「起きて―――ねぇ、起きて」
「あと二日……」
「いえ、後二日って何ですか。あ、でも生態的に普通に二日眠れそう……じゃないです! ルーちゃん! 眠ってると朝の紅茶飲めなくなりますよ! もぅ!」
「あ、それはダメ起きる」
勢いよく上半身を持ち上げると髪が前に吹っ飛んで顔を覆い隠した。軽く息を吐いて前髪を跳ねのけるが、ホーネットがため息を零しながらベッドに起き上がったこちらの後ろに回ると、既に用意していたブラシで髪を梳き始める。
「もう、本当にこういうところはものぐさなんですから……」
「ぽけー」
しばらく上半身を持ち上げた状態でぼけっとしていると、ホーネットが慣れた手つきで髪を梳き終わる。そうするといつも通りのツインテールに髪形を整えられる。そのころにはこっちの意識も覚醒し始めているので、軽く頭を振って意識を再確認しつつ、ベッドから降りる。寝ている間に凝り固まった体をほぐすように軽く体を伸ばしてから、洗面所へと歯を磨いて、顔を洗うために向かう。シャワーとかは紅茶の後でいいや、と思っている。
「おはようホーちゃん! 歯を磨いてくる」
「おはよう、ルーちゃん」
一時の別れをホーネットに告げて、窓から入り込む新鮮な空気を感じながら洗面所へと走る。
今日も、変わらない一日がやってきた。今日は、どんなことをして遊ぼうか?
切り株に腰掛けながらベルトのバインダーにセットされている小型の竪琴を取り出す。パパが言うマジックアイテムであるこれは、お願いすればサイズを変えてくれるから持ち運びに便利なもので、直ぐに大きく、竪琴からハープと呼べるサイズに変わってくれる。そうやって大きくなったハープを目の前に置いて、軽く指を弦に乗せてから弾く。イメージするのは癒しの一曲。ここで即興で生み出す為に、自分にとって安らぐ事、穏やかな事をイメージし、
心に浮かんでくる情景をそのまま、指を通して表現させる。
ゆっくりと動く指が弦をはじいて、音を空気に染み込ませる。
癒しを奏でる歌は正面の大地で傷ついて倒れているまるの傷を、まるで魔法を使っているかのように徐々に癒して行く。その様子をホーネットが横で座って眺めているのが見える。その表情は真剣なもので、奏でる音楽が生み出す結果を眺めていた。指の動きを一切止めることなく、
「どうホーちゃん? ボク凄いでしょ?」
むっふー、とドヤ顔を浮かべながらホーネットへと言えば、
「いえ、私が回復魔法を使った方が早いですから別に……」
「ボクは音が聞こえる範囲ならどこまでも効果あるし!」
「それを言うなら私だって魔力を増やせば効果範囲を伸ばせますし」
むむむ、ぐぬぬぬ、と軽く睨み合っていると、倒れていたまるが起き上がった。傷一つない姿を見せるまるは傷だけではなく、演奏を通して体力も回復し元気に跳ね回る。それを見て微笑むと、近寄ってきたまるの頭を軽く撫でて、森の方へと帰す。
「もう危ない事しちゃだめだよー。ばいばーい」
片手を持ち上げて手を振る。ぴょんぴょんと跳ねるまるが森の奥へと消えるのを見てからぴん、と張ったハープの弦を軽く弾いた。心地よい音が森の奥にまで響く。今日はどんな歌を作ろうか? 何を想って詩を綴ろうか? あれもこれもやりたい事がたくさんあって物凄く困っちゃう。練習したい事も、試したい事もたくさんあるのだから。だから軽く頭を空っぽにしながら調子を確かめるようにハープの弦を弾いていると、
「私の方が凄いのは確実なんですけど……ルーちゃんのその演奏は謎が多いですよね」
「ホーちゃんのそういう自分の自信が絶対のところボク好きだよ。でもボクの方が凄いという事実は覚えていて欲しいかな。で、謎って?」
ホーネットは腕を組みながら此方の奏でるハープと、そして姿を眺めてくる。
「いえ、バリエーション的に考えるとやっぱり魔法の方がアドバンテージが多いのは事実なんでやっぱり私の方が魔力と相まって凄いので諦めてください。だってルーちゃんの演奏って良く考えてみると魔力は乗っていても、特別な必殺技とか術を使っている訳じゃないのに、演奏の仕方一つでいろんな効果を発揮しているじゃないですか? やっぱりおかしいですよ」
ホーネットの言葉に対して首を傾げる。それは……どうなのだろうか? あんまり深く考えた事はなかった。
「ボクは楽しいから演奏しているだけなんだけどなぁ。なんで? って言われても、なんとなーくやろうと思ったらできる! って感じがするからやっているんだよね……。それはそれとして、ホーちゃんの魔法は結局ほかに魔法が使える人やママにだってできる事だから、オンリー&ナンバーワンのボクの方が凄いと思うんだ。いや、凄いんだよ」
「原理が必殺技とかと一緒ですね……。ですが、そう考えるとウルさんも使えるって事で魔法の方が優秀である事実が確定しますね?」
「これだから卑怯な魔法使いは……」
「今、卑怯と言いませんでしたか」
「言ったー!」
その言葉にホーネットが飛びかかってきた。リーチでは圧倒的に負けているので、飛びかかるホーネットに反応してつかみ返そうと思ったが、失敗してそのまま切り株から落ちるように投げ出され、もみ合いになりながら草むらを転がる。そのまましばらくもみ合いになっててんやわんやと騒いでから、髪がぐしゃぐしゃになって葉っぱだらけになったところで、とりあえず今回は引き分けにするという事で合意した。
第189次休戦協定である。
草の上に荒げた息を整える為に軽く寝ころんだ状態で青空を見上げながら、はぁ、と息を吐く。
毎日が楽しい。ホーネットが来てから、今までできなかった事、やろうとは思わなかった、やるとは思えなかったことがいっぱいできるようになった。パパとママも優しいし、一杯遊んでくれる。だけどこうやって向きになって力一杯遊んでくれる相手は、ホーネットだけだった。友達、という存在を示すのなら間違いなくホーネットの事だろうと思っている。そして実際にそうなのだろう。
友達。
これが、友達なんだろうと思えた。
「ねぇねぇ、ホーちゃん」
「どうしたんですかルーちゃん?」
「んとね」
なんて、言えば良いのだろうか? ううん、こういうのは音楽と一緒だ。自分の素直な気持ちを言葉にして伝えればいいんだと思う。だって、ボクはいつだってそれを演奏して響かせている。だったら言葉にするのも一緒だ。大事なのは、ちゃんと伝える事なんだと思う。
「ボクの友達になってくれてありがとう、ホーちゃん」
その言葉にホーネットが少し恥ずかしそうに頬を赤くしてから、目を閉じた。
「私……実は最初、お父様に嫌われたのかと思ってました」
目を閉じたまま、ホーネットが語りだす。
「戦争が始まるから遠くへ……というのは解るんです。ですけどお父様は私を遠ざけようとしたんです。私にとっての育ての親はケッセルリンク様とその使徒の方々でした」
「決戦リンクさん……」
「ケッセルリンクです。……解っててやってますね?」
此方に向けられるホーネットの視線に、てへぺろ、とリアクションを返すとホーネットがあきれのため息を吐き出しながら話を続ける。
「ですけど、私はちゃんとお父様の愛を感じていました。不器用ながら頭を撫でててくれました……それだけで、お父様が決して私を見捨てたわけでないのは解っていたんです。だけど急に預けるって話を聞かされた時はどうして!? ってお父様に……」
だけど、とホーネットは言葉を続ける。
「私、ここに来れて良かったです。私も……ルーちゃんという親友が作れて良かった思ってます」
たぶん、それは、
「魔王城にいては私が絶対に作る事が出来ない、経験する事もなかったものだと思いますから」
思い出す。
魔王城にいたころの生活を。
あの頃の生活は恵まれていた。ケッセルリンクやその使徒が色々と自分に、次の魔王としての教育や必要な力の使い方を良く教えてくれていた。あの頃の生活は悪くはなかったが―――あえて言うなら、自由ではなかったのだろう。別に悪いことじゃないし、あの頃はアレが普通なのだと思っていた。だけど今の生活と比べると、父がいない事を除けばこっちにいる生活の方がはるかに楽しいし、充実している。
だから私は、今の生活で満足しているし、こっちに来れて良かったと思っている。きっと、魔王城にいたら学べなかった事はたくさんあるし、あそこだけで育ったらきっと自分は今のように笑う事も、そしてルーシェとはしゃいで取っ組み合って遊ぶような事もなかった。或いは―――魔王城に存在する身内以外、すべての存在をわんわんのように見下すようになっていたかもしれない。
魔王になるのなら、それが正しいのかもしれない。
魔王として育つのであれば、いらないのかもしれない。
それでもよかったと思う。私は、ここでルーシェにあえて良かったと、心の底から思える。この記憶を永遠に胸の中に、魔王として父の後を継げると思っている。不思議と、その事に対する疑問はなかった。
そう、きっとだ。
きっと、私は次の魔王になるだろう。
父はきっと、そのつもりで私をケッセルリンクに預けた。その為の教育を私は受けた。帝王学、と呼ばれるものを。しかしその一切がこの生活では必要がない。それを気にしない、本当に普通の女の子としての日常がここにはある。だがそれを終えて、私は何時か魔王になると思う。きっと、戻れる頃には私は魔人にされるのだろうと思う。
魔王になる為の下準備として。
だけど私はそれで良い、と思う。
私は、自分が魔王になる事を既に覚悟してある。
だけどその前に、こうやって最高の友人と、人としての生活を行えた事に対して感謝している。おかげで魔王としての人生をこの思い出で一生を生きていける。
だから、
「ルーちゃん」
「うん?」
「ありがとう。私ルーちゃんの事大好きです」
「ボクも大好きだよー」
えへへ、と笑いあいながら空を見上げる。ルーシェの歌が大好きだ。ウルさんの優しさが好きだ。アベルさんの不器用さが好きだ。この一家のところへと来れて、良かったと思う。
「私が、大人になって……魔王になっても、ここで過ごした時を永劫忘れたりはしません」
絶対に。
そしてきっと、私はこういう時間を守る為に魔王になるんだと思う。
起き上がって、体に負った土と葉っぱを払いながら起き上がる。そうやって立ち上がった自分の姿と、寝ころんでいるルーシェの姿を見る。もうすでに彼女と出会ってから
その5年間の間に、私は大きくなった。
前はルーシェと同じぐらいだった身長も、今では彼女を見下ろすぐらいに伸びた。
ルーシェは、出会った時から成長していなかった。そして今も成長していないのだろう。
だけど私は成長し、彼女を置いて行く。魔人になれば成長は止まるのだろうと思う。それでも、その時ルーシェは―――。
「ホーちゃん」
「うん」
思考をルーシェの言葉に中断する。視線をルーシェの方へと向ければ、彼女は青空を眺めていた。
「ホーちゃんはさ」
「うん」
「……今のママじゃダメ、なの?」
「それは……」
ルーシェの言葉に、詰まった。
簡単に返答してはならないと、自分の中の何かが警告していた。ここで、どう答えるかが非常に重要であると。自分の直感が告げていた。或いは、魔王城にいたころの自分であればそのままでいいんじゃないだろうか、とすぐに答えてしまったかもしれない。だけど今の自分は、
―――今の自分は、魔王城から踏み出した自分なのだ。
もっと別の、広い世界を見てしまった自分。
あの中にいるだけではきっと、知る事も感じる事も出来なかった多くを知ってしまった自分なのだ。踏み出した先にあるものを、あるかもしれない可能性を自分は知ってしまった。だけど、
……ルーシェはきっと、魔王城にいた頃の自分なのでしょうね。
外が怖い。変化が怖い。変わるという事が、そのまま受け入れられない。
だから、
きっと、
誰かが、教えなきゃいけない。
―――ウルさんが私を連れてきたのはその為なんでしょうか……?
そんな考えが頭をよぎり、直ぐに追い払う。たとえそうだとしても私にはルーシェに言わなくてはならない事がある。伝えなくてはならない事がある。それはきっと、これからのルーシェを変える事になるだろう。
だけどそれでも、
「私は―――」
私が知った事を、この心の温かさを、ルーシェのように上手く表現する事は出来ないけど。それでも、伝えたかった。伝えなくてはならない。
だから、
「ルーちゃん、私は大人になりたいです」
なんで、とルーシェが問いかけてくる。
それに答える。
「私、知ってますから」
踏み出す、という事は怖い。それでもその恐怖は永遠にあるものだ―――踏み出さない限り。何時だって前に進むことが良い事である訳じゃない。踏み出した結果、傷つくかもしれない。何かを失うかもしれない。それでも、それだけじゃないのだ。踏み出した先には今まで見えなかったものだってある。だけどそれは決して、得るだけのものではないのだ。
私たちは失いながら成長する。
子供を失う事で大人になる。
「私も、今、子供という時間を失いながら大人になろうとしています―――」
それは、守られ、教えられる時が終わるという事だろう。今までのように何でも頼る事は出来なくなるだろう。ここを離れる必要が出てくるだろう。私が魔王になれば、世界の全てが私の敵になる。そうしたら私は父の後を継いで人類を効率的に間引き続けなければならないだろう。そうなったら私は正気のままでいられるのだろうか? 父のように、いつも通りの自分でいられるのだろうか?
その恐怖がこれからは常に付きまとう。魔王になったらここの善き人たちを傷つけてしまうかもしれない事。この時の事を忘れてしまうかもしれないという事実。私が私ではなくなるという事実。
だけどそれでも、
「私は……ルーちゃんと会えた事に後悔はないです。出会えて、心の底から良かったと思ってます」
恐怖があっても、失うかもしれない事実があっても。
それでも、前に進んでよかった。
私は心の底から―――そう、思った。
それをありったけの心を込めて、静かに、ゆっくりとルーシェに伝えた。青空を見上げながら寝ころぶ彼女はそのまま、目を閉じて、そして唇を動かした。
「そっか」
ただ一言、そうとだけ零した。
二人は仲良し。
友情は永遠に。