「……良し、いい匂い」
ティーポットの蓋を開けてその匂いを嗅ぐ。そこから香ってくる安らぐ匂いに頷く。少なくとも匂いという点においてはクリアしている。紅茶にはゴールデンルールが存在する、というのがママの言葉だった。特定のやり方、淹れ方、そして事前準備に道具の選び方。その一つ一つの要素を守って手順に従うだけで、紅茶の味は大きく上がるという事だった。それを守っているか……という訳じゃないけど、ママの淹れる紅茶は凄く、物凄く美味しい。だから朝、これを一杯飲まないと起きられない程中毒になってしまっているのはしょうがない物だと思っているけど、
一人で旅をする時に、ママがいないから紅茶が飲めない。それでは困る。
だから前々から、ママに頼んで紅茶の美味しい淹れ方を教えて貰って、練習してきた。その為のティーポット選び、茶葉選び、練習も重ねてきた。その成果をここで、いよいよという形で発揮して見せる。そんな事を考えながらなんとか二人前の紅茶を用意する事に成功した。
カップに注がれ、ソーサーの上に置いたそれをママとホーネットの前に並べる。非常に癪だが、ホーネットは育ちが良いから舌が大変肥えている。料理に関しては滅茶苦茶煩い。ただ、それもママの料理の前では黙るので満足しているのは間違いがない。ともあれ、ママとホーネットの合格ラインに届いているか否かが今の問題だ。
だからどきどきする胸を抑えながら、ゆっくりと紅茶に口をつける二人を見た。静かに、無言のまま口をつけ、香りを楽しんで味わう姿を固唾をのんで見守る。
やがて、紅茶を飲み終わったママとホーネットの姿を見て、
「ど、どうだった……?」
そう、声をかけた。
それに、ホーネットが軽くカップを覗き込んでいた姿をツインテールを揺らしながら持ち上げた。
「そうですね……及第点、という所でしょうか」
「え、辛辣」
「当然です。これではまだまだ、ウルさんの紅茶には遠く及びません」
「むむむ」
紅茶を優雅に飲むホーネットから辛辣な言葉が飛んできた。とはいえ、どこからどう見ても楽しそうに紅茶を飲んでいるように見える。ホーネットは割とそういうキャラづくり大事にするタイプだからなぁ、と思いながら視線をホーネットからママへと変えれば、ソーサーをテーブルの上に置く姿を見た。そうやって落ち着いてそうねぇ、と声を零す。
「今までのと比べれば大きく成長しているし、確かにほかの人に出しても問題のないレベルになっているわね。これならほかの人にのませるのに恥ずかしくないレベルねー」
ママのその言葉にホッ、と息を零す。少なくともママがそういうのであれば恥ずかしくないレベルに達せたという事だろう。良かった。練習と努力を続けてきただけのかいがあったというものだ。だがそれはそれとして、
「どこを改善できたのかな?」
腕を組みながら質問を投げかけると、
「お湯の温度ですね」
「あとは蒸らす時間かしらね。ここら辺、結構細かく思えるけど微調整は経験と勘の賜物よ」
「とはいえ、及第点は及第点です。これなら飲める領域です」
「ホーちゃんめっちゃ上から目線」
「拘りは捨てられないので」
にやりーん、と笑みを浮かべる紅茶狂いのホーネット。しかし、そのホーネットが及第点を出すのであれば十分なレベルだろう。ゆくゆくはママレベルの腕前を目指すとして、ひたすら勉強と練習を繰り返せば到達できると信じて続けるしかない。
ママ曰く、積み重ねた努力だけは裏切らない。だから努力をすることに意味はある。どれだけ努力をしても報われない時はあるかもしれない。だけど積み重ねた事はまた、別のところで使う事もできる。技能というのはそれだけ選択肢を広げるものだから。だからこそ、努力は裏切らない。
ママの紅茶の味を完全にものにする為に始めた練習と修行は、中々難しくもちゃんと進歩を経ていた。これで
また一つ、旅に出た時の準備が進んでゆく。
とりあえず紅茶の練習は一日に一度、それ以上は茶葉が勿体ない。自分も淹れた紅茶を飲むように席について、ついでにキッチンの方からレモンケーキを持って来て食べる。我が家の女性三人でのティータイムにそこから突入する。
残念ながらレディーオンリーイベントなので、パパは参加できない。
「ふぅー……だけど、こっちに来てからもう7年は経過しているんですね」
「完全にうちの子みたいなものになってしまったわねぇ」
「ホーちゃんはもう妹みたいなものだよね」
「それを言うならルーちゃんの方が妹っぽいかと私は思うんですけれど?」
「ボクの方が年上だからね」
「大きくなったのは私が先ですけど」
ホーネットとにらみ合い、そしてママがそれを見てあらあらと声を零し、片手でティーカップを持ち上げたままため息を吐いた。
「ルーシェちゃんも、ホーネットちゃんも仲が良くて本当に良かったわ―――だけど、こうやって二人がじゃれあっている姿を見れるのもあと少しだけなのよねー……」
「それは―――仕方がありません、ウルさん。戦争は終わったのですから」
戦争は終わった……らしい。
少なくともパパはそう言っているし、それを確認してきたらしい。自分自身が確認した事実ではなく、この森の中では常に平和で、穏やかだから戦争があったという実感も薄いのだが……それでも、戦争は終わって人類と魔軍の衝突は一時的に終わりを迎えたらしい。
「お父様が勝利したのであれば、私がこちらに避難している意味もなくなってきます……そろそろ戻らないとお父様が寂しさで泣き出すかもしれないですから」
「ホーちゃんのパパって、ホーちゃんの話を聞く限りはかなり愉快な人だよね。ボクも一回会ってみたいなぁ」
「ガイ君は面白さの塊みたいな人だからねぇー」
「そうなの?」
その言葉にママがうなずく。
「二重人格で魔人、魔王になってからの方が弱くなったなんて、ガイ君ぐらいだからねぇ。まぁ、そんなガイ君だからこそ今の時代が維持できているんだけど……。ガイ君以外が魔王だった時代ってかなり酷かったのよ?」
「確かウルさんは他の時代の魔王をすべて知っているんですよね?」
えぇ、とママが応えた。何せ、ママは最古のドラゴン・カラーだ。この世界で一番古く、そして一番多くを見てきたカラー。だからこの世界でトップに入る知恵者だってパパが自慢していた。ママはこの話をすると、竜生のほとんどを無駄に長く生きてきただけ、だと言っているけどそんなことはないと思う。やっぱりボクのママは凄いんだ、という自信と誇りが胸の中に溢れてくる。
ただ、まぁ、それはそれとして、
「ホーちゃん帰っちゃうんだよねー……はぁ―――……」
ホーネットが魔王城に帰ってしまう。何時かはそうなるんだとは思っていた。だがそれが現実として目前まで迫ってくると、少し憂鬱になる。解っていた事だし、覚悟していた事だった。だがホーネットが来てからの数年間の生活は本当に、本当に楽しかった。それだけにホーネットが去ってしまうというのを考えると酷い喪失感を感じてしまう。思い出すだけでぐったりとテーブルの上に倒れてしまいそうだ。
「もう、そんな顔をしないでください。別に私だって平気だという訳じゃないんですから」
「本当の姉妹のように仲良しだものね、二人とも」
本当に、ここまで楽しかった事なんてなかった。だけど、それでも、時は過ぎ去って行くのだ。待ち望んでも止まっていてはくれないのだから。だったら……この限られた時間を大切にして、どこまでも楽しめるようにしなくてはならない。きっと、それが正しいことなのだろうと思う。いや、少なくとも自分にとってはそれが正しいのだろう。悩んで、それなりに頭をひねったのだが。
この先、今よりももっと楽しい日常が待っているのかもしれない。
その可能性を潰してしまうのは……ちょっと、勿体ない。うん、勿体ないのだ。この先、もっといっぱい面白い物を見れるかもしれないのにそれを捨てるのが。だから寂しいし、悲しいがホーネットには別れを告げないといけない。
それはそれとして、物凄く落ち込むけど。
「やっぱりホーちゃん帰らないでぇー」
「無理を言わないでくださいよ……それよりも私なしで朝は大丈夫ですか? ちゃんと起きれますか?」
「起きれる……」
「だったらシャキっとしてください、シャキっと。もう、今からこの状態となると帰る日はどれだけボロボロになっているのか想像もつきません……」
たぶんぼろぼろに泣く。凄い泣く。物凄く泣く。これでもか、というぐらいには泣くと思う。少なくともそれだけは想像できる。だって初めての友達とのお別れなのだから。それぐらいするだろう。
だけど、それでは終わりじゃないのだ。
「ボク、絶対にホーちゃんに会いに行くからね」
「ふふ、魔王城に歓迎しますよ。永劫の剣は倉庫に押し込んでおくとして」
「アレ、一応は対処不能な唯一無二の必殺攻撃持ちの魔人なのに扱いは雑なのよね」
食事も睡眠も必要としない魔人、永劫の剣。魔王が命令を出すと活動して敵を一撃で吸収したり結晶にして葬る凄い魔人らしい。ただ魔軍からの扱いはそれはひどい物らしく、ホーネットが言うには普段は魔王城の彫像のフリをさせられて飾られているか、邪魔だと思われたらほかの道具と一緒に魔王城の倉庫にしまわれているらしい。天使、悪魔、神すら関係なく一撃で倒せてしまう凄い魔人なのに、扱いがここまで酷いのはちょっとかわいそうに思える。
でも、まぁ、実際にはどういう物なのかは見てみたい。
それ以外もいっぱい、見てみたいものはある。
「私も、少しだけ今の魔王城には興味があります。今回の戦争で新たな魔人も増えたらしいですし……いずれ、私が統べるのだから上下関係を叩き込みませんと」
「女帝発言」
「私、偉いですから」
実際、魔王の娘というポジションを考えてみればホーネットは凄く偉いのだろう。普段の生活を見ていると全くそんなことは思えない、ただの紅茶キチなのに。
「ホーネットちゃんもルーシェちゃんも仲良しだし、ママは将来の心配がなくて良かったわ。人間、友達もいなくて一人ぼっちだとどうしても考えが悪い方向に流れがちだからねー。貴方達も、困ったら素直に信頼できる相手に頼るのよ?」
「はーい」
「はい、ウルさん。でもその時はルーちゃん以外の誰かに頼ります。この子、勢いに任せる所が時々あるので」
「それを言うならホーちゃんだって間違えを自覚しても意固地になってそのまま突撃して大失敗するでしょ」
お互い、この数年間毎日顔を突き合わせて叫んだりつかみあったり遊んできたから、性格を実によく把握している。もはや最初のころに、恐れるがままだったホーネットの姿なんて物はない。彼女がここを出たとしても、この性格であれば何も問題なくやっていられるだろうという確信がある。
だから、うん、と声を零す。
「ホーちゃんが魔王城に戻ってから数年したら……ボクも、旅に出るよ。まず最初の目標はホーちゃんに会いに行くこと。それがボクの最初の旅……の予定!」
それは少し前から決めていた事だった。ママからはようやく紅茶で及第を貰った。後はパパから弓の護身術に関する合格点を貰ったら、一人で旅に出る。そう、そうすればついにボクは念願の、外の世界を見る事ができるのだ。
外、はるかに広がる大地と空。
まだ見ぬ人、文化、料理、音、そして営み。
この森の中は広いようで―――狭い。
成長して、大きくなれば成程、自分がどれだけ小さな世界で満足していたのかが解ってくる。だからこそここを飛びだして、もっと広い世界を見たくなってくる。ママやパパが、生きてきた大地を見てみたい。
マギーホアお爺ちゃんに挨拶しに行きたいし、人類で最も栄えている街というのも見てみたい。きっと、クリスタルの森は素敵な場所なんだろうなぁ、と思うしほかのカラー族はどういう人たちなのか物凄い気になる。
ここを出て旅をする毎日は、楽しい日々になるんだと思って疑っていない。
もちろん、楽しい事ばかりじゃないだろうけど……それでも、それを乗り越えればボクはまた一つ、成長できる。
そこにきっと、旅のだいご味があるんだと思う。
「だけどやっぱり寂しいからホーちゃんもうちょっと残っていかない……?」
「本当にもう……」
情けない言葉に、ホーネットが仕方なさそうな声を放ってくる。それを見ていたママが、
「ルーシェちゃんが一人で旅に出るようになれば、私もいよいよお役御免かしらねぇ」
ママの言葉に背筋をシャキっと伸ばし、
「ふふーん、ボクが旅に出たらママが経験したことのないような大冒険をするけど、ちゃーんと家に帰ってくるから。安心して」
サムズアップを見せる。
どんな冒険をして、どれだけ遠くに行っても。
ボクの帰る場所はここ、一つだけ。だから絶対に帰ってくる。冒険を一つ終えたら家に。そしてまた旅立つ。それがボクがこれから冒険をする上でのルール……という事にしよう。
「本当に一人でできる……?」
「ホーちゃん疑い過ぎ!」
ティーポットの中身も空に、ティータイムは終わる。わーわーきゃーきゃーとホーネットと言いあいながら今日こそどっちが上なのか決める為に勝負をしようと外へと誘うとした所で、ママが声をかけてきた。
「ルーシェちゃん」
「うん?」
ホーネットとつかみ合いながら外に出ようとしたところで足を止め、振り返り、
「楽しい?」
その言葉に頷きを返した。
「うん!」
笑みと共に応えれば、軽くママが笑った。
「そう―――なら、安心ね。怪我には気を付けてね」
「はーい!」
返答し、再びホーネットとにらみ合いながら家の外に出る。
一緒にいられる時間はあと少しだけど―――そこに、後悔はないだろうと思う。
なお、聖魔戦争の決め手。
無限改造と自己強化を行うルーンにキレて魔血魂を再生中のルーンの中に投げ込んだ魔王の勝利。