―――ほどなくしてウルは一つの卵を産んだ。
彼女と自分の子だった。恐らくはこのルドラサウム大陸において、最後になるかもしれないドラゴンの子だった。数千年前、ドラゴンの粛清が起きてから、雌のドラゴンはウル、ハンティ、カミーラの三体だけとなってしまった。その誰もが伴侶を抱くような事はなかったため、こうやって新たなドラゴンが生まれるようになる事は一種の奇跡だとも言えた。そうやって子供が生まれる未来が決まった所で、感極まって泣いてしまったウルの姿が印象的だった。とはいえ、これでもう、ここにいる理由もないだろう。そう思っていたのだが、
「なんだよ……子供の顔、見たくないのか」
「そんな事はない」
「じゃあ決まりだな。ペンシルカウには戻らないよ」
そんな会話があり、ウルはペンシルカウに戻らずここに居座る事にした。文字通り寝起きする為だけだった一人用の小屋。かつては魔王城が存在した地域は、それから解放された反動か大地が肥え、そして自然が豊かになっていた。その為、深い森の中に小屋を立てれば世間とは関わらずに生きていけるものだと思ってそこに暮らしていた。
だが住んでいる場所が悪い。
そもそもここは自分が一人で雨露をしのぐために用意した場所だった。
風や雨が入ってこない程度に作った小屋であり、家なんてたいそうなものではない。入って、寝る。その為だけの場所であった。食事も何も小屋の外に出て陽の光を浴びながら行う物であり、とてもだが
ここまで求められ、願われ、そして応えられているのであればやるのみという矜持が。
そう言う訳で、少なくともウルと産まれて来る子を住まわせられるような家を作る事に四苦八苦することになる。問題は建築に関連する技能はなく、それこそ小屋を一つ作るだけでもかなり苦労するという事実である。木を切ったり形を整えたりするだけであれば《武芸》の技能でどうにかなるものの、それを組み立てたりするのは違う技術であり、
しょっぱなから住宅計画は暗礁に乗り上げそうになる。
だがそれを阻止したのが、
「お困りの気配を感じたので参りました。お久しぶり―――いえ、ここでは初めましてと申しましょう旦那様」
メイド服の堕天使―――堕天したエンジェルナイトの侍女だった。ウルに仕える堕天使の侍女は主の困った気配を感じ取り即座に直感と侍女の魂で場所を特定してきたという。
ここは大陸の北東、かつては魔軍の領地があった場所。魔王が去った事により今まで死んでいた大地はその反動を受けるように豊かになった。無論、そこには大森林が広がっていたりする。開拓者が増え、徐々に人手が入って行くこの大地はしかし、まだ未開の場所が多い。そういう森林の中に今は住んでいた。未開拓の森の中とは天然の迷路となっており、方向なんてものは簡単に見失ってしまう。
その中を簡単に突破して歩いてやって来た堕天使の従者心、というものにはあきれるほかが無かった。或いは《メイド》の技能でも保有しているのかもしれない。だが彼女の存在には大いに助けられた。やってくると早速小型の家をあっさりと建築してしまう他、卵の育て方などのマニュアルを置いて行き、そのまま戻る様な事を説得せず去って行った。
「我が幸福は主の幸福。主の幸福を最大限追及する事が従者の役目です。確かにペンシルカウに戻った方が安全でしょうが、旦那様と引き離す事になりましょう。それはウル様の意思に逆らう事になりますし、安全を確保した所で永遠に納得しないでしょう」
実に出来た従者であった。そして本当に、そのまま去って行った。
そうやって出来上がった住居。住む場所が決まれば次は生活に必要なものを揃え、生きて行く準備をする。自分とウルだけであれば適当なモンスターを襲って食えばそれで事足りるだろう。
だがこれからは子供も産まれるのだ。
その為の準備や、備蓄などはしておきたい。ウルは卵の面倒を見る必要がある為、基本的に出歩く事は出来ない。その為、調達するのは自分の役割となる。
幸い、開拓者のコミュニティは常に物資の不足や、モンスターによる被害に悩まされている。その為、モンスターを狩ったり、護衛等をすれば気前よく報酬をくれる。
この世界の人類は愚かだ。
いや、メインプレイヤーとして設定された全ての存在が愚かだ。
本能的に、或いは本質的にその魂がルドラサウムへと還元する様に自滅する様な思考を根本にインプットされている、という話をナイチサから聞いた。故に生物としての本質は道化。創造神ルドラサウムを楽しませる為だけの生物として生み出された。ルドラサウムの命から生み出された全ての生物は、ルドラサウムの一部である。故に何時かはルドラサウムに還元される。
全ての意思は無意味である。
そういう風に煽られた事もある。
故に、自分も結局は創造神の道化でしかない。確かにそうなのだろう。自分の行動は、その多くは愚かな行いが多かったと言える。間違い続きの命を今まで送り、最後の最後まで間違い続けて死んだ。それから何かの間違いか、蘇って今の様な命を得て、子供まで作った。初めの頃の己が今の己を見た場合、まるで信じられない様な表情を浮かべる事は想像しやすい。
だがその次の表情が解らない。
呆れるか? 羨ましがるか? それとも憎むか。かつてにはない力を今は得ている。あの頃の己よりも強くなったという自覚はある。だがそこにはドラゴン、という生物の形を捨てる必要さえあった。そうやって手にした力を見て、過去の己は何というのだろうか?
今の己にはそれがもう解らない。
だが、生きるという事は存外大変であるという事だけは理解している。
そして今のメインプレイヤーは、ドラゴンがメインプレイヤーだった時よりも遥かに長く生きている。そう、彼らのメインプレイヤーとしての時期は自分達ドラゴンの時よりも遥かに長い。一つ一つの命はああも儚く、小さいのに。彼らの愚かさはしかし、彼らという種を存在させる要素となっている。
彼らは愚かしい。与えた恩を忘れ、刃を当然のように正義として振るってくる。騙しやすく、そして滑稽なほど哀れな存在である。
だが、彼らが持つその逞しさは実に好ましいものだった。
「ニイちゃん、見た目は優男なのにやるじゃねぇか!」
「もう、こっちで暮らせよお前。奥さんが居るんだっけ? 二人でさ」
「もう帰るのか? そうか……またな」
彼らは愚かだが、逞しい。数百年前までは魔王が支配していた死の大地を恐れる事無く開拓している。或いはそこに魔王が居たなんて事をもう忘れているのかもしれない。人の一生は短く、情報は正しく後世まで語り継がれない。だがそれを乗り越えてもなお、前へと向かって進んでゆく。
その精神性は、自分が失っていたものだ。自分が持たないものであった。それを何度でも自分勝手に拾い上げては進んでゆく彼らの姿は―――自分からすれば、羨ましいものがあった。
その弱さを抱えつつ次の時代へと進んでゆく姿に憧れを覚える。
自分が変わる―――変わってゆく。
何が自分を変えたのか。その自覚はある。
だからこそ、それを守りたいと思えるのだろう。そしてそれを何よりも守りたいと思えてしまう。
だから、
「戻った」
家の扉を開けて戻ってくる。片腕に荷物袋を抱えている。その中には今回の護衛料で購入したものが詰め込まれている。それを担ぎながら家に帰ると、扉の向こう側にシンプルなチュニックの上にエプロンをかけて、髪を肩の上から前へと向かって流す様に一房に纏めるウルの姿が迎えてきた。
「お帰り、アベル君」
前よりも柔らかい笑みを見せてウルが帰宅を迎えてくれる。戦う事に負けて以来、ウルは諦めるようになった。それまでは猛っていたドラゴンの戦闘欲求が、卵を産んでからは一気にその姿を失った。服装も露出を控え、どことなく女の気配が前よりも強まっているのが見ただけで解る。
「荷物、持とうか」
「その必要はない。お前は体を休めて卵の面倒を見ていればいい」
「冬ならともかく、今は暖かいからそこまで付きっ切りじゃなくても大丈夫だよ。ルドべぇが見てくれてるし」
「……うむ」
あの鯨の人形の姿を思い出し、アレに本当に大事な卵を任せていて大丈夫なのだろうか? なんてことを思ったりもする。実際、あの姿が創造神と一緒の人形は姿はともかく、善良な気配しか感じさせられない。少なくとも何らかの神の類があの中に居る事は
「なんだよー、ルドべぇじゃ不安かよー」
「言葉をぼかして言うと物凄い不安を覚える」
「ぼかせてないじゃん」
そう言うと腕を掴んでウルが家の中に引っ張り込んでくる。荷物を勝手に取ろうとする姿を軽く回避しつつ扉を閉めて、中に進んでゆく。その間に荷物を開けて、卵のもとへと戻っていろ、と視線を送る。それを受けてウルが軽く肩を揺らし、呆れの溜息を吐く。
「アベル君は俺の事心配しすぎだよ」
そこまで言った所でしまった、という表情をウルは浮かべながら額を叩いた。
「私だ、私」
「無理をして言葉遣いを変える必要はないぞ。俺は別段、そういうのは気にしない」
自分に言い聞かせるように言ったウルの姿を見て、言葉を向ける。だがウルはやや頬を膨らませ不服の様子を見せている。
「俺様だって母親になるんだから、それらしくしたいだろー」
「お前はお前らしくあればいい。そういうお前に俺は惚れたんだから」
告げるとウルは視線を逸らしながら恥ずかしそうに頬を掻いた。前までの彼女であれば、それを正面から笑い飛ばしていた……様な気がする。詳しい事は彼女の昔を知る様な連中に聞かなければ解らないだろう。だが個人的に、そこまで彼女の過去を知る様なつもりはなかった。
今があればそれでいい。純粋にそう思えているからだろう。
「ほら」
「解ったよ、解ったから。アベル君はほんと心配性だなぁー」
笑いながらも卵へと向かうウルの足取りは軽い。その姿が奥へと消えるのを見届けてから、リビングへと入る。そこに持ち込んできた荷物を置いてから彼女が消えた方へと向かう。
そしてその奥で、命が宿っている大きな卵が安置されている部屋に入る。
クッションを敷いて安全を確保しつつ、その直ぐ横には見守るように鯨のぬいぐるみが転がっている。その横にウルが膝を折って座り込み、軽く卵に寄りそう姿が見える。楽しみを堪えきれないという様子で、慈しみの視線を向けているのが見える。本当に彼女が心の底から誕生を待ち望んでいるのが解る。
そして同時に自分も、こうやって新たな命を迎える事に感慨深さを覚えている。殺し、喰らい、そして破壊する事しか頭になかった雄が、良くここまでこれたものだと。
そして自分の様な子を育ててはならないと、そういう想いがある。
「なぁ、アベル君」
「どうした」
「どういう子、産まれて来るかなぁ」
「俺とお前の子だ……いや、今のは言葉を間違えた。間違いなく良い子が産まれて来るだろう。あぁ……そう育ってくれたらいいな……」
「絶対に産まれはヤンチャそうだよな」
苦笑しながらウルは軽く大きな卵に触れ、それを撫でる。その中にある命を慈しむ姿は間違いなく一人の母としての姿だった。自分が彼女をそういう風に変えたのだ。
その姿を見て、落胆は覚えない。
ただ、この先にある未来に想いを馳せて軽く笑みを零す。
「あぁ……だが良い子が生まれるだろう」
「そう思う?」
「心の底から愛してやるんだろう? なら問題はないだろう」
間違いなく、愛を注げられる。これから産まれて来るのは自分たちの子なのだから。
ドラゴンが、卵でいる時はそう、長くはない。
近い将来に会えるであろう子の存在に期待しつつ、
一緒に時を過ごしてゆく。
ついに一児のママとなってしまったウル様。ここに来るまで本当に長かったなぁ……。