」
「あぁ、お前をだ」
アベルは此方を指さしてくる。
「
ならば話は簡単だ、とゼスの暑い風にローブを揺らしながらアベルが告げる。
「俺は、お前を超えなくてはならない」
視線が真っ直ぐ、心を射抜く様に向けられている。アベルの言葉に、口が動かない。狂うのでもなく、怒りでもなく、静かに、決意をもってそれをアベルは宣言した。この瞬間、アベルの視線は、考えは俺だけを捉えていた。他の全てを忘れ去るように、全てを此方へと向けている。それがアベルの視線から伝わってきた。
本当に……本当に、変わってしまった。ナイチサの言動が、行動がアベルにそのきっかけを与えてしまった。だがそれはどうでも良い事だったのかもしれない。重要なのは、正面からお前だけを見ていると、本気の闘志を見せるアベルの姿に自分の血が、そして心が沸き上がるのを感じている事だった。
こいつは本気だった。
本気で俺に挑むと考えているし、本気で超えると思っている。
負けて、負けて、負け続けて、
「あぁ、ドラゴンとしての矜持まで失ったのかもしれない」
「だけど……それでも、求めるんだろう?」
「無論」
それでも求める。頂点を。正面から。それがアベルに残された最後の矜持。
「故にウル・カラー」
「おう」
「こうやって貴様に巡り合えた事も一つの運命なのだろう。なら宣告する」
ウル・カラー。
「100年後に貴様にこの地、この場所で決闘を挑む。答えは」
アベルの真剣な瞳に、魔竜という存在が更に成熟され、強敵となって立ちはだかるのとを感じつつも―――その事実に、興奮せざるを得なかった。
こいつは敵だ。
それも極上の敵だ。
今までの様に義務や義理、何かの理由があって殺し合ってきた戦いとは違う。完全に関係のない戦いだ。逃げようと思えば逃げられる。避けようと思えば避けられる。そういう戦いではある。だがドラゴンの闘争を求める本能は目の前の相手を求めている。
殺し合い、喰らい、その血肉を己の物にしろと。
本能を全開にして殺し合える戦いの快楽が待っている。
「当然、受けるに決まっているだろう」
「なら100年後、再びこの地で会おう」
そうやって、
最強のドラゴンを決める為の戦い―――その一歩目が、歴史の外で始まった。
アベル覚醒。
ナイチサ君が裏で色々とこそこそやっていますが、アベル君は最終的に「まぁ、人生いろいろと会ったけど最終的にマギーホアを超えたい」という境地に達したとさ。
という訳でアベル食券はウル様、マギーホア、アベルで始まるルドラサウム大陸ドラゴン最強決定戦になります。
果たして、アベル君は生き残れるのか……?