久しぶりに衣装に身を通す。
決戦用の戦闘服―――冒険用、ではなく決戦用。本気で戦う時に袖を通す黒い衣装。知っている人間はまるで魔王のそれだ、と言いたくなるような服装は本気で戦う時に着るものでもある。それを久しぶりに着た。まずは形から整えて行くという物である。だがこれを着るとそれだけ身が引き締まるというのもある。形から入るのは悪い事ばかりではない。こうやって着替えるといよいよだ、という意識を引き締めることができる。少なくとも自分の頭を冷静にコントロールすることができる。不思議だと思う。直前まではあれほど高揚していたのに、それが着替えるだけで一気にコントロールできるようになるのだから。
「よしよし、お前はお留守番だ。いや、壊れないんだろうけど巻き込むのも悪いしな? ……なんだよ、お前も来るのか」
そう言ってルドべぇの頭をぽんぽんと叩いて、お留守番を命じる。だがその目は絶対に抜け出すという意思を感じさせるものが浮かんでいたのでしょうがない、と諦めながら軽く笑い声を零しながら部屋を出る。ルドべぇがついてくるように地面をびたんびたん跳ねながらやってくるので、仕方がなく浮かべてその背に腰掛ける。
うん―――いつも通りだ。
そのまま空間を泳がせるように進みながら玄関までやってくると、普段は働いている全員が集まり、出て行こうとする此方の姿に整列して頭を下げた。
「行ってらっしゃいませ、ウル様」
「良きお時間を」
「帰りをお待ちしております」
「おう、行ってくるわ。飯は豪華なものにしとけよ」
相手の実力を考えれば帰って来れない可能性も十分にある。だがそれを考慮し、最初から死亡前提で話す様な奴に勝機はやってこない。だから帰ってくる。そう言外に宣言しながら自分の家を―――屋敷を出る。
そしてそのまま、夜の空へと飛びあがる。
まだ人々が寝静まっている時間帯、カラー達に注目されないように、起こさないように静かにペンシルカウの地を空から発つ。満月の見える夜空へと飛びあがりながら夜風を浴びて、その感触を楽しみながら約束の地へと向かおうとすると、
音をほとんど殺した翼のはためきを感じた。視線を其方へと向ければ、月光を受けて鱗が神秘的な輝きを帯びたルビードラゴンの姿が見れた。驚いた。普段は力を温存する為、滅多にドラゴンの姿にはならないのに。ルビードラゴンという本来の姿に戻ったマギーホアの姿が見れた。
「お、マギーホア様」
「ウル」
横に並んで飛翔する様にマギーホアは言葉を放つと、言葉を探す様にしばらく無言を貫いてから口を開いた。
「私は正直……複雑な想いだ。ドラゴンらしい姿を喜ぶべきか。それとも娘の様に思っている者が死ぬかもしれない戦いに笑いなら飛び込む姿を嘆くべきか……」
マギーホアのその複雑そうな言葉に、小さく笑い声を零す。
「折角義理も義務も未練も後悔もない戦いをするんだから、応援ぐらいしてよマギーホア様」
「むぅ……」
マギーホアはその言葉に再び沈黙を作り、頭を横に振った。
「そうだな……お前ももう成竜だったな」
マギーホアはそう呟き、軽くうなずいてから広げた翼で旋回し、翔竜山へと戻って行く。
「楽しめ、闘争を。そしてアベルを絶対に殺せ。良いか、絶対にだ。跡形も残すな。確実に殺せる時に殺すのだ」
「マギーホア様……」
そんなにアベルの事が嫌いだったんだな……。そう思いながらエールを送って翔竜山へと去って行くマギーホアの姿を見送りつつ、
ルドべぇに乗って飛んで行く。
ルドラサウム大陸は、そんなに広くはない。だから歩いて横断する事が出来るし、飛行する事が出来ればそれなりに狭い世界である事が解ってしまう。正直、ルドラサウムはもうちょっとこの大陸を広げて良いんじゃないか? と思っている部分はある。或いはリソース的にそれが難しいのかもしれない。だけどこの大陸をもっと広げれば、それだけ盛り上がるもんだろうなぁ、なんてことは考えたことがある。
ただ、まぁ、自分はそこらへんどうもしない。
それは未来を変えたい場合のルドラサウムが考える事だ。なんでもかんでも甘やかしていたら何も覚えないし。それに自分は割と自分の人生に納得しているし、これはこれでいいと思っている。未来の一端はもう見えた。だから後は時計の針を進ませるだけ、という段階なのだから。
自分は―――自由なのだ。
もう、自分の意思以外に縛られるつもりはなかった。
「お、見えてきた見えてきた」
しばらくルドべえの背に乗って飛翔していれば、やがて目的地が見えて来る。魔物界とゼスの境目。まだゼスという国は存在していないが、既に歴史が動いている。段々と人々はそれぞれの国家が生まれるであろう場所に集まり始めている。ここら辺はもう、正史と変わらない流れだろうとは思っている。だけど今はそんな事は良い。
焦らず、しかしゆっくりでもなく。
確かな速度で目的地へと到着し、ルドべぇの背から飛び降りて大地に音もなく着地する。静かに大地の上に立ちながら、そこに待ち構える存在を見た。
黒いローブを纏った、褐色の男の姿を。
「よ、待たせたみたいだな」
「いや……来るのは解っていたから特に気にしてはいない」
「逃げるとは思わなかったのか。後はほら、マギーホア様とか」
「貴様はそういう奴ではないし、マギーホアは誰よりもドラゴンらしさを尊重する奴だ。奴自身はそこまでそうでもないのだが、だからこそ種族としての本能を尊重する。だから奴では戦いを止める事は出来ない」
確かに、マギーホアはそういうところがある。
「まあ、どうでも良い事だよな、アベル」
「あぁ、邪魔しないのであればどうでも良い事だウル・カラー」
互いを認識し、言葉を口にする。目の前にいるドラゴンを認識する。相変わらずその姿はドラゴンのものではなく、此方の様に人間の姿している。違うのは相手が男で、カラーではないという事だろうか。カラー、猫、人間。ドラゴンの変身先もそれなりにバラエティ溢れている物だと思わせられる。とはいえ、重要なのは、
自分が、何だと思っているかという事だ。
己のアイデンティティ。自分は何であるかの認識。それが最も重要な事だ。それ以外はどうでもいいと言える。自己認識がドラゴンである限り、姿かたちなんてどうでも良い。第一、ドラゴンに変態するのであれば何時だって出来る。故に仮初の姿をどうこう言う事は関係ない。
重要な事は、何時だって心と本能が示してくれる。
故に。
「アベル」
「なんだ、ウル・カラー」
「なんとなくだけど俺も感じるんだよなぁ……」
この戦い、単純に勝敗が付くだけではない、と。
「俺たちはさ、マギーホアの姿に憧れたんだ」
「あぁ……そうだな。奴の強さが、ドラゴンの強さの頂点としての姿がいつまでも脳裏に焼き付いて消えない」
「その強さに、輝きに憧れたんだ。俺達もああいう風になりたい、と。だけどそれだけじゃない。アレを超えたいとも思ったんだ。あの姿を超えて頂点に立ちたいと思った」
「故に俺達は強くなる。強くなり続ける。妥協はしない。だが同時に、己の力のみを振るわなければならない。何かを使い、それで勝利した所で本当の意味でマギーホアを超えた事にはならない。俺達はただ、自分の肉体と本能のみでマギーホアに勝利しなくてはならない」
そう、それが俺達の信じる頂点への道だった。
一対一、己の肉体のみで戦い、勝利する。そうして得た勝利ではないとマギーホアに本当の意味で勝利したとは言えない。だがその勝利が欲しいのだ。全霊の戦いを挑んで勝利した先が。今までずっと、どことなくマギーホアに勝ちたい。そう思ってきたことはあった。だが実際にそれを本気で考えるようになったのは、アベルを目にしてからかもしれない。
自分以上にマギーホアに対する勝利を求めるドラゴンの姿を。
それを認識し、意識し、自分の温さを自覚する。そう、闘争とは究極的に殺すか殺されるかに尽きるのだ。その殺意が足りない。闘争心が欠けている。アベルとの邂逅、アベルとの会話はその原初の闘争本能を思い出す為のきっかけとなった。そしてその影響でこんな所に体を殺意で火照らせてやって来てしまった。
「感じるだろう、アベル?
「……」
アベルも俺も、マギーホアを倒す事を狙っているという事においては、共通の認識を持っている仲間だろう。だが違うのは、それは一人で倒さなければならない相手。一緒に戦う事は出来ない。だからライバルであり、マギーホアへの勝利、ドラゴン最強の座は一度しか達成の出来ない偉業であるという事実。既に敗北したマギーホアを倒した所で意味はなく、
全てを捨て去って挑んだ戦いでマギーホアに負けた所で、もう二度とマギーホアに勝てる様な事はないだろう。
発狂し、錯乱し、全てを失ったマギーホアならともかく、
このマギーホアはあの時代からずっと最強のままだ。鍛錬を続け、レベルを維持し、最強の状態を維持したまま生きている。弱くなった事なんてない。システム的に翔竜山に可能な限り隔離されている。そういう最強の生物がマギーホアだ。全てを出し切って戦った所で、次からは余裕をもって対処する姿が想像できる。故に本気で戦いを挑むのなら一度。二度目はない。
アベルは既に何度も敗北している。
だがこのアベルは―――まるで別物だ。今までの知っているアベルとはまるで違う。覚悟も、力の抑え方も、恐らくは考え方さえも全部違う。異質だとさえ表現できる。故に違う武器を持つのであれば、マギーホアと競う事も出来るだろうとは思う。
だが果たして、届くのか。
アベルに限った話ではない。自分もそうだ。
果たしてあの至高の頂に俺達は届くだけのものを持っているのか。
憧れ、見上げ、そして追い続けてきた姿を追いこす事が出来るのか。
それが俺達には解らない。だが本気で挑まない限り、結果が出る事もない。
故に、
一瞬でカラーからドラゴンへの変態を終わらせる。言葉も予兆もなく、アベルの姿へと次元を引き裂く爪を放つ。事前動作もなく放つ不意打ちは必殺と表現できる。その上で空間を引き裂く防御不能の攻撃、それを受ければ一瞬で体がバラバラになるだろう結果が見える。故に放った。殺す一撃を。
故に爪の一撃で大地を粉砕した。爪痕を大地に刻み込みながら音が悲鳴を上げる。それと共に引き裂かれる空間には穴が開き、次元を切り裂く爪というものがどれだけの脅威を生み出すかを示す。
「―――」
だがその完全な不意打ちを、当然のようにアベルは回避する。事前にその動作が来るのが解っていたようにギリギリ攻撃が届かない範囲へと体を後ろへと滑らせる。清らかなその動きはアベルがその肉体を完全にコントロール出来ている事を刹那で理解させるものであり、範囲へと逃れたアベルが拳を作る。
爪ではなく、拳だ。
それが無言で振るわれる。
次元を引き裂く魔法を纏う爪に対して、正面からアベルの拳が振るわれる。触れれば引き裂かれる。そういう類の致命傷を引き起こす攻撃に対してアベルが正面から殴り込んだ。ドラゴンの姿ではなく、人の姿のままに。その異常ともとれる行動はしかし、
アベルの拳が爪と打ち合い、弾き合い、そして互いに弾かれながらも無傷である事が、無謀な攻撃ではない事を証明する。
そのまま、ドラゴンと人で連続で攻撃が衝突する。片腕の爪と拳が連続で正面から衝突し、質量差を無視するかのようにアベルの連続拳撃が爪の薙ぎ払いを連続で弾き、潰してゆく。その度に発生する衝撃が辺りを粉砕し、吹き飛ばしながら破壊を生み出してゆき、地形を削って変えて行く。
だが削れて行くのは周りの地形だけであり、その中心に立つアベルは一切のダメージを負う事無く両手を使って攻撃を潰す。
やがて、加速した攻撃を受けてアベルは体を後ろへと飛ばす様に弾き、僅かな滞空から大地の上へと着地した。アベルのその姿を見て、ドラゴンの姿のまま翼を大きく広げて咆哮する。
夜空に響くドラゴンの咆哮が夜空の大気を震わせ、衝撃に耐えきれなかった石榑が音に砕け散る。その中で耐えきるアベルが、ローブを脱いだ。
その背から翼が生え伸び、やや前傾姿勢になるように体を落とし、アベルが構える。鱗を体に軽く纏い、しかしながらドラゴンよりもその姿は人に近い。翼も、翼膜が全て剥ぎ落され、一つ一つの関節から伸びる先が刃の様に鋭く鍛えられている。
まるで、己の肉体そのものを武器として鍛え上げたような輝きを見せる。
「フライング悪いな」
「いや、体を温めるにはちょうどよかった」
「そうか。なら始めようか」
「あぁ……頂点に至る闘争を始めようか」
言葉と共に闘争を開始する。
ドラゴンという種の最強、その頂点を目指し、挑むための身勝手な戦いが。未練も、義理も、義務もなく。
ただ、戦いたいから戦う為だけの戦いを始める。
次回、アベル戦。何故か人間の姿のままのアベル君に一体なにが……!