「ウル様? ウル様」
「ん? あぁ、ちょっとぼーっとしてた」
ふぅ、と息を吐き出しながら意識の焦点が戻った。気付け薬代わりにヒラミレモンをボウルから取って、それを齧る。座っている椅子に背中を預け、体から力を抜いてだらり、と寄り掛かる。完全に意識を飛ばしていたらしく、メイド姿のルシアが心配するような視線を向けてきているのを、苦笑しながら片手で大丈夫だ、と振るう。
「ちっと頭を使い過ぎただけだからそこまで心配しなくても大丈夫だよ」
「いえ……そうおっしゃられるならそう受け止めます。ですが……」
「あぁ、いや、大丈夫だから……ほんと、大丈夫だから」
がり、と音を立てながらヒラミレモンを皮諸共噛みついてちゅうちゅうと中身を吸い上げる。メディウサダークから特に何かがあった訳じゃない。健康的に運動して、レベル上げて、鍛えて、魔法研究して、ガード達に戦い方を教えて武力を向上させたり、そういう日常が続いているだけだ。特に辛い何かがここしばらくあった訳ではないのだ。
ヒラミレモンの酸っぱさが意識の覚醒を促す。うん、美味しい。頭がすっきりする。ここ最近はこれを何時も食べてるなぁ、と思う。でもこれ食べていると妙に落ち着くし、食べない理由にはならない。ちゅうちゅう、ヒラミレモンを齧って吸い上げて飲み干す。すっぱい。すっぱいけど好き。
ちゅうちゅう。
うん、息を吐きながら正面にあるものを見た。そこに広げられているのは魔法の理論が書き込まれた紙だった。あぁ、そうだった。ジルと別れてからずっと大魔法の構想を進めていたんだった。光と重力の二属性だけなら形も見えてきた所だろう。思い出そうとすれば素直に思い出せる。とはいえ、作業している間の記憶が軽く飛んでいるのも事実だ。ふむ、と呟きながら片手を頭の上に当て、掻く。
「ついに限界が来たか」
「ウル様」
「そもそも俺はそこまで心が強い生き物じゃないんだよ、ルシア。はしゃいだり、言い訳したり、責任を転嫁したり、馬鹿になったり……そうやって目を逸らしながら生きていかなきゃ耐えられないぐらいには弱いんだ」
ふぅ、と溜息を吐く。
俺の魂は汚染されない。
完全なる汚染耐性を保有している。それはスラルに確かめて貰った事だった。そして、レガシオらにも確認して貰って、俺の魂は汚染されないどころか、ルドラサウム産ですらない事が発覚している。つまり、俺の魂は本当に世界の外側からやってきた魂なのだ。汚染されないのはルドラサウムの一部じゃないからだ。つまり汚染というルールが存在していない。だが逆に言えば、普通の人間の魂でもある、という事だった。
肉体、そしてシステム。それは神とルドラサウムによって弄れる範囲だ。だが魂は外側の産物。故に根本的な変化はない。そしてどうやら、精神力とはある程度肉体に依存しつつ、魂から来るものだったのだろう。少なくともこの世界では。精神が堕ちれば魂が汚染されるのを見れば解る。だけど俺にそれはない。緩やかに疲れ、緩やかに壊れていくだけだ。
ハンティを見ていれば、彼女の方はまだまだ余裕だというのが解る。あの精神の若々しさが羨ましい。俺の方は、
「元々、100年以上耐える様に作られてないんだから、これだけ保ったのが奇跡か」
「ウル様……」
「とはいえまだだ、まだ朽ちないぞ俺は」
まだやらなきゃいけない事がある。なのにこんな所で朽ちてたまるものか。それに朽ちるのであれば、どこで朽ちるか、というのは既に決めている。だからまだだ。ヒラミレモンを齧って、自分の意識を覚醒させる。偶に意識が飛ぶ事もあるが、外でそれを晒さない程度には意識を持っている。しかし俺もついにボケが回ってきたか。肉体の方は朽ちないから、その内何も考えず、ぼーっとしているだけの肉の塊になるのだろうか。
まぁ、いいか。
「それよりも未来に向けて準備を仕込まないとな……」
魔法文化の継承。対魔人戦術の構築。個人用の技能に頼らない武芸の構築。そしてそれとは別に《無敵結界》を破壊する為の必殺奥義。後は魔人側の戦力の方も充実させる必要がある。とはいえ、新しく追加された魔人で流石にアレにはびっくりした。
「魔人ラ・バスワルドの存在には流石に驚かされたな」
どっかで俺が発言したラ・ハウゼル、ラ・サイゼルに分けないでそのまま、ラ・バスワルドのまま魔人にするという発言をマジで実行したプランナーとローベン・パーンにはドン引きするしかない。ラ・バスワルドは二級神、魔人化した事によって魔王に準じるレベルでの強さを保有する状態まで弱くなってしまったが、それでもほぼ魔王クラスだ。現状、人類で倒せる存在はいないだろう。あのマギーホアでさえ《無敵結界》は突破できないのだから。
弱体化する前だったら勝てるかもしれないというマギーホア様やっぱりおかしくない? バランス狂ってない?
とはいえ、魔人ラ・バスワルドの誕生報告は吉報だ。魔人側戦力の増強に関してある程度案を考えていた中で、一番人類に対してダメージを与えられる方法でもある。
「そろそろ、お休みになられたらどうでしょうか?」
考えに頭を巡らせていると、ルシアが寝た方が良いのでは? と心配して提案してくる。あー、確かに疲れてきた感じもある。だけど、今寝たらなんか……ちょっと、怖さを感じる。
寝るの、止めるか。
「いや……いい。それよりもなんか摘まめるものを頼む」
「拝承しました。しかし、ウル様。なるべくご自愛ください」
「俺だって自分を潰したい訳じゃないんだから解ってるさ」
苦笑しながら頭を下げて退室するルシアを見送り、息を吐き出しながらペンと紙を浮かべる。そこに魔法理論の構築を書き出しつつ、それを組み上げ、分解しながら新しいものを書き出す。これを浮かべ、眺め、意識を落とさないように常に脳を使った状態を維持しながら眺め続ける。
「……ルドちゃん、まだ俺の事を見ているか……?」
俺は俺の役割を果たせているのだろうか? 生まれた意味を果たせているのだろうか? 果たして、俺は自分が願った事をちゃんと、実行出来ているのだろうか。この長過ぎる時の中では、願望も願いも歪んでいく。
最初に願った事は忘れられ、消えて、そして形を変える。
ククルククルに憧れたケイブリスも、力に溺れて虐殺を楽しむ様になり、純粋な憧れを忘れてしまった。
俺もそんな風に、歪んでしまったのだろうか?
俺は―――正気なのか?
真の狂気は、狂気である、という事実さえ理解できない。誰が俺の正気を保証してくれるのか。周りには俺をひっぱたいてくれる奴が居ない。叱ってくれる奴が居ない。何時の間にか、ここまで偉くなってしまった。だけど、それでも、
まだ動けるのであれば止まれない。
「……まだ1500年以上もある、か……」
呟き、俺にその未来まで到達できるかどうかを考えて―――考える事を止めた。考えてもしょうがない。
「俺がやらなきゃ、誰がやるって話だしな……」
奇跡には祈れない。都合良く俺と同じように全てを承知した上で身を削ってまでルドラサウムの為に働く都合の良い奴が出てくるとは限らない。全てを知った上で上手く調整出来る奴が出てくるとは思えない。寧ろ、面白半分に不確かな知識を持った奴を異世界から引っ張ってきて暴れさせる、なんて方がそれっぽい。そうすると今までの努力が無駄になるし、止めて欲しいかなぁ、と思ったりも。
ともあれ、
止まれない―――まだ、止まれない。
JAPANに新たな魔人が確認される。元は農民だった男が魔人化する事で剣豪魔人となる。魔人化された剣豪はひたすら自分を高める事にしか興味もなく、牧場を放置し、ひたすら名高い武芸者にのみ斬りかかるという事を繰り返し始める。ただし魔人としては非常に珍しく《無敵結界》を纏わなかった。武芸者と戦う時は常に結界を解除状態で果し合い、そして殺す。ここに変わり者の魔人が誕生し、記録される。驚く事にこの時代の間、剣豪魔人ムサシは一切その行為を魔王ジルに咎められた事はなかったという。また魔人にしては非常に異質であり、自分よりも弱い存在や女を斬る様な事は封じてもいた。
また、同年代に魔人ムサシと魔人黒部の衝突が確認される。狂える魔人と修羅の魔人との戦いは決着がつく事無く、定期的に周辺を更地にしながら互いを高め合う様に《剣戦闘Lv3》の魔人と妖怪王の魔人が衝突する様になった。もはや天然災害規模となった魔人同士の戦いの余波でJAPANの民の死亡率が上昇する。だが副産物として魔人黒部が死国を己の領地として住まうという変化も発生する。また魔人ムサシもモロッコを己の拠点とし、武芸者を斬らない間は一日中酒を飲んでいる姿が確認出来る、奇妙な魔人となった。
この世で唯一安全とされるクリスタルの森へと保護を求める人間が集まる。なおこれらを拒否し、追い出す。カラーたちは繁殖以外の目的で他種族を受け入れるつもりはなく、また同時に俗世の事などに関わるつもりはない、というスタンスを明確に表明する。完全に外界と遮断されたカラーの里の存在は一種の秘境、神秘の場所として認識され、冒険者の間ではそこに到達する事が一つの夢の様に扱われる。クリスタルの森はある程度隔絶されているものの、優秀な者等であれば時折、招き入れられるという話もある。
また、同時期にレッドアイダークが発生する。無論、その矛先は人類の中でも最も纏まった文明があるとされるカラーの里であるペンシルカウへと向けられる。洗脳寄生能力のある魔人レッドアイの目的はカラーの女王、ウル・カラーの肉体を手に入れる事で最強の魔人となる事であったが、これを撃退。森を荒らされるもカラーという種族の強さが証明される。また同時に歴史家たちにお前らこのアマゾネス共を相手に狩りなんてしてたの……? という疑問が残される。
魔人ラ・バスワルドが動く。バスワルドダークの発生。標的となったのは影の中で組織されつつあった人類の対魔王反抗軍であった。人間牧場に囚われていない人類で、魔人の撃退の報に希望を見出した者達が何世代もかけて数を増やしていき、一つの組織として形を形成していた。北方の豪雪地帯に姿を隠して準備を整えていた姿を魔人ラ・バスワルドがこれを強襲、一撃にてアジトを跡形も無く消し飛ばし、豪雪地帯の大地に深い亀裂を生み出し、その中に軍隊を飲み込んで葬った。最速のダークと呼ばれるそれは数万単位の軍勢を一撃で滅ぼすだけの力が魔人にあると改めて人類に教える事であり、魔人という存在がどれだけ怪物的であるかを証明する事件ともなった。そして再び思い知らされる、魔人とは倒せる存在ではない事を。
大陸各地で人間の活動が僅かにだが活発化する。この時代においては魔軍は恐ろしいほどの力を有している。大陸を支配し、そして魔人の気まぐれで人類がハンティングゲームの対象となる。人間牧場に居る人間はもはや、自由という言葉の概念さえ持っていない。それを知っているのは苦しめる為に教育されたうし人間だったり、嗜虐趣味を持った魔人によって管理される人間牧場だけだったりする。30年前に発生した人類反抗軍の壊滅によって再び人類は意気消沈していたのは事実であった。だが再び、地方から僅かに人類は活気を取り戻す。
それは最初は僅かな波紋であった。地方で魔人に虐げられた者が居た。このままではならないと立ち上がった者が居た。隠れる様に潜んでいた文明の陰で、魔人と魔王の圧政の前に立ち上がる者が居た。故郷を燃やされた者達の中に、このままではならないと義憤を抱く者が居た。通常であれば魔人に殺されているであろう存在、魔人の長い管理の間に発生した目こぼし、それが集まり始める。
一人は侍。
一人はシーフ。
一人は魔法使い。
一人は神官。
そしてそれを束ねる戦士。
5人のパーティーから結成される冒険者たちの伝説が始まっていた。魔人たちの間を縫うように活躍する姿は波紋を広げ、そして魔人と魔王と戦う為の希望として広がっていく。
「―――これで黄金像は全部揃ったな」
GL532年、人類の隠れ里の一つ、その宿屋の一角、テーブルの上に四つの黄金像を並べる姿がある。赤髪の戦士は並べられた四つの像を眺め、感慨深げな表情を向けている。だがそれを見て、顔が半分潰れているシーフは、呆れの溜息を吐いた。
「本当にこれが鍵なのかぁ? 疑わしいぜ……」
シーフはそう呟きながら軽く指で黄金の像を弾いた。実際、四つの黄金像の姿は奇妙―――というかふざけてるとしか表現できなかった。これをデザインした奴は麻薬をキメながら酒を飲んで、その上でセックス中の沸騰した脳味噌で考えたのではないか? というぐらいには統一感のないセットだった。シーフの言葉は真っ当だった。だがそれを魔法使いが頭を横に振って否定した。
「だがこれには間違いなく凄まじい力を感じます。底が見えないぐらいの何かが込められているのが感じられますね」
「私達の中で一番博識なホ・ラガがそう言っているのですから、そうなのでしょう」
「け、ホモの言う事なんざ信用できるか」
「まぁまぁ、ほら、リーダーも納得してるし……」
魔法使いの言葉をシーフが否定し、侍が認め、神官が嗜める。どことなく歯車がズレている。そういう印象を、観察力に優れた者なら理解できるかもしれない。だがそれを率いる戦士の男の資質がずば抜けていた。多少のズレであれば許容し、導けるぐらいには。故に戦士は頷いた。
「ホ・ラガの目に狂いはない。文献が正しければこれが【神の扉】へと続く鍵となっている筈だ」
「問題はそれがどこにあるか、だろ? 儂は大陸中を探して歩き回るのは嫌だぞ」
シーフの言葉にその心配はない、と戦士が頭を横に振った。
「既に目星は付いている」
「マジか」
「と言っても、場所そのものではない。知っているであろう人物の事だ」
パーティーのリーダーたる戦士の男の言葉に、シーフの男が思い当たる節があるようで、まさか、と声を零した。その言葉に返答をしたのは魔法使いの方であり、頷きながらそのまさかだ、と答えた。
「ペンシルカウに向かう」
「噂の魔人殺しの女王が居る所じゃねぇか……」
「排他的で、人間も魔軍も関係なく追い返すという話を聞きますが」
「本来はな」
侍の女の言葉に対して、戦士が言葉を続ける。
「だがカラーも寿命が無限にある訳ではない。女王の方は前時代から生きているらしいが。それでも定期的に外の優秀な者を招いては種を受け入れる為に呼び込んでいるらしい。優秀で、素行の宜しい者であればそのまま住み着く事も許可される場合もある」
「我々なら問題なく入れるだろう、という話だ」
「ほほう、美人と名高いカラーとセックスするチャンスか。そりゃあ楽しみだな」
「カオスは全くもう……」
先ほどまでの疑わしげな視線を一転、向かう先がカラーの居る森、その都市であると知った瞬間、カラーとセックスできるかもしれないという事に一瞬で楽しそうな表情に切り替えた。そんなシーフの姿に神官と侍は明らかに軽蔑の表情を向け、戦士は苦笑していた。
「まぁ、相手にも選ぶ権利はあるからほどほどにな、カオス」
「ブリティシュ、それまるで儂が選ばれないように言ってないか?」
「選ばれる理由があると思ったのか……」
魔法使いの言葉にシーフがそんな事ないだろ、と反論する姿を見て呆れの溜息を女性陣が吐き、そしてその姿を見て戦士が苦笑した。和やかな空気の中、伝説の冒険者という称号を得たパーティーたちは立ち上がっていた。
魔人を、そして魔王を倒す為に。
自分たちの冒険が果てには魔人と魔王を倒す力を得る所へと到達する事を信じて。
【エターナルヒーロー】、そう呼ばれる伝説にして最強の冒険者パーティー。
その冒険の終わりが見えてきていた。
精神力の限界。
そしてエターナルヒーローの登場。約束された破滅。増えた魔人、変わる評価、少しずつ変わって行く未来。
もうすぐ会えそうだね、君に。