──突如として出現した黒い霧。
それは部屋全体をコンマ1秒とかからず席巻し、瞬時に俺の視界を奪ってくる。とりあえず濃霧が出現した瞬間に口許を塞いだお陰で霧はあまり吸っていないはずだ。しかし──呼吸をやめた状態で何処まで息がもってくれるか。
このまま部屋の中に止まるのは愚作中の愚作。この霧の奥にいるであろう《
人型ならば問題ない。しかし容貌が完全に異形のものだったら人に見られることは詰みと言っても間違いない。《夢幻迷宮》を作り出す前に警察に拘束でもされてしまったら抜け出すのに手間がかかる。流石にそれは防ぎたいもんだが──。
「あぁ、ごめんね? この霧邪魔でしょう? すぐ消すから」
そんな鈴の音が霧の奥から聞こえてきた直後に、ぱちんという音が聞こえその瞬間──霧は完全に消え失せる。そこにあったのはいつもの部屋であり、家具などが壊れているというわけでもなかった。どうやらあの霧は完全に無害なものであったらしい。
俺の心配が杞憂で済んでほっと胸を撫で下ろす。
のだが──変化がひとつだけあった。いや、それは変化というべきか悩むが端的に言うのであればそう──俺の目の前に美女がいるのだ。
三つ編みにされた紫がかった長髪は夜の闇のようで、垂れぎみになっている瞳には
彼女が纏っている装束は──俺の知っているもので言うのならチャイナドレスに近い。深々と入った2つのスリットが彼女のむっちりとした太ももから続く魅惑の脚線美を余すことなく周囲に見せつけている。
のだが、上半身はそれよりも遥かに挑戦的だ。
──隠されている部分が異様に少ない。彼女の豊満な胸によって作られた山脈は微塵も隠れておらず、そこから下腹部までが外気に晒されてしまっている。そんな格好のため、当然ながらブラの存在は窺えない。全身をすっぽりと覆うことが可能なほどに大きいローブ風マントを羽織っているのがせめてもの救いか。
彼女が妖艶に微笑む。
──瞬間、3メートルはあったであろう距離が詰められ、彼女の白魚のような指がそっと俺の顎に添えられる。
「──ッッ」
驚愕と羞恥、そして興奮が入り交じった小さな悲鳴が俺の口の端から漏れる。だってしょうがないだろう、俺は童貞なんだよ。俺としてはばりっばりの戦闘をこなせる系の《悪夢》が出てくると思ったんだ。だというのに出てきたのはこんなにエロいねーちゃんだなんて誰が想像できようか。
大海を見て人々は広大だというように、東京スカイツリーを見て大きいというように、このねーちゃんを見て万民は皆エロいと言う。説明不要! 故に俺は悪くない!
「なるほど……これは当たりね。可愛い男の子だし、文句ないわ」
「あ、当たり?」
「そう、当たり。……おっと、そうだった。まだ自己紹介もしていなかったわね」
そう言うと彼女は、俺の顎から指を放し小さく礼をする。そんな僅かな動作であっても彼女が身に付けている清廉な所作が充分に窺えた。……というか礼をしたときにおっぱいが揺れて大変エロかったでございまする。
「私は《
そう言って微笑む美女──シオン。
というか陰神刑部って四国の霊力と神通力を持つとか言われてる化け狸じゃないか!? なんかとんでもない妖怪が飛び出てきたんだが!? 流石にSSレート確定創造権限。最初から最強妖怪の一角を創造できるとは、完全に期待以上である。
それに今回でわかったことは、俺はどうやら《妖怪型》の《悪夢》を創造できるということだ。《悪夢の綴り手》の概要を見た限りでは、ほとんど同系統の《悪夢》しか創造できないそうだし。
とりあえず確認するべきことは──。
「ステータスを確認しておいてもいいか?」
「勿論。こちらも見させていただいて良いかしら?」
互いに了承を得たところで俺はシオンのステータスを閲覧する。
確かステータスのところに追加された、《悪夢一覧》で見れる──あぁ、あったあった。これだ。俺はそれをタップし、再びステータス画面が浮かび上がる。
《妖怪型悪夢》
種族 化け狸族 陰神刑部
レート SS
個体名 シオン
状態 従属『主・ヒムロ・イツキ』
物攻 C
物防 D+
魔攻 A+
魔防 A
敏捷 B
特殊 EX
能力
《認識操作Ⅴ》《幻術Ⅴ》《変化Ⅴ》《催眠術Ⅴ》《夢幻の支配者》《眷属召喚・化け狸》
ふーむ、流石は化け狸の筆頭である陰神刑部。相手を『化かす』ことに特化したステータスに
──さて、ここで軽くではあるがステータスについて確認しておこう。
物攻──当然ながら物理攻撃力の略であるこれはぶん殴ったり、蹴ったりしたときにダメージ計算が行われる時に使用する値だ。これは筋力の強さを表したりするときにも使うので、この値が大きいということは力も強いという認識で間違いはない。
物防──これまた分かりやすく物防の略称である。物理的なダメージを負った際のダメージ算出にも使われたりするこれは、体の頑強さを表しており、この値が高ければ高いほど病などの状態異常の耐性にもなったりする。
魔攻──これまた以下略。物攻の魔法バージョンと思っておけば問題なし。自分の素質のある属性は威力が上昇し、素質が少ない属性の魔法は威力が減衰するためステータスの値は参考値。唯一、値が0である可能性があるものだ。
魔防──以下略。まんま魔法攻撃に対する防御力。状態異常に対する耐性はここには含まれていない。得意な属性の攻撃であれば防御力が上昇、苦手な属性の攻撃であれば防御力が減少する。
敏捷──これもまた見たまんま、足の速さ。これが高ければ《逃走》などの足を使った能力の成功確率に補正がかかったりする。
そして特殊──これは状態異常などのこれまでのステータスのどこにも該当しないものがここに集約されている。彼女の持つ《認識操作》や《幻術》《変化》に《催眠術》はすべてここに該当し、それらの能力が使用されている場合は相手のステータス画面に『状態異常 幻覚』などと表記がされるのだがそれはすべて自らに《幻術》が使用されている場合のみ気づくことができる。
そしてそれらの能力はこの特殊が高ければ高いほどに精度が増すのだが、彼女の場合はEX──《悪夢》のステータスは数字表記ではなくF~A、そしてS、EXと上昇していく。つまり彼女の《化かす》能力はこの世界において文字通りトップの能力といっても過言ではないのである。
「へぇ……これは奇襲に特化した構成ね。分が悪かったら逃げる、と。随分と生き汚いのね、あなた」
「命あっての物種って言うだろ? それに生きてりゃ何度だってやり直せるさ」
1週間後には生きるか死ぬかのバイオレンスワールドになるのだ。そうなれば命なんて簡単に吹き飛んでしまう。今日という日を平穏に過ごせることがどれだけ贅沢なことなのか、俺は知ったのだよ。生きてるって最高! バンザーイ!
「ええ、そうね。主として頼もしい限りだわ」
それにくすりと笑って返してくるシオン。それはなんともない仕草なはずなのに、何故か俺を誘惑しているように見えるのは俺の思い違いだろうか。うん、思い違いだな!
「じゃあ、シオン。ひとつ頼みたいことがあるんだが」
「何かしら?」
「能力を俺に害のない程度で試してくれないか? 今の《悪夢》がいない世界じゃ一般人に向けるわけにもいかないし」
実際に能力をこの身で体験しておくことによって、文章だけでは理解できないことまでわかることになる。百聞は一見にしかずとはまさにこの事、先人の言葉は偉大である。
まぁ、従属下にある《悪夢》は主である《悪夢の綴り手》──つまり俺を害することはできないんだが、まぁ念のためだ。
「わかったわ。最初は《認識操作》からいくわよ」
《認識操作》
これは脳に直接働きかける能力だ。例えば自分や特定のものを必要のないものとして脳に判断させ、『見えているはずなのに見えない』という状態にさせるような《認識阻害》。そしてその逆であるないはずのものがあるといったものや、本来はなにもないはずなのになにかがあるように思わせるといった効果が《認識操作》の主な効果である。
──瞬間、シオンの姿が消える。
《目星》や《聞き耳》で鋭敏化したものの、その姿が完全に見えない。
確かにいる。それはわかっているのに、この狭いアパートの一室の中で彼女の姿を捉えることが出来ないのだ。
──そんな時だ。ふにょん、という巨大なマシュマロが押し付けられたような感触が俺の背中に襲いかかる。
「──ッッッ!!」
ばっと背後を振り返ってみるも、そこには誰もいない。《認識操作》によって俺の視覚による認識が妨害されてるのか、それとも──、
「こっちよ、イツキくん」
その声が後ろから──つまりは元向いていた方から聞こえそちらを振り返ってみれば、
「んんっ!?」
──何故か唇が塞がれていた。
胸元に手が添えられ、俺はそのまま為す術なく押し倒されてしまう。そのまま馬乗りになられ、唇を割って彼女の舌が侵入し、俺の舌と官能的に絡み合う。って、なんでこんな官能小説みたいなノリになってんだよ!? 今の俺が置かれている状況を仮に書籍化するならローファンタジーものだろうが!
「ぷは……なんでキスしたし」
「可愛かったから、つい」
ついってお前……。いや、俺としては完全に役得だから問題ないんだけども。彼女とかもいないし。せめてもう少し後にして欲しかった。あと、ムラムラするので退いてほしいでござる。
「さっきのが《認識操作》ね。とりあえずメジャーな視覚と触覚、聴覚を操ってみたわ。全生物の感覚を操れるから、《悪夢》にも有効よ。さて次は──」
ぱちん、とシオンが指を鳴らすとボロアパートが浜辺に変わる。照りつける太陽の輝きに肌を焼く熱、さざ波の音に潮の匂い。そのすべてが余すことなく目の前の光景が『現実』であると錯覚させられる。
そしていつの間にか俺の格好はトランクスタイプの水着に、そしてシオンはVネックのワンピースタイプの水着に変わっていた。うん、大変セクシーでございます。露出度的にはさっきの装束とあまり変わっていないはずなんだけどな。
「これが《幻術》。レベルが低いとここまでの幻覚は見せられないのだけれど、最高レベルになればこの通りよ。今回は《認識操作》も合わせて感覚も操作してみたからリアルでしょう?」
それから彼女の姿が変わる。セクシーなお姉さまから可愛らしい小学生ほどの女児、老婆に狸と一通り《変化》してみせ、最初の姿に戻る。これが変化か。流石に自分にしか使えないようだが、他人に使うのなら《認識操作》や《幻術》で事足りるから別にいいか。
「最後に《催眠》ね。それじゃあちょっと失礼して──イツキくん。『私の胸、触ってみてくれる?』」
な、なんですとぉぉぉぉ!?
なんじゃ、その羨まけしからんオーダーは! ──なんて俺は驚愕しているのだが、俺の表情筋は微塵も動かず彼女の胸の添えられ、おもいっきり揉みこんだ。むにゅん、という俺の荒々しい手つきの全てを抱擁してくれるような至上の柔らかさ。というか、シオンさんちょっとエロすぎじゃないですかね!? ファーストキスを奪われ、胸を揉みしだいているとかどんな状況だよ、ラズーアよこの点だけは感謝しておいてやる本当にありがとうございます!
「ん、ふぅ……」
ああ、シオンさん困ります! あーシオンさん! ──というかこれいつまで続くんだよ。もうマイサンは臨戦態勢なんだが!? さっさとやめないともう抑えが効かないんだが!?
「はい、『ストップ』」
彼女の言葉で、あれほど動いていた手がピタリと止まる。どれだけ動かそうと思っても──このまま動かせばまた彼女の胸を揉みしだいてしまうため、手を離してだが──手は1ミリも動かない。
「どう? これが《催眠術》。かなり軽度なものだったけれど、効果は強力でしょう?」
あぁ、強力だったぜ。二重の意味でな。
「でもこれって催眠状態でどれだけの命令を下せるんだ? 自分を害する命令は下せなかったりするのか?」
こういう催眠術というのは自分、もしくは他人を害する命令を下せないというのがテンプレートな効果だろう。自爆テロをかまして多くの人間を巻き込んで自殺、もしくは催眠をかけ対象を殺害させるなどということができるのなら催眠術を利用した殺人が横行することになる。
そんなことになったらただでさえブラックに近い──あくまで俺の勝手な想像にすぎないが──警察の皆々様は続々と過労死してしまうに違いあるまい。正直そんなことが可能になり、経験値は自身に入る、尚且つ罪科称号──殺人者や盗人など犯罪行為を犯した人間につけられる称号だ──を催眠をかけられた人間に押し付けられるというのなら《催眠術》がとんでもない強能力になってしまう。
まぁ、流石にそんなことはないだろうが──。
「そうね、レベル1だったら『人に害を与える命令は下せない』『対象者の意思を完全に無視した行動をとらせることはできない』などの様々な制約があるけれど……レベル5にまでなればそんな制約は一切ないわ。殺人、強盗、自殺──どんなこともさせられる」
「経験値の行き先は?」
「もちろん私よ。ちなみに罪科称号は催眠をかけた人間と私につけられるわ。ただし、どんなにレベルをあげようが本人の意識は残ったままよ。それが幸福なのかどうかはわからないけれど」
どんな行動だろうが強制的に実行させることが可能、経験値の行き先はシオン及び獲得経験値の1割は俺に入る。流石に罪科称号は催眠をかけた者にもつけられるらしいが、そんなものは他の能力でいくらでもカバーできる。
そして《催眠術》のどこが一番鬼畜かといったら──意識が残ったままだということ。
催眠をかけられた状態で意識が喪失していたのなら、『自分はやっていない』と現実から逃避することもできよう。催眠をかけた人間に人徳があり、目撃者がいない状況であるのなら『これは《悪夢》の血だ』と誤魔化すことによって疑いを外すことは容易だ。
しかし意識が残るということは、催眠状態にあったとしてもその間にやったことがすべて記憶されるということだ。友の肉を切り裂いたときの感触、血や臓物の温かさ、痛みを訴える絶叫に表情、溢れる涙──そのすべてが催眠をかけた人間の精神を蝕み、追い込み、死に駆り立てる。
ごめんなさい、ごめんなさいと心の底から友に詫びながら、止めろ、止めろと身体に訴えかけるもそれを身体は無視し、大切な人の身体に刃を突き立てる。
──改めて思う。こいつがどれだけ強いのかを。
シオンは今回、分かりやすく口に出して《催眠》をかけたが、本来ならばそんなことをする必要などないのだ。彼女が敵の存在を認識した時点で彼女の幻影の世界に囚われる。彼女と敵対するものは敵として合間見える前に、すでに命を奪われようとしているに等しいのだ。
彼女に関して言えば──戦闘が起こらない。そこにあるのはただただ敵を殺す、一方的な蹂躙そのものである。
しかし、弱点はある。
《認識操作》《幻術》《催眠術》などの彼女を最強の《悪夢》たらしめている能力が通用しない相手がいるのだ。
彼女の能力は敵の脳に干渉し、感覚を狂わせるということに特化したものである。《認識操作》がその最たるもの、《幻術》や《催眠術》はその延長線上にあるものであるため──脳が存在しない、脳が機能していない敵──例えば《
しかしそれ以外の敵に関しては無双の力を振るう。なにせ脳が正常に機能していれば彼女の力からは逃れることが出来ないがゆえに。
「……本当、お前が味方で良かったよ」
「あら、嬉しいことを言ってくれるわね」
「でもなぁ……」
──ラズーアからもらったSSレート確定創造権限。これが《協力者》に選ばれた者全員が保有しているとなったら、胃が痛いんだよなぁ。
SSレートの《悪夢》の全員がシオンレベルの強さを誇っているとなれば、どうやって倒せばいいのかまるで想像がつかない。シオンの攻略法だって『彼女の知覚できない超遠距離から、彼女の命を一撃で吹き飛ばす』という抽象的なプラン。具体的にどうやって殺すのかなんてまるで想像できないのである。
だから《協力者》とは可能な限り穏便にことを済ませていこう。SSレートの《悪夢》と合間見えるなんぞ御免被る。命がいくつあっても足りんわ。
──まぁ、そんな化け物+その親玉である
たった1人だけでも絶望を与えてくれるというのに、それと方向性は違えど同等の戦力を持っている相手があと4人、+アルファでさらに増えていく。
全く、現実は非情である。
最初は『人間から命狙われるじゃないですか、ヤダー!』なんて思ってたが、今ではラズーアに対する感謝しかない。世界が急変する日時を教えてくれただけではなく、それに対抗する手段である《悪夢》の創造を行う能力、そしてシオンのような美人なお姉さまと引き合わせてくれたのだから。
俺の掌くるっくる。
ファンタジー生活バンザーイ!