爆心地とも呼べる地。
アベルとウルが全力を吐き出し切った地は奈落へと通じそうな巨大な穴が生まれ、そして大地を割りながら広がっていた。永遠に残る傷跡を大地に残しながらその破壊され切った大地にウル・カラーとアベルの両名が力を入れる事も出来ずに倒れ伏していた。
まさしく全力の死闘。魔王というシステムからして最上位を決定された存在との戦いを除けば、歴史上もっとも激しく、そして大陸そのものへの破壊を生み出した戦いでもあった。最上位の存在が一切躊躇や配慮という物を行わずに戦闘を行った場合―――その結果が大地へと刻まれた。そしてその変形した地形を見れば、人間がその恐怖と暴威を忘れる様な事は永劫無いだろう。
―――愚かでなければ。
「ぉ」
そう、声を響かせる。
言葉にならない咆哮が漏れる。
「ぁ、ぉ、お―――」
ウルか、或いはアベルか。どちらが先に声を上げたのかは判別が出来ない。
だが、
―――立たなくては、ならない……!
全身が痛む。体内に溜め込んだ魔力の類は全て使い切った。右腕の感触がない。あの一撃をガードするのに差し出したのが原因だろうか。繋がっているだけでも御の字であろう。そう判断しながら口を開き、
「おぉぉぉぉおおおおおオオオオ―――!」
全力の咆哮を響かせた。裂かれた大地に反響して混じり合う咆哮が轟き続ける。脳味噌を揺らし、在耳を潰しそうなほどの大音響を喉の底から歓喜と熱と共に吐き出し切りながら立ち上がる。そう、立ち上がらなくてはならない。それがこの、アベルというドラゴンに残された唯一の矜持であるから。
「お、お、お……!」
体力? 生命力? 魔力? そんなものは尽きている。だが矜持だ―――そう、矜持。誇りさえも使い捨ての武器として切り取って使い潰した。種族としてのドラゴンは勝つ為に捨てた。そして残されたのは力への信仰と勝利への執念、そして矜持だ。夢見たものを追いかける子供じみた、小さな矜持。だがそれが今、自分に残された全てだった。故に立ち上がる。立ち上がらなくてはならない。
アベルは、ここで立たないとならない―――!
それを自分に言い聞かせて体を動かす。骨が折れている。皮膚が炭化している。だが体は一つだ。ばらばらになっていない。ならまだ動けるだろう。自分の体を突き動かすこの情熱のまま、
立ち上がる。
立ち上がった。立ち上がらなくてはならないから立ち上がる。アベルがよろめきながらも両足で立ち上がる姿を見た。その右腕は張力を無くしてだらりと垂れている。だがその代わりに左腕は拳を作っている。あぁ、本当に最高だよお前。まだ、まだ戦ってくるのか。まだ立ち上がれるのか。
感謝させてくれ。
そして済まない。今までの非礼を詫びさせてくれ。
最高だ。それ以上の言葉が見つからない。お前以上の雄を知らないし、ここまで応えてくれる事に感謝している。故に自分も、その期待に応えないとならない。あぁ、この瞬間だけはマギーホアとか、魔王とか、どうでも良い。この刹那に感じる熱が全てだ。目の前でアベルが立っているのだ。だとすれば、それに応える義務がウル・カラーには存在するのだろう。いや、違う。
応えたいのだ、その心に。
まだだ、まだいけると。
そしてお前もそうだろう。そう信じて拳を握るアベルの姿に、自分が応えたいのだ。誰でもない、自分だけが―――今、応える事が出来る。
「ぉ、ぉ、お―――お―――」
故に咆哮を零す。体中が痛い。血を流しているのが見える。景色が血で滲んでいる。後で誰かに怒られそうだ。だけどアベルも血まみれだ。自分と俺の血で体を染め上げながら、それでも拳を握ってくる。
故に、立ち上がった。
そして、足を踏み出す。
一歩目。咆哮を響かせ、反響させながらもゆっくりと、体を前に出す様に踏み込んだ。全てを吐き出し切った後で立ち上がるだけでも重労働だろう。だがそれに構う事なく二人は力を極限まで抑え込んだ、人の姿で拳を握った。血まみれの状態、それでも戦闘が終わっていない。まだ動ける。息の根を止めていない。それを達成する為に、笑みを消し去り、真剣な表情で
確かめる様な一歩目。体が崩れ落ちそうになるのを歯を砕きながら食いしばって耐える。そしてそのまま、足元を血で汚しながら二歩目を踏み出した。前よりも強い二歩目。確かめるのではなく確信する様な二歩目。踏み出せた。
そう、踏み出せたのであれば問題はない。
「おおおおおおお―――!」
確認は終わった―――であるなら、戦える。その事実が二人を突き動かした。
三歩目は遠慮のない前へと向かった疾駆。駆けだしながら互いに片腕、拳を持ち上げて振り上げる。シンプルに殴る、それを伝える様な構えも技巧も必殺もない、ただの拳。それを持ち上げた所で血を撒き散らしながら、
同時に踏み込んだ拳を振るった。
殴打音。
「がっ、がはっ」
「かぁっ、はぁっ……!」
同時に全力の拳を殴り抜きながら骨を砕く。肉を打つ。血を更に撒き散らしながら出血させる。雄も雌も関係なく全力で、相手を殺す様に拳を振るう。最初の天変地異の如き戦いと比べれば児戯として表現したくなるような戦いだろう。だがそれを見ているもの―――竜王も、魔人も、悪魔もその戦いに笑いの声を挟める者はいない。
誰一人として、その戦いを笑う事は出来ない。
そこにあるのは主義や主張を全て捨て去った果てに残された、最も純粋とも言える渇望。勝利への執念。純粋に、己の肉のみで勝利を掴みたいという願い。それが拳に乗せて叩き込まれていた。故にウルが吐血する。アベルの傷口が開く。
殴り合い、後ろへと弾かれながらも二人が同時に足で大地を踏み、再び前へと向かって全力疾走しながらガードの概念を殴り捨てた本気の拳を叩き込む。
「おぉ、ぉ、アベル、アベルゥ……!」
「ウル、カラァ……!」
名前を口に、叫びながらもそれ以外の言語を失って、血まみれの体を更に自分と相手の血で染め上げるように殴り合いが続行する。肉が殴打される鈍い音が響き、激痛が両者の体を貫く。だがそれでも気力が続く。既に肉体的に限界を迎えている。苦しみは耐えきれるものではなく、視界は既に霞んでいる。
それでも譲れない物の為に拳を振るい続けて行く。
己は、こんなものじゃない。まだだ、まだだろう。見ていろ―――お前が見ている俺を。
精神だけが肉体を凌駕し、動かし続けている。だが全てを吐き出しての殴り合い、アベルもウルも全力で拳を叩き込み、骨と肉を砕き続けて行く。
その殴り合いに少しずつ、肉体が壊れて行く。
感覚が薄くなり、音が遠くなる。
拳をちゃんと握れているのかどうか解らなくなり、
そして、視界がほとんど、疲れと血で見えなくなってくる。
それでもそいつはそこにいる。そこに立っていると。両足で体を支えながらアベルとウル・カラーは拳を握った。
次だ―――次で殺す。
互いにそう覚悟し、終わらせる為に拳を握り、踏み込んだ。ほぼすべてを吐き出した互角の状態。その状態になって、全てをさらけ出して、それで拳を握った時、
根本的な勝敗を分かつのは
アベル、そしてウル。その両者を比べ、その性能を比べれば―――ドラゴン、その技能のレベルが3に達しているウルが半歩、僅かに半歩だけだがアベルに勝る。故に最後の一撃が入る瞬間、
ウルがアベルよりも先に足を踏み出せた。
それを目撃した瞬間、アベルが察する―――遅れた、と。
僅かに、本当に僅かに。種族の基礎スペック、《ドラゴンLv2》と《ドラゴンLv3》、その僅かな差に敗北するのだ。その事実をアベルは感じ取っていた。半歩だけ先を行くウルが拳を振り上げ、それをアベルへと向けて放とうとする。それを迎撃する様にアベルもまた、最後の一撃を放とうとしていた。自分の敗北は見えた。だがそれは戦いを止める理由にはならなかった。
最後の、命尽きるその瞬間まで戦う。
その矜持にアベルは殉じる。もはや都合の良い蘇生なんてない。死ねばそれまでの運命。それでも避ける事も、逃げる事も、ガードする事もしない。最後の最後まで全力でウルに応える。
その為の拳がウルに半歩分だけ遅れて、
「おおおおおおおぉぉぉぉォォォォォ―――!」
―――
「っ!?」
拳がウルに直撃し、その姿を殴った。本来であれば、アベルの拳よりも早くウルの拳が届く筈であった。だが結果として先に到達したのはアベルの拳であり、それを受けたウルの姿は殴られ、倒れる。
今度こそ完全に力を失って倒れるウルの体をアベルが今にも倒れそうな体を全力で保ちながら、抱き留めて支えた。全力で攻撃を叩き込み続けてきた雌竜の体の軽さに、アベルは驚きさえ感じられた―――自分が倒そうとした相手が、こんなにも軽く持てる相手だったのか、という事に。
その驚きを胸中にしまい込みながら、
「何故だ……何故、最後の瞬間に拳を緩めた! それを振り抜けば、勝てただろう、殺せただろう、終わらせられただろう……俺の事を」
アベルの口から何故、という言葉が漏れる。今のはウルが勝てる戦いだった。間違いなく、あの最後の瞬間、勝っていたのはウルだった。それこそ何らかのズルをしない限りはアベルには覆せなかっただろう。だが結果は違った。ウルの方が、拳を緩めた。明らかに失速したと解る速度まで拳を緩めてしまった。最後の最後の瞬間に行うには余りにも致命的な行いであった。
アベルはウル・カラーという雌竜を、過小評価しない。彼女であれば確実に殴り抜けた。殺せた。それを信じるだけの力を感じていた。そんな相手だからこそ全力を出して戦うことができたのだと信じている。故に声に出してしまう。
「何故だ……!」
その問いをウルにしなければならなかった。血で真っ赤に染まった体を抱き留めながら、確かめるように声を放ち、そして薄れゆく意識の中のウルの声を聴いた。
「あー……はは……」
苦笑いを零す様な声がアベルの耳に届いた。
「なん、というか……さ」
「……」
アベルが、聞こえて来るウルの声に黙った。
「楽しかった、よな。笑って。全力で。輝いてさ。吐き出してさ」
全力でぶつかった。そして互いに全力でぶつかり切った。それが楽しかった。何よりも嬉しかった。そうやって全力を向け合える相手がいることを。格上でもなく、格下でもなく。完全なる同格。故に勝負が成立した。策も何もなく、本能に任せた全力の戦い。
「楽しくてさ」
それがどうしようもなく嬉しくて―――。
「なんか、アベルの事殺すの嫌になっちゃった」
ウルが、アベルの腕の中で小さく笑った。それを受けて、アベルが困惑する。ウルの言った言葉の意味が解らなかった。だがそれを理解している様にウルは笑った。
「はは……いや、さ。こんなふうに、さ。……全部、吐き出して受け止められるのってさ……お前だけだろう?」
「……」
「なんか、それが嬉しくてさ。楽しくてさ……かっこよく見えてさ……」
「それで、なのか……?」
「あぁ、それだけなんだ」
ウルが、負けちゃったなぁ、と力なく呟く。その全身からは既に力が抜けており、完全にアベルに体を預けている状態だった。その目も、もう開けていられないと徐々に閉じて行く。
「あー……女として、負けちゃったなー……」
「―――」
ウルはそう言葉を零した。そしてその意味を理解できない程、アベルは馬鹿ではなかった。だから困惑し、理解する。
ドラゴンとして、戦闘ではウルが勝利していた。
だがウル・カラーは勝利の直前に
女だから―――良い男を、殺したくなかった。
「じゃ、そういう事で。後は好きにしてくれ……」
満足げに呟き、未練も後悔もなく。こいつ相手なら何をどう殺されても良い。そう言外に伝えながらウル・カラーは敗北の満足感の中に目を閉ざした。
意識を完全に失ったウルの姿を抱えたままアベルはそこでしばらく、体力を取り戻す様に呼吸を整えて待ち、手の中にある軽い重みを感じていた。
やがて、しばらくしてからドラゴンの戦いが生み出した大陸の傷跡から、その姿が消え去った。
簡単に言えば、全力で戦って、全力で応えて、それでも死なず、死ねないその姿に乙女回路がキュンキュンしてしまった。
女としてこの男は殺したくない。そう思ったから負け。