「いいか―――こうだ」
そう言ってパパは矢を射る。
木からロープで吊るされた木鳥は不規則に揺れて、ちょっとねじれている。固定しているわけじゃないけど、木の上にいる小さなまるがぴょんぴょん跳ねて枝を揺らしているのが原因だ。ここにいるモンスターはみんないい子だから、襲ってくるようなこともしないし、頼めば手伝ってくれる。そういう事で不規則に揺れている木鳥に視線を向けず、パパはこっちに視線を向けていいか、と言った。
「うん」
答えるとパパは振り返り、弓に矢を番える。だけどそこから構え、射るまでの時間が恐ろしく早い。構えてから射るまでの時間、もうほとんど狙っているようには思えなかった。だけどパパの射った矢は当然のように木鳥の目に吸い込まれて命中した。それを確認したパパが弓を下ろした。
「弓矢を使う以上は……いや、射撃道具を使う以上は、命中させることは
「パパが滅茶苦茶言ってる……」
パパが作った手作りの木弓を手に、弓を構える。弦を弾くことは難しくない。矢を構えて、姿勢を維持するのも難しくはない。パパは、ボクの構えは本能的に最適な形をとっているから、そこを指導する必要はないって言ってたけど、パパと同じことができるとは全く思えなかった。
だけどパパは頭を横に振った。
「お前になら出来る。弓に関しては言葉では表現しきれない才能がある。一番は歌と演奏だが……俺が教えられるのはこちらだけだからな」
パパはそう言うと膝をついて、ボクの横に並ぶ。すぐ近くでいいか、と同じように木鳥の方へと視線を向けながら、構えるボクを手伝ってくれる。
「射れば、当たるものだ」
「絶対にそんな事ないよ……」
「いいや、出来る。まずはそう思う事から始めるんだ。己が成し遂げられるというイメージを最初に作るんだ」
「できる、イメージ……」
そう言われて思い出すのは……やっぱり、パパの姿だった。あんな風に矢を中てる事をパパは当然のようにやってた。アレを見れば、パパにとって命中させることは当然の行いだというのが解る。動いていても、動いていなくても、命中するんだからパパにとっては何も変わらない。構えたら中る。そういうものだとパパは本当に思っていた。そこがパパは凄いと思う。ボクには無理だと思う。
だけどパパがそう言うなら……ちょっとだけ、頑張る。
弓を構えて、矢を番えて、そして良く狙う。
揺れる木鳥を目標に。視線を合わせ、背筋を伸ばし、足を開いて体を固定しながら弓のブレを押さえて―――しっかりと目視した所を認識し、鏃が吸い込まれるのを幻視する。それに合わせて弦から指を外せば、
矢は一直線に飛翔し、木鳥の胴体に突き刺さった。
「あっ……」
だが、狙ったところはパパと同じ木鳥の目だった。そこからわずかに外れ、胴体に突き刺さった矢を見た。刺さったのはうれしいけど、狙った通りのところに刺さらなかったのは、ちょっと落ち込む所だった。どう、反応したらいいのか、ちょっとわからなくて低い声でうなりながら弓を下げる。
「うぅぅー……」
「上出来だ」
だけどパパは嬉しそうに、頭をぽんぽんと撫でてくれる。
「でも……」
「良い。誰もが最初から物事を完璧にこなせる訳ではない……素質が優れていようともな」
だから失敗しても良い、とパパは言う。失敗してもいい……と言われても、やっぱり思い通りいかないとちょっと悔しい。次は、成功させたいと思う。思うけれども、
弓を見る。
これは、誰かを傷つけるための道具だ。
「……やはり、武芸を鍛えるのは嫌か?」
その言葉に小さくうなずいてしまう。
「パパと練習するのは楽しいんだけど……戦う力はあんまり好きじゃない……かな……」
結局のところ、武器は誰かを傷つける道具だ。強くなれば強くなるほど、誰かを傷つける力が増すと考えると……いい気持にはなれない。体を動かすのは楽しい。だけどそれが誰かを傷つける力だと思うと、正直良いと思えることはなかった。だからこうやって教わる時、いやな気持と楽しいという気持ちの半分半分でちょっと複雑な気分だった。
「そうだな……武器を、武芸を学ぶ事は結局のところ、誰かを傷つける為になるのだろうな」
ボクの気持ちを察してか、パパは膝を折って視線を合わせてくる。片手で頭を撫でつつ、ちゃんとボクの目を見てくれる。
「武器はしょせん道具だ」
「うん」
「使い方は人で選ぶ―――と、誰かは言うだろう」
「うん」
「だがそれは所詮、現実を見てない奴の戯言だ」
「えー……」
パパはここら辺、一切隠せない性格をしてた。だけどパパは嘘をつかない。
「力は、結局のところ何をどうあがいても暴力へと通じる。抑止の為、誰かを助ける為、何かを手伝うため……そう言い訳した所で力というものの本質が変わる訳ではない。戦うための力は結局のところ、戦うためでしか報われない。だから力を学ぶことは究極的に誰かを傷つけることに近づくだろう」
「じゃあ……」
力の使い方は、学ばないほうが良いんじゃないか、と口にしようとした。だけどパパは何かを言いたそうにしている。だから、パパが言う言葉を待つ。
「……だがな」
「うん」
「力がなければ救えないものがある」
「力がないと……」
「そうだ」
力がないと、出来ない事がある。パパはそう言う。それは、どういうことなのだろうか?
「ルーシェ……外の世界は、ここほど優しい場所ではない。それは分かっている事だろう?」
その言葉に頷いた。
外の世界は戦争をしているらしい。良くわからないけど―――人と人が、そしてモンスターと人がいつも戦っている。夢で見た景色は全く知らない人たちが、苦しみながら武器を向けあっている姿だった。それを楽しんでいる人たちもいた。だけど、皆苦しそうにしていたのが印象的だった。なんでみんな、そんな事をするんだろうと思わずにはいられなかった。
「人は愚かだ。欲望のために奪い、殺し、そして食いつぶす。今、この大陸はそういう人間によって食いつぶされようとしている―――自分が正義であると、そう信じる善意の愚かさによって世界は滅びるのかもしれない」
だがそれ以前の問題だ、と言ってくる
「街道は賊であふれ返っている。モンスターの類は見かけた瞬間襲い掛かってくる。力がなければ、そいつらに殺されて終わるだけだ。戦うための力は、生きる上で必須だと言える」
「……」
パパの口から語られることは、とても酷い内容だった。外の世界は、ボクたちの住んでいるこの場所のように平和じゃないんだ、と。外に出れば当然のように襲われてしまう。当然のように殺しに来るんだって、怖い事をパパは言う。
「当然、そういう連中ばかりではない。だがこの大陸の大半はそういう存在で埋められている。そして力がなければ抵抗する事も、やりたいことを実行する事も出来ない。お前が将来、大陸を旅して回りたいというのであれば……それなりの力が必要になる」
パパは頭を横に振る。
「俺は……パパは、別にルーシェの願いを否定したりはしない」
「……うん」
「今はただ、漠然と外を見たいという気持ちだけだろう。だが何時か、おまえにも何をしたい、という明確な夢ができるかもしれない。その時、ルーシェが好きにできるように、自由に生きていけるように手伝いをするのが父親としての俺の仕事だと思っている。だからお前が外を旅してみたいというのなら、俺はお前に武芸を教え込む。それが生きてゆく上では大事な事だからだ。そして俺がお前のために残せる一番のものだと思うからだ」
パパは言う。
そもそもの前提として、力がないと何もなせないのだ、と。
「だからお前が、この外に出たいと言うのなら―――俺は、俺が教えられる全てを教える。それは俺がお前に、ここを出てから失敗してほしくない、後悔してほしくないという気持ちから来ている。それは、忘れないでくれ。止めたいのならいつでも止めていい。無理強いをするつもりはない」
パパの言葉に、少しだけ俯いて考える。
力があると酷い事ができる。
だけど、そういうことがしたい訳じゃない。
でも力がないと、そういう矛先を向けられたときに、何もできなくなっちゃう。
だからそのためにも―――力が必要だ。
理屈は分かる。だけど完全に納得できる……という訳じゃない。やっぱり力を持つことは怖いし、それで誰かを傷つけたくはない。だけど、
「強くなれば、傷つけずにいられないの……?」
「いや……力があれば、誰かを傷つけずに逃げる事だって出来る。力は暴力でしかない。だがそれは同時に選択する余裕を与えてくれる。忘れるなルーシェ」
パパは真剣な表情で行ってくる。
「―――戦う事は、結果でしかない。それが手段になってはならない」
夜、リビングのソファにアベルが座っている。その横に、階段を下りてきたウルが座ってくる。自然な動作で肩が触れ合うほどに身を寄せ合って座る二人に、欺瞞の類は一切なく、互いを感じられる時間を大切にしている、という事が良くわかる。
「ルーシェは?」
「頭と体を一杯動かして疲れちゃったみたいね。すぐに眠っちゃったわ」
「そうか……今日は色々と難しい話をしたから」
「心配だった?」
「あぁ」
だけど、とアベルは言葉を続ける。
「あの子は、何時かここを出ねばならない」
「私も、ずっといられる訳じゃないからね」
ウルのつぶやきにアベルが指を絡めるようにウルの手を握った。それに、ウルが無言で応える。しばし無言で身を寄せ合ったまま、何をするわけでもなく沈黙を保つ。永遠であるものは―――ない。全ては時の流れで変わり続ける。そう、神でさえも時の果てでは変化するのだから。それはウル・カラーにも通じる話だった。
「もう、ルーシェちゃんが生まれて100年以上が過ぎるわね」
「あぁ……ドラゴンでも既に育っている頃だ。それでもルーシェが成長しないのは―――」
「彼女の世界がここだけだから、ね」
ルーシェ・カラーは、この世で最も純粋なドラゴン・カラーになる。ドラゴンと、そしてドラゴン・カラーから生まれた唯一の純正のドラゴン・カラーだと言える。彼女の存在はドラゴンにも近く、カラーにも近い。だが何よりも、
その心の奥底、魂とも呼べる存在に一番、存在が影響されている。
彼女が幼いのは―――彼女の心が、幼いからだ。
まだ穢れを知らぬ童女。
穢れを理解せぬ童女。ゆえに、成長をしない。
「彼女の世界を、そろそろ広げる必要があるわ。聖魔教団と魔軍の戦いもあと十数年以内で終わりそうだし……」
「となると、どうする? ペンシルカウにでも連れてゆくか?」
「あそこは、ちょっとあの子には刺激が強すぎると思うのよねー。まだ、ちょっとお外デビューするには早いかなぁ、なんて」
アベルがウルに、娘を公園デビューさせるみたいなノリだなこいつ……なんて感想を抱きながらも、ではどうするのか、と彼女に問うた。
「時間は、そう多くは残されていないのだろう」
「それでも丁寧にやるしかないわ……あの子の未来の為に。丁寧に、時間をかけて……ちゃんと、育てるのよ―――それが、親としての私の義務よ」
昔のウルを知る人間がいれば、その変化をどう見るか。あるいは、気持ち悪いか怖いと表現するか―――それこそ、彼女という存在を原初から良く知る者からすれば、更に遠くへと進んでしまったと感じるかもしれない。そんな彼女を手放さないようにアベルは握る手に少しだけ手を込めて、ウルはそれに微笑んだ。
「大丈夫よ……まだ、行けないわ」
「行かれたら困る……それよりも、どうするつもりだ?」
ルーシェ・カラーの世界を広げなくてはならない。この狭い箱庭は、彼女を育成する為に用意された楽園でもあった。だがここにいる限り、少女は成長できなかった。ゆえに、ルーシェ・カラーを成長するための
それはつまり、
「外の風が、必要ね」
「外か……」
ルーシェ・カラーが、この楽園の外の存在とコンタクトをとる必要がある、という事に繋がる。彼女の世界を広げる為にも。彼女の未来の為にも、
楽園の扉が開かれる必要があった。
そしてそれにより少しずつ、終わりの足音が聞こえ始めていた。
全ては、愛の為に―――。
大陸の西の果てには絶対にたどり着けない森があるらしい。燃やそうと切り倒そうといつの間にか森が戻っているその場所は、
時折聞こえてくる少女の歌声が木々の間から響いてくる。
ゆえに、その先には妖精郷があるのだと、冒険者の間では語られていた。