まだ、子供は生まれていない。
「ははは……まぁ、流石に俺とお前の子供なんてイレギュラーすぎるもんな」
「命は間違いなく感じる。ただ、まだ準備が整っていないだけだろう。直に産まれるさ」
「……だよな!」
そう言ってウルは楽しみにするように卵を撫でた。少しだけ、不安そうな表情を見せているのは中々卵が生まれてこないことにある。既に卵が産まれてから2年近い。こうなってくると、それなりに遅くなってくる。だが遅く産まれて来る子もまた、過去には存在している。そういう者はそうじて体が弱かったり、何らかの欠陥を抱えていたりする。
不安がないと言えばウソになるだろう。だが自分たちの子なのだから、きっと生まれてきてくれるという自信があった。だから少し、手間取っているだけだ。きっとそうなのだと思う事にした。ウルの方も少しだけ不安そうにしているが、それでもちゃんと命の気配を感じられているのだ。
流れている訳じゃない。
子は卵の中で生まれる時を待っている。それが解るからこそ、心がまだ穏やかでいられる。だから誕生を待ち望む様に、何時も通りの二人と産まれて来る子を待ち望む日々を送る事にする。
もう既に家には、産まれ来る子の為の部屋も用意されている。ウルが言うには、間違いなく雌が産まれて来るという事だった。だから、その子に合わせて内装や家具、ベッドや洋服の用意をしながら、何を教えようか。何をしようかというのを二人で日々、相談しながら生活している。
「俺とお前の血を継いだ子だ。間違いなく武芸に秀でた強い子になるだろう」
「いやいや、俺達がこうやって大いに暴れたからこそ、大人しい子に育ってほしいと思うよ。こう……お嬢様系というか、上品でお淑やかな子に育ってほしいなぁ、って個人的には思ってるんだけど」
「お前の娘が」
「おい、なんで俺を見てるんだよ。おい、アベル君!」
「……口が滑った」
「あーべーるーくーん!」
「少し出かける」
「あ、こら、逃げるな」
それで再び笑い合いながら時を過ごす。この大陸の惨状は酷いが、この瞬間とこの場所は間違いのない幸福が存在しているのだから。遠い未来の事は他の連中に任せればよい。今は自分の、そして彼女の幸福だけに生きたいというのが心の声だった。だから今だけは、今だけは全てを忘れてこの時間を過ごしたい。
子は、まだ生まれない。
3年目を超えたあたりでウルの口数が少なくなった。明らかに不安を覚えるようになり、事あるごとに卵に近寄っては温めるように体を擦り寄らせる。そうやって中にある命が健在であるのを確認していた。まだ生まれて来る筈だ。まだ、まだ。そういう希望を抱いて産まれて来る日を待っていた。
だが5年目になって、ウルは自分を責めるようになった。
「俺が悪いのかなぁ……」
「お前に悪い事なんて一つもないだろう」
落ち込み、膝を抱えるように卵の横に倒れ込む愛しい女の横に座り、その頭を撫でる。だが5年経過しても産まれて来ないという事実は、原因不明の出来事は彼女の心を蝕んでいた。本当であれば流れて死んでいるか、或いは産まれている頃だ。だがそのどちらでもなく、産まれて来ないことなんて初めて聞く話だった。それだけに中で娘は生きているのか、産まれる事が出来るのか。
その未知がウルを苦しめていた。
当然、同じように自分も不安はあった。だが雄として―――彼女を支える存在として。前よりも女らしくなったことが原因で
それが原因で、心は前よりも弱くなった。それは自分が原因だと解っている。故に彼女からは、離れられない。自分たちの関係も大っぴらに出来るものではない。故に助けを求めることは出来ない。
「だって、俺って女らしくないしさ……」
「お前は立派な女だ。少なくとも俺はそう思っている。そして俺にとってそうなら、この世界にとってもそうだ。そうだろう? 胸を張ってくれウル。お前は俺の自慢の女なんだから」
「……うん……うん」
呟きながらも、声は弱々しい。何を言おうと母、現実の前には言葉だけでは空しい。誰よりも自分の娘の誕生の事を楽しみにしていたのが事実だ。それ故に、産まれて来ないのかもしれない。その出来事が強く、そして酷くウルを傷つけている。
彼女は、情の強い女だ。
だから、早く子には産まれて来て欲しかった。
何故、何故産まれないのだろうか。
こんなにも待ち望んで、愛を注ぐ準備も整えているのに。
なにが、悪いのだろうか。
―――その答えは解っているのだろう。
だが口にすることも出来ず、ウルを慰めてまた時が過ぎて行く。
10年経過して―――まだ、子供は産まれてこない。
ウルが良く泣く様になった。自分が悪いのだと責めて、そして卵の周辺から離れなくなった。視界から卵を外すことに不安を覚え、常に一緒に居て自分で温め続けないと気が済まなくなる。もはや、見ていて痛々しい姿を見せている。これがきっと、本来のドラゴンには存在しないカラーらしい、或いは人間らしい母親の愛情なのだろう。だがそれを注ぐ相手はまだ産まれて来ない。行き場のない愛がただ腐り、流れて行く。産まれて欲しいと願っているのに産まれて来ない。
彼女がそうやって、情緒不安定になっている姿を見ているからこそ、自分はまだ冷静で居られるのかもしれない。だからウルのケアをしつつ、冷静にどうするべきなのかを考えている。
まだ卵の中に命の気配はある。
だがそれがちゃんと生物としての形を取っているのか、外に出ても生きていられる姿をしているのか。それが不明である。それ故に外側から割って、迎えるという事が出来ない。それが出来れば果たして、どれだけ楽だったのだろうか……。
「俺が、俺がいけないんだ……女らしくなく、母親らしくないから産まれて来ないんだ……」
「そんな事はない、そんな事はない……」
抱きしめて言葉を伝えても、初めての子供が産まれてこない事実にずっと、ウルは傷ついて嘆いている。可能であれば原因を探りたい。だがそんな魔法を使えるような技能は持っていない。なら誰かの力を借りるべきなのだろう。だがこういう時、真っ先に現れる筈であろう彼女の友人の悪魔も、従者も出現してこない。
そうなると、誰かがウルに対して、彼女がこうなるように仕向けている存在が居るのかもしれないと判断できる。実際、自分にも彼女にも敵は多い。強力な味方が居れば、それだけ強力な敵も作る。
そこまでは良い。
思考すれば解る事だ。
「アベル……アベルぅ……」
「あぁ、大丈夫だ。俺はどこにも行かん」
「うぅ……」
嘆き、苦しみ、泣いている。助けを求めに生きたいのは事実だ―――だが、ウルをこのまま放置させることも出来ないのは事実だった。彼女は今、非常に不安定な状態にある。既に一度、自分の魂を捧げればそれで産まれて来るのではないかと
だがこのまま、時間だけがいたずらに過ぎ去る―――動かなければ、そうなる様な気がしている。
とはいえ、ウルを放置する事は出来ない。
誰か―――誰かの助けが必要だった。そういう風に素直な思考を作りながら、ウルを抱きしめる。自分だけの力では、鍛え上げた力だけではどうしようもない事だった。
だが―――だが、時間はある。
「お前が泣き、嘆き続けるならその間は寄り添おう」
どれだけ時間がかかろうとも、その涙が枯れ果てて再び歩き出せるまでは。寄り添えば良い。時間なんてもの、ドラゴンである己たちには関係がない。それこそ立ち直るのに1000年が必要なのであれば、無駄に1000年を過ごせばよい。
その果てで再び立ち上がれるのであれば、それで良い。
少なくとも、今の自分にはそれしかできない。
「お前は何も悪くはない……ただ、少し運がなかっただけだ」
そう言って愛しい人の頭を撫でて慰める。
何も、悪くはないのだと告げて。
アベルは、ウル・カラーには罪がないと告げた。
それは嘘だと断言できる。彼女が今まで犯した罪の多くには殺人や強盗などが含まれており、常識的な倫理からすれば虐殺者、極悪の存在だとも表現できる。だがそもそもからして、ルドラサウム大陸の生物は愚かである様に作られている。そして同時に、現代地球で語られるような倫理観がこのルドラサウム大陸に置いては薄い。故に人間を殺した所で、犯した所で、虐殺をした所で、
罪と呼ぶには難しい。
そもそもからして他者を苦しめ、奪うようにこの世界は出来上がっているのだ。限られた環境に放り込まれた疑心暗鬼と憎しみの種。それによって殺し合うことを推奨させられている。この大陸のシステムという物を知る存在は、ルドラサウム大陸に置いて善良な者は蹂躙される為に配置されているのだという事が解るだろう。
そもそもからして主神であるルドラサウムの精神性が幼く、そして一番最初に心地よく感じてしまったのが、失われる悲鳴だった。誰かが苦しみ、蹂躙される景色に愉悦を覚えてしまっている。加虐性癖ではなく、純粋な無知から来る悪性だと言えるものである。
これを、悪であるという概念はそもそも誰が生み出したのか。
無論―――蹂躙される側である。
嘆き、苦しみ、痛みを訴える側がそれを伝え、理解させるからこそ共通の悪という認識が生まれる。つまるところ、これは蹂躙される側の都合である。する側からすれば何を言っているんだという話でもあり、
その話を聞き入れ、理解した時点で敗北と言える。
つまり、これは変えられたという意味になる。
―――ウル・カラーに、本当に罪はないのだろうか?
ウル・カラーはその生きざまを通して、ルドラサウムから多大な興味を受けた。それこそ彼女はルドラサウムにとってお気に入りの玩具である、という認識を与える程度には彼女が持ち込んだ知識、起こした行動、生み出した結果は魅力的だった。それまではアリを踏みつぶして遊んでいるだけだったルドラサウムは、
ルドラサウムはそれまで、眺めている事だけしか知らなかった。
だが彼女を見る事で、物語の中に混ざって感じ取るという概念を理解するに至った。そしてそれは退屈しのぎに大陸を生み出したルドラサウムからすれば、最高の娯楽であった。
故にルドラサウムは夢を見ることを選ぼうとする。
自分の依り代に相応しい肉体を持つ者が生まれるのであれば、それを借りて少し遊べば良いじゃないか。
後も先も考えない、子供らしい―――白痴の鯨の行動。
ウル・カラーには明確な罪がある。
彼女はその生きざまで人を魅了し、行動で変化を示した。それは間違いなく、彼女の運命を良い方向へと変えたのは事実であろう。そしてルドラサウムの存在を導いたのも事実である。
だが、
全ての変化が良い変化であるとは限らない。
「―――ウル・カラーは大罪人であり、消去すべきである。ルドラサウム様が眠っている今、一度消去してから完全再現した再現プレイヤーを構築すれば危険性は抹消できる」
「否定する。彼女の存在はそのままであるからこそ面白い。再現した所で我々の創造の範疇内のものにしかならない」
「それで良い。創造物が創造主に影響を与える事等許されない。我々はルドラサウム様の思うがままであるべきであり、影響を与える事等許されはしない」
「中庸。判決を主に求める」
「否定。大陸の運営は我らの役割であり、ルドラサウム様を煩わせる事ではない」
「同意。ルドラサウム様の手を煩わせる事でもない。我々の間で答えが出せる事だ―――そうだろう、
「その言葉を肯定する
ウル・カラーは大罪を犯している。本来の、正史であればまずありえないことである。イレギュラーが混じった結果影響を受けたのはルドラサウムだけではない。ルドラサウムが創造したのが管理者の三超神である。だとすれば、
何故、彼らが影響を受けないと言えるのだろうか。
ルドラサウムが不変ではないのに。
何故、三超神が不変ではないと、そう思えたのだろうか。
三超神の円卓は既に割れていた。
ウル様も今では立派な雌。子供がさあ、産まれるぞ! と楽しみにしていたらこれよ。