ケイブリス。
最古の魔人。
すべての魔王に仕えた魔人。最強最古の魔人。最弱だった身をただひたすら鍛錬に鍛錬を重ね続ける事で自分を高め続けてきた魔人。その歴史は最も長く、そして最も屈辱に満ちているだろう。媚を売る事数えきれないほど。ひたすら生き残るためになんでもやってきた男だった。ケイブリスは生き延びる為にあらゆる手段を取って、そして生き延びた。そのたびに歴史を見て、覚え、忘れず成長してきた。偶に長く生きすぎて忘れそうな時があっても―――原点を思い出した。だからケイブリスは強い。この物語のIFの最大の影響を受けた存在でもあると断言できる。彼は正史よりも早く己の原点を思い出した。原点を思い出してストイックに強さを求めた。
改心した訳ではない。ケイブリスの心はケイブリスのままだ。ただ、元々何を望んでいたのかを思い出して忘れないようにしただけだ。
だがそれがケイブリスの強さだ。忘れず、続けて、そして成長し続ける。それがどれだけ遅くても成長し続ける。それを最古の時代から延々と続けている。逆説的に言えば、
彼は全魔人の中で最も戦いを見てきた魔人でもある。
故に―――純粋な経験、勘、構築、センス。
そういう面においてはある種の才能を凌駕する部分を持つ。
「《メテオイントルード》」
軽く試す。
魔王城の上から自分そのものを隕石として高速落下する。わざと衝撃波が広がるように、大地を粉砕するように上から落下して体を大地に叩きつける。無論、狙うのはケイブリス一人。孤独に鍛錬を続ける姿を狙って落下して放った一撃は、ケイブリスの体に触れる事はなく、
落下地点の5メートル横にウスパーを振り上げるケイブリスの姿によってダメージが否定された。《メテオイントルード》によるエントリーはどうやらサスパーを盾にする事で乗り切ったようだった。流石に直接ぶち込まない衝撃のみの攻撃ではほぼダメージが通らないレベルで肉体が鍛えられている。
「今日よぉ、朝起きたらなーんか嫌な予感がしたんだよなぁ!」
一歩。
ケイブリスが踏み込んだ距離だ。
それに対して避けるなんて無粋なことは絶対にしない。そもそも避ける必要性もない。だから当然の選択として右腕を出して、振るわれてくるウスパー、ワンテンポ遅れてくるサスパーに合わせて叩き合わせる。盾を構える様に右腕を差し出しケイブリスの超人的な膂力―――それも他の魔人を凌駕するものを片腕で抑える。上と下、挟み込む様に押し込んでくる大剣を片腕で鍔ぜり合う様に押し付けながら顔を寄せる。
「よぉ、ケーちゃん。どうやら忘れずに毎日励んでいるようで結構結構」
「はっ、誰に物を言ってやがるこのクソが? あぁ!?」
腕を弾き、ウスパーサスパーを弾く。距離を開けて着地しながら首に手を回し、軽く二度音を鳴らす。視線をケイブリスと合わせれば、ケイブリスも大きく腕を回し、戦闘に入る為の軽い柔軟を行っている。こいつとの付き合いは長い。
今更、語るような言葉もない。
向き合い、指の骨を鳴らした瞬間―――ケイブリスが飛び込んできた。ウスパーを躊躇もなく顔面に叩き込んでくる動きは間違いなく殺す為の一撃であり、それを避ける事も受ける事もしない。当然の様に顔面に叩き込まれた大剣は顔面に衝突し、そして弾かれる。渾身全力の一撃を放てばそれだけで腕がしびれる。手が使い物にならなくなる。だがそんな理屈はケイブリスになんて通じるはずもなく、これまた古代のケイブリスには想像できない程綺麗な軌跡を描きながら豪快な斬撃を叩き込んでくる。砕くような斬撃は接触で発生する衝撃を強く叩き込むことを目的としたもの。
つまりは斬撃が通らなかった時点で攻撃手段を叩く、砕く事へと切り替えたという事でもある。
それが無呼吸の五連打から始まり、息をつくまでもなく継続する。自身のスペック、そして性質を良く理解した丁寧な正面からのごり押し。
そのケイブリスの動きに応える様に腕を持ち上げ、
「来い、幻体」
己の幻体を生み出した。背後に出現するのはドラゴン状態の己の姿。肉が伴っていない分半透明となっているが、放つ一撃は本物と何も変わらない。その口が開き、ブレスの照準はケイブリスへと合わされ、
「《ドラァ・ブロゥ》」
己を巻き込む様にバーストが放たれた。
ドラゴンのブレスは総じて三種類にカテゴライズされる。炎や氷を吐き出す放射タイプ。光や雷などの光線タイプ。そして最後―――これは爆裂するタイプのブレス。口からブレスが塊としてはなたれ、接触することで爆発するタイプの攻撃だ。ブレスの中で最も破壊力を持ち、そして殺傷力が高いそれがケイブリスの頭上へと叩き落される。光の塊が一瞬でケイブリスへと到達して飲み込んで炸裂する。
一撃目。
だがケイブリスの動きは止まらない。全身に纏っている《無敵結界》は既に砕け散って役目を果たさない。だがその代わりに《恐瘴気》を纏っている。正史であれば自分よりも格下相手を徹底して殺す為の防御であったそれは、今では完全に異なる進化を遂げている。自分よりも強い相手を―――
二撃目、着弾。
三撃目。
四撃目。
五撃目。
五度のバーストを終えて幻体が消え去り、それでも息を衰えさせないケイブリスの斬撃がこちらの体を持ち上げて吹き飛ばした。
普段であればここらで一つ軽口でも飛ばすのであるが―――そんな事はせずに、迷う事無く腕をケイブリスに向け、《ガンマ・レイ》を放つ。一直線に放たれる閃光が大地を消し飛ばしながらケイブリスを正面から飲み込み、その体に纏われる瘴気を引きはがし、また同時に魔法攻撃に対する耐性をずたずたに引き裂く。そこから一瞬の溜めを作り、
二射目。
身を守るものを失ったケイブリスを消し飛ばす為の二射目が放たれる。一射目で魔法耐性と瘴気を引きはがされたケイブリスが受ければ、次の瞬間には体力と血肉の全てを蒸発させられる様に消え去るだろう。それだけの容赦ない威力をこめて魔法砲撃。それを一直線に向けられたケイブリスは、避けない。
前進する動きはそのまま、踏み込みと同時に足を大地に叩きつけ、それで抉り出しながら前へと向かって蹴り上げる。それによって生み出されたのは大地の防壁。それこそプレートとでも表現したくなる分厚く、そして頑強な魔王城の土台に使われる大地の盾。それがケイブリスの前に押し出され、《ガンマ・レイ》と衝突する。魔法と盾が衝突し、大地が砕け散る。魔法よりも強度が低いのだから当然と言えば当然の結果だ。
だがその時間の間に瘴気を纏いなおしたケイブリスが砕け散る盾をそのまま前へとけり出しながら、瞬間的なインパクトを失った砲撃へと突っ込み、そのまま突っ切って肉薄する。
「オラオラオラオラオラ! どうしたオラ!」
「ははは」
正面から肉薄するケイブリスの動きに迷いも偽りもない。その必要もない。正面から圧殺、蹂躙するのが最も強い彼の戦い方だから。叩きつけてくるウスパーとサスパーも瘴気を纏い、片腕で防御しても徐々に浸食するように此方に瘴気が伸びてくる。正史には存在しない獰猛さ、そして勝利への貪欲さ、更には戦闘中の攻撃対処へのクレバーさが見える。変わったなぁ、と思う。良いか悪いかは別として。
その変化は嫌いじゃなかった。
「砕け散れ」
ケイブリスの二刀両手剣を片腕で防御し、はじき返しながら指をスナップする。足元を中心に光の亀裂が広がり、一帯を飲み込む様に吹き上げる光が爆裂する。逃げ場のない攻撃は着実にケイブリスの体力と身を削る。回復手段がなければ逃げようのない攻撃は敗北へと続く一手だ。そしてケイブリスはその手の魔法が使える器用さはない。だからケイブリスの動きは変わらず、己の肉体で耐え、耐えれる攻撃を極限まで耐えながら正面からぶつかる。
生き残ることに卑怯な手段を取ることに一切の躊躇を見せなかったケイブリスが、その強みを押し出す為に得た戦闘スタイルがこれだ―――元々の性格、手段から乖離したその姿が面白いの一言に尽きる。
そしてその力を惜しみもなく、此方に振るい証明してくれるのは……楽しい。
まだまだ、ギアが上がり切っていない。ケイブリスも本気を出しきれていない。底力の底を見せられていない。追い込めば追い込むほど強くなるであろうケイブリスの努力と才能を前に、笑みを深くしながら拳を握る。もっと強く、もっと楽しく盛り上げられそうだ。
そう思って、更に力を引き出そうとして、
体が、揺れた。
不意に足の感触が消えていたことに気が付き、体が倒れかけていた。
「おぉ、と。危ない危ない」
食いしばるように呟きながら力を籠めて消え去ろうとしていた右足に一気に活力を漲らせて大地を踏む。そのまま踏んだ大地を陥没させて両足で立ち、次の魔法を放つ為に拳を作って―――ケイブリスが剣をしまうのを見た。背中を向けて完全に戦意を失っている姿は、先ほどまで獰猛に牙を向けてきた男と同じ様には見えなかった。
「止めだ止め。死にかけのクソ女一人ぶっ殺した所で面白くもねぇ」
そんな事を言って戦いを、ケイブリスの方から切り上げてきた。その本来であればありえない、寧ろ喜んで追撃とかトドメを刺してきそうなやつがそんな事を言ったことに呆然としながら動きを止めて腹を抱えて笑い声を零してしまう。
「はーっはっはっは、なんだよそれ! お前そんなキャラだったっけ」
「うるせぇな。元々お前なんかと戦いたくねぇんだよ俺様は。お前を相手するだけ損だろ! いつもいつも迷惑と余計な事ばかり持ち込んできやがってよぉ」
「は、は、は。違いねぇ」
ケイブリスの言葉に同意しながら軽く笑い声を零し、ふぅ、と息を吐く。そろそろ限界だなぁ、と自覚する。どれだけ気合と根性で体を保たせようとしても、持たない。もうそれでは補えない段階にまで来てしまっていた。唯一の手を見れば、どれだけ力を込めてもそれが半透明になり、透け始めている。今の戦闘で派手に立ち回ったのが駄目だったのだろう。
だけど……まぁ、そこに後悔はない。湿っぽいのは苦手だし。これで私らしくて良かったと思う。
だから、
「……」
うーん、なんて言葉を残そうかなぁ、と考える。だけどケイブリスとの付き合いは長いし、今更細かい言葉を向ける様な事もない。
そう考えると、こいつに向ける言葉はこれだけ。
「ばいばい、ケーちゃん。
「ケ、俺はいい迷惑だったぜ」
ばいばい。
笑いながら手を振り、体から力を抜く。
そして―――目を閉じた。
「―――って、アレ。消えたと思ったんだけど」
確かに消え去った感触があった筈なのに。そう思いながら目を開ければ飛び込んでくるのは緑色の姿。即ち森の中に立っていた。だけど己の身を見て見れば姿は半透明。今、確実にこの場で消え去っていた。だがその現象は不自然に停止しており、これ以上の消滅が進行しない状態にあった。とはいえ、力の方はすっからかんで何かができる状態でもない。半消滅状態で無理矢理停止させられたような状況だった。確かに、力を抜いた筈だったのだ。そして残された力のまま、消滅する筈であった。だがこれが停止している以上、何者かが介入しているというのが事実だろう。そしてこれに介入できる存在は限られている。
そもそもこれは三超神とした契約だ。
ルーシェがこの世に生まれてこれるように―――というだけではない。
三超神との間に交わした契約にはもう一つ、意味がある。
それはこのルドラサウムという世界の未来を維持する事にある。三超神には恐れている事があったのだ。そしてそれはルドラサウムという存在そのものの意義、継続、そして守護に関する話になっていた。この契約を果たしたことによってその不安から三超神たちは解放される。その為に三超神は私という存在を最終的には求めた。私も、その契約に乗る事は大いに意義があった。ルーシェを、そしてあの子の未来を守る為にも必要な事であると同意して契約は結ばれた。
だからもう、消える筈だった。
ここに残されているウル・カラーは天にいる■■■■■■の残滓でしかない。地上で働く為の分身。本体の影。搾りかす。残りカス。ルーシェを育てる為に残された猶予期間を過ごす為の体。本質で言えば既に終了している。だけど契約の為に残された最後の姿だった。もう既に本質は天でその役割を果たしている最中だ。だからここで消えても問題はない。いや、寧ろ消えないと困る。そうしなければルーシェの成長を促し、彼女の冒険を後押しする事が出来ない。
だからこんな不自然な状態で地上に残されているのは今、困る事になる。
まるで亡霊の様な状態ではなく。完全に消滅しなければならない。既にこの記憶と経験も、本体の方が認識しているだろう。つまりこの状態は本体の意思によるものになる。
「……何もできない」
力がない。魔力がない。変身もできなければ転移もできない。つまり本当に存在するだけの状態だ。そんな状態でここに存在するという事は何か、見せたいのだろうという事なのだろう。
「そもそもここどこだ……?」
頭を掻きながら辺りを見渡し、空を見上げる。見覚えのない地形だ。ルドラサウム中を走り回ったり飛んで回っているから、大陸の全容を頭に叩き込んでいる筈なのに、ここは見た事のない森だった。それはそもそもからしてありえない話なのだが―――となると、特殊な場所か状況にあると推測できる。だからそのまま、軽く探るように感覚を走らせれば、
「あ、時間軸が違うのか」
自分のいた時代から、かなり進んだ時間軸である事が理解できた。消滅寸前の状態で一度未来に飛ばされたようだった。
それで何をさせたいのだろうか、まったく予想が付かない所で、
森の中に響く声が聞こえてきた。
「ガッハッハッハッハ! 遅れていると置いていくぞ!」
それは、聞いたことのない男の声だった。だがその声が聞こえるのと同時に、胸が締め付けられるものを感じた。知らない……知らない声だけど、知っている声だ。
「あぁ……」
胸を締め付ける思いに思わず胸で拳を作って抱いて、近くの木に背を預ける様に倒れ込む。そのまま、音の方へと視線を向け、そこに森の中を続く道があるのを見つける。
その上を走るのは一人の男の姿と、一人の女の姿だった。
少女に見える様な女を引き離すように緑の鎧姿の男―――戦士は走っていた。何が楽しいのかは解らないが、或いは感じられることすべてが楽しいのかもしれない。旅立つように、未知へと向かって踏み出すように男はまだ見ぬ冒険と未来へと向かって全力疾走する。それを後ろから桃色の髪の子が追いかける。置いて行かれないように全力を出しているが、到底追いつける速度が出ていない。それを理解しているのか男は定期的に振り返ると煽るように、或いは馬鹿にするように言葉を送る。だがそれは同時にちゃんと彼女が追い付くのを待っているのだというのが解る。
彼はその子を置いて先へと進んで行くつもりが、一切なかった。
「遅いぞ馬鹿シィルめ。この俺様に合わせられないとは何事だ」
「ひんひん、そう言ってもランス様ー」
そうやって森を抜けて行く二人の姿を眺めていれば、いつの間にか涙を流している己に気づいた。ゆっくりと目を閉じて。木に背を預けた状態のまま、自分がずっと昔から切望していた人を、景色を見られて。背負ってきた重荷と旅路の全てが報われた気がして。漸く―――漸く、本当の終わりにたどり着けたのだと思えて。
「あぁ……なんて……なんて酷い夢」
最後の最期で、こんなものを見せるなんて。なんて酷い神様。
できる事なら一緒に冒険したかった。一緒に遊んでみたかった。一緒に戦ってみたかった。だけど駄目だ。ウル・カラーの冒険はここで終わりなのだ。鬼畜戦士とその旅路は交わらない。彼が生まれてくる頃には既に消え去っている。だからこれまでだ。これが神からの最大の恩情であり、そして最後のプレゼントだった。
後はもう、ルーシェを信じるしかない。
彼女が何時か、自分が誰なのかを。自分がなんであるのかを、それを長い長い旅路の果てに自覚してくれるのを。
彼女がそうやって子供から本当の意味での大人になった時―――。
「うん……信じてるわよ、ルーシェちゃん。貴女なら何時かきっと……」
信じている。娘の軌跡を。私が居なくても大丈夫だってことを。成し遂げられることを。
その思いを胸に目を閉じたまま、
今度こそ。
何かを残す事もなく。
最初から存在しなかったように。
―――消えた。
「……そう、逝ったのね。ウル」
スラルは寂しそうにそう呟いた。
心の底から感じる悲しみをスラルはしかし、飲み込んだ。ウル・カラーの消滅と共にこれで計画は始動した。もはや止める事は出来ない。スラルにできる事は脱線した時の修正と、誘導、後は祈る事だけだ。故にスラル―――元魔王にして悪魔である彼女は、静かに目をつむり親友の死に黙祷した。古く、そして最愛の友であったウルの死は少なくない悲しみをもたらしている。だが同時に、スラルには最も重い役割が彼女より与えられていた。その事実を前に、スラルは休むことができなかった。既にこのルドラサウム大陸は新たな神と新たな秩序によって回り始めていた。
既存のルドラサウム大陸ではダメなのだ。
正史のままでもダメだ。
未知が必要だ。新たな刺激、新たなシナリオ、新たな大地、新たな出会い、新たな役者。
既存のまま物事を進めても、正史の面白さに勝利できるとは思っていなかった。故に新たな物語が、新鮮さが必要とされていた。だからここからは完全に正史と乖離するように物事を調整しなくてはならない。三超神はそういう意味では妄信的であるが故に無能だとスラルは思っている。同じようにナイチサも判断している。だからここら辺の調整に関しては生物的に頭脳がずば抜けて、事情を理解している者達の出番だった。
故に、悲しみを抱えながらもスラルは前を向く。ここで前進することを諦めれば、それこそ本当の意味で全てが終わるからだ。ここで足を止めずに前に進めば……親友がいつの日話したかのように、また会える日が来るかもしれない。
だからその未来へと向けて、全ての計画を進める。
大空洞―――神の座。
そこにスラルはいた。侍る三超神の姿はそこにない。本来であれば主神を補佐するべき姿は既に姿形を変え、主の物語を盛り上げる為の役者として舞台に潜り込んだ。故にここに残されているのはスラル、そしてこの世の支配者だけだった。星と宙が満ちる大空洞、この世界の中心でスラルは座へと繋がる階段の上に座り込んでいた。それに意見する者は何一つとしてない。ただ静かな悲しみを沈め終わった彼女はゆっくりと起き上がり、
そして階段を上った。
その先にある神の姿を見る為に。
一歩、一歩、永遠にも感じられる階段を上って行けば空間に満ちる神聖さが段違いになるのを彼女は肌で感じられる。或いは穢れそのものが蒸発して消えそうな程の存在としての別格さ。存在としての位階、次元の違い。それとも、存在としてのフォーマットの違いによるものなのかもしれない。として完成され、引き継いだことによりそれは特性として、或いは法則として満ちていた。その中をスラルは許されているが故に影響を受けずにいられた。
そして到達する頂上。
矮小なる身が謁見することを許された小さな岩場の上に到達したスラルが、その先にある姿を見た。
そこにいたのは、一柱の女神だ。
美しく、成熟した女性の姿が光に満ち、美しく身よりも長く伸びる黄昏色の髪がまるで光そのものの様になびいている。薄く、しかし上品で飾られたドレスはその身の神聖さを表すようであり、この世の物とは思えない美しさを本体から引き出す。その姿を見れば地上での美しさ等もはや石くれにしか見えず、生物として完成された美を持っていた。その黄金、黄昏色、そしてその衣服は
だがそれはその女神を構成する一つの要素でしかなかった。
何よりも特徴的なのは額の赤い水晶体。その周辺を光で編まれた小龍が遊ぶように、舞う様に光の軌跡を描いて飛翔する。眠り続ける様に閉じたその両目は顔と共に胸元へと向けられており、
その両腕の中には、一頭の鯨の姿があった。
その力は、かつて振るわれていた頃と比べるとあまりにも少ない。
当然だ。その力は今、ルーシェ・カラーという形、枠に収まり、運営する為の力は全て女神へと譲渡されている。
故に鯨は夢を見て聖母に抱かれ眠り続ける。いつか夢の中で見た冒険がその魂の成長という概念を与えるまで。その幼少期を終えて目覚めるその次の瞬間まで―――鯨は、聖母の腕に抱かれて眠り続ける。
その姿をスラルは眺め、そして口を開いた。
「おはよう、神様。エンディングが終わって、エピローグも過ぎ去ったわ。始まったわよ。あの子の冒険が」
スラルの放った言葉に地上におけるすべての活動を終了させた女神が目を開いた。そこにはウルと呼ばれた女性らしさはない。そこにはALICEと呼ばれた存在らしさはない。外なる魂と神性を合わせる事で生み出された新たなる維持神は世界を運営、維持、守護する為に生み出された存在であるが故に、その過去とは切り離されている。ただの記録としてかつてを知っているだけであり、完全に別の存在。
三超神が最も恐れた事に対する存在。
同じ上位世界から落下してきた女を材料として生み出す事で生まれた対抗神。それがその神の存在であり、役割であった。故に神は引き継いだものとして君臨した。世界を守護する為に。このルドラサウムという存在を守る為に。ルドラサウムという揺りかごを維持する為に―――ルドラサウムを、成長させる為に。
その為に、目を開き、目覚めた。
「―――えぇ」
開いた口から洩れる声は誰かの面影を持つようで―――耐性がなければ、その音だけで脳髄が蕩ける。
「新たな、
そして歯車は本当の意味で回り出す。夢は終わり、ルドラサウムの転生はここに成った。スラルはその瞬間を見届けた。長い、とてつもなく長かったウル・カラーによるその前日譚を。彼女の長く、苦しく、しかし幸いに満ちた旅路はここで完結した。そしてルーシェ・カラーが主役のバトンを引き継いだ……新たな生という形だ。
ここからどうなるか、等もはや神にすら解らない。すべては手探り。すべては試行錯誤。だがそれでも世界は、ルドラサウムという大陸は運営され、生き続ける。
正史から外れて歩まれる物語は正しく異聞の物。だが正史であろうと、なかろうと、そこに真偽の差等ない。
あるのは物語まつわる全ての命が己の物語に対して真摯に生きているという事実であり、また、それに終わりはないという事。
ルドラサウムの転生異聞は、ここに成った。
故に、この物語は終わる。
ウル・カラーの存在と共に。
そして始まる。
未知と母親を求める一人の少女の旅路が―――。
これにて完結です。質問があれば感想の返信かあとがきでお応えします。
それはそれとしていつも常にいた神様がいるというおはなし。ずっと前からしてたけどおそらく誰も気づかなかっただろうからここで簡単なネタばらししておくかな……。
ルシア=Lecia=aLice