「ちくしょう……! なんなんだよ、あの化け物は……!」
荒い息を吐きながら、少年は悪態をつく。それはなんとか振り切れた怪物たちに向けられていた。
50センチほどの小さな身体に緑の皮膚を持ち、醜悪な顔をした怪物や2メートルほどのこれもまた緑色の肌を持った、でっぷりとした肥満体型の男の身体に豚の頭部を繋げたような醜悪な怪物。他には動く骸骨などなど──この世の当たり前の法則を完全に無視した怪物たちが外にはうようよといるのだ。
「おにいちゃん……」
「大丈夫だ、刹那。お兄ちゃんがしっかりと守ってやるから」
刹那と呼ばれた小学校に入りたて程の幼女は、兄である彼──
当たり前だと思う。彼らの両親はばりばりの仕事人間だ。夜にはしっかりと帰ってきて家族全員で食事を摂るが、朝は自分達が寝ている間に出ていってしまい朝食は彼ら兄妹で食べることが多い。
そして目覚め、学校に行こうと思ったらこの状況だ。何度も家族に連絡を取ろうと試みるも、その行為は徒労に終わってしまう。
人知を遥かに越えた化け物共が跳梁跋扈するような状況で、両親と連絡が繋がらない。俊哉は血管に氷水を流し込まれたような嫌な寒気を覚えた。しかしそれを頭を振って追いやってしまう。
先程の自分達にように連絡がとれない状況にあるのかもしれないと。そう思うことで彼は妹の前で暗鬱な顔をしてしまいそうになる自分に叱咤する。
「とりあえず移動しよう。自分で歩けるか?」
小学生女子の平均よりも少し遅く、体力も平均を少し下回る程度しかない彼女に走らせるよりも、高校2年生でありながら陸上部にエースを張っている彼が抱いて走った方がよっぽどふたりで生き残ることのできる確率は上がる。抱き抱えるという行動はそんな理由があってのことだった。
「……うん」
「大丈夫。刹那にはお兄ちゃんがいるし、ママにはパパがいる。後でちゃんと会えたときに刹那が泣いてたら、ママをすごく心配させる。そんなこと、させたい?」
刹那は首を横に振ることで答えた。それを確認した彼は彼女を降ろすと頭を優しく撫でる。
「よし、良い子だ。……さて」
必死で逃げ回っているとき、何人かの警察官を見つけた。彼ら曰くこの町にある学校に住民達を避難させているところなのだそうだ。なのでこの学校内には現在、多くの避難民が押し掛けているだろう。ならば知り合いに会えるかもしれない場所は──。
「刹那、体育館に行こう。刹那の友達もいるかもしれない」
「うん」
数年前に起きた大震災や、豪雨災害の時も学校の体育館という場所は避難所としての役割を果たしてくれていた。彼自身は今までこうして災害──といっていいのかどうかはわからないが──に巻き込まれた経験がないため、ニュースで得た知識でしかないが今回の場合も恐らくそうした機能を果たしていることだろう。
この学校に体育館はかなり昔に建築されたということもあって、彼の通うこの町から少し離れた都会の進学校の体育館に比べればかなり狭い。しかし特に寝転がるわけでもなく、動き回るわけでもなければ300人は余裕で収容できそうな広さがある。
彼が体育館の扉を開けると、既に体育館のなかにいた多くの人達の肩がびくりと震え、一斉に視線が集まる──が、彼と刹那の姿を見ると安心したように溜め息を吐いた。といってもそれは安心しきったというわけではなく、未だにこの体育館の中の空気は張りつめている。
「……あっ、進藤くん」
そこで不意に名前を呼ばれ、そちらに視線が向かう。そこにいたのは彼と同じく、通っている高校の制服を身体に纏った黒髪ロングの少女だ。男子からみれば魅力的に、女子から見れば羨望的に映る彼女の髪は、今日はどこか魅力がなくなっている気がする。
彼女は
「篠宮、無事だったか」
「えぇ、命からがらといったところだけど……そちらは妹さん?」
「あぁ、妹の刹那だ。ほら、挨拶しな」
「……せつなです。はじめまして」
「私はお兄さんの友達の篠宮玲奈といいます。これからよろしくね、刹那ちゃん」
必死の逃亡劇からの友人との再開。それに空気は少しではあったが空気が緩んだ。
しかし、それはすぐに引き締められる。
「篠宮、お前ご両親は?」
「仕事に向かっていたわ。ここに着いてから連絡を取ってみたけど、返事はまだ来てない。進藤くんは?」
「同じような感じ。電話しても繋がらなかったから、ラインでこの場所にいるってことだけ伝えておいた。あの化け物はこの辺りにはいないしな」
あの化け物はこの辺り──学校周辺には存在していない。それが何故なのかは定かではないが、ここが一種の安全地帯となっていることには代わりなかった。
しばらくはここにいれば安全だ、そう彼は思ったが彼女はそうではなかったらしい。
「篠宮、どうしたんだ?」
「……やっぱり変よ、進藤くん。この辺り
「少ないなら良いことじゃないのか?」
「たまたま偶然、ここに寄り付かないというのならそれでいいのよ。でもここまで少ないのは流石に違和感を覚えるわ。進藤くん、あなたここまであれに追われた?」
「あ、あぁ。ギリギリ振り切れたけど。それが?」
彼の言葉で彼女はさらに顔に浮かんだ疑念の色を濃くしていく。彼女は自分の心の中にある『まさか』が膨らんでいくのがわかった。それはまるで空気を込められた風船のように。
「私もなのよ。私も辛うじてのところでこの学校に逃げ込むことができたの。……やっぱり変よ」
「……何が?」
「君は陸上部のエースで、私はマネージャー。走ることにおいては高校内屈指の実力者であるあなたと、女子の平均ぐらいの速さでしか走れない私が、ほとんど同じ状況であの化け物から逃げることに成功している。あなたの場合は刹那ちゃんを抱えていたからもあるでしょうけど、その程度の差で私とあなたの間にある運動能力の差が埋まるとは到底思えないわ」
そこで彼も彼女の心の内にあった懸念に気づく。
それは出来ることなら気付きたくなかった、この体育館内にいる人々を絶望の底に叩き落とすようなものだった。
自然と話し声が小さくなる。彼は妹の手をきつく握りしめながら、彼女に言った。自分の予想を。
「まさか──
「…………おそらくは。憶測になるけど、ここにいる人の大半が同じような状況でここに誘導されたのでしょうね。ここには老若男女様々な人がいるわ。中には車椅子の人もいる。流石にそんな人が、進藤くんにギリギリまで迫れる脚力を持った化け物相手に逃げ切れるとは思えないわ。……まぁ、進藤くんを追いかけた化け物と、私が追いかけられた化け物、そして車椅子の人を追いかけた化け物が同じ種類のものではないという可能性もあるけれど。
それでも誘い込まれたのならこの学校の周囲に化け物がいない理由にも説明がつくわ」
「あいつらの仕事は俺達をここに誘導したことで終わっているからか……」
「そう。そしてわかりやすくあの化け物がいない理由はここが『何故か化け物が近寄らない安全な場所』だと誤認させるため。安全な場所からわざわざ出て、化け物が徘徊している町に出ていこうなんて物好きまずいないでしょうから。そしておそらく施設は変われど、同じような『人が集まりやすく、ある程度の備蓄などがある場所』にあの化け物達は人間達を集結させているでしょうね。この学校だけではこの町の住民を全員集めるのは厳しいでしょうし」
「でも何でわざわざそんな面倒なことを?」
「進藤くんは掃き掃除をするとき、ごみを見つける度に塵取りを使うかしら? 大体は部屋の隅にまとめて一気に集めるんじゃない?」
化け物達は人間を数ヵ所に集結させ、一気に殺すつもりだ。
そう暗に言われた俊哉の顔が青ざめる。自分達を追いかけた化け物、それに握られていた木をそのまま武器にしたような棍棒で殴られ命を散らす想像をしてしまう。
(クソッ。これからどうすればいいんだ…………?)
明らかに詰みの状況。それに彼は内心で毒づいた。
『イツキ』
「どうした、クロネ。なにか問題でも起こったか?」
褐色の肌を持つ幼女の姿を持った餓者髑髏──クロネから定期連絡ではない緊急連絡が入った。
現在俺はシオン、フランと一緒に町の《
俺は不意さえつけば野良の《悪夢》達を一撃で仕留められるため、それぞれがひとつの町で同様の活動を行っている。俺は種族的には人間であり、その他の2人は
クロネは廃工場に残って更なる《傀儡屍兵》の生産及びそれを使った人間の誘導、そして誘導した人間の施設に屍兵を紛れ込ませての内部からの操作などを請け負っている。正直、ここに来てクロネに過剰なほど労働を強いてしまっていて罪悪感がヤバイ。
そしてテュフォンはこれもここ数日でお馴染みとなった屍兵用の死体の回収だ。俺達、『野良悪夢掃討チーム』がばんばん殺しまくるもんだから、彼女にも重労働を強いてしまっている。一段落したらゆっくりさせてあげよう。
ラルルには俺のボロアパートがある街にして、俺達の活動拠点でもある街の駅で電車などの交通機関を潰す役割を受け持ってもらっている。
この街は数駅行けば首都圏にも負けない大都市に挟まれているため、朝の電車は非常に賑わう。そこで交通機関を潰し、この街に存在する人間の数を増加させるプランだ。満員電車で死者が出るかもしれないと本気で思ったほどの数だからな。さぞかし俺のDPを稼ぐための道具として役に立ってくれるだろう。
そうやって各々が別れて行動している以上、お互いに連絡を取り合うことは必要不可欠だ。そのためシオンの眷属である豆狸を連絡手段として使用し、外に出て活動を行っている俺達4名からの連絡をクロネの元に集め、10分ごとに情報共有を図っている。
そんな10分の定期連絡から5分も経過していない内にクロネからの連絡だ。何かあったと考えるのが自然だろう。
『うん、丁度イツキがいる地区の学校にいる人間がね──私達の作戦に気付きかけてる』
「……! どこまで気付かれた?」
『《悪夢》達が人間の集まりそうな施設に誘導してるってところまでで、今は人間達を1ヶ所にまとめて掃討しようとしてるって勘違いしてる。でも今までみたいなやり方じゃ、私達は人間をあんまり殺したくないってばれるかもしれない。そうなったら抵抗されると思って連絡した。……どうする?』
クロネの連絡を受けて、俺は安全な場所に隠れた。
もう《悪夢》の襲撃を受けて開けっぱなしになったドアを閉め、荒らされたベッドの上に座り、考える。
「なぁ、クロネ。そいつらの話って何人ぐらいが聞いてる?」
『状況的に話してる本人である2人の男女と、男が連れてきた妹ぐらいだと思う。そんな話を聞いてたら暴動が起きてるだろうし、話し声も小さいし』
「そんなもんか……」
やはりというべきか俺の計画に勘づいた輩は非常に少ないらしい。
聞こえていればクロネの言う通り暴動が起きている。
今あそこに限定しなくても人間の集まっている擬似的な安全地帯にはガス溜めみたいなもんだ。そこに『そこは実は安全地帯ではありませんでしたー』なんて火種をぶちこんだらそこに《悪夢》なんざ放り込まなくても勝手に自滅するだろう。
話し声も小さくしているという話であるし、それはその話をしている連中もわかっているはずだ。じゃなきゃ、何かしらの行動を起こして体育館のガス溜まりに油を流し込むような愚行をしているはず。
よし。
「クロネ、あと体育館の中にはあと何人入りそうだ? それ次第で行動を変える」
『ちょっと待って。んー……あと10人も入りそうにないかな。結構きつきつ』
「ならこのタイミングで襲撃をかけよう。他の場所も同じくだ。シオンとフランに掃除は済んでるか確認してくれ」
『おっけー。………………うん、掃除は済ませたって。ルート上に野良はいない』
「わかった。じゃあ《傀儡屍兵》に襲撃命令、ルートに沿って逃走させろ。ルートから逸れる道に屍兵に配置して、運の悪い人間や協調性のないお馬鹿さん達を始末しよう。DPの稼ぎが減るのは痛いが、屍兵の材料が増えるのは嬉しいしな」
『ん、じゃあ配置するまで待ってて。その間にイツキは人に見えない場所にまで避難する?』
「あぁ、そうだな。……悪い、こんなに働かせて」
『なら一段落したら、なにかちょうだい』
「あぁ、用意できる範囲で用意する」
ならいいよ、と言って豆狸による連絡が切れる。
とりあえずは施設に集めた人間を逃走させるための経路を巡回しよう。そんなことでクロネの屍兵を損傷させたくない。
なら早速動くか。
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